2010年10月31日日曜日

西宮へアフリカのお面を見に行く

昨日、ブログで記したように、今日は西宮の大谷記念美術館というところへ、アフリカのお面を見に行ってきた。当然妻と共にである。サカキ・マンゴーのコンサートは無料だった(要予約)ので、展示を見てコンサート(90分)込みで800円はムチャ安い。今日を目指して行ったのは正しい!のである。ワンピースのTVが終わってから、準備をしてJR学研都市線+東西線+神戸線1本で、さくら夙川駅まで。アクセスも抜群である。時間があったので、昼食を取ることにしたが、適当な店がない。偶然、阪神電車の「香櫨園」の駅近くの「まめ牛」いう炭火焼肉屋に入った。時間がかかったが、880円の切り落とし定食は、ブログに書く必然性を感じるほどおいしかった。肉もご飯もおかわり可能だったが、一見(いちげん)さん故、遠慮した。もし近所にあれば通うことになるであろう。
 さてさて、本題1である。今回の美術展は、『アフリカの仮面と美術:生命と創造の大地』というのが、正式な名称である。西アフリカ、中央アフリカ、ナイジェリアと3部門に分かれ、数々の興味深い仮面や彫刻等が展示されている。そもそも、民博のファンで、特にカメルーンの造形に惚れている我が夫婦は、こういうのが大好きである。もちろん、カメルーンの仮面も、ガボンの仮面も、マリの仮面もよかったが、私のイチオシは、コートジボアールの騎馬に乗った男像である。理由は特にないが、もし、私が書斎を持っていたら、机上にこれが欲しい。(笑)
本題2は、当然サカキマンゴーのコンサートである。妻は、親指ピアノの音色については、私のムビラしか知らない。さて、どう反応するか楽しみであったが、意外にノリノリで楽しんでいた。一つには、サカキマンゴー自身の演出やアフリカ学的な要素も含めて、観客参加型のステージを創っていたからであろう。90分、見事なコンサートだった。これで無料は申し訳ない。「親指ピアノ道場」という著書とサカキマンゴーバンドのシールを2枚買ったのであった。<右の画像は、サカキマンゴー>
 いやあ、楽しい日曜日だったが、1つ問題をあげるとすると、焼き肉屋から出た時、雨になっていて、ずいぶん濡れたことである。帰りも雨が止まず、美術館でビニール傘を2本買うことになった。その値段が、1本110円である。今時、こんなことがあっていいのだろうか、と思う。100円ショップで購入したと思われるが、原価である。極めて良い美術館であるとしかいいようがない。

2010年10月30日土曜日

ジンバブエ外伝・ムビラを語る

 今日は、「ジンバブエについて熱く語る」の外伝という形で、ムビラについて語りたい。ムビラとは、アフリカの伝統楽器、親指ピアノのジンバブエ版である。私が、苦労してジンバブエ行きのバスの切符を入手、ついに入国した2日間は、悲しいかな休日でこれといった土産店は開店していなかった。公園の露店といった店で、私はムビラを見つけた。まさに土産用といったチャチなものである。店のオヤジが本物のムビラを演奏していた。私には土産用のものを勧めたのだが、結局私はオヤジのムビラを買うといってきかない。おそらく愛着もあったのだろう。そのぶんの価格も含めて日本円で1500円くらいで買った記憶がある。日本で手に入れるとなると、軽くその5倍以上する。ムビラは変な楽器だ。ビールのふた(金属)がついていて、ガシャガシャといった雑音も混じる。そこがいいのだ。ムビラは、親指ピアノだし、音が小さい。ひょうたんを使って、拡声することもある。しかも単調で、誰にでも弾けそうな気がする。そこもいい。私はムビラのCDを2枚持っているが、授業で聞かせたことはない。絶対生徒は寝ると思う。(笑)でも、「ものランゲージ」として、生徒に触れさせるアフリカ教材としては、かなりいい。

