2025年4月7日月曜日

維新の文化破壊 市文協解散

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とんでもない万博批判の影で、大阪市文化財協会が3月31日で解散させられた。歴史文化を破壊するとんでもない暴挙である。二重行政改革の名のもとに、府市の重複事業もなく、赤字でもなく、市税の投入もなく、海外(ロシア)からも注目された技術を持ち、これからも都市開発時に貴重な文化財が大阪には出てくる可能性が強いのに、解散?しかも貴重な十数万冊の蔵書が韓国の研究機関に譲渡されるという。なぜ韓国?保存することもしたくないのか。維新は、日本の文化を破壊し滅ぼそうという売国奴である。こんな政党が大阪を仕切っていることが信じられない。
https://www.youtube.com/watch?v=HpK4SAU7LsU

2025年4月6日日曜日

経済で読み解く近世史5

https://ibispaint.com/art/375029016/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第13回目は、清王朝の利害調整能力について。

満州という地名は文殊(マンジュ)菩薩を崇拝していたことから満州の漢字が当てられたからだそうで、清王朝はこの満州人の王朝である。彼らの歴史は古代から、異民族として本土に何度も攻め込みながらも敗れてきた。モンゴルの分裂をうまく利用しつつ吸収し軍事的に大勢力となり、明を滅ぼし、中国統一を成し遂げるのである。

さて、明時代には、人頭税と土地税の両建ての税制であった。異民族王朝であった清は、富の分配問題に神経を注ぎ、地丁銀という税制をとった。これは、明時代、人頭税に苦しんだ民衆が戸籍を届けず、法的にこの世に存在しない者が人口の70%もいた。明朝が慢性的な財政不足に陥ったのはこれ故である。18世紀初頭、康熙帝が人口調査を行ったものの6000万人しかいなかった。(実際はその3~4倍)そこで思い切って人頭税を廃止を宣言、人口は3億人に一気に増加した。さらに、この税収減を豊かな土地所有者のみの土地税とした。漢人の大土地所有者は、異民族支配故に土地を没収されると覚悟していたので、意外に喜んで土地税に応じたのである。こうして地丁銀は、土地を持たない平民にも、土地所有を保証された豪族にも歓迎され、清は260年間も支配を継続できたのである。

この地丁銀という税制は、長年、満州族がモンゴルや朝鮮、中国本土との互市貿易をして積み重ねきた忍耐力と知恵の結晶だと著者は記している。

…やっと近世が終わり、近代に突入する。経済から読み解くと、様々な世界史的常識の裏に潜むモノが浮かんでくるわけで、実に面白い。本日、学院の教頭先生から、Classiというアプリで、時間割が送られてきた。いよいよ授業が始まる。楽しみである。

2025年4月5日土曜日

経済で読み解く近世史4

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「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第12回目は、オランダとイギリスの覇権・逆転劇の背景について。

17世紀前半はオランダの黄金時代で、アムステルダムの金融市場は、証券や株式の直接金融を行って世界の金融センターとなった。オランダ公債の金利は1600年から、25年毎にみると8%、6%、4%と継続的に下落しており、いかに巨額の資金が集まっていたかがわかる。三十年戦争では、豊富な資金力でプロテスタント側を支援し、勝利する。

ところで、イギリスは前述のようにオランダに毛織物をオランダに輸出し、資金力・販売力に依存し経済的に下位におかれていた。この依存脱却のために、1651年「航海条例」を発布し、オランダとの通商を事実上禁止した。毛織物業者にとっては死活問題だったが、貿易商の組合が活発なロビー活動を行ったのである。この保護貿易政策で、商船建造を行い、自前の販路を開拓することになる。当時の政権は、清教徒革命後でクロムウェルが握っていた。クロムウェルは、非常にシンプルな対オランダ政策をとる。すなわち、戦争である。まさに政治の一政策が戦争だといえるわけだ。

