2010年8月8日日曜日

ケニアの憲法改正・国民投票

 毎日新聞によると、ケニアで憲法改正の国民投票が行われ、大統領権限などが縮小されるようである。以下WEBでの記事。

ケニアで実施された新憲法制定の是非を問う国民投票で、同国選管は5日、賛成が過半数に達したことを受け、新憲法案の承認を宣言した。ケニアは07年末の大統領選で部族間対立を生み、1000人以上が犠牲になった暴動以降、国際社会から安定化を切望されており、民主化促進に向けたステップとなりそうだ。 英植民地支配からの独立後の63年12月に公布された現行憲法は、繰り返しの改正の末に大統領の権限が拡大、批判が相次いでいた。新憲法は、国会を2院制に改編し、大統領権限への監査機能を導入。地方分権の強化や市民権の拡大が盛り込まれている。 選管によると、国民投票は5日夜時点で賛成約67%、反対約30%で、「承認要件を満たした」とした。有権者は約1240万人、投票率は約71%だった。
新憲法承認を受け、キバキ大統領は「新憲法は新たな発展につながる。国民が団結して新たな国家づくりを始めよう」と演説した。 新憲法制定への国民投票実施は08年2月、安定化に向けて旧与野党間で交わされた連立政権の合意事項に盛り込まれていた。 <画像は大統領選の時の画像だと思われる。>

アフリカの開発経済学をかじっていて、いつも最終的に落ち着くのは、ガバナンスの悪さである。私が初めて足を踏み入れたアフリカであるケニアは、ブルキナやジンバブエから見ると、はるかにHDIが高く、インフラの整備が進んでいるわけだが、前回の大統領選では、見事にポール・コリアーの『デモクレイジー』(1月28日付ブログ参照)を実現させた。今回の憲法改正は、その後始末だといっていい。
私の会ったケニアの人々は、素朴で従順な人々が多かった。あの混乱の中からケニアが再生することを心から願うとともに、西部や北部の乾燥地帯の干ばつに早く手をうってほしいものだ。

ところで、ガバナンスの悪さはなにもアフリカだけのことではない。最近の日本を見ていると、自分の足元に火がついているような気になるのである。

2010年8月7日土曜日

マグナム44と抵抗権


昔、世界の殺人首都と呼ばれたデトロイト。<本日の画像はミシガン州・デトロイトのダウンタウン。>そこで私は銃を撃った経験がある。 今日の倫理補習で、そんな”滑らない話”をした。
今日の予定は、ルネサンスから近世・近代の西洋哲学史である。またまた4コマ・6時間。ベーコン・デカルトからヘーゲルまで。(5月8日付の長ーいブログで、内容については記しているので今日は割愛。)それにプラスして、社会契約論のホッブズ・ロック・ルソーと功利主義のベンサムとJ.S.ミルをやった。銃の話は、最後の1コマ、ロックの説明の時にで登場する。ロックは、ホッブズのように自然状態を『万人の万人に対する戦い』といった北斗の拳と捉えていない。むしろ、理性的で平和な状態だという。ただし、自由や権力を国家に預けていることは同じである。で、ロックは言う。もし、自らの自然権を侵されるようなことがあれば、国民は、抵抗し、あるいは革命を起こす権利がある。

昔々…デトロイトにサムさんという在日経験20年のおっさんがいました。彼は銃が大好きで、現地ガイドをしながらも時々銃を撃っています。そこに日本からのゲストがやってきました。彼らは銃を撃ってみたいと言う。サムさんは急いで手配しました。ダウンタウンの銃刀店の地下の射撃場です。リボルバーとオートマチック、そしてマグナム44が用意されました。暴発して死んでもOKという書類にサインし、ゴーグルと防音のためのヘッドフォンをつけて、さあ射撃です。元気いっぱいのおっちゃんがマグナム44を手にとりました。そしておもむろにトリガーを引くと…。なんと眼前が真っ赤になったのです。ダーティ・ハリーではそんなシーンはありませんが、現実には火薬の爆発の威力は凄いものでした。私もたいがい驚きました。マグナム44を私は撃つのをやめ、普通のリボルバーにしました。案外射撃の才能があることを知りました。のび太君くらいはうまいみたいです。
さてさて、帰りのバンの中、あるご婦人が質問しました。「なあ、サムさん。アメリカは銃が多いやろ。そのおかげで犯罪も多いやんかあ。なんで銃が自由なん?」さて、その返答やいかに?

