ヨーロッパで近代国家が形成される過程において、ナポレオンによって国民皆兵(徴兵制)がしかれた。これで他国も含め国民国家化が一気に進む。ナポレオン以後、プロシアが参謀制度を確立する。プロシアのこの国家戦略は見事に当たり、他国もこれに追随する。WWⅠでは、この国家規模で編成された軍に、近代産業が技術的に関わっていき、軍需生産のマネジメントのために官僚組織が形成されていく。WWⅡは、それがさらに拡大、巨大化していくのである。「戦争の世界史(下)」 を読んでいると、近現代史における戦争の意味が、たんだんつかめるようになっている。
…今日も、頭の中は文化祭のことでいっぱいである。わが4組はどう動いているのだろうか。実は、私はこういうイベントに関してはかなり詳しい。演技進行庶務という立場で、様々なイベントの進行状況を見ながら、人、モノ、カネのマネジメントをしていた経験がある。だから、生徒の動きを見ていると、大局から見た戦術的な取り組みの甘さや、戦術的な細かな手配の遅れが次々に見えてしまうのだ。正直、これは苦しい。大きなストレスとなっている。
戦争と言うのは、国家の命運をかけた命がけのイベントである。自国の戦力をいかに効率的に使い、勝利するか。まさに、人、モノ、金のマネジメント能力が試されるのである。この本でも、WWⅠで、ドイツがチリから輸入していた火薬原料をイギリスに封鎖され、国内で代理品をつくり対応していたこと。その生産量によって、砲弾の量を制限していたことなどが出てくる。こういう計算をしていた官僚が存在し、それを実現していた産業家がおり、実務的に動かされていた人々がいたわけだ。
国家の官僚制度は、二度の世界戦争によって大いに組織改革を迫られたであろうことは想像に難くない。夜警国家などと悠長なことを言っておれない時代に突入していくわけだ。ケインズの理論が、大恐慌以後、比較的スムーズに多くの国家に取り入れられたのは、その理論的な優秀性だけでなく、WWⅠによって形成され、訓練された国家組織がすでにあったからだともいえるだろう。
…ところで、文化祭。マネジメント能力を強要されているのが、今の本校の3年生なのだろう。私だって、何も学ばず、何も失敗せずマネジメント能力を身につけたわけではない。舞台発表まであとわずかである。私も最後の力をふりしぼって生徒諸君の力を大いに引き出したいと思っている。
…「戦争の世界史(下)」を読んで、現実とオーバーラップしながら、こんな感想をもったのだった。
2014年9月14日日曜日
2014年9月13日土曜日
中公文庫「戦争の世界史(下)」 3
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| http://www.calypso.jp/staff/blog-ryuji/post-25.html |
まず、長年私が不思議に思っていたことへの著者の回答。それは、WWⅠで、初めて使用され、開発が一気に進んだ毒ガスのことだ。何故WWⅡでは使用されなかったのだろうという疑問である。
著者は、まず、技術開発担当者の関心が毒ガスから戦車や航空機に移っていたこと。次に、こちらのほうが重要だが、軍人の間で、使った側が何だかこそこそして非英雄的に見える兵器に対しては心理的嫌悪感がもたれたのではないか、というのである。
先日エントリーしたように、欧米におけるギリシア・ローマの古典的素養は重要な教育の一部分であり、英雄崇拝が強いという話が出てきた。まさにこの裏返しだというのである。私自身は、これに大いに納得できる。世界的に見ても、こういう神話的な英雄崇拝の文化は多く存在するわけで、毒ガスや生物兵器といったものは、極めて非英雄的で、少なくとも軍人としての誇りを持つ者は使用しないのだというわけだ。…よって、オウム真理教など論外。サダムフセインやアサド(これは反政府勢力との情報もあり未確認だが)も、極めて低く見られるわけだ。
さて、この英雄的行為と軍人としての職分について昔から抱かれてきた観念は、最近の技術水準を反映した陸海軍の実情とは齟齬をきたし、その結果欲求不満が生じていると著者は言う。こうした内的緊張は戦争の官僚化と産業の最初の段階からあったものだが、プッシュボタン戦争は、筋肉的な武勇のまさに対極である。
こういう記述を読むと、米軍がやたら「無人偵察機」や「空爆のみ」にこだわる現実や、中国の「挑発的行為」について、考え込んでしまう。
この文庫本は、極めてアカデミックに大局的な視点から戦争と歴史を論じている。なかなか凄い本である。
