2025年9月14日日曜日

教材研究 自由貿易と保護貿易考

https://www.senghuat.com.my/brand-pensonic
体育大会関連の5連休の今日は4日目である。とはいえ、ずっと教材研究と中間試験の作成に励んでいる。久しぶりに教材研究のエントリー。資本主義経済の歴史で自由貿易と保護貿易、歴史的考察とグローバリゼーション下の現状を開発経済学の視点から考えてみた。

最初の先進国イギリスは優位性の中で、リカードの比較優位説によって国際分業を提唱する。しかし、フランスはナポレオンの大陸封鎖令で保護貿易化し自国の工業を育成、ドイツもリストの保護貿易説をビスマルクが採用、関税を導入して自国の工業を育成した。また、アメリカでは南部の自由貿易政策、北部は保護貿易政策を唱え、南北戦争の遠因をつくった。日本でも関税自主権の回復が大きな政治課題であった。保護貿易ができないわけで、自国の工業化が進まなかったのである。WWⅠの後の世界恐慌後、英仏はブロック経済、アメリカはニューディール政策、ドイツと日本はファシズム(この米独日はケインズの有効需要を自国内のインフラ整備で行うか軍需で行うかという相違)で、すべて保護貿易化を行った。その結果WWⅡが起こったという反省から、戦後の自由貿易体制(CATT/IMF/IBRD)を生むことになる。さらに、情報通信・交通機関の発達、そして冷戦の終了後、人・モノ・カネが国境を超えるグローバリゼーションへと発展する。

さて、このグローバリゼーションにおいて、コストを最も容易に削減できるのは労働賃金である。そこで安価に抑えられる途上国で生産を行う企業が増えてくる。もちろん、前述の紛争の罠や劣悪なガバナンスの罠に陥っている国は避けられ、きちんと教育を受けた従順な労働力がある国に投資され、技術力によって、サプライチェーン(SCM)に組み込まれることになる。たとえば、日本のメーカーのパソコンでも、ある部品は台湾、ある部品はマレーシアといった具合である。こうした企業の途上国への進出は、企業はコスト面のメリット、途上国に生産・経営等のスキルを学べるというメリットがある。実際に代替産業が生まれる可能性がある。上記画像は、サプライチェーンに組み込まれた国々。輸出品目(額)を確認すると、機械類が多い。インドの石油製品とあるのは、精製を行っていることを意味している。

…マレーシアには、Pensonicという(代替産業の)家電メーカー(画像参照)がある。(笑)私は日本企業と勘違いして、えらく安いなあと思い扇風機を購入したのだが…。また日本企業の協力を受けて国産車メーカーが頑張っている。フィリピンと聞くとバナナを連想するが、マレーシアで、メガネ(日本のMIKIの店舗)を購入した際、フィリピンで私に合ったレンズを作ると言われて驚いたことがある。

ところで、(前述のように)自由貿易体制は、国家間の戦争を防止するという利点があるが、同時に保護貿易可で国内産表を発展させることが難しくなる。投資を受け、スキルを学べる国はいいが、様々な罠に陥って投資を受けられない国には、経済発展への展望が見えない。しかもIMFや世界銀行等は、そういった国々に半ば自由貿易政策(先進国の商品を低関税で輸入させられ、先進国は天然資源やプランテーションの商品作物を低関税で輸入できる)を強制しており、これを受け入れないと融資を受けることができない。すなわち、途上国側から見るとその経済構造を固定化するもので、梯子を外されているのに等しい。開発経済学では、このような状況を「構造的暴力」と呼んでいる。

…最後に、最近のニュースでもあった中国のアンゴラモデル(天然資源を担保に資源開発やインフラ整備を行うが、全てを中国企業と中国人労働者によって賄う方式)の解説と、新植民地主義についても論じるつもりである。

2025年9月13日土曜日

オススメYouTubeチャンネル

このところ、元テレビ東京のディレクターだった下矢氏のYouTubeをよく見ている。TVや新聞、週刊誌などのマスメディアの裏側を小気味よく解説してくれている。下矢氏がホントに優秀な人だと思うのは、「この件については、3つの原因があります。」などと極めて論理的に話すところ。快刀乱麻という感じである。

いろいろと見てきたが、大阪万博の問題点を指摘した回が最も面白かった。https://www.youtube.com/watch?v=CMNzY-DNKIA

マスメディアだけでなく、様々な問題にも触れてくれていて、私のお気に入りに見事に入ってきた。オススメである。あまり詳しく記すると良くないと思うので、是非一見してみて欲しい。

2025年9月12日金曜日

学院の体育大会 2025

実は、今日は学院の体育大会なのであるが、昨年の会場が工事とかで、かなり遠くの会場になった。生徒たちや先生方もも最寄り駅からピストンバス輸送という大変なことになった。周囲の駐車場も万博の影響で高騰しているらしい。保護者のみなさんも大変だ。ということで、管理職の先生方と相談の上、今回は見合わせた次第。

