2015年4月30日木曜日

村落開発普及員 武部氏の事

TVのHPより
さきほどTVで、たまたまガーナの貧村アチュワ村にJOCV・村落開発普及員として派遣され、活躍した武部寛則氏の話が放送されていたのを見ていた。アフリカを愛する私など、涙なしで見れようか、という内容だった。で、急遽エントリーしておきたい。

村落開発普及員というのは、専門性のないJOCVで、コミュニケーションを図りながら貧しい村を開発するという、言うは簡単、やるのは至難の仕事である。武部氏も何の専門性もなく、この村にやってくる。アクラに比較的近いので、最初養鶏による現金収入の道を探ろうと考えたようだが資金がなく挫折。その後少数の人々が自給とわずかな現金収入を期待して植えていたパイナップルに活路を見出し、徐々に村人の信頼を勝ち得ていく話だ。

私がこれまで出会った村落開発普及員で大成功した例は、マラウイの山田耕平さんくらいである。ディマクコンダというエイズ対策の歌をつくり、マラウイ全体に流行らせた人だ。昔JICA大阪で直接お会いしたこともある。その時、村落開発普及員という仕事に疑問を抱いたのも事実。専門性がないのに、開発のためにひと肌もふた肌も脱ごうというのだ。なまじっかな気持ちではなれないと思う。だからJOCVの中でも批判もあるらしい。

だが、今日のTVで見た武部氏の純粋な情熱は凄い。本当に感動した。しかも、病人の村人を運ぶさなかに交通事故で亡くなってしまっている。

この村では、彼は今も「長老」であり、彼への感謝の念は決して消えていない。こういうまだ知られていない凄いJOCVをこれからもどんどん紹介して欲しいものだ。

http://matome.naver.jp/odai/2140426454997701001
http://jiburi.com/takebehironori/
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/150430_2.html

ケータイ安全教室

人権教育主担として、全校的な講演会を本校では年に3回やることになっている。今日はその第1回目、生活指導部との共催でケータイ安全教室を行った。NTTからTさんという女性講師に来ていただき、パワーポイントとVTRを使って約1時間講演をしていただいたのだ。

私は、こういう時こそ生徒の自主性を重んじたいと思っている。で、3年体育科の野球部のキャプテン、総団長(各クラスの団長8人のトップ・リーダー)の2人に、起立・礼・着席の合図を頼んだ。さらに3年生全体に協力を呼びかけた。普通科5クラスを教えていることも有利に働いたようで、彼らの号令に3年生はすばやく対応してくれ、1・2年生も慌てて起立してくれた。(笑)

これには講師のTさんもいたく感激していただけたようで、最初の出だしがよかったのか、静粛なまま充実した1時間が過ぎたのだった。

今日、3ランを打ったイチロー選手は、「特別な時間は自分でなく人がつくってくれる。」とチームやファンの喜びようを表現した。今日の講演会も、私はそう感じたのだった。ありがたいことだ。

その後、快晴の空の下、生徒はスポーツテストに取り組んでいた。私はというと、時間割の最終確認を教務部のメンバーとひたすらしていた。鼻炎で100回以上鼻をかむような体調の悪さであった。時間割のプリントアウトが終わった後、2年5組の卒業生のY君とSちゃんが来て顔を見せてくれたのだが、ゆっくり話もできなかった。今日は薬を飲んで早く休むつもりだ。

2015年4月29日水曜日

ブルンジの大規模デモ

http://www.africamission-mafr.org/fides150.htm
ブルンジが大統領三選を巡って混乱しているようだ。大規模デモが起こり、6人が死亡、2万5000人がルワンダなどへ避難したという。ブルンジは元ベルギー領。ルワンダ同様、支配階級としてのツチ、非支配階級としてのフツというふうに新しい民族区別によって植民地支配が行われた。このシステムが未だに尾を引いている。ツチとフツの対立によるルワンダ虐殺は有名だが、ブルンジも内戦を繰り返してきた。今回の三選問題は、ヌクルンジサ大統領が、憲法にある大統領の三選禁止を覆そうとしていることに由来する。

彼はフツ人である。内戦中、ツチが多い軍部がクーデターを起こし、大統領を出した。これには国連やAUが経済制裁をかし、どうにもならなくなったところで行われた総選挙で、最大与党の党首だった彼が大統領になった。彼は、最初議会で選ばれたので、大統領選挙自体は今回が2回目であると主張。同じフツの他党候補から批判されている、というわけだ。この混乱にツチ=軍部も動くと、避難民はおそらく考えたのだろう。

