2025年4月30日水曜日

熱帯の授業 すべらない話

地理総合の授業は、ケッペンの気候区分の記号を無理やり覚えさせる授業を終えて、本日より各気候区の話に入った。それぞれに”すべらない話”がある。ちょうどいい機会かと思い、記しておこうかと思う。

熱帯は風土病が多い。まずはマラリアである。ケニアでは、風邪も含めて、とにかく熱が出るとマラリアということになると聞いた。其れ位フツーの病気である。このマラリア原虫をもつハマダラ蚊は、夕方以降活動し、膝より下の足のみを刺す習性があると聞いた。ブルキナではNPOの警備のオジサンが裸足&半パンで夜寝ていたので危険だと思ったのだが、なんと12回以上刺されているので免疫があり平気らしい。予防薬は高価だが薬局で買える。だがあくまで予防薬で治療薬ではないとのこと。私は手に入れたが、フツーの薬なので何度か授業で見せたが印象が薄すぎてやめた。(笑)ケニアのナクル湖国立公園で、静岡のM先生から日本の蚊取り線香を3本いただき、ロッジの中で炊いたら、朝100匹くらいの蚊の死骸がころがっていて、無茶苦茶驚いた。蚊帳のあるベッドで快適だったが、恐ろしい環境である。

熱帯の風土病といえば、黄熱病も有名である。ケニアに行く前にJICAから黄熱病のワクチン接種をするように言われたので、大阪港にある大阪唯一の診療所に行って打った。人生で最高に痛い注射であった。帰りにイエローカードを発行してくれた。10年有効で、もうすでに期限は切れている。(笑)

もっと恐ろしいのがエボラ出血熱。これはブッシュミート(特に猿の干物)が関係しているらしい。昔TVで、オードリーの春日が、これを食している画像があって、驚愕した。危険すぎる演出だといえる。エボラ出血熱は空気感染するのでさらに恐ろしい。
アマゾンのピラニアは、釣り人にとっては入れ食いで面白いらしい。昔「旅行人」という雑誌の記事で、日本人旅行者が醤油とわさび持参で出かけ、ピラニアを釣って刺し身を堪能したらしい。実際美味しいらしいのだが、翌日腕にコブが出来、そのコブが翌日にはさらに上に移動し、肩まできたそうで、ヤバいと感じたので病院に行ったら、医者に「ピラニアを生で食べただろう。」と言われたそうだ。ピラニアの体内にも寄生虫がいて、脳に向かうらしい。コブを切開すると…大量の◯◯◯が…かなり恐ろしい話である。

Af(熱帯で1年中多雨)の熱帯雨林での体験談。マレーシアの日本語学校の遠足で生徒に請われて熱帯雨林に足を踏み入れたら、見事にヒルにやられた昼の話。マレーシアで毎日体験したスコールの状況なども詳しく解説できる。

Aw(熱帯で冬乾燥するサバナ気候)のサバナ(熱帯草原)は雨季と乾季でかなり違う。ケニアで野生動物を見るサファリに行った時、轍(わだち:車の通った跡)が乾燥し凄いガタガタ道で、思わず舌を噛みそうになったことも、Aw理解には実に有効。

その他にも日本のインスタントラーメンを支えているパームヤシの話や、カカオ収穫で児童労働が行われていること、コーヒー収穫の時の来日前のアントニオ猪木の苦労話なども示唆に富んでいると思う。まあ、話題に事欠かない熱帯の授業なのであった。

2025年4月29日火曜日

「昭和の日」に想うこと

https://note.com/nenkandokusyojin/n/n0eaf7f360038
4月29日は昭和天皇のお誕生日である。昭和の時代は、天皇誕生日、戦前は天長節であったわけだ。私は、昭和天皇のことを以前かなり詳しく調べたことがある。実に興味深い話があるので、本日はそのことを思い出しながら記していきたい。

昭和天皇は、帝王学を身につけられていた。よって、普通人の感覚とは異なることがある。例えば、脱衣も着衣も自分ではされなかった。意外だが、英国に行かれて以来、洋風の暮らしぶりで、就寝時はパジャマ姿であった。最も印象的だった思い出は、ロンドンで自分で切符を購入したことだと言われている。この辺は普通人とかなり違うところである。

昭和の前期は、軍人の勢力が強かった時代だが、満州事変や日華事変の時は軍に対して、厳しく指摘をされ、当時の首相が辞任した。これに懲りてあまりきつくは言われなくなったようだが、2.26事件の時は激怒され、白馬にまたがり反乱兵を自ら征伐するような気迫を見せられた。暗殺された文官への思いが迸ったのであろう。

憲法上統帥権を持ちながらも、あくまで権威として接しておられたが、口調は穏やかでも軍部へは、不信感を口にされていたようである。天皇主権、統帥権が規定された大日本帝國憲法であるが、その筋は通しつつも、あくまでも権力ではなく権威をもって軍を統制しようとされていたわけで、戦犯であるという当時の連合国の主張はあたらない、と私は思っている。開戦に当たっても最も慎重であられたのは天皇であり、敗戦時は、軍の抗戦派に対し、最後の最後に自らの身命をかけて決断されている。この辺は、まさに帝王学の所以である。

意外な話を最後に。終戦直後、皇太子(現上皇)がカメラを欲せられた際、中古のものを与えられた。当時の国民の状況を鑑みて、皇室だからといって贅沢をゆるさないという、意外なほど普通の感覚である。人間天皇として、誰よりも新憲法の主旨を心肝に染められていたのではないか。

戦前は普通人と離れた感覚をお持ちであったのが、戦後は日本国憲法下の人間天皇として覚醒されていったと私は感じている。

2025年4月28日月曜日

ノートルダム女子大の募集停止

https://henews.consortium.or.jp/news/news-7311/
京都のノートルダム女子大が、ここ何年か募集人員が不調で、先日、来季の募集停止を発表したという情報が流れた。少子化で、受験生自体が減少していて、同様のリスクを抱えている大学が多いわけだが、マレーシアで知り合った年下の大学教員が、マレーシアの大学からこの大学に再就職しているので、関わりがないとは言えない。

正直なところ、難関と言われた大学が意外に入りやすくなっているのも事実。各大学とも生き残りをかけて様々な変革をしているようだが、女子大は特に厳しい。やがて、大学も淘汰されていくのだろうが、大学教員も大変である。

高校生の志向も変化しつつあるのはよくわかる。できれば指定校や年内の推薦入試で合格できればという高校生が増えているし、特に関西の中堅大学は入試改革でそのニーズに合わせてきている。ゆるふわ系といわれる学部・学科に人気が集まっている。特定の技術や資格をとる実学ではなく、なんとなく楽しそうという学部・学科が増えている。

中堅校では、年明けの一般入試組が減少しているのも事実である。だから、何なんだと言われると、答えに窮するのであるが、これも時代の流れなのだろうと思うのである。

2025年4月27日日曜日

NYタイムズの万博批判に納得

https://x.com/urazumi/status/1785153821599273375
もういいかげん、万博のことを文章化するのはうんざりであるのだが、YouTubeにNYタイムズが忖度ない鋭い批判をしていることに対しての、社会学的考察が興味深かった。日本でも納得する同胞が多いようである。

https://www.youtube.com/watch?v=cYjqc1Gcjr8

今の日本が直面する現実と、万博の乖離が明確に述べられている。そもそもテーマキャラクターのサルバドール・ダリの盗作(画像参照)といわれているミャクミャクの気持ち悪さ、何を表現しているのかわからないという万博のコンセプトの不透明さ、利権のための万博という不信感が、期待を見事に裏切っているということと、日本社会の現状を考察している内容である。