 今日こんなことを書いたのは、明日、西宮の美術館にアフリカの仮面展を見に行く予定だからである。何故明日かと言うと、そこにサカキ・マンゴーが来るからである。サカキ・マンゴーは、旧大阪外大のスワヒリ語科の卒業生で、親指ピアノにハマったヒトだ。前から注目していた。なかなか縁がなくてコンサートに行けなかったのだが、ついに明日会える。ちょっとワクワクしているのである。

2010年10月29日金曜日

第二の革命・廃藩置県を語る

 このところ、日本史Bでは、廃藩置県のことをやっている。廃藩置県は第二の革命と言うほど日本の近代化にとって重要な事件である。受験に関係ない日本史Bとしては、大いにこだわりたい。戊辰戦争は、そもそも、薩長土の藩兵が官軍の中心になって行われた。戦争が終わると、各藩兵は故郷へ帰ってしまう。あたりまえのような話だが、ここが凄い。東京の新政府には、国家権力の基盤が無に等しくなったのである。しかも新政府の財政は、旧幕府直轄領からの年貢米のみ。それも凄い。生徒に質問する。「新政府としては、かなりヤバイ状況だ。どうすればいいと思うかね?」いろいろな意見が出た。その中でも皆が驚いたのが、「藩に分れているから、内乱の危険があり、まずいと思います。藩をつぶしてしまうべきです。それから軍隊を改めて作ったらいいと思います。」他の生徒から思わずため息がもれた。なんという暴論!という感じだ。しかし、これが正解だったのである。「そう、それが、廃藩置県の意味だ。」と私が言うと、中学の歴史で、曲がりなりにも「廃藩置県」という重要語句を知っている生徒たちは、思わず机を叩き、「へぇ~」ボタンを押したのだった。
 この廃藩置県、新政府の権力掌握上避けられない過程であり、木戸孝允や大久保、そして後に陸軍の中心者となる山縣有朋などが同時進行で思索していたようだった。しかし、社会の基盤である藩をつぶすのである。彼らだけでは到底できない。薩摩に引っ込んでいた西郷の人望に頼るしかなかったのである。西郷の説得には、山縣があたった。山縣も命がけである。西郷が断った時は刺し違える覚悟だったという。このあたり、明治の政治家の気骨というか、サムライなのである。(山縣は最下層の奴さんの出自だが…。)対する西郷も、山縣の説く意味がわかった時点で、死を覚悟したらしい。薩摩の久光を説得する為には死を決してあたらねばならない。この辺が凄い。やくざ映画どころではない。一国の生き死にに関わる問題である。<今日の画像は、山縣有朋にしたかった。ところが若いころの山縣の画像がない。そこで、銅像探索日誌というHPからお借りした。左が山縣、中央は木戸、右は伊藤。萩市の道の駅にある銅像だそうである。>
 廃藩置県は、一気に進んだ。いろんな本を読んだが、日本と言う国に流れていた植民地化への危機意識と、和をもって尊しとなすと言う集団主義を基盤にすでに国民国家となっていた故であろう。一滴の血も流されなかったのは世界史上の奇跡であると私は思う。まさに第二次大戦の終了時を彷彿とさせる。日本とは不思議な国である。
 ところで、この廃藩置県で、人口の6%強の武士が一気に失業した。録にしたがって退職金らしきものは支払われたのだが、悲惨な話である。面白いのは、学校に行くことで生き延びようとした武士が多かったということだ。この学びへの信仰のような姿勢こそ、近代日本の礎ではないかという気もする。中国・朝鮮のような科挙のための学びではない。イギリスの貴族階級のような階級意識に支えられたエリートとしての学びでもない、中間管理職を大量に排出するプラグマティックな学びであったところが面白い。この辺、趣がアメリカのプロテスタンティズムに似ていて妙である。

