2019年6月7日金曜日

ハリラヤ・プアサ

この5日・6日は、ハリラヤ・プアサでマレーシアでは2日続けて休日だった。ハリラヤ・プアサは、断食月(ラマダーン)が終わったという祝日である。当然ながら花火もバンバン上がる。(ただし、中華系の旧正月ほどではない。)

休日とはいえ、我が家では、どこにも出かけない。牛乳がきれそうなので、いつものDマートに買い物に出かけたくらいだった。ショップロットでは(中華系が多いのだが)多くの店がクローズしている。この時期故の屋台が一件出ていたので、写真を撮らせてもらった。これは、マレーシアで、お祝い事をする時の竹の筒で炊くもち米である。私は、好きなのだが、妻はあまり好みではないので買わなかった。申し訳なく、Thank you!と言ったら、「メルシー」という言葉が返ってきた。うーん、ミステリアスなハリラヤ・プアサである。(笑)

2019年6月6日木曜日

Hard Rock Cafe 京都

http://hardrockjapan.com/event/8128/
ハードロックカフェの京都店が7月にオープンするそうだ。私は、ハードロックカフェのコレクターを自認しているが、マレーシアでもハードロックカフェのファンは多くて、Tシャツを着ている人もよく見かける。

今まで京都になかったのが不思議なくらいである。場所は祇園らしい。町屋を改造した店になるらしい。先行でグッズの店がすでに営業しているようだ。私は、この写真にある暖簾が欲しいな。外国人観光客には、十分な需要があると思う。

ところで、マレーシアには、KL、ペナン、マラッカにハードロックカフェ(ペナンはホテル)がある。まだマラッカのポロシャツしか手に入れていない。KLでマラッカのポロを着るのは私の美学ではギリギリセーフである。まあ、サンフランシスコのTシャツをロスで着るようなものだ。KL在住者の美学上、KLの店の場所は知っているが行ったことはない。ペナンは、ちょうどジョージタウンから見て西海岸にあり、結局行っていない。

ともかくも、京都のハードロックカフェ、暖簾とロゴ入りのTシャツ、ちょっと欲しいな。
http://hardrockjapan.com/event/8128/

2019年6月5日水曜日

ジャングルロードで帰る。

PBTからの帰路は、650番のバスが一番いいのだが、血糖値を下げるために、このところ、600番台のバスでタマンデサの入り口まで行って、そこから歩いてきた。我が住処は、タマンデサでもかなり高台にあるので、だらだらと上り坂が続き、体に良い汗をかくのである。
とはいえ、バスはしょっちゅう停滞していて、しかも大変な満員であることも多い。そんな時は、3つくらい前のバス停で降りて、ジャングルロードを使うことにした。このルート、見事なショートカットなのである。左図の青線がこれまでのルート、赤線がジャングルロードのルートである。歩く距離は短いが、かなりの急坂であり、途中熱帯雨林の中を通ることになる。道幅は狭く、一応バイクや自転車用の舗装はされているが、車は通れない。ジャングルロード自体は約200mほどであるが、奇妙な鳥だがカエルだかわからない普段聞かない鳴き声はするし、趣は十分である。(笑)
ジャングルロードの入り口
ジャングルロード自体は平坦である
中間地点ゴールが見えてきた。
ゴール地点 住処へはもうひとつ急坂を登る必要がある
先日、時間を計ったら、バス停から住処まで約10分。歩く時間は短縮(5分ほど)できるし、バスの停滞の時間を考えると、10分から15分は早く帰ることができると思う。血糖値の値はちょっと比較できないが、汗をかくのは同じくらい。蛇がでてきたら怖いが、まあサルやマレーバクはいないと思う。(笑)

2019年6月4日火曜日

マラッカ海峡物語を読む。2

http://blog-imgs-30.fc2.com/o/m/a/omakasetabibito/Penang_CCI00000.jpg
「マラッカ海峡物語」の書評エントリーのつづきである。この本の中には、ジョージタウンの通りの名称についていろいろ書かれている。1790年代から1世紀の間に国際都市化していく中で、棲み分けが出来ていく。

