2016年2月29日月曜日

ジンバブエ・ムガベのお誕生日会

日経の国際面に、またジンバブエ・ムガベ大統領の愚行が報道されていた。干ばつや食糧難に苛まれる国民をよそに、92歳のお誕生会が盛大に開かれたらしい。このパーティーでは、アフリカ大陸のカタチや国内の世界遺産・グレートジンバブエのカタチをした巨大なケーキが登場したという。このお誕生日会の開催費用は80万ドル(9100万円)。
…全くアホな話である。まさか、昨夏設立された大統領夫妻が経営するアイスクリームとチョコレートの会社がケーキをつくったわけじゃないよな。
http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/22/zimbabwe-mugabe-ice-cream_n_8024514.html

一方、今日の日経に載っていた経済記事。ナイジェリアの中心都市・ラゴスに、日本の(高架をゴムタイヤで走るゆりかもめのような)交通システムを輸出する計画があるらしい。JICA調査団が、渋滞の激しいラゴス島とビクトリア島を結ぶべく調査を開始するとのこと。車両の導入、線路の敷設、信号システム、さらにこれらの施設の維持管理など一括で、1000億円ほどのビジネスになるらしい。
…これはなかなか面白いビジネスのハナシである。アフリカの大都市の渋滞はかなりのもので、2003年のケニア・ナイロビでもなかなかホテルに帰りつかなかった。その対策らしい。日本方式をまるまる輸出というのがいい。ガバナンスなどの面で日本式がアフリカの地に根付いたりしたら、凄いんじゃないかと、大いに期待されるわけで…。

2016年2月28日日曜日

リビアに掲げられたカタール国旗

http://kaigai-matome.net/archives/35550646.html
毎日の国際面で、アラブの春から5年を経て「揺れる中東」という連載が続いている。今日は、意外な話が載っていたのでエントリーしておきたい。

2011年8月24日、リビアの首都トリポリにあるカダフィ大佐の居住区前に、カタール国旗が掲げられた。アラブの春がリビアにも起こり、反カダフィ派は半年におよぶ内戦の末、政権の中枢を制圧した。異国の空に翻った旗は、その「影の主役」を如実に表していた。
カタールは、NATO主導のリビア軍事介入に際し、アラブ連盟内で国連決議を支持するよう働きかけ、空爆にも真っ先に参加した。反カダフィ派に大量の武器を供与、軍特殊部隊も送った。カタールの衛星テレビ局アルジャジーラは連日反カダフィ派の姿を世界に発信した。

そもそもカタールの首長家は、湾岸諸国に挑発的態度を取るカダフィを嫌っており、2009年のアラブ首脳会議で、当時のサウジ国王を「英国製で米国に守られている。」と侮辱、議長国だったカタールのメンツも潰された。エジプトやサウジが混乱していた11年春、カタールは国威発揚の一環として外交に力をいれ、レバノンやイエメンで次々と調停役を果たし、名声を高めた。リビアへの介入はその延長戦上にある。

(アラブの春を、イスラム勢力の権力奪取というカタチで応援するという首長国らしい外交方針は明確だった。)しかし、エジプトで支援したムスリム同胞団、さらにシリアのアサド政権と戦うイスラム武装勢力を支援したもののうまくいかなかった。「リビアもシリアも袋小路に入った。もはやカタールの手に負える状況ではない。」(エジプトのシンクタンク・アハラム政治戦略研究所のハッサン・アブタレブ顧問)ということだ。

…アラブの春から5年。ムバラクやカダフィが倒されたのは衝撃だった。問題は、現実的な後継政権を設定できないまま独裁政権を打倒したことである。今のところ、ただただ造反有理として破壊行為が行われただけにすぎない。この混迷を収めるのは、かなり難しい。欧米的民主主義も、ISのカリフ制も。結局その中間的な政権による国民国家が再建されることになるのだろうか。

How many times must the cannon balls fly before they're forever banned?
How many years can some people exist before they're allowed to be free?
How many ears must one man have before he can hear people cry?
How many deaths will it take till he knows that too many people have died?