ところで、吹田市が、小中学校の生徒の万博参加を安全面での不安から参加を見送ったとの報道が流れた。これを見下した言い方で批判した維新の市議が出て、さらに大炎上しているようだ。維新は大阪の公教育を破壊したことを未だ認識していないようだ。

空っぽの万博、未来をつくれない日本…。

2025年4月26日土曜日

いのち輝かない今回の万博

「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマの今回の万博で、50歳代の女性が倒れ、救急搬送したがお亡くなりになったという報道が流れた。夢洲という陸の孤島故に、救急車が来るまで最低15分はかかり、此花区の唯一の救急病院は、JR西九条駅のそばにあるようだが、15分から20分かかるとのAIの回答だった。

そのそも会場の隣に建設しているIRの、地下鉄などの交通インフラを整えるための隠れ蓑の万博である。「いのち輝く」という枕詞をつけるのなら、当然こういうことまで想定した安全対策を万全にすべきだと思うのだが、万博協会はこの件に関して今のところ何も発表していない。入場者数を増やすことしか考えていないがまるわかりである。

これから、熱中症などの症状を訴えるケースが増加すると思うが、ベンチも少なく、会場内の診療施設もわかりにくいらしい。参加者の立場に全く立っていないのは、国民や府民、市民の立場に立っていない維新の姿勢そのものだと私などは思う。

…まさに世も末、亡くなられた方の御冥福を祈るばかりである。

2025年4月25日金曜日

1970年万博 ソ連館のパンフ

学院の社会科主任の先生から、「1970年大阪万博のソ連館のパンフレットがありますよ。」と見せてもらった。極めて貴重な資料であるので、スキャンしてPDFにエクスポートさせてもらった。何より私の興味を引いたのは、ソ連邦内の共和国であった各国の気合の入った国旗や国章である。もちろん、当時と今では呼び名も少しずつ変わっているし、国旗も大幅に変更になっている。この万博の20年後にソ連は解体することを、誰が予想したであろうか。

1970年当時は、まだ社会主義が元気だったし、書かれている内容も精一杯、日本国民にプロパガンダしているのが明白である。「革命は勝利した!」レーニンの革命的呼びかけなんかも書かれていある。

現在から見れは、嘘やろー、と言いたくもなるが、社会主義国家としての理想を追い求めている記事が目立つ。曰く、「全ての勤労者に市民的自由を」「全ての民族に平等の権利が与えられる」…ウクライナ紛争でこれらのプロパガンダの虚構が白日のもとになったが、見るも無惨な記事ではある。1970年のソ連は、1968年のプラハの春でチェコに武力介入し、さらに中国との国境紛争で激しく対立していた冷戦期の停滞時代だ。日本でも70年安保で左翼勢力が一気に衰退した時代でもある。国際的批判に対し、巻き返そうという意図が見え見えである。とはいえ、中1だった私は、こういうプロパガンダとは無縁で、ソ連館の本物のソユーズの宇宙船の展示を見上げて単純に感激したのであった。(笑)今は昔の話だが、1970年の大阪万博は、今回の万博と違って大いに行く価値があったと思うのである。

2025年4月24日木曜日

授業で語りたいニジェールの話

学院の3年生に、自己紹介のアンケートを今年も実施したのだが、今回はアナウンスが良かったのか、各生徒諸君は進路のことや、趣味や特技などいろんなことを書いてくれていた。1枚1枚丁寧に読んでいくと、海外に移住したいとか、国際的なビジネスをやりたいとか、国境なき医師団のスタッフになるのが夢、などというのもあって、実に興味深かった。受験科目ではないが、地理総合の授業を楽しみにしてくれているようだ。

気候の授業を中間考査までのスパンでやってしまうわけだが、ついつい関連した話をしたくなる。BW・BSの気候の話の中で、ニジェールの荒れ地に、都市ゴミを撒き、シロアリの塚を育て、シロアリの働きで土地を耕し、草が生えたところで羊やヤギの放牧地にして、糞をさらに肥料とすると、やがて農作地に変化していくという、京大の太山先生の話をすることにした。(2012年4月14日・15日付ブログ参照)

私は、以前京大公開講座で、太山先生のこの研究を直接聞いて、実に感動したのを覚えている。(私の「高校生のためのアフリカ開発経済学テキストVol 6.03以降」にも、その内容を書かせてもらった。上記画像参照)アラル海の自然破壊の話や、アメリカのオガナラ帯水層から地下水を汲み出すセンターピボットの話も地理らしくていいのだが、この太田先生のニジェールの話を是非生徒に紹介しておきたいと思った。農学部志望の生徒もいるし、国際協力に関わりたいと考えている生徒もいるので、その意義は小さくはないはずだ。

2025年4月23日水曜日

非日本的 ぬいぐるみベンチ

https://togetter.com/li/2541754
大阪万博は、相変わらず非難の応酬が続いている。今回、私が注目したのは、非日本的、いや反日的なぬいぐるみベンチの話。どこに設置されているのかは知らないが、リサイクルと称して、ぬいぐるみの顔の部分を隠して、ベンチにしているというYouTubeチャンネルや記事があった。

日本の文化では、人形に対しては実にアニミズム的対応(人形供養)を行い、人形には人の意志が宿るとされている。子どもが大切にしていたであろうぬいぐるみを、ベンチする(=尻に敷く)という発想自体が異常で、国際的なイベントである万博のベンチとして尚更ふさわしくない。

石を頭上においた休憩所といい、男女共用としたトイレといい、まさに中国的な子供用トイレといい、大阪万博は、本当にイカれているとしか思えない。

2025年4月22日火曜日

葉桜とコスモス

大阪では、もう葉桜になってしまった。自宅から最寄駅まで歩いていると、つい心のなかで、「ささやかな子の人生」(かぐや姫解散後に伊勢正三が「風」というユニットを作ってヒットした曲)を口ずさむ毎日である。

♪花びらが散った後の桜が とても冷たくされるように…

https://www.youtube.com/watch?v=u_Cn6GSCcIk

このフレーズがぴったりとくる季節である。昭和の時代の人生を歌ったフォークの名曲のひとつであると思う。

ところで、最近、妻が好きでよく聞いている曲に、加川良のコスモスがある。

♪あたい コスモス この身を恨んだことはない

 あたい コスモス わきまえているつもり…

https://www.youtube.com/watch?v=IDaDEzB-VDw

加川良の曲は名曲が多いが、実に深い。つくづく加川良は「詩人」だと思う。

もしよければ、URLから、この2曲聞いていただければ、と思う次第。

2025年4月21日月曜日

地理総合の教材 理想形を求めて

本日は、学院の3年生は1日中模擬テストなので授業はなく、昨日今日と自宅で教材研究に励んでいた。1学期の中間考査までのスパンは短いのだが、大体のクラスで地形の範囲を終えたところ、残りの授業で気候の範囲をやってしまいたいと考えた。気候の分野は、最も高校地理らしい、法則性が際立つ分野である。昔から、かなりの時間をかけて、ケッペンの気候区分を、順に説いてきたのだが、日程を鑑みて、4コマの授業で効率的に進める教材を考えた。なによりプリントとパワーポイントを完全に連動させて、面白い話題をそこに挿入して進めることにした。

