2023年2月28日火曜日

ルイーゼ妃の2人の息子

https://www.amazon.de/Deutschland
-Revolution-Frankfurt-Preu%C3%
9Fen-Deutscher/dp/B00WR1FVUE
「プロイセン王家12の物語」の書評第4回目 は、不定詞王と、プロイセンの守護聖人とも慕われた、ルイーゼ妃の2人の息子の話である。

長男のフリードリヒ・ヴェルヘルム4世は、「ひらめ」という身も蓋もないニックネームで呼ばれている。パッとしない容姿故だが、不定詞王の息子らしからぬ弁舌家だった。こういう前王を面々教師とするのがプロイセン王家のパターンである。(笑)軍事気質から遠く、優柔不断なわりに古風な王権神授説にこだわった王であった。とはいえ、産業革命とブルジョワジーの台頭の時代で、政治信条は後ろ向きだったが科学文明には前向きで、王太子時代にベルリンからポツダムまで鉄道が開通するとさっそく旅を楽しんだし、前述のラインラントでルール炭田が発見されると、いきなり重工業を発展させた。一方で、ゴシック建築のケルン大聖堂の建築、廃城になっていたホーエンツォレルン城を再建している。

1847年、フランスで二月革命が起こる。ウィーンに飛び火しメッテルニッヒが失脚・亡命。さらに、ブダペスト、ベルリン、バイエルンと革命闘争が拡がった。ひらめ王はある程度の譲歩をすることで済ませようと連邦議会の開会を布告。しかし警備隊に投石があり発砲したのがきっかけで市街戦となる。ひらめ王は、ベルリンから軍を引かせ、軍の支持者だった弟をイギリスに逃した。もし弟(王太子)が王なら軍を使って大弾圧していただろうと思われる。ひらめ王は、結局自由主義内閣を発足させる。しかし立憲君主制か共和制かで揉め、国民の間に革命への倦怠感が蔓延し、オーストリアで革命を抑え込んだのを覧て、軍をベルリンに戻し議会を解散した。プロイセンはうまく抑えたわけだ。しかし、他のドイツ各地の領邦の革命派はフランクフルト国民議会を開き「ドイツ帝国憲法」を可決、プロイセンのもとでオーストラリアを除外しドイツ統一をひらめ王に謁見して要請した。だが、王権神授説的なひらめ王は、国民の同意ではなく各君主の同意でなければ受ける気はなかった。帝冠を「豚の王冠」と呼んだくらいである。一時は、オーストリアやバイエルンなどを除いた「ドイツ連盟」を結成したが、ハプスブルグ家とロシアに睨まれ撤回した。失意のひらめ王はクリミア戦争にも中立を守り、4年間病に臥せって死去した。

兄のひらめ王の後を継いだのは、1歳年下の弟・ヴィルヘルム1世。で、61歳で摂政。もうすぐ64歳になる1861年ようやく戴冠。数カ月後、バーデンバーデンで暗殺未遂事件が起こる。「ヴィルヘルム1世ではドイツ統一はできない」という理由で、弾は首筋をかすっただけだった。王権神授説を信ずる彼は神の思し召しだと自信をつけた。ここに、プロイセン最大のスーパースターが登場する。鉄血宰相・ビスマルクである。

大晴天の卒業式

学園の106期生の卒業式。立派な「小寺(校祖の名を取っている)ホール」にて挙行されました。大晴天の一日。久しぶりに3年生の顔を見て大満足。小論文などの個人的指導で関わった生徒たちも、職員室に来てくれて、ありがたいかぎり。心配していた超難関私大・W大を受験していた生徒とも合格を祝う握手ができました。

本来なら、今頃は梅田に向かい、八幡浜行の夜行バスに乗るところですが、断腸の思いで断念しました。卒業式のハシゴが出来ず残念です。三崎高校の卒業生、ごめんね…。

2023年2月27日月曜日

第4代・第5代のプロイセン王

https://mainichi.jp/articles/20161221/k00/00e/030/279000c
「プロイセン王家12の物語」の書評第3回目である。第4代、第5代のプロイセン王、フリードリヒ・ヴェルヘルム2世と、同3世について。

フリードリヒ・ヴェルヘルム2世はの父は、大王の父・兵隊王からも兄の大王以上に期待された人物であった。しかし、病没してしまう。その嫡子であるこの第4代の王(大王の甥にあたる)は、大王とは正反対で、美女好きの漁色家であった。しかし11年の治世では意外に頑張っている。公文書をドイツ語にしたのは大王だが、本人はフランス語を使い、アカデミーの会員は全員フランス人だった。第4代は、そこに風穴をあけたのである。ドイツ人をアカデミー会員に任命し、劇場も脱フランス化し、ベルリンをドイツロマン主義の中心地に変えていった。音楽でもモーツァルトやベートーヴェンもプロイセンにやって来ている。(多くの愛人関連で)浪費家であったが、国内道路の拡張や運河建設、そしてブランデンブルク門の建造など価値ある仕事をしている。外交では、フランス革命の際に、オーストリアと組んで「ピルニッツ宣言」(革命を否定し王政復古を促す宣言)をして、結果的にルイ16世と妃の処刑を促進してしまうことになったし、さらにはナポレオンの侵略に繋がったが、一方で、ポーランドの第2次分割、第3次分割に成功しており、大幅に領土を拡大した。

