2025年10月31日金曜日

教材研究 フランスの政教分離

https://www.kyoto-su.ac.jp/faculty/ir/2023_lir_124/
フランスの国是は、かの有名なフランス革命の「自由・平等・博愛(友愛)」であり、その後の7月革命、2月革命と、ヨーロッパにおける歴史的意義は大きい。だが、私が注目したいのは、「政教分離」(ライシテ)である。

フランスの元となったフランク王国において、ピピンの寄進、カール大帝の戴冠とローマ・カトリックとの関わりが大きいわけだが、14世紀に大シスマを起こし、ローマ教皇庁を圧迫することになる。教皇庁の権威に対し、王権の優位を示そうとしたわけだ。こういう思想をガリカリズムというのだが、宗教改革のきっかけとなった「贖宥状」のときも、フランス国内での販売医を拒否している。フランス革命前夜のアンシャン・レジームでは、国王がトップで、その下の第一身分に聖職者が置かれている。まあ第二身分の貴族よりは上だが、カトリック教会は国王の下に置かれていたことは間違いがない。

フランス革命は、この国王+カトリックの権威を完全に崩壊させた。ナポレオン三世の第二帝政が普仏戦争の敗北で終わった後、第三共和制となった1905年に政教分離法(=ライシテ法)が成立し、国家の世俗化=中立化が明確化した。この政教分離は、英国国教会がイギリス政府を、ルター派とカトリックがドイツ政府を支えている状況とは全く異なる。

このような権威を否定して、個人の権利や自由を尊重するフランスの「個人主義」が、この政教分離を支えているといえる。フランスの個人主義は、啓蒙思想、たとえば「人間は考える葦である」と言ったパスカルや、「我思うに我あり」といったデカルト以来、理性的な思考への信頼が強い。さらにフッサールの現象学の影響を受けたサルトルの無神論的実存主義や、フーコー、ドゥルーズ、デリダといったポストモダンの影響も大きい。大学入試では哲学が必須の入試科目だというのも興味深いところで、社会学的には、カトリックではなく哲学が、国家を支えているという見方があるくらいだ。

もうひとつ、フランスは、ヨーロッパにおける中華思想を持っている。フランス革命は、ヨーロッパにおける共和制と民主主義の先駆者・総本家としての自負があるのはもちろん、それ以前のフランス王室が他国の王室のモデルとなったという事実も無視できない。他国の王室ではフランス語が共通語だったし、マナーも、ルイ13世のカツラの着用など、ヨーロッパの上流社会に与えた影響は大きい。さらに、芸術分野(文学・美術・音楽)や、美食(外交での晩餐会では、日本でもフランス料理が主となっている。)の分野でも優れており、中華思想を補完しているわけだ。

…とはいえ、私はフランスは好かない。(笑)パリで、英語を話しても無視された経験が大きい。サンフランシスコから来たアメリカ人女性、ロシア人夫婦と地図を見ながら、今どこにいるのかわからないと共に嘆いていた経験を持っている。「英語などというのは記号に等しい言語だを私にしゃべれというのか。」というのは、漫画「沈黙の艦隊」でフランスの首相が、首脳会談でいみじくも語る言葉なのだが、これは事実でフランス人の中華思想は、感情論的だが実に鼻につくところである。ただし、大阪・京橋で会った道に迷ったフランス人は、英語で対応していたのだった。(笑)

2025年10月30日木曜日

WS 第5戦 …。

https://www.youtube.com/watch?v=qhAXr7zMNv8
…。ドジャーズがキケのHRだけで敗けてしまった。これで、王手をかけられてトロントに向かうことになった。今日の試合は授業の関係で、ほとんどハムショー氏のLIVEも聞けぬまま、昼休みに戻ってきて結果を知った。何も語る言葉がない。土曜日の先発・山本由伸の活躍に期待するしかない。

2025年10月29日水曜日

教材研究 イギリスの階級社会

イギリスの国是は、国章にある「神と我が権利」(フランス語:Dieu mon droit)くらいしかないらしい。そもそもヨーロッパの王室はフランス語が共通語で、1198年のリチャード1世の言葉で、王権神授説を意味するのだが、これがイギリスの国是だ、というには違和感がある。それより、「君臨すれども統治せず」(The monarch reigns but dase no rule.)の方が、英王室らしい。ドイツから来て英語が話せず政治に無関心だったョージ1世以降の責任内閣制が、同君連合のUK(連合王国)らしい。

このイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの同君連合については、詳しくやるとやたら戦争の連続の世界史になってしまうので、地理総合としてはそれぞれの比較に留めることにした。イングランドの議会というのはなく、UKの議会であるが、他のカントリーはそれぞれ議会を持っている。またウェールズのみイングランドの法域で、他の2地域はそれぞれの法域を持っている。微妙に違うのである。この中で、スコットランドは2014年に分離独立の国民投票を行ったことにもふれておかねばなるまいと思う。

イギリスは階級社会である。各カントリーには、公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵といった貴族が存在しており、世襲貴族・一代貴族、聖職貴族による上院=貴族院もある。さらにアッパークラス、ミドルクラス、ワーキングクラスといった階級が厳として存在している。

…ビートルズが、勲章をもらい、ナイトとなって、サーと呼ばれる存在になったのだが、これは一代貴族ではない。彼らが、サーと呼ばせていたのかどうかはわからない。ワーキングクラスのジョン・レノンは、こういう事をきっと無視していたように思う。ただ、NYCのダコタ・アパートに入居する際には有利に働いたのではないかと邪推したりする。なにせ、かのニクソン元大統領が入居拒否されたようなアパートだから。

イギリスの貴族の子弟は、17世紀頃、フランスでマナーを、イタリアで古典や芸術を学ぶスタディーツアー(グランドツアー)で学んでいた。これは、当時のイギリスの後進性を示しているのだが、やがて7つの海を支配する栄光の大英帝国/パクス・ブリタニカの時代を迎える。地理としては、ジブラルタル、スエズ、南ア喜望峰、インド、マラッカ、シンガポールといった地政学的に重要な拠点を抑えたこと、また植民地の現地人エリートによる間接支配を行った帝国主義政策などは抑えておきたい。これらは、イギリスの経験主義的な、失敗や成功に学ぶ経験の積み重ねが大きいといえる。

…ケニアでは、イギリス植民地時代に土台が築かれた地図測量を行う、日本で言う国土地理院を訪れた経験がある。植民地支配のためにまず地図を作成する、というイギリスの植民地政策は、ある意味、的を得ているといえるだろう。

最後に、先進国中の先進国としてイギリスについて語ろうと思う。産業革命後の世界初の公害(特に煤煙)に悩み、過酷な労働条件から徐々に労働問題への取り組みを進め、最終的に普通選挙制へと昇華する。この徐々にという経験論的なスタンスがイギリスの特徴で、フランスとは大いに異なる。さらに、世界的な商船の運営からロイズ保険が生まれ、鉄道の建設運営も手探りで行い、先進国故の失敗から生まれたシステム構築がなされた。WWⅡ以後、労働党政権のもとで、「ゆりかごから墓場まで」(from the caadle to the grave)という高福祉政策のもとで、労働意欲が低下し、また労働組合の高賃金ストライキなどで、企業の国際競争力が低下し、高い失業率とインフレによるスタグフレーションが起こった。いわゆる英国病である。保守党のサッチャーによる新自由主義経済政策で脱却するのだが、これも先進国としての宿命的なことではないかと思う。

