2010年11月30日火曜日

WHE(世界遺産教育)とアフリカ

奈良教育大学キャンパス
 どうも野球部とは深い縁があるらしい。(10月15日付ブログ参照)元野球部の3年生が、先日進学の相談に来た。教員志望のG君である。彼は、悩みぬいたあげく理科の教師を目指すそうだ。それも、私の大好きな奈良教育大学を目指したいという。私は大いに喜んだ。奈良教育大学は、決して大きくはないが、落ち着いたいい環境で、私の担任したクラスからもS君が今2回生として在学している。そもそも、奈良教育大学には、ESDの関西の中心的な存在のお一人であるT先生がおられる。だから、私はいつも教員志望者には、奈良教育大学受験を勧めるのである。

 今日、昼休みにいろんな奈良教育大学のESDの取り組みの話をした。奈良と言う地は、そもそも世界遺産がたくさんある。(文化遺産としてくくると2つになるわけだが…。)そこで、ユネスコの提唱するWHE(世界遺産教育)をメインに研究を進められている。WHEについては少しだけこのブログでもふれたことがある。(8月28日付ブログ参照)今日はきっちりと、T先生の論文から、その趣旨を少し引用させていただくと、WHEには、3種類の教育がある。
 1.世界遺産についての教育
  ①その世界遺産についての知識や価値を知らせる
  ②世界遺産をめぐる問題を考えさせる
  ③世界遺産サイト内の住民の生活を理解させる。
 2.世界遺産のための教育:行政の政策も含めて、世界遺産に接する態度を考えさせる。
 3.世界遺産を通しての教育:世界遺産をケーススタディとして、ESDにつなげていく。

T先生の論文より借用しました
  私は、このうち、3.の「世界遺産を通しての教育」として、アフリカの危機遺産をテーマに授業をやった経験がある。コートジボアールのコモエ国立公園がその題材である。ゾウの密猟が絶えないこと、牛の過放牧、管理の欠如などを理由として、2003年に危機遺産に登録された自然遺産である。その原因を突き詰めていくことで、貧困問題やコートジボアールのガバナンス、環境問題などを、あるときは講義、ある時は討議しながら、最終的には、生徒自身の手によるコートジボアールの危機遺産を守るためのPRSP (貧困削減戦略文書)の作成まで進めた。

 また、ブルキナでは、奈良教育大学OBでJICAの理数教育専門家のM氏(9月26日付ブログ参照)と出会った。凄い人だった。サバイバル・フレンチで、堂々と理数科教育の根幹を指導していたのだった。(M氏はもともとケニア所属すなわち英語圏の専門家だが、次々とお呼びがかかり、フランス語圏の理数科教育にも携わっていたのだった。)

 生徒に、こういう話をしていると、自分が本当に幸せ者であると思える。G君がもしかしたら、アフリカの理数科教育に携わる日もくるかもしれない。私は英語もできないし、アフリカでは社会科の教師なんて何の役にもたたないが、私の教え子たちは違う。いわば私は種まきをしているのだ。花は彼らが咲かせてくれるだろう。そう思うと、教師はいい仕事だなあと思うのである。何はともあれ、祈!合格。

2010年11月29日月曜日

「紛争の罠」シミュレーション

最底辺の10億人
♪煙も見えず雲もなく、風も起らず波立たず、鏡の如き黄海は…今大変である。今日のアフリカ開発経済学の授業はそんな話から始まった。今日から、3時間の予定(期末考査までの持ち時間である)で、ポール・コリアーの『最底辺の10億人』に説かれた「四つの罠」について語っていく。最初は、「紛争の罠」である。ポール・コリアーは、紛争は、貧困と深く結び付いていることを経済学的に論証した後、こう結論付ける。最底辺の国々(その70%はサブ=サハラ・アフリカ諸国である。)で起る内乱・紛争は、民族間の対立ではない。経済格差が生む経済対立である。しかも貧困は、兵士を生む。明日生きれるかどうかわからない、教育を受けていない若者は、兵士となることでわずかだが、豊かになるチャンスを手に入れることが可能である。
 私はポール・コリアの論は正しいと考えている。
 