2014年9月11日木曜日
”WICKED” その10 吐と叶
| 放課後の舞台練習 ♪ポピュラー |
なかなかいい話だった。実は、これには理由がある。前日、女子のキャストやスタッフ内で少々、意見の衝突があったのだ。団長のA君や副団長のM君、シナリオライターのS君らは、夕食を共にしてどうするべきか相談していたのだという。で、結局、今悩んでいる女子の家の近くまで行き、その心情を聞きにいったらしい。やるなあ。
これまで、わが4組は平穏無事に、進んできた。ここにきていろいろな問題が出てきたのだ。で、団長はいろいろ考えたのだろう。彼なりの結論がこの話だったのだ。私は、実に嬉しかった。みんな真剣だからこそぶつかることもある。こんな時こそ、生徒同士で解決して欲しい。イベントは人づくりである。まさに、そういう状況が生まれてきた。
放課後、舞台練習があった。心配していたのだが、女子のキャストははるかにうまくやっていた。様々な葛藤をかかえながら頑張っている。演技もいいし、歌もいい。ダンスもよくなってきている。土曜日から三連休である。この三連休の間の精進次第では、さらに素晴らしいミュージカルに引き上げることができるだろうと確信した。
舞台練習の後、黒板にはまだ授業の板書が残っていた。悩んでいた二人が、それを綺麗に消してくれていた。やらねばならないことをやろう。そして出来ることをやろう。その精神が息づいている。私は、そんな何気ない状況に心打たれる。
三連休は、私は土・日はあえて休息をとることにした。後は生徒だけで完成に近づけて欲しい。リーダーたちにそう言うと、頷いてくれた。プラス思考でいけば必ず夢は叶う。まさにその通りだ。
2014年9月10日水曜日
”WICKED” その9 佳境
| 棒引き予選 |
今日は、5時間目が体育祭のアピールの練習。6時間目は、雨で順延になった体育祭の棒引きと綱引きの予選が行われた。わが4組・緑団は、忌引きで団長不在。だが、クラス全体で団長の分まで頑張っていた。アピールはほぼ完成した。1・2年生も嬉々としてアピールに取り組んでいる。副団長やクラス代表をはじめ、みんなが盛り上げていてくれた。練習終了後、ポンポンを全員で手際よく集めている姿に私は、実に嬉しかった。自分がしなければならないこと、したらいいと思うことをどんどんやれ、と言っていたのだが、まさにそういう動きである。全員が協力している。これで、舞台も何とかなる、と確信した次第。
6時間目の予選は、棒引きは女子が圧勝したのに、男子が追いつかれ、結局3位。体育祭当日は、5位・6位決定戦に出場、綱引きは、団長の名前をコールしながら頑張っていたのだが、結局最下位。7・8位決定戦に出場することとなった。
| 放課後の歌の練習 |
古着屋から戻ると、忌引きだった団長のA君が教室にいた。さっそく皆にアピール練習と予選の時いなかったことに詫びていた。頭の中は、団活動のことばかりだ、という。うん。そういう生徒諸君が無茶苦茶増殖している。(笑)
日経 ダライ・ラマ14世の転生
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| ダライラマ5世 観世音菩薩の 生まれ変わりという |
ダライラマ14世は、13世の生まれ変わりである、とチベットの人々は信じている。生まれ変わりの少年を探す話は凄い。詳しくは、以下のHPを参照いただきたいが、3歳にも満たない現14は、13世の数珠を欲しがり、マントラを唱えたし、探しに来たリンポチェ(高僧)の名を当てたという。
ダライ・ラマ法王日本代表事務所
http://www.tibethouse.jp/dalai_lama/hh_reincarnation.html
ダライ・ラマは、輪廻転生制度(後継者探しの儀式)を廃止すべきとした理由を、転生者は中国支配下のチベットではなく、平和な世界のどこかの国に転生するだろうと述べている。前世が遣り残した仕事を引き継ぐのが転生者である。遣り残した仕事を継承できない国に生まれたら、転生者として生まれ変わる意味がないというのである。凄いな。強烈な中国批判である。
このダライ・ラマの転生、儀式を廃止した場合、チベット仏教はどうなるのだろう。妻も、凄いニュースやなあ、と話していたのだった。…変な家。(笑)
2014年9月9日火曜日
教養としての音楽史を語り合う
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| http://labaq.com/archives/51521877.html |
