2010年6月30日水曜日

広報パンフレット完成の日に


5月から心血を注いできた本校の中学生用のパンフレットが、ついに印刷されて納入された。明日から広く大阪中の中学校に配布されることになる。と、いうわけで、我がブログにもやっと掲載が可能となった。4月30日付のブログで、すでにこのパンフレットの基本コンセプト等については触れているので、とにかく見てていただければと思う。<表紙は本校の航空写真/見開きで左に国語科の国語辞典/右に英語科の英和辞典/裏表紙は、”地球市民を育む”というコピーに変わった国際交流>


さて、今日はすこぶる眠い。昨夜のW杯日本VSパラグアイ戦を、延長戦、そして最後のPK戦まで見ていたからである。昨日は、下校の時I先生に「サッカーファンとして、今度は絶対見て下さいよぉ」と言われた。見るのは当然である。毎日、デンマーク戦を生で見ていないことをなじられているのだから。(笑)ところで、パラグアイ戦、死闘だった。ハーフタイムにもI先生とメールのやり取りをしたが、「しんどい試合やのぉ」というのが精一杯である。あそこまでセカンドボールを拾われては…。

昔、JICAの高校生セミナーでパラグアイの女性消防士さんと対話したことがある。本校のテーブルに来てくれて生徒とワイワイ話した。えらい”べっぴんさん”だった。と、いうわけで私のパラグアイのイメージはすこぶる良い。その後、彼女が帰国しただろうと思われる頃、首都アスンシオンで大火災があった。彼女はレスキューの技術を学びに来日していた。活躍できたのだろうか、無事だろうかとずいぶん心配したのを思い出すのである。


ところで、今日はOGが3人もやってきた。1人は今年国語科を卒業したK大学で比較宗教学をやっている、仮想世界ゲームではW地域の政党主だったOGである。立ち上げたNPOの話やハンブルグ行きの話、18日の仮想世界ゲームの実施の話などで盛り上がった。結局、18日はアシスタントで来てくれることになった。心強い。(朝、学校のPCに大阪の某国立大学付属高校から参加連絡があった。幸せである。40人は十分そろいそうである。)もう2人は一昨年度の卒業生。レポートの相談を受けた。「文明」と「野蛮」、欧米的なこの立てわけについて論じる。正直、期末試験を4つも作らねければならない多忙な時期ではあるが、それを念頭においても、あまりある至福の時である。こういった話をできるのは、本校の教員であるからこそである。

2010年6月29日火曜日

子供嫌いのアメリカ文化


 街場のアメリカ論という文春文庫を読んでいる。ちょっとばかし胡散臭そうなアメリカ論なのだが、著者の知的水準と筆力で読ませてくれる。この内田樹という人、神戸女学院大の教授らしい。アメリカが専門ではないのだが、(十分専門的知識があると思うが…)いや専門でないからこそ語れるアメリカ論だという。なかなか面白い。池上彰的「そうだったのか」の対極にあるアメリカ論かもしれない。

 私が特に面白く読ませてもらった箇所をちょっとだけ書くと、『アメリカン・ヒーロー(スーパーマン・バットマン・スパイダーマン)は、理解されない。』特殊な能力をもつ白人男性が、スーパーな本性を見せることを禁じられ市民的な偽装生活を送ることを余儀なくされおり、どういうわけか活躍しても誤解される。このイメージは、国際社会の中のアメリカ人の投影であるとの著者の見解。面白い。

 アメリカというより、『欧米では古来、子供は悪である』と見られていたこと。人間は罪深いものであり、子供最もその原始の姿に近いゆえに矯正されるべき者、あるいは親の所有物という観念を、アブラハムのイサク生贄の話や、チャーリーとチョコレート工場などの映画から説く。なるほど。そういえば、アブラハムのイサクの話にもなんら逡巡がない。チョコレート工場の映画は先日TVで見て、あまりにガキどもがかわいくないので、私は途中で見るのをやめた経験がある。面白い視点である。

 一方で、アメリカと日本の関係を見事なねじれ現象で説いている。右翼が日米安保を堅持しつつ自主憲法制定を主張し、左翼は日米安保破棄を訴えながら、憲法9条を守れと戦う。まさにねじれている。最近は、安保破棄、自主憲法制定などという右翼らしい右翼も出てきたみたいだけど…。勝谷誠彦のことやが…。

 こういう様々な角度から論じる評論を読んでいると、まだまだ勉強が足りないなあと思うのである。でもまあ、アメリカ人にこの視点から討論したとすると、絶対喧嘩になると私は思うなあ。

