2015年6月7日日曜日

「ソハの地下水道」を見る。

妻が見たかったDVDは、「ソハの地下水道」というポーランド映画だった。昨夜共に見ながら調べてみたら、ワルシャワゲットーの話ではなかった。当時はWWⅡ・ナチスドイツ支配下のポーランドであるものの、現在ではウクライナ領内にあるリヴィウの話である。

アカデミー賞外国語監督賞ノミネート作品。なにより、これは実話である。ゲットーのユダヤ人たちは、地下水道への逃げ道を確保していたが、ポーランド人の地下水道の管理に携わっていた小悪党ソハに発見され、恐喝される。そして、ドイツ軍のゲットーへの襲撃。ソハは、地下水道に逃げ込んだユダヤ人を、最初は金目当てで彼らを援助することになる。

この地下水道でのユダヤ人の、様々な葛藤、生への執念が凄い。様々な困難が襲うが、金銭を超えた人道的なソハの援助によって最終的に生き延びる。解放され、ソハによって、マンホールから突然出てきたユダヤ人たち。驚く近所の人々たちに「俺のユダヤ人だ。」と誇らげに叫ぶソハに小悪党の面影はない。ソハ自身は、その後交通事故で亡くなる。ユダヤ人を救ったから罰を受けたと言われたが、ソハと妻は他のユダヤ人を救ったポーランド人6000人とともに表彰を受けている。
http://instytut-polski.org/event-archives/archives-film/1073/
…私が最も印象に残ったシーン。彼らが潜んでいた地下水道から、カメラが上に向かう。ちょうどそこはカトリック教会(彼らはそれを知っていて見つからないように静かにしていた。)で、聖体礼儀(イエスの体と血をパンとぶどう酒として与えられる) が行われているところ。着飾った子供たちが、平たいせんべいのようなパンを口に入れてもらっていく。この対比には凄みがある。

…WWⅡの頃の東欧のどうしようもなく暗い雰囲気や、アシュケナジの置かれていた立場などが、克明にイメージできた。ポーランドに行く前に見ておいてよかったと思う。そして「人間は神を利用してまでお互いを罰したがる。」という最後のテロップが、この映画の全てを物語っているように感じた次第。

2015年6月6日土曜日

"PLANES"をDVDで見る。

https://plus.google.com/u/0/11820
8417165028274433/posts/XZ8ExQSkqj6
先日妻が、DVDを借りるというので付き合った時、私も以前から見たかった「プレーンズ」を借りることにした。もうすでに、次作プレーンズ2のDVDも出ているので、今更なのだが…。私の知っている情報は、大好きなGeeBeeが出るというくらい。(13年12月19日ブログ参照)

ところが、見てみると、これがなんとも魅力的な映画だったのだ。ネブラスカ州の農薬散布機が主人公。彼をサポートするのが、意外にもFAUー1Dコルセアであった。GeeBeeはメキシコの覆面レスラーっぽくて、最初悪役だと思ったのだが、最大の友人であったし、レースに女性機も参加していて、日本のヒコーキだったりする。名前もサクラ。(笑 ただし、これは調べてみると日本版のみらしい。アメリカ版ではカナダ機の設定だとか。この辺のサービス精神もごりっぱである。)世界一周レースは意外に、恋あり、友情ありだったのた。あまりストーリーについてバラすのは悪趣味なのでこれくらいにしておきたいが、意外な展開と、アメリカ映画らしい結末となっていて、やはりエンターテーメントとしてさすがだと思った次第。

DVDには、監督の制作裏話もあって、これも実に面白かった。彼の父親がコルセアに乗っていたのだそうだ。2人の息子と航空博物館を訪れ、「スロットルを引くんだ。」なんてやっているのを見て、サンディエゴの航空博物館を思い出した。C1輸送機の操縦席で、じいさんが、孫に操縦を教えていたのに出くわしたのだ。微笑ましい感じだが、昨日のエントリーを引きずると「ピラミッドのある世界」そのものである。(笑)アメリカなんだよなあ、と思う。監督自身も実際P51に乗ったりして、プロペラ機の細かい動きを懸命に学んだそうだ。実際、空母にも取材している。あ、バラしてしまった。
バラしてしまったので書いてしまうが、この空母、この映画で実にいい味を出してくれている。「ピラミッドは、できれば、ない世界の方がいい。」と思っている私なのだが、航空ファンとして、またエンターテーメントとしては大いに魅力的に描かれていたと思うのだ。