第5代のフリードリヒ・ヴェルヘルム3世は、父を反面教師として、愛妻のルイーゼ妃一筋に慈しんだ。彼のあだ名は「不定詞王」。主語抜きの言葉足らずだったことに由来する。ルイーゼ妃はこの王を様々に補佐した。不定詞王は平和主義者で、ナポレオンが動き始めた時、プロイセンは中立を守っていたのだが、ドイツ西南の領邦国家のうち100以上がナポレオンにより解体され、ライン同盟としてフランスの保護国化された。1806年神聖ローマ帝国が消滅。一応フランスと同盟を結んではいたが、ついにプロイセンは、宣戦布告する。しかし、たった1日、2か所の戦いであっという間に撃破された。不定詞王は東プロイセンに逃れたが、ブランデンブルク門の上部に飾られていた勝利の女神は略奪された。ロシアも破れ、東プロイセンで粘ったものの結局屈辱的な条約を結ばされた。ルイーゼ妃はジョセフィーヌに嘆願したり、直接ナポレオンに直訴し、「プロイセンの女豹」とナポレオンに言わしめ、ホーエルンツォレルン家の支配を護った。占領下のプロイセンは緊縮財政で、重税を課さざるを得なかったが、フランス革命の影響は少なかった。王室は質素で禁欲的だったこともあるし、新興国故に国民一体となって勤勉だったからである。その代わり民族意識が高まっていく。

占領5年後、ナポレオンはロシア遠征時に同盟を強要してきた。もうこの時、頼りのルイーゼ妃は病没している。迷いに迷った不定詞王は。同盟を受け入れつつ、将軍の進言を受けて、密かにロシアとも同盟を結びナポレオンを裏切る。しかし見事に玉砕した。2度も裏切ったわけだ。ただでは済まない。ここで、かの有名なオーストリアのメッテルニッヒ外相が仲裁に入る。(彼はナポレオンに皇女メリー・ルイーズを差し出したので親しい。)シュレージエンをオーストリアに戻してよいとナポレオンに言われ、プロイセンは風前の灯となるのだが、メッテルニッヒはナポレオンの敵に回ることを決断した。ちょうどうまいことに、ロシアでナポレオンは敗走し、一気に力を失い、流島されてしまう。こうして滅亡を免れたプロイセンは、ブランデンブルグ門の勝利の女神像を取り返し、女神の杖に鉄十字の杖を新たに付け加えたのだった。(画像参照)しかし、ウィーン会議後のプロイセンの領土は縮小した。おまけにフランスとの国境警備役(戦勝列強は誰も欲しがらなかった)を押し付けられる。ラインラントが新たな領土になった。しかし、ここは後に良質の石炭の宝庫=ルール炭田が発見され、現在のドイツの心臓部・ルール工業地帯となる。不定詞王は意外に運が強い人だったかもしれない。2度の国家滅亡の危機を他力で乗り越え、臣下にも恵まれた。彼らの改革政策でギルドを廃止し自由商業を進め、経済復興していく。軍略も見直され、貴族だけでなく一般市民に将校職が開放された。クラウンゼッツやフィヒテなども登場し文化面でも大いに発展する。69歳で没した不定詞王の後継ぎは、愛するルイーゼ妃の生んだ長男・第6代国王のフリードリヒ・ヴェルヘルム4世。4世には、嫡男がいなかったのでその後を継いだ弟のヴェルヘルム1世(後の第7代国王から初代ドイツ皇帝)である。

2023年2月26日日曜日

フリードリヒ大王のこと

https://www.y-history.net/a
ppendix/wh1001-115.html
「プロイセン王家12の物語」の書評第2回目である。18世紀のヨーロッパは、絶対君主が啓蒙思想を身に纏おうとした時代である。フリードリヒ2世(大王)はその理想とされる。山川出版の世界史Bの教科書にも1ページ以上使って詳しく記載されている。その教科書に書かれていないことを中心にエントリーしておこうと思う。

フリードリヒ2世は、父王である兵隊王に「笛吹きフリッツ」と罵られていたばかりか虐待を受けていた。教養あふれる息子に自分の無教養を軽蔑されていると感じていたようだ。それと王太子が、女性になんの関心も示さないことであったことも大きかった。18歳になったころ、数学と建築学を共に家庭教師に学び、フルート仲間でもあったカッテ少尉とイギリスに亡命しようとしたことがある。すぐ捕まえられ、王太子の眼前でカッツは斬首され、王太子は失神したといわれている。廃嫡の危機を母とハプスブルグ家のカール6世に救われ、カッツの遺言を読み、それにしたがい、父と和解し恭順、父の死まで10年間雌伏した。

