2011年2月28日月曜日

たこ焼き屋のおっちゃん 閉店

孫自慢・息子自慢のたこ焼き屋
  私が本校に来た時、新聞委員会の係となった。新入生歓迎号で、3年生が近隣のイラストMAPを描いてくれた。そこに、空堀商店街にある『たこ焼き屋』さんのことが載っていて、「おいしい!」「お好み焼きもあるよ!」「イカ焼きも!」「夏は絶対氷イチゴ!」などとコメントが書かれていた。ある意味、本校生にとって大きな存在だったのである。(最近、松屋町駅の方に、新しいたこ焼き屋やクレープ屋が出来て、そっちに行く生徒も増えてしまったが…。)
 私は、仲のいいY先生と、よく「焼きそば(大)」を昼食用に買いに行っていた。Y先生が大好きだったのだ。この焼きそば、最初は550円だった。ところが、2年ほど前から500円に下がった。おっちゃんに聞くと、「デフレやから、下げましてん。」とのことだった。デフレーションをあれほど印象深く感じた事はない。この焼きそば、おっちゃんはシステマチックに作り上げる。最後に、どうしてもカツオブシをふりかけるのだ。大体、Y先生のから作る。味を濃い目にというのがY先生の要望である。(笑)続いて私のだが、私の要望は、『絶対・カツオブシ抜き!』なのである。一度だけふってしまったことがあって、おっちゃんが大いに慌てたこともある。(笑)
 Y先生と2人でよくタバコをふかしながら、おっちゃんと世間話をしていた。おっちゃんの自慢は、息子と孫である。凄い進学校出身のエリートサラリーマンと、輪をかけたような優秀な孫。聞くと、息子がもう引退してほしいと松原市に家を建ててくれたんだそうだ。

 『空堀かるた』の句を募集していた時、私は「孫自慢、息子自慢のたこ焼き屋」という句を作った。結局、選にもれたのだが、おっちゃんは、「こんな句があったらしいんですよ。」と嬉しそうに句を詠んだ。「あのー。それ私の句です。」と言うと、大笑いしてくれたのだった。

 スーパーEのまん前、古いガラス棚にプラモデルが飾られ(おっちゃんは、昔小学生とプラモ同好会をやってたらしい。)、何年も前の相撲の番付が壁に貼られた、あまり綺麗だとはいえない店が閉まる。古くから本校と共に歩んできた庶民の歴史に、今日ピリオドが打たれた。おっちゃんの豊かな老後を祈るばかりである。

2011年2月27日日曜日

教え子の友人 ブルキナへ

ブルキナ・ワガのIさんの『和が家』開店前の様子
 1月31日のブログのコメントで、パリ留学中の教え子から熱い友人を紹介された。彼は、アフリカの幼児教育やその保健体制に興味を持っている学生で、院への進学を考えているとのこと。その後、メールをもらって、ちょっとアドバイスをした。
 国際協力に携わる意志があるのなら、学びと現地での経験をオーバーラップさせる必要がある。学んだことを現地で経験し、さらに学びの必要性を感じて、また学ぶ、そしてまた現地へというスキルアップが必須の世界だということを伝えた。もし、よかったら、ブルキナに行ってきたら?とコメントした。ブルキナの赤い土、I氏にお願いしてあげるよと。
 彼はさっそく、I氏と連絡を取ったようだ。私もI氏とも連絡を取り合い、4月にもブルキナへ行くようである。I氏も私の熱意が、教え子を通して彼に伝わったことを喜んでいただけた。きっと、I氏は彼の将来を見据えて、様々な人との出会いをアレンジしていただけるだろうと思う。私にそうしていただいたように。 

 なんだか嬉しい。彼の関心が幼児教育にあるようなので、ブルキナに短期のJOCVでいかれた立教大学のIさんも彼に紹介した。私は、その方面は全く門外漢だし、その方面で最良のアドバイザーだろうと考えたのだ。ちなみに、私はIさんとお会いしたことはない。ピーター会(JICAケニア教員研修旅行の仲間)で一緒させていただいたN女子大付属のM先生から紹介を受け、何度かメールのやり取りをした関係である。私の1ヶ月後、ブルキナに行かれた方だ。きっと力になっていただけると思う。

