旅に出たいけど出れない今夏は、ひたすら旅行記を読んでいる。今日の書評は、吉田友和という旅行作家の「ヨーロッパ鉄道旅ってクセになる!-国境を陸路で越えて10カ国-」(幻冬舎文庫/本年7月5日初版)である。私は初めて吉田氏の本を読んだのだが、WEBで調べたら、もうずいぶん旅行記を出しているようだ。とはいえ、私にとっては全くの新旅行作家であるわけだ。
この本では、「ユーレイルセレクトパス」というヨーロッパの鉄道を(吉田氏の場合)5カ国8日間自由に乗れるという、「一等車の青春18きっぷのようなパス」で旅する。吉田氏はこれをアメリカで購入して、送ってもらっている。その使い方も極めて詳細に書かれている。もちろん、吉田氏自身の失敗談から学ぶというスタイルが多い。
吉田氏は、適度に教養があり、貧乏旅もできるけど、やっぱりいいホテルやレストランには入りたい、しかもその情報集めは、iPadを駆使しているのが特徴のようだ。
私は、スマホも持っていないし、当然iPadなど持っていない。ところが、最近はこれらを使うことで、行きあたりばっ旅でも、融通無碍に情報をGETできるようである。今回の書評の最大のポイントは、そういう現在の旅のスタイルに驚いたという、極めてオジン臭い感想である。(私などは、地球の歩き方を持ち歩き、一泊目だけパソコンで予約する旧人類だ。)まだ1冊しか読んでいないので、下川祐治氏や蔵前仁一氏に私が抱く著者の人間性は、吉田氏には、まだはっきりと感じられない。優秀なリーマンパッカー(サラリーマンのバックパッカーで週末に海外旅行に勤しむ人々の意)だったことは間違いないようだが…。
ちょうど、スペインやスイスの鉄道で相次いで事故があったばかり。でも、私も乗りたい。どこでもいい。(笑)フランクフルトとアムステルダムの紀行文にはなつかしさもこみ上げたのだった。少し、この吉田氏の旅行記、追いかけてみるか。
2013年7月31日水曜日
2013年7月30日火曜日
「インドは今日も雨だった」を読む
古本の文庫本で、蔵前仁一の「インドは今日も雨だった」を読んだ。先日もエントリーしたように、今夏はどこへも行く予定がない。下川祐治に続いて、ついバックパッカー本を読んでしまうわけだ。蔵前仁一は、『旅行人』という雑誌を発行している人で、バックパッカー本の総元締めみたいな人なのだが、彼の描くイラストがユーモラスなので、どの著作もやわらかい感じがする。
さて、この本は、インドでも変ったトコロの紀行文である。そもそもチベットに行くつもりだったが、外国人旅行者を中国が締め出していたので、それならと、インドの北部、ダライ=ラマが住むチベット文化圏を訪ねようという旅の話である。私は、昔々妻と共にインドに行く予定はあったのだが、妻が直前に交通事故に合ってぶっとんだ。以後、インドはもっぱら息子のテリトリーになってしまった。とにかくインドの旅はタフな旅になる。正直、体調不良の私には、バスの乗り継ぎの話だけで疲れてしまうのだ。
読んでいて疲れた話その1。ダラムサラにチベット難民が作った街マクロード・ガンジの安宿(チベッタン・アショカ・ゲストハウス)で出会った吉川君という優男風の大学生の話だ。彼は、ラサから途中のサガまでバスとトラックのヒッチで行きカイラス(チベットの聖地の超有名な山。シバ神のリンがを象徴する。)まで、初冬の道を歩き通したという。食糧はと聞くと「とりあえず…、ツァンパと水だけで。」ツァンパとはチベットのエスニックフードで、大麦の粉を炒っただけのもの。蔵前仁一はこう書く。「それだけで、初冬のチベット高原を500kmも歩き通すとは、おまえは河口慧海か!」…私は大笑いした。こういう教養に裏打ちされた蔵前仁一の文章が大好きである。ちなみに河口慧海は、『チベット旅行記』を表わした明治の禅僧である。大笑いした後、初冬のチベット高原の雪道を想像して、どっと疲れたのであった。たしかに無補給・ノー・サポートでやってのけた吉川君は凄いのだ。