とはいえ、3年生は、男女とも体育祭のメインともいえる女子のメイポールダンス、男子はソーラン節を行うので、かなり以前から体育の時間頑張っていたのを知っている。今週の火曜日の5・6限は総合練習だったので、それぞれの練習風景を見に行った。せめて、練習風景だけでも見届けておきたいと思ったのである。

近くで見て、メイポールダンスが実際に編み込まれていく様がわかった。色取りどりの布を持った女子生徒が複雑な動きをして、ポールに編まれていくのだが、昨年は全体の上品なダンスに目が行っていたので、編み込みという重要な部分を見落としていたのだ。

男子は今年も元気である。普段は目立たない男子が頑張っていて嬉しくなった。成功を祈るばかりである。

アンチクリストの現代語訳 4

https://zh.freepik.com/premium%E5%9C%96%E7%89%87/flag-anarchist-painted-wall_40204293.htm
ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評第4回目。ニーチェのユダヤ教観とイエスの人物像について。

ニーチェは、ユダヤ教については、このように考えている。そもそもエホバ(=ユダヤ教の神・ヤハウエ)は、民族を守る正義の神だった。しかし、アッシリアに滅ぼされる。他の民族ならここで、この神を捨てるのだが、ユダヤ人は、「神への信仰が足りなかった」と受取る。これは自然界の法則を無視した行いであり、その「道徳」は自然なあり方をゆがめてしまった。よって、(旧約)聖書は、ユダヤ教の宗教指導者が、神に対する罪と罰、祈りと報いといった子供だましのカラクリを使って歴史を改竄した。

…鋭い指摘である。古代の各民族の神は、民族の攻防の中で権威を失うことが普通。ニーチェの言う通りであり、民族の神に固執したユダヤ教の成立については、かなり特殊な事柄だと言える。ユダヤ教の宗教指導者が、ニーチェの言を借りると”猿芝居”とした、神の意志、神の国といった概念を捏造したのが聖書だというわけだ。たしかに旧約聖書は、出自となった文書によって、矛盾した記述(特に創世記)があることも明確である。

さて、ニーチェはイエスをアナーキスト(本日の画像はアナーキズムのシンボル)であるとする。そもそも新約聖書は、イエスを理解できなかった彼の弟子たちによって書かれており、後のキリスト教に都合の良い様に描かれたインチキ本で、読むときは手袋をするくらい嫌いだと書いている。(笑)

本来のイエスは、ユダヤ教に反抗したのではなく、ユダヤ教を支配していたシナゴーグや善なる正しい人・イスラエルの聖者(=神学者)に反抗し、下層民や仲間はずれ、犯罪者をあおって、ユダヤ教が支配する社会を攻撃した人物だという。そして、イエスとキリスト教は関係がない、と断言する。

イエスは、一切の決まり事を認めなかった自由な精神の持った人で、あくまで自分自身に見えていた「光」、精神の問題を純粋に証明したしただけ、人類に残したものは実践、実際に物事を行動に移すことであって、人間を救うたために死んだのではなく、人間はいかに生きるべきかを教えるために死んだと、ニーチェは結論付けている。

…このイエス=アナーキスト説は、かなり説得性があるように思う。高校の倫理では、律法の成就がイエスの功績とされているのだが…。

2025年9月11日木曜日

アンチクリストの現代語訳 3

https://navymule9.sakura.ne.jp/Kant_as_watershed.html
ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評第3回目。ニーチェのカント批判についてのエントリー。

ニーチェは、カントを危険人物だとしている。悪意に満ちた間違いを2つ犯したという。実際にはありもしない「真の世界」をでっちあげたことと、「世界の本質としての道徳」というわけのわからない考えをでっちあげたことだ、としている。この2つの間違った考えを上手く料理して哲学として完成させてしまい、なかなか反論しがたい仕組みをつくり、キリスト教に支配されていたドイツの学会が大喜びしたと批判している。

…この記述の背景を帰しておくと、『純粋理性批判』において、先天的認識形式を確立した。この認識形式は、対象をまず感性が感覚的質量として認識した後、悟性が経験によって形成されるカテゴリーから当てはめるというもので、経験できないことは認識できないという結論になった。これは、カントが大学で教えていた形而上学(実証できない=経験できない対象についての学問)の終了を意味した。そこで、カントは、道徳の問題は、経験を超えた物自体の世界にあり、道徳形而上学を『実践理性批判』で成立させるのである。(経験を基盤にした道徳は、功利主義的な善=幸福になってしまうからである。)

