久々に幕末の話題としたい。今日の「受験に使わない日本史B」の授業は、北越戦争についてであった。(4月にペリーが来航して以来、まだ戊辰戦争が終わっていない。)私は、河井継之助という人物が好きである。不遇の時にも自分の力を信じて精進し続ける姿勢が、サルトル的で好きだし、陽明学の徒としての行動力も好きだし、譜代長岡藩の立場を「中立」として通しきった頑固さも好きである。もちろん、ガトリング砲を手に入れ、ぶっ放す「絵ずら」も美しい。(但し、長岡では義によって町をぶっ潰したわけで、評判がすこぶる悪いらしい。)
今日の授業のヤマは、この河井が、新政府軍の新政府軍監だった土佐の岩村精一郎と会談する場面である。河井は奥羽への侵攻停止を訴えるのだが、この岩村、若輩者で河井の人物を見抜けなかったのである。司馬遼の「峠」では、この場面、見事なまでに描ききっている。
人物を見抜く力とは、結局「器」の問題である。では人間の「器」とは何か。私は仏教で言う「境涯」という言葉で説明した。ちょうどこの授業には元バレー部の生徒が数人いたので、4月9日付ブログで書いた離任式の話をした。今春転勤した元バレー部監督のM先生が、それまでの口調を変え、バレー部に対しボロクソに激励した話だ。私は、凄いと思った。それだけ彼女たちを深く愛し、彼女たちのためなら何でもしてやるという心根がなければ、あんなことはできない。「境涯」とは、他者を自分の胸中に入れる器の大きさである。間違いなく、M先生の胸中には彼女たち全員がすっぽりと入っているのである。この話は、多くの生徒の理解を得たようだ。
「ならば、どのようにして入れれるようになるのですかぁ?」という質問が出た。私は、「様々な苦労をして、その人たちの痛みを知ることかな。」と様々な体験を示して説明をした。これはもう日本史Bではない。(笑)でも、こういう授業が出来ることはうれしい。いつもならば、何人かはコックリコックリと来る5時間目なのだが、生徒の目は純粋に光っていた。
余談だが、この岩村精一郎、佐賀の乱でも登場する。この時も事態を悪化させる狭量の男である。最後は男爵になる。まあ、こういう理不尽な顛末も人生なのであろう。
追記1:今日の放課後、カナダ帰りのOG,N君が近況報告に来てくれた。コーヒーをしばいた(大阪弁のスラングで飲んだ)後、職員室で隣のALT、F先生との会話の通訳をしてもらった。見事な発音で、なぜか私が鼻高々になった。(笑)
追記2:今日の「統計」を見て驚いた。16:00に、1023のページビューが記録されている。また『コンゴのオナトラ船と猿論争』に、今日だけで351のページビューが記録されている。どうなっているのであろうか。ブロガーの統計が狂ったのか?誰かのいたずらなのか?それともツイッターとやらで、爆発的なページビューが行われたのか?うーん。不可解である。どなたか、情報をお持ちであれば、コメントしてください。ちょっと気持ち悪いのです。(笑)
2010年9月30日木曜日
2010年9月29日水曜日
国際理解教育Activityの罠Ⅱ
今日の英語科の地理Aの授業は、MW校の訪問団からそのまま留学生となったJ君を迎えて、中央アフリカの地誌をやった。やはり多く時間をさくのはコンゴ民主共和国(旧ザイール)である。悪名高き失敗国家だが、その歴史もタイガイである。旧ベルギー領だが、国王の狩猟地だったので、植民地経営がされていたわけではない。独立後のコンゴ民主共和国の歴史は鉱産資源の罠、紛争の罠の歴史である。ある意味アフリカの原罪を背負った地域のように感じる。シャバ州を中心に、銅などが産出されるので、世界的にも有名であるが、最近は、携帯電話などに使われるレアメタルの「タンタル」が産出すことで注目を集めているのだ。
さて、本題に入る。このタンタルの話は、今日の画像の「ケータイの一生」という国際理解教育教材のテキストに出てくる。私もある国際理解教育セミナーで、実際に参加し、テキストも購入した。なかなか面白い視点で「ケータイ」を見て行く。ケータイクイズや何年で買い替えるかなど、身近で生徒の興味を引き付ける。ケータイの中身から、その部品が、いかにグローバルなかたちで日本に来ているかという視点も面白い。で、このタンタルの話が出てくるのである。このタンタルの産出されるあたり、非常に危険な反政府地域である。ここのレントの多くがそういうゲリラに流れ、武器購入などの費用となり紛争を助長しているということは、厳然とした事実である。
この事実を受けて、このテキストでは、ワークショップでこう問いかける。「それでも、あなたはケータイを買い変えますか?」私が参加した時、教員や一般の社会人が多かった。5~6人のグループで話し合いを持った。その中で、直情型の青年がいて、「私は以後携帯を買いません。」と毅然として言い張るのである。この事実を聞いただけで、彼は決めつけたのだ。国際理解教育のアクティビティの罠に見事にかかっている。彼は、他の意見を完全に否定し、聞こうともしない。幸い、その時のファシリテーターはJICA大阪で昔馴染みの元職員さんで、「様々な意見があっていいんですよ。」と諭してくれたのだが、私は一気に、このアクティビティに興ざめしてしまった。