2015年6月5日金曜日

中田考氏最新刊より 「田中真知」

http://whatever-free.net/c2014-6-19.html
中田考氏の最新刊を読み終えた。昨日も少し書いたけれど、この本は田中真知氏が構成していたのだ。あとがきには、田中真知氏と中田考氏のつながりや、その考え方・人柄の解説がなされている。

面白かったのは、「もし宇宙人が地球にやってきたら、イスラムではどのように対応するのか?」という問いに、中田氏はこう答えた。「まず宇宙人が食べれるか食べれないかを判断します。」そのときは冗談だと思った田中氏だが、エジプト人のメイドさんが、幼い息子に動物図鑑を見せながら「これは食べられる。これは食べられない。」と言って教えていたのに遭遇する話だ。イスラム的な枠組みでものを見るというのはそういうことらしい。

田中氏はこう中田氏を評する。「中田さんのイスラームは、ことさら寛容を強調して西洋の価値観に歩み寄ろうとするような物分りの良い世界ではない。むしろ、イスラームは他の宗教とは決して分かり合えない、価値観を共有できないところから始まる。しかし、その視点がなければイスラムが形骸化してしまう、そんな根っこのようなものに彼はふれているのだと感じた。中田さんの説くカリフ制は、イスラム世界の内部に抱え込まれた西洋をアンインストールし、人や物や国家や国境という枠組みに縛られることなくオープン化していくダイナミックな理想主義だ。」

この田中真知氏の解説のタイトルは、「ピラミッドのある世界とない世界と」である。アニメ映画「風立ちぬ」で登場するカブローニが二郎に「君はピラミッドのある世界とピラミッドがない世界と、どちらが好みかね?」と聞くシーンから取られている。その前提で、中田氏の唱えるカリフ制は「ピラミッドのない世界」だと田中氏は結んでいる。

…この田中真知氏の言う「ピラミッド」、実に深い。私も中田考氏のイスラム観・カリフ制のことを知れば知るほど、まさにそうだと思う。この謎解きは、是非本書を読んで確認して頂ければと思う。

2015年6月4日木曜日

中田考氏最新刊より 「タキーヤ」

http://www.usmessageboard.com/
threads/taqiya-muslims-are-
allowed-to-dissimulate-lie-about
-islamic-beliefs-to-promote-islam.403494/
中田考氏の最新刊「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)をほぼ読み終えた。残るは田中真知氏のあとがきだけである。(あのアフリカ本の作家である田中氏と中田考氏がエジプトで旧知の仲であったとは大きな驚きだ。)さて、終わりの方に「タキーヤ」という語が出てくる。これは、「シーア派とスンナ(スンニ)派の共存は可能か」という興味深い話の中に出てくるアラビア語である。

中田氏は、この両者が教義上で和解することは非常に困難だと言う。互いにカーフィル(不信仰者)と見なしているからである。それでもなんとか共存してきたのは、シーア派が数の上でマイノリティであったし、勢力的にかなわなかったからである。しかし、イラン革命後、シーア派が力をつけ勢いが着実に増している。シリア内戦後はアサド政権がイランとレバノンのシーア派に軍事的に依存しており、さらにこれまでシーア派のコミュニティが存在しなかったエジプトやインドネシアでも存在を主張し始めて流血の争いが起こっている。

中田氏は、スンニ派内の伝統派と復古派(サラフィー主義)の対立を収め、マジョリティとしてシーア派を従属するカタチでしか平和はないと考えている。シーア派の中心的存在である十二イマーム派には、「タキーヤ」という教義がある。「危害が加えられるおそれがあるときに信仰を隠すこと」である。シーア派では初代イマーム、アリーの時代を除いて、常に為政者から迫害されてされてきた故である。スンニ派が一つにまとまれば、さすがにかなわないから、十二代目の隠れイマームが再臨するまで、教義的に正当なタキーヤを行ってもらうことで共存を図るというのが最も現実的な手立てだというわけだ。

