2025年3月31日月曜日

令和の百姓一揆

https://www.tokyo-np.co.jp/article_photo/list?article_id=395279&pid=1941393
日本の政治の腐敗も中国ほどではないにしろ、SNSの進歩でかなり明らかになってきた。財務省解体デモに続いて、昨日は「令和の百姓一揆」が全国規模で行われた。トラクターでデモするというのは、ドイツなどで例があるが日本では初めてだろうと思う。

日本の農業を農水省は潰そうと考えているフシがある。農業従事者の高齢化も進み、平均年齢が私くらいだという。米の価格が、買い占めで異常に値上がりし、日本の新米は中国に流れたたらしいという話もSNSで拡散している。食の安全保障は、実に重要な課題である。日本の食料自給率を農水省はその指標ベースをごまかしてしいる。米はかなり自給率が高いのだが、このありさまである。農林省は誰のために働いているのだろうのか。

今回の「百姓一揆」というネーミングから、いかに時代錯誤な政策を農林省とこれに関係する国会議員がおこなっているかをイメージできるし、農業従事者が怒りが尋常でないかがわかる。安心して後継者を育て、食の安全保障を確立すべきというのは大正論である。

明日から、言論統制が行われるという情報もSNSで流れている。憲法違反も甚だしいのだが、この際、年度末に駆け込みで記しておきたい。マイナンバーカードで国民を管理しW接種を強制しようという動き、移民や外国人に日本国民以上に手厚すぎる社会保障や医療(媚中外相の選挙区では支持する医師会が外国人医療の利権にからんでいるとの情報あり)の動き、様々な新税中でも通勤費にまで課税(そもそも賃金を上げ、消費需要を拡大しようとするのが経済の原則であるのに逆方向である。)しようとする馬鹿げた政治にうんざりである。

大阪万博の様々な問題がさらに噴出して、YouTubeで批判のチャンネルが大増殖している。熱中症対策もメタンガス対策もいいかげんで、休憩所も莫大な費用をかけて石が頭上にあったり、子どもたちが食事を摂る場所では空調もない。しかも雨天でも傘は持ち込み禁止とか。安全対策や入場者への配慮は、無茶苦茶である。誰が仕切っているのか。日本の緻密な計画性、おもてなしの心を主体としたイベントのスタンスは、どこにいったのか。Made in Japanのイベントとは思えない。

建設の遅れは入札が少なく中小の建設会社(日本の建設業者の仕事だから、先日のミャンマー地震で1000km離れたタイの中国国営企業の施工中のビル倒壊のように、鉄筋が細いことはないだろうが…。)受注した故だとか。賃金の高騰できっと赤字だ。まさにくたびれ損。チケット購入時には、様々な個人情報の入力が必要で、この情報は外国(間違いなく中国であると確信する。)にも提供されると小さく明記されているらしい。個人的な医療情報も抜かれるパビリオンもあるらしい。ウィグルで行われているような人権無視の臓器提供に使われるのだろうか。中身がなく未完成のイラストが載った3000円以上するガイドブックと、万泊情報は散々である。利権と腐敗と中抜きの無責任万博に誰が行くものか。

極めつけは、維新の会は、万博跡地を中国系企業に売り渡すらしい。どれだけカネをもらい、ハニトラされているのかは知らないが、媚中政治家は今すぐ退場してほしい。もちろん万博の赤字を自らの責任で補填し、大阪府民・市民ならびに全国民に一銭たりとも負担させないようにしなければならない。こも大正論である。

経済で読み解く中世史5

https://yamatake19.exblog.jp/15308196/
経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第8回目。今回は、元朝・明朝の銀によるグローバル化について。

遊牧民のモンゴル人は徴税・通商などの経済財政政策に疎く、滅ぼしたトルコ系ホラズムのムスリム商人であったマフムード・ヤラワチを財務官に登用した。彼は、それまで諸国家が乱立し通行税関税が複雑であったシルクロード交易の仕組みを一掃し、最終売却地で価格の30分の1の売却税のみに改めた。しかも、銀納に一本化しモンゴルを銀本位制に転換した。駅伝制でシルクロードの安全性を確保したのも大きく、交易は大いに発展した。

ヤラワチは、華北支配においても耶律楚材とともに、宋代の紙幣の有効性を見出し、銀本位制のもとで、フビライの元朝で「交鈔」(銅銭との交換単位はあるが、銅銭に対しては不換紙幣/画像参照)という通貨政策を実施した。この「交鈔」にはマルコ・ポーロもイブン・バトゥータも驚いている。しかしながら、結局紙幣増刷の誘惑に勝てず、「交鈔」の濫発で経済混乱をおこし、不作と飢饉も相まって朱元璋(=洪武帝)により滅亡する。

明朝では、統制経済が行われ、綿織物や絹織物の手工業だけでなく、農業、海外交易も朝廷が統制していたのだが、中期になると洪武帝の穀物生産中心の農本主義の原則が崩れ、貨幣経済で有利な商品作物の栽培に移行、特に養蚕のための桑畑が増え、民衆は飢えていったが、汚職官僚らの蓄財が蔓延していく。一方で、鄭和の大遠征は謎が多い。遠征の理由も交易の停止も謎のままで、その100年後に大航海時代が始まる。メキシコ銀や日本の石見銀山の銀が明に密貿易者の手で流入し、明も一条鞭法で銀納一括の税制となったが、宗や元同様に「宝鈔」という紙幣を禁じ手の大量増刷してしまい滅亡するのである。

…元朝と明朝の共通点は、銀本位によるグローバル化と「交鈔」・「宝鈔」という紙幣増刷で滅亡したということである。中国の歴史をみると、結局官僚が、自己保身と私利私欲のため同じ過ちを繰り返しているといえる。現代中国には科挙がないが、科挙を乗り越えた優秀でもない中国共産党による腐敗政治が続いている。この腐敗状況に民衆は苦しめられつつ、したたかに法の抜け道を探し生き延びるという構造があるわけで、なんともやりきれないエゴイズムの連鎖の歴史を背負っている、といえるのではないか。

2025年3月30日日曜日

経済で読み解く中世史4

https://www.sohu.com/a/450634501_390792
経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第7回目は、宋時代の形勢戸と兌換紙幣の話を中心に記していきたい。

唐の時代はマーケットに参入することも、陶磁器製造、養蚕・織物業、製鉄、製塩なども政府の管理体制化におかれていた。しかし唐の体制が崩れると、庶民出身の新たな富裕層(=形勢戸:形勢は成り上がりの意)が、農業も含めて台頭する。特に江南地方では、農機具の改良や灌漑、品種改良や水田以外での野菜栽培などが行われ、形勢戸による食料供給が増大し人口も増加した。宋王朝は形勢戸を支持基盤として成立したので、経済優先の文治主義となる。この文治主義(画像参照)は受験の世界史でも鉄板の内容。

首都の開封は大運河と黄河の交差する地点にあり物流のネットワークの中心となった。しかも、この時代に貨幣経済が大いに発展する。北宋では多くの地域で銅銭、四川や陝西では鉄銭が流通したのだが、重く持ち運びに難儀したので、交子鋪(こうしほ)と呼ばれる両替商が設立され、交子という預り証を発行するようになったのである。四川で銅銭の準備高不足で不払いが起こったのをきっかけに、民間から朝廷の専売ビジネスに変化した。すなわち交子は、世界初の兌換紙幣と化したのである。宋王朝は、銅銭・鉄銭の兌換準備を36万貫、交子発行限度をを125万貫とし、著しい経済発展の中、銅銭・鉄銭の鋳造が追いつかなかったが、マネーサプライを増大させたのである。

宋王朝は異民族の侵入を阻止するため、北方のモンゴル人や西方のチベットに巨額の貢納をしていたが、次第に窮し始める。貢納にあてる財源を確保するため交子発行限度が破られ濫発、12世紀初頭には2600万貫にまでなり、信用を失い価値が暴落、市場では信用不安からハイパーインフレーションに陥った。

結局、宋は貢納を止められた北方の女真族によって、華北・首都を奪われたのである。宋は信用貨幣を用いて経済発展を遂げたが、信用を失い、その副作用で滅んだ感がある。

…銅銭・鉄銭の重量問題が兌換紙幣の起源であるとは、実に興味深い。信用創造のシステムも生まれていたのであろう。でないと、マネーサプライがあんなに拡大はしないと思われる。いずれにせよ、兌換紙幣を国家そのものが発行すると失敗する。私はスウェーデンがその最初の例だと思っていたが、そう(=宋)だったか。(2日連続のお粗末である。)

2025年3月29日土曜日

カップヌードルの”ラクサ”

カップヌードルの新製品で”シンガポール・ラクサ”があることを知った。ラクサとは、マレーシアでよく食べていたココナッツミルクと刺激の強い香辛料入りの汁麺である。とはいっても、地域によって異なる。妻は、マラッカで食べたニョニャ・ラクサが一番だという。私はペナンのラクサも良いと思う。マレーシアのスーパーでもインスタント袋麺でラクサを売っていた。というわけで、今日、京田辺のスーパーでついに発見したので食してみた。

