日経朝刊の最終面に「私の履歴書」がある。このところ、欧州中央銀行総裁だったフランス人・シャンクロード・トリシエ氏の話が続いていて、今日が最終回だった。彼の、若者に贈る伝言がなかなかよかったので、メモをしてきた。
氏は、最初に南北問題と東西両陣営の対立という4つの次元で構成された世界から、市場が富の創造にもっとも有効な手段であると広く認められた世界へと変遷したことを述べた上で、次のような3つの伝言を記している。
1.列挙(上記の世界の構造的変化)してきたような驚くべき変化に備えよう。人生に、全く予期しない転換が来る。特に地政学、科学、技術、社会構造などの転換である。
2.世界の格段に早い変化を予期すること。情報技術や人の知能は急激に進化する。グローバル化で新興国の成長はさらに速まるだろう。世界の勢力図はそれゆえにもっと劇的に変わる。
3.3つの素養を磨いて欲しい。逃れようのないショックが起きたときの十分な復元力。さらに新たな仕事や社会の条件に対する柔軟性。さらに新しい変化を好機に変える創造性と素早さ。
なかなか薀蓄のある伝言だと私は思うのだ。私はもう若者ではないが、最後の3つの素養を磨きたいと思った次第。
2014年9月30日火曜日
2014年9月29日月曜日
日経「冷徹な頭脳より暖かい心」
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故宇沢弘文東大名誉教授 http://voicejapan2.heteml.jp/janja n/area/0607/0607020092/1.php |
岩井先生は、宇沢先生の門下生である故に、宇沢先生の人柄が偲ばれる論文だった。ロンドンに留学された際、貧民窟を指導教官と視察され、「経済学はこの人たちを救う使命がある」という思いを生涯持ち続けた話が印象に残る。
ところが、経済学と言うのは、極めて怜悧で数学的な学問である。先日も、生徒に教えたのだが、「経済人」という概念がある。経済学は、あくまで経済的合理性に基づく個人主義的な人間を基礎においている。宇沢先生はそもそも数学から経済学に移られた。極めて「クールな頭脳」を持っておられたわけだ。最初はアメリカで、数理経済学や新古典経済学の研究に従事される。しかし、常に、暖かい心を持つべきであるという葛藤に苛まれておられたのではないか、と岩井先生は分析されている。
大学紛争で、授業が出来ないとき、有志の学生や院生、若い研究者を集めて論じ、夜は飲みにいって、そういう心情を吐露されていたようだ。公害問題や環境問題に軸足を移されたのも、そういう反経済人的な「温かい心の経済学」の確立へと動かれたのであろう。極めて興味深い論文だった。
2014年9月28日日曜日
イチローの21年連続100安打
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http://sportiva.shueisha.co.jp/clm /mlb/2013/06/03/post_45/ |
イチローのコメント。「(100安打は)今年は難しいかと思っていましたが、目の前に(区切りの)数字があったのでね。やれないよりはやれたほうがいい。」まさにイチローらしい。常に自己のベストを目指しているイチローだからこその言葉だ。
私自身は、ヤンキースからどこかへ移籍して、もういちど200本安打、いや262安打を超えて欲しいと思っている。やっぱり、イチローの背番号は31ではなく、51だ。頑張れ、イチロー。
2014年9月27日土曜日
TICADⅥ、アフリカで開催?