1740年、28歳で戴冠。すぐ拷問と検閲の廃止、オペラ座建設、貧民対策、アカデミーの復活などの啓蒙主義的制作を打ち出す。周辺国は文人だと軽く覧ていたが、意外なことに軍備を拡張する。この半年後、オーストリアのカール6世が突然逝去した。生前から、男児がない故に娘のマリア・テレジアに継がせることを予め各国の了承を取っていた。フリードリヒ2世は宣戦布告もなしに、チェコの北側、現在はポーランドの南西部であるシュレージェン(ポーランド語ではシロンスク。ヨーロッパ有数の炭田がある。)へ攻め込んだ。これをきっかけに、フランス・スペイン・イギリス・ザクセン・バイエルンなどが介入し、8年に及ぶオーストリア継承戦争が始まる。フリードリヒ2世の言い分は、シュレージェンは、かつてドイツ諸侯が統治していた地で、ホーエンツォレルン家の領土もあった。だから、マリア・テレジアの継承を認める代わりに割譲することを要求してきた。住民のほとんどはプロテスタントであり、カトリックに迫害されておりプロイセンに救いを求めている、というものであった。

フリードリヒ2世の初陣は、途中で戦場から逃げ出さねばならぬほどだったが、自軍の元帥の勝負手で一気に巻き返したという苦いものだった。(モルヴィッツの戦い)その後ショトゥジッツの戦いにも勝利し、こんな手紙を残している。『そんなわけで、私は13ヶ月の間に2度勝利を収めた。数年前には誰も考えもしなかっただろう。哲学を貴君から、修辞学をキケロから、啓蒙思想をベールから学んだ学徒たる私が、いつの日か軍事の分野で世界を動かすことになろうとは。ヨーロッパの政治体制を突き崩し、諸国王の政治的打算を根底から覆すために、神が一個の詩人をお選びになろうとは。』オーストリア継承戦争後、シュレージェンはプロイセンのものとなり、軍服姿が様になった彼は「大王」と呼ばれるようになる。

この戦争中の1745年、フリードリヒ2世は、ポツダムにロココ調の離宮を築き、ヴォルテールを招き、フランス語で会話を楽しんでいた。当時の最大の知性といわれたヴォルテールは3年後に離れるが、彼と対等に議論できる啓蒙君主としての評価を得る。

http://miyata.gotdns.com/Cafe/Germany.htm
フリードリヒ2世が「大王」と完全に認められたのは、7年戦争によってである。オーストリアのマリア・テレジア、フランスの(政治に無関心だった)ルイ15世の寵姫ボンバドゥール女侯爵、ロシアのピョートル大帝の娘エリザヴェータの3人3国が同盟を結び、「3枚のペチコート作戦」で女嫌いの大王に体当たりを食らわしたのである。シュレージェン奪還、ベルリンまで攻め込まれ、いよいよ絶体絶命の時にロシアのエリザヴェータが亡くなり、甥のピョートル3世が即位する。彼の父はドイツ系でフリードリヒ大王のファンであったので、全面撤退を指示した。オーストリア・フランスも戦意を失い、講和条約が結ばれ、シュレージェンは再度プロイセンに戻ってきた。この7年戦争に勝った、というよりは負けなかったといったほうが正しい。ただ、戦地から戻った大王は51歳ながら真っ白な髪になり、フルートも吹けないほど歯も抜け落ちていたという。

その後も大王は74歳まで生きた。マリア・テレジアの長子のヨーゼフ2世も、大王のファンでこっそり会いに来ている。大王は、プロイセンを強国にするには、産業を起こし、国民が一丸となって勤勉に働くことが必要だと知っていた。「王は国民の僕(しもべ)」に徹し、鉄鋼業や絹織物業などを順調に成長させる。それに比して弱体化したポーランドの内紛を利用して、第1次分割で領土も増やした。愛国と誇りの念を国民に残し、国庫を5倍にしての永眠だった。后はいたが、当然子供はなかった。弟が継ぐことを36歳の時点で決めていた。しかし14年後に病死。その大王の甥に当たる息子がフリードリヒ・ヴィルヘルム2世である。

2023年2月25日土曜日

プロイセン王家12の物語

三田の市立図書館で、山本七平の本と共に、中野京子著「プロイセン王家12の物語」と「ブルボン王朝12の物語」を借りてきた。「ハプスブルグ家12の物語」が面白かったので、世界史の教材研究も兼ねて併読している。プロイセン王家は、ホーエンツォレルン家という。(何と呼びにくい名前だ。)有名なのは、何と言ってもフリードリヒ2世(大王)と、鉄血宰相ビスマルクとドイツを統一したヴィルヘルム1世、そしてそれをWWⅠで潰したヴィルヘルムⅡ世であるが、今日のところは、フリードリヒ2世くらいまでの「学び」をエントリーしようかと思う。

ホーエルンツォレルン家は、そもそもプロイセンが本拠地ではなくドイツ最南西部の豪族であった。そのホーエンツォレルン山の山頂に今は世界遺産となった城がある。画像で見るとなかなか美しい。(この城は32度破壊され、19世紀にフリードリヒ・ヴィルヘルム4世が再建したもの。すでにプロイセンを拠点にして数世紀たっていた。)