Y先生と今日ちょっとおもしろい話をした。今、音楽の授業で「音楽史」をやっているらしい。3年生は、あと10日に迫った体育祭・文化祭のことで頭がいっぱいらしく、授業に身が入らない。先日も、私の世界史Bでは、最後まで起きていた生徒が5人というクラスまであった。ひどいもんだ。で、「みんなちゃんと聞いてる?」とY先生に聞くと、笑いが帰ってきた。私とあまり変わらないようだ。
音楽史は、当然クラシック音楽の歴史になる。最近の高校生は、アイネ・クライネ・ナハトムジークと言ってもほとんど知らない。トッカータとフーガニ短調といってもダメ。聞けば、ああ、あの曲とわかるかもしれないが、こういうモーツアルトやバッハの有名な曲くらいはスラスラでるようにして欲しいもんだ。そんな話をしていたのだった。
Y先生の前の席には社会科のT先生が座っている。そういう教養って大事ですよね、という話になった。美術史も大切な教養だね、という話になったりした。
私は、中学生の頃、クラシックにはまったので、こういう基礎的な音楽史の教養を自ら得た。未だにベートーベンやドボルザークの交響曲のメロディがすっと浮かぶ。だいぶ聞き込んだのだった。一方、高校時代は、美術史の素養を深めた。西洋美術史の太い本も買い込んで自分で勉強した。ある先輩がら、何の時だったか忘れたが、「それはダダか?」と聞かれたことがあった。ダダイズムという意味である。第一次世界大戦くらいに起こった、それまでの既成概念の破壊を目指した芸術運動である。こういうコトを知らないと、先輩の話についていけなかったのだ。教養などというものは、基本的に背伸びして得るものである。私はそんな気がしている。
Y先生にも、大いに生徒に背伸びさせてやって欲しいと願っている。
2014年9月8日月曜日
TOKIO 城島茂は男でござる
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| http://blog.livedoor.jp/tangomin/lite/image/18064107 |
先週の日曜日に、24時間TVがあった。私は、この手の番組にはあんまり興味がないのだが、101kmをTOKIOのリーダー、城島茂が走ると聞いて、家内とつい見てしまった。何度かエントリーしたが、わが夫婦は、TOKIOのファンである。鉄腕ダッシュを長年見ているからだ。
妻が言うには、TOKIOの5人は人柄がいいという。特に、リーダーの城島はいいと言うのだ。TOKIOというアイドルグループは、ジャニーズの中でも異質だと思う。人柄、人間性をかなり露にしている。表面的なアイドルの側面より、そういう部分が魅力的なのだと思う。中でも、リーダーの優しさは群を抜いている。運動音痴なところが、およそアイドル的ではない。TOKIOは基本的にダンスをしたりしない。バンドである。城島は、リードギターを担当しているが、踊っているところを見たことがない。きっとうまくないのだろう。だが、クレーンを操れる。(笑)極めて変わったアイドルだ。
今回のマラソンにあたって、これまでの長距離走の最長は中学時の1500mだという。私と同じだ。苦労するだろうなあ。思わず、応援してしまう。
城島は配慮の人だ。常に笑顔で接する。様々なドキュメントも見たが、その辺徹していた。しかし、想像を絶する苦痛の中で、結局終了時間までにゴールした。これはライブで見たが、少しばかり、感動した。TOKIOのメンバーが一緒にゴールしなかったのも凄い。今回の司会は後輩なので、彼らを立てたのだという。だからこそ、人柄のTOKIOなのだ。
城島は、ダッシュ村でお世話になり、先日逝去された”アキオさん”の回復を祈って走ることを決意したのだと思う。城島の頭にまかれたタオルがアキオさんそのものだった。だが、あまりそのことを強調しなかった。それも、優しさなのだろうと思う。
一度このマラソンを走ったことがあり、城島と最も関係が長いぐっさん(山口)は、最後まで心配していた。アキオさんの墓参りにも行って、城島のマラソンの件を報告していた。そして自らの経験があるからこそ、城島の奇跡的な走りに深く感動していた。その表情もよかった。感情を率直に表していた松岡もいいし、盛り上げようとはしゃいでいた国分も長瀬もいい。
あまり芸能界に詳しくない私だが、率直に、城島をリーダーとするTOKIOって素敵だなと改めて思った次第。
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