2012年11月16日金曜日

ゲッペルスが今生きていたら

ゲッペルス
ナチス=ドイツの話は、第一次世界大戦・第二次世界大戦の範囲では、最も重要な部分だと私は思っている。世界史を学ぶ意義を最も感じるところである。ナチスが、いかにして権力を握って行ったか。ミュンヘン一揆の失敗で、合法的手段をとる方針を固めたヒトラーは、結局巧みなプロパガンダによって、その階段を上って行く。もちろん暴力装置としてのSA(突撃隊)、SS(親衛隊)も持っていたが、特にSAを活用したのは初期であって、ムッソリーニの黒シャツ隊よろしく社会主義者攻撃に使ったが、レーム大尉を粛清してからは、暴力装置というよりは制服好きのドイツ国民へのディスプレイとして使って行く。ブラスバンドを使ったローマ的なパレードや、紙爆弾、演説会場の演出など、当時としては斬新なアイデアである。

そこで語られた大きなウソは、実は『当たらずと言えど遠からず』なものだった。ナチスの最大の政策目標は、ベルサイユ条約の破棄と大ドイツの再建である。社会不安を背景に、これをユダヤ人迫害に結びつけ、敵視を増幅していく。第一次世界大戦のドイツの敗北は、塹壕戦での敗北にあらず。キール軍港などで起こったドイツ革命にある。このドイツ革命を主導した社会主義者たちにはユダヤ系の人が多かったのは事実。もちろんマルクスやトロツキーも有名なユダヤ系である。それを一気にユダヤ人の起こしたドイツ革命で負けたと言ってしまう。こういうスローガン的な単純化が効果的だと言う事をヒトラーは熟知していた。莫大な賠償金による超インフレや大恐慌の波及での経済的危機を、ドイツ金融界の陰謀とした。もちろんロスチャイルド以来、金融界にユダヤ資本が根を張っているのも事実。これまた見事にスローガン化してしまう。我々の経済危機はユダヤ人金融資本の陰謀。ここから、アーリア人の優位と大ドイツ建設の障害となるユダヤ人排除の論理に結び付けていく。共通の外敵に目を向けさせるのは、内政危機時の常套手段である。

このナチスのプロパガンダ戦略は今の日本にも十分当てはまると思っている。もし、ゲッペルスが今生きていれば、マスコミをいかにうまく使うかを考えるだろう。毎日のようにマスコミに登場し、刺戟的でスローガン的な発言をして、世論をあおる。反応を見ながら微調整し、次々と話題を提供する。マスコミに騒がれること自体がプロパガンダの成功である。あとは大衆心理。

こういう笑えない事実が今、進行していると私は感じているところである。

『大脱走』とゲシュタポ

世界史の授業で、ナチス=ドイツの話をしている。ゲシュタポの話になった時、つい脱線して、名画『大脱走』の話になった。テーマ音楽を口ずさむと、何人かの生徒が知っていた。この大脱走の話で、ゲシュタポの怖さを感じるシーンがある。

捕虜収容所から、艱難辛苦の上に脱走したイギリス空軍士官が、町に出てからゲシュタポに呼び止められるのだ。身分証明書の提示を求められるのだが、精巧なニセ証明書は見破られることはなかった。もちろん、全てドイツ語での会話だ。ゲシュタポは、「ありがとう、問題ありませんね。」と言い、脱走した士官も「どうも。」と答える。ほっとした時その時、ゲシュタポは英語で「気をつけて。」と言うのだ。これについ、英語で答えてしまうわけだ。凄いインテリジェンスである。

子供のころから何回もこの『大脱走』が好きで見ているが、このシーン、かなり恐ろしい。そんなしょうもないことも話していたのだった。

2012年11月15日木曜日

明日の『紫のふくさ』と憂鬱

明日、久しぶりに『紫のふくさ』が登場する。”紫のふくさ”とは、衆議院解散時に、天皇から衆議院を解散する旨の詔書が本会議に届けられる時に使われるものである。今日は授業で、TVニュースで流れるかもしれないので、めったに見れないから見ておくようにと、そんなことも話していた。

一時期、こういう日本政治に関する細かな面白い話を集めていたことがある。今はもう、ワケがわからなくなってしまったが、自民党の長期政権下では、高校の政治経済の教科書に載っている事項だけでは、新聞を読んでもよくわからないことが多かった。政治に興味を持たせようとすると、自民党の党内の構造をあきらかにする必要があったのだ。だからかなり勉強した。

