昨日は、妻がTVを見て泣いていた。彼女は松井秀喜選手のファンである。長嶋監督と共に国民栄誉賞を受けるセレモニーのライブを見ていたようだ。妻に言わせると、松井クンの性格を非常にかっている。努力の人・超一流選手としての成績以上に彼の人生への姿勢がいいらしい。…なるほど。
私は根っからのアンチ巨人なので、長嶋サンも松井クンも嫌いではないが、国民栄誉賞を師弟でもらえてよかったよなあくらいの感想である。それより、中村ノリ選手の(日本での)2000本安打達成が嬉しい。ドジャーズに行って芽が出ず、傷心で帰国してから、自由契約やテスト入団という地獄の底から這い上がって、ついに2000本安打である。もちろん、天才の名をほしいままにした長嶋サンも松井クンも様々な苦難を乗り越えての受賞であることは知っている。単に比較してどうのこうのという気はないのだが、私の中では中村ノリ選手の方が嬉しい、ということだ。
人生イロイロ、島倉千代子である。(笑)
2013年5月6日月曜日
2013年5月5日日曜日
バルバロイという概念について
![]() |
バルバロイ |
英語を話す人が近くにいたとしても、日本の学校教育のおかげであまり違和感を感じない。聞いたことがあるし、単語も全然わからないということもないからだ。まあ、外国人だとすぐ認識可能だが…。私は一応、仏語や独語、スペイン語、ロシア語、それに中国語・ハングルくらいなら、ああこの言語をしゃべっているなという経験知を持っている。
ところが、聞いたこともない言語があふれる空間もある。それは、NYCである。ランドマークのエンパイアステートビルのエレベータでは、狭い密室に各国語が乱れ飛ぶ。(笑)世界中からお上りさんが大集合している。私は耳を澄ましたのだが、さっぱりわからなかった。うーん、バルバロイ。もう1か所は、自由の女神の建っているリバティ島に行く船の中である。ここにも世界中からお上りさんが大集合していて、女神の姿が見えた瞬間、みんなが叫びだす。ここでもバルバロイ。だが、みんな日本製のカメラやビデオを持っているのが凄い。私はここで初めて日本人として、「MADE IN JAPAN」の優秀さを褒められた。(ちなみに、ケニアでもフランクフルトでも褒められたことがある。)私とは全く関係ないのだが、ちょっと嬉しい。(笑)
また、東洋人というのは見た目ではわからない。様々な場所でしゃべるまで何人かわからなかったという経験がある。ちょっと気まずい。(笑)南アのバックパッカーズ(安宿)では、韓国人、中国系のカリフォルニア在住の米人、そして日本人に会ったが、最初は英語で、探りを入れる。(笑)私自身も、日本の女子大生たちに謎の東洋人扱いをされたことがある。これもNYCだ。セントラルパークのベンチで、喫煙していたら、前のベンチに京都から来た3人が座った。ハンバーガーを食べながら、次に行く場所の相談をしていた。「どう行けばいいのか、あの東洋人に聞いてみよう。」ということになったようだ。大阪弁で答えたらびっくりしていた。(笑)
たしかにコトバが民族の中心概念になっていると私も経験的に思う。生徒たちにも、同じような経験を世界各地でして欲しいな。授業でそんな注文をしたのだった。
2013年5月4日土曜日
「謎の独立国家ソマリランド」#2
![]() |
khat |
まず、ソマリ人という存在である。旧イギリス領のソマリランドは、まさに遊牧民の世界である。産業らしい産業もなく、エリトリアの独立で内陸国となってしまったエチオピアの外港としてベルベラがあるくらいである。ここの人々は、氏族の長老の和解によって、武装解除され平和になっている。彼らは、かなり単刀直入な性格で、エゴイストである。思考と行動が極端なまでに早い。イネやムギが育つのを辛抱強く待つ農民と違い、半砂漠に暮らす遊牧民は乏しい草や水が今どこにあるのか、瞬時に判断して家畜を連れて移動しなければならない。基本的に1人か1家族で動くから、自分が主張しなければ誰も守ってくれない。-遊牧民は荒っぽくなければ生きていけない。速くなければ生きていいる資格がない-という感じなのだ。著者の描くソマリ人、とくにソマリランドの人々の生きざまには恐れ入る。(ただし、後半部で南部の今も戦乱続く首都モガディショのソマリ人は、都人(ミヤコビト)であり配慮あふれる非遊牧民的な資質を持っている。)