 で、冒頭の話になるのだが(別に、黄海海戦を描いた「勇敢なる水兵」の軍歌を歌ったわけではない。)、このところ、例の某国の砲撃騒ぎで、黄海上で米韓軍事演習が行われている。もしやの第二次朝鮮戦争が起こるやもしれぬというニュース解説を『枕』にしたのである。さて、もしもの場合、君たちは義勇兵として戦争に参加するや否や?と問うたのである。今日はうまいこと男女クラスのA組だった。男子に聞くと、全てNOであった。では、もし君たちが今の立場でなく、食事もろくにできず、雨露をしのぐ場所もないような、公園でオヤジに「解散!」と宣言されたような、貧困の中にいればどうか?とも問うたのである。これには、「うーん。行くかもしれませんねぇ。」と、先ほどの威勢は無くなった。非常に強引なシミュレーションだが、「紛争の罠」の中心概念をイメージできたようである。

 さらに話は、1万ドルあれば小規模な軍隊が組織できること、衛星電話があれば鉱産資源を抑え、そのレントを確保する交渉が可能なこと、などアフリカで現実に起っていることを紹介した。
 最後は、アンゴラ内戦の構図である。クラスを海側の石油が出る首都ルワンダ側(政府側)と、ダイヤモンドが出るゲリラ側に分け、大統領選挙をやるというシミュレーションである。

 ESDの重要な柱に、「平和教育」がある。単に戦争の悲惨さだけを訴えるのではなく、貧困との関わりの中で教えて行く意義を私は主張したい。貧困が兵士を生むのである。それだけは、少なくとも生徒に伝わったと思う。

2010年11月28日日曜日

私感/龍馬伝最終回

 所用が早めに終わり、龍馬伝の最終回をリアルタイムで見ることができた。本年の初回の日に感想を述べているので、最終回を見終わってやはり感想を書いておきたい。(1日2回のブログ更新になるが…今月はお休みもあったので…。)先日、なにかの新聞の文化欄で、この龍馬伝の構成が、アマデウスを元にしていると構成作家が語っていたとあった。龍馬=モーツアルトと、岩崎弥太郎=サリエリとの怨嫉を基軸にしていたわけだ。まあ、司馬遼的でない、新しい龍馬像の構築はなされたといっていいと思う。

 私はどっちかというと、日本資本主義論争的な面から、第1回を見て市民革命的な視点ではないかと感じた。その思いは最後まで同じだった。今日の最終回など松平春嶽が殿様の座る場所に龍馬を座らせるという演出がある。これを龍馬は歯牙にかけないし、最後に各藩に送りつけた新政府の中心人物を示した3つの丸を誰とも明かさない。暗殺寸前に、中岡慎太郎には、その真意を『みんな』という意味だと語る。龍馬の言には、極めて明るい市民革命的な視点が、強いのである。この楽天主義的な市民革命論的スタンス。それと好対照のリアルな、言い方を悪くすれば、あまりに汚い演出。このコラボレーションこそが、今年の大河ドラマ・龍馬伝であったように思う。

 まあ、現実にあった史実をアレンジしたフィクションであるから、細かい事に目くじらを立てる必要はないが、最後にお龍が、土佐の浜で兄と乙女姉さんと何を語るでもなく想うシーンがあったが、後に土佐の坂本家を出て、他の男と再婚するのであるから1人佇んでいて欲しかった。(笑)

統帥権の近現代史への影響Ⅱ

ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世
 統帥権の話の続編である。伊藤博文が、憲法の草案づくりのために留学した際、ドイツ皇帝に食事に招かれた。その際、皇帝は、議会に予算編成権や軍事権を渡してはならないと(伊藤と日本に対する好意から)意見したといわれる。大日本帝国憲法は欽定憲法となっているが、自由民権運動の高まりの中、土俵際に追い詰められ、ついに制定されたと言った方がいい。そんな状況下で、伊藤は予算編成権は議会に渡したが、軍事権(統帥権)は天皇のものとしたようだ。
 
