2023年2月12日日曜日

総理各国事務衙門

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朝から、首都圏の超難関国立大学の世界史の質問にメールで答えた。清朝の「総理各国事務衙門」の歴史的意義についての内容だった。それまでの清朝の朝貢貿易体制から、対等な帝国主義列強との外交を司るためのシステムであるが、結局対応はうまく行かず、さらに半植民地化されてしまう結果になった。

もう少し詳しく言うと、この総理各国事務衙門、天津条約を一向に批准しない清政府に列強が業を煮やし北京を制圧、北京条約を結ばせた後、外務省にあたるもの=総理各国事務衙門を成立させたのが始まり。恭親王が主導しているうちは良かったが西太后によって排斥され、李鴻章が北洋通称大臣となると、天津港の全権をもつ彼に権力が移行していき、李鴻章が事実上の外務省となる。義和団の乱後に廃止されている。

こういう難解な問題に接するのは実に勉強になる。また、こういう質問に関わるエントリーもしていこうかなと思う次第。

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