2023年11月4日土曜日

国際法は無力なのか?

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2021/html/chapter4_02_06.html
ある大学の小論文の過去問の指導を依頼された。「国際法の無力」というのが主旨である。「大国と小国の力の差が歴然としており、国際社会は勝てば官軍、法は無力。」「国際法は国家、とくに大国の行動を規制する法としての力を持たない。」「国際法が機能するのは、経済・社会・文化に関わる分野で国家の安全保障にかかわるハイポリティクスの世界では意味をなさい。」といった主張が広く浸透している。しかし、国際法は、どの国の言葉でも「法」と呼ばれて、2世紀以上法の一種としてあつかわれてきた。がしかし強制力がある「国内法」とは明らかな相違がある。

「国際法は国際政治上の国家の道具」というシニカルな概念がある。国際法はたしかに国家の正当な道具として機能するが、諸国が国際法を完全に国際政治の一部と考えてきたわけではなく、しばしば破られてきた…という具合に課題文は続いていく。この過去問を紹介するというのが今日のエントリーの目的ではない。このシニカルな概念こそ、現在の世界情勢そのもだと思うからである。

ハマスとイスラエルの問題は、まさに道具として使われているのが明らかだ。ハマスが先に攻撃をし民間人を傷つけた、人質に取った、とイスラエル政府、アメリカ、イギリスなど西側は国際法を持ち出す。ハマス側からすれば、ガザという強制収容所に入れられ、ジェノサイドが行われようとしていると、それぞれ国際法の民間人保護を都合よく使っている。情報が入り乱れ、フェイクやプロパガンダも含まれているだろうし、未だ私はどちらが正義だと主張するつもりはない。

ロシアとウクライナの問題も同様である。ロシアが先に攻撃したということになっているが、2014年の東ウクライナの紛争はウクライナが主導したように思える。かなり複雑な状況であり、国際法は道具として使われているという概念は、かなり真実に近い。

先日、アメリカの某上院議員が、イスラエルの空爆を支持し、民間人の犠牲云々が論議の的になっていることをTV番組で批判した。その理由が凄い。WWⅡでは、ドイツや日本の(民間人を的として)都市を無差別爆撃したではないか、あれと一緒だという論である。この論で行けば、連合国が行ったニュルンベルグ裁判も東京裁判も完全な茶番であると言っているのと同じである。(まあ、どう考えても東京裁判は茶番なのだが…。)これら全てが道具だと自分から認めたような発言で、まあ不愉快である。(この情報のコンテンツのURLを探したけれど出てこない。消された可能性大。)

この過去問では、国際法が国際世論の形成に役立つことを主張している。これは私も同意するが、しかしながら、ウィグルの問題はあきらかな国際法違反でありながらも、ウィグルを救おうとする勢力が小さすぎて完全に見放されている。ウクライナ紛争ではロシアへの制裁は、西側諸国だけで、アフリカやラテンメリカ、アジアの中進国や途上国、そしてイスラム圏は制裁に加担していない。国際世論は2つに割れている。今回のイスラエルの問題が、国際世論でどう動くかは、まだ未知数だが、どうもイスラエルに分が悪そうだ。どんどんヒール(悪役)化しているように思われる。

そんなことを考えながら、小論文の批評(私は社会科の教師なので社会科学的な内容についての批評を行うが、論文指導は、やはり国語の先生のほうがはるかに上手い。)をしていたのだった。ちなみに今日の画像は、オランダのハーグにある国際司法裁判所。問題を抱えた2国の双方が認めなければ、裁判は始まらないという、名前だけ立派な裁判所である。こんなところにも国際法の無力さ、国家の道具という面が現れている。

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