2020年1月28日火曜日

鳥の名はメッサーシュミット

https://matome.naver.jp/odai/2136651
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佐田岬半島は渡り鳥の聖地で、バードウオッチャーではない私でも、このところ、気になる鳥がいる。すぐ前の竹林にたくさんいるのだが、愛機G1Xで撮りたいなと思ってもかなり早く飛ぶので難しい。シャッタースピード優先でも三脚なしでは無理かと思う。名前を知りたいのだが、その特徴を記しておきたい。美しいとか鳴き声がいいといかいうのではなく、飛び方が変わっているのだ。

その鳥は、かなりの省エネ飛行する。もちろん羽をはばたくのだが、すぐ畳んで飛ぶ。少しばかり太っているので、当然落下する。というより急降下といったほうがいい。すると羽根をはばたき、上昇。これを繰り返すのだ。サイン(Sine)カーブを描いて飛んでいるわけだ。羽根を畳んでいるときは、弾丸のようだ。

私はメッサーシュミットMe163のイメージをもった。ナチスドイツの世界初のロケット迎撃戦闘機である。(笑)メッサーシュミットMe163は羽根を畳んだりしないけど…。なんとなくずんぐりして航続距離が短そうなので…。と、いうわけで、私はこの鳥をメッサーシュミットと呼んでいるのだった。
どなたか、野鳥に詳しい方、名前を教えてくださいませんか?色は濃い茶色です。飛び方以外に大きな特徴はありません。

2020年1月27日月曜日

アフリカのBoard Game入手

昨年10月にエントリーした”アフリカの知”をもとしたボードゲーム「ブムントゥ」が、マレーシア行の前日、つまり先週の月曜日に塾に届いた。伊方町教育委員会が塾の予算執行として認め、注文してくれていたのである。3冊の地域経済学の本が届いたのも嬉しいが、このゲームの入手も嬉しい。
ただその当日は時間が無くて、実際に箱を開け、中身を確認したのは、久しぶりに塾に来た今日になってしまったのだった。

さて、この「ブムンドゥ」なかなか面白そうだ。注文した時点では、そのやり方はあまりよくわかならなかったのだが、説明文(日本語版なので当然日本語である)を読み、実物を見て、だいたい理解できた。シンプルだが、かなり臨機応変な対応を求められる戦略ゲームのようだ。

未咲輝塾で、こういう知的なゲーム類を用意しておくことも有意義だと私は思う。(すでにいくつかカードゲームも用意されている。)いつか、みさこうDAYの塾のイベントとして、やってみようと思う。

司馬遼太郎 胡蝶の夢(二)

司馬遼の「胡蝶の夢」の第二巻をマレーシア行の中で読了した。第二巻では、勝海舟が教頭的な立場にあった長崎海軍伝習所に付属する主人公松本良純が中心となっていた医学伝習所に物語が移っている。今回も印象に残った話を記しておきたい。

咸臨丸で、小倉、下関、鹿児島に練習航海に出た際の描写である。「艦は、右舷に九州の山々を見つつ、周防灘を南下した。次いで、左舷に四国の西端が細長くのびている佐田岬を見、豊予海峡を通過した。」
…この一文は、大阪にいても何も感じなかったに違いない。今三崎にいるからこそ、「そうか、海舟の咸臨丸が佐田岬を通過したのか。」と感慨にふけることができる。まさに属性がなせる業である。

この航海で小倉藩主は咸臨丸を無視した。長州藩はまだ松下村塾以前で下関では大群衆がオランダ人を見に来ていた。しかし、薩摩は違う。島津斉彬が乗船してきた。斉彬について、松平春嶽は「予は多年、友として交りしも、曽て一たびも其の怒れる顔色を見たことなし」といっているし、宇和島藩伊達宗城も「予は七十歳の今日に至る迄、貴賤上下を問わず、幾多の人々に接したるが、まだ曽て島津薩摩守の如く、常に春風駘蕩たる風丰の人あるを見ない」といっている。
…司馬亮の幕末本では、島津斉彬こそ最高の人物として描かれているが、ここでも同様である。長く藩主になれなかったという苦難がこういう人物をつくりだしたように思う。井伊直弼も藩主になることはないとの諦めの中で教養を磨いた。人間、苦労しないと大成しない。こういう人間学も司馬遼の魅力だ。