これまで前述のように、Af・Am・Awと熱帯の気候区を順に教えていたのを、熱帯としてまず一括りにして、ポイント(乾季の有無と植生とプランテーションなど)を教えることにした。各気候区の分布は熱帯のみの分布地図にして、場所をわかりやすくする。最後に、気候区ごとの表(特徴・農業・分布の三列)でまとめておく、という具合である。

同様に、乾燥帯(BW・BS)まで完成した。(本日の画像は、乾燥帯のプリントとBSの灌漑農業・最大の環境問題として知られるアラル海の解説のためのパワーポイントである。)効率的に授業を進めるためには、それなりの念密な準備が必要である。膨大な時間をかけて、完全なる(?)プリントとパワーポイントの連携教材を作り上げるのも、また楽し、なのである。

2025年4月20日日曜日

イスラームからお金を考える

先日、学院の授業を終えての下校時に、JR学研都市線が近隣火災でダイヤが乱れているとかで、当分四条畷以遠には行けそうになかったので、住道駅の本屋で時間を潰した。私が一直線に向かったのは、いつも通りの新書の棚で、「イスラームからお金を考える」(長岡愼介著/ちくまプリマー新書)を購入したのだった。

イスラム経済については多少の見識はあるが、これをさらに深めようというわけだ。この本購入の最大のきっかけは、著者が京大のアジア・アフリカ地域研究所の教授であるということ。私が、マレーシアに行く前に、アフリカ関連の一般向け講座に頻繁に通った研究所であり、私の教え子・L君が学んでいるところでもある。当然ながら、おいおい書評を書いていこうと思っている。

2025年4月19日土曜日

万博の横でIR工事という暴挙

https://news.mynavi.jp/article/20230425-osakair/
維新は、問題だらけの万博の横で、本来の目的であるIR(カジノ)の工事を強行するらしい。万博自体が入場者への配慮が全く無い非日本的なイベントであるのに、それに加えて、さらに国際的批判、信用失墜を呼ぶような暴挙である。下記URLのYouTubeチャンネルには様々な立場からのコメントが挙げられているが、その批判の全てが正しいと思われる。私はこの馬鹿な万博に行くつもりなど毛頭ないが、入場者のことなど一切考えていない維新には憤りを隠せない。

短絡的で、馬鹿な政治家がこの日本の良さをぶち壊している。恥を知り、すぐさま政治の場から退場し、工事を中止すべきである。

https://www.youtube.com/watch?v=SDdKkrbxBjE

2025年4月18日金曜日

経済で読み解く現代史4

https://shop.zakkaya-poppo.jp/products/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第21回目でいよいよ最終回。アメリカの軍産複合体についてである。 

WWⅡ後、アメリカはソ連の脅威に対抗するため、国家安全保証法により、国家安全保障会議(NSC)、国防総省、CIAを設立し、軍事・諜報機関の関連予算を引き上げる。1950年、国家安全保障会議は、NSC-68という文書で軍事力を緊急に増強する必要性を強調した。具体的には、軍事支出の水準を従来の4倍に引き上げ、議会の予算総額の1/3に抑えるという協定の破棄を求めるものだった。軍拡の財源は、低金利政策と物価安定を維持するために、国債発行を避け、非軍事政府支出の削減(GDPの比5.4%に)と増税(所得税はGDPの比1.32%に)で賄う方針を立てたのだが、問題は国民への説得だった。トルーマンは慎重に大統領経済諮問委員会に調査させる。ケインズ派の経済学者は、軍拡の有効需要による景気刺激効果を、また原爆・水爆の核爆弾製造は安価に大量生産が可能で効率的戦力整備である点も主張されていた。そこに朝鮮戦争が起こり、NSC-68は全面採用されたのだった。

1951年度の国防予算は$482億に膨れ上がった。統合参謀本部は$823億を要求したが、議会は$555億で承認、アメリカは、軍拡路線に急激に舵を切る。冷戦期のアメリカにおいては、軍拡路線の税負担は一般国民にスムーズに受け入れられた。WWⅡ以降、軍需物資の生産が鉱工業生産全体の大きなシェアを占める産業構造になっており、軍事産業に関わる膨大な数の労働者はそれを強く望んだ。1951年の軍拡まで軍需関係労働者の労働運動は活発化し、1400万人の労働組合となり年間500万人規模のストライキを展開していた。軍拡により雇用が安定し、民需産業より20~30%程度高い賃金を得られた労働組合は強力になっていった。アメリカ社会で巨大な権益を形成していたのである。

本来なら持続不可能な軍拡=財政政策であったが、高度経済成長により維持されたのである。「アメリカに必要なものは永遠に続く戦争である。」という大統領経済諮問委員会のウィルソンの言葉は、端的に内実を表していたのである。

1961年アイゼンハワー(画像は大統領選時の缶バッチ)は、大統領退任演説で肥大化する軍需産業を「軍産複合体」と呼び警告を発した。WWⅡのノルマンディー上陸作戦の英雄故に、実に重い言である。典型的な軍産複合体は、ロッキード社とボーイング社(航空機)、ノースロップ・グラマン社(軍艦・人工衛星)、レイセオン社(ミサイル)、ダウケミカル社とデュポン社(化学)、GE、ハリバートン社(資源生産設備)、ベクテル社(ゼネコン)、ディロンリード社(軍事商社)と言われ、石油メジャー(スタンダード石油系)なども含まれる。

アメリカは、現在もなお平常時も恒常的な戦時体制に匹敵する国防費を支出しており、アイゼンハワーの警告は、活かされているとは言い難いのである。

2025年4月17日木曜日

経済で読み解く現代史3

「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第20回目。今回は、WWⅠ後のドイツ経済。ハイパーインフレの真実と財政の魔術師・シャハトについてである。 

WWⅠは総力戦で莫大な戦費が投入された。それ故敗戦国ドイツに天文学的な賠償金が課せられ、フランスとベルギーがドイツの心臓部ルール工業地帯占領という無茶をやったので、頭にきたドイツ政府は、賠償金のために膨大な紙幣増刷に走り、ハイパーインフレとなった、と今まで授業で教えてきた。これは一般的な解説である。しかし、その内実は違うと本書は教えている。

なにより、賠償金の支払いは、(金本位制下故に)金での支払い、あるいはそれに見合うドルやポンドの支払い限定であったからである。…目からウロコである。

このライヒスバンクの紙幣増刷は人為的なものであったらしい。中央銀行でありながら、市中銀行と同じく、融資を積極的に行っており、インフレが激しく進行することを政府筋から掴んでいた一部の担保力のある借り手が、ライヒスバンクや市中銀行から融資を受け、土地・設備なの資産を買い入れ、一定の時期が過ぎれば貸付金は、実質価値が下がり、貸付返済は軽くなり、結果的に資産を安く買い入れることができる。インフレがさらに進めば、購入した資産を担保にさらに大きな融資を受け、さらに資産買いに当てるという行動を際限なく繰り返し、保有資産を増大させることが可能になる。このようなオペレーションをとることを前提にした人為的な誘導であったと著者は考えており、誰が、あるいはどんな組織が得をしたのかを特定することは困難だが、担保力のある大資本、あるいは政府関係筋ではないか。結局中産階級を中心とした現金資産保有者は大損したわけである。