生徒諸君の答えは、「自分の身を守るため」というのが圧倒的に多い。想定内である。私もそう思っていた。しかし、サムさんの答えはこうだった。「もし、州政府や連邦政府が、私の自由を侵害しようとしたときに、銃がなければ戦えないじゃないですか。」というものだった。凄い。…抵抗権。私はその時、鳥肌が立った。アメリカ人は、自分の自由を銃で勝ち取った。その権利を一部州や連邦政府に委任している。しかし一度その自由を侵されたら、立ちあがる気慨を持っているのである。アメリカ人にとって、自由というのは勝ち取るものであって、与えられるものではない。

ホントは、さらに日本人の甘い自由観について語りたかったが、さすがに4コマ目。疲れた。また機会があれば話すつもりである。さて、こうしてみれば、ロックの抵抗権…十分わかりやすいと思うのだが…。

2010年8月6日金曜日

8校合同仮想世界ゲームⅣ

 ところで、仮想世界ゲームの実施報告書はほぼ完成した。今日は自宅のプリンターで、参加生徒全員のふりかえりをスキャンしていた。PDFで保存するつもりがJPGになっていた。…まあいいか。実施報告書をまとめていて、思った事がある。今回の仮想世界ゲームの基本ポリシーは、初めて出会う他校生とプレイすることで、しがらみを断ち、個人として主体的に取り組んでもらうことであった。確かに、個人として動いていたようだ。ただ、農園主などが、かなり高値で食料チケットをバラバラで売っていたので、市場価格がなかなか安定しなかった。大学生なら、常識的に食料チケットより労働チケットの方が価格が高くなると判断するだろうが、それさえ危うかった。今回の8校の偏差値はかなり高いと言ってよいだろう。ただし、1年生・2年生も多く含まれているので、そのあたり”高校生”なのである。
 
 ”高校生”だから、もうすこしこのゲームの最大の良さだと私が思っている可塑性を減退させても、ESD的なベクトルを持たせるべきではないか。というのが、先日のU先生との討論の眼目である。私は昨日も箕面の温泉につかりながら、そのことをずっと考えていた。なにも、この大学生向けの社会心理学の葛藤を生むゲームを”高校生”がきちんとやりとげれなくともいいのである。”高校生”らしいゲームを新たに創造すべき段階に来ているのかもしれない。

2010年8月5日木曜日

箕面を味わいつくす

みんなで守ろう緑の箕面  昨日から、箕面に行っていた。福利厚生のポイント(私はくわしく解らない。)で、妻が箕面観光ホテル一泊を申し込んでいたのだった。まあ、夏季休を使って妻が満足するのであれば、何処だっていいので愛車で1時間ほどかけて行ってきた。”箕面”といえば、70年代関西フォークの雄、加川良の「南行きハイウェイ」というアルバムにあるムチャ長い歌『ホームシックブルース』である。この中に「みんなで守ろう緑の箕面」というフレーズがある。私と妻は、このフレーズをすぐに連想した。だから、箕面に行くといえば、緑あふれる国定公園の”箕面の滝”である。小学校の遠足以来である。ここには猿もいて、弁当を食べる時には緊張したもんであった。しかし、今は猿は野生に帰り、いなかったし、滝はあんなに下の方にあるとは思わなかった。駐車場からだいぶ下ったので、登りが大変だった。汗でTシャツがグダグダになった。

箕面ふれあい街歩き  せっかくだから、箕面の街をブラブラ歩くことにした。NHKの世界ふれあい街歩きのイメージである。といっても暑いし、発見したのは「ロボットの米屋さん」という意味不明の店くらいで、ふれあいはほとんどなかった。まあ当たり前である。結局商店街でぶっかけうどんを食べてから、ホテルに向かった。箕面にはスパーガーデンという巨大な浴場があって、プールもボウリング場もあった。小学生時代はあこがれのリゾート地であったのだが…。 <拡大すると、ロボットがよく見えますよぉ。>


大阪のダウンタウンを一望する  観光ホテルでは、8階の一番奥の「喫煙室」に宿泊した。喫煙者をよくもまあこんな奥の奥に泊めるもんだ。かなりむかついたのだが、展望は最高である。大阪の東側・生駒山から見たことはあるが、北側から見るのははじめてかもしれない。それに、大阪にこんなに高層ビルが建っていたとは驚きである。目をこらすと、大阪ドームや南港のけったいなゴミ焼却場の煙突まで見える。下には、阪急電車の箕面駅があり大阪空港を発着する飛行機も良く見える。なかなか見ていてあきない。ベランダに佇み、夜景も楽しんだ。そうそう、ここのホテルの大浴場もお湯がトロトロでよかったし、夕食の懐石料理も美味であった。<これは今朝撮影したもの。拡大すると、これまたよく見えます。>