さて、ホーエンツォレルン家がプロイセンに拠点を築いたのは、意外にも「ドイツ騎士団」絡みであった。多神教だった古プロイセン人を追い払い、修道会国家となった。その第37代総長に選挙で選ばれたのがアルブレヒト・ホーエンツォレルン(1510年)。かれが、騎士団領から公国にする。この頃のホーエンツォレルン家は、ブランデンブルク(現在のベルリンを取り囲むポーランドと国教を接する地)まで北上しており、アルブレヒトの祖父はブランデンブルク選帝侯。父は四男で辺境伯、母はポーランド王の娘であった。アルブレヒトは、ルターの宗教改革を利用する。1525年、アルブレヒトはルター派に改宗し、騎士団を解散、神聖ローマ帝国から離れポーランドの傘下に入った。カトリックから見れば暴挙もいいところだが、バックに当時の強国・ポーランドがいたので手が出せない。騎士団も彼に人気があったようで皆ついてきた。善政を行い、公国を豊かにしていった。首都に大学も設立する。ケーニヒスベルク大学。後年カントを輩出する。現在のロシアの飛び地・カリーニングラードである。

初代プロイセン国王は、フリードリヒ1世(フリードリヒ2世・大王の祖父)である。ブランデンブルグ選帝侯にして5代目プロイセン公の父・フリードリヒ・ヴィルヘルムを持つ。人生後半は、お家騒動が起こるがフリードリヒ1世が無事国王となる。彼の妻はハノーヴァー選帝侯の娘で彼女の祖母はイギリス王ジェームズ1世の娘で、兄はジョージ1世となった。またライプニッツのパトロンにもなっている。フリードリヒ1世(当時はまだフリードリヒ3世・ブランデンブルクグ選帝侯&プロイセン公)は、スペイン継承戦争の際、オーストリア・ハプスブルグ家のレオパルド1世(神聖ローマ帝国皇帝でもある)に8000の兵を貸す条件として、プロイセンを王国にして欲しいと頼んだのだ。プロイセンは、神聖ローマ帝国内にはない。ポーランドを宗主国にしていたわけで、レオパルド1世からすれば安いものである。当然ポーランドは西プロイセンを領有している故に激しく反対したが、勝手に王を名乗ったのだった。ところで、初代の王は首都の外観を飾り立て、国庫をほぼ殻にして病没した。

第2代国王は、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世。ちなみに9代まで、フリードリヒとヴィルヘルムの片方、もしくは合わせた名前で実にややこしい。(笑)兵隊王の異名を持つ。財政改革せざるを得なかった第2代は、宮廷費削減、無用な華美のものは売り払い、宮殿のバロック庭園も練兵場にした。同時に国力を上げるため、移民を募る。当時フランスはルイ14世の時代。弾圧されていたユグノーが来てくれた。プロイセンは、ルター派で、少なくともプロテスタントである。それ以前からも移民が入っていたのも功を奏した。優遇されたユグノー移民は経済的文化的に大貢献することになる。さて、二代目は、国庫に金が貯まると軍備につぎ込んだ。富国の次は強兵である。300万の人口で、10万の常備兵を持った。しかも、国全体に軍人的価値観を押し付けた。法と秩序、質実剛健、自己鍛錬、職務遂行。周辺国は脅威に感じたが、意外にドイツ人の気質的にはあっていたのかもしれない。全国規模の就学義務令なども後の国力増強に繋がっている。

この無骨な第2代兵隊王の後継ぎが、読書家でフルートを吹く後のフリードリヒ大王である。今日はここまでとしたい。なかなかプロイセン王家の歴史は波乱万丈で興味深い。

2023年2月24日金曜日

「男の美学」

https://information-station.xyz/6909.html
新カント学派が広めた語彙に「真善美」というのがある。以前勤務していたI工業高校の校歌にも登場する。♪くめども尽きぬ真善美~。学問的科学的な真理、倫理的な善、そして美。古代では、善と美は組み合わさっていたのだが、カントが判断力批判で美を分離し、考察した故である。

I工業高校の我がクラスの卒業写真集のクラスページには、「男の美学」というタイトルを入れた。(こう書くとジェンダーに引っかかりそうだが、当時我がクラスは男子のみだったので…。当然女の美学もあると思う。)各人の写真のコラージュと自分の美学を四字熟語で表現したものを合わせたのだ。まあ、「焼肉定食」といった関西的なボケで自分を表現した生徒もいたが…。(笑)

私は、こういう自分の美学を大切にしたいと思っている。今回久しぶりにそういう場面した。3月1日に三崎高校の卒業式があって、出席する準備をしてきた。伊予鉄バスの予約もしていたのだが、ある事情から断念、今日予約を解約した。とやかく言わないのが私の美学である。愚痴は全てを殺す。何より美しくない。飲み込んでしまうのが美学である。

これは総括的人生論にとっても重要なことであると私は思う。自分らしく生きるというのは、そういう譲れない美学を持つことかもしれない。

2023年2月23日木曜日

映画「HOKUSAI」を見る。

https://movies.yahoo.
co.jp/movie/369382/
マレーシアで「シン・ゴジラ」を見に行って以来のことである。

映画「HOKUSAI」を見てきた。妻が枚方市立図書館でポスターを見て行こうと言い出したのだ。妻は北斎が大好きで、しかも主演の舞踏家のファンである。枚方市駅の近くの関西医大のホールで今日だけ上映、入場料は1000円。高齢者を中心に1200席が満席だった。