スンニ派もシーア派も互いに相手が異端であるという教義は変えられない。しかしキリスト教ヨーロッパの宗教戦争のような殲滅戦を起こすことなく共存してきた。現在シリアやイラクで起きているような、いきなり相手を殺してしまうような状況は、近年の異常な状況であるというわけだ。

…なるほどと思う。シーア派の「タキーヤ」という教義があること自体が実に興味深い。妻が、今「隠れユダヤ教徒(マラーノ)」の本を読んでいて、少し聞いてみたのだが、ユダヤ教徒は、火炙りか改宗かを迫られ、自己の意思で新キリスト教徒になったらしい。シーア派の「タキーヤ」とはずいぶん違う。

2015年6月3日水曜日

日経 経済教室「疲韓」の背景

韓国のGDP成長率 http://kankoku-keizai.jp/blog-entry-26454.html
日経の経済教室、今日は「国交正常化50年日韓の未来」というテーマて、神戸大の木村幹教授の論文が載っていた。私は、地球市民であることをスタンスにしており、当然反ナショナリズムの立場なのだが、メデイアが時々「韓国疲れ」という語彙で表現する反日外交には、思わずため息をついてしまうこともある。この論文では、その韓国外交の背景について書かれていて、なかなか勉強になった。モーニングで読んだ後改めて日経を買い求めたくらいである。備忘録的に少し紹介しておきたい。論文の要旨はおよそ次のようなものである。

6月23日が日韓基本条約が締結されて50年になる。最近の日韓関係の関係悪化だけが問題なのではない、より重要なのはこの条約によって打ち建てられた「日韓基本条約体制」に対する両国の理解が全く異なることだと、木村氏は論じられている。

日本では従軍慰安婦問題などをはじめとする日韓間の植民地支配の「過去」を巡る問題は少なくとも「法的」にはすべてが解決済みとされている。それに対し韓国ではこの見方は共有されていない。より具体的には従軍慰安婦、原爆韓国人被害者、サハリン残留人問題の3点については日韓基本条約締結過程では念頭に置かれていなかった、らち外にあるという立場なのである。

80年代までの韓国政府はこれらを解決済みという立場をとっていた。韓国政府に変化が見られるのは92年以降である。この「安定」を崩した原因は何か?それは、韓国の日本依存度が大幅に交代したことにある。50年前条約締結時の韓国の1人あたりGDPは$100にも満たない途上国であり、経常収支も大幅な赤字であった。北朝鮮との分断下、建材的にも軍事的にも日本の協力なしには国家を維持することさえ困難だった。故に、国交正常化交渉の過程でも、自らの要求水準を大幅に下げなければならなかったのである。この基本条約は当時の非対称な日韓関係不本意にも押し付けられたもので、当初から不満を抱えていた。にもかかわらず、その後80年代までこの体制に甘んじていた理由は、この非対称的な関係がしばらく継続していたからにほかならない。

今日の状況の背後には、かつての垂直的な関係にあった日韓関係が、国際環境の変化と韓国自身の経済成長により水平的な関係に移行しつつあるからである。日本の1人あたりのGDPは現在世界27位。韓国は31位である。両国の軍事費を巡る状況は韓国がGDP3%弱。日本は1%で固定されている。GDPの格差が1対3以下に縮小すれば、韓国が意図的に軍事費の割合を下げない場合、金額ペースで日本を上回ることになる。両国の人口比は現在1対3より接近しているから、「その日」は韓国の1人あたりGDPが我が国を上回る前に訪れる。

重要なのは、我々が、こうした前提で韓国との関係を考えることができないことである。強大化する中国に加えて、「大きくなった韓国」をいたずらに敵に回すことは控え目に言って得策ではない。

…この論文のタイトルは、「水平的関係踏まえ対応を」となっている。なるほど、こういう見方があったのかと私は膝をうったのだ。要するに韓国が言いたいことが言える状況になったから、というわけだ。こういうことって、我々の日々の人間関係においてもあると思うのだ。