私は濃いスープの汁麺が好み(天下一品のファン)なので、ココナッツミルクのスープをうまくアレンジしていて、たしかにラクサだと思う。麺はまさにカップヌードルの伝統的な麺だが、十分に美味しかった。ただ、シンガポール風(物価の高いシンガポールには3年半マレーシアに滞在したがついに行かなかった。)なので、マレーシアの各地のラクサとはだいぶ違う。ラクサはそういう地域間の落差がある。ラクサだけに…。(お粗末)

ベッツ復活のサヨナラHR

https://www.chunichi.co.jp/article/1045493?rct=baseball
ドジャーズは本当に強い。今日の主役はベッツ選手。ソロとサヨナラHRの大復活。フリーマン選手もも同点2ランである。大谷選手は延長10回のベッツにつなげるヒット1本だった。とはいえ4試合連続安打なのでフツーに凄いのだが…。山本投手は先発でソロHRを2本打たれたてしまい、結局勝利投手にはなれなかった。これは残念。しかし、10三振を奪う好投だった。2塁手のエドマンの、ここぞの攻守も光った。

毎試合、MVPトリオを中心に、主役が交代しながら勝っていく。チーム力が半端ないといえるだろう。これまで、ノロウィルスで苦しんだベッツ選手が活躍したことが何よりも嬉しい。

2025年3月28日金曜日

MLB 本国開幕戦 2号HR

https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/baseballchannel/sports/baseballchannel-208381
大谷選手が、シカゴ・ホワイトソックスとの本国開幕戦で、2号HRをかっ飛ばした。(画像参照:金色のロゴがクールだ。)心配されていたベッツ選手も開幕に間に合った。エドマン選手もT・ヘルナンデス選手もHRを打って、5対4で勝ったのだった。これで三連勝。

ところで、ベッツ選手はロスの日本料理店で、生モノにあたった、というかアレルギー反応で苦しんでいたらしい。日本に行く前から体調不良だったからで、ご本人は心当たりの料理や店があるらしいが、あえて何も言っていない。奥様がロスの日本料理店ではないかと疑念を表したに過ぎない。このあたりの発言が、スターたる所以で、大谷選手も同様、発言にはたいそう気を使っている。なんでもかんでも言いたいことを言えばいいというものではない。隣国メディアの報道に、ドジャーズのいろんな選手が頭にきているようだが、これまた大人の発言に終止している。MLBの矜持とでも言うべきか。

追記:イチロー氏がマリナーズの開幕戦の始球式に往年のユニフォーム姿で135kmの投球をしたそうだ。51歳。やはり凄いなと思う。

2025年3月27日木曜日

経済で読み解く中世史3

https://www.sohu.com/
a/710618540_121752316
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第6回は、盛唐時代の富の配分と経済成長について。

随王朝は、強力な軍閥勢力を内部に抱えたまま、運河建設や江南開発に力を入れたので、軍閥に足をすくわれ崩壊した。よって唐の李世民(太宗/画像参照)は、各地の軍閥を徹底的に武力で粉砕し、軍権を朝廷のみに集約、各地の有力者には触れさせなかった。さらに隋の均田制を引き継ぎ、民衆の土地所有を平等化、戸籍によって一元管理し、同時に地方の強力な勢力形成を防止した。

しかし、経済発展によって、貧富の差が拡大し、富を蓄えた有産階級が生まれていく一方で、インフレや重税に耐えきれず逃亡する貧農が急増、逃戸(とうこ)と呼ばれた放棄地が増え、課税が困難になった応急処置として、逃戸を売買することを認めた。これによって一部の富裕層が大地主化、地方豪族化してしまい、中央集権のコントロールが失われた。ところが、この時代は「盛唐」と呼ばれ、朝鮮半島やウィグルを制圧し、シルクロード交易で莫大な収益を得、莫大な富が基盤となり文化・芸術を振興させた。

支配階級が、土地などの生産手段を独占し多数の人間を貧困に閉じ込めるという利己的行為は、経済学的には理にかなっていると見ることができる、と著者は書いている。富の余剰を蓄積し、それを集中的に有効投資し、生産性を挙げることができるからである。富は多数の人間に均分されると余剰が生まれず、投資は規模の効率性を失うからである。

支配階級の投資効率が上がると経済成長していくが、最適値を超え、貧富の差が拡大しすぎるとと経済成長は停滞し始める。この理由は2つあって、富裕層の消費傾向は一般層に比べ低いので、消費需要が停滞すること、さらに投資効率が低下して供給過剰に陥りやすい(限界収益逓減の法則)ことである。「盛唐」は、需給バランスが崩れ、黄巣の乱などによって滅亡していったのである。

https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=70440?site=nli
…この経済成長と格差の問題は、現代においても実に重要な問題である。上記のグラフは、2022年のIMFのデータをもとに、横軸に国内経済格差、縦軸に経済成長率をおいたものである。青い曲線が投資効率を示しており、最適値はインドの近くにある。(中国の数値は全く信用できない。)南アやブラジルは需給バランスが崩れ、かなり厳しいといえる。

…現在の中国では、まさに反社勢力と化した共産党幹部の富裕層と、給与も払われない貧困層との分裂が進んでおり需給バランスがかなり崩れ、経済は生産過剰になっている。”黄巣の乱”のようなことが起こる危険水域に入っていると言ってよいだろう。

2025年3月26日水曜日

経済で読み解く中世史2

https://ameblo.jp/25juqrdlo/entry-12609568698.html
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第5回。今回は、主に中世キリスト教における利子の問題について。

中世において、教会が行政権や徴税権を握り、行政機能や秩序維持の中心的な役割を担っていた。都市の中心は教会であり、荘厳な建築が競われた時代でもあったが、その背景には好景気があった。12世紀以後の貨幣経済の浸透は、カトリック教会の利子の徴収禁止(利子は時間によって生み出されるが、神の所有物である時間を人間が奪い取る行為だとみなされていた。)を空文化していく。

1179年の第3回ラテラン会議では、利子を取る者は破門、キリスト教徒としては埋葬しないとされた。しかし1215年の第4回ラテラン会議では、支払期日を守らない債務者によって債権者に損害が発生した場合は、ペナルティーとしての延滞利息=利子が認められた。これが教会法の抜け穴として利用されることになる。この会議で認められた利子の上限は33%。この時代、債務者の逃亡や破産が頻発していたので33%とういう高利率になったようである。海洋交易は特にリスクが高く、ヴェネチアやフィレンツェでは、年率になおすと100%~200%の利率が一般的だった。

中世最大の神学者・トマス・アクィナス(上記画像参照)は、第4回ラテラン会議の決議を踏まえ、資金返済の遅延による損害賠償について、債権者と債務者が協定することは正当な権利であると主張し、事実上利子徴収を正当化した。この第4回ラテラン会議とトマス・アクィナスの論理を利用して、人々は極端に短い返済期間を設定し、それ以降の期間の返済の遅延利息というカタチで利子を徴収を一般化した。

それ以外にも為替決済を利用する方法(異なる貨幣で貸出と返済を行い、その為替差益を事実上の利子とする。)や、借用証書に利子分をあらかじめ加算して記入する方法、資金貸付の便宜に謝礼と称して利子を払う方法などがとられた。

1517年、第5回ラテラン会議で、カトリック教会は利子徴収を解禁する。この時の教皇はレオ10世。カネで教皇の座を買ったといわれるメディチ家の次男である。ちなみに宗教改革後、カルヴァンは利子を認めたので、プロテスタントも同様になった。

…ユダヤ教徒も利子を禁じられているが、異教徒に対しての利子は認められていたので金融業を先行することができた。イスラムでもクルアーンで利子は禁止されている。不労所得と見なされており、汗水流して神の作った自然や資源を加工しなかればならないという基本理念がある。搾取と貧富の格差が拡大する原因でもある、というのが理由。ただし、スクークというイスラム金融の仕組みがあり、事実上の利子は存在する。商品販売益やリース料と捉えたり、債権者が債務者の事業に出資し得られた利益から利子分の分配を受けるなどの方法が取られている。一神教の世界は、律法やシャリーアといった神定法、さらに教会法との兼ね合いが大変だったわけである。

2025年3月25日火曜日

経済で読み解く中世史1

https://love-spo.com/books/sekaisi2-006.html
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第4回。今回は、温暖化による食料調達のロジスティクス(調達ルート)の変化とノルマン人の活躍について。

東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の時代、地中海の覇権を失い、食料確保のため広大な領域を確保しなければならず財政は逼迫していた。ところがその末期、550年頃から温暖化が始まる。ゲルマン人が内陸部の森林を開墾し農業生産力が高まり、東ローマ帝国の食料調達のロジスティクスに依存する必要がなくなり、これ幸いと東ローマも領土を縮小する。

