2025年12月6日土曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録9

https://7net.omni7.jp/detail/1102592402
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第9回目。東方教会・西方教会・プロテスタンティズムの神学の歴史的傾向性と現状について。

前述のテルトゥリアヌスはラテン語を使う神学者であり、ギリシア語が不得意で、よくわからなかったからギリシアや東方教会の精緻な議論は救済とは関係のない空理空論のように思えたらしい。ラテン語の神学では、法的な考えが強くなった。救いの確実性がローマ法的な形態で整理され、「教会法」が整備される方向に向かった。東方教会が神学的な議論が深化していく中で、西方教会は知的には弱かったといえる。プロテスタンティズムは、この神学的には弱い西方教会を継承し、なおかつカトリックの精緻なスコラ哲学に対する反発から宗教改革が起きたので、神学的にはなおさら弱い。(P76)

ドイツの神学者ヨハン・ゲルハルトによる”プロテスタント・スコラ”はあるものの、日本には殆ど入らず、そこに自由主義神学(ヨハン・ゲルハルトの正統主義に対し、聖書・教会・伝統といったものによらず、信仰の実在、人間の主体的な判断によって神学を探求する近代神学と呼ばれる。シュライエルマッハーが代表的)、さらに弁証法神学(カール・バルトによる神学運動で、危機神学とも呼ばれる。神の絶対的超越性、神と人との断絶を主張し両者の弁証法的関係から信仰が始まると説く。)が入ってきている、スコラ的なものをそもそも知らない。ましてや東方教会の精緻なカルケドン派の様々な議論や著名な神学者・ダマスコのヨハネによって集大成された『受肉論』などを知らないので、(プロテスタント神学は)神学的な議論には弱い。(P76-7)

神学的な議論が深化するのは、ロシア革命で神学者たちが強制追放あるいは自発的に亡命したことで、パリやNYで東方神学が翻訳されてからのこと。20世紀以後西方の神学研究のレベルが上がった。キリスト教をトータルに理解するには、東方教会の知識は死活的に重要だが、かなり難しい。現在においては、ギリシアではなく、ロシアとルーマニアの正教会の知的レベルが高い。(P77-8)

…このカトリックと正教会の神学的な伝統の差や、プロテスタント神学の現状については、実に興味深い指摘である。これで、やっと第1日目の講義内容が終了した。

2025年12月5日金曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録8

https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/Unknown-artist/954611/
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第8回目。「ローマの神学者テルトゥリアヌスの、神学に哲学が不当に侵入していること」について。

前述のユスティノスやクレメンスは、哲学と神学の関係を調和的に理解しているが、テルトゥリアヌス(160年~225年頃:画像参照)は、対立的に理解していく。ユスティノスやクレメンスの考え方は、シュライエルマッハーや自由主義神学者、あるいはドイツのプロテスタント神学者ティリッヒに近く、テルトゥリアヌスの考え方は、バルトやチェコのプロテスタント神学者フロマートカに近い。後者の半哲学的・反知性主義のほうが、キリスト教神学ではメインストリームであるとのこと。(P69)

テルトゥリアヌスは、『異端者への抗弁』の中で、「アテネとエルサレムの間に何の関係があろうか。アカデメイアと教会の間に何の関係があろうか」と、神学と哲学の関係性を否定している。前述のマルキオンはストア派の出身であると。(P70-1)

さらにテルトゥリアヌスの「魂は死に従属しているということは、エピクロスの道を行くことである。」という箇所について、佐藤優氏は、重要なことを提示している。キリスト教でも肉体と魂があり、死ぬと同時に肉体は滅ぶ。ただし(魂は)復活する。エピクロスにおいては(魂の)復活はなく滅びておしまい。エピクロスは、グノーシス派やプラトン主義者のように魂は永遠に生きるとは考えない。ゲーテの『ファウスト』の魂はずっと生きて、そのまま彷徨っているなどという見方は当時のカトリシズムの標準的な見方で、現在もこのような発想が時々出てくる。プロテスタンティズムでも学園紛争の時代に学生(あまり勉強していない)だった同志社出身の牧師が葬式で、「今魂が自由になって天に上りました。」などというグノーシス派のような説教をしている場合もあるとのこと。確認:キリスト教神学では肉体も魂も滅ぶ。ただし復活する。(P70-2)