ブルンジは、アフリカでも最貧国として知られている国である。ガバナンスの悪さによって、紛争の罠に陥り、経済が悪化するというポール・コリアーの定義どおりの話である。深い溜息をつくしかない。

2015年4月28日火曜日

朝日 独紙記者への政府の攻撃

朝日の朝刊に興味深い記事が載っていた。内田樹先生のブログに、日本駐在員だったドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙の記者の「告白」が載っていて話題になっているというのである。あるべきことか、彼の書いた安倍政権批判記事に対して、在フランクフルトの外務省官僚が異質な抗議をしたというのだ。外国人特派員の中でも、最近の日本政府の変質に批判が集まっているらしい。
<内田樹先生のブログ>
http://blog.tatsuru.com/2015/04/10_1343.php
<朝日新聞の記事>
http://www.asahi.com/articles/ASH4P6GZ3H4PUHBI02T.html%20target=

民主主義国という大看板を掲げながら、国家権力が言論を抑圧するのは例のサンケイ新聞の件の韓国ぐらいかと思っていたのだが、日本も同じだ。先日のNHKと朝日放送を自民党が呼び出したり、この独紙記者への攻撃といい、どうも日本政府がオカシイ。

ネパール大地震の死者が4400人を超えたそうだ。現地では日本から派遣された方々の懸命な救助活動が始まった。そんな中、首相はワシントンDCで、ご満悦のようである。それはそれでいいのかもしれないが、わざとらしく、USホロコースト博物館に行っている。(この博物館は凄いし、私としては超オススメであるのだが…。)先日私が日経の記事を読んでエントリー(23日のブログ参照)したように、ユダヤロビーが今回の訪米・議会演説をバックアップしていることが、はっきり証明された。かの杉原千畝氏に助けられたユダヤ系アメリカ人まで登場させてのアピール。これらを演出した外務省の官僚はしてやったりだと思う。杉原千畝氏は外務省を追われて名誉回復が行われたのは没後14年もたってからのことである。この辺の厚顔には呆れかえる。

要するに、品性に欠けるのだ。ワシントンでも大阪でも。よく世論調査で、支持する、しないの理由で、「人柄が…」というのがあるが、まさにそれである。佐藤優の「世界史の極意」に出てくる新・帝国主義の品性そのものである。

2015年4月27日月曜日

今日嬉しかったこと。三題。

暑い一日だった。今年も月曜日は授業が多く、1・2・4・5限とわりとキツイ。そんな1日だったのだが、嬉しかったことが3つあった。

まずは、授業でのこと。世界史を教えている5クラスの中で、5組は進度が一番早い。私くらいのベテランでも、やはり最初に教えるより、最後のほうがうまくいく。5組には申し訳ないと思うのだが、仕方がない。世界史Bは、まず一神教を系統的に教えている。今までは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教と順に教えていたが、まずはその共通点を教え、次にその違いを教えていくという新しい方法だ。今日は、三宗教の律法についての捉え方を、神の定めた法という視点から話していた。高校生には、結構難解な話なのだ。

ユダヤ教は多くの預言者が神のコトバを預かり聖書化した。さらに律法学者がそれを膨大なものにしていく。とはいえ、これを学び守るのが信条だ。一方、キリスト教では、ユダヤ教の形式主義をイエスが批判し、律法の成就という概念が生まれる。キリスト教は律法を守る必要がないのだ。「だから、豚を食べれるのだ。」と言うと皆うなずく。(笑)イスラムは、最後の預言者・ムハンマドによりコンパクトにまとめられている。てなことを教え、キリスト教は、神から与えられた法がないし、イエスの福音書も明確なコトバではないことが多い。だから、キリスト教徒は、神の設計図を求めることになる。神はどんな世界をつくろうとしているのか?近代科学や民主主義はここから生まれることになる…。後ろに座っている男子諸君が、なるほどと頷いている。授業の最後に、コーランを持って行っていたので見せた。チャイムが鳴ってしまったので、「興味がある者は見においで。」と言ったら、彼らが来た。「意外に小さい本ですねえ。」「イスラムは神の法がコンパクトにまとめられているのだ。」と言うと、なるほどと目が輝いていた。嬉しいではないか。「授業、面白いかあ?」と聞くと「ハイ。面白いです。」教師冥利につきるではないか。

