2012年8月11日土曜日

イスラエル考現学 KOSHER

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その5】
コシェルなハンバーガーの看板
イスラエル考現学の3つ目は食事の話である。ユダヤ教の律法における食事規定を「コシェル(ヘブライ語読み)」という。基本的にイスラエルの食品やレストランはコシェルである。授業でも教える。豚肉は食べないとか、イカとかエビ、ウナギはだめだとか、肉製品と乳製品はいっしょに食べないとか…。だから、よく売っているサンドイッチは、野菜やトマトとチーズだけだで、ハムなど挟んでいない。トホホである。反対に、ハンバーガー(かなり馬鹿デカい。)は、チーズを挟んでいない。ピザも、チーズだけのことが多いが、ツナをトッピングすることは可能だった。ツナはウロコのある魚故にOKだったのだ。スーパーに行くと「ハム」や「ソーセージ」も売っているが、牛肉や鶏肉から作ったものだったりする。

イスラエルは地中海性気候で、野菜と果物の生産が盛んだし安い。妻も嫁さんのTさんも大のサラダとフルーツ好き。毎日堪能していた。たしかに美味しいし、レストランなどで注文すると量もふんだんに出てくる。コシェルの不自由さを補っているかもしれない。
エレサレム新市街のマハネー・イェフダー市場にて
ところで、そこは超多文化の国である。一般的にはコシェルが基本なのだが、豚やイカ、エビを食べさせる店もある。たとえば、エレサレムの新市街にある韓国料理店。ここでは豚の焼き肉を食べた。貴重だと思えばこそ、さらに美味く感じる。4人の罰あたりは「穢れる~。」と喜んで食べたのだった。また、アッコーやヤフォーなど海沿いのシーフードレストランでは、イカやエビが食べれたりする。これまた「穢れる~。」と美味しくいただいた。エレサレム住まいの息子夫婦は、高価故に魚料理に餓えている。息子などここぞとはかりに親の金で満喫していた。(笑)
テルアビブのエチオピア人街
極めつけは、テルアビブのバスステーション近くの地域である。なんと、『猪肉』(豚肉)と大書きしてある食肉店がある。このあたりは、テルアビブの最も低所得層の集まる地域で、エチオピア人やアフリカ移民、フィリピン人や中国人、さらにはロシア人が集まっている。凄い無国籍な街なのである。息子は、私がこういうトコロが好きだろうということで連れてきたのだ。アムハラ語(エチオピアの言語)やロシア語の看板が多いテルアビブの最もディープな街である。ここに美味しい中国料理店があるという。無茶苦茶汚い、中国の田舎といった店であった。無愛想な中国人夫婦が作る料理は、コシェルなど全く無視した中国料理そのものだった。ここにロシア人も来て、豚まん(東京的に言えば肉まん)を買って行った。ニヤッと笑い、イスラエルに移民しても豚肉を食べるロシアの食文化を捨てられない業(ごう:カルマ)のようなものを感じたのだった。こういう店は、ノン・コシェルと呼ばれる。超正統派から見れば、罰あたりの店なのだろうが、多数派である世俗派の存在もあって、かのイスラエルにもこういう店が存在しうるのである。超世俗派の日本人旅行者からみれば、ノン・コシェル万歳である。

イスラエル考現学 BUS

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その4】
死海でエンジントラブルして立ち往生
イスラエル考現学、続いてはバスの話である。バスは、主に長距離移動の際に利用した。エレサレム-死海間(約1時間半)往復、エレサレム-ティベリア間(約3時間)、ナザレ-アッコー間(約2時間半)である。これらのバス自体は、市内循環用とは違い、中央にも下車口があるが、日本にあるような観光バスの車体で、下部にはトランクルームもある。しかし、いずれも直行ではなく、普通の停留所に停まっていく。それが大阪人にとっては全く意外なことだった。