2010年10月28日木曜日

中間選挙のアイオワへ

本日午後、アメリカ研修旅行に参加する英語科2年生が全員無事旅立った。どうやら今秋のアイオワは寒いらしい。最低気温は1℃だとか。と、いうわけで、今日の画像のU校のマスコットは、雪が降っているわけである。先ほどもNHKのクローズアップ現代でやっていたけれど、U校への研修旅行の時は、いつも中間選挙か大統領選挙の真っ最中である。私の担任の時も中間選挙であった。アイオワの家はだいたい芝生があって、そこに支持する議員名などが書かれた立て看板や幕が立て懸けてあったりする。ちょうどハロウィンとも重なって、おもしろい風景である。今年は、アメリカも経済不況で、ティーパーティーという共和党の運動が盛んらしい。アメリカの精神(個人の自由の尊重)に立ち返れと言う白人保守層の運動であるらしい。合衆国憲法を配り歩いて、その原理主義的な立場を鮮明にしているらしい。…なるほど。なるほど。
 日本にいると、アメリカ人は政治好きなんだな、くらいに思えるかもしれないが、この政治に関する重大な日米の文化的相違がある。初めてアメリカを訪れた時、その大きな衝撃的事実を知った。
 それは、日本ではサラリーマン(私も広い意味でそうだが)など勤め人は、税金を給料から天引きされているので、税金をどれくらい納めているのか、あまりよくわかっていないということである。この形だと、どうしても納税意識が低くなる。ところが、アメリカでは、全ての人が、自分自身で申告するのである。自分で1年分の領収書を集め、自分で申告書を書き、納税する。苦労する分、納税額への関心も高いし、当然その使途である政治への関心も高くなるのである。

 アメリカの公立学校は、そういう関心の高い税金(まさに血税である!)で運営されている。小学校などは、コミュニティの意見を当然反映せざるを得ないし、保護者(納税者)が学校運営に口をだすのは当然である。校長は、ある意味コミュニティのカネを預かって、いかに効率的に、しかも成果をあげる学校を運営するかを問われる経営者であるといっていい。当然良ければ給料は上がるが、無能なら解任である。一般教員も同様で、高校レベルなら、進学実績や特色ある授業などが個々に評価され、個別に契約を結ぶのである。ボストンの高校で、私は台湾出身でIT教育でゴールデン・アップル賞というのをもらったという優秀な先生に車で送ってもらったことがある。校長は、彼女のような優秀な教員をスカウトできて満足している、と言っていた。完全に経営者である。彼女の授業が受けたいと、優秀な生徒が集まるのであろう。

 この納税システム、邪魔くさがりの私にとっては、ノーサンキューだが、公立学校がこういう緊張感に立たされ、競争しあうというのは悪くない、と私は思っている。日本人は、アメリカを理解しているようで、こういう基本的な事実をあまり知らない。アメリカの政治理解の基礎、しいては文化風土の基礎ではないか、と私は思っている。異文化理解は、こういうところから教えたい。

2010年10月27日水曜日

アナタ・ボリビア、私ケーナ

学校が終わってから、京阪電車に乗って、枚方市民会館の”ANATA BOLIVIA”というボリビアのフォルクローレのバンドのコンサートに妻と行って来た。本来は、ラテン音楽好きの息子が帰国している可能性もあり、一応妻と息子の分のチケットをキープしたらしいのだが、息子はまだルーマニアあたりらしい。で、代役に私が行くことになったのである。やれやれ。とはいえ、ケーナの音はやはりいい。息子が中学生だったと思う。私がNYCに行く時、「お土産に何が欲しいか?」と聞いたら、「手榴弾とケーナ」という答えが返ってきた。この時の手榴弾事件については、以前このブログでもふれた。(昨年12月26日付ブログ参照)
ケーナとは、フォルクローレで使われるたて笛である。NYCのとある民族楽器店で、私はそれを手に入れた。その店は、入り口が非常に狭く、手荷物を入口のカウンターに置かされるのだった。店内はまさに民族楽器で造られたジャングルである。「何を買いたい?」とオヤジに聞かれたので、「ケーナじゃ。」と言うと、大声で、ジャングルの奥に向けて、叫んだ。「ケーナだとよ!」すると、奥から「OK」という若い声が聞こえたのである。「よし、進め!」とオヤジが私に言った。よく事情が呑み込めなかったが、ここは「見るだけ」などという甘い世界ではないことは判った。「こっちやでぇ」という声を頼りにに、ジャングルを進むと、若い兄さんが埃だらけの箱から、数種類のケーナを出してきて、吹いてくれては、値段を明かしたのである。結局、そう変わらないように思えたので、$30のにしたと記憶している。「店長に、ケーナを持って行って金を払ってくれ。」と彼が言うので、またジャングルを戻った。すると、他の客が勝手に入ろうとしていて、店長にどやされているところだった。奇妙な民族楽器店だった。<上記写真参照>