また何度もカートの話が出てくる。カートとは、酒が禁止されているイスラム圏の中でソマリア以外にもイエメンやケニア、エチオピアなどで食される麻薬性覚せい性のある茶の葉っぱである。著者は、ソマリ人の探究のためにカートを食べまくる。ラクダの乳などとともに食するのだが、かなり幸福感や高揚感が出るらしい。禁止しているイスラム国もあるらしいが、ソマリアではフツーの光景である。どういう世界なのか、想像力をかきたてられる。
ところで、この本では、ソマリア全体の氏族の話がかなり出てくる。著者は、あくまで記号としてだが、日本の藤原氏や源氏、平氏などといった名称を氏族名に付加している。たとえば「イサック奥州藤原氏」「ハウイエ源氏」というふうだ。最初はかなり違和感があったのだが、結局理解しやすかったと思う。学術書なら絶対こういう真似はできまいと思う。この(日本の氏族名を付加するという)記号のおかげで、ソマリアの氏族というものがおぼろげながら解ってくる。
前半部では、ソマリランドを中心に、後半部では海賊騒動を主におこしているアフリカの角の部分にあたるブントランド、そして首都があり今も戦闘が続く南部について書かれている。最後にまたソマリランドに戻り、例の武装解除の謎が完全に解き明かされていく。そういう構成になっている。
とても1回や2回のエントリーでは書評らしきものは書けそうもない。第2回目のエントリー、読後感として残った4つの柱。まずはここまで。
2013年5月3日金曜日
叢裏鳴虫Ⅷ
憲法記念日である。今年の憲法記念日ほど、現実問題として憲法が様々なところで論議されたことはないのではないか、と思う。96条の改正については毎日新聞の世論調査では賛成42%、反対46%だという。賛成派が、9条を変えたいと考えていることは間違いない。
私は、正直なところはっきりした結論を持たない。社会科教師として、当然ながら憲法を講ずる機会もあるのだが、自分の意見を言わないことが美徳だと考えているので、無意識にエポケー(判断停止)しているのかもしれない。だが、日本国憲法がいかに作られたかという歴史的事実はちゃんと教えなくてはならないと思っている。
日本国憲法は、米国の占領政策に大きく左右されたものであることは事実である。憲法を急いで米国が作ったことと、東京裁判における天皇の責任問題(天皇制の存続・国体の問題)は大きな関連がある。マッカーサーは、(昭和天皇の人柄にうたれたこともあると思うが)プラグマティックに、天皇制を存続させることが米国にとって最も重要だと判断した。一刻も早く、象徴天皇制を謳いあげた憲法の成立が、そのカギとなったわけだ。このため、当時のGHQで勢力の強かったどちらかといえば、左派のニューディーラーたちを総動員してこの憲法は作られた。同時に、制裁的な意味を込めて「戦争放棄」「陸海空軍とその他の戦力(海兵隊)を保持しない」と謳ったわけだ。ところが、この9条は朝鮮戦争という、スターリンの毛沢東主義の中華人民共和国への面当てで起こった朝鮮戦争というイレギュラーで、実質的な効力を失う。警察予備隊に始まる自衛隊は、日本が西側の一員として捉えられ、必要不可欠な軍隊にならざるを得なかったとしか言いようがない。ところが、この自衛隊の立場を逆手にとったのが、吉田茂から始まる自民党政権で、アメリカの核の傘に隠れ、厳しい東西冷戦下を、実に安価な国防費だけで乗り切ることに成功し、日本は高度経済成長を遂げれたわけだ。
60年を経た今、様々な問題点が指摘されている。特にこの憲法が自主的に制定した憲法でないことである。この最大のデメリットは、日本の民主主義が、欧米のように,人民が自由を獲得する過程で生まれていないこと。したがって、日本国民は自由を享受することが当然だと勘違いしていること。そのことが、人権意識(権利)だけが独り歩きして、自己の責任をあいまい化し、故に、義務を果たさない自分勝手な社会となり、様々な問題が生まれていると私は思う。さらに、憲法9条も、玉虫色で対応してきたがために、危機管理上の様々な矛盾が生まれていることも、当然指摘されるところだと思う。自衛隊を国防軍という名に変えたところで、日本が好戦的な国になると思わない。いつ生徒に聞いても、戦争などにいきたくないという返事が返ってくる。平和主義は、完全に日本の国是となっている。ただし、教育に権力が介入してくることで、これが覆される可能性は、いまの管理強化を肌身で感じる私としては絶対にないとは言えないという危惧を持つ。