最近日本企業は、タンタルの輸入先をオーストラリアに移しているし、何より、コンゴ紛争の真の原因は、やはりガバナンスの悪さからくる開発政策の無さによる貧困であり、我々がコンゴ産のタンタルの入ったケータイを買うからではない。このような問題は、他の地域や他の鉱産資源でもありうることだし、かなり馬鹿げた問いかけであると私は思う。(ちなみに本校で、このアクティビティを試し、同じ質問をしてみたが、誰一人そんな馬鹿な結論を出す生徒はいなかった。何故なら、開発経済学の基礎を教えた上で、このような質問しているからである。)
余談であるが、このテキスト、後半部は途上国に進出した先進国(日本)の工場が、公害を出したり、安価で危険な労働を強制していることを前提にしたロールプレイなどが出てくる。私は、こういうシチュエーションを元に国際理解教育をやりたくない。いかにも正義を振りかざすようで好きではない。現実はもっとシビアである。以前(2月26日付)書いた国際理解教育のActivityの罠で記したように、社会科学的な裏付けもなしに、勝手に「決めつけ」る危険性を持っている。授業でタンタルの話をしていて、こんなことをフト思い出したのだった。
私は、J君に言った。「今、日本の携帯電話会社はオーストラリアから、タンタルを買っているよ。」彼は、ニコッと笑い、親指を立てたのだった。
さて、本題に入る。このタンタルの話は、今日の画像の「ケータイの一生」という国際理解教育教材のテキストに出てくる。私もある国際理解教育セミナーで、実際に参加し、テキストも購入した。なかなか面白い視点で「ケータイ」を見て行く。ケータイクイズや何年で買い替えるかなど、身近で生徒の興味を引き付ける。ケータイの中身から、その部品が、いかにグローバルなかたちで日本に来ているかという視点も面白い。で、このタンタルの話が出てくるのである。このタンタルの産出されるあたり、非常に危険な反政府地域である。ここのレントの多くがそういうゲリラに流れ、武器購入などの費用となり紛争を助長しているということは、厳然とした事実である。
この事実を受けて、このテキストでは、ワークショップでこう問いかける。「それでも、あなたはケータイを買い変えますか?」私が参加した時、教員や一般の社会人が多かった。5~6人のグループで話し合いを持った。その中で、直情型の青年がいて、「私は以後携帯を買いません。」と毅然として言い張るのである。この事実を聞いただけで、彼は決めつけたのだ。国際理解教育のアクティビティの罠に見事にかかっている。彼は、他の意見を完全に否定し、聞こうともしない。幸い、その時のファシリテーターはJICA大阪で昔馴染みの元職員さんで、「様々な意見があっていいんですよ。」と諭してくれたのだが、私は一気に、このアクティビティに興ざめしてしまった。
最近日本企業は、タンタルの輸入先をオーストラリアに移しているし、何より、コンゴ紛争の真の原因は、やはりガバナンスの悪さからくる開発政策の無さによる貧困であり、我々がコンゴ産のタンタルの入ったケータイを買うからではない。このような問題は、他の地域や他の鉱産資源でもありうることだし、かなり馬鹿げた問いかけであると私は思う。(ちなみに本校で、このアクティビティを試し、同じ質問をしてみたが、誰一人そんな馬鹿な結論を出す生徒はいなかった。何故なら、開発経済学の基礎を教えた上で、このような質問しているからである。)
余談であるが、このテキスト、後半部は途上国に進出した先進国(日本)の工場が、公害を出したり、安価で危険な労働を強制していることを前提にしたロールプレイなどが出てくる。私は、こういうシチュエーションを元に国際理解教育をやりたくない。いかにも正義を振りかざすようで好きではない。現実はもっとシビアである。以前(2月26日付)書いた国際理解教育のActivityの罠で記したように、社会科学的な裏付けもなしに、勝手に「決めつけ」る危険性を持っている。授業でタンタルの話をしていて、こんなことをフト思い出したのだった。
私は、J君に言った。「今、日本の携帯電話会社はオーストラリアから、タンタルを買っているよ。」彼は、ニコッと笑い、親指を立てたのだった。
2010年9月28日火曜日
アイオワのモノポリー
今日は第2回研修旅行説明会であった。私は今日も司会である。例によって、日程の詳細や持ち物、機内の荷物についてなどの説明があった。
ところで、私の学年のアメリカ研修旅行について、ちょっと書いておこうと思う。実はちょっとほろ苦い思い出がある。私のクラスは男子が6人いたのだが(非常に少数派である。)、その中の1人、K君としておこう。彼が、研修旅行前に「気胸」という病に侵され、入院してしまったのだった。私は、なんとしてでも連れて行きたかった。この時、私は担任だったが、日程やしおりなどほとんどを担当していた。アイオワでのホームスティの後、シカゴ観光の時間がある。数少ない男子に、シカゴの科学産業博物館の「Uボート」を見せたかったのである。昼食をレストランではなく、この博物館内で済ませることを提案していた。食事の時間を節約すれば、その他にも”人体の輪切り”や、B-727の内部や、アポロ8号も見れるし、空母から発艦し着艦するシュミレーターにも乗れる。さんざん男子諸君を煽っていたのだった。何度も見舞に行き、お父さん、お母さんとも相談した。旅行前に退院はできたのだが、「気圧の変化に対応できなかったら大変なので、みなさんに迷惑をかける。」とお父さんからキャンセルの連絡を受けたのだった。K君は、妙に真面目な男で、直前の結団式にも参加した。私は、それが辛かった。顔を見ていると涙が出た。U校へのお土産のために作ったオリジナルの日本手ぬぐいに、K君の名前を書き、クラス写真の時、男子がそれをかざして、共にいる気持ちで研修旅行を終えたのだった。