放課後、T君というよりR君、H君というよりHちゃんが、職員室を覗いてくれた。先日I君が来てくれて、これで里帰りしてくれた4組の卒業生は3人になった。みんなすっかりレディになっている。(笑)嬉しいものだ。私の机上のパソコンの壁紙は卒業式の最後の記念写真である。これを見て、「うわー、懐かし!」と言ってくれる。正直、卒業生を出した後は寂しいものだ。元気そうな卒業生の顔を見て、疲れが吹っ飛んだ。これも教師冥利につきる話だ。

最後に嬉しかったこと。大好きなマリーンズのイチローが頑張っている。先日、日米通算で王さんの得点記録を抜いたのだ。控えという立場をひっくり返し、今や先発。3割の打率を叩きだしている。チームにも溶け込んでいる。記念にホームベースを皆から送られたという。もちろん、ファンも記録をたたえてスタンディング・オーベーション。アメリカ人の率直さを感じる次第。こういうシーンを見させてもらうと、やっぱりアメリカを嫌いになれないんだなあ。

…ところで、ネパールの大地震、世界中の救助隊の方々の奮闘をお祈りしたい。1人でも多く助け出してあげてほしい。そう祈らずにはおれないのだ。

2015年4月26日日曜日

ネパールの地震

衝撃的なニュースだった。ネパールで(現在のところ)2000人を越える死者が出た大地震。日本政府も今日の午後、救援隊が出発したらしい。こういう災害の時こそ、各国のガバナンス能力が問われる。日本で研究を進めてきた災害対応を発揮できる時でもある。日本の災害では行方不明者発見犬が使われたり、今話題のドローンの利用など様々な研究が進んでいる。一刻も早く現地に到着してほしいものだ。

東北大震災のとき、世界中から支援を受けた日本。関係各位の無事と貢献を祈りたい。また、これからのネパールの再建にも大いに貢献して欲しいものだ。

ネパールを愛する日本人は多い。私は行ったことはないが、ネパール本はかなり読んでいる。1000人以上の滞在者がいるというのは、なかなかのものだ。

バヌアツのスーパーサイクロン、チリの火山噴火、そしてネパールの地震と、まるで地球が怒っているような日々が続く。

2015年4月25日土曜日

佐藤優 「世界史の極意」を入手。

佐藤優の「世界史の極意」(NHK出版新書・本年1月10日発行)を入手した。以前から気になっていたのだが、やっと手にできたという感じである。まだ序章しか読んでいないが、既に佐藤優の箴言がいくつか書かれている。

この本の趣旨は、アナロジカルに歴史を見ることが今、必要だということである。アナロジーというのは、日本語に翻訳すると「類比」となる。似ている事物を結びつけて考えることである。別の時代、別の場所で生じた別の状況との類比に基づいて理解する方法で、今の世界を見る=アナロジカルな世界史について書かれているわけだ。

佐藤優は、なぜこのような本を書いたのか。それは、知識人によるアナロジカルな世界史によって作り出される「大きな物語」に対して、日本人が禁欲的であり批判ばかりしてきたことへの反省である。たとえば、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする。」という大きな物語に対して、民主主義かナチズムを生んだ、科学技術が原爆を作ったというように、である。しかし今、日本には「大きな物語」を再構築する必要がある、というわけだ。

佐藤優は、「大きな物語」が提示されないゆえに、排外主義的な書籍やヘイトスピーチの氾濫が起こっていると言う。人間は本質的に物語を好む。知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまう。
具体的には、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるという。(P11)

さらに、安倍政権が日本の孤立をまねくような対応を繰り返すのは、アナロジカルな思考や理解が欠如しているからである。慰安婦問題について欧米の人々は「自分の娘や妹が慰安所で性的奉仕に従事させられたとしたら…」という思いでこの問題を見ているが、だから、かつてはどんな国ににも公娼制度があったと主張しても、それ自体が人権を踏みにじるものだと理解される。こうした類比的な思考を一切考慮せず「私たちは間違えていない」と言い張ったところで、国際社会からの理解を得ることはできない。言ってみれば、安倍政権は、コンビニの前でヤンキー座りをして、みんなでタバコをふかしている連中と同じ。仲間同士では理解しあえても、外側の世界が自分たちをどう見ているのかわからない。アナロジカルに物事を考える訓練をしていないと、外部の世界を失ってしまう。(P25)

…このあたりの文章を読んで、なるほどと膝を打ったのだ。