さて、1923年シャハト(本日の画像は彼を描いたコミック表紙)が新たな中央銀行総裁となる。彼が主導したレンテンマルクはドイツの土地不動産という実体により保証されたもので、その資産価値を超える通貨の発行(33億レンテンマルク)、国債引受高(12億レンテンマルク)を認めないとした。それまでのマルクとの交換レートは1:1兆で、単なるデノミネーションではなかった。これにより信用を生みインフレは収束した。

1924年にアメリカのドーズによりドイツ経済再建のためのドル資本の注入が行われ、ドルとレンテンマルクをペッグさせ安定させるため、臨時的に発行されたレンテンマルクは恒久的なライヒスマルクに転換、ドイツの通貨が保証された。実際ドイツ経済は回復したのだが、1929年の世界大恐慌で、アメリカ資本が撤退、ドイツはデフォルトに陥る。

ナチが台頭し、ケインズ的な有効需要政策(アウトバーン)や再軍備などで劇的に失業率を下げ、ナチ直属の労働組合に賃金の分配を監視させ公共事業の恩恵を労働者に行き渡らせもした。また食糧価格安定法で物価を統制した。

これらの公共事業の巨大な財源を赤字国債にたよるとインフレ化が必定。そこでシャハトが経済相とライヒスバンク総裁として起用される。シャハトは、ダミー会社のメフォ(MEFO:有限会社冶金研究協会)という政府外郭団体の金属調査会社を設立し、メフォに兵器発注を行わせ、メフォはその支払を手形で行った。この手形をライヒスバンクが保証、手形の償還期限は3ヶ月だが、最大5年まで延長可能として、膨大な手形を発行、事実上政府の資金借り入れの窓口とした。政府はメフォ手形により、国債発行、それを引き受けるための通貨増発をしなくて済み、インフレを回避したのである。シャハトは、このメフォの実態を機密扱いにして、財政に対する社会不安を紛らわし、インフレなしの財政出動を可能にしたのだった。財政の魔術師と言われた所以である。

ところが、メフォ手形によって得た巨額の借金はいずれ返済しなければならない。シャハトは、際限なく発行される手形に制限を加えるように集中王したが、ナチの軍拡路線は止まらず、赤字国債の発行も大規模に行いだした。ナチ支援企業がこの赤字国債を無制限に引き受け、それらを偽計的特別会計に国購入費を計上して欠損を隠していた。1938年、いよいよメフォ手形の5年の返済期限になった時、ナチはその対策に追われ、ライヒスバンクは27億ライヒスマルクの紙幣増刷を行う。シャハトはこれ以上の赤字国債発行は危険だと抗議文を出したが、解任された。

1939年以降、財政に窮したナチは、侵略によって他国の財産強奪して借金返済に当てる以外に方法がなくなったのである。

…私はこの辺の歴史には詳しいと自負していたが、またもや自己の見識の浅さに打ちひしがれてしまった。本書の価値は極めて高い。

2025年4月16日水曜日

経済で読み解く現代史2

https://www.klook.com/ja/activity/25008-las-vegas-hoover-dam-tour-los-angeles/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第19回目。今回は、世界大恐慌とNewDeal政策の効果についてである。 

以前から、世界大恐慌におけるアメリカのNewDeal 政策が、ケインズ経済学を取り入れ、有効需要を国家主導で行ったこと、これが分岐点となって、戦後、サッチャリズムやレーガノミクスといった新自由主義が登場するまで主流となってきた、と授業で説いてきた。ただ、実際にはアメリカは、WWⅡに参戦してやっと経済が復興できたことも教えてきた。今回は、その内実に迫る内容である。

まず、NewDeal 政策の6つの要素を整理すると、①生産統制:AAA(農業調整法)・NIRA(全国産業復興法)②金融緩和:金本位制停止と貨幣供給増大③財政出動:TVA(テネシー川流域開発公社のダム建設)④労働者保護:ワグナー法(労働組合法)⑤高関税政策:ドルブロック(輸入遮断)⑥銀行規制:グラス・スティーガル法(銀行の証券業務事業禁止)となる。

大恐慌発生時のフーヴァー大統領は、財政出動せず、FRBも金利水準を維持し、金融緩和も行わなかった(=金本位製の維持・ドルの供給増を行わなかった)ので、無為無策と評されているが、当時の国際協調最優先にしたわけで、世界経済の秩序は守られたが、アメリカ経済は悪化の一途をたどった。ここは議論の分かれるところである。

さて、ケインズの有効需要理論は、上記の③に当たるわけだが、1932年のフーヴァー政権での政府支出はGDP比8.0%、1936年のルーズヴェルト政権では10.2%で、僅か2%強しか増加していない。赤字国債も1932年がGDP比33.6%から36年は40.9%の増加幅に留まっている。実際にはその規模は抑制されたものであったわけである。

一方、金本位制を停止し、通貨発行の自由裁量権を得たものの1929年当時に戻したくらいで、供給ペースは緩慢であり、民間の貸出、市場への資金供給も進んではいなかった。マネーサプライも財政出動の使途分が増加した程度であったようだ。よって、NewDeal 政策は財政政策としても、金融政策としてもほとんど効果はなく、政策開始の1年前の、景気が底打ちした1933年から自律的に景気回復局面に入った故に、アメリカ経済はマシになっていったと言われている。いずれにしろ根本的に景気回復軌道に乗るのは、1939年のアメリカのWWⅡ参戦による戦時需要にあったのは間違いない。

…本書では、NewDeal 政策はボロくそである。(笑)まあ、様々な議論があるところで、評価も様々である。実に社会科学らしい話である。

…フーヴァーといえば、CAとNVの州境コロラド川にかかるフーヴァーダム(画像参照)を思い出す。ラスベガスに向かう際に通過した有名なダムである。このダムは1931年から36年の大恐慌中に建設されたもの。また、WI州のミルウォーキーで、キングという高校を視察した際、その高校はNewDeal 政策の時に建設されたと聞いた。TVA以外にもそういう公共投資・有効需要はあったにちがいないが、統計上は決して歴史に燦然と輝く政策…というほどではないようだ。

2025年4月15日火曜日

経済で読み解く現代史1

https://www.tagesschau.de/wirtschaft/unternehmen/basf-konjunktur-stellenstreichungen-jobverlust-sparprogramm-chemie-100.html
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第18回目、いよいよ現代史に突入である。今回は、WWⅠまでの、英仏独米の経済状況についてである。

概要を先に述べると、イギリス・フランスが、ドイツ、アメリカに経済的な覇権を奪われるという流れになる。イギリスは、1880年以降工業生産のシェアでアメリカに1位の座を奪われ、20世紀に入るとドイツにも抜かれてしまう。これは、産業革命で成功したモデルが根強く残り、新しいビジネスモデルへの変革が行われず、設備も旧式化、中小企業が乱立、しかも彼らが利権団体を形成し現状維持の圧力となって議会に力を持ちすぎた結果、社会が硬直化したからである。

それに対し、ドイツはビスマルクによる国家主導での大規模な工業設備投資が行われ、独占的な巨大企業(電気産業のジーメンス、AEG、軍需産業のクルップ、化学産業のバイエル、BASFなど)が生まれ、金融でもドイツ銀行、ディスコント・ゲゼルシャフト、ドレスデン銀行、ダルムシュタットという「4D」という独占金融資本体制が形成された。

アメリカでは、南北戦争の北軍の勝利後、北部が主導権を握り、保護貿易体制のもと、産業育成が図られる。スタンダード石油、USスチール、GE、金融業ではモルガン、通信業ではAT&Tなどの独占資本会社が形成された。アメリカは、ドイツと異なり自由競争尊重の立場からシャーマン法などの独占禁止法が制定され、一定のバランスの取れた市場となり、新規参入企業も増大した。