ところで、旅行前、K君のお母さんから餞別をいただき、「なにかお土産を買ってきてやってください。」と言われた。もちろんクラスの全員が思い思いに買ってきたが、私が彼にその餞別を使って買ったのが、今日の画像の「アイオワのモノポリー/IOWAOPOLY」である。彼に、「卒業したら、男子と私で、研修旅行に行こう、そこでこれをやって遊ぶのだ。もちろん、全員大学に合格してなっ。」と言ったのだった。周りにいた男子も、「絶対、行こう!」と言ってくれたのだった。
卒業式が終り、国公立の前期試験の結果が出て、さらに後期試験の結果も出た。K君は残念ながら浪人することになった。約束通り、みんなで旅行した。悲しいかな、岐阜の高山から富山へ行く1泊2日の温泉バスツアーの旅だった。(若者の卒業旅行らしき集団に1人おっさんが混じっている変な団体だった。笑。)ホテルで、夜遅くまで、このモノポリーをやった。当然、カードがみんな英語だった。生徒はすらすら読むが、私が引いたものは生徒に訳させた。(恥ずかしい。)さらにトランプの”大貧民”で盛り上がった。隣の部屋で寝ようとしていた2人の女子生徒(彼女たちは、”K君の研修旅行”というこの企画に賛同し参加してくれた稀有な存在であった。)に、「うるさい!」と怒鳴られたのを思い出す。
蛇足だが、K君も含めた浪人組にこうハッパをかけた。「合格祝いをみんなでやろう。」長い1年だった。K君もなんとか地方の公立大学に合格が決まった。20人くらいの生徒が集まってくれて、某生徒の保護者が経営されている沖縄料理店でおおいに合格を祝った。(堅いかもしれないが、未成年なので、アルコール抜きだった。)この日、私の”4年間の担任”の日々が終わったのである。
今年の研修旅行、私は、一人も欠けることなくアイオワの大自然と、U校生徒との温かい交流をしてくれることを望まずにはおれないのである。
ところで、私の学年のアメリカ研修旅行について、ちょっと書いておこうと思う。実はちょっとほろ苦い思い出がある。私のクラスは男子が6人いたのだが(非常に少数派である。)、その中の1人、K君としておこう。彼が、研修旅行前に「気胸」という病に侵され、入院してしまったのだった。私は、なんとしてでも連れて行きたかった。この時、私は担任だったが、日程やしおりなどほとんどを担当していた。アイオワでのホームスティの後、シカゴ観光の時間がある。数少ない男子に、シカゴの科学産業博物館の「Uボート」を見せたかったのである。昼食をレストランではなく、この博物館内で済ませることを提案していた。食事の時間を節約すれば、その他にも”人体の輪切り”や、B-727の内部や、アポロ8号も見れるし、空母から発艦し着艦するシュミレーターにも乗れる。さんざん男子諸君を煽っていたのだった。何度も見舞に行き、お父さん、お母さんとも相談した。旅行前に退院はできたのだが、「気圧の変化に対応できなかったら大変なので、みなさんに迷惑をかける。」とお父さんからキャンセルの連絡を受けたのだった。K君は、妙に真面目な男で、直前の結団式にも参加した。私は、それが辛かった。顔を見ていると涙が出た。U校へのお土産のために作ったオリジナルの日本手ぬぐいに、K君の名前を書き、クラス写真の時、男子がそれをかざして、共にいる気持ちで研修旅行を終えたのだった。
ところで、旅行前、K君のお母さんから餞別をいただき、「なにかお土産を買ってきてやってください。」と言われた。もちろんクラスの全員が思い思いに買ってきたが、私が彼にその餞別を使って買ったのが、今日の画像の「アイオワのモノポリー/IOWAOPOLY」である。彼に、「卒業したら、男子と私で、研修旅行に行こう、そこでこれをやって遊ぶのだ。もちろん、全員大学に合格してなっ。」と言ったのだった。周りにいた男子も、「絶対、行こう!」と言ってくれたのだった。
卒業式が終り、国公立の前期試験の結果が出て、さらに後期試験の結果も出た。K君は残念ながら浪人することになった。約束通り、みんなで旅行した。悲しいかな、岐阜の高山から富山へ行く1泊2日の温泉バスツアーの旅だった。(若者の卒業旅行らしき集団に1人おっさんが混じっている変な団体だった。笑。)ホテルで、夜遅くまで、このモノポリーをやった。当然、カードがみんな英語だった。生徒はすらすら読むが、私が引いたものは生徒に訳させた。(恥ずかしい。)さらにトランプの”大貧民”で盛り上がった。隣の部屋で寝ようとしていた2人の女子生徒(彼女たちは、”K君の研修旅行”というこの企画に賛同し参加してくれた稀有な存在であった。)に、「うるさい!」と怒鳴られたのを思い出す。