…それは、ボブ・ディランの言うように”風の中”にあるのだろうか。

2016年2月27日土曜日

京田辺シュタイナー学校に興味

もう一週間くらい前になるだろうか。あるTV番組でフリースクールの現状についての報道があった。その時、NPO法人京田辺シュタイナー学校の存在を知った。私は昔、京田辺市(当時は田辺町)に住んでいたことがある。松井山手の方に、シュタイナー教育を行う幼稚園があるという話を聞いたことがあったので、その幼稚園が発展したのかと思っていたが、一貫教育を行うこの学校は同志社大学のそばに新しく作られたものであった。

シュタイナー教育については、妻が昔々(ほんと80年代前半くらいだ。)、「ミュンヘンの小学生」(子安美知子著)という新書を読んでいて、かなり興味を示していた。前述の幼稚園に息子を入れようかと本気で考えていたようだ。私の方は、シュタイナー教育は、幼児教育や義務教育の話なのでそんなに魅力は感じなかった。

だが、今回は大いに興味が沸いた。なぜなら、この京田辺シュタイナー学校、ユネスコスクールに2010年に認定されているのだ。(今日の画像参照)NPOが設立したフリースクールでは日本で初めての認定らしい。俄然興味が沸いた。

しかも、この学校、高等部まであるのだ。NPO法人が運営しているので教育基本法で認められた学校ではない。小中学生は、それぞれ地元の公立校に籍を置いている。高等部は、11年生(高2にあたる)から12年生で、高卒認定試験を受けるらしい。順調に行けば12年生の11月で高卒資格を得れるので、大学受験が可能になる。高等部でどんなシュタイナー教育の学びが行われているのか、ものすごく興味がわいたのだ。

HPだけでは満足できず、ちょっと古い(2006年発行)の「小学生と思春期のためのシュタイナー教育~7歳から18歳、12年間一貫教育」(NPO法人京田辺シュタイナー学校/学研)をアマゾンで取り寄せて一読してみた。ある程度高等部でのカリキュラムの骨子がわかった。新しい紹介本もあるようなので学校から直接手に入れてもいいかなと思った次第。(古い本には、当たり前だが、まだユネスコスクールとしての実践が詳しくは書かれていない。)

…意外な発見であった。シュタイナー教育について少しばかり研究していきたいと思う。<京田辺シュタイナー学校> http://ktsg.jp/

2016年2月26日金曜日

アフリカの風に吹かれてⅠ

今、何冊本を併読しているのだろう。よくわからなくなってきた。特に通勤時は入試の仕事で疲れで爆睡しているのでなかなか読書が進まない。今日は、そんな中の一冊を、読んでいて気になった箇所だけでもエントリーしようと思う。先日、ワンフェスのAMDAブースで購入した「アフリカの風に吹かれて~途上国支援の泣き笑いの日々」(藤沢伸子著/原書房:12年7月20日発行)である。スーダン、南スーダン、ザンビア、ジブチ、シエラレオネと体験談が続くのだが、やっとザンビアに突入したくらいである。

著者はオランダのハーグにあるISS(社会学大学院大学)で地域開発学を学んでいた。そこで知り合ったスーダン人のアフネッドが、メッカに巡礼した後再会した。その時の彼のセリフが凄い。「お前がイスラム教徒じゃないのが残念だな。」何故と聞くと、「この世の真理が分かっていないのと一緒だ。」と答えたらしい。…うーん、なるほど、こういう感覚をムスリムは持っているのだということを初めて本で読んだ。

著者は女性なので、意外なハナシも出てくる。「同じ(途上国支援の)仕事をしている独身女子がみんな、年齢とともに保守的になる。長らくアフリカで働いた人が、東南アジアの仕事に宗旨替えする。たしかにアジアの国々のほうが物価は安いし、食事も美味しく、比較的治安も良い。土地の文化も日本人に馴染みやすく人々の気性も穏やかだ。なによりも日本に近い。」…なるほど。私はアジアにはあまり属性を感じないので、そういうものかな、と思うのだが…。やっぱり男だからかなのかと思ったりする。