本日の画像は、先日学院の図書館で借りてきた「イギリスの歴史を知るための50章」である。通勤途中に一応読破したのだった。

WS 第4戦 タイに戻った…

https://www.youtube.com/watch?v=A5EbUzcnBwY
WS第4戦は、先発の大谷投手がふんばったが、3回にゲレーロJr選手に2ランを浴び、塁上に走者を残して降板、結局いいところなしで、ドジャーズは敗北してしまった。やはり、ブルージェイズは強い。両者とも昨夜の疲れが残っているのは必定。やはりブルペン陣の差が出た試合となってしまった。あーあ、である。

これで、2勝2敗のタイとなり、トロントへ戻ることが確定した。気を取り直して、明日の試合に奮い立って欲しいものだ。 

2025年10月28日火曜日

WS 第3戦 とんでもない試合

https://www.youtube.com/watch?v=1s1bjAVUoLE&t=22488s
ワールドシリーズの第3戦。まさにとんでもない試合だった。たしかに歴史に残る名勝負だったといえるだろう。延長18回までハラハラ・ヒヤヒヤの連続。『私をボールパークに連れてって』の合唱は7回の表後に歌うのだが、14回表後にも歌われた。MLBは引き分けがない。

大谷選手は、2塁打・HR・2塁打・HRその後は申告敬遠✕4+四球、出塁率100%という、これまたとんでもない記録に残る打撃成績だった。ササミローキ投手も8回表のピンチに登板し、9回表もファインプレーにも助けられ無得点に抑えた。18回裏には、先日投げたばかりの山本由伸投手も、自ら登板を申し出て、肩を作っていた。すでにブルペン・ピッチャーは全員使われていた故だった。そんな男気に答えたのが、フリーマン。センターへのサヨナラHRで決着がついた。

ブルペンの踏ん張り、攻守、全員野球で掴んだ死闘を制した勝利だった。これで、ブルージェイズのマインドが切れてくれることを心から祈る。明日、大谷選手が登板予定…。

2025年10月27日月曜日

PP 11のアメリカ


授業の方は、「11のアメリカ」に入っている。パワーポイントの内容を少しエントリーしておきたい。今回の主眼は地誌ではないのだが、せっかくなので、11のアメリカの区分にしたがってPP教材を作った。

ちなみに、SDのマウントラッシュモアは、上記画像のような各州の旗がはためく「民主主義の神殿」的なものが少ない。とはいえ、このマウントラッシュモア、建設のきっかけは、パンフレットによると単なる観光資源の創設だったのだが…。
ディープサウスについては、公民権運動に触れないわけには行かないと思う。結局、いろんな話をしてしまいそうである。(笑)

2025年10月26日日曜日

WS 第2戦 カーネルおじさん

https://www.youtube.com/watch?v=0UGbjsocOvQ
YouTubeで、WS第2戦のバックネット裏に、ケンタッキーのカーネル・サンダースそっくりの人物が観戦していたことが話題になっている。私は、四国・伊方町のイベントで彼の仮装をして優勝したことがあり、他人事は思えない。(笑)

ロスだと、ハリウッド・スターがよく映し出されているが、これは面白い。阪神ファンの呪いなのかとか、オンタリオ湖に投げられるぞとか、コメントも盛り上がっている。

WS 第2戦 山本投手の完投勝利

https://www.youtube.com/watch?v=mdn70CoEHxE
WS第2戦は、山本由伸投手のまさに独擅場。3回に犠牲フライで1点を取られて以降、パーフェクトピッチングであの粘り強いブルージェイズ打線を抑え込んだ。ホント凄い。1回、フリーマンの2ベースに、スミスが、タイムリー、さらに7回にソロHR、マンシーも続いてHRと打線が援護した。 さらに、8回にもパヘス、大谷選手のヒット、ベッツの四球、パスボールなどで2点追加した。

これで、1-1でロスに戻れる。明後日からのホームでの戦いが楽しみである。

2025年10月25日土曜日

WS 第1戦は負けたのだが…

https://www.youtube.com/watch?v=UUZkSouvcx0
WS第1戦は、ドジャーズがブルージェイズの粘り強い打線の前に敗北した。開始前から、いつものようにハムショー氏の実況を聞いていた。0-0の段階で、今日は愛車の法定点検の日で、近くの修理工場へ行って、続きをNHKのLIVEで見れた。この時点で2-0で勝っていたのだった。後で確認するとキケやスミスのタイムリーで1点ずつ勝ち取っていて、さすがドジャーズだったのだが…。

自宅に戻って、再びハムショー氏の実況を聞いていた。先発のスネルは好投していたが、HRで2点を入れられ、2-2になっていた。100球を投げきったスネルは、流石に最後は、無死満塁のピンチを残して降板した。これまでのPSの状態から言えば、オイオイという感じだが、ブルージェイズの粘り強い打線の凄さは、スネル降板後によくわかった。スネルだから、ここまでに抑えられたといっていい。スネルが降板した6回はなんと9点も奪われたのだった。まさに満塁地獄。

しかし、この試合、まだ諦めていない選手がいた。そう、大谷選手である。彼が7回に放った2ランHRは、ドジャーズに希望をあたえる一発だった。ビデオで見た、彼が飄々と早めにベースを駆け抜ける姿に、劣勢下でゴールしたボールをダッシュして持ち帰るサッカー選手の姿が重なった。敵監督もこの一発には感慨深げなコメントを残している。明日以降につなぐ大きなメッセージだった。

追憶のトロント

https://locotabi.jp/toronto/guide/tp-gen-immigration
いよいよブルージェイズとのワールドシリーズが始まる。初戦は敵地・トロントである。大阪市の教員派遣研修で、カナダでは、ナイヤガラフォールズとオタワ視察のみの日程だったので、トロントには、空港利用で移動した経験しかない。

だが、トロント空港での大きな発見があった。それは、ピンク色や赤色のターバンシーク教徒の空港スタッフとの邂逅である。感激した。シーク教徒は、元イギリス領の様々なあな地域に点在している。以後、ケニア、そしてマレーシアでも会ったし、マレーシアではKLのシーク教寺院にも何度も行かせてもらった。トロントというと、真っ先にシーク教徒の人々が浮かぶのである。

”Only One”神は一つ、というシークの人々の人さし指を突き出しての合言葉を思い出す。

2025年10月23日木曜日

誤読と暴走の日本思想 6 西田Ⅱ

『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評、西田幾多郎の哲学についてのエントリー後半である。(さすがに西田幾多郎の記載部分は、かなり読み返し赤線を引きまくったたのだった。)

西田幾多郎は、私生活ではかなり不遇であった。(こういう内容は高校倫理の資料集にはない。)石川県の名家に生まれたが、世話役だった次姉が病死、父親の遊蕩と事業の失敗で多くの借金を背負い、青年期は貧乏ぐらしを強いられた、給金を得て生活を立て直し、母方の従妹と結婚するも借金返済に追われ生活苦のためか嫁に家出され一方的に離縁される。(のち復縁)20代で両親と死別、34歳で弟が戦死、37歳で次女と五女を亡くし、50歳で長男、71歳で四女、75歳で長女と、5人の子供を亡くしている。さらに3度の離婚を経て出戻った長姉の生活の面倒をみていたが、性的に放縦で、西田の周りの男を誘惑することで知られていたし、脳梗塞で倒れた妻の介護、そして妻の死。まさに四苦八苦を背負わされていた。これらを乗り越えるための禅の修行、禅と自身の哲学的研究を完全にオーバーラップさせていたわけである。(私はこういう事実は実に重要だと思う。)