蛇足だが、K君も含めた浪人組にこうハッパをかけた。「合格祝いをみんなでやろう。」長い1年だった。K君もなんとか地方の公立大学に合格が決まった。20人くらいの生徒が集まってくれて、某生徒の保護者が経営されている沖縄料理店でおおいに合格を祝った。(堅いかもしれないが、未成年なので、アルコール抜きだった。)この日、私の”4年間の担任”の日々が終わったのである。
今年の研修旅行、私は、一人も欠けることなくアイオワの大自然と、U校生徒との温かい交流をしてくれることを望まずにはおれないのである。
2010年9月27日月曜日
地球市民的発想で中国を語る
3年生の現代社会の授業で、尖閣諸島の問題があまりにタイムリーなので、2時間にわたって、現代中国史の講義をした。先週は、先日のブログでちょっと書いたように、「紅」と「専」のゆれを追いながら、概観した。
中国の13億の人民を治めると言う事は、並大抵の人間には出来ないことであるということに、生徒は十分納得してくれた。
ところで、生徒は、この問題をどう考えているのか聞いてみた。父親や祖父がエキサイトしている家庭もあるらしい。(だろうなあと思う。)日本の不甲斐なさみたいなものは感じているが、正義は日本にあるのではないか、というのが多数派のようだった。
私は、生徒に「地球市民」であってもらいたい、と常々考えている。今回の特別講義も、そのスタンスに立っている。中国には中国の歴史と文化とアイデンティティがある。その理解の上に立って、自分の意見を持って欲しいのである。その上で、どういう答えを出すかは、1人ひとりの自由である。
さて、授業の後半部、話題を変えた。「中国は、途上国であるか否か?」これは難しい。手を上げさせたが、40人クラスで、是が7~8人。否が5人ほど。理由をきちっと立論できる者はいなかった。今も日本は、中国にODAを行っているというと、生徒はかなりびっくりしたようであった。「その上に今回、賠償を迫っているのですか?」という声も出た。(まあ、そう思うよな。)
で、私は周総理の話をした。私は、周総理を凄い政治家だと思い敬愛している。我が家のトイレには、周総理の肖像画が飾ってある。(何でトイレなんですかとの質問あり。無視した。笑。)周総理は、建国以来、自分の権力への意思を捨て、国家の為毛沢東に忠誠を誓い、実際内心とは異なる政治的行為も行ってきた。大躍進や文革では、非常に苦しい立場にいながら、総理という政治的立場を守り、まさに「矢襖(やぶすま)」のように実務面を守ってきた。彼がいなかったら、今頃中国は分裂、春秋戦国時代になっていたかもしれない。批判もあるが、私はその”器の大きさ”や”大局観”を支持したい。
大躍進の頃、周総理は農民と共に開墾に汗を流す。石を運んだりもした。これは儒教の国では考えられないことである。政治的パフォーマンスであったとしても破格である。死の直前まで病室で仕事をしていたし、もう死期を悟った時、中国最高の主治医たちを、人民の利益を優先させるため、地方に派遣した。これももし政治的パフォーマンスだったとしても、そう簡単に出来ることではない。
その周総理が、日中国交回復時、田中角栄と戦争賠償について議論した時、こう言った。「おそらく中国への賠償金は膨大なものになるでしょう。それは、日本の人民が税金として払うことになります。恨みが残ります。そのことで、中日人民の友好が崩れることはよくない。中国は賠償を求めません。」と。生徒たちは、当然こんな事は知らない。「周さん、恰好いい!」とう声が上がった。そう、凄いコトバだったわけだ。しかし、それだけではない。この時の負い目が、以来日本にはある。ODAという形で、今も経済格差に悩む中国の遅れた地方で国際協力が行われているのはその為なのである。「したたかやな。」今度はこういう声があがる。そうなのである。だからこそ、周総理は凄いのである。単にお人好しの「君子」ではない。
「ここまで学んだ上で、自分の結論を導いてほしい。まあ、客観的に見て、中国を引っ張る政治家というのは、はるかにスケールが違うということだけは確かなようだ。」と言ったら、チャイムが鳴ったのである。
中国の13億の人民を治めると言う事は、並大抵の人間には出来ないことであるということに、生徒は十分納得してくれた。
ところで、生徒は、この問題をどう考えているのか聞いてみた。父親や祖父がエキサイトしている家庭もあるらしい。(だろうなあと思う。)日本の不甲斐なさみたいなものは感じているが、正義は日本にあるのではないか、というのが多数派のようだった。
私は、生徒に「地球市民」であってもらいたい、と常々考えている。今回の特別講義も、そのスタンスに立っている。中国には中国の歴史と文化とアイデンティティがある。その理解の上に立って、自分の意見を持って欲しいのである。その上で、どういう答えを出すかは、1人ひとりの自由である。
さて、授業の後半部、話題を変えた。「中国は、途上国であるか否か?」これは難しい。手を上げさせたが、40人クラスで、是が7~8人。否が5人ほど。理由をきちっと立論できる者はいなかった。今も日本は、中国にODAを行っているというと、生徒はかなりびっくりしたようであった。「その上に今回、賠償を迫っているのですか?」という声も出た。(まあ、そう思うよな。)