…この死生観は極めて重要だと思う。ブディストから見ると、この”復活する”という確信は正直なところ、やはり奇異に映る。ミケランジェロの最後の審判では、30歳くらいの肉体で復活する様が描かれているのだが…。

テルトゥリアヌスが言及している異端の多くは、グノーシス派、就中前述のマルキオンである。マルキオンは、旧約の神ヤハウェは悪神であり、キリスト教の神とは異なるとし、ユダヤ人は悪い律法をつくった、旧約聖書は一夫多妻を認めたり、暴力(ペリシテ人を殺せ)などが溢れていたりするとした。この反ユダヤ主義と繋がるのが、先日(11月4日ブログ参照)のドイツキリスト者である。(P72-3)

…ここでも神学と哲学の関係がさらに深く描かれている。ちなみに、チェコのプロテスタント神学者フロマートカとは、佐藤優氏の研究テーマであった神学者である。

2025年12月4日木曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録7

https://tetugakunou.com/yohane-rogosu/
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第7回目。「キリストはロゴスであり、ノモスである」について。

この「キリストはロゴスであり、ノモスである。」という、キリストとギリシア哲学ならびに旧約聖書との関係についての要約は、しばしば文学に見出されるとのこと。「ロゴス」とは言葉という意味のギリシア語でプラトン哲学で重要な意味を持っている。「ノモス」は法律を意味するギリシア語で、キリスト教信仰においてはパウロによって律法に割り当てられる重要な意味を持っている。この「キリストはロゴスでありノモスである」という言で、ノモスを強調しているのは、イエス・キリストが律法の完成者であることを意味している。(P67)

新約聖書は多くの場合、福音に対する2つの広義な聴衆の存在を明らかにしている。すなわちユダヤ人とギリシア人である。パウロのコリント人の信徒にあてた第一の手紙に「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。」(第1章22)とあるのだが、ここでいうユダヤ人のしるしとは、割礼である。神との結びつきのしるしなのだが、すでに律法はキリストによって完成されしまっており、キリスト教徒は洗礼によって結びつくろ考える。それと同じように、ギリシア人が持っているところの知恵(=哲学のこと)は十字架にかかって死に復活したキリストによって完成されている。だからキリスト者はもはや哲学にもこだわらないのだ、ということになるとのこと。(P68-9)

…なるほど。神学からの哲学への視点がよくわかる。ちなみに、ヨハネの福音書のロゴスからの視点は以下のHPが面白い。https://tetugakunou.com/yohane-rogosu/

2025年12月3日水曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録6

https://note.com/aokikendi/n/n22393f3e599d
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第6回目。「律法の役割と哲学の役割」について。

「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。こうして律法は、わたしたちをキリストの元へ導く養育係となったのです。私たちが信仰によって義とされるためです。」(パウロがガラリア人に宛てた手紙/第3章23-24)ここで、示された「養育係」というギリシア語は、前述のクレメンスが、哲学の役割の言及に用いた言葉と同じである。クレメンスは、読者がこの類比に気づくように意図したことは疑いがない。(P65)

ユダヤ教の時代、律法は救済への道を示したのだが、キリストの登場によって律法は完成した。ゆえに律法とは、イエス=キリストのことであるというのがパウロの立場。これに対して、マルキオン(85年~160年頃)という人物は、律法とキリストは完全に対立しているとして、パウロ書簡の一部とルカの福音書のみ(旧約部分は削除)の聖書を作る。このマルキオンの聖書(画像参照)に対し、正典派が起こり、旧約と新約を一体にする形で聖書をつくった。このマルキオンは異端とされ、彼への危機感がそうさせたらしい。(P66)

クレメンスによって哲学に与えられた役割も律法と同じ。神が受肉したからこそ、それを描くことが出来、概念化が可能になった。概念で表すことが出来たから、信仰に繋げることが可能になった。つまり、律法によって、我々は罪を知ることが出来た(=「律法は、わたしたちをキリストの元へ導く養育係となった」)が、罪から解放されるためにはキリストが必要だった。これと同じように哲学、概念によって神を理解する備えがされているとして「養育係」という同じ言葉が使われたといえる。(P67)