さて、西田は『自覚における直観と反省』の中で、「自覚」という概念(純粋経験の進化版と著者は記している)を本格的に取り扱っている。カントに続くドイツ観念論のフィヒテの「事行」という概念(絶対的自我を説いたフィヒテらしい、自分の意識している内容は、突き詰めていくと”行動”に行き着くので”事行”という言い方をしている。)を、仏教的身体感覚に落とし込み、さらにベルグソンの「純粋持続」(意識は過去の記憶を背負っている故に”持続”)と結びつける。ドイツ観念論のフィヒテと全く反りが合わないベルグソンを無節操に結合し、「無」に落とし込んでいる。

「絶対矛盾的自己同一」という西田哲学の代表的な概念もまた、上記の自覚と切っても切り離せないロジックで、意識とモノ、過去と未来、主体と客体、一瞬と永遠、他者と自己すべてが対立し、その対立関係の中から「私」も「世界」も生成されている。著者は、すごくざっくり言えば、人は他者と世界に揉まれて成長するということだ、としている。ここで出てくるのが、華厳経の「多即一」「一即多」という表現である。いわゆる法界縁起である。追記的に、ここでこんな話が出てくる。西田は、ヘーゲルは自分に一番近いと感じていたようである。ヘーゲルは、「有」の文化圏の中で、存在するものと存在しないもの=「無」の対立があり、ここから高次な精神が発展していくと考えたからだが、全くの別物であり、ヘーゲルの誤読、超生産的な文化的接ぎ木=暴走だと著者は述べている。

最後に西田特有の「場所」の哲学について。主体や客体や、純粋経験が生まれてくる場所、すなわち”私”が”世界”の中で生まれてくる場所のことを言っている。西洋哲学では、デカルトのコギト(思惟する自我)以来、世界の中心には主体たる意識=個人主義がある。ここで、西田はプラトンの『ティマイオス』を引っ張ってくる。

イデアが完全で不変な存在であるのに対し、感覚的なモノは変化し続ける不完全なものである。この両者をつなぐ第三の要素として場所(コーラ)が必要になる。このコーラは直接的に感覚されるものではなく、物体が形を成すための空間的な容れ物だとされる。ちゃぶ台返しのスペシャリスト・デリダは、このコーラを怪しげな概念だと論破したのだが、それより以前に、このプラトン哲学のウィークポイントを日本文化に接続してしまうのが西田哲学である。本書では、はっきり言われていないが、「絶対無」のことだと思われる。

…「絶対無」については、私は唯識の最下層にある、仏性が存在すると言われている(=如来蔵)阿頼耶識だと説明している。およそ間違いではないと思う。

…見事な超誤訳と強引な文化的接ぎ木で、仏教思想を西洋哲学的に説明しようとしたオリジナリティ溢れる西田哲学。著者の賛辞同様、私も改めて、あっぱれ!と言うしかない。

2025年10月22日水曜日

誤読と暴走の日本思想 5 西田

https://fishaqua.gozaru.jp/kyoto/travel/tetsugaku/text.htm
久しぶりに『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評の続きである。西田幾多郎の哲学についてエントリー。西田幾多郎の哲学は難解で、かの小林秀雄は、『学者と官僚』で、西田哲学を「日本語で書かれておらず、もちろん外国語でも書かれてはゐないといふ奇怪なシステム」と述べており、著者も正鵠を得ていると評している。(笑)

西田幾多郎は、留学経験がない。ドイツ語やフランス語、英語の文献と、明治以来の日本的哲学用語を駆使して、自らの思想を打ち立てた人故に、欧米のキリスト教的な伝統を理解していないこと、欧米の知識人が通常マスターしていたラテン語を学んでいないことにも触れている。そもそも「有」(=神の存在)から始まっている西洋哲学を、「無」(仏教の縁起・空なる実体)に置き換えている時点で、見事な誤読であり、日本的文化圏・言語の中で、真面目に創造的な誤読をした哲学者であると著者は何度も称えている。

西田哲学の代表的概念である(唯一の実在としての)「純粋経験」は、ジェームズやカント、ヘーゲルやベルグソンの思想を、日本の禅(西田は臨済禅を会得していた。)と接ぎ木しつつ独自の論理を作り上げたわけだが、私は倫理の授業では、純粋経験=仏性の湧現(仏性:一切衆生に備わる仏になる因)として教えている。本書では、心配や妄想などから離れた、無の境地、自分と世界の境界が取り払われてしまい、世界と一体になるような不思議な状態が純粋経験である、と記されている。

…具体例としては、私のブルキナファソでの体験を話すことにしている。サヘル地域(サハラ砂漠南限)からの帰路、長く続く坂道を、自転車に重い荷物を積んだ現地の人々の列(200mくらい続いていた)が、クーラー付きの4WDに乗っている私の目に飛び込んできた。アフリカの厳しい現実に私は滂沱した。あの時、彼らと一瞬にして同苦したのだった。ガイドのオマーンが、「(ブルキナべにとって)当たり前のことだ。君が泣くことはない。私も同じように自転車を漕いでいた。」と言ってくれたのだが…。

…(純粋経験の説明として)「神がかった集中力と超人的な力を発揮すること」もこの本に記述されている。先日の大谷投手の10三振・無失点の投球や、3HRも、この純粋経験に近いと思うのだ。打撃低迷していた大谷選手だったが、一気に覚醒した姿…。

前述のジェームズは、徹底的な経験論の立場からヨーロッパ的な観念論・イデア論・形而上学から距離を取って、意識の流れを理論化したプラグマティズムの哲学者。もちろん彼もキリスト教の伝統にどっぷり浸かっているのだが、この用語法を日本の土壌に移植した。
このジェームズと全く正反対にあるカント・ヘーゲルのドイツ観念論、特にヘーゲルの弁証法的な用語を使い、自身の「無」のロジックになし崩し的に統合していくのである。

このような専門的な指摘は、高校倫理の資料集にもない。当然高校生の理解できる範囲を超えていると私も思う。西田哲学については、さらに後日エントリーを続けたい。ちなみに、今日の画像は、京都・哲学の道にある西田幾多郎の歌碑である。

2025年10月21日火曜日

アメリカ地誌を州コードで学ぶ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%
E5%9B%BD%E5%90%84%E5%B7%9E%E3%81%AE%E7%95%A5%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7
2学期後半の授業が始まった。まずは、アメリカの州のコードを頭に入れる作業的な授業。提出物のプリントを、好きな者同士集まってやってもいいという時間である。

このアメリカの州コードは、意外に知っている州名(州名だと生徒たちは認識していない場合が多い。)もあって、楽しく学べる。たとえば、VTはリンゴとハチミツのカレーの商品名と同じであるし、KYは空気が読めないではなく、ヒントは私というとすぐに分かる。(白髪で髭がある人物が立ってる店の名前である。)GAは、コカ・コーラと関連している。自動販売機の缶コーヒーと同名であるからだ。DEは、有名なぶどうの種類の名前である。最近は、フォーク・ダンス(私は大嫌いなのだが…。)を小中学校であまりやらないようで、OK=オクラホマ・ミキサーというダンスを知らない生徒も多い。これは意外。NYやCA、TX、FLなどは、多くの生徒がさすがに見当がつく。

