2014年8月3日日曜日

スーパー晴れ夫婦 in 長崎

長崎歴史文化博物館
今回の長崎行きを阻むように台風が接近していた。7月31日、出発時の大阪は晴れていたが、3時すぎの長崎空港は雨だった。とりあえず、市内中心部の大波止(おおはと)にあるホテルにチェックインし、さっそく長崎歴史文化博物館へタクシーで向かう。私には長崎の坂を登るのは絶対無理だということだった。(笑)しかも小雨である。スーパー晴れ男と晴れ女の夫婦旅なのだが…。

妻によると、長崎は博物館の充実度がハンパではないらしい。その言に嘘はなかった。時間があまりないので急いで見たのだが、素晴らしい博物館だった。長崎には、様々な歴史が刻んだ魅力が凝縮している。常設展の最初は、貿易の展示だった。様々な貿易品を目利きする展示は、実際に体験できて、実に凝っている。こういう体験的展示やVTRを使った展示の豪華さと言う点では、我が大阪が誇る国立民族学博物館をも完全に超えている。オランダ語の辞書や唐人街の模型、中国磁器の展示…。息を呑むほどの素晴らしさだ。
幕末期の長崎留学についても興味深い展示が多い。伊藤博文、大隈重信、河井継之助、五代友厚、吉田松陰、貝原益軒、高野長英、前野良沢、中江兆民、平賀源内、福沢諭吉…。凄い面子である。

解体新書の展示も、薩長が輸入した西洋銃の発展の展示も長崎ならでは、でないか。さらに長崎奉行所が復元されていている。なかなかの見ごたえなのである。ここには、隠れキリシタンの展示もされていた。浦上四番崩れの展示もあった。(この話はさすがの私も遠藤周作の本を読んで知っている。)

意外なものを2つこの博物館で発見した。ひとつは、長崎遊学者の代表格・勝海舟が西南戦争で自刃した西郷を想って書いたという詩(西郷南洲追弔詩)と、特別展(お化け屋敷を科学する展示で面白かった。)に、なぜかあった芥川龍之介の河童の絵である。
西郷南洲追弔詩(勝海舟)と河童(芥川龍之介)
博物館を出ると雨は上がっていた。しかしスーパー晴れ夫婦の力を実感するのは、翌日の軍艦島ツアーである。出発時には、どんどん晴れ間が広がった。まさに、「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」である。(笑)私たちが予約したのは、(妻が前回利用した、ちょっとマイナーな)シーマン商会のさるく号である。現在、軍艦島には、台風被害で上陸できないそうで、かわりに近くの高島に上陸するとのことだった。残念だが、仕方がない。それより台風で欠航しなかっただけラッキーだった。
最も戦艦「土佐」(意味深である。)に見える位置で
このツアー、参加者は我々と神戸の家族連れだけ。(笑)最も軍艦らしく見える地点で、写真を撮ったが、凄い波である。迫力満点だった。詳しい解説がありがたい。高島は、軍艦島同様海底炭鉱の島で、資料館もあり、ある意味、端島(軍艦島)の産業的位置がよくわかったのだった。私はこれで十分満足した。うむ。なるほど長崎は岩崎弥太郎以後は三菱の街だ。

グラバー園のフリーメイソンの門柱
さらに晴れ、暑くなった。桟橋から大浦天主堂・グラバー園へ歩く。ここは長崎の(京都にある清水寺へ続く)三年坂のようなオミヤゲ屋の連なる観光地である。キクさん(遠藤周作の浦上四番崩れの小説に出てくる)が他界するマリア像を探し、グラバー園ではフリーメイソンの門柱を探ししていた。

長崎に来たら、行かなければならないところはたくさんあるのだが、長崎駅前の喫茶店(この前にエントリーした加川良の「あの娘と長崎」参照)はともかく、竜馬の「亀山社中」である。妻は、全く興味がないらしく、前回は来ていないそうだ。結局遠いし、山の中腹にあるので、タクシーで行くことになった。

「亀山社中」はまさに山麓の住宅街の中に隠れるようにあった。タクシーに待ってもらっていたので、急いで坂を降り、見て回ったのだが、これも十分満足した。ちょっとだけ竜馬のブーツをはいて記念写真も撮った。(笑)もと来た坂をひいこら登ってタクシーに乗り込んだ瞬間、凄い雨になった。さすが、スーパー晴れ夫婦の面目躍如である。

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