イギリス海軍は、航海条例をを根拠に、オランダ商船を臨検し拿捕していく。挑発に乗ったオランダは宣戦布告し、1652年から1674年まで3回にわたって英蘭戦争が続くのだが、全てイギリスの勝利となった。経済活動に重きを置き、利権を守るための軍事には予算を回さず長期的視野にたったな覇権構造を形成することをしなかった故である。

…マレーシアのマラッカの街には、ポルトガルの砦跡、ザビエルが滞在したカトリック教会、オランダのゴイセン(カルヴァン派)の教会、そして、イギリスの聖公会の教会がそれぞれ異彩を放っている。まさに大航海時代から近代にかけての歴史の証言者の呈である。その背景に、こうした経済的な動きがあったわけである。…感無量。

2025年4月4日金曜日

ボブルヘッドデー サヨナラHR

https://www.nikkansports
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大谷選手のボブルデッド人形4万個進呈に長い行列ができた対ブレーブス最終戦。5対0から、水島・野球マンガのような大逆転の試合だった。

いぶし銀のエドマン二塁手が2ラン、初回に2つもエラーをした傷心のマンシー三塁手が同点弾、そしてドジャーズの多くの選手が確信していたという大谷選手のサヨナラHR。ベッツ選手が、大谷選手のCMポーズをとって本塁で出迎え、それに呼応しているシーンもいい。そりゃあ、大歓喜するよな、と思う。

これで、日本開幕戦から8連勝となった。まるで公式戦負け無しの明訓高校である。

2025年4月3日木曜日

経済で読み解く近世史3

https://julius-caesar1958.amebaownd.com/posts/18266267/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第11回目は、オランダとイギリスの東インド会社についてである。

16世紀後半にオランダとイギリスは、カルヴァン派を保護し商工業が発展する。しかも両国は高い造船技術をもっており、直接アジアと交易を積極的に進め、中東は中飛ばしされ没落していく。ちなみにフランスはユグノー戦争でそれどころではなかった。

オランダとイギリスは17世紀初頭に、株式会社組織の植民公社・東インド会社を設立。有価証券である株券を発行し、年ごとに配当を付け、その売買も自由であり現在の株式会社の起源となった。当時の手形や債権は、今日の株式市場のように乱高下しており、投機的な要素を強く帯びていた。しかし、株式は株券の保有者が、他者に出資するのではなく自らオーナーになるという画期的なものだった。

オランダの東インド会社は、今日の株式会社と同じく年ごとの配当(200年間の平均配当率は18%:当時の長期金利が10%以上の国が多かったので妥当な水準)を出していた。ちなみにオランダは、新大陸を担当する西インド会社(現在のNYは、元々ニュー・アムステルダムでハドソン川を利用した毛皮交易を扱っていた。)もあった。

これに対し、イギリスの東インド会社は、一航海ごとに株式を発行して資金を集め、帰国後得た利益を投資額に比例して分配するというシステムをとった。帰国できなかった時は大損する、という短期型ハイリスク・ハイリターンの投資商品だったといえる。

両者の違いは、もう一つある。オランダの株主は有限責任(出資額以上の責任を追わない)で、イギリスの株主は無限責任(外部に与えた損害があった場合株主が責任を持つ)を負うことになっていた。結局、オランダの方式の方が富裕層の資金集めに勝利し、イギリスに先んじることができたのである。

ところで、1623年モルッカ諸島のアンボイナ島にあるイギリスの商館をオランダが襲い商館員全員を殺害する事件が起こった。香辛料貿易の対立が背景にあったのはいうまでもないのだが、問題はイギリスでは反オランダ感情が高揚しながらも、報復も首謀者の身柄引き渡しの要求もしないまま終わった。実は、イギリスの当時の主要輸出品は毛織物で、その卸・小売をほとんどオランダが担当していた故であった。この事件後イギリスは香辛料貿易から撤退したが、オランダも、ポルトガル時代以来供給過剰の香辛料貿易では利益をあげることができなかった。