2010年6月28日月曜日

40人を集める


 さてさて、久しぶりに仮想世界ゲームのことを書こうと思う。いよいよ今週の土曜日から日本国際理解教育学会で東京である。すでに先日の土曜日、50部の資料は刷り上がっている。全32Pで両面印刷なので大変だった。結局A4で800枚くらいの量である。これを東京まで運ぶとなるとしんどい。ボーナスの小遣いを愚妻に前借りして、キャスター付きの小さめのスーツケースっぽいのを日曜日に購入した。パワーポイントなどプレゼンの準備も終わっている。東京の安宿も手配した。
 
 それより問題なのが、18日の本校で行う仮想世界ゲームである。各校からメールが帰ってきたが、今朝の時点では、府立のS高校4、S高校9、S高校1という現状だった。ありゃーイニシャルが、みんなS高校である。(笑)M高校からは残念ながら…という返事。国立高校からはまだだが、これは、いよいよ本校生をかき集めねばと思っていたのだが、夕方になって生徒の進路相談を受けていたら、I先生が「外線が入ってますよぉ」と言ってくれた。「どこから?」と聞くと、京都の国立高校からだった。慌てて電話口に出ると、なんと「十数人も希望者がいるのですが…」との話だった。狂喜乱舞である。ありがたい!飛び上がった。これで完全に40人のメドがたった。今本校生で声をかけているのは、7名。後はなんとかなりそうである。

 日曜日の学会の発表の最後は、「他の学校の生徒を集め18日に、仮想世界ゲームを実施する予定です。」という内容である。やっぱり、最後は一念である。

2010年6月27日日曜日

本校硬式野球部への賛歌


 今朝新聞を読んでいると、夏の甲子園予選・大阪大会の組み合わせが載っていた。本校の野球部はくじ運が良かったのか、2回戦からの出場で、府立M高校と私立Y高校の勝者との対戦になっていた。19日、住之江球場での対戦である。<今日の画像はその住之江球場である。>私は、あんまり野球に詳しくない。しかも得意ではない。とはいえ、硬式野球部というのは異論もあろうが、やはり特別な存在に思える。良い、悪いは別にして全てのチームの選手の名前が新聞に掲載される。(バレーやサッカーやバスケットなどを熱心に指導されている先生方は、この差を快く思っていない事が多い。)なにか不祥事があると大きく扱われるし、高校のクラブ活動の中では最もメジャーなのである。小規模校で、しかも男子が少ない学校なのに、硬式野球部があるのは不思議である。
 本校は、本当に良い学校だと思うが唯一の欠点は、グランドが”ない”に等しいということである。詳細に言えば、あるのだが、徒歩5分かかり、猫の額のようなグランドで、テニスコートが4面とれるかどうかしかない。しかも同じ市立のH商業高校との共有である。そんなグランドで硬式野球部は練習している。したがって、内野の守備練習はともかく、外野フライなどノックできない。グランドが使えない日は、校内でトスバッティングをしているが、普通でも狭い校内である。なんとバドミントン部のお古のシャトルをトスしている。キャッチボールも出来ない。でも、彼らは、きちんとユニフォームに着替えて毎日練習しているのである。

 前任校のI工業高校の野球部は強かった。野球をするために学校に来ていた生徒が多かった。私のいた15年間ではさすがにプロに行った生徒はいなかったが、社会人野球や韓国プロ野球に行った生徒も出た。よく甲子園出場校が出場が決まった後、大阪にきて練習試合を申し込んできた。東北地方の有名校でD選手の出身校T高校に4対2で負けたとか、S高校とは4対3だったとか、『絶好のかませ犬』だったらしい。昔々私が学年主任をしていた時、ベスト16まで進んだことがある。藤井寺球場まで応援にいった。”野球部が強い”ということは、嬉しいことである。一度、凄いコールドゲームを見たことがある。相手のチームはかなり弱かった。四球、盗塁の連続とヒットの嵐で打者一巡。一年生が我々の前で声をからして応援していたが、かわいそうなくらい点が入り、いちいち踊りまくって歌いまくっている。「おい、もう休んだらどうや。」と言ったら「いえ、先輩に怒られますから。」とのこと。笑った。彼らは心では「えーかげんにしてくれぇ」と思っていただろう。結局1回が終った時点で10点以上の差がついた。相手校への配慮か、前任校の監督は一気に選手を変えた。と、いってもやはり強いので、あと5点くらい追加したと思う。「やれやれ、ヒドイ試合だった。」と生徒に祝福もせず帰ったことを記憶している。