物語は、浮世絵の版元の蔦屋が手入れを受ける場面からショッキングに始まる。町人文化への弾圧である。歌麿や写楽を世に出した蔦屋が、見込んでいたのが後の北斎である。青年期の北斎の芸術家としての葛藤をリアルに描いている。暗闇の中のライティングの演出がいい。この演出は最後まで俊逸である。壁を乗り越えた北斎は、富嶽三十六景へとたどり着く。一方、弾圧は続き、自分の表現したいことを表現できないことへの鬱勃としたパトスを北斎や仲間の武家の作家は抱いているが、ついに武家の作家はその犠牲となってしまう。彼の死を絵で表現せざるをえない北斎。江戸を離れ、昔の弟子のもとで、思いをぶつける作品を完成させる、というのが大まかなストーリーである。

表現の自由は、権力者からは実に厄介なものなのであろう。この「HOKUSAI」において描かれたテーマは、現在でも全く同様である。

2023年2月22日水曜日

新START履行停止

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230221/k10013987151000.html
プーチン大統領が議会演説で新START履行停止を宣言した。条約からの脱退ではないそうだ。戦略的な一連のブラフである、と私は見るが…。当然ながら、メディアは相変わらずの悪者扱いである。実は、この米露の核削減交渉は、毎回授業でやっていてイヤになるほどいい加減なものだ。結局のところ、腹のさぐりあいで、ずっと昔から大した成果がない。

それよりも、メディアで発表されていない内容が気になる。イランに加えて、インド、パキスタンとの連携をプーチンは最後に語ったようだ。もし、イスラエルがイランと本格的に争うことになれば、かなり拡大するおそれが出てきた。

ポーランドに到着したエアフォース2から、階段でずっこけるような大統領を頭に持つアメリカ大統領で、本当に西側は大丈夫なのか。そんなことも考えてしまう昨今である。

2023年2月21日火曜日

「山本七平の思想」を読む。

司馬遼の「十一番目の志士」(上下)を市立図書館に返却して、新たに3冊の新書を借りてきた。その内の1冊は、「山本七平の思想」(東谷暁/講談社現代新書)である。山本七平=イザヤ・ベンダサンの毀誉褒貶は、ずっと耳にしてきた(というか目にしてきた)。改めて、その思想を確認してみようかという気になったのだ。

今日のところは、通勤の帰路に読んだだけなので、60ページくらいしかまだ読んでいないのだが、「日本人とユダヤ人」は、霞が関で最初売れだしたことがわかった。外務省から通産省へと広がっていったらしい。1970年という、安保反対の空気が緩み、大阪万博が開催され、三島が割腹自殺した年。絶好のタイミングでの日本文化論だったのだろう。有名な「日本人は空気でものごとを決めてしまう」「日本人は水と安全は無料だと思っている」といった指摘が実に新鮮だったようだ。

ここで、現在の国際情勢と日本について考えたい。実に世界中の、そして日本国内の「空気」が淀んでいると私は思っている。ネット民の間では、かなりの危機感が高まっている。ウクライナには、もはや勝ち目がないという見方が一般的だ。相変わらずマスメディアは信用出来ないので確証はないが、NATO諸国の団結はかなり緩んでいるようで厭戦気分が高まっている。まあ、イギリスとポーランドは元気だが…。肝心のアメリカ国内でも、不審な火災、停電、鉄道事故が毎日頻発しており、不安が高まっている。イスラエルとイランも互いにドローンで攻撃しあっているが、アメリカがイスラエルに組みするか否かが焦点で、そもそも経済支援を頼んだのにイスラエルとともに戦争に参加せよとIMFに脅されているエジプトは苦慮している。これを覇道と言わず何と言うのか、と私は思う。日本は、アメリカに言われるままに莫大なウクライナ支援金を首相が決めたらしい。日本はやはりアメリカの州、いや以下の植民地なのかと思わざるを得ない。現首相は映画シン・ゴジラに登場する空気頭の首相そのものを演じている。

TV離れ、新聞離れが進んでいるようだ。今、日本の「空気」は、嘘を嘘として感じているように思う。アメリカも、中国も信ずるに足りる存在では全くない。さすがに、未だに安全は無料だと思っている人の頭の中はお花畑だとしか思えない。そんな淀んだ「空気」を感じるのである。本書の書評は、以後少しずつ書いていくつもりである。

2023年2月20日月曜日

司馬遼 十一番目の志士

市立図書館で借りた司馬遼の「十一番目の志士」を読み終えた。最初は、事実を元にした歴史小説だと思っていたが、完全なるフィクションである。宮本武蔵の流れを引く農民出身の剣豪・天童普助が高杉晋作と邂逅し、長州の暗殺者になっていくという話である。調べてみると週刊文春の連載小説だったようだ。

しかし、改めて思うに司馬遼の文章は何故こんなに読みやすく、また引き込まれてしまうのだろう、と思う。上下巻あるのだが、あっという間に時間が過ぎ去る。通勤時に読んだのだが、眠気も吹っ飛んで埋没してしまったのだった。

