2018年8月21日火曜日

プラハの春 50周年

https://blog.goo.ne.jp/kumagaya001/e/5c443de549350fa57d9e07f01727769f
AFPによると21日はプラハの春50周年で、チェコではNGOを中心に抗議集会が開かれたらしい。
http://www.afpbb.com/articles/-/3186696?cx_part=top_topstory&cx_position=3

プラハの春は、日本でも大きく報道されたという記憶がある。当時私は小学校5年生で、その意味は良くわかならかったが、TVでソ連の戦車がプラハ市内を走っている映像を見たことは鮮明に覚えている。かなりの衝撃だった。

そうか、あれから50年。チェコは東欧の中では自由を渇望する国であり、冷戦下の東欧旅行記などでは、国境通過時に最も形式的な扱い(パスポートの検査も簡単で消毒液を踏むだけ)をしていたとかと書かれていたように思う。左翼の中での論争はともかく、そういったイメージを暖めてきた。

コメコンの中でも東ドイツとともに、技術力が高く、特にガラス系に強い。大相撲のチェコスロバキア杯も見事なボヘミアングラスだったりした。そんなイメージの元には、プラハの春の時、ソ連が軍事力を用いてもでも掌中に収めておきたかったという事情もあると私は考えてきた。おそらく、そういう直感は間違っていないと思う。

今のチェコは、どんな国になっているのだろう。妻と「チェコに行ってみたいねえ。」などと話しているのだが…。

2018年8月20日月曜日

PBTの話(57) 教え子来校

KLに来ている前任校の教え子2人(S君とT君)が、PBTに来てくれた。事前に校長先生に許可を得ていたが、あまりおおっぴらにも出来ないので、こそっとF40Aの教室に連れて行った。法学部と外国語学部の4回生。意外に、といっては怒られるけど、さすが4回生。コミュニケーション能力が高く、うちの学生達を引きつけて、いろいろな話をしてくれた。

ちょうど、第二回の進路指導の個人票を提出してもらった後で、日本留学への意識がさらに高まったと思う。一期一会の出会いだが、もしかしたらどこかで再会することになるかもしれない。人生は面白いモノだ。

教え子2人によると、PBTの学生の日本語能力の高さに驚いたらしい。ちょっと嬉しい。彼らは、この後、タイに行くそうだ。旅行の無事を祈りたい。

2018年8月19日日曜日

国益と教育の話 雑感

http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723?page=2
教育というのは、国益にとって何が重要かという問いかけの答えでもあると私は感じている。時代によって、国益は変化する。以前、東京で行われた国際理解教育学会で、東大の教育学の権威といわれる教授の講演を聴いた。この時、「ハト・マメ・マス」という語で始まる日本最初の国定教科書は、国民皆兵のための東北弁の発音矯正のためだと聞いた。衝撃であった。戦後の日本の国益は、まずは一億相懺悔で「平和主義」の注入であったと思う。次に「人権」。この最初の世代が私たちである。そして世界一の公害大国故の「環境」…。日本の教育は、勤勉性を旨としながら、こういったアドミッション・ポリシーをもっていたように思う。

現在の韓国の感情にまかせた政治状況も、反日教育によるという意見がある。私も同感だ。学校教育において、やわらかい頭にすり込まれた国益を貴重とした原理・原則的な意識は、そう簡単にくつがえせない。中国の現指導部もまた、幼年期に国益的教育を受けている。そういう視点からの記事を読んで納得した。「イギリスを追い越し、アメリカに追いつく」(実際は追い越されたのは日本だが…。)という当時のスローガンは、習近平の一帯一路政策に繋がるらしい。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/13723

マレーシアでの国益は、まずは多民族の共生だったと思われる。マレーシア語を国語として、さらに公用語としての英語は、学校教育で重視されている。
民族の言語たる中国語・タミル語も一般の学校では教えないが、私立や家庭で並立している。マレー系は、ムスリムとしてアラビア語も学ぶ。つまり、マレーシアの学生は、国語としてのマレーシア語、英語は十分読み書きできる。民族ごとに、アラビア語、中国語、タミル語も話すわけで、学生によって、得意不得意はあるけれど3ヶ国語が一応堪能であるわけだ。そのかわりと言ってはなんだが、言語の時間が多い分、他の教科に関しては幾分弱くなっている。PBTで、社会を教えて2年半。初めて聞いたという話が多い。歴史などは、(私立の中華系卒業者以外は)マレーシアの歴史に限定されており、ヨーロッパ史や現代史は全く学んだ経験がない。私は、そういうデメリットがあっても多民族国家マレーシアが存立するために、マレー語・英語を学ぶ意義は大きいと思う。もちろん、これからも改革は必要だろうが…。

