岡山でESDに関するユネスコ世界会議が始まったようだ。今朝の朝日新聞に、ユネスコスクールの世界大会が開かれ、関西から4校が合同で発表するとあった。大阪教育大付属高校池田校舎、府立住吉高校、府立佐野高校の3校と神戸の葺合高校である。葺合高校以外の3校については、前任校で「仮想世界ゲーム」を行ったつながりのある高校である。
以前にもエントリーしたが、ユネスコスクールに前任校をするため、おおいに踏ん張ったのだが果たせなかった。現任校でも、昨年ハランベー・プロジェクトをやったりして動いてみたが、やはり体育系の学校なので、ユネスコスクールにすることは極めて厳しい状況だ。
そんな中、こういうニュースに接すると、どうしてもうらやましく感じてしまう。ちょっと愚痴っぽくなってしまった。とにかく、今は政経で、アマルティア=センの貧困の概念とHDI(人間開発指数)の関連について熱く語るしかないのだった。
http://www.asahi.com/articles/ASGC4454WGC4PPZB00M.html?ref=rss
2014年11月7日金曜日
2014年11月6日木曜日
奇妙な朝と「応援歌」
このところ、妻の体調が芳しくない。夜熟睡できないようで心配している。昨日も一人で起きた。その後、AmebaPiggの刈り取りなどをして、自宅を出た。29分の普通に毎日乗るのだが、乗客が多い。しかも28分発になっている。「また学研都市線が遅れているのだ。」と思い、次の区間快速に乗ったのだ。で、放出駅に着いたのだが、何か変だ。本校生徒の姿が多い。ふと、時計を見ると8時になっている。「ゲッ。1時間ずれている。」
要するに5時に起きたつもりが、6時だったのだ。(笑)モーニングをパスしたので、遅刻することはなかったが、なんとも奇妙な朝であった。
5限目、学年の総合的学習は、本校の「応援歌」の練習であった。生徒手帳に載っているのだが、誰も知らない。そこで音楽の先生である我が4組の副担任のY先生に、歌唱指導をお願いしたという企画である。私は悪くない企画だと思うが、生徒のノリはいまひとつである。歌う機会が二度となさそうだというのが最大の原因であろう。なんとなく盛り上がりにかけるのは仕方ないかなと思う。
武道科の女子たちが4階の音楽室から第二体育館までキーボードを運んでくれた。音楽の選択者が、事前に練習したらしく、まず歌ってくれた。私も始めて聞いたが、生徒に言わせれば「軍歌」のようだった。来年、中学校に正式採用されることになったY先生にとっても、大きな試練になったようだ。300人相手というのは大変でした。とY先生。
ちなみに、我が4組は、(副担任が指導しているということもあって)「真面目に取り組んでいましたよ。」とY先生。うむ。当然であるが、ちょっとほっとした。なんか、朝に続いて、奇妙な総合的学習の時間だった。
要するに5時に起きたつもりが、6時だったのだ。(笑)モーニングをパスしたので、遅刻することはなかったが、なんとも奇妙な朝であった。
5限目、学年の総合的学習は、本校の「応援歌」の練習であった。生徒手帳に載っているのだが、誰も知らない。そこで音楽の先生である我が4組の副担任のY先生に、歌唱指導をお願いしたという企画である。私は悪くない企画だと思うが、生徒のノリはいまひとつである。歌う機会が二度となさそうだというのが最大の原因であろう。なんとなく盛り上がりにかけるのは仕方ないかなと思う。
武道科の女子たちが4階の音楽室から第二体育館までキーボードを運んでくれた。音楽の選択者が、事前に練習したらしく、まず歌ってくれた。私も始めて聞いたが、生徒に言わせれば「軍歌」のようだった。来年、中学校に正式採用されることになったY先生にとっても、大きな試練になったようだ。300人相手というのは大変でした。とY先生。
ちなみに、我が4組は、(副担任が指導しているということもあって)「真面目に取り組んでいましたよ。」とY先生。うむ。当然であるが、ちょっとほっとした。なんか、朝に続いて、奇妙な総合的学習の時間だった。
2014年11月5日水曜日
沢木耕太郎 「246」を読む。