 決して多い人脈ではないのだが、やはりこういう人脈が、大事なのだと思う。最近、本校の将来について、後輩の口の悪いI先生や君子のT先生、私の長年の参謀であるU先生たちと語り合う事が多い。結局彼らに私が言う事は、『人は石垣、人は城』という武田節の一節になってしまう。人が全てを決する。人間力を磨かなければ、石垣にはなれない。心しておきたい。

2011年2月26日土曜日

ザンビアの農村の話 続編

C村のダンボの画像
 昨日の島田先生の『現代アフリカ農村-変化を読む地域研究の試み-』を読んでの続編である。このC村を島田先生が調査対象に選ばれたのは、ダンボと呼ばれる湿地帯の農業利用と環境悪化につて調査を希望されていたからである。ダンボは、南アフリカに広く分布する低湿地帯で、雨季には中心部が冠水し、地下水位が他の土地より高いため、乾季に入っても草が枯れずに生い茂っている。島田先生がこのダンボに引かれたのは乾季に野菜栽培が可能な有用な土地であること、利用次第では容易に土壌侵食するような「脆弱な」環境であるという二点である。
 C村では、このダンボの周囲の土地(アップランド)でメイズ(トウモロコシ)を雨季に栽培し、乾季には、ここでトマトなどを栽培している。そういえば、アフリカのウガリ系の主食(2月5日付ブログ参照)には、トマトソースがよく使われる。

 メイズの価格も、94年に価格自由化されると、大きく変動した。IMFなのどの構造調整政策は、C村にも影響を与えているのである。収穫直後の4月から6月は供給が多いので価格が下がり、収穫前の1・2月は最高値になる。これに、地域格差が重なるらしい。同じ時期でも大消費地から離れれば離れるほど販売価格が低下する。商人が輸送費を差し引くからである。なるほど。
 トマトは、さらに変動が激しい。出来の善し悪しと鮮度が価格に直接影響するのである。収穫日と商人の買い付けのタイミングが上手く合えば高値で売れる。下手をすると投げ売りになってしまう。しかし、おそらく最近は携帯電話の普及で効率的になってきているとは私は思う。この辺、アフリカンモバイル、万歳である。

 ところで、1990年から2000年の統計で、世界で最も森林破壊面積が多いのは、ブラジルで、インドネシア、スーダンと続き、4位にザンビアが登場する。意外であるが、その謎解きが、この本には書かれている。昨日も述べたが、ザンビアの農業は、首都ルサカを中心に南北にのびる元白人入植地が農業の中心である。その周囲には森林保護区がもうけられてきた。さて、このザンビアの土地に関する規定は、エスニックグループの長と村長の許可による耕作が基本である。我々から見るとかなりゆるやかな規定だ。しかも村長と村人の人間臭い争いもある。気に入らない村人を追い出すという場合もあるらしい。昨日書いたように2代目の村長の急死で村を出る者もいる。古くから入植している者もいれば、新参者もいる。しかも彼らは多重婚であり、世帯はどんどん分化していく。結婚で新たな世帯を作る者もいるし、未亡人の家族も出るし、彼が生きていくためには、必要な耕作面積を確保しなければならない。そこで、森林保護区を開拓し、耕地を増やしていったのだ。昔は保護区を守る役人がいて、きびしく取り締まったらしいが、首長が保護区開拓の許可発言をしたという流言から、一気にそれが加速したらしい。島田先生は、C村内の人間関係まで調査しつつ、その過程を明らかにしていく。ダンボでのトマトなどの現金収入の差は、世帯の経済格差を生む。森林保護区での耕作は、市場への距離が生まれ、販売価格は低いが村内より広い耕地をもたらす。様々な各世帯の思惑がうごめいているわけで、なかなか興味深いのである。

 人間は生きていくために自然を破壊せざるを得ない。先進国にいて、大量に資源やエネルギーを無意識に消費している我々が、彼らの森林破壊を詰れるだろうか。私は、誰も乗っていないのに、いつも動いている地下鉄のエスカレータを見て、そんなことを考えている。

2011年2月25日金曜日

ザンビアの農村の話

先日の京大のアフリカ研の公開講座の時、島田先生の『現代アフリカ農村-変化を読む地域研究の試み-』という本を購入して、今日読み終えた。前回の講座で、島田先生が話された内容を完全に補てんする内容で、なかなか面白かった。書評というよりも、印象に残った事を書き残しておきたい。