南スーダンのNGOのパーティーでケニア人女性のビクトリアの吐いたセリフも凄い。「欧米人が私たちアフリカ人に言うのは、いつも同じで、民主主義、ガバナンスの透明性、経済発展。でも彼らの私たちへの態度のどこが民主的だっていうのよ。彼らが押し付けてくるガバナンスのどこに透明性があるっていうの?経済発展なんて言いながら、私たちの資源をこれまで散々搾取してきたじゃないの。」海外からの途上国援助に潜む偽善性を感じながら仕事を続けている開発援助ワーカーは結構多い。とりわけ優秀な人材が多いケニア人のプライドからか、長年援助現場を渡り歩いたシニシズム(冷笑主義)か。…私は、ケニアでもブルキナでも、現地のワーカーと会った経験もあるけれど、大体JICAや日本のNGO絡みなので、もう少し穏やかな気がする。欧米と日本のスタンスは、同じ先進国でありながら少し違う気がするのだ。

南スーダン・ヌエールの人々の呪術の話。社会的に罪を犯した疑惑のある人が、有罪か無罪かを判断する際に黒魔術が使われることもある。まずその人物に一頭の牛の周りを裸で踊らせ、その後、牛の首をはねる。牛がその場で死ねば有罪、牛が即座に死なず走り出せば無罪と判断するそうだ。法律に則った裁判も一応あるようだが、人々の黒魔術への依存度は高いそうだ。…こういうハナシはやはり興味深い。…と、今日はここまで。そうそう、タイトルは、朝日新聞もボブ・ディランも関係はないようだ。

2016年2月25日木曜日

忙中 猫まみれ展に行きたい。

特別選抜入試の関係で、採点やら点検やら毎日忙しい。かなりクタクタである。この土日はゆっくりしたいところだが、病院通いと同窓会が控えている。3月1日は卒業式と合格発表。3日からまた一般入試の受付が始まる。それが終わったら、次年度の準備で多忙になりそうだ。先日の日曜出勤の代休さえ今年度中にとれるかどうか…。

というわけで、こういう時はアルファー波でいきたい。今日は国公立の前期試験の日で、昨晩も小論文の指導をした受験生2人に「檄」をメールしておいた。「アルファー波で行きます。」という返信があったりして、私の気持ちが届いて嬉しい。こっちもアルファー波で前向きにいきたい。なんとか時間をつくって妻と神戸に行こうと計画しているのだ。

2月22日は猫の日だったのだそうだ。昨年の黒猫チューチューの一件以来、私もかなり猫が好きになった。兵庫の神戸ゆかりの美術館で、「猫まみれ展」というのが開催されているらしい。凄いネーミング。なかなか面白そうではないか。

2016年2月24日水曜日

日経 不透明感増す中国経済

https://jcvisa.info/li_keqiang_index
日経の経済教室では、昨日から「不透明感増す中国経済」と題して中国経済の考察が行われている。今日は、巌善平(げん・ぜんへい)同志社大学教授の「中高速成長の可能性なお」という、中国経済の可能性を説いたものであった。その内容は概して次のようなものである。

中国政府は、状況変化(経済成長の減速)を「新常態」(ニューノーマル)ととらえ、制度改革やイノベーションにより持続的成長の実現に自信をもっているようである。五中全会で「第13次五ヵ年計画」の大枠が決定された。20年のGDPおよび1人あたりの所得を倍増する目標(年平均実質経済成長率6.5%以上)が示された。米の利上げ、原油価格暴落、日欧の経済失速などのグローバルな問題だけでなく、国内的には、労働人口が減少、不動産バブルの崩壊、人民元安などの問題も抱えている。

中国の1人当たりのGDPは15年に約$8000に達した。世銀が定義した中所得国の上位層に属する。高所得国の入口は$12000で、大きな距離がある。20世紀後半以後に中所得国から高所得国入りした日本や韓国は非常に稀なケースで、中南米諸国のように中所得国の罠に陥る場合の方がはるかに多い。