自民党の当時の構造の柱は、党の政務調査会。これらの部会は、各省庁、ならびに衆参の委員会と密接な繋がりがあった。新人議員は、2つの部会に所属した。たとえば、大蔵部会(昔の大蔵省関係)と逓信部会(昔の郵政省関係)といった感じである。人気があったのは、金や票に密接に繋がる部会である。先の二部会や商工部会(昔の通産省関係)や建設部会(昔の建設省)、農林部会(農水省関係)などである。ここで、官僚と共に政策協議をやる。官僚から専門的知識を学び、官僚との人脈を繋ぎ、国会の関係する委員会に所属したりしながら”力”をつけるのである。所謂”族議員”である。

後に、この政官癒着が問題視されたわけだが、この政務調査会を束ねる政調会長は党内でもかなりの力を持っていたわけだ。大臣というのは聞こえがいいが、実際には政策に関しては政調会長のOKなしでは、各省庁から出される法案は提出できなかった。一方、党務全般を束ねるのは、総務会長。政調会長に比べれば地味だが、各派閥の意見調整は総務会で行われた。そして、最大の権力を握っていたのは、幹事長である。党の資金、人事、そして選挙を担当する。ヒト、選挙区、カネを握っていたわけだ。この三者を自民党三役といった。予算も、この三役の決済が必要だった。この構造、教科書にも資料集にも載っていなかったが、極めて重要な事項だったのだ。

今は、小選挙区制になって派閥の権力が弱まり、こういう構造は空中分解したようだ。民主党では、こういう競争社会的な議員育成はされてこなかった。官僚とのしがらみはないが、国会議員としての力(官僚のもってくる政策を審議する力や、法案を実際に成立させる能力など)は磨かれない。だから、「最低でも県外」とか「2位じゃだめなんですか」などの信じられない浅い認識の迷言が出てくる。国家機構を動かすと言うのは、そんな簡単なものではない。石の上にも3年と言うがこれを衆議院の平均任期とすると、大臣となるのに自民党政権下では6期以上だから18年かかる。私の教員経験から見ても妥当な年月だと思う。それくらい、ベテランとなっていろいろな専門的な勉強をして、人脈を築いてなんぼのものである。民主党の大臣は、経験不足で専門的な見識が磨かれないのは当然である。「政治主導」という綺麗なコトバだけが先行して、主導したい政治家が浅学なのだから、大混乱となる。官僚もとことんボロボロに傷つくことを待つことになる。

誤解のないようにしたいが、私は自民党支持者ではない。今回の解散に至った経過について論じているのだ。民主党の国会議員にそのような資質が欠けていて、この3年間日本が迷走したことに、首相がやっと終止符を打ったという実感がある。前回の選挙で風にのって当選した1回生議員は何をしていたのか。おそらく長期自民党政権下の1回生議員より何もしていないはずだ。自己の将来に汲々とし、離党している輩を見ると、誰のために、何のために政治家をやっているのかといいたい。同時に、第三極と呼ばれる風にのろうとしている素人にも、たとえ当選したとしても同様の未来が待っていると私は思うのだ。このままではヒトが入れ替わるのみ。

中国の権力構造が習体制となり、大いに変化した。だが、中央委員云々などと言われる人々は地方で行政の実績をかなり積んでいる。日本の政治家に比べればプロ中のプロだ。過激なコトバや思いつきの美麗美句で飾るしかない素人が勝負できる相手ではない。憂鬱である。日本はどこに流れて行くのだろうか。

2012年11月14日水曜日

ケニア警察 レイディングに死す

Tuareg
朝日新聞に、ケニアの警察官が盗賊に襲われ42人死亡したという記事が載っていた。牛の盗難捜査中に盗賊に襲われたという報道だが、ケニア北西部であるし、おそらくはレイディングでの話だろうと思われる。

本年6月16日付けの『京大公開講座』の報告ブログや、11年6月15日の『レイディングの衝撃』で紹介したが、ケニア北部の乾燥地帯では、遊牧民によるレイディングが常態化している。遊牧民同士の家畜の奪い合いなのであるが、時には今回のように自動小銃を使用し、死者が多数でることもある。彼らにとってはそれが善悪を越えた生業であり文化的伝統である。

私はこの事件が、ケニアのガバナンスの分水嶺になるのではないかということを強く感じている。ナイロビなどの都市部ではケニアはガバナンスの改善が進み、近代的な開発が進んでいる。一方で乾燥地帯である北部では、中世的な遊牧民の世界がそのまま存在しているという、大きな矛盾を抱えていた。ケニアを、開発経済学的に見た時、経済・政治というX軸・Y軸で表される空間から、この遊牧民の世界はこれまで除外されてきたように思う。今回の事件で、これらの地域が一気に開発の対象、すくなくとも治外法権ではなくなることになるのではないだろうか。

一方でイスラム過激派が掌握しているマリ北部に、AUが西アフリカ諸国経済共同体の軍事介入を承認したという報道もあった。遊牧民のトゥアレグ人をイスラム過激派が先導しているらしい。こちらも遊牧民からみだ。