 さてさて、昔話はともかく、今日のフォルクローレ、6人のボリビア人と1人の日本人のバンドであった。日本人の彼が、楽しくコンサートを進めてくれた。スペイン語の歌がほとんどで、私はミニバス(ケニアのマタツーのようなもの)という歌が気にいった。バックに、ラパスのミニバスの映像が流れ、バスの車掌役の少年の掛け声(スペイン語)を客席とやり取りしながらのステージは、なかなかのものだった。もちろん、ギターの腕前も歌唱力も大したものであった。結局、CDを2枚も買ってしまったのだった。満足。満足。

2010年10月26日火曜日

河内音頭 IN 月壇中学

 中国修学旅行シリーズ、一応の最終回。今日は月壇中学との交流について書こうと思う。月壇中学は北京で唯一日本語を第一外国語としている学校である。<右の画像はその正門。電光掲示板に熱烈歓迎と本校名が表示されている。>本校以外にも多くの日本の高校と交流関係にある。ただ、本校はその中でもここ5年連続して訪問し、かなり重要な交流校と認知されていると私は思っている。前回も校長が交流式典に出席されたし、今回も所用を終え、交流式典には間に合わなかったが、その後はずっと本校校長と懇談されていた。月壇中学の校長は、どっちかというと北京市のえらい方で、実務は副校長に任せておられるので、2年連続校長と懇談できたとうことは、本校に対してそれなりの重視の表れなのである。(この辺、社会主義国の役職の序列云々を重視するマスコミ報道みたいだが…。)この月壇中学は、かなり優秀な学校で、北京大学をはじめ、素晴らしい進学実績を誇っている。日本留学でも、東大、名大、筑波大、早大、慶大など錚々たる大学名が並ぶ。
 とはいえ、交流は交流である。進学実績なんか関係ない。日本語はできるが、シャイな生徒諸君が多い。今回は、式典で本校生徒が”3人丸暗記同時中国語スピーチ”を披露した。監修のK老師が、太鼓判を押したメンバーだ。月壇中学の先生方も非常に誉めておられた。さらに、本校生のアトラクションは、「河内音頭」だった。全員が浴衣に着替えての本格的なものである。最初見ているだけだった月壇中学の生徒(写真ではスカイブルーの体操服を着ている)に、担任のT先生が声をかけ(日本語だ。しかし彼らは日本語が堪能である。)、徐々に輪に入っていく。いい交流だった。その後、校舎見学、教室での懇談、さらに少し暗くなった運動場で、レクレーションを楽しんだ。交通事情もあって若干延着した我々を、時間オーバーして精一杯もてなしてくれたのだった。
 実は、現地ガイドの王さんが、月壇中学の卒業生で、毎回細かいところまで面倒を見てくれる。今回も、彼の念密な打ち合わせのもと、無事に交流が出来たのであった。ありがたいことである。本校生徒、そして月壇の生徒たちの満足げな顔を見ていると、マスコミ上の様々な日中の問題はふっとぶのである。王さん・劉さんとともに、月壇中学の友人とも、地球市民的つながりを結んでくれたら、私はこの修学旅行の意味がさらに深まると考えている。