 ところで、ドイツ皇帝はバリバリの専制君主であったが、日本の天皇はどうか。このあたりかなり政治的な思惑が錯綜する話題なので、慎重にならざるを得ないのだが、私は専制君主であるとは思っていない。昔から「玉」と称され、一種のブラックホール的な性格を持っているという山口昌男の天皇論に近い立場である。今の生徒諸君は、当然天皇について、ほとんど知らされていない。昭和天皇の生活などを紹介して、少しでも興味を引く。皇太子時代の渡英以来、朝食はパンだとか、パジャマを着ておられたとか、日本人初のゴルファーだとか。同時に、大みそかの四方拝など、日本中の神主の頂点に立っていることや、新嘗祭などに見られるように日本農民の頂点に立っていることなども語る。日本の天皇は、宗教的な存在、象徴的な存在でもあるのである。うーん、社会科教師として、政治色を抜くのは極めて難しいところである。

 このドイツ皇帝と日本の天皇の性格の相違は、大きいと私は思う。その専制的でない天皇に、統帥権が設定されたのである。日清戦争や日露戦争では、統帥権はうまく国民皆兵制度とともに作用したようだ。(もちろん、あくまでガバナンスとして私は論じている。)しかし、この統帥権が「玉」のモノであるがゆえに、軍に利用されていくのである。
 …今日は所用が控えているので、さらに”つづく”ということにしたい。

2010年11月27日土曜日

統帥権の近現代史への影響Ⅰ

大日本帝国憲法 発布の図
 大日本帝国憲法について、このところ受験に使わない日本史Bで語っている。昨日は、統帥権が、日本近現代史に与えた影響について一気に語ったのであるが、これはブログで一気に書くにはあまりに長編になりすぎる。で、こんな話から始めて、徐々に書き足して行こうと思う。

 9.11の時、アメリカでは、一気にナショナリズムが高揚した。当時のブッシュ大統領が、「これは戦争だ!」と叫び、各地で膨大な数の星条旗がはためいた。さて、そんな中で、反戦の動きもニュースで伝えられた。1つは、オノ・ヨーコのPEACE。様々な媒体を使ってヨーコは反戦を訴えた。もう1つは無名の女子高校生の反戦運動である。ウエスト・ヴァージニア州のある高校で、反戦を訴えるTシャツを着て、日本で言うと生徒会活動のような形で反戦を訴えた事件だ。これを学校側が規制し、生徒は停学処分となった。当時、久米宏がキャスターをしていた某ニュース番組が、この事件を大きく取り上げ、アメリカのヒステリックな言論統制だ!と批判したのである。言論の自由であるから、キャンペーンをはるのは勝手だが、私は久米宏がエキサイトして、アメリカ批判の論説を重ねるのを冷やかな目で見ていたことを思い出す。
 何故なら、この反戦を訴えた少女のいる場所が問題なのである。ウエスト・ヴァージニア州。カントリーロードの曲で有名なこの州は、アパラチア炭田があるプワー・ホワイトの州である。大した産業もなく、貧困家庭が多く、軍関係者に非常に多い州なのである。彼女がもし、カリフォルニア州のサンフランシスコあたりでこういう反戦を訴えたなら、停学処分などは受けなかったに違いない。場所が悪すぎるのである。久米らは、こういうアメリカの地域事情に無知すぎる。アメリカをステレオタイプに捉える日本のジャーナリズムの馬鹿さ加減に、嫌気がさしたのであった。

 このことと、日本近現代史における統帥権の問題は深く結びついている。すなわち、軍に入るということは、貧困と結びついているということである。当時の学制では、優秀な貧乏人は、軍に入り立身出世するというルートが存在した。幼年学校、士官学校、陸軍・海軍大学、そして陸・海軍大臣にまで昇りつめれば、金持ちの出身である東京帝大出の閣僚とも、堂々と渡り合えた。職業軍人の多くは貧困家庭の出身である。何よりもまず、このことをまず押さえておきたい。…つづく。 