2015年6月2日火曜日

急にポーランド行きが決まる。

LH741便はB747ー400らしい。
http://4travel.jp/travelogue/10632377
一昨日の夜に、某旅行社のフィンランド航空利用のポーランド・フリープランツアーをメールで申し込んだ。(5月31日付ブログ参照)まあ、我が夫婦らしく突然決めたわけで、すでにかなり航空券が予約され、満席になっていた。メールの返信によるとKLM航空利用ならOKという話だった。うーん。KLM…。(KLM関係者の皆様ごめんなさい。)KLMは座席が狭いので辛いのだ。しかもワルシャワ発が朝の6:00だという。うーむ。きつい。

休憩時間に直接旅行社に携帯で連絡を取った。担当者は、「ルフトハンザの座席状況も見てみます。」と言ってくれた。ルフトハンザなら、マイルも貯まるし、私の経験上からも座席も広く文句はない。で、空いている日が見つかったのだ。あと2席だけだという。こういう時は決断の早さが勝負である。「それでいきます。予約してください。」「取りました。」と、いうわけで、本来なら、このツアーはフィンランド航空かKLMで設定されていたのだが、ルフトハンザ利用というちょっと特別なプランになったのだった。

一応ホテル(ワルシャワ3泊・クラクフ3泊)も鉄道料金もついているので、比較的安く行けることになったわけだ。関空から久しぶりにフランクフルトに飛ぶ。ワルシャワへのトランスファーは1時間25分。ワルシャワからは朝10:25発だ。フランクフルトのトランスファーは1時間15分。まあまあである。長ければ長いで、フランクフルト市内にまた出ていこうかと思っていたので、ちょっと残念でもある。以前南アから着いたフランクフルトでは、トランスファーの時間が長かったので、英語付きの2時間市内ツアーに参加したのだが、カナダ人のおばさんと台湾のおねえちゃんと参加して、なかなか面白かったのだ。(笑)

と、いうわけで、今夏、妻とポーランドに行くことになりました。妻の体調だけが心配ですが…。

2015年6月1日月曜日

中田考氏最新刊より 「ワクフ」

イスラエル・アッコーのモスク http://4travel.jp/travelogue/10608665
中田考氏の最新刊「私はなぜイスラム教徒になったのか」(太田出版/5月25日発行)の中で、「ワクフ」という語の話が出てくる。イスラムのモスクは、寄進者が土地を購入し、建設費を負担し、神に奉献し、所有者の移転を永久に凍結するのだそうだ。したがって、モスク建設は基本的に個人の寄進によるものだといえる。スルタンやカリフのような権力者が寄進することはあっても、基本的にはあくまで個人。中央集権的な組織とはかかわらない。慈善事業のために寄進された財産や建物や土地は「ワクフ」と呼ばれ、イスラム経済において大きな位置を占める。ワクフは「止める」という意味で、ワクフとなった土地の所有権は永遠に本人に停止される。だからいったん建設されたモスクは壊すことができないわけだ。

近代以前はイスラム世界の土地は半分位がワクフであったのだが、近代になりイスラム世界が国民国家システムの中に取り込まれると、ワクフの国有化が進む。ワクフが国有化されるということは宗教が国家の管理下に入ったということになる。自立性が失われてしまうのだ。エジプトにはワクフ省という役所があり、そこに登録されていない人は説教も禁じられ、説教の内容を役人がチェックすることもあるとのこと。

ただし、シーア派のイランではワクフの国有化がうまくいかなかった。当時のパーレビ国王もワクフの国有化を実現し、宗教を骨抜きにようとしたのだが、ワクフの管理権をもつウラマー(イスラム学者)たちが断固として抵抗し守り抜いた。イラン=イスラム革命が成功したのはワクフの国有化がなされず宗教の力が維持されたことが大きな理由の1つらしい。

…こういう専門的な話は、とても高校の学習内容では出てこない。実に勉強になった。この政教分離という概念も、そもそもキリスト教的な問題である。やはり、世界史学習における一神教の重要性は動かしがたい。