中国や韓国などの指摘する歴史問題は、最大の論点はA級戦犯の合祀である。A級戦犯の合祀された靖国神社には、合祀以後、昭和天皇も今上天皇も参拝されていない。A級戦犯には、たしかに何故?と思われる人物も含まれているが、中国・韓国の指摘は筋が通っている。自国内の問題だと言うのは感情的に理解できても、理論上は国際問題と化する可能性は否定してはならない。こっそりと合祀してしまった松平春嶽の末裔(その時の宮司)は、とんでもないことをしたもんだと私は思っている。
こう書くと、改憲論者のように見えるが、私はことさら変えなくてもよいとも思うのだ。もし、改憲するというのなら、9条をはじめとした問題点を正面から論じあうべきだ。この改憲は、ある意味、米国からの乖離、あるいは真の独立という想いをはらんでいる。96条を変えて、安易に改憲可能にするのには、賛成できない。朝令暮改で、品のない、民意というドグマを乱用する今の政治家が信用できないから、というのが最大の理由となるかもしれない。
私は、正直なところはっきりした結論を持たない。社会科教師として、当然ながら憲法を講ずる機会もあるのだが、自分の意見を言わないことが美徳だと考えているので、無意識にエポケー(判断停止)しているのかもしれない。だが、日本国憲法がいかに作られたかという歴史的事実はちゃんと教えなくてはならないと思っている。
日本国憲法は、米国の占領政策に大きく左右されたものであることは事実である。憲法を急いで米国が作ったことと、東京裁判における天皇の責任問題(天皇制の存続・国体の問題)は大きな関連がある。マッカーサーは、(昭和天皇の人柄にうたれたこともあると思うが)プラグマティックに、天皇制を存続させることが米国にとって最も重要だと判断した。一刻も早く、象徴天皇制を謳いあげた憲法の成立が、そのカギとなったわけだ。このため、当時のGHQで勢力の強かったどちらかといえば、左派のニューディーラーたちを総動員してこの憲法は作られた。同時に、制裁的な意味を込めて「戦争放棄」「陸海空軍とその他の戦力(海兵隊)を保持しない」と謳ったわけだ。ところが、この9条は朝鮮戦争という、スターリンの毛沢東主義の中華人民共和国への面当てで起こった朝鮮戦争というイレギュラーで、実質的な効力を失う。警察予備隊に始まる自衛隊は、日本が西側の一員として捉えられ、必要不可欠な軍隊にならざるを得なかったとしか言いようがない。ところが、この自衛隊の立場を逆手にとったのが、吉田茂から始まる自民党政権で、アメリカの核の傘に隠れ、厳しい東西冷戦下を、実に安価な国防費だけで乗り切ることに成功し、日本は高度経済成長を遂げれたわけだ。
60年を経た今、様々な問題点が指摘されている。特にこの憲法が自主的に制定した憲法でないことである。この最大のデメリットは、日本の民主主義が、欧米のように,人民が自由を獲得する過程で生まれていないこと。したがって、日本国民は自由を享受することが当然だと勘違いしていること。そのことが、人権意識(権利)だけが独り歩きして、自己の責任をあいまい化し、故に、義務を果たさない自分勝手な社会となり、様々な問題が生まれていると私は思う。さらに、憲法9条も、玉虫色で対応してきたがために、危機管理上の様々な矛盾が生まれていることも、当然指摘されるところだと思う。自衛隊を国防軍という名に変えたところで、日本が好戦的な国になると思わない。いつ生徒に聞いても、戦争などにいきたくないという返事が返ってくる。平和主義は、完全に日本の国是となっている。ただし、教育に権力が介入してくることで、これが覆される可能性は、いまの管理強化を肌身で感じる私としては絶対にないとは言えないという危惧を持つ。