NC・SCとND・SDのNとSは、南北なのでセットで覚えると良い。Mで始まる州名が多いが、MAはマで始まり、MIはミで始まるが、MOは少し覚えるのが難しいのだが、地図にあるアルファベットをよく見ると納得する。なんとなく、コードの綴は、法則性があるようなないようなで、元の州名さえ頭に入っていれば、およその検討がつく。

以後の授業では、アメリカの州名はコードを使って話していくのが私の地理の恒例である。机間を回っていくと、アメリカに行きたいという生徒も多い。この授業、意外と盛り上がるのであった。

2025年10月19日日曜日

教材研究 11のアメリカ2

試験の採点も一段落したので、教材研究の話である。11のアメリカについては、以前エントリー(本年7月11日:この時は12の国家となっている)した。今回は、学院の図書館で借りた「シリーズ 世界を知るための地誌学アメリカ」(二村太郎・矢々崎典隆編/朝倉書店:本年4月発行)を参考にプリントを作成した。

アメリカは、多民族移民国家であるので、州ごとの地誌も大事だが、こういうどんな移民が集まってできた州なのかという視点は新鮮である。11という数字は大まかなもので、迫害され疎外されたネイティブ・アメリカンの視点や、フロリダのキューバ移民、ハワイは入っていないのだが、いくつかの発見もあった。

グレート・アパラチアに分類される地域は、イングランドとスコットランドの国境の山岳地帯や北アイルランドからの移民がルーツで、白人の中では貧困層にあたること。WVの炭鉱などで働くプワー・ホワイトのイメージが強い。ディープサウスのルーツは、カリブ海の砂糖プランテーションであるとのこと。また太平洋沿岸のレフト・コースト地域は、海路でヤンキーダムから来た個人より社会の共通善を重視するカルヴァン派、陸路でミッドランドから来た宗教に寛容な人々が混ざり合っているというのが面白い。ちなみに、CAのサンフランシスコはレフト・コーストだが、ロスやサンディエゴは、エル・ノルテといったヒスパニック系が主流の地域に入っている。ちなみに、シエラネバダ山脈地域などは、ファー・ウエストに入る。

一応、主な州についても、この11のアメリカ区分にしたがって整理してみた。面積・人口・1人あたりのGDPの順位を調べて挿入しておいた。意外だったのは、1人あたりのGDPの順位である。VTが最下位だった。VTは、高齢者が多く、葬儀会社の対人口比率が最も高いという知識があったが、ここまで衰退しているとは…。

最後に多様性とともに均質性についても触れておいた。均質性の最大の原動力は、やはり英語である。共通語とか国語といった法的な制限はないのだが公教育でアメリカ的価値観の育成が図られている。農業においては、西進において家族農業と混合農業が基盤であったこと、ただし見事なまでのプラグマティックな適地適作が行われている。さらに交通・通信網の発達、地域間の文化的差異を縮小させた。興味深かったのは、19世紀末にシカゴを拠点とした通信販売システムが、分散して住んでいた中西部の農村地帯に、分厚いカタログを配布し、日常生活に必要な品や農機具や馬具、娯楽のための品まで揃えて供給していたことや、フランチャイズチェーン(マクドやKFC等)、チェーンストア(ウォールマーケットやコストコ等)の発達で同一企画の商品が全国どこでも供給されていることも大きい。

全国紙は、USA Todayやウォール・ストリート・ジャヤーナルくらいだったのだが、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポスト、ロサンジェルス・タイムスもデジタル化で全国に拡大しているようだ。

2025年10月18日土曜日

4連勝でWSへ 大谷投手3HR

https://www.youtube.com/watch?v=ik0A9rLGqHA
ナ・リーグの優勝決定戦・第3戦は、グラスノーが好投。大谷選手にも三塁打が出て、3-1で勝利した。実は、昨日は、中間考査の日で、1限目の試験が終わり、コンピュータと格闘し、ようやく一息ついたときにはもう勝っていた。(笑)

そして、今日の土曜日、第4戦を迎えたわけだ。ちょうど医院に行く日だった。TVで中継をやっていて、LIVEで少し見た。大谷投手は調子が良さそうだったし、すでに3-1で勝っていた。帰宅後、わかったのだが、大谷選手は先頭打者HRを打ち、さらに四球を挟んで、第3打席の4回に、ライトへ場外(?)HRをかっ飛ばした。練習で打撃ゲージに入ることは彼のルーティ-ンにはないのだが、同じようなHRの打球を放っていた。さらにもう一発、7回裏にもHRを打っている。というわけで今日は3HR。ピッチングのほうは、7回の表まで100球を投げ、四球とヒットを赦したところで降板した。無得点・10三振だった。その後ブルペン組(最後は前日に続きササミローキ投手)が締めて、5-1で勝利した。これで、ナ・リーグ優勝、Wシリーズへの切符を手にしたわけだ。実にめでたい。まさに、とんでもないショー(翔)タイムの試合だった。上記画像は、2本目のHRに大盛りあがりするエドマン選手、マンシー選手、フリーマン選手、そして今日もファインプレー(レフトフライを取り、飛び出したランナーを一塁で刺した。)で盛り上げたキケ選手。

とはいえ、大谷投手自身は、インタビューで、一試合3HRを打ったことより、四球とヒットでピンチを招いて降板したことを反省していた。彼は、やはり投手なのだ。そして、そのマインドが凄い。絶対自分を誇らない。侍なのである。

ブリューワーズのHRを打たれた投手たちも、試合後ロッカールームで沈黙し涙しながらも、大谷選手に感動していた。そんなことがあり得るのだろうか。

打撃不振を囁かれていたが、今日の活躍で、一気にこのシリーズのMVPとなった大谷選手。伝説の1日となったのだった。

追記:カージナルスのヌートバー選手のトレード話の報道が出てきた。是非ドジャーズに来て欲しい、と私は願っている。

2025年10月16日木曜日

教材研究 11のアメリカ

https://www.reddit.com/r/Infographics/comments/nmlsjn/co
mparing_us_states_to_entire_countries_by_gdp/?tl=ja#lightbox
明日はいよいよ私の地理総合の中間考査試験の日である。試験が終わればまた期末考査の範囲に入る。このところ、その準備に追われていた。期末考査の範囲は、「神なき時代の終末論」のいよいよ最終段階。ある種の理念や価値の高い理想をメインテーマとしている。最も取り組みやすいのは、アメリカである。
私が最初に浮かんだのは「明白な天命」(Manifest Destiny)である。とはいえ、国是ということで検索すると、AIは、アメリカの「例外主義」を挙げてきた。他の先進国とは質的に異なっているという信条である。

イギリスから独立した歳、税金から逃れる自由を求めたこと。「代表なくして課税なし」である。この自由重視は、NH州の「自由を与えよ、しからずんば死を」という州のモットーがさらに印象的である。

さらに移民国家であること。歴史的に段階を踏んでいることも伝えたい。WASPという概念も重要だと思う。昔、人種のるつぼという表現があったが、溶け合っているとは言えない故に、人種のサラダボウルと言われている。