読んでいて疲れた話その2。マラナという村があるらしい。変わった村で、村人に触れてはならないという掟を持っているという。ただし、バスもなく、かなり峻嶮な山道を登って行かねばならない。蔵前仁一と小川京子夫妻は、そのトレッキングに挑むのである。なんと9時間半。読んでいて大いに私は疲れ切った。(笑)しかも、この触れてはならないという掟、最初のうちは、どうも気苦労が絶えない。彼らは旅行者を汚れた者としてあつかっているヒンドゥー教徒なのであった。蔵前仁一は、この村の変わった掟はともかく村自体はいたってのんびりしたところで、なんとなくマリのドゴンの村を思いだしたと言う。雰囲気が似ているそうだ。
体調不良の夏季休業中の身の上には、面白いが疲れる一冊だった。(笑)
さて、この本は、インドでも変ったトコロの紀行文である。そもそもチベットに行くつもりだったが、外国人旅行者を中国が締め出していたので、それならと、インドの北部、ダライ=ラマが住むチベット文化圏を訪ねようという旅の話である。私は、昔々妻と共にインドに行く予定はあったのだが、妻が直前に交通事故に合ってぶっとんだ。以後、インドはもっぱら息子のテリトリーになってしまった。とにかくインドの旅はタフな旅になる。正直、体調不良の私には、バスの乗り継ぎの話だけで疲れてしまうのだ。
読んでいて疲れた話その1。ダラムサラにチベット難民が作った街マクロード・ガンジの安宿(チベッタン・アショカ・ゲストハウス)で出会った吉川君という優男風の大学生の話だ。彼は、ラサから途中のサガまでバスとトラックのヒッチで行きカイラス(チベットの聖地の超有名な山。シバ神のリンがを象徴する。)まで、初冬の道を歩き通したという。食糧はと聞くと「とりあえず…、ツァンパと水だけで。」ツァンパとはチベットのエスニックフードで、大麦の粉を炒っただけのもの。蔵前仁一はこう書く。「それだけで、初冬のチベット高原を500kmも歩き通すとは、おまえは河口慧海か!」…私は大笑いした。こういう教養に裏打ちされた蔵前仁一の文章が大好きである。ちなみに河口慧海は、『チベット旅行記』を表わした明治の禅僧である。大笑いした後、初冬のチベット高原の雪道を想像して、どっと疲れたのであった。たしかに無補給・ノー・サポートでやってのけた吉川君は凄いのだ。
読んでいて疲れた話その2。マラナという村があるらしい。変わった村で、村人に触れてはならないという掟を持っているという。ただし、バスもなく、かなり峻嶮な山道を登って行かねばならない。蔵前仁一と小川京子夫妻は、そのトレッキングに挑むのである。なんと9時間半。読んでいて大いに私は疲れ切った。(笑)しかも、この触れてはならないという掟、最初のうちは、どうも気苦労が絶えない。彼らは旅行者を汚れた者としてあつかっているヒンドゥー教徒なのであった。蔵前仁一は、この村の変わった掟はともかく村自体はいたってのんびりしたところで、なんとなくマリのドゴンの村を思いだしたと言う。雰囲気が似ているそうだ。
体調不良の夏季休業中の身の上には、面白いが疲れる一冊だった。(笑)
2013年7月29日月曜日
雨なので「道の駅」に行く
新鮮な地元産品のコーナー |
妻は「道の駅」が大好きである。近隣で取れた新鮮で安い野菜を買うのが大好きなのである。自宅から最も近い「道の駅」は、奈良県の平群(へぐりと読む。)にある。雨のワインディングロードを走り、生駒市に出て、さらに30分ほど走る。久しぶりなので、なんとか記憶をたどって到着。(今時珍しいと思うが、我が愛車にはカーナビなどというものはない。あれは便利すぎて、日本人をダメにするというのが夫婦共通の意見である。)
妻は、嬉々として買い物にいそしんだ。ブルーベリーやブラックベリーが安かったので、たくさん買ってジャムにするらしい。ちょっと楽しみである。
名産品コーナー・平群でいのししが取れるらしい。らほつ饅頭は売り切れていた。 |
レストランのBランチ。前菜+メイン+古代米+スープで1300円弱 |
2013年7月28日日曜日
ピーター会 in 奈良
奈良である。 |
昨日は、午前中、奈良でWHE(世界遺産教育)を熱心に研究・実践されているH高校のY先生をゲストに迎え、興福寺と東大寺を視察した。さすがに詳しい。興福寺は元の姿に復元しようと頑張っている。かなり年月がかかりそうだけれど…。東大寺には新しく博物館ができていた。大仏殿は何度かの再建