2010年11月26日金曜日

アフリカの工業の問題点を探る

ケニアのTUSKERビール
アフリカ開発経済学も、鉱工業の考察に突入した。今日は、工業について語った。アフリカのこれまでの工業の特徴は、「装置工業」であったことである。ブルキナに行った時、「ファンタ・オレンジ」をアホほど飲んだ。これは国内で製造されているとのこと。製品が重いので、輸送経費を考えて、飲料の製造は、市場立地型の工業になる。しかも価格が比較的安価なので、アフリカ3の人びとも無理をすれば買えないことはない。人口が少なく、市場規模も小さなブルキナでもビジネスが成り立つのであろう。アフリカには、様々な工業製品化された地ビールがある。これらは、国内で造られている。ケニアの”TUSKER”などは有名である。問題は、「装置工業」であることである。

 すなわち、2つの大きな問題点があるわけだ。装置工業は、生産の主体が機械であり、雇用人数が少ない、ということだ。アフリカの工場労働者の賃金はアジアより高いこともしばしばである。もう1つは、設備投資に資金がいる工業であることだ。当然外国資本有利となる。このうち、特に重要なのは、雇用人数が少ないことである。農村から都市に出てきた若者には、工場での雇用のチャンスは極めて少ない。ほとんどの若者は、インフォーマルセクターに滞留することになる。これでは、1人あたりのGDPは上がらないのである。(アフリカの他の業種、たとえば金属精錬とか石油精製とか、他の工業も装置工業であることが多いのである。)

装置工業は雇用を創出しがたい
サブサハラアフリカで多くの雇用を実現し、1人あたりのGDPを向上させた国に、インド洋に浮かぶ島嶼国モーリシャスがある。中国系のツテだと思われるが、香港からの繊維製品の縫製業で1人あたりのGDPを押し上げている。ここは、生産性の高いサトウキビ栽培は行うが、他のアフリカ諸国のように食料とする穀物はほとんど生産していない。人口が少ない(約100万)こともあるが、特化することで成功しているのである。(最近は観光業でも儲けている。)
 
 雇用を多く生む工業の誘導、それに伴う投資を得ることが、農業生産性の向上と共に重要なのである。このところ、あの内乱に翻弄されたモザンビークに、投資が集まり、雇用が創出されていると聞く。モザンビークの市場規模も大したことはないが、モザンビーク海峡に面し海上輸送に有利であるからかもしれない。たとえ、安価な賃金でも、多くの労働者が雇用されれば経済は上向く。
 中国の副主席も頑張ってアフリカを回っているが、日本も頑張ってくれているみたいだ。『25日、丸紅は、アフリカ南部、アンゴラの政府から首都ルアンダにある繊維工場の改修工事を請け負ったと発表した。内戦で疲弊した繊維産業と綿花栽培を復興させ、雇用を創出する政策を支援する。(時事ドットコム2010/11/25-16:17)』これには、他のニュースから、国際協力銀行(JBIC)と三菱東京UFJ銀行の協調融資ということもわかったのだが、アンゴラはかつての内戦で無茶苦茶になった国だ。しかし、最近は石油生産で年10%以上の経済成長を見せている。このレントをうまく生かして開発を進めて欲しいものだ。なにより雇用である。

 今日の授業はちょっと難しかったかもしれないが、やっぱり皆真剣に聞いてくれた。ありがたいことである。

追記:今さっき、NHKニュースで、ルワンダのIT化の国家戦略のニュースを流していた。子供達までが手動の蓄電装置付きのパソコンを持ち、アフリカにおけるITと金融のセンター化を目指していた。20年後を見据えての国家戦略。やはりガバナンスが重要である。頑張って欲しいものだ。

2010年11月25日木曜日

アフリカに緑の革命は必要か?