最後に、アメリカの共和主義と三権分立、各州の自治権など他の先進国とは異なる民主主義制度である。アメリカの違憲立法審査権は、これ自体存在しないイギリスや、あまり強くない日本と比して、州の地方裁判所でも大統領令をストップさせることが可能なほど強力である。上院議員は、4000万人の人口をもつCAも57万人のWYも同数の2名選出。これは、連邦国家、州の独立性を明確に現している。

このあと、やはり「明白な天命」の解説を入れた。国内の西部開拓を正当化する標語だったが、古代ギリシアからイギリス、そしてアメリカへ渡った民主主義は、さらに西に向かいアジアを一周するのだという文明観になった。自由と民主主義を拡大するという意思は、米西戦争でフィリピン、WWⅡで日本で成功例を作ったが、イラク戦争後は見事に失敗したわけだ。

もうひとつ、触れておきたかったのが、プラグマティズムである。良い結果が生まれたらそれが真理という現実的な哲学であるが、これは実にアメリカ的である。前民主党政権下の移民政策も、国勢調査後の選挙敗北(民主党支持の州の人口減)を見越しての対策だし、現共和党政権の保護貿易的政策も、プラグマティズム的である。WWⅡ後の自由貿易で戦争を回避するという米英の理念はぶっとばされている。(笑)

…ところで、このところドジャーズを応援していて思うのだが、MLBはまさにプラグマティズム的である。先発投手や中継ぎの選び方も右腕か左腕で違うし、統計データで判断され、最も効率的で合理的な作戦を取る。先発メンバーも打順もそうだし、結果重視である。しかも選手の価値も金銭で見事に計られ、FAやトレードで動く。MLBはビジネスだなあとつくづく思う。まさにアメリカなのである。

少しばかりアメリカの地誌もやりたい。私が選んだのは、「11のアメリカ」である。この移民や文化的なところに視点を置いた地域区分は実に興味深い。各地域区分の概説とともに、提出課題や所属するいくつかの州の概要も講じようと思っている。

さて、今日の画像は、アメリカの各州のGDPを他国と対比した図で、パワーポイントにも使わせてもらっている。以前のもの(2015年7月7日付ブログ参照)は、CAがブラジルと同程度だったが、新しいものはイギリスと同程度になっているし、TXはカナダと同程度である。10年の月日を感じる。

2025年10月15日水曜日

山本由伸 第2戦見事な完投勝利

https://mainichi.jp/articles/20251015/spp/sp0/102/182000c
ブリュワーズとの第2戦、1回それも初球をHRされてどうなることかと思ったのだが、そこから持ち直し、9回完投で、ドジャーズ5-1の勝利となった。

テオヘルのソロHR、キケとパヘスで1点追加で、すぐ追いつき逆転したドジャーズ。さらに6回マンシーが昨日と同じようなセンターへのHR。

昨日の奇妙なダブルプレーは、その夜、線審がちゃんとコール(プレー継続)しなかったとして、MLBが審判団全員を出場停止処分にするという衝撃の判断を下したそうだ。まあ、結果的にドジャーズが勝ったからいいようなものだけど…。マンシーのHRは、それを払拭する一発となった。

7回には、キケの二塁打で1死3塁の場面で、大谷選手にタイムリーが出た。HRはまだだけど復活の兆しか。これで3点差。さらに8回エドマンのタイムリーで5-1としたのだった。先発全員出塁というドジャーズらしい攻撃だったし、何より山本由伸投手の踏ん張りが呼び込んだ勝利だった。これで、舞台をロスに移して三連戦。もう、ミルウォーキーに戻ることはないだろうと思う。ベッツが「ミルウォーキーのホテルにはお化けでが出る、早く帰りたい。」と言っていたし。(笑)

2025年10月14日火曜日

薄氷を踏む如き第1戦の勝利

https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/363110
ドジャーズが、2-1という薄氷を踏むが如き勝利で、ナ・リーグの優勝決定戦第1試合をものにした。なによりもスネルが好投して、8回を被安打1、10三振という凄い安定感で試合を作った。フリーマンのソロHRの1点に、大谷選手の申告敬遠(今日は4四球だった。)で満塁になった後ベッツが値千金の四球を選び1点追加。2点のリードで、ササミローキ投手が出てきた。しかし、今日はもう一つさえがなく、犠牲フライで1点を献上、あと1アウトというところで、こともあろうか、トライネン投手が出てきた。最初の打者に四球を与え、やっぱりアカンネン、マケルネンとドキドキしていたのだが、最後は三振に仕留めてゲームセット(画像参照)となったのだった。

ブリュワーズは、たしかに攻守走ともに、よく磨かれたチームだった。途中、変な展開(センターのグラブを弾き、壁に当てって云々、ホームでテオヘルが刺され、三塁もアウトという不思議なプレイ)もあったものの、キケやエドマンもよく振れていたし、今日もまた全員野球で勝ったのだった。

ポストシーズンは、なかなかエゲツナイ試合が多い。紙一重の戦いが多く心臓に悪い。しかしこれで俄然有利になったと思う。明日は山本由伸投手が投げるらしい。大谷選手とササミ投手のさらなる奮起にも期待したい。

2025年10月13日月曜日

ダビデとゴリアテの戦い?

https://www.goal.com/jp/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3
%83%88/dodgers-member-list-2024/bltfc72b5e74b87868f
ナ・リーグの優勝決定戦は、カブスを3勝2敗で破ったブリュワーズになった。鈴木誠也がHRを打ったのだが、開幕戦の東京シリーズの再現とはならなかった。ブリュワーズには今季6連敗のドジャーズだが、ポストシーズンでは6連敗のチームのほうが勝つ確率が高いらしい。

さて、今回の戦いは、「凡人」と「ハリウッドスター」の戦いだとか、旧約聖書のサムエル記の「ダビデ」と「ゴリアテ」の戦いだとか言われている。(笑)いずれも前者がブリュワーズ、後者がドジャーズで、比喩の上では五分五分である。

なによりも大谷選手の打撃の復調が勝負を決めるような気がする。ミルウォーキーで、一気に打撃のギヤを上げて欲しいところだ。今回は4勝が必要。ヒリヒリする戦いがまた続く。

2025年10月12日日曜日

誤読と暴走の日本思想 4 兆民

本日のエントリーは、『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美著)の書評の続きである。西周も福沢諭吉も”変人”なのだが、今日の主人公・中江兆民は”奇人”の方がふさわしいと著者は記している。東洋のルソー・中江兆民も、本家ルソーも『告白』の中で同じような公然猥褻罪のようなことをしているのだが、2人とも当時の権力を真っ向から敵に回し、空気など読まずに新たな時代を作った文化のクリエイターであるとも記している。

土佐出身の兆民は長崎で朱子学と陽明学を学び、江戸で儒教や蘭学、フランス語を学び、幕府のフランス語の通訳となる。24歳から2年半フランスに留学。帰国後はフランス語・文化を教える私学を開き、この時期に『民約論』を世に問うている。明治8年東京外国語学校の校長になるが、徳を育むための漢籍教育をカリキュラム化しようとして文部省と対立、辞職している。この西洋と東洋を統合する視点は、西周や福沢諭吉と同じで、生涯変わらぬ主張の1つであるといえる。その後、自由民権運動の理論的指導者となり、新聞に論説を発表して危険人物とされ、東京から関西に逃げることになる。被差別者のために国会議員(選挙区は、高知ではなく大阪なのを愛媛の博物館で知った。)となるが、立憲自由党の設立に深く関わりながらも、妥協できぬ性格故離脱。実業家に転身するも失敗し喉頭がんを患い、余命1年半と告げられ、『一年有半』『続一年有半』を書き上げ54歳で、激動の人生を閉じている。