1.イギリスの東インド会社の支配拠点・コーンウォリス要塞とその西に隣接する兵営。要塞の南部にヨーロッパ人の居住区・商業地区=ライト通り。(ライトはペナンの初期開拓者)
2.ヨーロッパ人の避暑地=司教通りと教会通り
3.華商の集住地=華人通り。インド人の集住地=チュリア通り(チュリアは当時の南インド系のムスリム海商のこと)。アルメニア商人の所有地=アルメニア通り。
4.華人・インド人・マレー人の混住商業地=市場通り。
5.インド人移民への恩賞地=ピット通り。(後にのカピタン。クリン。モスク通り)
6.ポルトガル系ユーラシア人の仮住地=シントラ通り(後の日本人街)
7.周辺の開拓地=カーナポン通り・大臣通り・華人墓地・プロテスタント墓地。
そのほかに、アルメニア通りの1本南にアチェ通りがある。アラブ系の名士の所有地で、モンスーンを使ったアチェやマレーの交易商人たちが数か月滞在していた。定住していなかったので、インド人街に吸収されてしまう。

こんな話を聞くと、またペナンに行き確認したくなるのである。たしかにペナンは面白い街だ。

2019年6月3日月曜日

マラッカ海峡物語を読む。

日本に一時帰国した際に購入した「マラッカ海峡物語」ーペナン島に見る多民族共生の歴史ー(重松伸司著/集英社新書 2019.3.20発行)をやっとこさ読み終えた。長くかかったのは、途中「社会学史」に完全に浮気したこともあるが、読みにくい文章であったことはいがめない。個人的に内容に関して、ものすごく興味があるのだが、どうも書かれている内容がバラバラにプラスチックバック(ビニール袋)に投げ込まれているような感があって読みにくかった。

とはいえ、ペナン島がイギリスの東インド会社によって領有され、それまでこの海峡で活躍していた様々な海の商人が島に居住していく歴史のダイナミズムが面白い。アラビアのイスラム商人、福建や客家、広東の華僑、地元のマレー人、ベンガル湾を渡ってきたインド人。そしてポルトガル人、オランダ人、アルメニア人。各民族にまつわるストリートの名前を確認するだけのために、ペナンの中心地、ジョージタウンにもう一度行ってみたいなと思わせる。

マレーシアにあると、どうしても中華系やインド系の人々はどうして、ここマレーシアに存在しているのかということを考えてしまう。彼らにとっての祖国はマレーシアであるのに、である。彼らの祖先はどういう理由でここに来たのか、こういう問いにこの本は、ペナンを基準として、ある程度答えてくれる。

マレーシアの歴史から大きく見れば、中華系は主に錫の開発のために来た、インド系はブラジルから輸入した天然ゴムのプランテーションの労働力として、さらに英語が使える公務員として、などというのが定説である。

ところが、それ以外にも来馬の理由があった。たとえば、インド系は囚人がインフラ整備のために送り込まれていた。あるいは、華僑集団の対立が治安悪化を生み、その対策としてセポイ(兵士)を呼び寄せたり、シーク教徒も呼び寄せられている。イギリスからすると、植民地のインド系はこういう使い方をされたのだろう。有力華僑もまた、錫だけでなく、清朝との関係の中で様々な貿易や荷役など地縁血縁でどんどん呼び寄せ、自集団の勢力拡大に使っている。

本の帯に「人間は共存可能だ」という綺麗ごとが書かれているが、ペナンでは実際のところ、華僑やインド系の有力者が事実上の治安をまかない、各集団内のもめ事を一手に引き受けて、イギリスの統治を助ける装置として存在していたというのが正しい。(イギリス人の友人もいるが、彼らのやり方は「狡猾」としか言いようがない。)