イギリスでは、19世紀後半以後、慢性的なデフレ、低金利化、出生率の低下の三重苦に苦しみ、高金利の新興国や植民地への対外投資へ向かい、国内からマネーが流出、ポンド安が進む。植民地開発、対外資本投資で稼ぐ国家になる。フランスも植民地依存は同じで、アジア・アフリカ地域から綿花や染料などの原料を調達し、本国で加工し植民地に輸出し利潤を得る軽工業国になっていった。

植民地獲得競争に遅れたドイツは、大規模な鉄鋼、電気、化学などの重工業国となり、その輸出先はイギリス・フランスなどのヨーロッパ諸国であり、最も利益率の高い重工業というセクターをドイツが掌握する構造になった。イギリス・フランスが植民地獲得に成功したが故に、そこから脱却できずにドイツに経済覇権を奪われたわけである。WWⅠの遠因はここにある。

…これまで、英仏が、毒米に工業力で抜かれるという話を今まで授業で何度もしてきた。その内実が今日の内容である。なるほどと思う反面、今までその内実を掌握していなかったことを恥じる次第。私の見識もまだまだである。

2025年4月14日月曜日

経済で読み解く近代史4

https://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam18/select1891.html
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第17回目は、アヘン戦争後の清とイギリスの経済攻勢の苦戦、そして中国が近代化しなかった理由について。

2001年にマディソンが刊行した「世界経済 千世紀の眺望」によると、1700年のGDP値は、西欧が$833億9500万(=約8.4兆円)、中国(清)は$828億(=約8.3兆円)、1820年では、西欧が$1637億2200万(=約16.5兆円)、中国は$2286億(=約22.9兆円)で、世界経済における当時の清王朝が巨大な存在であったことがわかる。しかし、西欧が当時1億3288万人、中国が3億8100万人であったので、1人あたりのGDPでは、18世紀の近代以後、西欧が大きく躍進しているのに対し、中国はラテンアメリカより低い時期もあって停滞している。中国の成長率はほとんどゼロ成長で、人口比と正比例しており、土地に束縛された小農民が自分たちの生存に必要な食料などの物資を自給するために生産活動をしていたといえる。

17~18世紀の清では、金融業の規制もゆるく、大都市では預金や貸付業務を行う「典当」や「銭壮」、為替や両替業務を行う「票号」という銀行も発達していたが、限定的で中国経済を牽引するほどの力はなく、資本の蓄積はあくまで中世的商業資本に過ぎなかった。このように、中国は、西欧の近代化に取り残されてしまう。

中国が近代化しなかった最大の理由は極端に低い労働コストにあった。当時、イギリスは綿製品の機械化で労働コストをおさえ、大量生産したが、中国では売れなかった。中国では綿製品は家庭で簡単な道具で紡がれ、織られていた。自給自足だったのである。結局、中国の綿製品のほうが安価であったゆえである。中国の農業生産性、利益性は高く、土地の痩せたイギリスと違い、あえて工業化をする必要性がなかったのである。

イギリスは、アヘン戦争で関税自主権を奪い、大儲けしようという魂胆であったが、上記のように売れず、反対に茶の輸入が増え、貿易赤字になっていた。中国への経済攻勢ができないので、武力で半植民地化を進め、貿易赤字を埋めるため、中国国内の金融、建設、海運その他のサービス業で利益をあげざるを得なかった。また、輸入超過の茶を植民地のインドやセイロンで栽培することになったのである。

…イギリスはアヘン戦争後、中国で大いに儲けた様に見えて意外に苦戦を強いられてきたのであった。また中国が近代化に遅れを取った理由は、労働コストの低さと農業生産で十分だった故である。こういう真実は、受験の世界史ではあまり語られない。実に貴重な視点を共有できたと思う。

2025年4月13日日曜日

ブルー・インパルス狂想曲2

私の予想が当たって、ブルー・インパルスの大阪編隊飛行は、結局雨天中止になった。

夫婦で、パパイヤを食べながら、関空からのLIVEを見ていた。3機は離陸したのだが、後の3機はなかなか離陸せず、旅客機が前に来たりして不可解なLIVEとなった。大阪上空を飛行停止にするためには、各航空会社に迷惑をかけるので、決行か中止か、その判断にも長い時間をかけることもできず、結局中止になったようだ。多くの人が、いろんなところで待っていただろうと思うと、せめて爆音だけでもとも思うが、低空を編隊飛行するわけで、いくらブルーといっても危険極まりないと思われる。

残念だが仕方がない。しかしながら、日本の恥のような万博故、当然の結果かもしれない。まあ、今日も批判が相次ぐ初日だったようだ。

2025年4月12日土曜日

ブルー・インパルス狂想曲

https://weathernews.jp/onebox/tenki/osaka/#google_vignette
10日に空自のブルー・インパルスがリハーサル飛行を行った。私の住む枚方では、1970年の大阪万博の太陽の塔から、淀川を越えて、ひらパー(USJの誕生で大阪近郊の多くの遊園地が廃園した中、唯一生き残った遊園地)の上空を飛ぶとあって、曇天であったが、多くの人々が集まり、画像をUPしている。

私はブルー・インパルスのファンの一人であり、空自や米軍の航空祭に何度か行っている。ただ、今回は枚方上空は、編隊飛行のみなので絶対に見に行きたいというほどではない。なにより、明日の開会式は、天気予報によると雨天もしくは曇天である。

ブルー・インパルスの技術はすごいし、航空ファンの私にとって神のような存在なのだが、天候が悪いとその魅力が半減してしまう。松島基地からわざわざ関空まで来てくれているのに悪天候だと実に気の毒だ。まあ、万博の主催者が主催者であるから、開幕が悪天候になるのも仕方がない。晴天の期待は陛下の存在だが、開会式は今日終わってしまった。帰京されたら、どうにもなるまい。

ところで、会場内の支払いは現金が使えないそうだ。子供用のトイレもまるで昔南京で経験したプライバシー保護の概念がないというか、排泄に対し恥の文化がない中国様式。どこまで、来場者のことなど考えていないかがわかる。現金派の私は、行く気などさらさらないが、高齢者の方や児童・生徒たちが困惑しないように、ただただ無事故を祈るのみである。

2025年4月11日金曜日

経済で読み解く近代史3

https://www.hubbis.com/news/hsbc-malaysia-opens-new-head-office-in-trx-kuala-lumpur
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第16回目は、イギリスは、産業革命によっては意外に儲からなかったが、世界の覇権を握った理由について。

イギリスの国際収支の資料によると、1816年から20年の貿易収支は、-10.58(✕100万ポンド以下同じ。)で、1876年から80年では、-123,74と、この間ずっと赤字で、しかも増加傾向にあった。すなわち、イギリスの工業製品の輸出で儲けていたわけではなく、反対に赤字だった。しかし、貿易外収支(海運業、サービス業、海外金融業、海外投資の収益)で稼いでいたのである。1816年から20年の貿易外収支は、17.80。以後ずっと黒字で増加しており、1876年から80年では、148.56。よって、経常収支は、ずっと黒字である。しかも海外債権残高は莫大に増え、1816年から20年では、46.1だったのが、1876年から80年では、1189.4にまで増加している。以上の点から、イギリスが覇権を握った理由は産業革命による生産力拡大にあらず、と言えるのである。