食料調達のロジスティクスを握ったゲルマン人は、小王国を建国し、中でもフランク族はカトリックに改宗し教皇の権威を借りてゲルマンの所属を併合、西ヨーロッパの盟主となる。9世紀には、食糧増産とそれによる人口増で都市が形成される。これらを結ぶネットワークが生まれる。この物資の運搬は海運が担った。バルト海や北海沿岸に物流拠点が形成された。

この物流を担ったのがバイキング(=入江の民)と呼ばれたノルマン人(=北方の人)である。古来より漁業を営み、造船技術や操船技術に優れていた彼らは、バルト海・北海の横断だけでなく、セーヌ・ライン・エルベ・オーデル川などを縦断し、交易ネットワークを形成した。

この交易のネットワークにより巨万の富を得たノルマン人は自らの国を作っていく。ルス族のノブゴロド国はロシア(ルスから来ている)の母体。ドーヴァー海峡を挟んだノルマン王国はイギリスの母体となった。

…受験の世界史では、中世は教皇権の強い暗黒の時代のように説かれるが、経済からみると発展の時代であったわけだ。

2025年3月23日日曜日

経済で読み解く古代史3

https://www.istockphoto.com/jp/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第3回。今回は、ローマ帝国の経済的力学構造について。

ローマがイタリア半島を統一してからの最大の問題は、慢性的な食糧難であり、肥沃な穀物地帯であるシチリア島は、戦略的な要衝でもあった。シチリア島はギリシアの植民市からカルタゴのものとなっており、対カルタゴのポエニ戦争の原因となっている。 戦争の勝敗を左右したのは、カルタゴの商人たちが自分の財産や艦船を国家のために使われることを嫌がった反戦派の影響が大きい。

カルタゴ征服後、地中海交易を事実上独占したローマは寛大で、納税すれば人種を問わず交易への自由参加、身分や財産の法律での保証をした。これにより東方のアレクサンドロスの後継者の国々から、商人がローマ世界に参入した。さらにローマは、港湾や道路のインフラ開発を優先的に進めた。これらの政策により急激に経済発展し、貧富の差も拡大する。

裕福な者が私財を投じ貧困層を軍団に雇用し、遠征して外地の土地を支配していく。カエサルはその最も有力な例で、彼は遠征によるリターンを富裕層に売り込み、投資を集めた。カエサルの軍団が強かったのは、そういう投資あってのことである。

この侵略戦争の時代は経済発展が続いたが、版図を拡大し、ローマが帝国となった後は経済が停滞した。民衆の不満を恐れたカラカラ帝は、征服地の有力者に市民権を与え懐柔するとともに、彼らからの税収を期待できた。さらに、公共インフラ(道路・水道・浴場など)を整備し、雇用創出を行い一定の成果を得たが、有力者が増長して軍人皇帝の時代になる。

コンスタンティヌス帝が、カラカラ帝以後の混乱を収め再統一したものの、地球規模の寒冷化で穀物生産が減少し、インフレを伴うスタグフレーションとなった。食糧不足は北方のゲルマン人にとっても深刻でローマに侵入してくるのだが、これを防ぐため軍事予算を拡大してみたものの、結局財政が持たず、防衛自体をやめ、東の交易に有利なビザンチウムへ遷都し、西ローマを捨てるという選択しか残されていなかった。続くテオドシウス帝は、東西分割を行い、不採算部門を完全に切り捨てたのである。

…受験の世界史におけるローマ史は、人物名も多く、長く複雑であるが、こうして経済からみるとスッキリする。ポエニ戦争の原因、カエサルの台頭の理由、公共インフラが各地につくられた理由、そして東西分裂…。実に興味深く読ませてもらった。現代の状況においても有益な歴史的事実の宝庫ではあるまいか。

2025年3月22日土曜日

経済で読み解く古代史2

https://sekainorekisi.com/glossary/
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第2回。今回は、なぜマケドニアが古代ギリシアを席巻したのか、について。

マケドニアが台頭したのは、前4世紀。民主主義が軍事優先政策で形骸化して、ペロポネソス戦争を起こした都市国家群とは異なり中央集権国家であった。当初マケドニアは、南部の都市国家へ軍船用の木材を輸出し経済発展を遂げたが、本格的に台頭したのは、都市国家群が経済発展し人口増加となり、土地を持たない無産市民が新天地を求めてマケドニアに移住してきたことが大きい。前4世紀なかば、フィリッポス2世時にドナウ川流域の肥沃な地帯を得て、小麦生産が著しく増加したが、流入した豊富な労働力を木材や食料生産にあて、さらに余剰分を奴隷として輸出していた。(古代は奴隷経済とされる一例である。)やがて、常備軍を組織できるだけの財政力を得て、ギリシア全土を統一するのである。

一方、アケメネス朝ペルシアでは権力闘争が激しく、エジプトやシリアで内乱が相次ぎ財政難に陥り衰退していく。財政難のためギリシア人傭兵を安価に雇い入れたが、彼らの情報により、国王一族が宦官により毒殺される事件を知ったフィリッポス2世はペルシア侵攻の準備をしていたが暗殺され、息子のアレクサンドロスの大遠征となるのである。

ところで、「ヘレニズム」という語彙は、アレキサンドロスに心酔していた19世紀・ドイツの歴史家ドロイゼンによってつくられた。語源は、ギリシア人が自らをヘレナ神の子・ヘラネスと称していたところからである。

…マケドニアの台頭・ギリシアの統一については、人口移動とそれを可能にした食料生産が存在したわけである。また宦官は中国史の専売特許だと思っていたが、すでにアケメネス朝でもあったわけで、少しばかり驚いた。

2025年3月21日金曜日

経済で読み解く古代史1

https://tini18.hatenadiary.com/entry/2022/12/13/005849
「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)の書評第1回。この新書は実に興味深い。まずは、古代ギリシアとアケメネス朝ペルシャの通貨戦争について。

ギリシアは、穀物を自給できない(自給率は30%くらい)故に、オリーブ油やワインを生産し、オリエントの穀倉地帯と交易して補っていた。物資の交易を円滑に進めるために、アナトリア地方のリディア王国で世界初の鋳造貨幣(エレクトロン:金銀合金で琥珀のような色をしていた故)が登場し、オリエント・エーゲ海・ギリシアに鋳造貨幣圏が生まれた。交易も飛躍的に増大する。アケメネス朝ペルシャは、この伝統を受け継ぎ、ダレイオス1世が良質な金貨と銀貨を鋳造した。GSR(gold silver ratio:金と銀の交換比率)は1:13であった。インドのGSRは、1:8なので、「金安=銀高」故にインド商人は銀貨をインドに持ち帰り、金貨がペルシャに大量に流入した。金の準備高が増大し、ペルシャの国家の信用度は増した。一方、ギリシアのGSRは1:14の「金高=銀安」であった。

さて、重要なことはアテネ近郊でレイオン銀山の組織的採掘が始まり、事実上の貨幣供給都市となり、これが他の都市国家・スパルタやテーベより優位に立った理由である。銀貨の大量生産により、銀価格が下がり急激な銀安が進んだので、ペルシアの商人は、金と交換して稼いだのだが、金の流出は事実上金本位制をとるペルシャにとって看過できない深刻な問題であった。

これがマラトンの戦い(前490年)の原因の一つである。さらにギリシアで銀山開発が進み、さらなる金流出が起こり、ペルシア戦争(前480年)となる。テミストクレスは、この銀で木材を輸入、海軍力増強を進める。またペルシアから得た金を物資の調達を有利に進めた。新たな産銀で貧困層を軍船の漕ぎ手に雇い、失業率の低下、内需の拡大という景気対策にもなった。サラミスの海戦の勝利には、こういう経済的背景があったのである。

…アテネが中心的なポリスであったことは世界史で当然学ぶのだが、その背景に銀山開発があり、アケメネス朝ペルシアとのGSRとの差異が、結局ペルシア戦争に繋がっているという繋がり、目からウロコであった。こういう話を、本年度は地理の地中海性気候(穀物生産が厳しい)のところで、政経&世界史的授業(GSRの問題は幕末にもあるので日本史にまで絡んでいく。)として取り入れていこうと思うのであった。

2025年3月20日木曜日

ベッツに贈る東京D異色大谷弾

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250319/k10014754561000.html
開幕第二戦は、6-3でドジャーズの連勝となった。佐々木朗希のデビュー戦は、1回こそ150%の力を出し切って三者凡退としたが、その後制球が定まらず四球を連発し危ない場面もあった。ともかくも押し出しの失点1で三回の登板を乗り切った。評価は人それぞれだろうが、本土でのこれからのピッチングが何より大事だろうと思う。