で、私は周総理の話をした。私は、周総理を凄い政治家だと思い敬愛している。我が家のトイレには、周総理の肖像画が飾ってある。(何でトイレなんですかとの質問あり。無視した。笑。)周総理は、建国以来、自分の権力への意思を捨て、国家の為毛沢東に忠誠を誓い、実際内心とは異なる政治的行為も行ってきた。大躍進や文革では、非常に苦しい立場にいながら、総理という政治的立場を守り、まさに「矢襖(やぶすま)」のように実務面を守ってきた。彼がいなかったら、今頃中国は分裂、春秋戦国時代になっていたかもしれない。批判もあるが、私はその”器の大きさ”や”大局観”を支持したい。
大躍進の頃、周総理は農民と共に開墾に汗を流す。石を運んだりもした。これは儒教の国では考えられないことである。政治的パフォーマンスであったとしても破格である。死の直前まで病室で仕事をしていたし、もう死期を悟った時、中国最高の主治医たちを、人民の利益を優先させるため、地方に派遣した。これももし政治的パフォーマンスだったとしても、そう簡単に出来ることではない。
その周総理が、日中国交回復時、田中角栄と戦争賠償について議論した時、こう言った。「おそらく中国への賠償金は膨大なものになるでしょう。それは、日本の人民が税金として払うことになります。恨みが残ります。そのことで、中日人民の友好が崩れることはよくない。中国は賠償を求めません。」と。生徒たちは、当然こんな事は知らない。「周さん、恰好いい!」とう声が上がった。そう、凄いコトバだったわけだ。しかし、それだけではない。この時の負い目が、以来日本にはある。ODAという形で、今も経済格差に悩む中国の遅れた地方で国際協力が行われているのはその為なのである。「したたかやな。」今度はこういう声があがる。そうなのである。だからこそ、周総理は凄いのである。単にお人好しの「君子」ではない。
「ここまで学んだ上で、自分の結論を導いてほしい。まあ、客観的に見て、中国を引っ張る政治家というのは、はるかにスケールが違うということだけは確かなようだ。」と言ったら、チャイムが鳴ったのである。
2010年9月26日日曜日
私はアフリカに人間を見に行く
りり~君のブログ(国際協力師への道/9月25日付)で、「こちらの善意が相手の迷惑になっていないか」と題して、彼が異文化への配慮について書いている。その例として、教育についての私の体験を引用してくれている。(下記参照)
『子供に算数を教えるのですが、父親は算数ができません。父親は子供にとって偉大な存在である国で、父親よりも高等な教育を行うことは許されることなのか? その教師が行った教育方法は、「子供と一緒に父親にも教育を一緒に行う」という方法だったと記憶しています。(合っていますか?)』
回答:合っていません。(笑)ケニアでの私の体験と、ブルキナでの体験が混ざっています。ケニアでの体験については、2月17日付のブログで書いた、ピーター=オルワ氏の話です。アフリカでは、父親の権力が強いので、子供が生意気を言うような教育を受けるにはまだまだ早いだろうという話です。もう一つは、ブルキナの体験です。彼に私のブルキナの紀行文(ブルキナファソ留魂録)を読んでもらったので、合体ロボしたのでしょう。この話は、ブログでは初登場なので、ちょっと詳しく書こうかなと思います。
ブルキナで、私はIさんやJICAの皆さんの好意で、SMASE(理数科教育推進プロジェクト)の現場を視察することができた。<本日の右上の画像>教えるのはJICA専門家のM氏。三角定規を新聞紙で作り、初歩的な幾何(三角形の内角の和等)を”小学校の校長のさらに上の立場の人々”に教えていた。その後、ワガのSMASE事務所に戻り、カウンターパートナーのゾンゴ氏と語らうことができたのである。ゾンゴ氏は、今日研修を受けていた人々のさらに上に立つブルキナの教育界を背負う若きエリートでJICA大阪に研修員として来たこともあるという。<次の画像はゾンゴ氏>
ここで、私は上記のケニアでの体験、すなわちピーター氏に「開発も重要だが、ケニアの伝統社会も重要なのだ。」と言われたことについて、詳しく説明してから、「ブルキナの理数科教育においても同様の軋轢が起こるのではないかと懸念する。あなたは私の意見に対してどう思うか。」と問うたのである。(もちろん通訳はJICAのSさんにお願いした。かなりシンドイ思いをされたと思う。いまさらだが、合掌である。)
ゾンゴ氏の回答である。「そういった問題は確かにある。伝統社会と経済発展はかち合うものだ。しかし、両親を学校に招くこと、そこで意見交換をすることで、学校で何をやっているか理解してもらえる。ブルキナでは、小学校の運営は行政ではなく親が行っている。共同体の中で学校に関わらざるを得ない。識字教育、特に女性への教育は学校が行っている。伝統社会との問題は学校側から歩み寄っている。伝統的なダンスを学校で教えたりもしている。すなわち、開発の側から伝統社会にアプローチすべきであると私は思う。」 …箴言であると私は思った。
