2024年11月25日月曜日

ンクルマの非無神論的唯物論

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汎アフリカ主義を掲げ、ガーナの独立を成したンクルマは。政治家であるとともに、現代アフリカを代表する哲学者でもあった。久々に「アフリカ哲学全史」(河野哲也著:ちくま新書)の書評再開。

ンクルマは、”consciencism”という造語をつくって、自分の政治思想をある種の存在論の上に基礎づけようとした。この”conscience”は、人間の活動の指針として善悪を区別する能力と衝動と定義される。著者はこの造語を、自己意識の意味を含んだ「良心主義」と訳すのが妥当だとしている。アフリカ諸国の独立という緊急な政治的課題を解決するために、あえて存在論と倫理学、政治哲学を接続しようとする”興味深い企て”である。

ンクルマは、近代的な心身二元論に対して、20世紀の現代物理学は、物質の一元論に立つ存在論であり、相対性理論や量子論は物質が不活性であるという概念を根本的に変えたとして、時空間や法則性が物質に外在的ではなく、「自己運動能力が備わっている」ことを示したのだと言う。これは、唯物論を示唆しているが、無神論に帰結するわけではないと主張している。

マルクスやエンゲルスら19世紀の唯物論者同様に、ンクルマは物質の優位性を主張しているが、彼らの無神論と対照的に、物質が精霊を含むより高次の形態に還元可能(=上記の「自己運動能力が備わっている」こと)とし、著者は「非無神論的唯物論」と呼んでいる。彼の存在論は、アフリカの伝統的存在論に親近性があり、ガーナのアカン民族の至高の存在は、宇宙的な建築家であり、世界の秩序を構築する存在であり、動物、植物、無生物が底辺、祖先や生ける人間が中間に位置する存在階層の頂点を占めるものである。良心主義の非無神論的唯物論はアフリカ的な思想であるというわけだ。

伝統的なアフリカ社会は本質的に平等主義である。(平等を標榜する)マルクス主義もまた同様。さらにアフリカの伝統社会同様に、物質の一元論的テーゼ(唯物論)を信じるものである。故に社会主義が現在のアフリカの良心の最も有効な表現となるという主張に結びつく。著者は、良心主義は、アフリカ人たちの信仰と宗教心を否定せず、社会主義的政策を正当化しようとするイデオロギーだったとも言えるだろうと評している。

…少しばかり強引な感じがしないでもないが、ンクルマの活躍した時代を考慮すると、彼の主張はよく理解できる。1960年がアフリカの年となったのは彼の力量によるところが大きいからだ。特に現代物理学とアフリカの伝統的な信仰を「(物質には)自己運動能力が備わっている」という点で結びつけたり、アフリカの伝統的平等主義が、社会主義の唯物論的テーゼという点で結びつくではないか、と結論付けていくところなどは、著者の「興味深い企て」という表現、実に”言い当てて妙”というところである。本日の画像は、ソ連が発行したンクルマの肖像切手である。

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