エドマン、ピケが先にHRを打った。ここで大谷選手が打たねば誰が打つという第3打席。159キロの剛速球を会心の一撃。確信歩きしたのだが、右中間観客席のギリギリのところで観客が取りそこねてグランドにボールが戻った。慌てて大谷選手は2塁までいったが、HRの判定。カブス側はVTR判定を要求したが覆らず、なんとも後味の悪い第1号のように思えたのだった。

ところが、後でわかったのだが、東京ドームの屋根に当たって失速したらしいのだ。ややこしいことに、日本のルールならば屋根に当たった打球は二塁打であるが、これはMLBなので関係ない。それより、屋根がなかったら、どこまで飛んでいたのかわからないほどのHRであったのだ。

大谷選手は、今回失意の帰国をしたベッツ選手に開幕2試合で必ずHRを打つと約束していたと聞く。試合後も誰よりも先にベッツ選手にメッセージを送っている。この一発はベッツ選手に贈るHRだったわけだ。また脇腹を痛めたフリーマンのために、第一試合で二塁打を打った際は、(フリーマンの)モノマネをしていたし、こういう心遣いと実際の仕事がマッチしている姿は、まさに、スーパースター。感動ものである。今年もいろんなドラマがあるだろうが、頑張って欲しい。

2025年3月19日水曜日

開幕戦 コンセプトはMonster

https://x.com/Ktaka79/status/1901942227515089006
MLB開幕戦は、ベッツが帰国、フリーマンが急遽離脱という危機的状況の中、山本由伸投手と今永昇太投手の投げ合いで始まった。なかなかヒリヒリするような展開で、大谷選手は、結局今永投手を打ち込めなかった(昨季から7連続ノーヒットとなった。)。ただ、球数が多くなった今永投手が降板してから、初ヒット、二塁打とチームの士気を鼓舞し、得点に結びつけた。この辺のリーダーシップこそスーパースターたる所以。山本投手は、1失点した後、ベンチで大谷選手に「マウンドで下を向くな。」と叱られたらしく、そのおかげもあって結局5回を投げきって勝利投手になった。めでたしめでたし。

試合の方も良かったが、教師でありつつもイベント屋さんである私は、開幕の演出も気になった。開幕式の演出のコンセプトはMonsterであった。暗転後に、スポットを浴びた少年がマウンドに立っているところから始まり、彼が持つポケモンのボールがキーとなる。バックススクリーンに、ベーブ・ルースを始めとしたMLBのビッグネームが映し出され、野茂やイチロー、松井、松坂、黒田などが登場すると大歓声。そして大谷選手をはじめとしたドジャーズ、カブスの中心選手が映し出される。みんなMLBのモンスター、というわけだ。これまで、そして今のMLBと日本の選手との関わりがうまく調和されていた画像だったと思う。

照明がつくと、両チームのユニフォーム姿のピカチューの着ぐるみがホーム付近に。外野にもピカチュー。最初の少年との関連で、日本の誇るサブカルチャーの演出。ドジャーズのバンダ投手がポケモンの大ファンであるというYouTubeも見たが、きっと大喜びだっただろうことは察しが付く。(笑)

https://ameblo.jp/flower-flower-food/entry-12890441612.html
このモンスター・コンセプトの〆となったのは、両チームのメンバー全員が揃った後で、日本が誇る最強ののモンスター、井上尚弥選手のプレイボール宣言であった。いやあ、素晴らしい完璧な演出である。

ところで、私は地上波のLIVEを見ていないので、MLBで7回裏に歌う「私を野球に連れてって」(Take me out to the Ball Game)は、東京ドームでも歌われたのだろうか、と思っていたのだが、主催者がどうやらこれを流したようである。MLBにとっては重要な儀式であるので、当然と言えば当然。日本の観客はラグビーでウェールズ国歌を事前練習して皆で歌うような国民性なので、事前に説明して、歌詞をバックスクリーンに掲示すれば、間違いな歌ってくれると思うのだ。

2025年3月18日火曜日

MLB開幕戦の始球式カブスOB

https://the-ans.jp/news/516031/
MLB開幕戦の始球式は、福留孝介氏と上原浩治氏が務めることがわかった。今回の開幕戦は、カブスがホームなので、日本人OBとしてこの2人になったようだ。福留氏はともかく、上原氏は大谷投手に何かとイチャモンを付けており、因縁対決となる。来年度も日本開催という声がMLB側から聞こえてくる。ならば、次回ドジャーズがホームとなれば、野茂や黒田の登場となるのだろうか。私としては、伝統入りのイチローにやって欲しかったのだが…。

いよいよ開幕戦である。ムーキー・ベッツの欠場は残念だが、早く体調を戻して活躍してほしいと願う。ウニを食べたフリーマンも、阪神戦・巨人戦で応援歌に合わせてダンスをしていたキケも、マグロ解体ショーに感激した選手全員が頑張ってほしい。

2025年3月17日月曜日

経済で読み解く世界史

学園OBとの邂逅の後、尼崎駅の本屋で、「経済で読み解く世界史」(宇山卓栄著/扶桑社新書)を購入した。著者は代ゼミの世界史講師だった方である。受験の世界史の専門家だが、些末な歴史の知識より、本質を学ぶために経済から考えることを提唱し、本書となったようだ。

要するに、マルクスの唯物史観にある”下部構造が上部構造を規定する”という話であるが、本書では意外なことが書かれてあった。この下部構造・上部構造はマルクスが言った言葉ではなく、「経済学批判」の中で「経済=土台(Basis)」というテーゼをもとに演繹された言葉であるらしい。

エンゲルスも「マルクス回想」の中で、「人間は、政治、科学、宗教、芸術などと関わる前に、まず食い、飲み、住み、着なければならない。(中略)ある国民またはある時代の、その時々の経済的発展段階が土台(Basis)をなし、そこからその人々の国家制度、法律思想、芸術、また宗教的観念は発展してきた。従って、これらのものもまた、この土台(Basis)から説明されなかえればならない。」と述べているが、上部構造・下部構造という語彙は使っていない、というわけだ。

…昨日は尼崎まで、以前読んでいた「帳簿の世界史」を再読しながら向かった。中世・イタリアと簿記は関係性が深いので、イタリア留学をする商学部の学生である彼にプレゼントしようと思ったのだ。帰りは読む本がなくなったので、購入したという次第だが、また書評というか自学の記録として残そうと思う。

2025年3月16日日曜日

W大・学園OBとの再会

https://news.infoseek.co.jp/photo/ntv_2025031609719723/
昨春、学園を卒業したW大の教え子と、尼崎で再会した。イタリア留学に9月から1年間行くそうだ。将来は国際ビジネスの世界での雄飛を考えているという。東京での生活や大学での学びなどとともに、学園の友人たちの様子も聞きて、楽しい時間を過ごすことができた。

よくよく考えてみると、担任をしたわけでも専任教師でもなく、2年間・週2時間の政経倫理の授業をしただけの私と会いたいと言ってくれること自体、一般的には稀有ではないだろうか。もちろん、できる限りの良い授業をしたつもりではあるが、実にありがたいことである。彼と学園の卒業生の益々の健勝を祈りたい。

さて、帰宅してYouTubeを見てみると、阪神タイガースが昨日のカブスに続いて、ドジャーズにも完封勝利した。藤川監督、なかなかやるではないか。アメリカでも話題になっているようだ。東京まで遠征したライトスタンドの応援団もさぞ溜飲を下げたことだろうと思う。

2025年3月15日土曜日

MLB開幕戦の始球式予想

https://baseballking.jp/ns/466857/
ドジャーズとカブスのMLB開幕戦で始球式を行うのは誰だろうか?ちょっと予想してみた。まずは、イチロー氏。昨年MLBと日本の野球殿堂入りしたわけで、大義名分においては申し分ない。是非、本気で投げてほしいところ。バッターは1番・大谷選手のはずなので…。

2人目は野茂英雄氏。日本のMLB進出を拓いた名投手。ドジャーズで「野茂が投げれば大丈夫」という歌まで歌われたほど。私の予想は、どちらかが最有力。

3人目は、王貞治氏。世界のホームラン王である。ただMLBとは関わりが薄い。日本ではもちろん、アメリカでも有名だし、WBCの監督で優勝もしているから、というのが理由。

2025年3月14日金曜日

いねむり総理 ごまかし知事

https://www.youtube.com/watch?v=cYq9hdA3pUI
日本国民は不幸である。本会議中に携帯をいじり、3.11の追悼式でいねむりをするような首相をリーダーに据えられている。これまでにも最低だな、と思う首相はいたが、まさにベスト・オブ・最低である。

全国的な私学も含めた高校授業料無償化が行われるらしいが、先に実施している大阪府知事は公立高校の倍率低下・統廃合の進展について、少子化の中、私学も同じ条件、半分の私学が定数に達していない、と誤魔化している。これを詭弁と言わずとして何であろう。公立と私学を同じ視線で見てはならない。両方を経験している私から見て、定員の概念が、固定化されている公立と臨機応変に対応可能な私学では全く違う。こういう詭弁がまかりとって、都構想やカジノありきの万博、西成の中華街化などの政策が進められてきたのである。さすがに、今回は府民も、国政では国民も騙されないだろう。