蛇足かもしれないが、この後、「私は、日本の子供は、金と偽りの自由に侵されている、と感じている。それに比べて、ブルキナの子は心が美しい。」と言ったら、彼は顔をしかめた。「もし、ブルキナの子供たちが学力をつけたら、きっといい国をつくれるだろう。」とさらに私が言うと、シニカルに笑った。
彼のこの反応を私は不快に思っていない。責任ある立場にある人間だからこそ、こう反応したのだ。彼は無責任な政治家ではない。現実を誰よりも知り尽くし、何から手をつけるべきか四六時中考えているのだろう。単純に子供の心が美しくても国は発展しない。しかし教育が充実すれば少しだけ明るい未来が見える、という確信故の反応だと私は感じた。だからこそ、彼は本当に信用できる人物なのだと思う。
このような人物と話せたことに、今も深く感謝している。
-私は、アフリカに人間を見に行く-
『子供に算数を教えるのですが、父親は算数ができません。父親は子供にとって偉大な存在である国で、父親よりも高等な教育を行うことは許されることなのか? その教師が行った教育方法は、「子供と一緒に父親にも教育を一緒に行う」という方法だったと記憶しています。(合っていますか?)』
回答:合っていません。(笑)ケニアでの私の体験と、ブルキナでの体験が混ざっています。ケニアでの体験については、2月17日付のブログで書いた、ピーター=オルワ氏の話です。アフリカでは、父親の権力が強いので、子供が生意気を言うような教育を受けるにはまだまだ早いだろうという話です。もう一つは、ブルキナの体験です。彼に私のブルキナの紀行文(ブルキナファソ留魂録)を読んでもらったので、合体ロボしたのでしょう。この話は、ブログでは初登場なので、ちょっと詳しく書こうかなと思います。
ブルキナで、私はIさんやJICAの皆さんの好意で、SMASE(理数科教育推進プロジェクト)の現場を視察することができた。<本日の右上の画像>教えるのはJICA専門家のM氏。三角定規を新聞紙で作り、初歩的な幾何(三角形の内角の和等)を”小学校の校長のさらに上の立場の人々”に教えていた。その後、ワガのSMASE事務所に戻り、カウンターパートナーのゾンゴ氏と語らうことができたのである。ゾンゴ氏は、今日研修を受けていた人々のさらに上に立つブルキナの教育界を背負う若きエリートでJICA大阪に研修員として来たこともあるという。<次の画像はゾンゴ氏>
ここで、私は上記のケニアでの体験、すなわちピーター氏に「開発も重要だが、ケニアの伝統社会も重要なのだ。」と言われたことについて、詳しく説明してから、「ブルキナの理数科教育においても同様の軋轢が起こるのではないかと懸念する。あなたは私の意見に対してどう思うか。」と問うたのである。(もちろん通訳はJICAのSさんにお願いした。かなりシンドイ思いをされたと思う。いまさらだが、合掌である。)
ゾンゴ氏の回答である。「そういった問題は確かにある。伝統社会と経済発展はかち合うものだ。しかし、両親を学校に招くこと、そこで意見交換をすることで、学校で何をやっているか理解してもらえる。ブルキナでは、小学校の運営は行政ではなく親が行っている。共同体の中で学校に関わらざるを得ない。識字教育、特に女性への教育は学校が行っている。伝統社会との問題は学校側から歩み寄っている。伝統的なダンスを学校で教えたりもしている。すなわち、開発の側から伝統社会にアプローチすべきであると私は思う。」 …箴言であると私は思った。
蛇足かもしれないが、この後、「私は、日本の子供は、金と偽りの自由に侵されている、と感じている。それに比べて、ブルキナの子は心が美しい。」と言ったら、彼は顔をしかめた。「もし、ブルキナの子供たちが学力をつけたら、きっといい国をつくれるだろう。」とさらに私が言うと、シニカルに笑った。
彼のこの反応を私は不快に思っていない。責任ある立場にある人間だからこそ、こう反応したのだ。彼は無責任な政治家ではない。現実を誰よりも知り尽くし、何から手をつけるべきか四六時中考えているのだろう。単純に子供の心が美しくても国は発展しない。しかし教育が充実すれば少しだけ明るい未来が見える、という確信故の反応だと私は感じた。だからこそ、彼は本当に信用できる人物なのだと思う。
このような人物と話せたことに、今も深く感謝している。
-私は、アフリカに人間を見に行く-
2010年9月25日土曜日
尖閣諸島問題と中国私論
MW校訪問団帰国へ
5時前起きで、R・M先生を連れて、7時に学校に着いた。食堂には、すでに2組のホストファミリーが来られていた。9連泊もお世話いただいて頭が下がる思いである。電車で、車で、続々とホストファミリーが到着する。我々国際交流部だけでなく、教頭や来年7月に渡豪する1年英語科の担任のR先生やU先生もお見送りである。いつも通り、長堀通に待機していたバスに乗ってもらって別れである。今回は、中国修学旅行の仕事が主だったのでサポートに徹した訪問団だったが、それでも別れは寂しい。目を真っ赤にして別れを惜しむ姿に、いつもながら感動するのである。
尖閣諸島問題と中国私論