それぞれのバスには閉口した。(笑)死海へ向かうバスでは、驚きの光景を見た。ある停留所で、運転手が待っている人を見逃した。ふとバックミラーを見ると追いかけてくる。あわてて100mほどバックして、乗客を乗せたことだ。バスで100mもバックしたのは初めての経験である。死海からの帰路では、途中でバスがエンジントラブルを起こし、煙が出てきた。最後尾に座っていた私たちは、外に退避した。退避したといっても、そこは海面下死海西岸の礫砂漠。おそらく40℃を超えていたであろう灼熱地獄であった。バスの運転手は携帯電話で連絡を取っていた。日本なら、まず警察がやってきて三角コーンを置き誘導していくことになるだろうが、結局こなかった。来たのは「軍」で自転車に乗っていて怪我したらしい青年を連れて行っただけ。後は、後ろから来た同じ会社のバスに押し込むくらい。面白かったのは、文句を言っている現地の観光客ではなく、世界中から来ていたバックパッカー達。ニコニコ談笑している。我々日本人は、こういう危機に際しては、子供や老人、女性が優先されるべきだと考え、我先に後から来たバスに乗り込むのを良しとしない。同じ考えを持っていたらしい青年がいた。聞くと私の予想通りドイツ人だった。なんか似てるんだよねー。結局後から来た2台目のバスに乗り込むことになったのだが、この時の大事件は別の章で触れたいと思う。

北部の街・ティベリアへ向かうバスは超満員だった。若い兵士が勤務地に戻るのだろう。軍服に巨大な荷物を抱え、通路にまで座っていくことになった。半数の兵士は銃も携帯している。ゴルゴ13御用立のアーマライトM-16ライフルや、軽機関銃ウージーである。安全装置をつけているはずだが、銃口が他の乗客に向くこともある。恐いぞ。あんまり満員だと、乗りたい乗客が停留所にいても運転手は無視する。これも凄い。全てが個人責任。

ある意味最も過酷だったのが、ナザレ-アッコー間のバス。息子がヘブライ語のWEBで検索し、その存在を発見したのだった。「地球の歩き方」によると、普通ナザレからは第三の都市ハイファ経由で遠周りしてアッコーに向かうことになっていた。しかし、このバスは、アッコーを目指して最短ルートで向かうバスだったのだ。そういうと聞こえが良いが、途中の街に寄っていく。このあたりの街はほぼ山の麓にある。街ごとに登って、ロータリーで回転して、降りての繰り返し。しかもこれらの街中の道には、速度制限のために、何mかおきに盛り上がったトコロがあるのだ。延々2時間半、タテにヨコに我々は揺られ続けることになったのだ。これは苦しい。ナザレからアッコーまで乗るような酔狂な客は我々4人だけで、アッコー近くになると、運転手は何も言わずバスをガソリンスタンド脇に止め、自分の為の水やパンを買ってきた。そしてアイスクリームを食べながら運転しだしたのだ。大阪市交通局なら誰かがこう言うだろう。「クビ」。(笑)

これら運転手に共通していたのは、停留所ごとに乗り込んできた客と発車した後も料金のやりとりをしていること。中には料金表を見せたりしながら運転している者もいた。前を見て運転してほしいもんだ。近くの乗客もよく声をかける。そのたびにそっちを向く運転手もいる。日本では考えられないラフさだ。

乗客も携帯電話をかけまくりである。でかい声で話している。私はヘブライ語が分からないのでただの雑音であるが、まあ迷惑きわまりない話である。これは、アッコー-テルアビブ間で乗った鉄道でも、エレサレム市内のトラム(路面電車)でも同じ。タフでなければ、イスラエルでは生きていけない。

イスラエル考現学 TAXI

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その3】
タクシーのデザインは統一されている
イスラエルの超多文化について2回にわたって概説してきた。今回からイスラエル考現学(現代の社会現象を場所・時間を定めて研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問:モデルノロジー)と題して、旅で気になったことを書いてみようと思う。

今回のイスラエル旅では、タクシーを多用した。我々夫婦と息子夫婦の4人で行動したので、4人で割ると、バスを使うのと料金的にそうかわらないらしい。時間もより有効に使えるし、暑さも厳しいので熱中症対策にもなるわけだ。ところが、このイスラエルのタクシー、一筋縄ではいかないのだ。タクシー料金は、2種類から選択できる。普通行われるのは「折衝による料金合意」であり、「メーター使用」も可能である。息子によると、運転手によってはボラれることもあり、特にアラブ人運転手とはよくもめるらしい。また観光地などで待機しているタクシーより、流しのタクシーの方が、ボラれる可能性が低いらしい。パッと運転手を見て、その対応の良しあしを判断する必要もあるらしい。日本のように手を挙げて止めるのではなく、手を少し斜め下に出す。イスラエルは左ハンドルなので、助手席のドアを自ら開け、折衝するのだ。だから一人で乗る時は、その延長線上で助手席に乗ることが多い。英語に堪能な運転手もいるが、ヘブライ語の方が当然良い。息子はヘブライ語で運転手とガンガン折衝し、アラブ人の場合はアラビア語も使う。ユダヤ人の場合、イデッシュ語(ドイツ語とヘブライ語の混ざったアシュケナジの言語)を使うこともある。だから語学が堪能でないと、ボラれずタクシーに乗るのはかなり難しいのだ。