ちなみに私学の無償化といっても授業料だけの話で、入学金やその他の徴収金(設備費や修学旅行費用など)は無償ではない。部活も公立より絶対お金がかかる。そのあたりを見事に隠している。中国人留学生のための無償化、カジノのためという目的を隠した万博の手口である。

ところで、YouTubeでは、首相批判、万博批判のオンパレードである。内容はわかっているのだが、それらを最後まで見ずに(ムカつくだけである。)、いちいちイイネ!を押す日々である。世論を盛り上げるための、私にできる行動である。

2025年3月13日木曜日

佐々木朗希投手のこと

https://ameblo.jp/entertainmentnews111/entry-12889609550.html
佐々木朗希投手については、ローテーションを守れずロッテにも十分な恩返しもしないまま、23歳という若さでMLBに挑戦したことで、正直あまり良い印象はなかった。ドジャーズとマイナー契約したものの、開幕メジャーとなるのかも疑心暗鬼だったのだが、東京での開幕第二戦で先発するそうだ。

彼は、東北大震災で父と祖父母を失った3.11の日に、オープン戦で先発し好投した。全米でも大注目・大絶賛であった。あるYouTubeで、ある日突然何が起こるかわからない。そんな今を生きることの大切さを、小学生時代に震災で体験したがゆえに、”あと2年”を待てなかったのかもしれない、2年後にどうなっているかわかならないと考えたのでは、というコメントがあった。

私は、なるほどと思ったのだ。しかも彼は、震災後、母の親戚がある大船渡に移り、今回の山火事に対し、見舞金1000万円と寝具セット500組を送ったそうだ。決して恩知らずな若者ではない。今をなにより大事に生きること、それが彼の人生訓であるのだろう。

大谷選手、山本選手とともに応援していこうと思う。

ティラノサウルス レース

https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20220417-OYT1I50027/
YouTubeで偶然、ティラノサウルスの着ぐるみを着て走るレースのことを知った。コロナ禍で修学旅行が中止になった話から、皆が心の底から笑えるようなイベントを考えていた川本直樹さんが、地元鳥取県で始めたらしい。私は知らなかったが、日本中で大会が行われているらしい。そもそもは、アメリカのWA州の企業のイベントで、競馬場でレースをしていたという。https://www.youtube.com/watch?v=-4laZPVghR8&list=LL

https://item.rakuten.co.jp/bwear/g176/?iasid=07rpp_10095___3s-m86jgsop-au-4eccb0b6-b9cb-4532-b732-6724e01886ac
この着ぐるみ、実際に買おうと思えば簡単に買える。子どもから大人用まであって、5000円もあれば十分。レースは、成獣のオス、メス、幼獣に分かれて、70~100m走るのだが、その姿はシュールかつユーモラスである。

外国人が日本のこのレースの画像で最も驚くのが、ラジオ体操のシーンらしい。全員が同じ動作を行うことが不思議らしい。日本では小学校から習うので当然だが…。

私は運動が苦手だが、このレースちょっと出たいなと思ったのだった。いやいや、学院の体育祭の教員レースでアンカー走者に着てもらったらどうかなと…。

2025年3月12日水曜日

ラバー・グラスホッパー

https://gendai.media/articles/-/67420?page=2
久しぶりに、前野ウルド浩太郎氏の「バッタを倒すぜ アフリカで」(光文社新書)の書評を書こうと思う。私は、生粋の大阪・都会育ちであるので、昆虫は大の苦手である。カブトムシもセミもバッタも触れない。昆虫の画像も苦手なので、今日の話の主人公、アメリカ・フロリダ州の湿地に住むラバー・グラスホッパーも上記の通り。(笑)URLを検索すると、雌雄の実物の画像が出てくるので、興味のある方は参照されたい。

著者は、アメリカのバッタ研究者の元を訪れ、歓待を受けた時の話である。サバクトビバッタのフィールドワークの参考になるのではと、エバーグレーズ国立公園に行き、ラバー・グラスホッパー(直訳すると、ノロマ・バッタとなる。)に出会う。

このラバーは、身に危険が迫ると一応逃走するのだが、鬼気迫る必死さがない。ここからラバーの名がついたらしい。このバッタは毒を持っているからで、天敵に捕まると体の脇から泡状の毒を出すのである。鳥やトカゲやワニはその不味さに吐き出し、中には死んでしまうものもいるらしい。いかにも毒を持っているという目立つ体色をしてデカいのは、そのためらしい。ただ、哺乳類やヒキガエルなどには毒は効かないし、アリやクモ、カマキリなどにも効果がないらしい。

…苦手な昆虫の話だが、妙に興味深く読んだ次第。

2025年3月11日火曜日

3.11から14年

https://x.com/Yahoo_JAPAN_PR?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
あの東北の大震災から、本日で14年がたった。改めて被災された方々のご冥福を祈りたい。またこの災害時に、有名人が何らかの貢献をしたこともわかっている。俳優の杉良太郎は、炊き出しをかなりやっている。あるマスコミに「売名行為ではいか。」と問われ、あっさりと「売名行為ですよ。」と答えている。この応対は凄いと私は思う。この対応に秘められている杉の人間の大きさが、姑息で卑屈なマスコミとの見事な対比になっている。

危機的状況は、人間の真の姿をさらけ出す。佐藤優の本に、ある外交官の上司が危機に際して、床に寝転がって子供のように駄々をこねる場面が描かれていた。偉そうにしている上級国民の国会議員や官僚こそ、そんな輩が多いのではないか。

結局、苦難を乗り越えてきたか否か、人の痛みを同苦できるか否かが、問われるのだと思う。そんなことを考えた3.11。東北も能登も頑張って、今なお続く苦難を乗り越えてほしい。

2025年3月10日月曜日

玉石混交のYouTube

https://www.youtube.com/watch?v=KE9Y5PCoNAA
YouTubeは、まさに玉石混交のカオス状態である。動画タイトルが興味を引くように、内容と相違する場合も多い。こういうチャンネルは信用できないものが多い。

私が信用できると思っている政治・経済系のチャンネルは以下の3つ。

モハPチャンネル 世界の経済・金融に関する解説https://www.youtube.com/@moha-p

カナダ人ニュース アメリカ政治に関する情報https://www.youtube.com/@canadiannews_yt

妙佛 deep max 中国の政治・経済に関する情報https://www.youtube.com/@DEEPMAX

次のURLは、「玉」中の「玉」。妻から教えてもらった元WHOの獣医さんが見た世界の闇の話。チャンネル自体は都市伝説系だが、かなり衝撃的な事実が暴かれているので必見。あえて内容はバラさないでおこうと思う。https://www.youtube.com/watch?v=KE9Y5PCoNAA

もちろん政治・経済以外のチャンネルも見ているが、応援しているドジャーズ情報は「石」の確率が高い。キム・ヘソン選手はもう何回マイナー落ちしていることか。試合のハイライトこそ、真実の「玉」であるようだ。情報リテラシーは非常に重要だが、”見て後悔してしまった経験”から得ることができると思う。

2025年3月9日日曜日

大阪の公立高校志願者状況 考

https://www.pref.osaka.lg.jp/documents/102859/r07_ippan_sigansya_0307.pdf
今年の大阪の公立高校の志願者状況が報道された。昨年同様、志願倍率は低い。半数の高校で全入となるだろう。私が在籍した元大阪市立の高校では、H高校が辛うじて定員を2名超えていた。T商業は定員割れ。I工業は廃校結成のようで募集すらしていないし、M高校はすでに廃校になっている。在籍していない元大阪市立の学校では、理数科・英語科をもつH高校と総合学科のSK高校、元T商業高校がなんとか持ちこたえているが、その他は実に厳しい。

利権大好き・維新の政策には裏がある。こうして統廃合をしつつ、その土地を売却するねらいがあるらしい。確かに、M高校は一等地であるし、I工業高校も駅に近くきっと高値で売れるだろう。少子化の名のもとに、全国的に実施されていくことになるのである。

後輩の先生方のことが心配でならない。公立には、優秀な新卒の教師がますます集まってこなくなることも必定。

2025年3月8日土曜日

天下一品の袋麺

YouTubeで「天下一品」の価格が上がって、「王将」とともに一般大衆の店ではなくなりつつあるという情報が流れている。私といえば、妻がラーメン嫌いなので長い事店舗には行っていない。だが、ありがたいことに、冷凍食品やカップ麺の天下一品が販売されていて、その独特の風味を味わうことができるのがありがたい。先日、妻の買い物に付き合った際に、天下一品の袋麺を発見した。おそらくは、冷凍食品のモノよりは落ちるだろうが…と思いつつ買ってみた。