ここで、現在の中国経済の構造変化を見てみると、第一に、就業人口では99年、GDPでは13年に第三次産業が第二次産業を上回った。第二に、15歳~64歳人口比率の上昇により経済成長が促されるという人口ボーナスは、早くも「人口オーナス」(重荷)に変化した。第三に、農村から無尽蔵に供給された安価な労働力は、21世紀に入って増加速度を落とし、中国経済は労働力の供給が一巡する「ルイスの転換点」を通過した。第四に、都市と農村間の経済格差が所得水準の向上とともに、拡大→横ばい→縮小という「クズネッツの逆U字型」を示している。所得格差は09年の3.33倍をピークに下がり、14年には2.93倍になった。ジニ係数も、08年の0.491をピークに、14年には0.469に低下した。

中国経済の難問としては、第一にリーマンショック後、最終消費・家計消費のGDP比が下がり、投資主導の成長モデルが形成され、鉄鋼・セメントなどの生産能力が過剰となっていること。第二に、暮らす都市の戸籍を取得できずにいる農民工の存在は大きい。GDPに占める非農業部門は9割もある。だが、非農業部門就業者は全人口比7割、都市部の人口は5割(その2/3は農民工)である。この農民工への戸籍差別のため、都市化が遅れ、労働資源の有効利用や家計消費の拡大を大きな負の影響を与えている。第三に、所得格差は縮小してきてはいるが、地域間、階層間、都市と農村の格差の絶対的水準は依然大きい。第四に金融、電力、石油、鉄道、通信などの国有企業の存在が、大きな負担になっている。

5中全会では、これらの問題を踏まえ、1:安い労働を武器とした成長モデルからの脱皮。2:高速鉄道・原子力産業・造船・航空宇宙などを支援、鉄鋼やセメントはAIIBの支援で消化する。3:北京・上海などのメガ都市以外で戸籍の転出入を自由化する。4:商業・サービス税を廃止し、付加価値税を導入して第3次産業の成長を促進。などの政策をうつことが決定された。潜在的可能性は十分である、というのが、巌氏の立場だ。

2016年2月23日火曜日

毎日 火論 「ジョン・レノンの髪」

毎日新聞の「火論」が興味深い話を紹介していた。1966年サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地で、ビートルズ最後の公式公演が行われた。以後、ビートルズは、こういうLIVE活動を停止する。ジョンは、帰国するや映画に出演する。それが、英題「HOW I WON THE WAR」(いかにして戦争に勝ったか)である。邦題は「ジョンレノンの僕の戦争」(日本ではDVDは発売されているが、劇場公開されず)というらしい。WWⅡの英陸軍部隊のトンチンカンな指揮官を主人公に戦争の不条理と愚かしさをこき下ろす、いわゆるブラックコメディーである。

脇役のジョンは労働者階級の一兵卒。上官には愛想よくもするが、癖のある辛辣な皮肉屋で、野戦で追撃砲弾を受け「予想していた」と落命する。14年後にニューヨークで銃撃に倒れた悲運を思うとあまりに痛ましい。この映画で、劇中ジョンがかけていた庶民的な丸いメガネは、その後の彼のイメージを作ったし、作品にみなぎる戦争への嫌悪は、彼の表現や主張と重なる。この映画撮影中に「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」を書き、撮影後スタジオで結実させる。これ以後、LIVEで演奏できない曲が次々と生み出されるわけだ。またこの映画撮影終了直後にオノ・ヨーコに出会っている。いうなれば、ジョンにとって大きな転機となった映画出演だったといっていい。この映画に出演するために、(LIVE用の)マッシュルーム・カットを切った。その髪の毛が、米国で競売にかけられた、というハナシだ。ちなみに髪の毛は$35000(約394万円)で落札されたらしい。

…恥ずかしながら、私はこの映画の存在を知らなかった。こりゃあ、暇なときに妻といっしょに見なければと思う。