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http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014092500091 TICADⅤの際の関西の学生のブログから すばらしいロゴだ。 |
アフリカ側は、日本企業の投資をさらに呼び込むため、そのほうが有効だと判断したのだろう。当然といえば当然である。4年後、アフリカ経済はどう変化しているだろう。この10年の変化は著しかった。
2003年、私が始めてケニアに行った頃は、アフリカ経済は停滞しており、経済成長率が低い理由についての論義が盛んだった。それが、中国の進出と石油・天然ガスなどをはじめとした鉱産資源技術の革新によって、一気にレンティア国家が登場した。統計をみると、アフリカの経済成長率が高いではないか?と気づいた。援助・支援というアフリカとの関わり方が見直され、ダンビサ・モヨ
女史の登場以後、投資に光があたった。一方、ポール・コリアーの影響で、アフリカを語る際には経済だけでなく政治・ガバナンスを語らねばならなくなった。
私のような素人でも、この10年間で、生徒にアフリカを語る際の切り口は大いに変化してきた。4年後といえば、さらに意外な変化をするかもしれないわけだ。今は、中国がアフリカ進出を大幅にリードしている。当然ながらメリットもデメリットもある。日本が、追随しなんらかの現状打破をはかるのか?それとも…。
そんなことを考えていたのだった。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014092500091
2014年9月26日金曜日
毎日 ESDユネスコ世界会議
毎日新聞の今日の朝刊に、ESDユネスコ会議が岡山・名古屋で11月に開催されるという記事が載っていた。ESDの紹介やユネスコスクールが705校にまで拡大したことも紹介されていた。
ユネスコスクールという存在を知ったのは、もうかれ10年以上前になる。小泉首相という人には毀誉褒貶があり、私も批判したいことがたくさんある。だが、2002年にヨハネスブルグで、ESDを世界に発信した点は大いに評価している。これに世界が賛同し、ESDの推進に動いた。しかし、日本では、ESDの推進を旨とするユネスコスクールは全く根付かなかった。国立の学校を中心に20校ほどが申請したが、事実上名前だけだったらしい。
大阪の高校では、国立O大付属高校のI先生が、府立K高校に人事交流に出られ、そこでユネスコスクールの種を植えるところから始まった。K高校の校長が偉い方で、O大付属高校に戻られてからユネスコスクールに申請すべし、K高校は2番目に申請する、と言われたと聞いている。この2校から大阪の高校のユネスコスクール化が始まった。私立H高校がそれに続いた。この頃、I先生から、次は大阪市立ですねと、私は声をかけられていた。これで、国立・府立・市立・私立と全てが揃うというわけだ。前任校で、幾度となく動いたのが、ついにユネスコスクール化は私の在任中に出来なかった。I先生を中心に、大阪で世界のユネスコスクールの高校生が集まったことがある。この集まりにも私は前任校の生徒と参加させてもらったが、生徒に「何故うちはユネスコスクールになってないんですか?」と詰問されたこともある。実に口惜しかった。
そして、ふと気がついてみると、府立高校を中心に、14校にまで拡大していた。もちろん大阪市立の高校はゼロである。
この11月の世界会議の件を、新聞の紙面で知るという事自体が、今の私の立場を物語っている。以前ならば、こういう情報は事前に入っていたし、何らかの形で参加する方向性をもっていたはずだ。
今、3年生の担任として、これ以上は出来ないというイベントによる人づくりを終えたばかりである。生徒たちが本当に愛しい。中間考査以後、新たなアフリカを題材にした新ゲームを実践しようと思っている。だが、ユネスコスクールをめぐる、こういう現状は実に骨身にしみるのである。
ユネスコスクールという存在を知ったのは、もうかれ10年以上前になる。小泉首相という人には毀誉褒貶があり、私も批判したいことがたくさんある。だが、2002年にヨハネスブルグで、ESDを世界に発信した点は大いに評価している。これに世界が賛同し、ESDの推進に動いた。しかし、日本では、ESDの推進を旨とするユネスコスクールは全く根付かなかった。国立の学校を中心に20校ほどが申請したが、事実上名前だけだったらしい。