今回の尖閣諸島の問題について、私論を期しておきたい。私は一時、中国現代史にハマってかなりの量の関係書籍を読んだ。もちろん専門家ではないし、これまた現場の一教師の私論であることを念頭に読んでいただきたい。
昔々、初めて中国を訪れた時、上海のホテルの朝食は一応バイキング形式を取っていた。パン2種類と中華粥、ドリンクはコーヒーとオレンジジュース、殻つきのゆでたまご、そして果物は、土がついたミカンだけだった。妻は、「なんじゃこりゃ」と絶句した。しかし当時の私は、「中国は、ここまで発展したのか」と思ったのである。
1949年の中華人民共和国の成立以来、中国は「紅」と「専」、すなわち毛沢東主義的な農村社会主義路線と、劉少奇や鄧正平らの資本主義的修正路線の間で揺れ続けてきた。「紅」の大躍進政策では、膨大な餓死者を出した。鉄鋼生産を打ち出し、農民は鍬や鋤を土法で屑鉄に変えてしまった。彭徳懐の批判以来毛沢東は失脚し、劉少奇の「専」で中国経済は立ち直る。しかし、またまた文化大革命で「紅」化し、中国の経済発展は遅れる。(何年か前、中国から本校に教員の訪問団がやってきた。私と同世代の社会科教師は、代表団に選ばれるほどの優秀な人物らしいが、なんと一言も英語を解さなかった。聞くと文革世代であった。哀れである。)四人組の台頭、周総理の死、毛沢東の死…不死鳥の如く甦った鄧正平の力で、「専」の政策が復活し、以後、白い猫も黒い猫もネズミを取る良い猫として、怒涛の市場開放が始まったのである。
中国現代史が我々に語りかける事実、それはなにより、中国の人口の多さからくる政策の善し悪しが甚大な影響を及ぼすということである。大躍進や文革による死者の数は半端ではない。「一国家」というカテゴリーではくくれないほどの影響がある。だからこそ、中国の統治者は、政策をひとつ間違えると大変なのである。今や、これだけ資本主義化が進んだ故に、中国共産党は、イデオロギー集団ではなく、テクノクラート集団と化している。彼らは常に、13億の中国”人民”に、ある程度の”満足”を与えなければならない。そのため、中国には経済格差を是正しながら、常に高度経済成長をし続けなければならないのである。
中国に欧米的な意味での民主化を一気に図るというのは、あまりに危険な実験すぎるのではないか、と私は思っている。13億の”人民”を束ねるためには、強大な専制的権力がどうしても必要悪となる。自由をある程度制限せざるを得ない中国の事情がそこにある。もし、欧米的民主化が実現するとすれば、先進国並みに経済発展した上でのことであろう。
今回の尖閣諸島の問題は、毎日新聞の論説によると、中国の中南海の権力闘争であると言われている。温家宝首相らは、「紅」「専」の”ゆれ”による歴史を冷静に分析しているテクノクラートである。経済発展を支える海外の投資筋が最も恐れるのは、中国の”ゆれ”である。だからこそ、大国主義を抑えながら中国”世界”の舵を慎重にとってきたといえる。しかし、米国をはじめとする人民元切り上げ要求の高まりの中、保守派の厳しい突き上げを受けたのであろう。
今回の問題を、私は「紅」から変化した「中華ナショナリズム」が、「専」をゆらした結果のように感じる。不満を抱えた階層が、今回の事件をうまく利用し、現指導部を揺らしたわけで、表面上硬化し、強硬姿勢を貫いている温家宝首相も、長い目でみれば中国の国益を損なっていることは判っているはずで、決して満足しているとは思えない。”中南海”は、周恩来以来、ずっと孤独である。
追記:今日の毎日新聞の朝刊に、これら尖閣諸島の問題を受けての、本校の中国修学旅行への対応の記事が出ていた。教頭が取材を受けたと言われていたが、ホントに出ていた。(笑)
5時前起きで、R・M先生を連れて、7時に学校に着いた。食堂には、すでに2組のホストファミリーが来られていた。9連泊もお世話いただいて頭が下がる思いである。電車で、車で、続々とホストファミリーが到着する。我々国際交流部だけでなく、教頭や来年7月に渡豪する1年英語科の担任のR先生やU先生もお見送りである。いつも通り、長堀通に待機していたバスに乗ってもらって別れである。今回は、中国修学旅行の仕事が主だったのでサポートに徹した訪問団だったが、それでも別れは寂しい。目を真っ赤にして別れを惜しむ姿に、いつもながら感動するのである。
尖閣諸島問題と中国私論
今回の尖閣諸島の問題について、私論を期しておきたい。私は一時、中国現代史にハマってかなりの量の関係書籍を読んだ。もちろん専門家ではないし、これまた現場の一教師の私論であることを念頭に読んでいただきたい。
昔々、初めて中国を訪れた時、上海のホテルの朝食は一応バイキング形式を取っていた。パン2種類と中華粥、ドリンクはコーヒーとオレンジジュース、殻つきのゆでたまご、そして果物は、土がついたミカンだけだった。妻は、「なんじゃこりゃ」と絶句した。しかし当時の私は、「中国は、ここまで発展したのか」と思ったのである。