このタクシー、運転がかなり荒い。と、いうよりイスラエルと言う国、強気で運転しないと前に進めない。警笛もガンガン鳴らす。割り込みは日常茶飯事だし、イギリスの信託統治下にあったためか、ロータリーも多い。(テルアビブだけは、新しい都市なので碁盤状の道で信号が多い。)まさに、「オレが、オレが」なのである。さらに路上駐車が多いので道が狭くなっている。ユダヤ人女性もアラブ人女性も運転しているが、ガンガン突っ込んでくる。「運転が示すあなたのお人柄」などという標語は存在しない。が、さすがに路上をわたる人には減速してくれる。中国のようにルール無用とまではいかないが、危険この上ないのである。

イスラエルは「罪」と「罰」の一神教的契約社会である。日本の「恥」の文化とは全く異なる。事故を起こすことは「罪」であり徹底して避けるが、「罪」を犯し「罰」を受けないならばよいという運転だ。周囲を慮り、集団の中での個という概念が基盤となる「恥」という概念は希薄であると見た。

運転中に煙草を吸う運転手もいたし、携帯で会話しながら運転する者も、自分の好きな音楽を大音響で鳴らす者もいた。反対に、丁寧で気持ちのよい運転手もいた。ホント、当たり外れが大きいのだ。

ちなみに、エレサレムだけでなく、北部の諸都市やテルアビブでもタクシーに乗ったが、車種はいろいろながら、全て外装は同じ。白い車体で登録ナンバーが書かれている。これはわかりやすい。

2024年ナイロビにオリンピックを

イスラエルの報告を中心に書いているが、ちょっとここでアフリカの話を書いておきたい。ケニアのナイロビが、2024年のオリンピック開催を表明したらしい。最初その情報を聞いた時には、かなりの難題が予想され、私は否定的な気持ちになったのだ。オリンピックには莫大な資本が必要だし、現状を考えると、とてもとてもと思ってしまう。WEB上に詳細な否定的な分析記事も出てきた。(下記WEBページ参照)

あのキベラスラムは強制的に排除されるだろうし、穴ぼこだらけの国道などインフラ整備を考えると気が遠くなる。しかし、私は、ケニア政府を支持したい。しかもタンザニアやウガンダなど東アフリカ諸国で共同開催してはどうか、と思う。オリンピック開催を最大の開発目標におくことは、たしかに今は遠い夢かもしれない。しかしアフリカ諸国にとって飛翔のために必要な「夢」であるのではないか。中期的長期的な開発を進めるための目標としては、現実的に有効だし、これくらいのインパクトが必要かもしれないと思うのだ。

http://jp.ibtimes.com/articles/33945/20120811/99721/page1.htm

2012年8月10日金曜日

家庭内別居?イスラエルの現実

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その2】
我々高校の社会科の教師は、イスラエルはユダヤ人の国だと教えるわけだが、この「ユダヤ人」という定義が非常に難しい。ユダヤ教を信じる人々といっても、古代ローマ時代以来のディアスポラ(離散)によって、世界各地に散らばっていたわけで、その根本たるモーセ五書はともかくも、それに付随する律法や生活習慣などは長い年月によって各地域で大きな差異を生んでいる。上記の画像は、テルアビブ大学内にあるディアスポラ博物館で撮影した「イスラエルへ帰還した人口分布を各国別に示したもの」である。こうしてみると、ロシア(旧ソ連)系・ポーランド系ルーマニア系などの東欧系が多いことがわかる。それに西欧・中欧系がプラスされ総じて欧州系が55%ほど。一方、モロッコなどマグレブ諸国とエジプトにエチオピア等のアフリカ系が20強%ほど、これにインドからアフガン、イエメン、イラン、トルコなどの西アジア系が20弱%ほど。これに北米・南米・オセアニアなどからも来ていることがわかる。私はキリスト教圏のユダヤ人をアシュケナジ、イスラム教圏のユダヤ人をスファラディと教えているが、スファラディはスペインやオスマントルコ圏のユダヤ人を意味しているらしく、もっと詳しく言えばフランスやイギリス、オランダにも多く分布していたらしい。またイランやイエメンなどの中東地域や中央アジア出身の人々をミズラヒムというらしく、これらの概念も一定ではないらしい。要するに出身地域(空間的)で簡単には分類できないわけだ。