大阪の高校では、国立O大付属高校のI先生が、府立K高校に人事交流に出られ、そこでユネスコスクールの種を植えるところから始まった。K高校の校長が偉い方で、O大付属高校に戻られてからユネスコスクールに申請すべし、K高校は2番目に申請する、と言われたと聞いている。この2校から大阪の高校のユネスコスクール化が始まった。私立H高校がそれに続いた。この頃、I先生から、次は大阪市立ですねと、私は声をかけられていた。これで、国立・府立・市立・私立と全てが揃うというわけだ。前任校で、幾度となく動いたのが、ついにユネスコスクール化は私の在任中に出来なかった。I先生を中心に、大阪で世界のユネスコスクールの高校生が集まったことがある。この集まりにも私は前任校の生徒と参加させてもらったが、生徒に「何故うちはユネスコスクールになってないんですか?」と詰問されたこともある。実に口惜しかった。
そして、ふと気がついてみると、府立高校を中心に、14校にまで拡大していた。もちろん大阪市立の高校はゼロである。
この11月の世界会議の件を、新聞の紙面で知るという事自体が、今の私の立場を物語っている。以前ならば、こういう情報は事前に入っていたし、何らかの形で参加する方向性をもっていたはずだ。
今、3年生の担任として、これ以上は出来ないというイベントによる人づくりを終えたばかりである。生徒たちが本当に愛しい。中間考査以後、新たなアフリカを題材にした新ゲームを実践しようと思っている。だが、ユネスコスクールをめぐる、こういう現状は実に骨身にしみるのである。
2014年9月25日木曜日
「悪名の棺 笹川良一伝」を読む
幻冬舎文庫の「「悪名の棺 笹川良一伝」(工藤美代子著・25年4月発行)を読んでいる。学生時代、朝日ジャーナルの読者で同時代の学生同様リベラルな立場だった私からすれば、「笹川良一」などという人物は、右翼故に論外の存在だった。論外ということは、知らないまま否定的であるわけで、50を過ぎて、なんとなく笹川良一について書かれた本を読んでみようかと思ったのだ。
ところが、なかなか面白い。川端康成とは幼馴染であったとか、北大路欣也の父親を救ったとか、草創期の航空ファンで、山本五十六と意気投合し、開戦反対派だったとか…。元パイロットのムッソリーニに飛行機に乗って会いに行ったとか。そもそも先物取引や株の投機家として財をなし、軍部からカネを受け取る必要のない異端右翼だったとか…。
なかなか興味深い話が書かれていた。たしかにスケールの大きな人物ではある。ただ、かなり女性関係についてはえげつない。世のため人のために獅子奮迅の働きをしつつも、そういう自らの家族についてはエゴ丸出しである。そういう意味では、儒教の大テーゼ、修身・斉家・治国・平天下の斉家が抜け落ちている、としか言いようがない。とんでもない人物でもある。
3/5ほど一気に読んだのだが、最後まで読んだ時点で、改めて書評を書こうかと思う。
ところが、なかなか面白い。川端康成とは幼馴染であったとか、北大路欣也の父親を救ったとか、草創期の航空ファンで、山本五十六と意気投合し、開戦反対派だったとか…。元パイロットのムッソリーニに飛行機に乗って会いに行ったとか。そもそも先物取引や株の投機家として財をなし、軍部からカネを受け取る必要のない異端右翼だったとか…。
なかなか興味深い話が書かれていた。たしかにスケールの大きな人物ではある。ただ、かなり女性関係についてはえげつない。世のため人のために獅子奮迅の働きをしつつも、そういう自らの家族についてはエゴ丸出しである。そういう意味では、儒教の大テーゼ、修身・斉家・治国・平天下の斉家が抜け落ちている、としか言いようがない。とんでもない人物でもある。
3/5ほど一気に読んだのだが、最後まで読んだ時点で、改めて書評を書こうかと思う。
2014年9月24日水曜日
米軍空爆 F22の初実戦
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F22 ラプター http://imagesci.com/f22-wallpaper-10567-hd-wallpapers.html/ f22-wallpaper-10567-hd-wallpapers |
毎日新聞の夕刊によると、まずトマホークで、爆発物製造工場などの拠点に47発。第二波で、中東の基地(おそらくは、トルコの基地からだろう)から、F22が投入され、イスラム国の本部や訓練場、戦闘車両などを空爆したという。F15やB1などと共に作戦に参加したようだが、おそらくはF22が先駆するカタチで最初に乗り込んだと思われる。F22は、敵のレーダーにはほとんど捉えられないからだ。その後、第三波でペルシャ湾の空母から、海軍機のF18が、中東の諸国からF16が空爆したという。うーん。完璧な作戦である。
ついにF22の凄い能力のベールが脱がされたわけだが、まだ詳細はわからない。だが、イスラム国だけでなく、ロシア、中国、北朝鮮などへの強烈な軍事的アピールとなると思われる。この辺、世界の警察を降りたとはいえ、中東諸国を空爆に参加させつつ、その力の誇示をはかるところなど、アメリカという国の凄みを感じさせるわけだ。
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