…本書は、あくまでプロテスタント神学生のための哲学講義なので、このような論議がされている。高校倫理の教師のテリトリーを遥かに超えた内容で、実に面白い。

2025年12月2日火曜日

永世中立国スイスの実態像

https://www.swissinfo.ch/jpn/politics/
永世中立国スイスのことは、今年の地理総合の授業でも話をした。元になったのは、十数年前に読んだ本である。今日、もっと詳しくまた視覚で学べるYouTubeを見た。

https://www.youtube.com/watch?v=44zC1trol2g

シェルターや、兵役と銃器のこと、各家庭に備わる分厚いマニュアルの存在など、これらのことは授業で話したのだが、実に勉強になった。

長いYouTube(52分ほど)なので、実際の授業では使いにくいが、とりあえずブックマークに入れておいたのだった。それくらい貴重な映像もあったわけだ。

佐藤優 哲学入門 備忘録5

https://note.com/artoday/n/nb9b00a432c35
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第5回目。「ロゴスー哲学と神学の関係」という実に興味深い部分について。

ここでのテキストは、マクダラスの「キリスト教神学資料集」が中心となる。2世紀にローマで書かれたユスティノスの『弁明』は、キリスト教を力強く擁護(当時は迫害時代)した書で、福音書と当時影響力を持っていたプラトン主義の形式を関係づけようとした。ヨハネの福音書(1章14節)には「言(ロゴス)は肉となって、私たちの間に宿られた」とある。キリストが、全人類が関与しているところのロゴスであり、そのロゴスに従って生活している人々(たとえばソクラテス)は、たとえ無神論者に数えられていてもキリスト者である。(P60-1)

この全ての人々は救済されなければならないとするユスティノスの信条から出た論理展開は、キリスト教的な集中ができなくなり、汎神論に解消される危険性がある。またキリスト教の核心的な「受肉」「十字架」「復活」が二義的な意味になってしまう。(P62-3)

また、アレクサンドリアのクレメンスは、キリスト教信仰とギリシア哲学の関係を詳細に扱っており、ユダヤ人にモーセの律法を与えたと同様に、ギリシア人には哲学を与え、キリストの到来に備えたと主張している。このキリストが旧約の完成であり成就と見られるのと同様にキリストは、哲学の完成であり成就であるという考え方を「予型論」(タイポロジー)と呼ぶそうだ。

…キリスト教神学とギリシア哲学の親和性からタイポロジー(画像参照:類型に基づいて分類・分析する方法論)まで、ロゴスをめぐる本書の内容は実に興味深い。

2025年12月1日月曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録4

佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第4回目。第2章の古代哲学の続きで、プラトンとアリストテレスとの神学の関わりについて。

メタフィジック(=超越的なるもの)について、プラトンは外部の世界に置くのに対して、アリストテレスは内在的な形に置く構成になる。(P58)

プラトンのイデア論(上から下へ)についてはわかりやすいが、アリストテレスの質量と形相については、その目的論的世界観から、質量がつねに目的たる形相を目指して動き、下から上へと変化していくわけで、アリストテレスにおいては、「第一質量=神」となる。(P58)

このアリストテレスの考えを、トマス・アクィナスの神学体系が用い、神が静的な概念になった。これを動的な概念に取り戻そうとしたのが宗教改革の大きなテーマであった。(P58)

佐藤優氏は、カール・バルトの弟子のエーベルハルト・ユンゲルが「神の存在は生成においてある。」という重要な言を残していると記している。これは、プロセス神学(世界と人間経験を動的・創造的過程と見る。神はプロセスのうちにあるものとして有限であると同時に、プロセスに対して確定を与える無限なる者と捉える。)においても同様で、一つの鍵となる概念だとしている。一方で、こうした下から上に行くという考え方を再考し、上から下の一元論に映らねばならないとしたのが新プラトン主義であるとのこと。(P58-9)

…この一連の本書の記述は、実に興味深い。特に質量と形相の上下の関係性については、高校倫理では、あまり触れない。目的論は別個に扱うことが多い。これを組み合わせると、第一質料に神がくるということになるわけだ。また、異教徒には理解し難いが、この対比が宗教改革とどう結びつくのだろうか。この辺は実に興味があるところである。