 と、いうわけで、本校に赴任してからも、試合と授業や補習が重ならなければ、出来るだけ応援に行くようにしてきた。ところが、本校の野球部は、当然のことながら弱いのである。外野フライが飛ぶたびに、目を覆いたくなる。内野ゴロをうまく処理できた時は大拍手である。”勝つ”というより、アウトを取ることが拍手の対象になる。エラーが当たり前のシチェーションである。まさかこんなに差があると思っていない一般生徒は、最初こそ期待の声援や拍手を送っているが、だんだん母性本能のみで拍手を送るようになる。ヒットなど出た時は、優勝したような歓声に包まれるのである。あれは赴任2年目の万博球場だったと思う。ちょうど前述の前任校の時経験した”ヒドイ試合”になったことがある。前任校の監督には、サムライとしての情けがあったが、本校が対戦した相手校にはなかったようで、大阪大会歴代第2位の記録のコールドゲームとなった。私は、勝者と敗者と全く違う立場で、このような”ヒドイ試合”を見たことになる。
 でも、彼らは今日も『野球』をやっている。それが、バドミントンのシャトルであっても、ひたすらスキルアップを目指している純真な姿は、レベルこそ違え強豪校と同じである。頑張れ、…本校野球部! 

2010年6月26日土曜日

姉妹校交換留学説明会


 今日の大阪は1日中雨で、湿度の高い1日だった。今日は土曜日だが、姉妹校の交換留学の説明会があるので出勤した。本校には教室棟4Fに、”多目的室”という名の普通教室2室分のスペースに最大160名が入って座れるような部屋がある。国語科の特別講義(大学の先生や、小説家、アナウンサー、落語家など様々な方が生徒に講演する。年間かなりの回数が行われる)や英語科の外務省講演会(外交官が年1回来て様々な話をしてくれる)、国際交流部の仕事でいうと研修旅行や修学旅行の説明会、さらに学年全体を集めることも可能な部屋である。今日は、保護者の方にも出席いただくので、この部屋を使わせていただいた。
 
 姉妹校との交換留学は本校の特色の1つである。毎年優秀な生徒をアメリカのU校<今日の画像はU校のスクールバスの画像である。>やオーストラリアのMW校に送っている。だが、そのハードルはなかなか高い。また交換留学経験者は本校の顔でもある。様々な時に協力してもらうことになる。先日行われた英語科のスピーチコンテストでも、留学体験談を話したし、オープンキャンパスなど受験生の前で話すこともある。選抜時には、学力だけでなく人物面も重視している。

 今日の説明会には結局1・2年生と保護者が約30組集まっていただいた。今年の留学生の枠は8名である。正式なエントリーは来週からである。さて、どうなるか。朝に玄関ロビーに掲示しておいた”多目的室はこちらですという案内”は、たった1日で”ふにゃあ”となっていた。凄い湿気である。ご足労いただいた保護者の皆さまに、改めて感謝したい。

追記:リンクしている「アフリカのニュースと解説」で、『アフリカ非在住者のブログ・リンク集』として私のブログを紹介していただきました。ありがたく思います。

2010年6月25日金曜日

リリ~君の第一次・合格を祝す


今日は非常にメデタイ日であった。結局昨晩は”日本vsデンマーク戦”を見ずに寝た。朝起きて、ニュースで3つのゴールシーンを見た。モーニングをとっていると、携帯にメールが来ていることに気付いた。I先生からである。なんど着信時間は今朝の4時台である。「寝てる場合とちがいまっせ。」…彼は見てたのだ。くやしかった。本田や遠藤のゴールを生で見ていたら、鳥肌が立っただろう。職員室に入ると、I先生はヒヒヒと笑った。何も言わなくともわかる。私の失態である。悔しいが、とにかく日本が勝った。メデタイのである。

 さらに、今日は同じ市立のO高校から、A先生が国際交流の件で来られていた。ゼロから国際交流を立ち上げるのは難しい。本校の新旧国際交流担当がレクチャーしたようだが、だいじょうぶだろうか?ところで、A先生の名前は以前から私の耳にも入っていた。JICAの教員研修旅行・タンザニア行きに応募していたのである。今日挨拶をして聞くと、見事合格したらしい。いやあ、メデタイ!タンザニアである。黄熱病の注射の件や、お土産はティンガティンガ(タンザニアの絵画)がいいですよ、などと話していた。かなり羨ましい。