午後は、研修会。JICAのシニア・ボランティアで、理数科教育を指導し、ガーナから帰国した教授の講義、なつかしのピーターのビデオ、そして少し時間が余ったので、私のアフリカSDゲームの報告と、イスラエル考現学のパワーポイントを見てもらった。
M先生の勤務校玄関・ユネスコスクールのプレートがまぶしい |
2013年7月26日金曜日
アフリカのデモクレイジー2題
![]() |
The Factual Opinionより |
一方、今日の毎日新聞の朝刊には、ジンバブエのムガベ大統領が今月31日に大統領選挙を強行すると言っているらしい。南アやアメリカなどは一斉に延期を要求している。野党に対するあからさまな干渉がその理由だが、ムガベは耳をかさない。まさに文字どうりのデモクレイジーである。89歳のムガベは、どんな無理をしてでも死ぬまで権力を離さないつもりらしい。
私の知るジンバブエの人々は純朴だ。安宿の前で、早朝喫煙していると、自転車で通勤していた男が、ニコッと笑って手を振ってくれる。「おはよう」と英語で言うと、わざわざ自転車を降り、「おはよう。何処から来たのか?」と言ってくれるような人々だ。独裁者はこういう素朴な人々を自己の利益だけのために食い物にしているわけだ。
世の独裁者に言いたい。他者の犠牲の上に自己の幸福を築くなかれ。
<赤道ギニアの極道息子のニュース>
http://jp.autoblog.com/2013/07/21/supercars-seized-from-african-dictators-son-obiang-sold/
<ジンバブエの大統領選挙強行のニュース>
http://mainichi.jp/select/news/20130726k0000m030045000c.html
2013年7月24日水曜日
野球部の5回戦を応援に行く
大阪空港に近いT・R野球場 9回表 |
朝の雨もあがり、曇天の中、試合は始まった。H高校は背番号9が投げていた。つまりエース温存というわけである。明日は連戦で6回戦の試合がある。連投を避けようというわけだ。本校はそんな余裕はない。2年生エースの先発である。試合は、ジリジリと相手校の実力を見せつけられるような感じで進んだ。1番や4番の選手など無茶苦茶バッティングが良い。本校の守備の良さで最少得点に押さえていくものの、小刻みに得点を許していく。本校は、敵失で1点を返したのみ。結局1対6と、5点差で9回表を迎えたのだった。
ところが、本校野球部は、ふんばったのだ。ついにエースを引きづり出した。ヒット、ファーボールや振り逃げを含めて、満塁にして加点していく。結局3点を返して、力尽きたのだった。今朝見た秋田商業高校のねばりではないが、本校野球部も十分あきらめの悪いチームだったわけだ。結局4対6で、夏の大会・悲願のベスト8は逃したものの、私は教え子たちのふんばりを誇りに思う。一方グランドの選手を、凄いパワーで応援していた野球部員たちの全員野球のふんばりも大きかったと思うのだ。
9回表は3回も得点を喜ぶパフォーマンスが繰り返された |
結局、WEBの速報を見ると、公立で残ったのは唯一、あの大阪市立桜宮高校のみである。某市長に「大阪の恥」とまで罵倒され、地域でもコテンパンに差別された桜宮高校が、全OB・OG、現役生の誇りを力に変えて頑張っているのだ。凄いではないか。同じ体育科がある兄弟校の本校の悔しさも力に変えて、頑張って欲しいと願うものである。
追記:大阪市立桜宮高校は残念ながら、準々決勝で9回に1点を入れられ最少得点差で私学・K高校にに惜敗した。しかしながら、最後の最後まで頑張った。本当にあっぱれである。
追記:大阪市立桜宮高校は残念ながら、準々決勝で9回に1点を入れられ最少得点差で私学・K高校にに惜敗した。しかしながら、最後の最後まで頑張った。本当にあっぱれである。
祝 秋田商業高校 連続出場
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