まず面白いと思ったのが、ザンビアの植民地以来の発展のカタチである。ザンビアといえば「銅」だが、この銅鉱山、現コンゴ民主共和国からみれば尻尾、ザンビアからみれば、国の中央部の窪みのようなところにある。宗主国イギリスは、ビクトリアの滝からリビングストン、首都のルサカ、カプウェ、ンドラを結ぶ鉄道を建設した。この鉄道沿いこそが、白人入植地(王領地と信託地)であった。現在もインド系のザンビア人や南ア系白人の大農園が多いそうである。イギリス政府は、入植者がもっと入ってくると思ったらしいが、案外集まらず、鉱山の労働者への食料供給地として、原住民であったレンジェ人(正確には、レンジェ人の首長)に託されたらしい。島田先生が長年調査されたC村は、ルサカの北、カプウェの南45kmの国道沿いにあるという。ちなみにザンビアのJOCV、桐生さんの赴任地だるマザブカは、同じ国道沿いで、ルサカの南に位置するわけだ。
ところで、ザンビアは昔北ローデシアと呼ばれ、現ジンバブエの南ローデシア、現マラウイのニヤサランドと共にイギリスの植民地だった。「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」にも書いたのだが、アフリカの人々は、意外にもよく移動する。一族や世帯、あるいは個人の場合もある。このC村にも、ジンバブエからショナ人やンデベレ人が土地を求めて移住してきていたりする。当時のC村の村長が認めて、土地を配分したのである。このあたりの牛耕は、ショナやンデベレの人々が白人農園のスキルを学び、ここへ移入したのだと言われている。多民族共生の地なのである。

このショナ人やンデベレ人を向かえ入れたC村の村長は、実は2代目で、なかなか人望のあった人らしい。だが、彼は急死するのである。畑仕事をしていて、急に下腹部に鈍痛を覚え、さらにみぞおちに激痛が走り、しゃっくりが止まらなくなった。近くの病院に行き、レントゲンも撮ったが異常はなかった。結局意識がなくなり6日後に亡くなった。亡くなった時に口や鼻、耳から大量の血が流れ出し、それを拭き清めていた時に皮膚がペロリと剥がれたという。この亡くなり方は尋常ではない。村人は、誰かに呪術をかけられたのだと噂した。また、彼の死は、村の地力が喪失したことを伝えるものだという流言も出て、実際それを信じて村を離れた一家もいるのである。

この話、さっそく今V4.01として書き直している「高校生のためのアフリカ開発経済学テキスト」のアフリカを理解するキーワードの「現代化する呪術」の項に入れさせてもらった。たしかにアフリカの人々は、呪術を恐れている。「アフリカに学ぶ」にも呪術のコラムがあって、コンゴ民主共和国のキンシャサのストリート・チルドレン達の多くは、災いをもたらし人の魂を食う存在として、家族に忌避されたらしい。凄い話だが、日本だってお百度を踏んだり、祈祷をしたり、お祓いを受けたりしているわけで、五十歩百歩なのである。フランスやスペインでもカトリックの巡礼や、聖なるマリアの泉に多くの病人が集っている。アフリカの人々だけを悪く言うのはフェアではないと私は思う。

島田先生の地域研究は、こういった出来事(たとえば村長の死)が、村を出るという変化に繋がっているという、既存の社会科学的にうまく処理できないことも含んでいく。なるほどと思った次第である。(つづく)

追記:今日、ANAの成田空港で働いているOGと、阪大スワヒリ語学科のOGが訪ねてきてくれた。彼女たちの話を聞いていて、なかなか面白かった。ANAに勤めていると、成田ー大阪が片道1800円らしい。(年8回だけらしいが…。)また阪大のスワヒリ語の卒業生は、京大のアフリカ研か、荒熊氏のいる名古屋大の院へ向かって行くらしい。タンザニア土産のカンガ(私たちはMジャクソンを忘れないとスワヒリ語で書かれているそうだ。)を貰った。これで、カンガが2枚になり、アフリカンドレスらしいデモストレーションが授業で出来る。ありがとう。 

2011年2月24日木曜日

ニュージーランド人牧師の言

 ニュージーランドの地震のニュースが続いていて痛たたましい。特に、国際協力のために、スキルアップしに留学していた看護師さんの話など、心が痛む。さて、昨日の投稿への、哲平さんと中村君へコメントの返答を書いていいて、ふっと、ある言葉がよぎったのである。