内容は幕末の蛤御門の変以降、全国的に長州の人間がお尋ね者となった時代を背景としている。あれもこれもというほど幕末の有名人が登場するが、エンターテーメント小説とわりきった。底流に流れるテーマとしては、奇兵隊という非武士的な軍隊に係わる国民国家の礎という視点が見え隠れするところもあったが、教材研究という視点では、ほとんど何の役にもたたなかった。とはいえ、長距離通勤の友としては最高だった。(笑)

2023年2月19日日曜日

レンブラントとゲーテの時代

https://ameblo.jp/kaigafan/
 F君からメールで首都圏の超難関国立大学の世界史の過去問の質問がきた。文化史である。資料(絵画と文章)を参考に、「”レンブラントの時代”、”ゲーテの時代”の文化的特性を当該地域の社会的コンテクストを対比しつつ答える問題」だった。

レンブラントは、1606年生誕、1669年没。オランダがスペインから独立する寸前に生を受けている。この頃は、オランダが東インド会社を設立(1602年)してアジアに進出、ポルトガルを排除して香辛料貿易の実験を握った羽振りのいい時である。さらにアンボイナ事件でインドネシアからイギリスを締め出し、ケープ植民地を得たのもこの時代。だが、1652年(~54年)の英蘭戦争で敗北したオランダは。覇権を失い不況に陥っていく。資料となっている絵は、「織物商組合の幹部たち」(描かれたのは1662年)という集団肖像画で、テーブル上の書物を見ていた書物を見ていた各人が不意に部屋に入ってきた者に目を向けた瞬間。幹部たちの威厳を強調している。この「威厳」と(侵入者への)「逡巡」こそ、この当時のオランダの社会的コンテクストだと言えるだろう。レンブラントは、このオランダの躍進と失墜の中、まさに名声を得ながら、浪費を重ね最後には無一文となった画家である。

ゲーテは、1749年生誕、1832年没。ゲーテは自由帝国都市であったフランクフルトに生まれ、25歳で「若きウェルテルの悩み」を書き、ヨーロッパ中に名を轟かせた。1775年ワイマール公国に招かれる。1789年から始まったフランス革命、1792年のフランスのドイツへの宣戦布告にワイマール公国の公爵とともに参加、敗戦している。1808年、ナポレオンの号令でヨーロッパ諸侯が集められた時、ワイマール公爵と共に参加。若きウェルテルの悩みの愛読者であったナポレオンに「ここに人あり」と感動された。ゲーテは、フランス革命に対しては、保守的な反応を示した。今回の資料(ゲーテ/詩と真実)には、「フランス文学自体に、努力する青年を引き付けるよりは反発させずには置かないような性質があった。」等の記述があり、反フランス的な内容があるので、フランス革命・ナポレオン時代という歴史的背景と、疾風怒涛(Sturm und Drang)というゲーテらの革新的文学運動が主題となる。ちなみに18世紀のフランス文学は、啓蒙主義的な理性の勝利を主題にしたものが主流で、ヴォルテール、ルソー、ディドロ、モンテスキューなどが挙げられる。

…要するに、レンブラントの時代とは、オランダがスペインから独立し、アジアに進出し栄華を誇ったのだが、イギリスに実権を奪われ没落する時代であり、ゲーテの時代とは、フランス革命・ナポレオンにドイツが席巻された時代である。しかしながら文学面では、若きウェルテルの悩みがヨーロッパの青年を魅了(ナポレオンさえも、である)した時代であるわけだ。

…いやあ、難しい。もしかしたら、感でこの時代と類推できるかもしれないが、ある意味、東大の世界史より難問かもしれない。まあ、並び称される難関大学なので当然かとは思うけれど…。これにすっと応えられる現役高校生って、反対に恐ろしい。(笑)

境涯ということ。

アイオワ州デモイン州議会堂前でM高校2Cのクラス 
病気で参加できなかったI君の名を記した手ぬぐいと共に
総論的人生観の続きをエントリーする。昨日は、人生とは修行であると記した。その目指すべきところは、孟子を使って”浩然の気”という表現をしたが、まあ当たらずと言えど遠からずであると私は思う。母親の葬儀の時、学生時代に「育てて」もらった先輩が駆けつけてくれた。その時、息子は大学生であったと思うが、「凄い人だ。」と直感したらしい。後で、もっと話を聞きたかったと妻に言っていたそうだ。浩然の気”は、こういう感覚である。

ところで、仏教では「境涯」という語彙がある。良い境涯とは、経済的に恵まれ、何不自由なく対応できる場合によく使われる。仏典に登場する「長者」という感じだろうか。だが、本来の意味で考えると、他者とどれくらい同苦できるか、という菩薩道的なものである。ベンサムの快楽精算ではないが、何人の他者(これには両親や兄弟なども含む)と同苦できるかという人数で計算可能かと思う。私はクラス担任の際は、一人ひとりの成長を祈っていたし、想いを行動に移してきた。それが先輩方に学んだ方程式であった。存外いいクラス運営ができたのは、そういう方程式上にあったからだといえる。

