2018年7月22日日曜日

西鋭夫のCM本を読んでみた。

妻の一時帰国前だったと思う。西鋭夫というスタンフォード大学の教授の『新説・明治維新』という本のCMがWEBであって、かなりうさんくさかったが無料なので、本を大阪の自宅に送ってもらい、妻に持って帰ってきてもらって読んだ。

要するに、薩摩や長州、この両藩を結びつけた坂本龍馬は、グラバーから資金を調達し維新を推進した、というイギリス陰謀説である。新説と高らかに謳っているが、これらの話は、ある程度流布している。薩英戦争もかなり八百長的だし、亀山社中の資金についてもたしかに、グラバーの影がある。これはもう常識だ。新説ではないと思う。

…その後の戊辰戦争については、幕府側がフランスの陸軍による指導を受けてきたこともあり、イギリスはあえてフランスと事を構えずに武器だけ売って手を抜いている。しかもフランスはナポレオン3世の時代で、昔の英仏対立の時代は過ぎ去っている。クリミア戦争などで英仏は協力している。フランスもまた、日本の支配権をめぐってイギリスと戦う覚悟はなかったはずだ。イギリスとしても、日本の教育程度の高さ故に植民地というカタチではなく、新たな市場とする方が有為だと考えていたはずだ。ただし、アヘン戦争以来の狡猾さを捨てたわけではない。不平等条約は、その鎖だ。

…日本の指導者は、意外に情報通であったし、維新後すでにヨーロッパ各国に留学生を送っている。岩倉使節団は、ヨーロッパの留学生に、各国の憲法の翻訳をさせている。各国を見る目も鋭い。イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、アメリカなどの各国に人材を送り、その折衷的な近代化を進めている。イギリスの影響はたしかに大きいが、明治14年の政変で大隈重信のイギリスをモデルとした憲法案は否定されている。

…とはいえ、日清日露戦争時に、日英同盟を結び、順次不平等条約を改定する。イギリスの影響は、この点では大きい。

広田弘毅 
…WWⅠ後の中国大陸進出でアメリカの対立したとき、イギリスが仲裁に立った。しかし、これを日本は蹴る。この時の首相が広田弘毅。死刑になったA級戦犯の中では異質(唯一の文官)だが、このイギリスの仲裁を受け入れていれば歴史は変わったと思われる。この広田内閣時代の日独防共協定締結もあるだろうが、このことの功罪の方が大きいのではないかと私は思う。それ以上の推論はひかえるが、極めて重要な時期の首相であったことは間違いない。

…日本の近現代史を学ぶと、イギリスの影響力の大きさを感じるし、アメリカも含めたアングロサクソンの日本への影響力は極めて大きく、事実上の植民地としての日本も浮かび上がる。そのポチたる日本のルーツは、たしかに明治維新にあることは間違いない。

…よって、西氏の著書や講演云々のメールがどんどん届くが、なんとなく必要性を感じない私なのであった。

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