…ここで、ニーチェの言う「真の世界」というのは物自体の世界のことで、「世界の本質としての道徳」というのは、道徳法則(自分がこれから行おうとしている行為を、世界中の人が同時に行っても良いかどうかを考えて行為せよ。)を中心にした物自体の世界から導かれた実践理性による道徳である。ドイツ観念論は、この後フィヒテの絶対的自我、シェリングの絶対者、さらにヘーゲルの絶対精神へと繋がっていく。

ニーチェは、カントを神学者として成功したと揶揄している。道徳は我々が人生において作り出したもので、自分たちを守るもの、必要なものであるが、それ以外のものではなく「道徳を大切にしよう」という考えは百害あって一利なし。普遍的な道徳・義務・善など、幻想にすぎない。人間はそれぞれ自分の道徳を自分で発見していくのが自然であり、カントの高いところから見下した、抽象的、一般的、義務的な道徳は危険思想だと散々である。自分で勝手に考えて、勝手に確信したことを真理とみなし、カントは、実践理性などと名付けて科学にしてしまおうとした。まさに思い込みに過ぎない。

…「カント以前の哲学はカントに流れ、カント以後の哲学はカントから流れた」と言われるほどの大哲学者であるカントを、ニーチェは見事なまでにボロクソに言っている。実に興味深い記述であった。

2025年9月10日水曜日

アンチクリストの現代語訳 2

ニーチェの『アンチクリスト』の現代語訳『キリスト教は邪宗です!』(講談社+a文庫/適菜収訳)の書評。とにかく、この現代語訳は、辛辣という表現では足りないほどのキリスト教への罵詈雑言がつまった一冊である。カトリックの学校である学院の図書館においてある事自体がホント不思議である。

膨大な付箋をつけながら読んでいるのだが、まずニーチェがキリスト教の問題点を5点にまとめ上げている部分を取り上げておこう。

1:神・霊魂・自我・精神・自由意志などといった、ありもしないものに対して本当に存在するかのような言葉を与えたこと。2:罪・救い・神の恵み・罰・罪の許しなどといった空想的な物語を作ったこと。3:神・精霊・霊魂などありもしないものをでっちあげたこと。4:自然科学をゆがめたこと(彼らの世界観はいつでも人間中心で、自然というものを少しも理解していなかった)。5:悔い改め・良心の呵責・悪魔の誘惑・最後の審判といったお芝居の世界の話を、現実の世界に持ち込んで、心理学をゆがめたこと。

キリスト教の敵は現実である。なぜなら彼らの思い描いている世界と現実はあまりにもかけ離れているからで、現実がつらいから逃げているにすぎない。素直に現実を認めることができなくなってしまった。これが作り物の道徳や宗教の本質である。

ニーチェは、この後、自信を持っている民族は自分たちの神を持っている。神をまつるのは、自分たちの誇りのためであり、自分たちの繁栄の条件や美徳を神に投影する。感謝する相手は自分自身である。有益でもあり有害でもある。味方でもあり敵でもある。悪いことにおいても良いことにおいても神は必要とされる、それが本当の神の姿である、こういう神の持っている一面を捨ててしまって、単に善のみの神にしてしまうことはできないのである、と述べている。

…ニーチェのキリスト教批判、就中、神の存在についての核心部分でもあるのだが、ニーチェは、キリスト教における神の存在を否定しているが、他の宗教の神も一緒に否定しているわけでない。上記の記述を見ると、ニーチェの超有名なアフォリズム「神は死んだ」が出てくる『ツァラトゥストラはかく語りき』を想起できる。(ゾロアスター教の開祖のドイツ語名がツァラトゥストラである。)ゾロアスター教は善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マンユの二神教であり、上記の記述と一致するからである。

2025年9月8日月曜日

美学の相違を強く感じた日

https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/photonews/photonews_nsInc_202509070001195-1.html
昨夜、我が日本国の首相が辞意を表明した。参議院選の敗北から50日。今更という感じである。これで、首相とともにあの売国的な外相も消えてくれる。自分の保身のための50日。全く美しくない。

ところで、今朝、大谷選手が、オリオールズの菅野投手から2打席連続でHRを放ち、ベッツ選手も続いた。(これまでも元巨人の菅野選手にはめっぽう強いのだが、HRの分析についてはかなり難しい球だったとレジェンド達が称賛していた。)5連敗を阻止するとともに、昨日の山本由伸投手の無念を晴らそうとする強い意志とチーム のための献身さを感じた。このオリオールズ第1戦で、急遽先発登板したのも、侠気を感じる。

…この美学の違い。少なくとも日本国首相の座にあったヒトには、煩悩の多さゆえにわからないだろう。そんな違いを多くの国民が感じたのではないだろうか。総裁選では、まともな美学をもった人物に出てきてほしい。