昨日、S君と話していて、卒業論文は「日本の英語教育の問題点」について書くと聞いた。面白い論題だが、難しい問題だ。言語をツールとして見るのか、文化として見るのか?マレーシア在住の私は、後者だと思う。いずれにせよ、教育を語ることは、その時代の国家を語ることになるような気がする。

2018年8月18日土曜日

ゾルゲ事件内部文書の話

https://ja.wikipedia.org/wiki/
毎日新聞にゾルゲ事件で新聞統制を行ったという内部資料(司法省刑事局の課長のメモ)が発見され、国立国会図書館に寄贈されたとの報道がされたようだ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180818-00000007-mai-soci

ゾルゲとコミンテルン支配下のスパイ網が逮捕されたのは、1941年10月。開戦直前である。言論統制があったことは常識的に理解できる。ところで、ここで、西園寺公望の孫である外務省嘱託であった西園寺公一(きんかず)の肩書きを削除するようにとの事項があった。首相を決める元老で政界の重鎮であり、その前年に死去していた西園寺公望への配慮以上に、外務省の責任・批判への大きな危惧の賜物であろう。

西園寺公一は、オックスフォードでマルクス主義者となったとされる。故に帰国後、宮内省入りを拒否している。脇の甘い近衛文麿は、外務省に入ろうとしたが不合格だった西園寺公一をもったいないと嘱託職員に採用させるが、嘱託という身分に不満があったようで後に辞職している。とはいえ、ヨセミテで行われた民間組織の会議である太平洋問題調査会第6回大会の日本代表団書記となり、尾崎秀実と出会う。その後、尾崎と共に近衛内閣のブレーンの一員となる。再度外務省嘱託となり、松岡洋右と共に、渡米。ヒトラー、スターリン、ムッソリーニとも会っている。西園寺公一は、この頃中国共産党を研究しており、ゾルゲ、尾崎とともに有罪(スパイ罪で死刑)になったが、交渉ルートとしての有用性が認められ、執行猶予がついたのではないかとされている。
西園寺公一 https://twitter.com/catnewsagency/status/965156176538222593
戦争中は警察の監視下に置かれ、1947年参議院議員(無所属)に当選。病気のため欠席が多く、次の選挙では落選。その後中華人民共和国成立後の日本側の民間大使的立場となり、中国本土へ移住。文革期には、反革命的な出自や劉少奇に近いという理由で事実上追放され帰国。帰国後は文革を礼賛。
私は学生時代に西園寺公一の文革礼讃の文章をリアルタイムで読んだ記憶がある。だが、近かった劉少奇を批判したり、華国鋒の四人組裁判時には江青らを批判、言論人としても変節が目立ち、右派からも左派からも批判されたという、極めて異質な貴族である。

ゾルゲ事件は、日本の近現代史の中でも極めて興味深い事件である。ゾルゲ人も、尾崎秀実も、そしてこの西園寺公一の人物像も非常に興味深いし、そういうスパイに囲まれていた近衛文麿も、見事に日本的な脇の甘さをもった貴族である。西園寺公一の変節も変節だが、戦後の近衛の変節も変節で、結局貴族人というのはよくわからないところがある。まあ、維新後、完全なまでに優柔不断だった三条実美よりはマシかと思う次第。(笑)

前任校教え子とKLを歩く。

独立記念日が近いので、中華街の北の広場には国旗が…
前任校の教え子のS君(というよりFちゃん)が、大きく成長してマレーシアに会いに来てくれた。文化祭の時に総責任者として頑張ってくれた教え子である。S大法学部に進んで、すでに4回生。日本と東南アジアを結ぶ商社への就職内定を報告にきてくれたのだった。

聞くと、大学のオープンキャンパスなどの行事を学生が主体的に運営するサークルの部長を務めていたんだとか。大学当局とスタッフの学生の間に立って、様々な苦労をしたらしい。またゼミでも教育現場に通い、学校との折衝もしてきたとか。社会人との折衝経験が豊富。そういう”学生ガクセイ”していないところが、関関同立の学生を相手にして、内定を勝ち取ったのかと思う。教え子の成長こそが教師の宝である。前任校の教え子達が、様々に頑張っていることも聞くことが出来た。とりわけM君(というよりAちゃん)は教職試験突破を目指し他府県にも挑戦を拡げているとか。…嬉しいな。実に嬉しい。
散策の途中に見つけたマレーシア各州の壁画
ところで、KLは朝から珍しく雨が降ってきて、ブランチでナシレマを食してから、ローカルバスで中華街へ向かった。スタバで雨宿りをしてから、チョウキットへ向かった。S君はそこに宿を定めていたからだ。私が案内したい、マスジット・ジャメやマレー系の屋台もそのコースにある。ちょうどよかったのだ。しかも、ローカル色一杯のマーケットやシーク教寺院も見せることが出来た。