イギリスは、三段階の悪辣な収奪システムによって覇権を握る。まずは、16世紀の私掠船の略奪(2023年9月3日付ブログ参照)、第二段階は17~18世紀の奴隷三角貿易、第三段階は19世紀のアヘン三角貿易である。いずれも受験の世界史でも登場する内容である。

ここでは、奴隷三角貿易において、イギリスはスペインやフランスとの競合者との戦争に勝利して以来、奴隷貿易を独占し、投資家は30%程度のリターンを得ていたとのこと。当初西インド諸島で砂糖のプランテーションで大きな利益を得ていたが、やがて綿花プランテーションもつくられ、さらなる需要のためにアメリカ南部にも拡大した。1783年、独立したアメリカは奴隷に家族をもたせ、子孫を永続に住まわせることで奴隷人口を増大させた。よってイギリスの奴隷貿易額は減少した。さらにアフリカ地域の人的資源が急激に枯渇し、奴隷の卸売価格が上昇、さらに砂糖・綿花の生産量増大で価格が低下し、奴隷貿易の利益は先細りになる。人道的な批判や世論も強まり、イギリス議会は1807年奴隷貿易禁止法を制定するが、19世紀半ばまで続く。さらなる砂糖・綿花の供給増で、自然消滅していった。つまりは、人道的云々ではなく、経済的理由で奴隷貿易から手を引いたに過ぎない。とはいえ、奴隷貿易で搾り取れるだけ搾ったわけである。

…今回はアヘン貿易については省略するが、その中心は、ジャーディン・マセソン商会で、アヘン戦争後、HSBC(香港上海銀行)が設立される。ジャーディン・マセソン商会をはじめとしたアヘン貿易商社の資金融通や送金業務を請け負った銀行である。HSBCは、マレーシアでもたくさんの支店をもっていた。私は関係を持たなかったが、それで良かったのだと思っている。

2025年4月10日木曜日

経済で読み解く近代史2

https://note.com/sekaishi_genba_/n/n7244784ebd48
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第15回目は、イギリスの産業革命のその後について。意外な事実が書かれていたのである。

前回の書評では、ワットの蒸気機関の開発について触れたが、当時の製鉄業は、木炭が使われていた。しかしイギリスの森林資源は不足しており、スウェーデンに頼っていた。18世紀になって、ダービー父子が石炭の不純物を取り除きコークスを発明したので、鉄を自給できるようになったのである。この製鉄業の飛躍は、鉄道や蒸気船の生産に向かい、流通面での圧倒的優位性がイギリスの綿製品市場の独占に寄与した。

しかし、この技術は、プロイセンにキャッチ・アップ(=後発国が先発国の開発した新しい技術を導入し工業化を推進すつため、後発国の技術進歩は急速で、経済成長率も先発国を上回ること)されていく。プロイセンの技術者はイギリスの機械技術の盗用に最も熱心だったし、ユンカー(大地主層)も商工業経営の投資に熱心だった。フランスはナポレオンの大陸封鎖令でイギリス製品を締め出し、イギリスの技術の盗用で産業技術の向上に寄与した者に勲章が与えられたりもした。イギリスの綿工業は大打撃を受け、アメリカ市場に向かうことになる。

イギリスは産業革命で大儲けしたように思えるが、後発国によって否応なく価格競争に巻き込まれ、19世紀以降は長期のデフレ基調になるのである。だが、イギリスは世界の覇権を握っていく。…その内容は次回。

追記:今日も2クラスで新3年生の授業をした。昨日同様、実に気持ちの良い授業ができたのであった。明日は残り全てのクラスを回ることになる。楽しみである。

2025年4月9日水曜日

経済で読み解く近代史1

https://awrd.com/creatives/detail/104669
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第14回目は、いよいよ近代。イギリスの産業革命の背景について。

産業革命と言ってしまうと急激な変化が起こったように聞こえるが、18世紀前半から100年の長期にわたる持続的なものであった。イギリスでは、すでに16~17世紀に毛織物を手工業で生産するモデルが構築されていたが、より早く、安く、大量に生産できる効率的で資本の回転率が良い新しいモデルが必要とされていたのだが、インド進出によって画期的な綿布(キャラコ)に出会う。軽くて丈夫、通気性もよく、シャツなどへの製品化もしやすいスグレモノであった。なにより綿製品が毛織物より優れていたのはは、水洗いが可能であること。綿花を栽培できないヨーロッパでは水洗いできない不潔な毛織物を着ていたために病原菌に侵されやすく、特に免疫のない乳幼児の死亡率が高かったのだが、18世紀以後、綿製品の流通すると、乳幼児の死亡率が劇的に改善されたのである。

…本書には書かれていないが、インドから綿布を輸入する貿易商は大儲けしたが、毛織物業者は壊滅状態に陥る。しかし毛織物業者は議会を動かし、綿布の輸入を禁止する法律を制定した。そこで、貿易商はカリブ海諸島や、アメリカ南部で奴隷制プランテーションを経営し、綿花自体を輸入していく。毛織物業者もそれまでのノウハウを活かし、綿織物に転換していくのである。

原料(綿花)のコストを下げることに成功したイギリスは、次に製造コストを下げるため、紡績機や織機の機械化に向かう。羊毛より綿花のほうが強く機械化に適していたのである。18世紀の前半は、この機械の動力は人力や水力だったが、トーマス・ニューコメンが蒸気機関を発明、炭鉱の排水用ポンプとして使われていた。ピストンの上下運動を、紡績、研磨、製粉などに使えるよう、円運動に転換させる技術を開発したのが、有名なワットで、これをバックアップしたのが、かのアダム・スミス(当時はグラスゴー大学の教授で、すなわちスコットランドが発祥の地)である。この技術開発には実業家のボールトンが資金援助と特許申請、さらに金属加工業者として技術面からも支えた。1780年代に円運動の蒸気機関装置が実用化し、独占的供給をしたものの、1790年代半ばまで開発資金の回収、黒字にはならなかったと言われている。

追記:今日は新3年生の2クラスに行ってきた。どちらも真剣に地理総合のイントロダクションに聞き入ってくれた。大満足である。

2025年4月8日火曜日

明日からの授業に備える

いよいよ明日から授業が始まる。全く初めての生徒の前に立つのは、緊張するというより楽しみである。イントロダクションとして、今回はパワーポイントもつくってみた。これまでの勤務校を紹介し、授業のガイダンス、さらに評価基準を明確にした後、地理総合なので、これまで訪れた国のページもつくってみた。それぞれの国の画像をと最初は考えたのだが、結局ポーランドボールにしてみた。

今回はできるだけパワーポイントとプリントの内容を合わせて行こうと思っている。かなり手間はかかるが、毎年両方とも改訂しながらやっていくのが私の流儀だからだ。

2025年4月7日月曜日

維新の文化破壊 市文協解散

https://www.facebook.com/occpa/
とんでもない万博批判の影で、大阪市文化財協会が3月31日で解散させられた。歴史文化を破壊するとんでもない暴挙である。二重行政改革の名のもとに、府市の重複事業もなく、赤字でもなく、市税の投入もなく、海外(ロシア)からも注目された技術を持ち、これからも都市開発時に貴重な文化財が大阪には出てくる可能性が強いのに、解散?しかも貴重な十数万冊の蔵書が韓国の研究機関に譲渡されるという。なぜ韓国?保存することもしたくないのか。維新は、日本の文化を破壊し滅ぼそうという売国奴である。こんな政党が大阪を仕切っていることが信じられない。
https://www.youtube.com/watch?v=HpK4SAU7LsU