ケニアのマクエニ県の農家にて
そろそろ期末考査である。3年生国語科の現代社会も、追い上げの時期に入ってきた。今日のテーマは、一通りアフリカの農業について学んだ上で、緑の革命の導入の是非を生徒に問うことであった。アフリカの農業と言えば、コーヒーやカカオなどのプランテーションと考えてしまうが、実際は内向きの食料自給が中心である。気候や土地が悪く、それでも南ア以外の国では食料が自給できず、食料を輸入せざるを得ず、国富をそれに当てているのが現状である。では、アジア諸国が成功したように、緑の革命を導入すべきなのだろうか。品種改良(ハイブリッドなどの品種)、化学肥料や農薬の導入、灌漑設備、土壌改良などで、生産性の向上をはかった緑の革命。さて、これを導入した際のメリット、デメリットを考えてみようと誘う。

 「メリットの意味わかるかぁ?」「利点です。」「いや、シャンプーの名前や。」などと笑わせてから討議に入る。この辺の私のギャグは低レベル=オヤジ級だが、生徒によると、時々極めて高レベルのギャグをかますそうである。本校のOGが昔、国語の授業の課題でこんな川柳をつくった。「Tやんのギャグが時々わからない。」解説には、「皆が大笑いしているのに、そのギャグの意味が判らず悔しい想いを何度もした。」とあった。(笑)ちなみに私は、Tやんという愛称で呼ばれている。

 メリットは?と聞くと、「生産性が向上する。」うむ。だから?「食料を輸入しなくてすむ。」うむ。で?「貧困から抜け出せる。」うむ。他には?「うーん。」という声。テキストに書きこむ者、真剣に考える者、相談する者。いろいろである。さすがに、『保健衛生などの分野で、幼児死亡率が下がれば、人口増となるやんか。その対策として有効かな。』という私の説明に、なるほどと納得の声が上がる。 
 デメリットは?と聞くと、「土地が悪くなる。」うむ。インドなどは塩害が出たと先日教えたのを覚えていてくれている。エライ!…それからが続かない。もっとデメリットはないかな?たとえば、肥料や農薬や、ハイブリッドの種はどうやって手に入れる?「お金がかかります。」うむ。「識字率が低いとうまくいきません。」うむ。で?ここが重要やが…。たとえば、このクラスが一つの村だとする。お金があり、教育もある農家はうまくいくかもしれないけれど…。「格差が開きます。」そう。格差が開くと、どうなる?情の経済は?ハランベー(ケニアの相互扶助の精神を意味する語)は?「アフリカの良さがなくなる」「農村が崩壊する」などの声があがる。

 何度も主張するが、私は、こういう授業が大切だと思っている。社会科は暗記教科ではない。


ブルキナのワガ近郊の農村
ある意味エコな農業であるアフリカの低生産性農業には、伝統的な良さもある。この基盤の上にアフリカ的な情の経済や地縁・血縁社会が育まれてきた。緑の革命は、貧困を克服する可能性があるが、そういったこれまでのアフリカ的なるものを破壊する危険性をも含んでいる。これは、今、日本が回答を迫られているTPPとも絡んでくる。日本の農業を守るべきか否か。グローバルな経済効率と伝統的なニッポンが対立している。自分たちの話でもあるのだ。 受験を控えている者も多いので、ディベートする余裕はない。そこで、とりあえず意見を聞いてみた。

 アフリカに緑の革命は必要か?是40%非30%というところだった。
 ちなみに私は、是と答える。貧困撲滅と人口増に対応するためには必要不可欠である。ただ、環境問題や、教育の普及も含めて慎重に進めていく必要があると思う。アフリカの伝統社会は、そう簡単に崩れないだろう。しかし少しずつ変化することはやむを得ない。授業では判り易く、二元論的に論じたが、現実はもっと複雑である。高校生の授業としては、ここまでがギリギリ限界かと思う。