兆民は、西周の「哲学」より、「理学」という儒教色が強い訳語を好んだ。道徳面において、日本は西洋に劣らないとし、東洋の知恵と西洋の知見を総合するという意気込みを持っていた。一方で「日本に哲学なし」と、『一年有半』で述べた兆民は、国学や日本的儒学、浄土宗から禅宗までの日本仏教を一刀両断。彼らを古典の解釈者にすぎないとした。また当時のアカデミズムの哲学者を『崑崙呑棗』(崑崙にナツメをなめる:鵜呑みにするという仏教用語)として、西洋哲学を鵜呑みにしている馬鹿者と罵倒してもいる。さらに「カントとデカルトはドイツとフランスが誇る”床の間の掛け物”だ。」と言い、ヨーロッパの文化的産物である哲学は、日本の風土や土壌には存在しない、故に純然たる哲学はないと言えるし、哲学はもっと普遍的なもので日本の文化(儒学・漢学)からも取り出せるというのが理学の兆民の立場だった。

「民権は至理、自由平等は大義」(奎運鳴盛録:けいうんめいせいろく)という有名な兆民の言葉では、この「理・義」という封建的な価値観と民権と自由平等が、無理やり接ぎ木されている。ここには大矛盾がある。フランス革命では、王の首がギロチンで一刀両断されている。自由平等を言う概念は個人主義の土壌なしには存在し得ないものであるからである。

また兆民は、ルソーのリベルテモラル(個人意思のコントロールによる自由:個人それぞれが理性的に、社会にとっての善を分析し、考え抜き、個人の中で自分の本能的欲求をコントロールして、一般規則に自ら従うという自由)を、孟子の「浩然の一気」と訳している。

…このような兆民的接ぎ木的な部分が、自由民権運動の限界であったのだろう。兆民の弟子・アナーキストとなった幸徳秋水の大逆事件との対比も興味深いところだ。

2025年10月10日金曜日

あまりに悲劇的な勝利だった

https://www.youtube.com/watch?v=cg-nYtD8VgE
フィリーズとの第4戦。授業が詰まっていたので、昼休みに結果を知った。臨席のT先生が「凄い終わり方だったですよ。」と言われていたので、慌てて映像を見た。2死満塁でピッチャーゴロをハンブルしたフィリーズの投手が、本塁に悪送球してゲームセットという、あまりに悲劇的な勝利だった。

何度も映像を見返したが、呆然と立ち尽くす投手の合間を縫って、一塁近くのパヘスに向かってドジャーズの選手が駆け抜け勝利を祝っていた。ある意味残酷なシーンだった。

ドジャーズファンとしては、いよいよナ・リーグチャンピオンへの戦いに勝ち抜いたので嬉しいのは当然だが、なんとも悲劇的でありすぎたと思った次第。これもMLBという厳しい世界の実相なのだろう。

2025年10月9日木曜日

誤読と暴走の日本思想 3 諭吉

福沢諭吉は、高校倫理では西周に比して、それなりの位置を占めている。やはり「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という圧倒的に有名なフレーズによるものだろう。

著者は、individu(これ以上分けられない、これ以上分割するとその意味を失う、すなわち決して分割できない「私」という存在。)を最終的に「人」と訳して儒教的な「天」の思想の中に、強引に西洋風の「個人」と平等をねじ込んだものだと言う。

これは、プラトンの魂の分割不可能性、アウグスティヌスやトマス・アクィナスの教父哲学における救済の対象となる魂、デカルトの「主体」の哲学、これらの議論をうけて展開されたライプニッツの分割不可能なモナドとしての個人といった、練りに練られ、洗練に洗練された非常に強固絢爛たる西洋の精神の主体の思想を、生産的に誤訳し、旧来の日本語文化の「人」という定義を、密かに書き換え、強引に作リ替えたものであると著者は主張している。

この背景。福沢諭吉は、西欧列強に肩を並べるために「自主独立」を説いた。日本文化にあってヨーロッパの個人主義の伝統を接ぎ木するという凄まじい文化的移植である。儒教的な、上に逆らわない従順さ(忠のモラル)の社会規範に則っていては、欧米にあっという間に食い物にされる。だからこそ日本人の精神を根底からひっくり返さねばならない、と考えていた。とはいえ、欧米でも、本当の意味で個人である人は少数。あるがままの自分を貫けるのはどの時代でも少数派。いわゆる天才か狂人と見なされる。ただ、マジョリティが個性の発現を目指すべきである、と信じ実際に行動している点が日本とは違う。福沢諭吉はが日本に輸入しようとした自主独立の伝統と行動様式は、これだったと著者は述べている。

その後の日本は、ヨーロッパコンプレックス、独立自尊コンプレックス、個人主義コンプレックスが深く根をおろし、日本という同調圧力の強い空間にあって、ブラックホールのように個人主義の理想が鎮座し、経済活動を中心にそこに皆が引き込まれ、ブラックホールの求心力で社会が回っていると状況であるという著者の洞察は、なかなか鋭い。

ただ、やはり西周同様、福沢諭吉は、個人主義を儒教や仏教の世俗主義的ターム(ここでは知恵や徳行、世間、親子の間などの語彙を使って解説していること)で受容しており、出自の違う文化的産物を翻訳語のちゃんこ鍋にぶち込んで、謎の旨味を出しているスーパーコピーライターでありスーパーインフルエンサーであると結論づけている。

…私は、福沢諭吉という人が好きではない。よって、人物に関わる部分は割愛した。ただ、彼の業績を否定するつもりはないし、著者の指摘には大いに頷くばかりである。

2025年10月8日水曜日

誤読と暴走の日本思想 2 西周

https://dglb01.ninjal.ac.jp/ninjaldl/hyakuiti/001/PDF/hisr-001.pdf
西周(あまね)は、高校倫理では、明六社の中心人物というくらいしか出てこない。島根の津和野の人。医者の子であったが藩校でとてつもない秀才だった。ちなみに森鴎外の親戚で、鴎外は彼の伝記も書いている。藩校で朱子学を学び、後に荻生徂徠(古代の言語から儒家を再考する古文辞学を起こした)に宗旨変えをする。さらに医者の息子故、泣く泣く医学、当時の蘭学を学ぶ。しかし、蘭学でもとんでもない秀才ぶりを発揮し、幕府の命をうけオランダに3年ほど留学する。彼の地で「実に驚くべき、公平で正大な論」に衝撃を受け、洋学に宗旨変えする。帰国後、徳川慶喜の目付けとしてフランス語を教えている。大政奉還後、政府中枢からは外れていたが、山県有朋のブレーンとなり、軍人勅諭の草稿のような軍人訓戒を起草することになる。明治政府の法制度・教育制度の構築に大いに貢献、明治6年には前述の明六社を立ち上げ、福沢諭吉や森有礼らと共に西洋思想に関する論文を多く発表した啓蒙思想家である。