2025年4月6日日曜日

経済で読み解く近世史5

https://ibispaint.com/art/375029016/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第13回目は、清王朝の利害調整能力について。

満州という地名は文殊(マンジュ)菩薩を崇拝していたことから満州の漢字が当てられたからだそうで、清王朝はこの満州人の王朝である。彼らの歴史は古代から、異民族として本土に何度も攻め込みながらも敗れてきた。モンゴルの分裂をうまく利用しつつ吸収し軍事的に大勢力となり、明を滅ぼし、中国統一を成し遂げるのである。

さて、明時代には、人頭税と土地税の両建ての税制であった。異民族王朝であった清は、富の分配問題に神経を注ぎ、地丁銀という税制をとった。これは、明時代、人頭税に苦しんだ民衆が戸籍を届けず、法的にこの世に存在しない者が人口の70%もいた。明朝が慢性的な財政不足に陥ったのはこれ故である。18世紀初頭、康熙帝が人口調査を行ったものの6000万人しかいなかった。(実際はその3~4倍)そこで思い切って人頭税を廃止を宣言、人口は3億人に一気に増加した。さらに、この税収減を豊かな土地所有者のみの土地税とした。漢人の大土地所有者は、異民族支配故に土地を没収されると覚悟していたので、意外に喜んで土地税に応じたのである。こうして地丁銀は、土地を持たない平民にも、土地所有を保証された豪族にも歓迎され、清は260年間も支配を継続できたのである。

この地丁銀という税制は、長年、満州族がモンゴルや朝鮮、中国本土との互市貿易をして積み重ねきた忍耐力と知恵の結晶だと著者は記している。

…やっと近世が終わり、近代に突入する。経済から読み解くと、様々な世界史的常識の裏に潜むモノが浮かんでくるわけで、実に面白い。本日、学院の教頭先生から、Classiというアプリで、時間割が送られてきた。いよいよ授業が始まる。楽しみである。

2025年4月5日土曜日

経済で読み解く近世史4

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Unknown-artist/983241/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第12回目は、オランダとイギリスの覇権・逆転劇の背景について。

17世紀前半はオランダの黄金時代で、アムステルダムの金融市場は、証券や株式の直接金融を行って世界の金融センターとなった。オランダ公債の金利は1600年から、25年毎にみると8%、6%、4%と継続的に下落しており、いかに巨額の資金が集まっていたかがわかる。三十年戦争では、豊富な資金力でプロテスタント側を支援し、勝利する。

ところで、イギリスは前述のようにオランダに毛織物をオランダに輸出し、資金力・販売力に依存し経済的に下位におかれていた。この依存脱却のために、1651年「航海条例」を発布し、オランダとの通商を事実上禁止した。毛織物業者にとっては死活問題だったが、貿易商の組合が活発なロビー活動を行ったのである。この保護貿易政策で、商船建造を行い、自前の販路を開拓することになる。当時の政権は、清教徒革命後でクロムウェルが握っていた。クロムウェルは、非常にシンプルな対オランダ政策をとる。すなわち、戦争である。まさに政治の一政策が戦争だといえるわけだ。

イギリス海軍は、航海条例をを根拠に、オランダ商船を臨検し拿捕していく。挑発に乗ったオランダは宣戦布告し、1652年から1674年まで3回にわたって英蘭戦争が続くのだが、全てイギリスの勝利となった。経済活動に重きを置き、利権を守るための軍事には予算を回さず長期的視野にたったな覇権構造を形成することをしなかった故である。

…マレーシアのマラッカの街には、ポルトガルの砦跡、ザビエルが滞在したカトリック教会、オランダのゴイセン(カルヴァン派)の教会、そして、イギリスの聖公会の教会がそれぞれ異彩を放っている。まさに大航海時代から近代にかけての歴史の証言者の呈である。その背景に、こうした経済的な動きがあったわけである。…感無量。

2025年4月4日金曜日

ボブルヘッドデー サヨナラHR

https://www.nikkansports
.com/baseball/mlb/photonews/
大谷選手のボブルデッド人形4万個進呈に長い行列ができた対ブレーブス最終戦。5対0から、水島・野球マンガのような大逆転の試合だった。

いぶし銀のエドマン二塁手が2ラン、初回に2つもエラーをした傷心のマンシー三塁手が同点弾、そしてドジャーズの多くの選手が確信していたという大谷選手のサヨナラHR。ベッツ選手が、大谷選手のCMポーズをとって本塁で出迎え、それに呼応しているシーンもいい。そりゃあ、大歓喜するよな、と思う。

これで、日本開幕戦から8連勝となった。まるで公式戦負け無しの明訓高校である。

2025年4月3日木曜日

経済で読み解く近世史3

https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/18266267/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第11回目は、オランダとイギリスの東インド会社についてである。

16世紀後半にオランダとイギリスは、カルヴァン派を保護し商工業が発展する。しかも両国は高い造船技術をもっており、直接アジアと交易を積極的に進め、中東は中飛ばしされ没落していく。ちなみにフランスはユグノー戦争でそれどころではなかった。

オランダとイギリスは17世紀初頭に、株式会社組織の植民公社・東インド会社を設立。有価証券である株券を発行し、年ごとに配当を付け、その売買も自由であり現在の株式会社の起源となった。当時の手形や債権は、今日の株式市場のように乱高下しており、投機的な要素を強く帯びていた。しかし、株式は株券の保有者が、他者に出資するのではなく自らオーナーになるという画期的なものだった。

オランダの東インド会社は、今日の株式会社と同じく年ごとの配当(200年間の平均配当率は18%:当時の長期金利が10%以上の国が多かったので妥当な水準)を出していた。ちなみにオランダは、新大陸を担当する西インド会社(現在のNYは、元々ニュー・アムステルダムでハドソン川を利用した毛皮交易を扱っていた。)もあった。

これに対し、イギリスの東インド会社は、一航海ごとに株式を発行して資金を集め、帰国後得た利益を投資額に比例して分配するというシステムをとった。帰国できなかった時は大損する、という短期型ハイリスク・ハイリターンの投資商品だったといえる。

両者の違いは、もう一つある。オランダの株主は有限責任(出資額以上の責任を追わない)で、イギリスの株主は無限責任(外部に与えた損害があった場合株主が責任を持つ)を負うことになっていた。結局、オランダの方式の方が富裕層の資金集めに勝利し、イギリスに先んじることができたのである。

ところで、1623年モルッカ諸島のアンボイナ島にあるイギリスの商館をオランダが襲い商館員全員を殺害する事件が起こった。香辛料貿易の対立が背景にあったのはいうまでもないのだが、問題はイギリスでは反オランダ感情が高揚しながらも、報復も首謀者の身柄引き渡しの要求もしないまま終わった。実は、イギリスの当時の主要輸出品は毛織物で、その卸・小売をほとんどオランダが担当していた故であった。この事件後イギリスは香辛料貿易から撤退したが、オランダも、ポルトガル時代以来供給過剰の香辛料貿易では利益をあげることができなかった。

…東インド会社といっても、オランダとイギリスではその株式会社システムの違いがあったとは実に興味深い。オランダが先んじた理由は、前出の資金集め競争に勝利したが故である。イギリスの無限責任は、現在もロイズ保険などで健在である。シンジケートのメンバーが、一つひとつの保険に際して、その受け持つ比率によって、ハイリスク・ハイリターン的な保険業を維持しているのは有名である。