 「もし、北朝鮮に自由に入れるようになれば、私はすぐに行きたい。神の教えを説くのだ。」

 これは、私がNYCを訪れた後、ソウル経由の便で帰国する際のソウル空港で、偶然横に座ったニュージーランド人牧師との会話の最後に彼の口から出た言葉である。
 私は、トランジットの時間つぶしに、NY滞在の記録ノートの空白に、様々なチケット(エンパイアステートビルやユダヤ博物館など)をスティック糊で貼っていた。(こういう文具を私は海外旅行で持ち歩いていた。最近ハサミが使えないのでやめたが…。)彼は、横からそれを眺めていて、ふと目があったのだ。彼は、「あなたは、ニューヨークへ行ってきたのか。」と聞いてきた。「ええ。ユダヤ教を見てきた。NYはジューヨークだからね。」と私は答えた。すると彼は意外な言葉を発した。「ユダヤ教は間違っている!イエスを救世主だと信じていない。」
 「…。」ここで、彼は、自分が教会(英国国教会/アングリカン/聖公会、いろいろな言い方があるが…。)の牧師であり、日本とニュージランドを常に行ったり来たりしていると自己紹介した。日本では教会で英会話も教えているそうで、「ダカラ、ニホンゴ、スコシ、ハナセマス。」(笑)

 そこから2時間近く彼と、英語と日本語のちゃんぽん会話が成立したのである。(英語だけなら、2時間は絶対無理だ!)話は、彼のユダヤ教批判から始まったが、私は、ユダヤ・キリスト・イスラム3宗教の神が同一なのに、なぜにいがみ合うのか、また殺し合うのかを問うた。また、十戒の『汝殺すなかれ』が何故6番目なのかと批判した。仏教徒から見た、一神教の最大の問題点である。彼は、英語と日本語を駆使しつつ弁明し、最後にはヨハネ福音書を引き、「神は、殺人や戦争を否定してはいない。」と述べた。「そら、あかんやろ。」と言うと、「あなたのブッダという神は、殺人を否定するのか。」と聞いてきたので、「ブッダは、法を悟った人間であり、神ではない。大乗仏教ではあなたの中にもブッダがあると説いている。」などという、完全に平行線の宗教談義をしていたのだった。

 長い宗教談義の後、彼は「日本人は間違っている。彼らはオカネを信仰している。それを、東南アジアの人々も追随している。」と述べた。「特に若者はひどい。彼らは幸せについて深く考えていない。」とも言った。私は、これについては同感だと述べて、握手したのだが、最後に彼が、冒頭のコトバを吐いたのである。私は、宗教的な立場こそ違うけれど、感動した。彼の言は毅然かつ断固としたものだったのだ。

 もういちど、彼の言を引く。「もし、北朝鮮に自由に入れるようになれば、私はすぐに行きたい。神の教えを説くのだ。」

 人間の幸福とは何か。立場こそ違え、彼のコトバに考えされるのである。
 彼が、今回の地震の被害に遭っていないことを、他の多くの行方不明となっている人々の生存とともに祈りたい。

2011年2月23日水曜日

「教授」のガーナ教育事情報告

クマシ教員養成カレッジの教会
 アコソンボダムの話に続いて、ガーナの「教授」より、教育事情についてメールがありました。『こちらの学校生活について簡単にお知らせします。始業時間は早く、Collegeでは午前7:10から始まります。小学校から高校までもほぼ同じ時間に始まります。なぜ早いかというと、ガーナでは電気代が高いと感じられているようで、夜遅くまで起きていることは不経済と考えているようです。従って、夜は8時ごろには休み、朝は午前3時頃から主婦は家事を始めるようです。また、午後二時ごろからは非常に暑く、働くには適していないと思います。正規の授業は午後1時過ぎに終ります。先生方は午後早くに放課となります。授業はCollegeでは英語で行われています。小学校から高校も基本的には英語で行われますが、小学校では現地語も使えると授業がやり易いそうです。生徒は、教科書を購入できず、ノートだけを持って学校に来ます。先生は教科書を読み上げたり、黒板に書いたりして授業をしています。Collegeの学生も含め、生徒は暗記は得意で、いろいろな定義を暗記させられています。理科実験も暗記しています。化学反応の色の変化も暗記しています。見たことはほとんどないにも関わらず。暗記は得意ですが、計算は苦手で、小学校から算数、数学について問題演習の時間が少なく、知識はあっても実際の計算は苦手で計算間違いも多くなります。これは大人でも同じで、計算間違いはよくあります。放課後は部活動などはなく、自由に遊んでいるようです。』
 
