2013年4月8日月曜日

2年5組、始動。

リハーサルの様子
始業式である。いよいよ2年生の担任生活が始まった。今年は5組を受け持つことになった。1年生の時とは異なり、知った顔も多い。本校では、2年生は入学式で行う合唱の練習日である4日の日にクラスの名簿を発表している。だが、担任は今日わかることになっている。朝のSHRに直接担任が出向き、判明するわけだ。なかなか面白い。5組に入ると、拍手で歓迎してくれた。嬉しいぞ。(笑)

大掃除の後、着任式と始業式、そして休憩の後、いよいよ入学式での合唱である。本校の良き伝統だと思う。2学期末から3学期、コツコツと練習を積み上げてきた。混声四部合唱である。リハーサルの出来は最高だった。(本番はやはり緊張ぎみだったかな。)

2年生の担任としては、これが終わるまでは気が気でない。無事終了してホット一息である。明日からさっそく授業だ。春休みに完成しているプリントを印刷したり、選択クラスの座席を決めたりと、結局雑務に追われたのだった。

2年5組は、これからだ。朝のSHRから合唱練習開始まで、ずーっと教室で、いろんな生徒と話をしていた。初めて話す生徒もいるし、昨年教えていた生徒もいる、もちろん気心の知れた旧1組の生徒も。やっぱり、いいよなあ。担任生活。

2013年4月7日日曜日

「経済大陸アフリカ」を読む6

WEDGE Infinityが、「経済大陸アフリカ」の特集記事を組んでいた。平野克己先生のインタヴューで、重要だと思う箇所がいくつかあったので、エントリーしておきたい。

アフリカの経済成長を支えているのは内需、それも個人消費。スーパーマーケットやショッピングモールがあちこちにできて、かつてはなかった様々な商品が並んでいる。自動車も家電製品も売れている。こういう分野では南アフリカの企業がアフリカ中に進出して圧倒的な強みを発揮している。

海外からの投資額は、国によってはGDPの半分にも達している。(資源開発によって)資源部門を中心にさまざまな生産力が拡大してアフリカの所得が増える。その所得をアフリカ人が消費に回している。投資は外から入り、その成果をアフリカ人が消費するという構図になっている。

現在のアフリカの総輸出の7割が石油で、他の鉱産資源は1割というところ。

中国人に話を聞くと、外国人が思っているような包括的な戦略が中国にあるわけではないと言う。中国の3社ある石油企業でさえ、調整せず勝手に動いている。援助に関しても中国は、独立採算制らしく、日本のJICAのような援助機関は存在せず案件ごとに様々な機関が請け負うかたちをとっている。

中国のアフリカ政策の3つの柱は、資源獲得、台湾の追い出し、走出去である。走出去戦略とは、中国企業の対外進出戦略。中国経済は投資効率が非常に悪い。過剰投資で過剰生産。生産性の悪い企業は利益があがっていない。そこで海外への進出を促進している。

アフリカの社会ははるか昔から他言語社会で、基本的に異文化別言語の人間を拒まない。他者にたいして非常にオープンな社会である。これはアフリカのすばらしい特徴。その包容力が100万人もの中国人を受け入れている。

…この特集記事、『オトナの教養・週末の一冊』というシリーズらしい。なんか、素敵だな。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2696?page=1

2013年4月6日土曜日

香港人・台湾人=日本人?

毎日新聞の朝刊に「みんぱく 公開講演会のなんだ?日本の文化って-芸術からMANGAまで」の報告が載っていた。私が面白いと思ったのは、王向華(香港大学グローバル創造的産業プログラム主任)氏の講演「香港人/台湾人になることは日本人になること」である。要約された新聞記事であるが、さらに要約すると次のようになる。

