2023年7月20日木曜日

謎解き 聖書物語

先週、職員室で、学園図書館の司書の方が、ちくま新書・ちくまプリマー新書の解説目録を配っておられた。学園の図書館はかなり充実しているし、さらに教職員からのリクエストで蔵書を増やそうと考えておられるらしい。帰路この目録を一読して、興味を引かれた本にチェックを入れておいた。もちろん、私のことだから、ほとんどが哲学宗教学にまつわるものである。(笑)次の日、図書館に出向いて司書の方と話したら、プリマー新書(プリマー=入門書)のほうは、全巻蔵書に入れられたそうだ。ということは、すぐに読めるということなので、さっそく2冊見つけ出した。今回のエントリーは、そのうちの1冊「謎解き 聖書物語」(長谷川修一/ちくまプリマー新書313)についてである。読み終えたのはだいぶ前なのだが、体調不良でエントリーできなかった次第。

まずは、本書の全体像についての感想である。聖書は文字通り聖なる書であり信仰の対象であるが、本書では、歴史的な経過を踏まえながら、その成り立ちを地域的な伝承等とも比較しながら、あくまでも「物語」として論じている。記紀のような感覚といっていい。もちろん、著者はハイデルベルグ大学、テルアビブ大学の進学部博士課程に学び、旧約聖書学、オリエント史、西アジア考古学などの専門家である。

第1章はアダムとイブの話である。アダムの名の由来は、土で、アーダーマーであるそうだ。そもそも神は土から人間を作ったわけで、アーダーマーが、アーダーム(人)となった。このアーダームは、定冠詞がつくので一般名詞であるらしい。アダムと訳されているが、固有名詞のアダムではなく、人と訳すのが正しいとのこと。

西アジアの古代の文学作品においても、神々が人間を作る描写がある。その目的は明確で、神々の苦しい労働を代わりに行うためと、はっきりと書かれている。聖書の創世記においては、「うめよ、ふえよ、地に満ちて、これをしたがわせよ」と書かれており、地上で数を増やし、大地をしたがわせることが、人間を作った目的が違う。この大地をしたがわせるとは、灌漑などによる「支配」と捉えることが容易だが、エデンの園の追放時には、土につかえさせたという記述が見られ「世話をする」と捉えることもできる。すでに矛盾があるわけだが、古代メソポタミアにおいてすでに自然破壊(塩害)が起こっていたことと結びつくっそうだ。

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