追記1:今日は多くの生徒に「カラダ、大丈夫ですかぁ?」と聞かれた。かなり心配をかけたようである。授業では、それを払拭すべく汗をかいて熱血の講義をしたのだった。現社では、アマルティア=セン、倫理ではキルケゴールとヤスパース。久しぶりの渾身の授業であった。追記2:higashi101さん、読者登録ありがとうございます。コメントもお願いしますね。

2010年10月25日月曜日

間前一小歩、文明一大歩

今日は、体験入学の代休日である。ちょっと早めにブログ更新をしたい。中国修学旅行シリーズの続きである。私は、昨年、今年と続けて北京に行ったわけだが、だいぶ以前に行った個人旅行での北京とも絡めながら少し考えたい。
 1つ目は、なによりも車の多さである。個人旅行で訪れた頃は、ダイハツとVWのタクシーが目立ち、高速道路も出来つつあった。ホテルから無謀にも、ハードロックカフェ・北京にタクシーを飛ばした。頼りは、硬石飯店の住所と止まってるホテルの住所のみ。英語など通じない。タクシーは、胡同(前日のブログ参照)の人力車よろしくカーチェイス状態で、何度も死ぬかと思った。今、北京の高速道路をあんなに飛ばすことは、余程の深夜でもないかぎり出来ないだろう。完全に飽和状態である。劉さんのガイドによると、平日に、1/5ずつの一般車の通行を規制しているらしい。月曜日なら1と6、火曜日なら2と7という風にナンバーの最後の数字で、規制の曜日が設定されているという。(ちょっとうろ覚えだが…。)北京オリンピックの時は、奇数偶数で規制されていたので、もっと車の稼働率が悪かったはずだ。規制を緩くした分、車の販売台数が増え、しかも、高級車と言ってよい新車がガンガン走っていた。
 2つ目は、「勇気優先」である。この車の交通ルール、まさに弱肉強食である。当然、政府・軍関係車、トラック・バス、高級車、大衆車、軽自動車、バイク、自転車、そして人間と、すさまじいヒエラルヒーがある中、一瞬のスキをつきながら前へ前へと進むのである。劉さんに言わせると、北京の交通ルールは「勇気優先」となるのである。生徒が感心していた。(笑)
 
この車の莫大な増殖と、勇気優先の修羅場を、今回は強く感じた次第。場所は、北京雑伎団の公演会場前の信号である。<写真はその会場。まだ人通りが少ない時点での撮影。>とにかく筆舌に尽くしがたい移動風景である。莫大な車、人、クラクション。壮絶な戦いと言ってもいい。私は,足を痛めた故に車いすを使用している生徒もいたため、最も危険な位置で生徒達の移動を見守っていたのだった。人と車に酔った、という感想だ。雑伎団公演は、今回は2階席で満員だったこともあり、講演が始まってから、まだまだ人が入ってきた。生徒の横に他の団体客が遠慮なく座っていく。さらに、劇場のスタッフに注意されると、大声で反論する。勇気優先は、交通ルールだけではないのである。

 この我々日本人から見れば多少揶揄したくなるような喧騒は、なにより中国の人々の数の多さからくる宿命的なものだと私は考えている。「和」を保てるのは、肉親・血縁。そして地縁が限界であり、それ以上になると極めて難しくなる。日本のスタンダードで測るべきものではない。とはいえ、今中国政府は、これをなんとかしようと懸命である。劉さんが、朝のバス停で整列乗車を呼び掛けるボランティアの紹介をしていた。オリンピック以来、街が飛躍的に近代化し、綺麗になった。それを有効に使いこなすには、「脱勇気優先」のスタンダードが必要である。その一つの現れであろう。

 今日のタイトルの「間前一小歩、文明一大歩」は、某公衆トイレで見つけた金属プレートの文句である。<写真参照>男性用トイレの前にあったので、意味は明瞭であろう。しかし、深く読んでみると、この脱勇気優先問題、長い時間をかけて一歩一歩中国が進んでいかなければならない大問題であると私は思うのである。北京「首都」空港では、ライターを持ち込ませない。喫煙所以外で喫煙する勇気ある者がいるからであろう。これには、まいった。(笑)