今日の画像は、M高校でのアメリカ研修旅行での写真。病気で参加できなかったI君への想いを常に胸にしての旅だった。だからこそ、卒業時に男子を中心にI君と北陸方面に修学旅行をしたし、浪人組が、奈良教育大や横浜市立大などに合格した後、浪人祝勝会をした。今も彼らと共にあるという実感がある。

この境涯が無限大に拡大する時、仏陀になるのだと思うが、私などは修行がまだまだなので、どうしても私の境涯に入ってこない人間(生徒ではない。)もいた。これは事実である。だからこそ人生は修行なのだと思う次第。

2023年2月18日土曜日

人生は修行であると思う。

https://www.linescafe.com/quotes/peoples/jean-paul-sartre/
総論的な、私の人生についての考えを引き続きエントリーしたいと思う。倫理の教師としては、やはりサルトルの「実存は本質に先立つ」というのが、最もしっくりくる、人間は、自己の本質を作っていかざるを得ない。「人間は自由の刑に処せられている」故に、自分でその本質とはなにかを決めなければならないし、努力をする必要がある、と思う。

私の場合、紆余曲折があったが、(自分にとって理想とする)教育者という本質を作っていくという「志」を立て、そのために、努力してきたつもりである。そして今も努力を続けている、と思っている。よって、人生は修行であるというテーゼに行き着く。
昨日記したように、私はブディストなので、煩悩の存在も、縁起による空の存在論も、唯識と如来蔵も信じている。一切衆生悉有仏性:自己の内部に存在する仏(仏界とか仏性とか様々な名称が有るが)の大乗仏教のテーゼを信じている。さすがに、仏陀になるための修行が人生だなどとは、比丘(出家した男性)ではなく、優婆塞(在家の男性)なので、”よういわん”(大阪弁でそんなことは言えない)のだが、日常の中で、生徒に孟子の言葉を借りれば「浩然の気」を発し続けていきたいと思っている。

人生は修行である。だから先輩諸氏に、「育てて」もらった日々が重要なのである。育ててもらったからこそ後継を「育てていける」と思っている。昨日は、序文・正宗分、流通分をもとに振り返ったが、修行=育ててもらっていたのは、序分の時期だけではない。今もそういう局面がある。傲慢を何よりの戒めとして育てられてきた私には、そういうスタンスが根っこにある。これは実にありがたいことである。自己のアイデンティティを確立したと思えた後も、修行に励めるからだ。教育者にとって、なによりも重要な資質であると信じている。

2023年2月17日金曜日

続々・良き時代の目撃者

正宗分のM高校3年担任時 ALTと
ブディストである私は、貪瞋痴の三毒に代表される煩悩を「滅する」などという十二縁起は、現実的ではないと思っている。特に貪りは、向上のための薪である。いい大学に行きたいから学力を上げるのだし、試合に勝ちたいから練習するのであって、「煩悩即菩提」の大乗仏教的テーゼが正しいと信じている。

今日も総論的な私の人生観を記しておきたい。高校時代の私などは、どんでもない奴だった。(笑)まさに疾風怒濤の青春時代であったわけだ。それが、大学に行ってから、多くの凄い先輩に「育て」られた。心底リスペクトできる先輩方であった。読書の習慣も同志社の先輩に鍛えられた。傲慢の戒めも立命館の先輩に鍛えられた。人情の機微の重要性もそうだ。あの先輩方がいなかったら、確実に今の私はない。まさに修行の時代、「育てられた」時代だった。

極めてラッキーなことに、現役で大阪市の高校教員の試験(後で知ったが100倍の難関)にパスした。ただその後が大変だった。教材研究に暗中模索で取り組むことになる。同時に、商業高校は若手のいい先生方が多く、教師としての資質を鍛えていただいた。よく怒られたし、心配していただいたし、熱い激励も受けた。ところが意外にクラス経営がうまくいって、望外の評価も頂いた。硬軟交えて「育てていただいた」のだった。

ところで、仏典のカテゴリーに、序文、正宗分、流通分というのがある。序文とは、前段階的な記載であり、正宗分は、その中心命題を語る記載部分、流通分とは、その命題を広める記載の部分である。私の人生の基礎的な人格形成の序分は、この大学時代と7年間の商業高校時代だと思っている。

教師は、自分の得意分野を伸ばす必要がある。運動が苦手な私は部活より、生徒会などのイベント運営の能力を伸ばすことが多かった。クラスなどでのミュージカルの制作やキャンプファイヤーなどの企画・運営である。失敗を重ねながら自分を鍛え、イベントで生徒を育てていったものだ。このイベントで育てるという教育実践は、その後も私のライフワークになっていく。

当然だが、次の工業高校時代の15年間に入ってすぐ正宗分に入ったわけではなく、その重なり合う時期もある。ただ、イベント運営などに関しては、工業高校時代から正宗分が始まっている気がする。何年も続けて文化祭の企画をさせていただき、イベントで生徒を育てている、という評価をいただいたからだ。イベントの成功は、すべて関わる生徒の成長で決まる。大学時代に先輩方から学んだ奥義であった。

進学校だったM高校では、イベントとともに、昨日エントリーしたM君らに始まる国際理解教育に強く関わった時期である。工業高校時代から始まったアメリカ研究にアフリカ研究が加わり、様々な知を求めた次期でもあるし、受験教育の分野にも携わり、社会科教師としての見識も飛躍的に伸ばした時期であったし、学校運営にも深く関わり中堅からベテランへの階段を登っていった時期でもある。まさに正宗分の9年間だった。