中国や韓国などの指摘する歴史問題は、最大の論点はA級戦犯の合祀である。A級戦犯の合祀された靖国神社には、合祀以後、昭和天皇も今上天皇も参拝されていない。A級戦犯には、たしかに何故?と思われる人物も含まれているが、中国・韓国の指摘は筋が通っている。自国内の問題だと言うのは感情的に理解できても、理論上は国際問題と化する可能性は否定してはならない。こっそりと合祀してしまった松平春嶽の末裔(その時の宮司)は、とんでもないことをしたもんだと私は思っている。
こう書くと、改憲論者のように見えるが、私はことさら変えなくてもよいとも思うのだ。もし、改憲するというのなら、9条をはじめとした問題点を正面から論じあうべきだ。この改憲は、ある意味、米国からの乖離、あるいは真の独立という想いをはらんでいる。96条を変えて、安易に改憲可能にするのには、賛成できない。朝令暮改で、品のない、民意というドグマを乱用する今の政治家が信用できないから、というのが最大の理由となるかもしれない。
超大河原邦男展を見に行く。
今週の月曜日に、JR灘駅山側の横尾忠則現代美術館に行ったのだが、今日は海側の兵庫県立美術館に行ってきた。超大河原邦男展。ガンダムなどのメカデザインを担当した人の展覧会である。正直なところ、私は世代がずれていて、あまり属性がない。妻が、いつも家族づきあいをしているH城鍼灸院の子どもたちが大好きなので、連れていってあげようということになったのだ。(凄いことに中学生以下は入館料は無料だった。3人も連れて行ったので大いに助かった。笑)
属性はないといっても、少しは知っている。ザクもドムも嫌いではないぞ。(笑)私自身はそれなりに楽しんだ。当然子どもたちは超ハイテンションであった。(笑)私も、実物大のモビルスーツ彫刻には「おおっ」という感じ。この作品、装甲騎兵ボトムスというアニメ作品のスコープドッグ ブルーティッシュ カスタムというらしい。顔がレンズになっていてカッコイイ。年甲斐もなくこのプラモを作りたくなったぞ。(笑)
さらに、海岸で弁当を食べてから、JR新長田駅まで行って、鉄人28号を見に行ったのだった。この鉄人28号は、完全に私の世代のモノである。先の阪神淡路大震災で最も被害の大きかった長田区の復興のシンボルとして、見事なランドマークである。でかい。ほんとにでかい。すばらしい。子どもたちも大喜びであった。
この鉄人28号は、モビルスーツではない。正太郎という少年がリモコン(無線)で、操るのだ。だから時に悪人にリモコンが奪われたりすることもあり、大変な事になるわけだ。その辺、時代を感じるよなあ。
「♪夜の街にガオー」などという主題歌が浮かんでは消えた「ロボットな1日」であった。
属性はないといっても、少しは知っている。ザクもドムも嫌いではないぞ。(笑)私自身はそれなりに楽しんだ。当然子どもたちは超ハイテンションであった。(笑)私も、実物大のモビルスーツ彫刻には「おおっ」という感じ。この作品、装甲騎兵ボトムスというアニメ作品のスコープドッグ ブルーティッシュ カスタムというらしい。顔がレンズになっていてカッコイイ。年甲斐もなくこのプラモを作りたくなったぞ。(笑)
さらに、海岸で弁当を食べてから、JR新長田駅まで行って、鉄人28号を見に行ったのだった。この鉄人28号は、完全に私の世代のモノである。先の阪神淡路大震災で最も被害の大きかった長田区の復興のシンボルとして、見事なランドマークである。でかい。ほんとにでかい。すばらしい。子どもたちも大喜びであった。
この鉄人28号は、モビルスーツではない。正太郎という少年がリモコン(無線)で、操るのだ。だから時に悪人にリモコンが奪われたりすることもあり、大変な事になるわけだ。その辺、時代を感じるよなあ。
「♪夜の街にガオー」などという主題歌が浮かんでは消えた「ロボットな1日」であった。
2013年5月2日木曜日
アフリカSDゲーム報告 その3
いよいよアフリカSDゲームも、準備段階を終え、本番に突入した。今日は普通科で第1回目のセクションを行った。今回は、生徒たちが、選んだエントリー国の独自の政策と、その政策を含めた9つの政策の優先順位についてまず報告しておこうと思う。