…東インド会社といっても、オランダとイギリスではその株式会社システムの違いがあったとは実に興味深い。オランダが先んじた理由は、前出の資金集め競争に勝利したが故である。イギリスの無限責任は、現在もロイズ保険などで健在である。シンジケートのメンバーが、一つひとつの保険に際して、その受け持つ比率によって、ハイリスク・ハイリターン的な保険業を維持しているのは有名である。

2025年4月2日水曜日

経済で読み解く近世史2

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「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第10回目。今回は、ポルトガル・スペインの没落とジェノヴァの関係性についてである。近世史では、ポルトガルの没落についてはあまり語られない。地球をスペインと二分したのに、いつのまにかスペインと合併している。

コロンブスは幼少期から長らくスペイン人だと思っていたが、以前教材研究をしていてイタリア人であったと知って驚いたものだが、本書で、ジェノヴァの船乗りであり、同時にジェノヴァの融資を元手にした新航路開拓のセールスマンでもあったことを知り、なるほどと頷いた。

ジェノヴァは前述のように低金利で資金を集め、ポルトガルやスペインに法外な高金利で拠出していた。ポルトガルは香辛料貿易で得た利益の殆どをポルトガル公債(ジェノヴァが引き受けていた)の利払いにあてていた。ジェノヴァは金融技術に疎い両国を手玉に取って搾取していたわけである。

ポルトガルは、ゴアやマラッカを手中に収め、モルッカ諸島へと拡大したが、ケープ、モザンビークから継っている各地の港湾拠点の維持費は莫大で、ジェノヴァ資本に頼らざるを得ず、さらに香辛料の貿易量が増大するにしたがって、需給バランスが崩れ価格が下落。身の丈に合わない開発話に乗り、財政が悪化、最後のトリガーとなったのは、1578年にモロッコ征服を試みるも国家予算の半分を戦費に投じたものの敗北し、ついにデフォルト(破綻)した。ジェノヴァの巧みなフィナンスで、スペインがポルトガルの負債を引き受け、併合したのである。

さて、スペインは、新大陸を発見したものの東岸には利益を生みそうなものを見い出せなかったが、パナマ地峡の発見で西岸に達すると、アステカやインカを征服(多分に彼らが持ち込んだ病原菌によるパンデミック)し、大搾取に狂奔する。ところで、スペインもまたジェノヴァの資金援助を受けており、国家収入の7割ちかく利払いにあてていた。

ただ、スペインは、スペイン領ネーデルランド(現ベルギー・オランダ)を特区地域として開放しており、中心都市であるアントワープ(=アントウェルペン:画像参照)には、地勢的有利性からイギリス、ドイツ、フランスの資金や物資が集まり、盛んに手形が発行され、金融ビジネスが発展した。スペインはここで起債し資金を得ていた。16世紀後半、宗教改革が起こり、アントワープにはカルヴァン派が集まり、営利蓄財の肯定のもと大発展し、ジェノヴァの資金もアントワープに流出した。ジェノヴァが融資していたカール5世が、ドイツ諸侯とのシュマルカルデン戦争に敗北したこともあって、ジェノヴァ債の利回りが高騰し、ますますアントワープが国際金融の中心センター化する。

しかし、カール5世の息子・フェリペ2世がスペイン王位を継ぐことでアントワープの命運が尽きる。超敬虔なカトリック教徒だったフェリペ2世が、彼の地にカトリック信仰を強要したために独立戦争が勃発、1576年アントワープはスペイン軍によって略奪・破壊され、スペインは資金源を自ら断ってしまった。愚行と思えるが、フィリペ2世は超敬虔なカトリック教徒故に、カネ勘定は卑しい行為と否定的で、国家財政にも関心を示さなかった。彼にとって、アントワープは資金源ではなく悪の巣窟にしか見えなかったのである。