3人の超正統派と世俗派がバスを待っている
これに、ユダヤ教の本義である律法の厳守の度合いでも大きな相違がある。最も厳格に律法を守っているのが、すでにエントリーで紹介(7月25日付ブログ参照)した超正統派。これに正統派、保守派、世俗派という具合にレベル化できそうだ。超正統派は、このクソ暑い中、男性は黒い帽子とコート、女性は黒いロングスカートをはいているので見ていて分かりやすいが、良く見るとも”もみあげ”を伸ばしている超正統派と伸ばしていない超正統派がいるし、帽子にも違いあるらしい。うーん。よくわからんのである。主にアシュケナジらしいが、ミズラヒムの超正統派もあるらしく、さらに混乱するのである。いつも”キッパ”を頭に着けている人もいるし、誰が正統派か保守派かはわからない。世俗派はそのへんの欧米人と全くかわらない。ところで、いつも参考にしている本『イスラエル人とは何か』(6月23日付ブログ参照)には、世俗派が圧倒的だとある。(エレサレムは、さすがに超正統派が1/3を占めているそうな。)ちなみに、ロシアから近年多くの移民が入ってきたらしく、ロシア語しか話せない、しかも長い社会主義時代にユダヤ教が迫害を受けた関係で豚を食べないなどの最も基本的な律法すら守ってこなかった人々もいる。

エレサレム旧市街イスラム街
ここに、アラブ人がいる。アラブ人にもユダヤ教を信じる人も、キリスト教徒も、もちろんイスラム教徒もいるし、イスラムに分類すればいいのかどうかよくわからないドゥルーズ派の人もいる。エレサレムには、当然キリスト教の聖地なので欧米やアルメニア正教、エチオピア正教の神父や司祭もいるし、以前紹介したエチオピアからイスラエル国軍が脱出させたエチオピア系ユダヤ人、アフリカからの難民(6月23日付ブログ参照)もいる。イスラエル人といっても、もうわけがわからん状態なのである。

したがって、四国ほどの土地の中で多種多様な彼らの生き方がぶつかり合うのだ。『多文化共生』という国際理解教育のカテゴリーを越えたような世界が現出しているのがイスラエルなのである。アメリカのような「人種のサラダボウル」といった綺麗なコトバでは表せない。少なくともアメリカには、アメリカの「自由と民主主義・資本主義」と「明白な天命」という共通のアイデンティティがある。イスラエルには、それ以上に強烈なユダヤ教があるようだが、極めて多元的である。うーん。理解を越えた世界がそこにはあったのだった。『イスラエル人とは何か?』には、このような一節があった。

『(イスラエル人とは)まるで仲が良くないのに誰も出ていかないから、しかたなしに一つ家で家庭内別居している家族みたいに見える。』…なるほど、うまい表現だと思った次第。

今回の何回にわたるかわからないイスラエル紀行文のタイトルを、【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-】としたのは、こういう意味を含んでいると理解されたい。

It's not just an airline.

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その1】
今回のイスラエル紀行文の最初に、かの地で感じたことの概説を述べたい。とはいえ、私が滞在した実質11日間で、何がわかろうか。あくまで現場の高校教師が覗いた程度の主観的なものであることを明言しておきたい。