意外にも美味しい。「天下一品」そのものである。冷凍食品のモノには少し劣るが、カップ麺より良い。あのドロっとしたスープ感は、やはり店舗に行かないと味わえないが、十分に「天下一品」を感じる事ができた。コスパ的に十分満足である。

2025年3月7日金曜日

神なき時代の終末論 書評

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第9回目。本書は、第4章の後にさらに終章がある。著者は、自由の背後にある「秩序」、民主的平等の背後にある「権威」、人権の背後にある「超越的な価値」、市場経済の背後にある「非市場的な価値」(決して市場価値にさらされてはならない価値)といった伝統的な価値があるとしている。リベラルの価値は、ともすれば伝統的価値を攻撃するので、自由が暴走し放埒となり、平等はいかなる差異も認めない不平不満の集積となり、権利の要求は増長した自己利益の隠れ蓑、市場競争は格差の挙げ句に社会秩序の崩壊を導くという持論を展開している。(他にも、多くの主張があるのだがあえて割愛。)

…学生時代、朝日ジャーナルを読んでいた私でも、納得がいくロジックである。国際理解教育の徒としては、リベラルなスタンスが学会やNGOの主流であるが、個々の事例で私のスタンスは微妙に違う。リベラルであることが正義ではない、それぞれの問題において、バランスが重要だと最近考えている。

…たとえば、環境問題。西欧主導のEVなどは、ガソリン車よりCO₂の問題があるし、太陽光発電や風力発電についても無謬ではない。環境関係企業の利権も大いに問題である。SDGsの主軸である、経済成長と環境問題のバランスが重要なのであって、環境重視が普遍的な正義だとは言えないと思っている。

…異文化理解も同様である。世界的に問題化している移民問題について、是々非々の立場で考えたい。先進国で移民が増えることは少子高齢化の中で必要だという主張に同意したとしても、受け入れる側も、移民側も、異文化的相違を十分理解しなければ大きな軋轢を生む。何より重要なのは言語能力である。(特に日本語能力は難しい言語であり、この習熟が必須だと思われる。日本語理解なくしては日本の文化・四層構造や根源感情を理解できない。)移民を受けいること自体が正義ではない。自文化の崩壊を招くような受け入れは、埼玉の事例が示すように、大きな禍根を残すことになる。

…人権問題も是々非々である。日本の集団主義が絶対的正義だとは言わないが、バランスが重要であると思う。平和問題も然り。現況の情勢を鑑みれば、国是の平和主義も、足枷になっている側面もある。要はバランスなのである。

…国会で、夫婦別姓問題が論議されている。なぜこのような論議が重視されるのかわからない。結局のところ、奈良県知事のように住民票を黒塗りするだけでは飽き足らず、戸籍自体を抹消して本来の国籍を隠したい議員がいるのではないか。国民が審議してほしいのは、減税策であり、インフレ抑制、生活の向上なのだが、政治家は北京やソウルを向いて仕事をしているように見える。私立も含めた全高校の無償化も笑止。中国からの留学生を入学させる高校への援助であるという。大阪の浪速区や西成区では、中国姓の住居が爆発的に増えている。大阪の維新などは、まさに日本を売りに出して利権を得ようとしている。中国人ビザ延長問題も、日本での高額医療を受けやすくするためで、国民健康保険にも簡単に加入できるそうだ。高額の最新医療を受けて、帰国で費用を払わず、その費用は日本人の血税で賄われるという。こんな状況下で、国際理解教育の異文化理解を安易に進めることはできない。

…本書第3章では、ユダヤ的資本主義の話が出てきたが、多くの国で労働者の給与所得が増えないのは、結局のところ企業の利益の多くを株主に配当しているからという、実に単純な話である。企業は競争の激しい金融市場で投資を得るために配当を高くする。普通でも剰余価値説(マルクス経済学の核心)で搾取されているのに、まさに資本を持つ者と持たざる者の格差を拡大し続けているわけである。リベラル派は、何よりこの核心をつくべきであろう、と思ったりしたのである。

神なき時代の終末論 第4章(2)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第8回目。主にロシア正教について。

廣岡正久は、「ロシア正教の千年」の中で、ビザンチン帝国の滅亡によって精神的孤立に陥ったロシアの不安と、ビザンチン帝国の正当な後継者をもって任じたロシアの自負心とが交錯した、複雑な心理状態を指摘している。また三浦清美の「ロシアの思考回路」には、人は深い信仰を持ち、最大限の努力をして神に近づくことができるという「テオーシス(神成)」という概念が正教会で重視されたとしている。この一種の宗教的超人思想が、正教会と皇帝権力を結びつけ、徹底した政治と宗教の一体化を生んだようだ。

ロシアの宗教精神は、言語の問題(スラブ語訳の聖書)、皇帝権力との結びつきからくるナショナリズムの表出、大地・自然と魂の一体感故の神秘性といった理由から生まれ、ロシア人をして極めて宗教的な民族にしている。当然、終末論的な世界観を持ち、神の恩寵を広めるべく西欧の大航海時代と時を同じくして、シベリア獲得に乗り出している。

一方で、ロシア革命で訴えられた「万国の労働者よ団結せよ」という言葉には、啓蒙思想の一流派といより、メシア的終末論的響きを持っている、一見無神論的な装いをまとっているが、その根底には終末論的・黙示論的な狂気の熱狂があると著者は記している。

ロシアにとっては、西欧の(非西欧にとっては特殊な)政教分離や主権国家や国際法や自由・民主主義などよりも、自らの勢力圏を維持して、己の文化の核にある神聖を守り、強力な世俗権力によってロシアの力を再興することの方が重要だといえるのである。

…本日のブログの最後の段落こそがロシア理解の鍵である。西欧の影響下にある日本を含めた多くの国にとって、このロシアの思考回路を理解するのは難しい。よって、ウクライナ側に立つことになるのだが、それが正義と言い切れないところに、今回の問題があると私は思う。ウクライナ問題については、もう少し静観したいと思うのだった。

2025年3月6日木曜日

神なき時代の終末論 第4章(1)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第7回目は、主にロシアのことについて書かれている。この章はある雑誌に掲載された論文であり、この章自体で完結している。このところ、トランプ外交が、ゼレンスキーと西欧諸国と激しく対立している。様々な報道や論評がなされており、このブログで考察するにはまだ早い、と思っているので、この章のウクライナ情勢に関わる部分にはふれず、ロシアの根底にあるものについてのみ要約していこうと思う。

政教分離・価値相対主義・個人主義といった西欧文化の帰結(普遍主義と称している)は、非西欧社会においては自らの文化を内から蝕んでいく。ロシアは、西欧文化の基本を形作る歴史的経過(ローマカトリック・封建制・ルネサンス・宗教改革・大航海時代・啓蒙運動・国民国家形成など)とは無縁であった。17世紀のピョートル大帝は、(後の)日本の明治政府と同様に。西欧文明を摂取して列強とならぶ大国を目指したが、そのツーリズムは、アジア的、ビザンチウム的、ロシア正教会的な古い習慣を持つ(スラブ主義の)民衆との亀裂を生み、革命に繋がっていく。

かのハンチントンは、ボルシェビキの革命は、「西欧には存在しない政治・経済制度を、西欧でつくられたイデオロギーのもとに創設した」と言っている。うまく欧化主義とスラブ主義を止揚し、革命によってロシアは、欧化主義者もスラブ主義者も西欧の後塵を拝しているという劣等感から開放され、一気に西欧を飛び越してしまったのである。

政教分離・価値相対主義・個人主義といった西欧文化の帰結(普遍主義と称している)は、非西欧社会においては自らの文化を内から蝕んでいく。ロシアは、西欧文化の基本を形作る歴史的経過(ローマカトリック・封建制・ルネサンス・宗教改革・大航海時代・啓蒙運動・国民国家形成など)とは無縁であった。17世紀のピョートル大帝は、(後の)日本の明治政府と同様に。西欧文明を摂取して列強とならぶ大国を目指したが、そのツーリズムは、アジア的、ビザンチウム的、ロシア正教会的な古い習慣を持つ(スラブ主義の)民衆との亀裂を生んだ。

かのハンチントンは、ボルシェビキの革命は、「西欧には存在しない政治・経済制度を、西欧でつくられたイデオロギーのもとに創設した。」と言っている。うまく欧化主義とスラブ主義を止揚し、革命によってロシアは、欧化主義者もスラブ主義者も西欧の後塵を拝しているという劣等感から、一気に西欧を飛び越してしまったのである。

ところで、ロシアの根源感情について、井筒俊彦は「ロシア的人間」(1953年)の中で、自然と人間の魂の間には血のつながりがある、と述べている。著者は、これは理解不可能な暗い闇、ロシア独特の陰鬱や憂鬱で、ドストエフスキーの「地下生活者の手記」に見られるようなもので、ロシアにおける自由や開放は、西欧的な理性のもとでの自由・平等・幸福追求の権利とは全く異なっている。