外来文化の受容には大きく分けて二つの見方がある。同質化とクレオール(異種混交)化である。外国文化を自国文化に合わせて受容し、自国文化を強化するとの見方が後者である。香港では、1967年に共産主義と保守派が争い暴動に発展したので、総督府は香港人の脱政治化をはかる。「香港人は政治に興味がなく、金儲けが好き」というイデオロギーを作ったのである。この時香港市民に受け入れられたのが、欧米ほど遠くなく、漢字圏でありながら非中国でサービスや製品の質がいい日本だったのだ。「ヤオハンで買い物をすること=香港人」となったわけだ。一方、台湾では、戦前の日本文化同化政策があった。台湾人はこれに是々非々で臨んだ。日本語は近代化に必要なので学んだが、内面は日本人化しなかった。戦後国民党政権は日本の影響を排し、中国化したが、88年頃から始まる独立志向の高い李政権頃から、台湾文化の脱中国化が図られた。日本のポップスカルチャーなどが解禁され、中国本土より強く日本文化を受け入れることで「台湾は中国とは違う」となり「政治的に独立したい。」という意識がつくられた。

…なるほどと思う。香港も台湾も、対中国本土に対抗して、政治が主導した日本文化の受容だったわけだ。だが、私は一般の香港人も台湾人も、日本文化を対中国のためのツールだという意識で受容したのではないだろうと思う。日本のアメリカ文化受容も、戦後は大きな政治的な意味があったに違いない。しかし、結局のところ、いいものはいいのだ。外国文化の受容とはそういうものなのだろう。私たち(50歳代)はアメリカの漫画(ディズニーやトムとジェリーなど)やドラマ(奥様は魔女など)を見て育った。ジャズもアメリカン・ポップスも、いいものだから受け入れたのだと思うし、日本も、台湾が日本化しないのと同様、アメリカ化しなかったと思っている。

王氏も同様、自身の日本文化への讃歌で講演を締めくくっている。(笑)そう、いい文化は受容されるし、よくないものは淘汰されるわけだ。
http://mainichi.jp/feature/news/20130406ddn010040077000c.html

2013年4月4日木曜日

カール爺さんの空飛ぶ家を見る

昨夜、TVで「カールじいさんの空飛ぶ家」を見た。私が、本校に赴任した時、当時の3年生の女子生徒に「カール爺さんそっくりですね。」と言われて大きなショックを受けたことを思い出す。(笑)
以来ずっと見たかったのだが、我が家はビデオの機械もないし、DVDを借りて見る習慣もないし、TVの地上波登場をじっと待っていたのだった。(笑)

結論から先に書くと、非常に悲しかった。そして面白かった。ストーリーは、子供も楽しめる冒険譚だったが、大人としては、冒頭の妻エリーとの出会い、子供の流産、オシドリ夫婦の様子、そして妻の死…このサイレントの部分が、ホント心にしみたのだった。悲しい。この悲しさは、先日55歳になった(年相応の)私のようなカール爺さんと呼ばれるような輩しか分かるまい。

アメリカ人の家庭では、家族の写真が所狭しと、家の壁などに飾れている。前任校でアイオワ州の姉妹校に行った時、ホームスティさせていただいたミラー先生(彼も見事な白髪のカール爺さんである。)のお宅もそうだった。アメリカの家は、まさに家族の思い出が凝縮されているわけだ。カール爺さんが、前半部で、それらの思い出の写真や家具を守ろうと必死になった気持ちはよくわかる。後半部で、命にも等しいそれらを打ち捨てて、最後は戦うのだ。過去から未来に生きる姿は、彼の老いからの超克である。非常にアメリカ的なんだな~。

ところで、ふと、今朝我が家にはそんな思い出の写真がないことに気付いた。外山先生の「思考の整理学」の中に書かれていた『sleep over』(一晩寝かして考えること)かなと思う。妻とは、いろんな所に行っているが、私には二人で並んで写真を撮ったりする習慣がないのだった。私は写真を撮るのは好きだが、撮られるのは好きではない。まして夫婦の写真を撮ることなど…。昨夏のイスラエル行でさえ、一枚もない。(笑)

これからは、そんな写真も撮り始めてもいいかな…と思ったのだった。私には、超克すべき(形になった)夫婦の過去さえないのだった。(笑)

2013年4月3日水曜日

マラウイの品のない民主主義

グローバルボイスの4月3日付の記事によると、マラウイのバンダ大統領が、議員たちに未払いの燃料手当(移動のためのガソリン代らしい。日本の国会議員のJR無料パスや一部の大臣などの公用車の費用にあたると思われる。)を支給しないと主張したことで、議会が混乱しているらしい。