イスラエルのナショナルフラッグであるエルアル航空のチェックインした香港から、イスラエルの旅は始まったように思う。エルアル航空のキャッチフレーズは凄い。『エルアル航空は、単なる航空会社ではない、イスラエル国家そのものである。』私は、このキャッチフレーズがまさに真実であると思ったことが、3つある。1つは、セキュリティの厳しさである。他の航空会社と違って、チェックインの前に尋問される。(あわてず、「日本語で。」と、お願いすると、質問事項が日本語で書かれた用紙をもってきてくれる。…私のリスニング能力では心もとない。)必要なら荷物チェックまでされるだろう。そんな厳戒態勢である。もっと凄かったのが、乗り込むゲート付近で、持ち主不明の荷物があるとのことで、我々は違う場所に移動させられたことである。(もちろん、その後持ち主が見つかり、何事もなかったが…。)常に敵から身を守る体制を保持する。平和日本から見れば全く危機管理のレベルが違うのだ。
その2は、飛行ルートである。上記の地図を見ていただきたい。イランやイラク、シリア、ヨルダン、レバノン、サウジアラビアといった地域を見事に迂回しているのが明白である。大きく迂回してトルコ上空から地中海に入りテルアビブへ向かうのだ。バンコクやムンバイからだと、紅海の上空を飛ぶようである。イスラエルという国家を取り巻く厳しい環境を、この飛行ルートはまさに物語っている。その3は、登場開始時間の早さである。普通の航空会社の倍くらい早い。これは、イスラエルという国に住む人々の多様性とその自我の強さに関係しているように思うのだ。日本的な遠慮とか配慮といったコトバは通用しない。各人が個々の動きをするので、統制がなかなかとれないのだ。この発見は、11日間終始ついて回ることになる。おまけに、機内食の取り下げが無茶苦茶早い。私はこの方が好きだが、他の航空会社と比べると明らかに早い。(国内で食事しても、かなり早いことが後で判明する。)ちなみに往路では、超正統派の人々を見なかった。(息子によると、なにか祭事期間だったらしい。)復路では、周りにたくさん乗っていた。例の黒い帽子の形を崩さないためのハードケースも見た。機内で祈っている姿も見た。一方で、肩を露出し、ホットパンツ姿の若いユダヤ人女性も見た。大きな声で周囲をはばからず談笑しているユダヤ人グループも見た。この収拾のつかないような空間、たしかにエルアル航空は、イスラエル国家そのものなのだった。

2012年8月9日木曜日

イスラエルより無事帰国

ヘブライ大学から旧市街を望む
さきほど無事、イスラエルより帰国し、自宅に到着しました。書きたいことは山ほどあるのですが、本日は、とりあえず、出発前はミステリーだった旅程を記しておくことにします。

7月29日(日) 関空発-香港経由-イスラエル・テルアビブ着 息子夫婦の出迎えを受け、深夜にエレサレムの新市街のホテル泊。

7月30日(月)東エレサレムの息子の滞在先へ。ヘブライ大学へ。旧市街アルメニア正教聖ヤコブ大聖堂の礼拝を視察。ダヴィデ王の墓・イエスと弟子の最後の晩餐の部屋視察。高級住宅街のイエミンモシュー散策。ここから、6日間、近所のスウェーデン系ユダヤ人のおばあさんのお宅でホームステイ。

7月31日(火)早朝から、旧市街。ユダヤ教の聖地・嘆きの壁、イエスが十字架を背負った道(ヴィィアドロローサ)を歩き、聖墳墓教会(ゴルゴダの丘)へ。昼からホロコースト博物館、シャガールのステンドグラスのある病院のシナゴーグへ。

8月1日(水)新市街のグレイトシナゴーグ視察と隣のウルフソン博物館へ。昼からイスラエル博物館をゆっくり見学。

8月2日(木)早朝からイスラム教の聖地・岩のドーム視察。その後海面下の灼熱の地、浮遊体験の死海観光。

8月3日(金)テルアビブ郊外の戦車博物館へ。新市街の市場見学、ユダヤ教の安息日の夕食を息子夫婦の大家さん宅で体験。

8月4日(土)日没までは安息日。オリーブ山の主の涙した教会視察、パレスチナ自治区のベツレヘムへ。イエスの聖誕教会視察。

8月5日(日)エレサレムから北部地方へ3泊4日の旅にでる。ガリラヤ湖畔最大の町・ティべリアへ3時間のバス行。超正統派の町ツファットへ。ヨルダン川沿いのキブツへ。ティべリア泊。

8月6日(月)ナビーシュアイブ(ドゥールズ派の聖地)へ。さらにナザレ・受胎告知教会視察。バスで、地中海の街・アッコーへ。アッコー泊。

8月7日(火)アッコー旧市街散策。テルアビブへ鉄道行。市場散策、セントラルバスステーション近くのエチオピア人街へ。テルアビブ泊。

8月8日(水)テルアビブのバウハウス建築を散策。南部のヤフォー旧市街散策。午後、北部のテルアビブ大学のディアスポラ(ユダヤ人の離散)博物館へ。夕方空港へ。

8月9日(木)香港経由関空着で帰国。

こうしてみると、かなりハードな日程で、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の重要な聖地やイスラエルの「学び」の名所を回っていることを改めて感じます。息子夫婦、とりわけ英語を駆使し、朝食を用意し、気遣ってくれた嫁にあたるTさんに感謝したいと思います。詳細は、これからゆっくりと書いていこうと思います。

追記:この間、得た日本の情報は、杉本美香選手が銀メダルをとったこと(祝)、秋田商業高校の甲子園の試合が14日にあるということだけでした。全くの非日常に浸っていたわけです。(笑)