大衆演劇のディープな世界  今日は、例のホテルの隣のスパーガーデンに行ってみた。(フロントに招待券をもらっていたのだった。)小学校の頃のあこがれのリゾートは、かなり老朽化しており、スーパー銭湯などと比べ、かなり見劣りする大浴場だった。こんなだったかな…?と寂しくなる。しかしさすがは緑の箕面である。なぜか大浴場にクワガタムシがいたり、露天風呂にムカデがでたり。(ムカデはおっちゃんたちが湯で流し、見事に事なきを得た。)

 で、風呂からあがって、さて帰ろうかと思ったら、大衆演劇の美川麗士というのが来ているらしい。まさか無料で見れるとは思わなかった。(予約席という名のかぶりつきは500円だった。結構埋まっていた。10人くらい?)舞台の前は、広いイベントホールとなっていて、周囲に店が立ち並んでいる。和洋定食、たこやき、喫茶、おでん、ぎょうざ、ソフトクリームなんでも売っている。決して暴利をむさぼる価格ではない。ほんのちょっと高いかな、でもええやんか…くらいの値段である。風呂上がりのじいちゃん・ばあちゃんはきっとビールとなんか食うぞ。絶対。わが夫婦も結局、妻が焼そば(500円)を食べ、明石焼き(400円)を二人で食べ、中休みにおでん6品(計660円)を食べた。しかも、ここの店のスタッフは、席(番号のついた6人くらい座れる円卓テーブルである)まで、出前してくれる。カネを落とすように出来ている。感心しきりである。肝心の大衆演劇の中身の方もよかった。『俺は用心棒』という題の演劇は、まさに義理人情をコンセプトに、笑いあり、涙あり、剣劇あり。B級好きの私は、またまた期待していなかった分、十分に楽しんだ。歌謡ショーの最後まで見てしまった。(笑)この大衆演劇の世界、文化人類学的にも、社会学的にも、経営学的にもかなりの濃い研究アイテムと見た。私はやる気は無いけど…。なんかハマっている方々の気持ちもわからいではないと思った次第。妻と今度は『大西ユカリと新世界』を見に行こうかという話になった。昨日は、ブログをお休みしたけど、まあ箕面を味わいつくした2日間だったかなと思うのである。 

2010年8月3日火曜日

春一番に誘われモスクを想う


 今年は倫理の補習を土曜日に集中講義でやっているので、今日はその振替休日であった。こういう日は例によってH鍼灸院に行く。愛車のMDは、久しぶりに西岡恭造であった。『春一番』…。妻のお気に入りの曲であり、昨夏はこのMDを良く聞いた。この曲を聞いていて、ああ1年前はブルキナファソにいたんだと、ちょっと感傷的になった。サヘルへの旅。この曲が私の脳裏でずっとかかっていた。
 と、いうわけで今日のブログは、ブルキナのBANIという村の、モスクについて書きたい。ブルキナに行く前、私は「世界遺産の中で、どこに行きたいか?」と問われれば、「マリのジュンネのモスク」と即座に答えてきた。日干しレンガと泥で補修された西アフリカ独特のモスクである。ところが、一回り小さいかもしれないが、ブルキナにもよく似たモスクがあったのである。全く期待していなかったのでムチャ感激した。
 ストロングな太陽の下(もと)、人気(ひとけ)のないモスクを案内してもらった。(同行メンバーは4月14日付ブログ参照。)素晴らしいモスクだった。以下私の紀行文「ブルキナファソ留魂録」からの引用。
 
 車を降りた瞬間、うぉっー!という感じの暑さだった。日本の太陽とは別物の真っ赤な太陽である。美空ひばりが、もしこの砂漠の太陽の下なら、『恋の季節なの~』などと気楽に歌えないだろうと私は思った。(ギャグがかなり古くて生徒には使えそうもない。)これが、砂漠の太陽である。
砂地をサンダルで進む。干乾びた村の壁は、日干し煉瓦。触ってみる。書物上の知識では判らない。実感が大切だ。まさに「百聞は一見に如かず」である。モスクは、素晴らしいものだった。村のモスクだとは到底思えない。ミナレットの高さは、40mもあるという。村のガイド氏が、モスクの中に異教徒である私を誘ってくれる。もちろん、素足が基本だが、サンダルを脱いで、靴下はそのままでいいとのこと。モスク内は砂地だった。思い出したように開いている窓の光だけが、モスク内の明かりである。灼熱の外に対して中は思いのほか涼しい。ガイド氏は、ミフラーブの撮影も許可してくれた。その後、真っ暗な階段室を上り、屋上に連れ出してくれた。真っ青な空。土色のモスク。そして砂漠の太陽。ガイド氏とオマーンの通訳によると、このモスク はいくつもの棟やミナレットがあり、上空から見ると、祈りの形になっているのだという。キブラの方向を見ると、なるほど右手・左手というふうに別のミナレットが遠望できるのである。なかなかのものである。さすがジュンネのモスクには、大きさではおよばないが、どうしてどうして立派なアフリカン・モスクである。