この2つの事件、アフリカが遊牧民世界と、アフリカの開発を推進する勢力との対自そのものだと私は感じている次第。

2012年11月13日火曜日

過激な政治家の発言が怖い

毎日新聞の朝刊の『みんなの広場』という読者投稿欄に次のような記事が載っていた。「過激な政治家の発言が怖い」大阪府の熊取町の66歳のYさんという人の意見だ。指摘されている政治家の名前以外はそのまま転載したい。

「何とも”過激な”な人たちのがそろって政治の表舞台に出てきたものだ。しかも、この人たち、日本の明日を決めることになるかもしれないというのだから、怖いような気もする。
”右寄り”の言動で知られ、東京都知事を電撃辞職し、国政進出を表明したI氏。一度、政権を投げ出しておきながら、自民党総裁に返り咲いたA氏。テレビタレントの頃から世間の耳目をひくことに巧みだった大阪市長のH氏らである。
「官僚支配の打破」に「現憲法の破棄」「外交安保や領土問題に毅然とした対応」。「日本再生のために国の仕組みをリセット」などは実に大仰で勇ましい。日ごろからマスコミでの露出度が高い人たちからの発信だけに、理屈抜きに私たち国民の中に浸透しやすい。だから、なおさら怖いと感じるのだ。私たちは、平和や暮らしの視点から、政治家たちの発信を検証する必要があるのではないだろうか。最近、特にそう思う。」

2012年11月12日月曜日

受験の朝鮮史を教えねば

先日、難関私大を目指して受験勉強に奮闘しているA君が来て「朝鮮史を教えて欲しいのですが…。」と言われた。朝鮮史なあ。中国史はともかく私はあまり勉強したことがない。困ったなあと思いつつ、とりあえず「各国別の世界史Bサブノート」を引っ張り出してきた。他の国は何ページかにおよぶのだが、朝鮮史は見開き2ページのみ。「えっ、こんなに少ないのかなあ。」と「詳説世界史Bノート」のほうをパラパラめくってみたが、量的にはあまり変わらない。どうも、受験世界史では、「朝鮮史」としてピックアップすると、かなり少ない学習量で、中国史のおまけみたいな扱いである。門外漢もいいところなので、それをどうこう言うわけではないが、教える側からすると、唸ってしまうのだった。

このままでは上っ面の自信のない講義になるので、先週木曜日に前任校の弟分のU先生に会った時に「朝鮮史」について質問してみた。彼はそもそも日本史が専門である。各国別世界史ノートの話をすると「そりゃあ、そうでしょうねえ。中国史と日本史との関わりの中で教えるのがいいです。倭寇なんか大きなテーマになります。」とのこと。うーん。よけい困るぞ。(笑)

で、今日の放課後、梅田のJ堂書店まで行ってきた。『日本・中国・朝鮮の東アジア三国志』という本を見つけてきた。なかなか平易で、しかも三国の関わりの中で学べる。ちょっと高かったけど、読んで教えて、その後は、A君にプレゼントしようかと思っている。

2012年11月10日土曜日

京都にシャガール展を見に行く。

前々から、シャガール展を見に行こうと妻と約束していた。いつも間際になるので今日あたりというわけだ。疲れ気味だが、近鉄京都線+京都市営地下鉄で行くことになった。悲しいかな、こういう時にかぎって電車が混んでいたりする。立ったまま京都へ向かうことになった。

赤いユダヤ人

京都文化博物館の本館3F・4Fがシャガール展の会場だった。土曜日ということもあって、かなり混んでいる。ちょっと立ちっぱなしで並んで見るのはツライのだが、なんといってもシャガールである。作品が素晴らしいし、なによりシャガールが、ユダヤ人であること、キュビズムの影響を強く受けていたことを学べるような展示にしてあったことが素晴らしいと思う。シャガールがユダヤ人であることは、我々夫婦にとっては当然の話だが、キュビズムの影響は面白かった。特に印象に残った作品は、まず『赤いユダヤ人』を挙げたい。圧倒的な存在感がある。シャガールの作品は、隅の方に小さな画像がちりばめられていて、その作品の趣旨がわかる仕掛けがある。この『赤いユダヤ人』も、ヘブライ語で後ろに律法が書かれている。それが美しい。

今回の展覧会の目玉展示は、モスクワのユダヤ劇場の壁画である。様々な紆余曲折を経て現存する壁画を当時の配列のママに転じしてある。必見である。33歳の頃の作品故、特に『ユダヤ劇場への誘い』などは、シャガールのキュビズム的な代表的作品であると言っていいだろう。

いやあ、よかった。だが疲れた。足がパンパンである。(笑)