1949年の中華人民共和国の成立以来、中国は「紅」と「専」、すなわち毛沢東主義的な農村社会主義路線と、劉少奇や鄧正平らの資本主義的修正路線の間で揺れ続けてきた。「紅」の大躍進政策では、膨大な餓死者を出した。鉄鋼生産を打ち出し、農民は鍬や鋤を土法で屑鉄に変えてしまった。彭徳懐の批判以来毛沢東は失脚し、劉少奇の「専」で中国経済は立ち直る。しかし、またまた文化大革命で「紅」化し、中国の経済発展は遅れる。(何年か前、中国から本校に教員の訪問団がやってきた。私と同世代の社会科教師は、代表団に選ばれるほどの優秀な人物らしいが、なんと一言も英語を解さなかった。聞くと文革世代であった。哀れである。)四人組の台頭、周総理の死、毛沢東の死…不死鳥の如く甦った鄧正平の力で、「専」の政策が復活し、以後、白い猫も黒い猫もネズミを取る良い猫として、怒涛の市場開放が始まったのである。
中国現代史が我々に語りかける事実、それはなにより、中国の人口の多さからくる政策の善し悪しが甚大な影響を及ぼすということである。大躍進や文革による死者の数は半端ではない。「一国家」というカテゴリーではくくれないほどの影響がある。だからこそ、中国の統治者は、政策をひとつ間違えると大変なのである。今や、これだけ資本主義化が進んだ故に、中国共産党は、イデオロギー集団ではなく、テクノクラート集団と化している。彼らは常に、13億の中国”人民”に、ある程度の”満足”を与えなければならない。そのため、中国には経済格差を是正しながら、常に高度経済成長をし続けなければならないのである。
中国に欧米的な意味での民主化を一気に図るというのは、あまりに危険な実験すぎるのではないか、と私は思っている。13億の”人民”を束ねるためには、強大な専制的権力がどうしても必要悪となる。自由をある程度制限せざるを得ない中国の事情がそこにある。もし、欧米的民主化が実現するとすれば、先進国並みに経済発展した上でのことであろう。
今回の尖閣諸島の問題は、毎日新聞の論説によると、中国の中南海の権力闘争であると言われている。温家宝首相らは、「紅」「専」の”ゆれ”による歴史を冷静に分析しているテクノクラートである。経済発展を支える海外の投資筋が最も恐れるのは、中国の”ゆれ”である。だからこそ、大国主義を抑えながら中国”世界”の舵を慎重にとってきたといえる。しかし、米国をはじめとする人民元切り上げ要求の高まりの中、保守派の厳しい突き上げを受けたのであろう。
今回の問題を、私は「紅」から変化した「中華ナショナリズム」が、「専」をゆらした結果のように感じる。不満を抱えた階層が、今回の事件をうまく利用し、現指導部を揺らしたわけで、表面上硬化し、強硬姿勢を貫いている温家宝首相も、長い目でみれば中国の国益を損なっていることは判っているはずで、決して満足しているとは思えない。”中南海”は、周恩来以来、ずっと孤独である。
追記:今日の毎日新聞の朝刊に、これら尖閣諸島の問題を受けての、本校の中国修学旅行への対応の記事が出ていた。教頭が取材を受けたと言われていたが、ホントに出ていた。(笑)
2010年9月24日金曜日
R・M先生、我が家に来たる
MW高校の滞在も残すところ今日1日となった。明日早朝に本校に集合し関空に向かうので、今晩はたった1日のことではあるが、R・M先生に我が家に泊まっていただくことになったのだ。妻がサラダやシチューやマッシュルームとアスパラガスのガーリックソテーなどを用意してくれた。さすがは”自称・料理人”である。(笑)食事中、面白い事に、R・M先生と彼女のハズバンドと、我が夫婦は同じ年齢であることがわかったのだった。オーストラリア英語とサバイバル・イングリッシュで、なんだかよくわからないが、会話は弾んだので、めでたし、めでたしである。<ちなみに今日の画像は、本校の屋上を散策する訪問初日のMW校生の姿である。珍しい写真なので国際交流部の画像から拝借した。>
さて、今日は第2回中国修学旅行説明会であった。日中関係が全面対決状態の中での説明会はきついのである。なんとか、保護者の不安を払拭しなければならない。授業が終わって、インターネットを見ていたら、なんと那覇の裁判所が中国人船長を釈放するという速報が入っていた。その是非はともかく、修学旅行説明会の司会者にとっては、極めてグッド・タイミングであった。校長・教頭に伝え、開会の辞はこのニュースの紹介から始めた。保護者の不安は、ほぼふっとんだようである。会場に和んだ空気が流れた。後は、イケイケである。結局和んだまま1時間で終了した。めでたし、めでたしである。
今回のこの中国問題については、明日書こうかなと思う。では、明日朝早いので…。
さて、今日は第2回中国修学旅行説明会であった。日中関係が全面対決状態の中での説明会はきついのである。なんとか、保護者の不安を払拭しなければならない。授業が終わって、インターネットを見ていたら、なんと那覇の裁判所が中国人船長を釈放するという速報が入っていた。その是非はともかく、修学旅行説明会の司会者にとっては、極めてグッド・タイミングであった。校長・教頭に伝え、開会の辞はこのニュースの紹介から始めた。保護者の不安は、ほぼふっとんだようである。会場に和んだ空気が流れた。後は、イケイケである。結局和んだまま1時間で終了した。めでたし、めでたしである。
今回のこの中国問題については、明日書こうかなと思う。では、明日朝早いので…。
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