要するに財政上の問題である。マラウイの市民社会では、果たして議員たちは、そのような支払いをするだけの仕事をしているのか?という疑問が起こっているらしい。「彼らは国旗の変更法案など人気のない政策を通すくらいしかしていない。」として支払う必要はないというブロガーの意見も出ている。

先日舩田クラーセン・さやか先生が、モザンビークの話をしていただいた時に、最も基盤となる概念として、「主権」を挙げられた。まさにマラウイの民主主義では、その主権についての論議が盛んに行われていることを強く示している。「我々雇用者が得ているもの以上のものを被雇用者に支払っている余裕はない。」との主張に注目したい。ここでいう雇用者とは、主権をもつ国民=納税者であり、被雇用者=公僕たる国会議員を意味する。

ポール・コリアーの「民主主義がアフリカ経済を殺す」を読んで以来、アフリカ=デモクレイジーな政治という意識が、私の中では知らぬうちにステレオタイプ化していたようだ。もちろん多くの国ではそうだと思うが、少なくともマラウイでは民主主義は順調に確立されてきているようだ。

あるマラウイ人のブロガーは、この未払い燃料手当の件を評して、『品がない民主主義真っ盛り』と評している。議員の自己中心主義を批判してのものである。なかなか面白いレトリックではないか。
http://jp.globalvoicesonline.org/2013/04/03/21013/

2013年4月2日火曜日

ルワンダでAIDSワクチン試験

国際NPOのIAVIと日本のベンチャー企業が、国産エイズ予防ワクチン(国立感染症研究所と東大医学研究所が開発)を使う臨床試験をルワンダで始めた。すでに動物実験は成功しているということで、約1年半かけてワクチンの安全性を確認し、世界初の実用化をめざすそうだ。日本で発見された『人間に病気をおこさせない「センダイウィルス」』を使ったもので、このウィルスにエイズウィルスがもつタンパク質をつくる遺伝子を組み込んだものを、鼻から吸引するらしい。エイズは粘膜感染なので、この方法が効果的らしい。センダイウィルス自体は1~2週間で消滅するが、遺伝子から作られたタンパク質は、エイズと同じタンパク質なので、免疫性を高めると言う。

アフリカの問題の大きなひとつは、このエイズである。生産労働人口がこのエイズによって失われ歪な形の人口ピラミッドの国も多い。日本の医学の粋を集めた臨床実験だといえる。今、アフリカの国際協力は、鉱産資源をめぐる争奪戦の体をなしている。非常に経済主体になっている。しかしエイズ問題の克服は、人間の安全保障、あるいは人道上の問題であるとともに、大局から見れば莫大なレント収入以上に持続可能な経済的効果をも生む。一石二鳥どころではない。是非とも成功して欲しいものだ。

2013年4月1日月曜日

新年度 OGの話 2題

本校の桜も満開。
新年度が始まった。前任校のOGの話題を2つ。本校に講師として、T君が赴任してきた。彼女は秋田の国際教養大を卒業した優秀な生徒である。前任校での地理B・第三期の弟子でもある。先日、英語科の打ち合わせ終了後、本校内を案内した。塾で教えていたこともあるというが、実際学校で教えるのは教育実習以来なので、私も不安を感じている。英語力が高いということと、教える力は必ずしも正比例するわけではないからだ。こうすればいい、という道があるわけではない。

夕方、同じく地理Bの第六期の弟子、フランス留学のため1年卒業が遅れたが、某有名住宅関連メーカーに就職したA君から、メールが来た。社会人のスタートに当たり、私の教えた『ペルソナ』の話をふと思い出したらしい。自分の目指す人物の仮面(ペルソナ)を付けることから始めなさい、それがやがて自分の目指すパーソナリティー(ペルソナが語源)を確立することに繋がるという話だ。1歳上だということで、頼りにされているらしく、プレッシャーを跳ね除けようと懸命だ。

ところで今、外山滋比古氏の「思考の整理学」(ちくま文庫/1984年第1刷)を読み始めたところである。最初から無茶苦茶面白い。外山氏は、『学校は(自力で飛ぶことのできない)グライダー人間の訓練所である。』という。学校は先生と教科書にひっぱられて勉強する。独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ、というわけだ。…なるほど。

彼女たちは、決してグライダーではない、と私は信じている。自分の力で飛翔せよ。私はじっと見守るのみ。