正直なところ、かなり疲れたけれど、他の東南アジア諸国とマレーシアの違いのようなトコロを伝えられたと思う。雨のお陰でちょっと蒸し暑い感じだったけれど、カンカン照りでなかったのも幸いした。ただ、マンゴースス(マンゴー+ミルク)は相変わらず美味だったけれど、カラッと晴れて暑いほうがよかったかな。(笑)

2018年8月17日金曜日

続 ちょっと書評 Thanks,OBAMA

オバマ大統領の言葉の好みは、称賛するのに”Good”"Great"といった言葉をさけ、同じような意味でも、少し具体的な語彙だったようだ。
Fantastic(きわめて優秀)
Outstanding(傑出した)
tremendous(壮大)などの語彙である。(P150)

…現大統領とは、まさに雲泥の差だ。「あの犬」などという語彙は決して普段でも使わないだろう。

筆者は、ユダヤ人であるが故に、ユダヤ担当という位置を獲得する。半年ごとにユダヤ教改革派連合の会議でのスピーチを担当したという。(改革派は、ユダヤの律法に対し柔軟に対応する派である。)1週間の時間を掛けて、ラビに聞いた聖書の一節を挿入し、イスラエルに関する外交政策を専門家に補足して貰い、アブラハムやヨシュア、ヘッシェルの言葉、アメリカでのユダヤ移民のサクセスストーリー、イスラエルとの固い同盟関係などを織り込んだ。翌日のイスラエルのハアレツ紙は「オバマはイディッシュ語を話すが、共和党は話さない」という見出しで、このスピーチを絶賛したという。(P156)
*イディッシュ語とは、ドイツなどに住んでいたユダヤ人(アシュケナジ)の言語である。(ちょっと自慢になるが、うちの息子はイディッシュ語が話せる数少ない日本人研究者である。)

…大統領がスピーチするほどの改革派の会議が半年ごとに開催されているということ自体に、在米のユダヤ・ロビーの力の大きさを感じるし、それを専門に担当するスピーチライターが存在すること自体が凄いなと思う。イスラエルの新聞の見出しも、極めて芸術的だと思う。

2018年8月16日木曜日

PBTの話(56) 雨ニモマケズ

http://www.comicbox.co.jp/gallery/hatanaka/work/poem1.html
スピーチライターは「韻を踏む」という話を昨日書いた。私の英語力では、英文における韻は当然わからない。昔、漢詩は中国語で読むと「韻」を踏んでいて美しく聞こえると、前々任校のK老師が言っていた。もちろん、中国語もわかならない。日本語で「韻」を踏んでいるのは何か?ちょっと考えていた。

浮かんだのは、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」である。雨(アメ)はA・E、風(カゼ)もA・E。見事に「韻」を踏んでいる。政治の復習中に、大きな政府の解説をしていて、今ちょうど読んでいるスピーチライターの話から、ふと「韻」の話になった。
で、「雨ニモマケズ」を紹介して、「韻」の説明をしたわけだ。
次に、李白や杜甫と、黒板に書くと、中華系の学生達は中国語読みで”おおっ”と反応した。”彼らの詩は韻を踏んでるか?”と聞くと、みんなそうだという。さすが中国人のDNA。マレーの学生も、マレーの文学にも同様の「韻」を踏むという。名文というのは、世界共通らしい。

http://awa.rgr.jp/wiki.cgi?page
=No349%2F%A3%D7%A3%E
5%A3%E2%C8%C7%2F11
昼休みの後、連続の我がクラスの授業に行ったら、日本文学をやりたいというW君が、さっそく「雨ニモマケズ」をWEBで調べていた。玄米って何ですか?という質問を受けた。(笑)さらに、最後に漢字が並んでいるのは何ですか?と聞かれた。「?」…見てみると、法華経に関係する仏菩薩の名が並んでいる。この宮沢賢治の詩は、法華経に説かれる不軽菩薩への憧れを記しているという説がある。この仏菩薩の名の部分は、遺稿の手帳の見開きに書かれていたモノらしい。で、ちょっとだけ説明した。(説明しだすと長くなる。笑)

W君はもしかしたら、昨年こんな話をしたら絶対同様にリサーチしたであろうI君の後輩になるかもしれぬ。2人を合わせたら、太宰や中原中也の話できっと盛り上がるだろうなあ、そんなことを考えていたのだった。