そもそもが朱子学の徒であり途方もない教養を身に着けていた西周が翻訳した語彙は、哲学、概念、主体、客体、分析、総合、分解、帰納、演繹など1400から2300語にものぼると言われている。これらは、中国などの漢字文化圏に逆輸出され、漢字文化圏の共通翻訳語となっている。この輸入された漢字文化が逆輸出された事実を、かなりエポックメイキング(画期的な話)だと著者は述べている。

一方で、朱子学的な教養と言葉で、西洋文化の翻訳語をつくるということは、味噌とバルサミコオイル(イタリアの調味料:バルサミコ酢とオリーブオイルを混ぜたもの)を混ぜ合わせるようなもので、基本的に元あったものとは異質なものが出来上がるはずで、中国から輸入し、日本で熟成・発酵し独自の歴史を背負った言葉でもって、全く違う土壌、歴史を持つ言葉の翻訳語を作っていった。これは本質的に、転用、代用、改竄、急場の応急措置、付け焼き刃の取り繕いから生じる誤読であり、そこから生じる創造であると、著者の論評は手厳しい。オランダに3年留学しただけで、英語やフランス語、ドイツ語などの細かな言葉のニュアンスまで理解していたとは到底思えない。ましてラテン語やギリシア語など…というわけである。

西周は、オーギュスト・コントやJ・S・ミルの哲学を学んだ、また百科全書派の啓蒙思想を万だとされている。だが、朱子学的な理解によって創造された語彙群は、ヨーロッパのキリスト教文化の深さをも学んできたとは思えないという議論が続いていくのだが、さすがに長いので割愛したい。

…著者の言わんとするところはよくわかる。「接ぎ木」という表現で、日本文化の上に西洋文化を載せた無理を強く指摘しているわけだ。実に興味深い論である。

2025年10月7日火曜日

全員野球でフィリーズ戦連勝

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/ans/sports/ans-587763
ドジャーズが、敵地でフィリーズ戦に連勝した。まずはスネルが期待どうりの好投を見せた。今日は4限目からの授業だったので、途中まで自宅で、ハムショー氏の実況を聞いていたのだが、0-0のままだった。地下鉄の中で、スマホを見たら4-0になっていた。詳しいことはわからなかったけれど、勝利を確信したのだった。後で、両ヘルナンデスやフリーマン、帰ってきたスミス、そして大谷選手の連打で4点を取ったことを知った。しかし、またもやトライネン、アカンネン、マケルネン。4-3と迫られた。この間、ロハスやマンシーとベッツら多くの好プレーがあって1点差を守っていた。最後の最後は、ササミローキが締めた。とはいえ、緊張したエドマンの送球をフリーマンが好捕して、ヒヤヒヤ・ドキドキの辛勝ではあったが…。

これで、LAに戻って山本由伸先発の第三戦を迎えることになった。まさに全員野球の勝利だと思う。

2025年10月6日月曜日

誤読と暴走の日本思想 1

『誤読と暴走の日本思想』(鈴木隆美/光文社新書/本年6月30日発行)を読み始めた。著者はフランス文学の徒である。

著者のフランス語の文学的な細かな表現までの習得の苦労話が、かなりの量、まず書かれている。すなわち、外国語の習得の難しさをいやというほど体感した著者が、西洋哲学を取り入れた日本思想に切り込んでいく内容で、AIの登場をも視野に入れた、なかなか興味深い本である。

ここで批評されるのは、西周、福沢諭吉、中江兆民、西田幾多郎、和辻哲郎などの日本思想におけるビッグネームである。日本人には西洋哲学はわからないという壮大な仮説のもとに展開されていく。倫理の教師としては、興味津々である。ボチボチと書評をエントリーしようと考えている。

2025年10月5日日曜日

対フィリーズ初戦の「物語」

https://thedigestweb.com/baseball/detail/id=103000
地区シリーズ初戦、ドジャーズが逆転勝利した。大谷投手が2回に、テオヘルのライト守備のミスもあって3点を赦してしまった。しかし、その後大谷選手は、何事もなかったように無得点に抑えていく。極めてプレッシャーのかかる大一番で、こんなに冷静になれるものなのだろうか。10月男のキケがタイムリーを打って2点返し、さらに大谷投手の激励を受け、立ち直ったテオヘルが逆転3ランを放った。ひやりとする場面もあったが、7・8回も無得点に抑え、最後は佐々木投手が抑えた。なかなか凄い投球だった。いいぞ、ササミローキ(ハムショー氏の実況中に1度は流れる鶏料理店のCMのおかげで、その商品名があまりに俊逸なので、我が家では佐々木投手をササミローキと呼んでいる。笑)キケとテオスカーの両ヘルナンデスが大活躍したのも嬉しい。明後日も勝って欲しい。次はベッツとフリーマンがチームに貢献する、というのが私の予想。

いろんなYouTubeで、その各選手のコメントや論評が試合後に出たが、大谷投手は、自分の記録やプライドを捨て、すべてをチームの勝利に繋げていることが称賛に値するという話があった。これこそが今日の試合を「物語」に変えたように思う。

PP 自由貿易体制から考える

自由貿易体制が、歴史の所産(1929の世界大恐慌からWWⅡ)によるものであることは、世界史や政治・経済で受験する生徒には重要な学びだと私は考えている。よって、少し復習的に、経済思想のアダム・スミスやリカード、ケインズも交えて講義した。(ただし、日本史・倫理選択組には直接関わらないので、定期考査の出題範囲からははずしている。笑)

現在の途上国も巻き込んだ自由貿易=グローバリゼーション体制化では、サプライチェーン化が最も重要だと私は考えている。このサプライチェーンに入っているか否かは途上国の格差を生んでいるからである。先進国企業の様々なスキルを学んだマレーシアのように、代替工業化が進んでいる国を知ったのは、在マレーシア3年半の大きな収穫である。生徒諸君は、”ペンソニック”というマレーシアの企業名に大笑いしていた。

さらに金融立国や先進的な技術を持つ国々(その実際の画像=シリコンウエハーなどもPP化した)との、サプライチェーン、非サプライチェーンの途上国といった周縁化(最後の画像)を示した。これが、現在の資本主義を最も表現したPPとなっている。

PP 産業別人口から考える

中間試験まであと少しになった。授業は、近代国家論の三要素の最終・資本主義に入っている。開発経済学からの視点をもとにしているので、産業別人口を缶コーヒーをそれぞれの産業別の収益でみるPP(パワーポイント)で示した。HDIの表で確認することも重要。

さらに、第一次産業は収益が低いという確認の後、土地生産性と労働生産性にスポットをあてたPPを作成。土地生産性も労働生産性も高いオランダの、工場のような水栽培のトマトの園芸農業の様子は、生徒に農業のイメージを変えたようだ。第一次産業から、第二次・第三次産業への労働人口への移動こそ、経済発展の法則である。ただ、先進国と途上国の状況は異なることも重要。情の経済やインフォーマルセクターといった高校の学びを超えた内容も教えたのだった。

2025年10月4日土曜日

教え子からの依頼2題

あるクラスの授業終了後、生徒から社会学の本を読んで感想を書くよう指定校から指示があったそうで、どんな本を読んだら良いかと質問されたのである。

指定校はどこかを聞いた後、浮かんだのは、大澤真幸の『社会学史』だったのだが、これはかなり難解であるし、国際関係にも興味があるとのことで、少し時間をもらった。帰宅後に浮かんだのは、現在京大の大学院にいるL君から贈呈された古市憲寿の『古市くん、社会学を学び直しなさい』であった。日本を代表する12人の社会学者との対談で、マレーシアでL君と読書会をした『社会学史』よりは読みやすいだろうと思う。この中から印象に残った社会学者と専門領域について自分の意見をかけば良いし、熟読すべき分量も少なくてすむというメリットもある。興味を持った社会学者の著書なども良き参考文献案内になるだろう。月曜日にこの本を持っていって説明しようかと思っている。