ロシアの歴史は戦争の連続であった。よって、ロシア人の心のなかには、常に周辺に脅かされるという恐れと、耐え忍ぶ忍耐力、一気に形勢逆転する軍事力を手に入れ勢力を拡大する「力への意思」があり、ロシア正教会は基本的にロシアを守る戦争には好意的で、兵士や武器も神によって祝福される。核兵器の使用もロシア防衛のためには認めている。

亀山陽司は「地政学と歴史で読み解くロシアの行動原理」の中で、ロシアにとって戦争とは、単なる防衛でもなく、単なる侵略でもない。それは巨大な祝祭であり、国民にとって何度も追体験されるべき歴史的記念碑である、とされている。

…今回のエントリーで、最後の三段落の内容は、特に重要なロシア理解であると思う。WWⅡで最も多くの戦死者を出したのは、大祖国戦争と呼ばれるロシアであったし、ナポレオンとの祖国戦争でも、自らの被害を顧みず、焦土作戦を実施している。祝祭と呼ぶのが正しいのかどうかわからないが、そこにロシア正教の神の祝福が存在したように思われる。

激甚災害 大阪万博

https://www.change.org/p/%E5%A4%A2%E6%B4%B2%E3%81%A7%E9%96%8B%
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大阪万博は、もはや激甚災害のように思われる。かの特徴的な木造のリングは、すでにカビっているらしい。そもそも日本の林業再生などといいながら、フィンランドからの輸入材だそうで、しかも閉会後は廃棄されるという。どこが持続可能性なのだろうか。

無料招待を受けている近畿圏の小中学校・支援学校からもすでに10万人の辞退が伝えられている。学校用のバス駐車場から860mも歩かねばならないようで、熱中症になる児童生徒が続出する可能性は大である。
当然責任は学校に向けられる。主催者側は、道筋にミストを用意すると言っているが、救護体制や埋立地で地下に貯まるガス、あるいは地震や津波などの対策を尋ねても、満足できる回答はないらしい。それでも児童生徒を送り込む学校は、管理職が中之島や大手前(大阪市庁舎・大阪府庁舎のある場所)の方を向いて仕事をしているとしか思えない。

ボランティアの話はもっとえげつない。1日2000円のカードをもらえるそうだが、交通費も食事も自己負担で、休憩時のパビリオン見学も不可、しかも事前講習が必要らしい。かの日本の伝統文化祭を中止し、Kポップイベントに予算を回したどこの国の人間かわからない奈良県知事のところでも、15/300しか集まっていないらしい。当然である。おそらく逆らえないような立場(来年度採用の新職員とか)にある人々を送ることにしているのだろう。浅慮で姑息な維新らしいやり方だ。

そもそも利権の温床・カジノありきで、アクセスを確保するための万博である。維新の利権、竹中某の利権の塊のような万博である。一刻も早く中止し、協会幹部や利権企業の懐に入ったカネで全てを精算してほしい。大阪府民に増税でツケを回されるなどとんでもない。
どっちみち、夏には維新は滅亡する。検察も万博の闇に動いてほしいところだ。

2025年3月5日水曜日

神なき時代の終末論 第3章(3)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第6回目である。前回描ききれなかった第3章の後編、特に「文明の根源感情」についてのエントリー。

20世紀の初頭、オスヴァルト・シュペングラー は、「西洋の没落」の中で、あらゆる文明の根底に、文明を支える「根源感情」があると語った。(著者の言い方でいえば、風土的な基層をもとに深層における歴史・文化・宗教から生まれる感情)これは、文明の機動力となるもので、象徴的にあらわす表象がある。シュペングラー は、ギリシア文明ではアポロン、西欧文明ではファウスト的なるものだとしている。

ファウストの精神とは、ありとあらゆるものへの好奇心や冒険心に富み、万物を知り尽くし、かつ自らのものにしたいという貪欲な感情である。この精神が西欧に特有の壮大な建築や芸術や実験的な科学を生み出した。しかし、ファウスト的精神は悪魔・メフィストフェレスに魅入られたかのように膨張し、西欧文化はWWⅠに帰着して崩壊した。忘れてはならないのは、ファウストの背後には神がいたことである。

著者は、西欧が海に面していたことも、好奇心や冒険心に影響を与えたのではと記している。それに対して、ロシアはあくまでも大地的で、大地に閉じ込められていると見える。ロシア正教会は、西欧のプロテスタントの合理主義に対し、個人主義的で内面の信仰を重視するのだが、大地に根ざす神にたいして深い祈りとある種の神秘主義をもつ。ドストエフスキーの作品には大地にひれ伏して神に祈る姿がたびたび描かれる。大地的なものと神の結びつきがロシアの根源感情であるとしている。

ところで、西欧文明が、抽象的な宇宙的思考物性の本質論を持ったギリシア文明を基盤としているが、それを乗り越え、無限に広がる抽象的な空間のイメージを持った。数学においても、ギリシアの人間の経験や視覚に基づく幾何学から、代数学を発展させた。この西欧の無限への拡大は、天上の神や悪魔とも垂直的につながった存在として了解し、その立体構造こそが、西欧の根源感情の底にある。

アメリカは、特異で海の精神と大地の精神の両方を兼ね備えた多民族国家で、リベラルの理念(自由と民主主義)を国是としているが、これは表層価値である。著者は、その深層に狂信的な宗教運動(建国時の回心や大覚醒運動)、政治的熱狂、メシアニズム的なユートピア主義、ファンタジーを根底に持っていると考えており、この冒険精神と夢想が絶えざるイノベーションを引き起こしてきた。これがアメリカの根源感情だとしている。

…今回のエントリーで、特に興味深いのは、西欧のファウスト的な根源感情、さらにはギリシアの有限性を超え、無限への拡大・立体構造という著者の視点である。

…ここで、少し記しておきたいことがある。著者は学界の重鎮であるが、その文章は少し晦渋である。これを要約するだけで、私自身の学びと文章力の強化につながると思っている。最近はAIなどで要約することが耳目を集めているが、私は決していい傾向だとは思っていない。特に児童・生徒・学生の立場でAIを多用するのは、いかがなものかと思うのである。

2025年3月4日火曜日

神なき時代の終末論 第3章(2)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第5回目。第3章の中編。欧米の深層にある何かを追求していくのだが、まずウクライナ紛争について、ロシアの側から改めて二流国となった屈辱から書き起こしている。これは割愛。次に「西欧近代」の深層について、M・ウェーバーの『プロ倫』(2024年8月6日付ブログ参照)と前述のゾンバルトの『ユダヤ人の経済生活』を対比しつつ、プロテスタンティズムとユダヤ教の資本主義への影響について述べていく。

M・ウェーバーは、この両者を区別して、西欧的な資本主義はピューリタンによって形成された、20世紀にさしかかると、アメリカではユダヤ的資本主義のような貪欲な金銭的利益を求める資本主義に変化しつつあるとしたのだが、ゾンバルトは、一貫して資本主義を牽引してきたのはユダヤ的資本主義であったと批判した。この2人の論争は、あくまで20世紀初頭の話で、ナチのホロコーストもイスラエル建国もロシア革命もアメリカのユダヤ゙系移民の活躍も知らない時代の話である。

では、両者の論争の主題となったユダヤ的資本主義とは何か?ゾンバルトは、ユダヤ人の持つ「バーリア性」(固有の国や土地や故郷を持たず、他国や他の場所に寄宿する性格)に注目した。彼らは、世界中にディアスポラしつつも、そこで仕事をし、政府の要職にも入り込む。またネットワークを駆使し、情報を伝達できる。さらに伝統的な仕事につくことができない故に世界中をつなぐ自由な金融業・商業活動に向いていると主張した。

最初からボーダーレスの空間に置かれた彼らは、特定の場所や文化に縛られない貨幣を駆使し、禁欲的な生活態度と抽象的・合理的な思考に対する愛着もまた有利に働き、合理的な金融(=貨幣が貨幣を生むという最も純粋な資本主義)を確立した、というわけである。

M・ウェーバーは、ある場所に根づき、ある種の倫理的精神をもち、地縁的な人間関係を基礎にした組織による産業活動(=モノの生産・市民的資本主義)と、ユダヤ的な金融活動(=カネの動き・ユダヤ的資本主義)を区別したが、著者はこの類型は現代の経済学が見失った極めて大事な論点だ、としている。

現代のグローバリズムを眺めた時、我々は圧倒的なユダヤ的資本主義の活動に目を奪われる。ヨーロッパ各地から故郷を捨てて新天地にやってきたアメリカこそが巨大な「バーリア」の集合体であり、合理的精神と科学・技術による富と自由の無限拡張を求めて進んでいるとも言えよう。確かなことは、ユダヤ的であろうとピューリタン的であろうと、西欧の生み出した資本主義は、旧約の一神教的宗教意識を背景にしていることである。