スペインの国家収益(=王室財政)は、国王の無関心を良いことに、貴族や有力商人たちによって、中抜き、闇取引が御講しており、フェリペ2世の時代に4度も破産宣告(=国庫支払停止宣言)をしている。さらに、アルマダの海戦、三十年戦争の敗北で命運が尽きるわけだが、ジェノヴァ債もスペイン敗戦が濃厚になると金利は5.5%にまで上昇。アムステルダムやロンドンに資金が集まり、16世紀を支えたジェノヴァ・システムも崩壊するのである。ちなみに、スペインに見切りをつけたポルトガルは1640年に分離独立を果たしている。

…ポルトガルの衰退史は、政治・経済の基礎知識を確認するのにも実に有効かなと思う。スペインの上部構造的な衰退史は、受験の世界史にも出てくるが、下部構造的な視点=アントワープをめぐる問題は、初めて知った。もちろんフェリペ2世の敬虔さは承知していたが、経済的な思考なしには国家を成功に導くことはできないわけだ。

2025年4月1日火曜日

経済で読み解く近世史1

https://www.tripzaza.com/ja/destinations/genoa-kankou
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第9回目。今回は、近世の大航海時代を支えたジェノヴァについて。

近世のイタリアとくれば、フィレンツェやミラノ、ヴェネツィアの名が上がる。いずれも商工業や交易都市として名を挙げ、ルネサンスにも関わった都市群である。ところが、本書では以外な都市の名が出てきた。ジェノヴァである。地理では、ミラノ・トリノと合わせて北イタリアの三角地帯(この3工業都市でイタリア経済を支えている)を形成していること、余談的に「母を訪ねて三千里」の舞台で有名なことを教えるが、近世の大航海時代において、このジェノヴァの果たした役割は大きいというのは初耳だった。

当時の地中海交易は、エジプト・シリア沿岸・コンスタンチノープルならびにウィーンと陸路で接続していた主に香辛料を扱っていたヴェネツィアと、黒海クリミア半島沿岸とシルクロードに繋がり、主に絹織物を扱っていたジェノヴァに二分されていたが、14世紀のヴェネツィア・ジェノヴァ戦争で、ジェノヴァは敗北、交易路を奪われてしまった。

しかし、ジェノヴァにはそれまでの資本の蓄積(中心はサン・ジョルジョ銀行:画像参照)があり、モロッコの港湾都市セウタに集まる黄金や物資の豊富さからアフリカに目をつける。ポルトガルもまたアフリカへの新航路開拓に大きな関心を持っており、両者の思惑が一致した。ジェノヴァの積極的な投資が、インド航路開拓として実を結んだわけで、まさにジェノヴァの逆襲といえる。インドで3ダカットの50kgの香辛料がヨーロッパでは80ダカットの値がついており莫大な富がさらに蓄積されたのである。

面白いのは、富裕層は新興国のポルトガルに直接投資することには躊躇したが、金融の発達したジェノヴァには安心感があり、ジェノヴァ債は飛ぶように売れた。14世紀後半から15世紀の金利は3~4%で、イタリアの他の諸都市で5%、オランダで10%、フランスが15%くらいだった。この後アメリカ新大陸から銀が大量に流入しインフレとなるが、ジェノヴァ債の金利は低金利を維持できた。それくらい資本の蓄積があったのである。

ジェノヴァは、16世紀以降、スペインにも投資を行い、スペイン国王カルロス1世の積極的な支援に動き、神聖ローマ帝国皇帝選挙に関わり、フッガー家と共に金貨2トンを七選帝侯にばらまいたと言われる。カルロス1世=近世史の主役の一人、カール5世である。

…近世史におけるジェノヴァの重要性を改めて知り驚いた。経済から歴史を見るということの重要性を痛感する次第。イタリアの地誌のところで触れる機会があれば、世界史を選択している生徒にとっては、実に興味深い内容だと思う。