各国別の政策は、外務省のODAのHPからの各国別資料を要約したものを用意した。本校のフツーの生徒の参考資料としてはある程度精選が必要だった。しかし、生徒もなかなかやるものである。あまり詳しく教えていなのだが、いいところを突いてきた。ウガンダは、真っ二つに方向性が分かれた。北部の内戦をまずなんとかしようとする普通科。現在頑張っている科学技術を伸ばそうという武道科・体育科。同じエントリー国でも発想が違う。また普通科のザンビアも、武道科・体育科のザンビアも両方とも『地方分権』を選択した。資料には、ザンビアはサブサハラの途上国の中でも、かなり発展が進んでいるという資料に即したもので、なかなかいいところに目を付けている。その他、様々な視点から、彼らなりに話し合い、選択したようだ。
ただの興味づけのアクティビティにはしたくないし、ガンガンに講義して規定化されたようなアクティビティにもしたくない。私の想いは、どうやら成功したような気がする。
一方、この各国別の政策を入れて、共通の8政策群も合わせ、優先順位を考えてもらった。整合性のあるもの、あまり感じられないもの、いろいろだ。正解は当然ないのだが、もし、私が総括的に講義したら、「教育」と「保健医療」は、絶対的な上位に位置したはずだ。この辺のずれも、なかなか面白いのだ。学びは、ゲームを通じて順々に得てもらおうと思っている次第。次回は、ゲームの進め方について述べたいと思う。
各国別の政策は、外務省のODAのHPからの各国別資料を要約したものを用意した。本校のフツーの生徒の参考資料としてはある程度精選が必要だった。しかし、生徒もなかなかやるものである。あまり詳しく教えていなのだが、いいところを突いてきた。ウガンダは、真っ二つに方向性が分かれた。北部の内戦をまずなんとかしようとする普通科。現在頑張っている科学技術を伸ばそうという武道科・体育科。同じエントリー国でも発想が違う。また普通科のザンビアも、武道科・体育科のザンビアも両方とも『地方分権』を選択した。資料には、ザンビアはサブサハラの途上国の中でも、かなり発展が進んでいるという資料に即したもので、なかなかいいところに目を付けている。その他、様々な視点から、彼らなりに話し合い、選択したようだ。
ただの興味づけのアクティビティにはしたくないし、ガンガンに講義して規定化されたようなアクティビティにもしたくない。私の想いは、どうやら成功したような気がする。
一方、この各国別の政策を入れて、共通の8政策群も合わせ、優先順位を考えてもらった。整合性のあるもの、あまり感じられないもの、いろいろだ。正解は当然ないのだが、もし、私が総括的に講義したら、「教育」と「保健医療」は、絶対的な上位に位置したはずだ。この辺のずれも、なかなか面白いのだ。学びは、ゲームを通じて順々に得てもらおうと思っている次第。次回は、ゲームの進め方について述べたいと思う。
2013年5月1日水曜日
ナイロビの焼きそば
![]() |
ナイロビの日本食レストラン『東京』 |
ところで、そこの冷麺が、真っ黒な麺だったのだ。なかなか美味だったのだが、私は突然ナイロビの日本料理店を思い出したのだ。
JICAの教師研修で訪れたケニア初日。夕食はなんと豪勢な日本料理店だった。JICAの現地スタッフによると、外務省やJICA御用達の高級店。ただし、シェフは韓国の人らしい。宴も終わりの頃、メニューを見て、ある先生が追加で「焼きそば」を頼んだのだった。そして、お出ましになったのが、いわゆる黒い蕎麦を焼いたものだったのだ。「ゲッ。」大阪人軍団は口が悪い。当然「なんやねん、コレ。」となったのだった。食道楽の地から来た人間にとっては、食べれるようなシロモノではなかったのだった。アメリカはまだマシだが、エレサレムでも、とんでもない日本料理に出会った。しかし、このナイロビの焼きそばは”MOSTとんでもない日本料理”だったと私は思う。
口の悪い大阪人を代表して、私はこう論評したのだった。(実はこのレストラン、「東京」という名前である)「名前変えたほうがええなあ。最後に『城』を入れて三文字にした方がええで。」
…と、かなり辛辣に韓国人シェフの「非日本料理」を批判したのだった。その意味を理解した年配の大阪人・K先生が大笑いしたことをよく覚えている。
*最近の若い人々は、『京城』と書いてソウルと読むことが、まずない。帝国書院の地図帳でもカタカナ表記になっている。そのことを知らないと、全くわからない話である。…『東京城』では、今も、黒い蕎麦の焼きそばをだしているのだろうか。
登録:
投稿 (Atom)