 遠望のできる岩山からの帰路、あることに気がついた。このモスクの「礼拝用個人絨毯」は、なんと羊やヤギの皮だったのである。…砂地に家畜の皮を轢いて礼拝するのである。最後に一つだけ質問した。
「女性の席はどこか?」天井はむちゃくちゃ高いこのモスクだが、作りは平屋である。私が生徒をよく連れて行く神戸のモスクは2階席が女性用となっている。それで聞いたのだが、「後ろの3列までが、女性用だ。」というのが回答だった。なるほど左右に分かれて礼拝するのではなく、前後に分けるのか。案外、想定内の回答であった。(女性蔑視であると即断するのは、異文化理解を妨げるのである。)車に乗り込むとき、何かおかしい。さっき岩山に上った時、サンダルの足首に固定するところが切れてしまったのだ。歩くのに支障はないが、ナイロビの想いがつまったサンダルである。なんと、モスクの視察で、「諸行無常・諸法無我」を感じることとなったのであった。

 壊れたサンダルは、2月15日付ブログ”ナイロビの水虫”で、靴が履けなくなった私がナイロビのBataで買ったものである。以来、海外に出る時愛用していた。<今日の画像は当然BANI村のモスク/CanonEFで撮影したものである。>嗚呼。アフリカ…行きたいなあ。

2010年8月2日月曜日

Right! Right! Right!


 Right…今日のブログのテーマは「右」である。先週『聖書の名画はなぜこんなに面白いのか』(井出洋一郎/中経の文庫)を読んでいて、なるほど!と手を打った。この本は、タイトルの如く、旧約聖書(すなわちユダヤ教典としての)ならびに新約聖書の記載事項を西洋美術を鑑賞する上で必要な基礎知識としてコンパクトにまとめた文庫本である。今年はもう現代社会でヘブライズムをやってしまった。それが残念だと思うくらいの『授業の種』であった。
 さて、上記の絵を見ていただきたい。ルーブル美術館にある『キリストの磔刑』という絵である。見事に右と左が善と悪に区別されている。キリストの右側は、ヨハネ(聖母マリアのことをイエスに託されたヨハネ)が祈り、聖母マリアが悲しみ、他のマリアが聖母を支えている。左が悪で、ローマの隊長や兵士が、イエスの服を誰のものにするかルーレットでくじを引いている。共に磔になった泥棒も右の者は正面を向いてキリストを正視しているのに、左はそっぽを向いている。しかも右の泥棒には日が当っているのに、左は山影で暗くなっている。
 そう、英語の右、Rightの語源は、文字通り『正しい』なのである。あまりの単純な言霊に私は驚いたのであった。知っているようで知らない話。所詮私も”先生”などと言われていても無知の知なのである。やはり”先生”と呼ばれるのは30年やっても恥ずかしいし、”傲慢”の危険な匂いがする。…と、自戒するのであった。

2010年8月1日日曜日

朝からfromマダガスカル


昨日は、倫理の補習で疲れているのに、アホみたいに長いブログを書いていた。さすがに今日はゆっくり寝た。といっても起きたのは7時である。まあ5時台に起きるいつもよりは寝坊したのだが…。何気なくTVをつけて思い出した。”ペンギンズ”を教育テレビでやっている。久しぶりに見た。東京での国際理解教育学会の時安ホテルで見て以来である。別に大笑いするわけではないが、この”ペンギンズfromマダガスカル”、私は好きである。なんとなく大げさなスパイ大作戦風の隊長を中心にドラマが展開される。本来の映画のマダガスカルでも不思議なキャラクターだったペンギンズ。脇役がこういう形でスポットを浴びると言うのもいい。
 結局、睡眠不足で昼間、我が家にしては珍しくクーラーをつけて夫婦そろって昼寝したのである。妻も最近胃が痛くなったり、腰が痛くなったり、不眠症ぎみだったりと体調がすぐれない。ますますH鍼灸院のお世話になる我が家なのである。今日は、脳天に一発鍼が入った。まるで、”グリーン・マイル”の映画のように病気の邪気が出た感じ。と、いうわけで明日からの仕事に備える日曜日なのであった。