沢木耕太郎の新しい文庫本が出た。「246」という日記風のエッセイである。「国道246号線」を歩きながら、深夜特急を書いていた1986年の記録である。じっくりと読んでいるので、当然まだ完読していないが、少しエントリーしておきたい。
と、いうのも「深夜特急」にまつわる重要な記述があったのだ。2月13日付のところだ。なぜ、沢木耕太郎が、香港からロンドンまでバスで旅するという酔狂な旅に出たかを説明する部分がある。沢木耕太郎は1日で会社をやめ、フリーランスのライターになるのだが、そのことを詳しく書いた部分を編集者と協議して全部カットしていたのだった。だから私も含めた読者はなんとなく謎めいた沢木耕太郎という人物に惹かれつつ共に旅することになるのだった。
もし、この部分がそのまま残っていれば、沢木耕太郎と言う人物が、もう少しわかりやすくなる。そのカットされた部分の内容をここで書くのは悪趣味なのでやめるが、私は沢木耕太郎という人物が一気に近いものに感じられたのだった。あえて、沢木耕太郎という人物の内面が謎めいていたほうがたしかに面白い。
ところで、その次の2月14日の項には、新田次郎を偲ぶ会の話が出てくる。ここで、びっくりするような話が載っていた。新田次郎の死後、「一瞬の夏」が新田次郎賞を取った関係で、授賞式に顔を出す話だ。沢木耕太郎は、こういうパーティーにはあまり出ないらしい。生前沢木耕太郎は、新田本人に偶然会い、出版直後の「人の砂漠」(私はこの作品は沢木耕太郎の名作のひとつだと思う。)を読んだと聞かされる。驚いた沢木耕太郎は、その理由を知る。実は新田の次男も同時期に本を出し、それを読み比べていたというのだ。その本が、藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』である。ほんと、びっくりした。『若き数学者のアメリカ』は随分前に読んだ。なかなか面白いアメリカ滞在記である。まさか新田次郎の次男だったとは…。
と、いうのも「深夜特急」にまつわる重要な記述があったのだ。2月13日付のところだ。なぜ、沢木耕太郎が、香港からロンドンまでバスで旅するという酔狂な旅に出たかを説明する部分がある。沢木耕太郎は1日で会社をやめ、フリーランスのライターになるのだが、そのことを詳しく書いた部分を編集者と協議して全部カットしていたのだった。だから私も含めた読者はなんとなく謎めいた沢木耕太郎という人物に惹かれつつ共に旅することになるのだった。
もし、この部分がそのまま残っていれば、沢木耕太郎と言う人物が、もう少しわかりやすくなる。そのカットされた部分の内容をここで書くのは悪趣味なのでやめるが、私は沢木耕太郎という人物が一気に近いものに感じられたのだった。あえて、沢木耕太郎という人物の内面が謎めいていたほうがたしかに面白い。
ところで、その次の2月14日の項には、新田次郎を偲ぶ会の話が出てくる。ここで、びっくりするような話が載っていた。新田次郎の死後、「一瞬の夏」が新田次郎賞を取った関係で、授賞式に顔を出す話だ。沢木耕太郎は、こういうパーティーにはあまり出ないらしい。生前沢木耕太郎は、新田本人に偶然会い、出版直後の「人の砂漠」(私はこの作品は沢木耕太郎の名作のひとつだと思う。)を読んだと聞かされる。驚いた沢木耕太郎は、その理由を知る。実は新田の次男も同時期に本を出し、それを読み比べていたというのだ。その本が、藤原正彦の『若き数学者のアメリカ』である。ほんと、びっくりした。『若き数学者のアメリカ』は随分前に読んだ。なかなか面白いアメリカ滞在記である。まさか新田次郎の次男だったとは…。
2014年11月4日火曜日
秋晴れの「駅伝」を見に行く。
3年生の運動部員・最後の公式戦は、陸上部の「駅伝大会」である。我がクラスのK君、隣のクラスで1・2年担任だったT君が出場する。以前から、この駅伝を応援することを決めていた。場所は、十三駅近くの淀川河川敷である。三連休最後の昨日は秋晴れだった。
河川敷には、往復のコースが作られていて、ちょうど第三走者のT君から第四走者のK君にタスキが渡されることになっていた。その場所で是非タスキを渡すシーンを撮りたかったのだが、諸事情であきらめた。