貿易の利権をめぐって様々な対立も起こっているし、特に華僑集団間の抗争は半端ではなかったようだ。こんな中で、ポルトガルやアルメニアはペナンから引き上げっていったようだ。たしかに、この頃から、少なくとも宗教的な対立は起こっていないようだ。他の民族集団の宗教への寛容さというより、無関心といったほうがいいのかもしれない。ペナンにも、モスクや道教寺院、ヒンドゥー寺院、シーク教の寺院などが各民族集団の居住地と重なるように建てられていく。この伝統はKLでも同じようだ。

マレーシア憲法を読むと、独立にあたって、中華系、インド系の居住者を、定住者(つまりはマレーシア国民となることを望む者)とそれ以外に必死に振り分けようとしているようだ。たしかに、呼び寄せられただけの者もいるし、季節的な移住者もいる。たしかに大問題だったと思われる。

ふと、バスに乗っていると、やはりみんなどこから来たのだろうと思う。ラマダン中のマレー系も、どこか田舎の村から大都会KLに出てきたのだろうか。額に赤や白のビンティをつけたインド系も祖先は何を生業にしていたのだろうか、そして個性豊かなファッションをしている中華系も…。中華系の学生に聞くと、最近は華僑の出身地を問題にする傾向はかなり薄れてきたという声が多い。一人一人に様々なヒストリーがあるんだろうなあ、などと(一応そう規定されているだけかもしれないが)単一民族国家の日本人は感慨にふけるのである。

2019年6月2日日曜日

愛機Think padが突然壊れた。

私の自宅のコンピュータ Think pad が、突然壊れてしまった。昨日の夜までちゃんと動いていたのだが…。まあ、アマゾンでももう取り扱っていない古いタイプのものだし、これまで何度もこういうことがあったので、仕方ないとしか言いようがない。

今、妻の赤いパソコンでブログを書いている。このパソコン、妻がマレーシアに来る前に購入したものだが、スペックが低くて、Windows 10の更新ができないという凄いマシーンだ。だが、なんとかインターネットが繋がったので、不幸中の幸いである。

ipadは、何度か試したが、私のパスワード入力画面までいくのだが、パスワードを入れると、真っ黒になったまま動かない。うーん。原因不明。日本人会のW堂のコンピュータ修理は土日限定なので、来週にでも持って行ってみようかと思う。

妻が、故障を知って、買い替える?と言ってくれた。さすがに、マレーシアでコンピュータを買うと日本語入力はできるけれど、キーの配置も違うし、いちいち英語でコンピュータが語りかけてくるので面倒だ。コンセントも違うし、日本では使えない。(日本で使用可能な機器があるそうだが…。)まあ少し様子を見ようと思う。

2019年6月1日土曜日

土曜日のタマンデサ2

今日も、妻と買い物に出た。Dマートで、まず昼食。Dマートには、カフェ(中華料理が多い)と、飲み物、パン、お寿司、スイーツまでいろいろと注文できるゾーンがある。今日はまず腹ごしらえをしてから、買い物となった。

いつものように、フルーツや牛乳などとともに、いろんな食材を買い求めたのだが、面白いお菓子を発見したので、思わず写真に収めてしまった。(上記画像参照)マイケルジャクソン風のキャラクターが描かれたスナック菓子。袋の後ろには中国語が書かれていた。どうやら香港の会社が関わっているらしい。肖像権はどうなっているのかは不明だが、かなりのインパクトだ。キャッシャーでこれを買っていたおじさんと会った。思わず手が出たんだろうと思う。(笑)

これも催しモノコーナーにあったお米である。達磨の絵が描かれているのは、マレーシアで初めて見た。そそらく、どこかで作っているジャポニカ米であると思う。
ひらがなで「こしひかり」と記されてあるが、ちょっと信用できない。
Dマートでは、時々こういう不思議な商品を発見することがある。こういうのも、週1の買い物の楽しみである。帰りはスコールがちょうど止んで、濡れずにすんだのだった。メデタシ・メデタシである。