 そしていよいよ本題である。本校OBであり、JICA大阪の高校生セミナー本校1期生である”リリ~君”が、見事にJOCVの一次試験に合格した。超メデタイ!朝、YAHOOのメールボックスに、リリ~君のメールが来ていることを知った。学校では開けられないので、自宅でメールを見た。予想どおり合格の知らせだった。次は面接である。彼の想いを十分ぶつければ合格は間違いないだろう。私の夢のひとつがかなう時が近づいてきた。いやあ、メデタイ!と、いうわけで、今日の画像は、リリ~君に送るJOCVという画像である。

2010年6月24日木曜日

剰余価値は教師にも該当するか


 ガーナが決勝トーナメントに進めてメデタイ。私の体調も薬が減って快調な1日であった。さて、現代社会の授業では、このところ経済の基礎として、経済学説をひとまとめしている。商業資本、産業資本、金融資本の話から、古典派経済学、ケインズの修正資本主義、新自由主義、それに一応教養としての社会主義…。前回の授業では、唯物史観の話をしていた。今日は、剰余価値説である。<と言うわけで、今日の画像はカール・マルクスさんの登場である。>前回の授業の最後に、私はアメリカのいろんな州のカープレート・コレクションを社会科準備室から持ってきた。私の宝物である。アリゾナ、ノースカロライナ、サウスダコタ、デラウェア、そいてアイオワなどの色とりどりのカープレートに生徒は盛り上がる。このプレートをセリにかけてみる。中には「3000円!」という声もかかった。「素敵だけどお金を出す気はない。」という生徒もいた。そう、それでいいのだ。商品の価格は、価値なのである。人によって価値観は異なる。まあいい具合で価格が決定するわけだ。これが、高校生に、剰余価値説を教え、理解させるコツである。
 では…と、ラーメン屋をやるとしよう。オーナーは誰にしようか?君。(ちょっとハーバード大学みたいである。)誰を店長にする?彼。いいねえ。アルバイトを雇おう。誰が良い?彼。いいねえ。といった調子で、説明を加える。さて、ラーメン屋をする資本としてオーナーに500万円ほど出してもらおう。店長には道具屋筋に行っていろいろ買ってきてもらおう。鉢やスープ鍋…。麺はどうする?ストレート麺ね。と、いるものを黒板に書きだしていく。Gは最初に投じたお金だ。Wは商品。さて、ラーメン1杯いくらにする?「750円」の声に、「高い!」との声。あわてて600円に下がった。(笑)さて、この麺、スープ、鉢、これらをなにもしないままでおくと価値はあるかな?600円で買うかな?皆、いらないという。では、ラーメン一丁!として出てきてこその600円だな。全員頷く。GからWになる間に価値が生まれたよね。みんな頷く。誰が価値を作ったのだろう?「店長」の声。G’は売上だ。WとG’は等しい。G’-Gが剰余価値だが、要するにに儲けである。この儲けは誰が生んだのだろう。もう皆わかっている。店長とアルバイトだ。付加価値をつけたのだからラーメンが600円の価値になったのだ。では、この儲けは誰のもの?オーナーのものである。店長やアルバイトには入らない。だって、600円の中に人件費も入っているのだから。これをなんというか?さすが、国語科である。『搾取』という語彙を簡単に答えてくれる。そして、話はマルクスの人間観に持っていく。マルクスは労働こそが人間性を最も発揮できると考えたが、反対に労働が人間性を『疎外』していることを説いていく…。

 ちょっと長くなったが、今日の授業はこんな感じだった。さて、今日は来年6月に教育実習にくるOGが面接にやってきた。K大学政策創造学部の3回生。2年生の時は私が担任だった。来年は日本史を教えたいと言う。たまたま今年は私が教科主任になので面接担当だ。いろいろ話を聞いていると、政策創造学部に進学した理由は、私の地球市民への熱意だったらしい。今、アジアの開発について研究しているという。嬉しい。無茶苦茶嬉しい。教師として、人間性を実現できた瞬間でもある。マルクス氏のいう『疎外』は、教師という職業にはあてはまらないのだろうか?
 …私は教師こそが生徒にとっての最大の教育環境だと信じている。そう信じ実践する”一念”(5月27日付ブログ参照)が人間性の実現の鍵を握っていると思う。
 私は大阪市の教員であり、私企業ではないので剰余価値説はあてはまらないように思うが、少なくとも私の労働は給与以上の労働なのだろうか?
 …私は給与以上の労働をしていたいと思っている。それが、教師の矜持である。だからこそ人間性を実現出来るのだ、と信じたい。
 今日は、久々にOGに会い嬉しい話を聞いたのと体調が良いので”美学”に色どられたブログになってしまった。ちょっと恥ずかしい。