駅伝を始めて見たが、TVでは、中継車が追ってくれるので面白いが、定点で応援するとなると、ほとんどが待ち時間である。アタリマエであるが、なかなか大変だ。気の短い私にはあまり向いていないことがわかった。(笑)
最後までいなかったので、今日いろいろ聞いてみた。結局本校は出場97?校中、33位だったそうだ。第一・第二走者が意外に力をだせずに終わったらしいが、第三走者・第四走者の両君がだいぶ順位を上げたんだとか。K君によれば満足できる試合だったそうだ。
TVでよく見る学校名の入ったのぼりがいくつも立っていたりして、なかなか良い雰囲気だった。保護者の方もたくさん来ておられた。「マツコの知らない世界」ではないが、「私の知らない世界」をまたひとつ覗いたような感覚だった。
K君、T君ご苦労様。年がら年中、学校前の公園を走りぬいた成果だ。最後まで頑張ったことを誇りにして欲しい。
河川敷には、往復のコースが作られていて、ちょうど第三走者のT君から第四走者のK君にタスキが渡されることになっていた。その場所で是非タスキを渡すシーンを撮りたかったのだが、諸事情であきらめた。
駅伝を始めて見たが、TVでは、中継車が追ってくれるので面白いが、定点で応援するとなると、ほとんどが待ち時間である。アタリマエであるが、なかなか大変だ。気の短い私にはあまり向いていないことがわかった。(笑)
最後までいなかったので、今日いろいろ聞いてみた。結局本校は出場97?校中、33位だったそうだ。第一・第二走者が意外に力をだせずに終わったらしいが、第三走者・第四走者の両君がだいぶ順位を上げたんだとか。K君によれば満足できる試合だったそうだ。
TVでよく見る学校名の入ったのぼりがいくつも立っていたりして、なかなか良い雰囲気だった。保護者の方もたくさん来ておられた。「マツコの知らない世界」ではないが、「私の知らない世界」をまたひとつ覗いたような感覚だった。
K君、T君ご苦労様。年がら年中、学校前の公園を走りぬいた成果だ。最後まで頑張ったことを誇りにして欲しい。
2014年11月3日月曜日
ブルキナファソの政変について
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ワガドゥグの新官庁街 http://dxing.at-communication.com/en/ XT2CML-Burkina-Faso/ |
そもそも、コンパオレ前大統領の評判は、私がブルキナを訪れた際もあまり芳しいものではなかった。ワガドゥグに新しい官庁街をつくり、奇妙な建造物(本日の画像参照)を建てたり、立体交差の道路を建設したりと、その前に教育や保健医療、インフラの整備など、やるべきことがあるはずだと、NPOの事務所の大家の息子で大学で経済を学ぶインテリの青年が厳しく指摘していた。政治家が「ハコモノ」好きなのはどこも一緒なんだと妙に納得したものだ。
サヘル(サハラ砂漠南縁)への旅の際は、オマーンが、大統領のワガドゥグ近郊の故郷の村にも寄ってくれた。大邸宅の中には、動物園があるそうだ。ブルキナは、本来極めて治安がいいところだ。意外にマスコミが平気で政権批判しているし、みんな大統領の蓄財や親族の優遇も良く知ってたはずだ。市民運動がこの政変を主導したことも頷ける。同時に、軍は市民から怖れれらていた。ニュースを見て、こんかいの騒動、意外な感じはしない。
調べてみると、コンパオレ前大統領も盟友の前大統領を殺害、クーデターで政権を得ている。新聞報道によると、対外的(マリの武装勢力との仲介など)には様々な貢献をしており、欧米の信認も扱ったようだが、今回のクーデターによる失脚を欧米はやむをえないと感じているようだ。
…いずれにせよ、友人のオマーンたち一般市民に死傷者が出ないことを祈るしかない。
http://mainichi.jp/select/news/20141103k0000m030040000c.html
http://www.huffingtonpost.jp/2014/11/01/burkina-faso-protest-photos_n_6085884.html
2014年11月2日日曜日
「武器としての社会類型論」Ⅲ
