【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その13】
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東エレサレムから朝だけ見える死海 |
エレサレム近郊を日帰りで3箇所巡っってきた。まずは、死海である。死海は海面下400mの文字通り過酷な地にある塩湖である。前述(エレサレムの旧市街を歩くⅠ/参照)のように、息子が食あたりでダウンしたので、一度行った事があるという嫁さんのTさんと我が夫婦3人で、岩のドームを見た後に行ったわけだ。死海へは、セントラル・バスターミナルからバスが出ていて、約1時間半の距離である。イスラエルのバスの凄さというか面白さについては、すでに述べた。(イスラエル考現学BUS/参照)エレサレムのバスターミナルから、何のことはない私たちが滞在しているヘブライ大学近くの東エレサレムを通り、どんどんと高度を下げていく。途中、軍の検問がある。パレスチナ自治区に入ったわけだ。そもそもエレサレム自体がパレスチナ自治区に張り出しているわけで、東に向いて行くとそうならざるを得ない。とはいえ、パスポートの提示もなく、若い兵士が乗り込んで来て乗客の顔を眺めただけである。死海は、なぜか朝だけ我々の宿泊していたところから見える。実際、我々がお世話になったスウェーデン系ユダヤ人のおばさんのお宅のバルコニーから見ることができた。その手前にパレスチナ自治区との「壁」が延々と続いているのも見えるのだ。
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スパから湖岸の岩山を眺める |
さて、壁を超えると見事に風景が変わる。一気に荒野になるのである。礫砂漠と言うのが妥当だろう。ゴロゴロとした礫(れき)がころかり、岩山には植物はほぼない。死海沿岸には、ナツメヤシのプランテーションらしきものもあり、こんな所でさえ開拓するユダヤ人の凄さを感じるのである。オアシスがあるらしいエン・ゲティ国立公園を超え、スパに着いた。昨日から、私に浮遊体験をさせるべく、3人して新市街で安い水着を買ったり、ビーチサンダルを買ったりしたのだった。妻もTさんも全く入る気はないらしい。湖面はだいぶ後退したらしく環境問題として取り上げられている。スパから死海までは、少しばかり距離がある。で、泥を塗ったりシャワーで落としたり出来るエリアから、トラクターで列車のように乗客を運ぶシステムになっている。
有名な死海の浮遊体験である。私の感想は、①湖底が塩で硬く、ビーチサンダルを履いていてもかなり痛い。②気温が高いので、水がぬるい、と言うより熱い。③すぐ浮くけれど、帽子を被っていたので首が痛い。という苦行のようなものになった。(笑)ほんの少し浮遊してすぐ上がってきてしまった。
さて、この日バスのエンジントラブルに遭遇し、灼熱の地に取り残されたことはすでに述べた。(イスラエル考現学BUS/参照)実は、その後乗り込んだ後続のバスで、さらなる試練が、妻とTさんを襲ったのだ。運転手によると、あと3人分の空席があると言う事で我々は乗車したのだが、私はともかく、2人は超正統派の乗客に座ることを拒否されたのだ。座席に荷物があるという理由である。
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死海 エンジントラブル地獄の後 |
普段は極めて温厚なTさんも、これには怒り心頭だったらしい。(妻は怒り心頭でも表現できなかったのだった。)結局2人は乗車口にへたり込むことになった。前で座っていた私はそんな事実を知らなかった。エンジントラブルに続く不幸を不憫に想った世俗派のユダヤ人が気付いて席を譲ってくれたらしいが、「(超正統派にとって)私たちは荷物以下か!イスラエル博物館でちょっとは愛嬌があると思っていたのに。」と妻は後に証言した。彼らの行動について私は見ていないのでよくわからないが、荷物の横が男性であった場合、家族以外の女性が横に座ること自体がそれが彼らの規範に抵触したのではないか、と思っている。とはいえ、こういう事の積み重ねが超正統派を孤立させるのであろう。大家さんも奥さんも、Tさんに、この話を聞いてかなりひきつってこう言った。「信じられない。なんて奴らだ。」うーん。イスラエル内の家庭内別居なり。
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