オランダ人医ポンぺが解剖の際、日本人がそれぞれスケッチしていることについて、「日本人は、絵図で勉強するのにきわめて適した性質を持っているが、これは、日本人の特性ともいうべきものである。」と記している事について、司馬亮は、このポンぺの眼力は「凡庸ではない」と表現している。さらに『このことは、大きく言えば日本文化の成立の機微に関わることで、日本が中国の文化を受け入れるについては、わずかな期間、留学生を送った他は、圧倒的に書物による世界史的にいっても類のない需要の仕方をとった。漢文という外国語によって、見たこともない中国世界をの文明現象を全て受容するというのは、よほどの想像力が必要で、その想像力の種は、わずかに渡来する絵画であった。自然、略図に至るまで外国文化受容には絵画が必要だという文化的習性のようなものができていたのではないか。(趣意)』と記している。
…こういう文化的な洞察が最も面白い。なるほどと膝を打つわけだ。

2020年1月26日日曜日

ナシレマ! ナシレマ!

朝のナシレマ ゆで卵半分が乗っかている
今回の弾丸ツアーの外伝的な話を最後に記しておこうと思う。まずは、食事のお話。最も贅沢をしたのはL君との23日の昼食だが、やはりマレーシアは安い。日本の物価の半額以下だと改めて思う。

24日は朝からナシレマを食べた。バナナの皮と茶色の紙に包まれた三角の安価なナシレマ。実はこれまで食べたのは皿に盛られたものばかりで、初めての経験だった。(画像参照)私はナシレマが大好き。サンバルソースもこの3年半で十分に慣れた。ただ、チキンがなかった。(笑)昼は空港で、毎回恒例のマクドナルドでとったのだが、ふと、マクドのナシレマを食べてみたくなった。これも初体験。こちらはチキンが2つもついていて、大いに満腹になった。(笑)
マクドナルドのナシレマ
今回は一人旅なので、サバイバルイングリッシュを使わざるを得ない。英語に堪能な人がそばにいないので気楽に話しかけることもできる。
アルジェリアの人
セントラルステーション近くで、乞食(こつじき)行をしているアルジェリア人と話した。彼は極度の貧乏旅行をしているようであった。ジョンレノンに似ている。「どこから来たの?」と聞いたら、「エスケープ アルジェリア」と答えてくれた。なかなか意味深な返答である。フランス語圏なので英語はどこで学んだのだろうかと思う。
またパビリオン前で、UAEのご夫婦と話した。ご主人は実に明朗な方であったが、奥さんは真っ黒で何も語らなかったし、写真撮影もNGだった。さすが、アラブ。帰国後調べたら、UAEの方と話したのは初めてで、私の「地球市民の記憶」(常設ページ参照)は、104か国・地域になった。久しぶりの更新である。

春節 in マレーシア

ブキッビンタンにて
今、日本のSNSは中国・武漢から発生したコロナウィルスの話でもちきりである。かなり危険な状況で早急な決断が必要かと私も思う。今回の件で、日本でも春節(中国の旧正月)が有名になったように思う。マレーシアでは、中華系の人々が多く、経済的にも力があるので大いに盛り上げる。(ただし深夜の花火だけは頭痛の種だった。笑)

今回のマレーシア弾丸ツアーの3つのミッション以外に、どう時間を使うかと考えていた。行けなかった州立のモスクに行く時間もないし、当然ながらジョホールのレゴランドにも行けないし…。だが、春節である。セントラルステーション、ミッドバレー、それにブキッビンタンのパビリオンなどの各モールでは、春節を祝うデコレーションが作られているはずで、なかなか見ごたえがあるのだ。せめてそれを最後に見たいなと思ったのである。

私が最初に見たのは鶏年で、巨大でリアルな鶏がセントラルステーションのモールに飾られていた。以来楽しみにしてきたのだが、次の戌年は、マレー人というかイスラム教徒が犬嫌いで中華系も気を使ったみたいだった。昨年はもっと悲惨だった。日本では猪年だが、中国では豚である。イスラム教徒が最も忌み嫌う干支であったので、豚のモニュメントらしきものは皆無に近かった。で、今年は鼠年である。鼠なら気を遣う必要もない。どんな風にデコレーションするのだろうかと楽しみにしていたのだ。
セントラルステーションでは中華船であった。
今回最初に見たセントラルステーションのモールでは、中国船のデコレーションであった。ここはいつもシンプルなのだけれど、昨年よりはかっこいい。巨大な鼠を期待したのだけれど…。(笑)
ミッドバレーのデコレーションⅠ
ミッドバレーのデコレーションⅡ
ミッドバレーでは、レゴがモチーフになっていた。もちろん、周囲にレゴが販売されており、なかなか面白い。そうか、レゴで来たか。商売上手なミッドバレーのメガモールらしいと思う。
パビリオンのデコレーション
さて、帰国の日、モノレールに乗ってブキッビンタンまで行ってみた。これもTouch'n GOがあるので、便利だ。目指すはパビリオンである。ここは、ミッキーマウスが中央にあった。なるほど、「鼠」である。世界で最も愛されている「鼠」。当然莫大な商標権が発生しているだろうが、そこはKLでも最高級のモールである。さすがである。