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申命記(דברים) http://www.cmy.on.ca/page/5/ |
著者の加藤先生は、この「掟社会」のモデルをユダヤ教社会においておられる。キリスト教の神学を研究されている故に当然すぎるほど当然であるのだが、いくつか重要だと思われる箇所を挙げてみたい。
「掟社会」の「掟」はメンバーとなる者たちにとって本来的に存在するものではなく、「与えられる」ものである。したがって、この共同体のメンバーでない者でも、その「掟」が自分に与えられることを受け入れるならば、その者は共同体のメンバーになれる。掟の客観性。また、この掟はたいてい成文化されている。この掟はメンバーの生活スタイルを拘束する。人間の生活スタイルは一様ではないので、客観的な規範として、それをメンバー全員に強制すると社会は成り立たない。人間や社会を取り巻く環境も一定ではない。(…つまり時代によって変化する部分がある。)
この掟は、人間の側の価値判断が行えない領域に、掟の権威を位置させなくてはならない。儀式は重要な要素であって、個々人の一生に一度と言うような儀式、共同体で行われる一年から数年に一度といったいくらか大掛かりな儀式、日常生活で絶えず確認できる儀式的意味の活動(たとえば、食物規定、服装規定)などが組み合わされることが多い。
「掟社会」では、「人による人の支配はない。神の前での平等、掟の前での平等がメンバー全員に実現している。メンバーは、掟に従うことだけが余給されている。規模の小さな掟がよいと考えるのが自然である。
しかし、ユダヤ教においては複雑な律法が存在していて、重要なのは、掟を守ろうとする姿勢であると、加藤先生は言われる。キリスト教的な立場から言われているのかと思ったのだが、次のような文献学的な事実からである。
ユダヤ教の「律法」の「聖書」の部分が最終的に決定されたのは紀元後一世紀末である。その正典である申命記16章に、三大祭の時には全てのユダヤ人がエレサレムの神殿に行かねばならないとある。しかし神殿は、「ユダヤ戦争」の時(紀元後70年)に破壊されている。つまり、決定時には存在しない神殿に行かねばならないという規定がされたことになる。権威ある掟に、このような規定を入れたのは、掟全てを守る必要はない、掟の拘束は相対的なものだという立場を示しているというのである。したがって、メンバーは、掟を守ろうとする姿勢が重要で、逆説的に言うならかなりの自由を許容する掟である、ということが出来るわけだ。
富と価値も、その自由な範囲内で行われる。優秀なユダヤ人科学者は多い。ただ、それが認められるのは「掟社会」の中ではなく、西洋世界の枠内のものであるというわけだ。
この後、「救われる」という概念を巡って詳細な議論がなされていくのだが、ともかくも「掟社会」という社会類型については、ここまでとしたい。ユダヤ社会について、極めて面白い指摘であると私は思う。
イスラム社会と「掟社会」について、(専門外だということで)加藤先生はほとんど書かれていない。だが、素人の私から見れば、この「掟社会」、おきてが規模が小さい、儀式的意味から見ても、イスラムの社会類型と言った方がわかりやすく見えてしまうのだ。これが最も率直な感想である。いやあ、一神教社会の話は深い。
2014年11月1日土曜日
毎日 カナダの国是は多民族融和
昨日の毎日新聞の「金言」(西川恵客員編集委員)に、カナダの国是は多民族協和であるとあった。なるほどと思ったので、エントリーしておきたい。今月10日から北京で首脳会議が開かれるが、11日に戦没者追悼記念日があり、ハーバー首相は自国で過ごしたいと欠席を決定した。いかにカナダが、先日の議事堂の事件を深刻に受け止めているかがわかる、というのである。
アメリカとカナダは、行ってみると明らかに違う。おとなしいアメリカ人とカナダ人を評することもあるが、カナダ人は極めてアメリカ人と見られることを嫌う傾向がある。カナダ人ALTの多くがそうだった。