 電気があっても、あまり使わないというガーナ人の姿勢はわかりますねえ。ガーナ人は、アフリカでは商売人として有名です。「内戦が終わった。ガーナ人と中国人が商売しにやってきた。」というくらいです。(笑)暗記中心のアフリカの教育については、ブルキナファソの方がもっとレベルが低くかったので、よくわかります。現実的な理解はあまり指導されておらず、ブルキナのSMASSEでは、三角定規の角度の把握や1リットル、1キロなどの経験的概念も、校長の上に立つ人々に教えざるをえない状況でした。ブルキナべの計算能力は、かなり厳しく、私が紙に書いて筆算をしたところ、若者がホォ~と驚いていました。「教授」が理科実験を通じて、経験的な授業を広めていかれることはガーナの教育界にも大きな意味があると思いますねえ。

2011年2月22日火曜日

イスラームは「公」足り得るか

 昨日の「公」と「私」の話の続編である。リビアでの『騒乱』(マスコミはこう表現している。違和感のある表現だ。)がさらに拡大化している。もし、カダフィ政権が倒れれば、その影響は凄い。チュニジアやエジプトは、北アフリカでも、かなり親欧米の国で、欧米的価値観が流入しているわけで、近代化という観点(あくまで欧米的価値観における近代化である。)から見れば、ガバナンスが悪く、個人としての市民意識が強まり、ついに”革命しちゃった”という感じなのだが、リビアとなると、”革命しちゃった”ではすまない。専制君主国で、国際世論を無視して、空軍が国民を銃撃する国である。最も言論統制された、いわば北アフリカの北朝鮮のような国である。リビアがぶっ倒れれば、中国をはじめ全世界の反政府組織は大きな自信をもつはずだ。大混乱が予想される。パンダが日本にやってきたなどと騒いでいる平和日本は、世界の動きから完全に浮いている。

 さて、今日、私は「公」が、チュニジアやエジプトで成立するだろうかと、ずっと考えていた。福沢のいう「公」は、明治期における「私」を制限するルールである。日本には、それ以前「私」をもって実存しえた人々は少ない。戦国時代の終了後、将軍や大名といえど基本は「公」であったと思う。(殿様の通信簿/磯田道史・新潮文庫を参照)日本の近世における朱子学の影響はきわめて大きい。「私」で生きることは悪であり、それがゆるされない社会であった。

 チュニジアやエジプト、あるいはリビアで、「公」となりうるのは、当然イスラームであろう。イスラームは、神のもとの平等を強く強いている。イスラームは、神への服従であって、宗教的な律法も当然あるが、社会的世俗的な法としても生きている。ならば、「公」に十分なりうるように思われる。

 さて今日のWEBニュースで、こういうのがあった。『フランス通信(AFP)によれば、イスラム教スンニ派に強い影響力を持つイスラム法学者カラダウィ師 は21日、「(カダフィ大佐を)リビアから排除するため」、リビア軍兵士は大佐を銃撃すべきだとするファトワ (法的見解)を示した。』

 ところで、私は、上記の「ファトワ」の存在に、イスラームが「公」になりうるか否かについて、大きな疑問を呈せざるを得ないのである。神の意志に従って生きることが最重要なムスリムにとって、その意志を代弁するイスラム法学者の言葉は極めて大きい。彼らが全ての発言を恣意的に捏造しているとは思わないが、彼らは完全なる「公」だといえるのだろうか。時に宗教指導者によって、神の意志(コトバ)が異なる場合もある。彼らが「私」となる可能性も十分あるのである。ここで、私はうーんと唸るのである。

 この「公」、「私」を抑える概念であるとともに、資本主義を飼いならす概念でもある。イスラームが成立した時代とは大きく異なる。ここでも、私はうーんと唸るのである。

 イスラームは「公」足り得るのか。「私」を抑え、新たな国家を作っていけるのだろうか。あるいは、トルコのように政教分離し、欧米的な「民主主義」への完全な移行を行うのか。またまた、私はうーんと唸るのみである。

追記:「アフリカのニュースと解説」を書かれているMiyaさんから「空軍が国民を銃撃する国」という私の表現に対して、マスコミ報道をうのみにするのは危険ですよというコメントいただきました。Miyaさんのブログを見てなるほどと思いました。カダフィ大佐の二男の演説は凄いです。是非、リンクから「アフリカのニュースと解説」をご覧ください。