2025年4月2日水曜日

経済で読み解く近世史2

https://4travel.jp/travelogue/11769435#google_vignette
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第10回目。今回は、ポルトガル・スペインの没落とジェノヴァの関係性についてである。近世史では、ポルトガルの没落についてはあまり語られない。地球をスペインと二分したのに、いつのまにかスペインと合併している。

コロンブスは幼少期から長らくスペイン人だと思っていたが、以前教材研究をしていてイタリア人であったと知って驚いたものだが、本書で、ジェノヴァの船乗りであり、同時にジェノヴァの融資を元手にした新航路開拓のセールスマンでもあったことを知り、なるほどと頷いた。

ジェノヴァは前述のように低金利で資金を集め、ポルトガルやスペインに法外な高金利で拠出していた。ポルトガルは香辛料貿易で得た利益の殆どをポルトガル公債(ジェノヴァが引き受けていた)の利払いにあてていた。ジェノヴァは金融技術に疎い両国を手玉に取って搾取していたわけである。

ポルトガルは、ゴアやマラッカを手中に収め、モルッカ諸島へと拡大したが、ケープ、モザンビークから継っている各地の港湾拠点の維持費は莫大で、ジェノヴァ資本に頼らざるを得ず、さらに香辛料の貿易量が増大するにしたがって、需給バランスが崩れ価格が下落。身の丈に合わない開発話に乗り、財政が悪化、最後のトリガーとなったのは、1578年にモロッコ征服を試みるも国家予算の半分を戦費に投じたものの敗北し、ついにデフォルト(破綻)した。ジェノヴァの巧みなフィナンスで、スペインがポルトガルの負債を引き受け、併合したのである。

さて、スペインは、新大陸を発見したものの東岸には利益を生みそうなものを見い出せなかったが、パナマ地峡の発見で西岸に達すると、アステカやインカを征服(多分に彼らが持ち込んだ病原菌によるパンデミック)し、大搾取に狂奔する。ところで、スペインもまたジェノヴァの資金援助を受けており、国家収入の7割ちかく利払いにあてていた。

ただ、スペインは、スペイン領ネーデルランド(現ベルギー・オランダ)を特区地域として開放しており、中心都市であるアントワープ(=アントウェルペン:画像参照)には、地勢的有利性からイギリス、ドイツ、フランスの資金や物資が集まり、盛んに手形が発行され、金融ビジネスが発展した。スペインはここで起債し資金を得ていた。16世紀後半、宗教改革が起こり、アントワープにはカルヴァン派が集まり、営利蓄財の肯定のもと大発展し、ジェノヴァの資金もアントワープに流出した。ジェノヴァが融資していたカール5世が、ドイツ諸侯とのシュマルカルデン戦争に敗北したこともあって、ジェノヴァ債の利回りが高騰し、ますますアントワープが国際金融の中心センター化する。

しかし、カール5世の息子・フェリペ2世がスペイン王位を継ぐことでアントワープの命運が尽きる。超敬虔なカトリック教徒だったフェリペ2世が、彼の地にカトリック信仰を強要したために独立戦争が勃発、1576年アントワープはスペイン軍によって略奪・破壊され、スペインは資金源を自ら断ってしまった。愚行と思えるが、フィリペ2世は超敬虔なカトリック教徒故に、カネ勘定は卑しい行為と否定的で、国家財政にも関心を示さなかった。彼にとって、アントワープは資金源ではなく悪の巣窟にしか見えなかったのである。

スペインの国家収益(=王室財政)は、国王の無関心を良いことに、貴族や有力商人たちによって、中抜き、闇取引が御講しており、フェリペ2世の時代に4度も破産宣告(=国庫支払停止宣言)をしている。さらに、アルマダの海戦、三十年戦争の敗北で命運が尽きるわけだが、ジェノヴァ債もスペイン敗戦が濃厚になると金利は5.5%にまで上昇。アムステルダムやロンドンに資金が集まり、16世紀を支えたジェノヴァ・システムも崩壊するのである。ちなみに、スペインに見切りをつけたポルトガルは1640年に分離独立を果たしている。

…ポルトガルの衰退史は、政治・経済の基礎知識を確認するのにも実に有効かなと思う。スペインの上部構造的な衰退史は、受験の世界史にも出てくるが、下部構造的な視点=アントワープをめぐる問題は、初めて知った。もちろんフェリペ2世の敬虔さは承知していたが、経済的な思考なしには国家を成功に導くことはできないわけだ。

2025年4月1日火曜日

経済で読み解く近世史1

https://www.tripzaza.com/ja/destinations/genoa-kankou
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第9回目。今回は、近世の大航海時代を支えたジェノヴァについて。

近世のイタリアとくれば、フィレンツェやミラノ、ヴェネツィアの名が上がる。いずれも商工業や交易都市として名を挙げ、ルネサンスにも関わった都市群である。ところが、本書では以外な都市の名が出てきた。ジェノヴァである。地理では、ミラノ・トリノと合わせて北イタリアの三角地帯(この3工業都市でイタリア経済を支えている)を形成していること、余談的に「母を訪ねて三千里」の舞台で有名なことを教えるが、近世の大航海時代において、このジェノヴァの果たした役割は大きいというのは初耳だった。

当時の地中海交易は、エジプト・シリア沿岸・コンスタンチノープルならびにウィーンと陸路で接続していた主に香辛料を扱っていたヴェネツィアと、黒海クリミア半島沿岸とシルクロードに繋がり、主に絹織物を扱っていたジェノヴァに二分されていたが、14世紀のヴェネツィア・ジェノヴァ戦争で、ジェノヴァは敗北、交易路を奪われてしまった。

しかし、ジェノヴァにはそれまでの資本の蓄積(中心はサン・ジョルジョ銀行:画像参照)があり、モロッコの港湾都市セウタに集まる黄金や物資の豊富さからアフリカに目をつける。ポルトガルもまたアフリカへの新航路開拓に大きな関心を持っており、両者の思惑が一致した。ジェノヴァの積極的な投資が、インド航路開拓として実を結んだわけで、まさにジェノヴァの逆襲といえる。インドで3ダカットの50kgの香辛料がヨーロッパでは80ダカットの値がついており莫大な富がさらに蓄積されたのである。

面白いのは、富裕層は新興国のポルトガルに直接投資することには躊躇したが、金融の発達したジェノヴァには安心感があり、ジェノヴァ債は飛ぶように売れた。14世紀後半から15世紀の金利は3~4%で、イタリアの他の諸都市で5%、オランダで10%、フランスが15%くらいだった。この後アメリカ新大陸から銀が大量に流入しインフレとなるが、ジェノヴァ債の金利は低金利を維持できた。それくらい資本の蓄積があったのである。

ジェノヴァは、16世紀以降、スペインにも投資を行い、スペイン国王カルロス1世の積極的な支援に動き、神聖ローマ帝国皇帝選挙に関わり、フッガー家と共に金貨2トンを七選帝侯にばらまいたと言われる。カルロス1世=近世史の主役の一人、カール5世である。

…近世史におけるジェノヴァの重要性を改めて知り驚いた。経済から歴史を見るということの重要性を痛感する次第。イタリアの地誌のところで触れる機会があれば、世界史を選択している生徒にとっては、実に興味深い内容だと思う。