これはどうやら同じ多民族国家・移民国家でありながら、その歴史に関わる問題らしい。カナダはフランス人がケベックに入植した。後にイギリスが入植、争いの果てにイギリス領となった。アメリカのほうは、南部はイギリスの貴族階級のコロニー、北部は主に宗教的な理由でイギリスから脱出してきた感が強い。結局本国の植民地政策に独立戦争で対抗した歴史を持つ。アメリカが、カナダ諸州に独立を呼びかけたこともあるそうだ。だが、カナダはイギリス王室と関係維持を決める。カナダ人歴史家は、「カナダは欧州との結びつきを強めることに、アメリカは欧州と断絶することに国づくりの理念を求めた。方向は正反対だ。」と指摘している。競争や効率一辺倒だけではない寛容の精神がカナダ社会にあるのは、底に欧州の精神が流れているからだという。
3500万人の人口のカナダは、毎年25万人の移民を受け入れている。多民族融和と多文化主義は、国の安定の上でも国是となっている。「社会のちょっとした緊張も見逃さず、すぐ手を打つことが大切だ。」とは民族問題を担当する大臣が来日時に語った言葉である。私立学校で、ユダヤ人生徒がキッパをかぶるのを禁じた際も政府がすぐ間に入って学校に撤回させたという。
今回の議事堂事件は、寛容な社会の土台を揺さぶる事件である。戦没者追悼記念日は、多民族融和と多文化主義を再認識する日になるだろうと西川氏は結んでいる。
…私が、よく実践するアクテビィティに「ウーリー・シンキング」がある。これは、様々な概念が互いに結びついている事を再認識するものだ。カナダ生まれのアクティビティである。「金言」の内容で妙に納得したのであった。
…今日の画像は、wooly thinking school で検索して見つけたもの。カナダの地理の先生のブログの画像でウーリーシンキング実践の様子。他にも私と同じようなアクティビティでの実践をされていることに、強い親近感を覚えたのだった。
http://edcp432.wordpress.com/
アメリカとカナダは、行ってみると明らかに違う。おとなしいアメリカ人とカナダ人を評することもあるが、カナダ人は極めてアメリカ人と見られることを嫌う傾向がある。カナダ人ALTの多くがそうだった。
これはどうやら同じ多民族国家・移民国家でありながら、その歴史に関わる問題らしい。カナダはフランス人がケベックに入植した。後にイギリスが入植、争いの果てにイギリス領となった。アメリカのほうは、南部はイギリスの貴族階級のコロニー、北部は主に宗教的な理由でイギリスから脱出してきた感が強い。結局本国の植民地政策に独立戦争で対抗した歴史を持つ。アメリカが、カナダ諸州に独立を呼びかけたこともあるそうだ。だが、カナダはイギリス王室と関係維持を決める。カナダ人歴史家は、「カナダは欧州との結びつきを強めることに、アメリカは欧州と断絶することに国づくりの理念を求めた。方向は正反対だ。」と指摘している。競争や効率一辺倒だけではない寛容の精神がカナダ社会にあるのは、底に欧州の精神が流れているからだという。
3500万人の人口のカナダは、毎年25万人の移民を受け入れている。多民族融和と多文化主義は、国の安定の上でも国是となっている。「社会のちょっとした緊張も見逃さず、すぐ手を打つことが大切だ。」とは民族問題を担当する大臣が来日時に語った言葉である。私立学校で、ユダヤ人生徒がキッパをかぶるのを禁じた際も政府がすぐ間に入って学校に撤回させたという。
今回の議事堂事件は、寛容な社会の土台を揺さぶる事件である。戦没者追悼記念日は、多民族融和と多文化主義を再認識する日になるだろうと西川氏は結んでいる。
…私が、よく実践するアクテビィティに「ウーリー・シンキング」がある。これは、様々な概念が互いに結びついている事を再認識するものだ。カナダ生まれのアクティビティである。「金言」の内容で妙に納得したのであった。
…今日の画像は、wooly thinking school で検索して見つけたもの。カナダの地理の先生のブログの画像でウーリーシンキング実践の様子。他にも私と同じようなアクティビティでの実践をされていることに、強い親近感を覚えたのだった。
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