結局、今回のマレーシア弾丸ツアーでは、KLIA2・セントラルステーション・ミッドバレー・日本人会=PBT・ブキッビンタン、そしてタマンデサという私のマレーシアでの日常の「点」を行き来していたことになる。
…Touch'n GOには、まだRM25分残っていた。

最後の(?)タマンデサ

今回のマレーシア行での第2のミッションは、銀行に行くことだった。D大に合格したL君が、銀行での通訳と運転手を快く引き受けてくれたので大いに助かった。13:00に日本人会を出て、タマンデサのメイバンクに向かった。ここは本帰国前に行った銀行で比較的すいているからだ。意外に早くミッションは終わった。すぐそばの回味という中華レストランで2人で昼食をとった。私の大好物のクェティオとおこげのような飯を主体に海鮮を加えたもの(2人前)と飲茶を食した。もちろん、飲み物はポーレイ茶である。(笑)L君といろいろ話をした。私が帰国後デング熱(マレーシアに多い病気)にかかったらしい。1週間ほど寝込んだという。私に報告しなかったのは心配させるだけだったからとのこと。「大変だったよなあ。」と言うと、「今はもうすっかり元気になりました。」彼のやさしさが沁みる。1月中で日本人会の図書館のバイトをやめ、日本行きの準備を始めるらしい。L君が日本に来てからの再会を約束して別れた。

その後、ミッドバレーのメガモールに寄った。日本円への両替とマレーシアの果物を食するためである。マンゴーはなかったが、パパイアとドラゴンフルーツを楽しめた。たったRM3の幸せである。

一度セントラルステーションに路線バスで戻った。以前持っていたTouch'n GOは実に有用である。ホテルで再度チェックインして、少し仮眠した。第3のミッション、友人との待ち合わせは、19:30タマンデサ。(笑)これまたバスで移動である。住んでいたコンドの前で降りた。ちょっとだけセキュリティーのみんなと顔を合わせた。皆喜んでくれたのが嬉しい。タマンデサは私の第二の故郷のような気がする。
まだまだ時間があったので、タマンデサをぶらぶらしていた。そう、木曜日はナイトマーケットの日だと思いだした。覗きに行ったら雨が降ってきた。やがて本格的なスコールになった。約40分、テントの下で雨宿り。これもマレーシアなのである。(笑)小降りになったので、待ち合わせ場所へいくと、もうK氏が来てくれていて、私とほぼ同時にO氏も来てくれた。10:00までワイワイと話して、実に楽しい時間を過ごしたのだった。

2020年1月25日土曜日

F42国費生卒業式

卒業式には、8月の最後の日にプレゼントされたマレーの民族衣装を着て出席することを早くから決めていた。PBTに着いて、先生方にあいさつ回りしてからその民族衣装に着替え、9:30からのリハーサルを覗きにいくことにした。途中階段のところで何人かと出くわし。大騒ぎに。実に嬉しい瞬間であった。

一息ついて本番の卒業式。毎回の事ではあるが、一人ひとりに思い入れがあるのでそれぞれに感傷がつのる。実に素晴らしい卒業式だった。
F君の答辞も実に率直でよかった。誰が答辞をやるのだろうと思っていたが、これまでのF42の中で、リーダー塾参加やスピーチコンテスト代表など様々な学生が活躍した。そう考えると、F君と言う人選は見事だと思う。F42の男子はみんないい奴で仲がいいのだが、中でも彼は特に人望が厚いからだ。
伝統となっている卒業式での合唱もよかった。最初は証明を落とし、光る棒を振って歌ったり、女子学生が最後に教職員席に舞台から降りてきてくれて、黄色いバラを一人ひとり渡してくれるという演出が見事だったし、実に嬉しかった。そして、写真大会になった。何枚撮っただろう。学生と、またご両親と…。私も誠心誠意、激励に激励を重ねた。

今回のPBT退職そして三崎高校へ来るにあたって、私自身出来ることは全てやりつくした。もう何も思い残すことはない。後は、彼らの志望ができるだけ叶うように祈るだけである。