同じく昨日、学園の教え子から嬉しいメールがあった。KG大学1回生で国際関係をやっていて、すでに途上国に行き、様々な学びをしていてアフリカにも行く予定があるそうだ。改めて高校生のためのアフリカ開発経済学テキストを送ってほしいとのこと。学園は、生徒1人ひとりに「iPad」を貸し出しするシステムなので、すでに手元にないのだろう。さらに資料があれば欲しいとのことだったので、今地理総合で教えている内容のパワーポイントをPDF化して送っておいた。少しでも参考になればと思う。

2025年10月3日金曜日

新約聖書 四福音書の構造

https://booklog.jp/item/1/4003380312
岩波文庫の『福音書』(塚本虎二訳)を手にとって出勤した。読破しようとしたわけではなく、最後の方の解説を読んでいた。(どうも福音書は、異教徒には実に読みづらいのである。)本日のエントリーは、四福音書の構造について。

まずこの書は、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという新約聖書の順ではなく、最も古いマルコの福音書から始まっている。異教徒としては、納得なのだが、AIでなぜマルコの福音書が最初に置かれているのかを調べてみると、1:新旧の聖書をつなぐ役割/イエスの系図から始まり、両者の橋渡しとして適切だったこと。2:初期キリスト教会での重要性/山上の垂訓など体系的にまとめられていること・伝統的には最初の福音書だと思われていたこと。3:歴史的背景/ユダヤ人を読者として書かれており、当時最も有為とされていたこと。ということらしい。

ところで、四福音書のうち、マタイ・マルコ・ルカは共観福音書と呼ばれている。この三福音書は非常に似たところと相違するところがある。マタイ(似た箇所75相違25)マルコ(似た箇所95相違5)ルカ(似た箇所57相違42)という数値が示されている。本書では、それらが詳細に示されているが、構造としては、最も古いマルコの資料(=M資料)と、マタイとルカに共通する(=Q資料/ドイツ語の資料Quelleから)が存在し、各福音書の特種(とくだね:普通、特別資料S/Sonderdut)が付随する。
よって、マルコ=M+Sa、マタイ=M+Q+Sb、ルカ=M+Q+Scという構造になっている。

…まあ、これだけで十分な学びだが、物的で歴史的事実を記した共観福音書に対し、ヨハネ福音書は、霊的であり神学的要素が強いのである。少し、ヨハネ福音書を読んでみたが、たしかに…と思った次第。

2025年10月2日木曜日

祝 レッズに2連勝のドジャーズ

https://news.yahoo.co.jp/articles/58d054f79f19b8
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いよいよ大谷選手の言うヒリヒリするような短期決戦、ポストシーズンが始まった。昨日の第一戦は、大谷選手の先頭打者HR、さらにもう一発、大親友のテオヘルも2発、エドマンも続いてHR攻勢で、スネル投手の好投を助けた。だが、懸念されたブルペン陣の不調がやはりあって、一時はどうなるかという試合だった。トライネン投手が9回に登場すると、ハムショー氏のチャットに、アカンネン、マケンネン、ヤバイネンなどという投稿が殺到し、チャットが止まってしまったと妻が言っていた。(笑)とはいえ、なんとか抑えてくれた。…ホント、野球は退屈ではない。しかも大谷選手のHRボールを得たファンへの神対応、さらに60すぎの日系ファンが清掃している姿にベッツ選手が反応、大谷選手に知らせると、すぐに駆けつけ神対応。日本人として、まさに誇りに思う。

今日の第二戦は、山本投手が、自責点0の好投を見せた。HR攻勢ではなく、ベッツ選手の大活躍もあって得点を積み重ねた。しかし、先発陣のシーハン投手がリリーフしたが乱調で、またヒヤヒヤする局面に。最後は佐々木投手が2三振を奪う見事なセーブで連勝したのだった。…今日も、またまたドジャーズの野球は退屈ではない。

これで、次はフィリーズとの対戦となる。第一戦の先発は大谷投手らしい。これまた楽しみである。カーショー投手も戻って来るのではないだろうか。次に活躍するのは、フリーマン選手かマンシー選手か?はたまた10月男のキケ選手かも…。

2025年10月1日水曜日

月刊言語の編集後記を読む。

『月刊言語』の2003年12月号、旧約聖書の世界という特集から、印象に残った記述のエントリー第7回目、最終回。本日は、意外に面白かった(豊)氏の編集後記についてのエントリー。

「二人の娘に、アンナとサラというヘブライ語起源の名前をつけたから、ときどきクリスチャンですかと聞かれるが、いたって不信心な生活を送っている。若い頃にドイツ文学を専攻していたころの酔狂でつけた名前で、ローマ字で書いてもドイツ語になる名前を考えたら、たまたまヘブライ語起源の名前になっただけだ。▶西欧文学を専攻したくらいなら旧約聖書は読んでいて当然だろうが、実はちゃんと読んだことがなかった。今回の企画で時間の許す限り初めて繙(ひもと)いた。読んでみて、改めてこの浩瀚(こうかん:分量が多いこと)な書物が西欧文学に与えた影響の大きさを思い知った。▶創世記24章、アブラハムが息子イサクの嫁探しに家の者を派遣する件、泉に水を汲みに来る娘の素行で嫁の品定めをするところを読んで、卒論で扱ったゲーテの『ヘルマンとドロテーア』の一節に近似していることに気づき、思わず20年前に読んだ原書をひっぱり出してきて、我を忘れて読みふけった。▶若いころは、こんなにコンサバ(コンサバティヴ:伝統的な/保守的な)な作品を卒論に扱ったことを恥じたものだが、中年になった今、もはや羞恥もなく、しばし至福の体験であった。」

…私は、当然この『ヘルマンとドロテーア』を読んだこともないし、初めて知った。ゲーテといえば、『ファウスト』や『若きウェルテルの悩み』とくるのだが、この『ヘルマンとドロテーア』は、ドイツ本国では最も有名かつ読まれた作品らしい。(たしかにコンサバである。)少し調べてみた。題材は、新教徒故にフランスを追われた女性・ドロテーアとドイツの純朴な青年ヘルマンの話なのだが、フランス革命時に置き換えられている恋愛叙事詩であるらしい。

…有名な映画・「エデンの東」がカインとアベルの物語をモチーフしていることを先日(本年9月4日)エントリーしたが、AIで旧約聖書の内容が影響を与えた文学や映画は何か?と検索してみると「失楽園」や「カラマーゾフの兄弟」などが挙がってきた。おそらく、もっともっとあると思われる。

…ところで、ゲーテは、ドイツでは”グェーテ”と発音される。南ア・ジンバブエ行の帰路、フランクフルトで時間あったので短時間の観光ツアーに参加した際、たくさんの人が集まっているところを指さして、ガイド兼運転手に”グェーテの生家だよ”と言われた(もちろん英語)のだが、後でゲーテのことだと知ったことを思い出したのであった。

…とにかく、この(豊)氏の編集後記、実に俊逸だと思うのだが…。