…今日のエントリーに出てきたユダヤ人のネットワーク性について、息子がユダヤ教の研究発表をパリの学会で行った際、エレサレムの大学からパリの見ず知らずのユダヤ人に連絡を取ってくれて滞在できた、という話を聞いたことがある。ロスチャイルドのような国際金融資本だけではなく、ユダヤ人の中に今も草の根のネットワークが厳然としてあることを記しておきたい。

2025年3月3日月曜日

確定申告の日

https://www.homemate-research-tax.com/dtl/00000000000000364805/
確定申告に妻と行ってきた。今年はスマホでの予約に大いに手間取って3月になってしまった。正直なところ、税務署の外部依頼のアプリが不親切で、予約がいっぱいならそういうコメントがほしい。スマホに私よりはるかに詳しい妻でも2,3日も混乱した。

とはいえ、2週間前になんとか予約ができて、今日の日を迎えたのである。意外に税務署の方が丁寧で、最終的な申請では、名前と住所等と数字の入力以外は全部やってくれた。(笑)まあ、専門の人がやったほうが絶対に早い。私は、パソコンはともかく、スマホが大嫌い。字が小さいし、指であらぬところを押してしまうことが多いのである。と、いうわけで、無事終わったのだった。

思えば、在マレーシア時代もほとんどやってもらった。実際に税務署に行って中華系の職員さんに全てやってもらったし、PCの時は、PBTのマレー系の事務職員・イタさんがやってくれた。こういう公的な事務処理は、B型の血液が受け付けないタイプである。(笑)

増税大好き・財務省が批判にさらされ、これで税務署の対応が悪かったら、善良な市民でもブチギレるところだが、親切丁寧だったので、平穏な雰囲気だったことを伝えておく。

2025年3月2日日曜日

神なき時代の終末論 第3章(1)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第4回目。第3章の前編である。第3章は、最初にアメリカの政治ならびにウクライナ紛争について、かなり長く綴られている。ここは割愛するとして、著者の言う、「歴史の四層構造」について記しておこうと思う。

著者はフロイドとユングの深層心理の理論は、世界や歴史にもヒントを与えてくれるとし、世界を作っているのが人間である以上、この意識の四層が作用しないというとい方がおかしいとしている。

(1)最も表層にあるのは、ある種の理念や思想、何らかの高い価値などで、自由・民主主義の勝利や、マルクスの唯物史観、国連の理想である世界のすべての人間が平等で平和に暮らせる世界像など。

(2)次の中層にあるのは、現実的なあり方で、個人で言えば自己利益や生存の確保、仲間との信頼関係、国家の場合は国益、勢力圏、生存圏、同盟関係や敵対関係、戦争や紛争などである。

(3)その下の深層にあるのは、ほとんど無意識に人々の思考様式に型を与える文化であり、歴史的経験である。宗教的なものが大きな意味をもつのは、さしあたりこの層である。

(4)その下の最下層の基盤にあるのは、和辻哲郎的な「風土的基層」であり、著者はこれを重視している、と述べている。

この後、ネオコンや、ドイツの経済史家・ヴエルナー・ゾンバルトのいささか極端な論争的主張である「プロテスタントはユダヤ人である」について述べられている。米国に渡ったプロテスタントの多くが16世紀にカトリックのスペインに追われてヨーロッパ各地に転在したユダヤ人の改宗者(コンベルソや、蔑称のマラーノと呼ばれた人々)である可能性は十分ある、アメリカにおけるユダヤ教徒プロテスタントの宗教的な基底にはかなり重なりがあるのだろう、と著者は記している。

この章の前半部の最後に、著者はアメリカのリベラル的価値の世俗的表現というアメリカの歴史的使命を背後で支えるのは、「ユダヤ・キリスト教のメシアイズム」であるし、「深層」レベルで、アメリカを突き動かす、宗教的意識につながるような何かがある、と結んでいる。

…この歴史の四階層という考え方は実に興味深いと私は思う。日本という国家で見れば、表層的には平和主義という国是、中層にあるのは、国益と他国の国益の止揚とも見れるリベラリズム(ともすれば裏切られるが、政府は遺憾としか言わない。笑)、深層にあるのは、自己と他者の間柄的存在(和辻哲郎)を最重要視する集団主義と朱子学的な自己理解と実践、最下層にあるのは、稲作が可能な明瞭な四季をもつ気候と恩恵と災い両面を持つ自然環境(和辻哲郎で言えば、モンスーン型)との調和であるといえるだろう。やっぱりに、日本思想の中では和辻哲郎が最強のように思う。

…ところで、この四階層、地理総合の授業でも使えそうだ。

2025年3月1日土曜日

神なき時代の終末論 第2章(2)

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第3回。第2章の後編である。
ホッブズの自由は、生命をかけて勝ち取るものではなく、万人が生まれついたときにすでに与えられているもので、(主権者に従属されているとはいえ)法によって保護された基本的権利であり、"ささやかな私的利益や快楽を追求する自由"となった。アメリカ独立宣言における幸福追求と同義である。歴史的にホッブズの方が先だが、ヘーゲルの自由より結局優位となった。

こういう近代社会において、”ある程度”自由と平等が保証されたわけだが、自由を抑圧する様々な権力や権威が存在し、未だに平等が達成されたわけではないし、宗教的権威、家父長的権威、陰に陽にある”差別”も存在する。これらを根絶することが真の”歴史の終わり”だとリベラル派は主張する。だが、著者はおそらく永遠にやってこないだろうと著者は述べ、フクヤマの「平等化が進めば進むほど、人々はわずかな差異に敏感になり、不平等を正せという情熱は熱を帯びる。しかもその差別や差異は、階級や社会的なものというよりも、個人の主観に強く依存するものとなっていく。」という言を借りて説明している。

かつて「奴隷」と呼ばれていた者は「被害者」(自らが何らかの被害者と思っている者)と呼ばれ、「反乱の権利」を持つが、今日では「保護される権利」をもち、特権化され、民主主義が救済の責任を負う以上、民主主義革命は永遠に続くことになる。リベラル派 の批判には建設的なものもあるが、批判主義に陥る事が多い。その欺瞞性は、常に外部に敵を求め、自らのあり方を問うことがない。その結果、自家撞着(じかどうちゃく:自己矛盾と同義)に陥ると著者は述べている。

自家撞着の典型として、著者が挙げるのはフーコーである。リベラルな価値は一見至極もっともであり、正面切って批判するのは難しい。フーコーは、すべての言説は権力への意思が働く(無味透明な蒸留水のようなサラサラした言説はありえず、必ずなんらかの自己の優位性を内在している。)と述べながら、同時にリベラルを標榜し、言説しているからである。

一方、自由・平等・博愛のフランス革命の精神は、ルサンチマン(弱者の強者への復讐心)の奴隷革命であり、支配者から支配権を奪い取る「権力への意思」がそこにある、とニーチェは言った。また、リベラルな価値の背景には、キリスト教道徳があるとニヒリストのニーチェは言う。フーコーはニーチェの「権力への意思」を現代において反復したにすぎないと著者は述べ、強者による弱者の支配も、リベラルな価値の正当性を掲げた弱者による強者の支配も、どちらも権力作用に過ぎない、とする。ニーチェは、キリスト教の終末論を破壊したと同時に、リベラル派の終末論(理想的な平等社会)も破壊したのである。

前回の書評で触れた「優越願望」は、ヘーゲルもニーチェも同じ「最初の人間」の根本である。ホッブズも、自然状態において同様の見方をしている。著者はここで、旧約の出エジプト記の奴隷から選ばれた民となり、多民族への優越願望をもつユダヤ教と、キリスト教の救済に見られる”逆さまの権力への意思”について述べている。

章の最後に著者は、リベラリズムはどんどん些末な領域に追い詰められ、自己中毒的に瓦解し、自分こそは強者であると宣言して権力をむき出しのままに肯定する人物を到来させることになるだろう、グローバリズムの果てに、我々はそういう時代に入りつつあるのではないだろうか、と結んでいる。

…前回のエントリーで、フクヤマが「最後の人間」というニーチェの言葉をタイトルに入れた理由が、後半のリベラリズム批判の中で語られたわけだ。

…こうして要約してみると、実に示唆に富んだ内容だったと思う。このところ、隣国の経済も中国同様崩壊しつつあり、日本は見捨てた格好になっている。西洋列強に搾取されたA・A諸国などより、はるかにルサンチマンな隣国の言い分(政治・経済から文化・スポーツにいたるまで反日の「恨」で凝り固まっている状況)は、この第2章を読むと、永続的であるだろうし、まさしく自己中毒的であることが明確になる。また、最後の人物が「誰と特定することはできないにせよ」との前置きがあるが、トランプ大統領のことを指していることは明白だろう。社会思想の視点から、反リベラルへの転換点に我々は立っていることを再確認したのだった。