そういう視点で見ると、H高校の5年間は流通分だった気がする。これまでに蓄えたものをすべて出して、3年間の担任時は、毎年これ以上のクラスは作れないというほど充実したものになった。イベントで育てあげた卒業生を送り出した後は実に大きな空白が訪れた。マレーシアに飛ぶことになるのは、そういう新たな挑戦を欲していたからだと思う。マレーシアでの3年半は実に刺激的だったが、これまでの見識・経験を活かした、やはり流通分であったと思う。

四国での公営塾では、塾長という立場になった。若い講師陣をまとめる上で、彼らを「育てる」という言葉を発した時に反発を受けた。「私たちは生徒ではありません。」そりゃそうだと矛を収めたが、時代の大きな変化を感じた。その後彼らが、この「育てる」という言葉についてどう考えているのかはわからない。後に気づき納得していたかもしれないし、死語のように今も感じているのかもしれない。

ただ、私自身が良き時代の目撃者であることに改めて気付かされた、まさに分水嶺だったと思っている。

2023年2月16日木曜日

続・良き時代の目撃者

今はなきJICA大阪国際センター
https://ja.foursquare.com/v/jica%E5%A4%A7%E9%98%AA-%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%94%E5%8A%9B%E6%A9%9F%E6%A7%8B-%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E3%82%BB%
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2年生の授業2コマの合間合間に、計3時間ほど、3年生に首都圏の超難関国立大学の世界史の受験対策をやって、充実した1日だったなあと、メールBOXを開けたら、M高校時代の教え子から「トルコ地震の緊急援助隊で出動しています。」という実に嬉しい連絡があった。

彼は、大阪市立M高校時代の最初の教え子(赴任当時2年生)である。当時、JICA大阪で高校生セミナーが開催されていて、最初に連れて行った第一期生である。以来数え切れないほど高校生セミナーに参加して常連となったのだが、この第一期のセミナーは特に思い出が深い。当時の川口順子外務大臣が視察に来られたし、パラグアイのアスンシオンから来た女性消防士さんとの会話や、難民のワークショップや本格的なディベート大会など、2泊3日の充実したプログラムだった。そのJICA大阪は、今はない。これも、昨日記した良き時代の目撃者の人生の1コマである。

彼は、その後、JICA大阪での学びから国際協力士をめざして理学療法士となり、ドミニカ共和国にJOCVとして派遣された。またモザンビークのサイクロン被害時にも緊急援助隊として派遣された実績がある。今回のトルコ地震でも、行くことになるのではないかと私は思っていたのである。

こうして、私の志を受けて、国際協力の世界で頑張ってくれている教え子がいることは、私の教師生活の誇りである。様々な道に進んだ教え子がいるので、序列などつけることは必要ないし、それぞれ尊い。とはいえ、心から嬉しく思っている。早速返信した。「がんばってください。そしてくれぐれも気をつけて。」

2023年2月15日水曜日

良き時代の目撃者

https://okaya-mob.muragon.com/entry/702.html
THE ALFEEの「友よ人生を語る前に」という応援歌を聴いていて、ふと想った。もうそろそろ私も人生を語ってもいい頃だ、と。以前、「評伝 KATABIRANOTSUJI」というエントリーを7回にわたって綴った。今回は、総論的に記してみたいとふと思ったのだ。私は昭和33年(1958年)の3月生まれである。団塊の世代のベビーブームが去って、出生率の谷間に位置する年代である。しかも高度経済成長とともにあった。

ふと思い出すのは、小学校1年生の時。(第1回めの)東京オリンピックがあった年である。教室には石炭ストーブがあって、上級生が石炭を焚べに来てくれていた。それが2年生からガスストーブに変わった。時代の移り変わりを敏感に感じた最初の出来事だったように思う。

石炭ストーブに纏わるような時代の変化の目撃者的なスタンスこそが、私の人生であったような気がする。THE ALFEEのの歌に出てくる1969・学生運動の残り香は、高校時代にもあったし、大学でもあった。高校では、そういう学生運動の流れの中で、制服が廃止になっていた。(私達が卒業後に復活したが、我々は制服の存在を知っていた。)大学では、一回生の時に移転に対する反対運動があって、結局二回生時に移転した。古い校舎を私は知っている。こういう変化の目撃者的スタンスが、教師になった後も私の人生について回っているのである。

商業高校では、最初の担任時には、まだまだ求人が多かった。普通の成績の子で、それなりに名のしれた市中銀行に就職できた。トップクラスになると東証一部上場企業だった。ところが、その後、商業高校の商品価値が一気に下落していく。良き時代の目撃者であったわけだ。工業高校では、転勤1年目に古い体育館が建て替えられ、構内の様子が一変した。ここでも最初の担任時は就職もびっくりするほど良かった。しかし二回目は目も当てられなかった。ここでも良き時代の目撃者になった。進学校のM高校でも同様で、それまで大阪外大にかなり多くが進学していたのだが、阪大外国学部になって一気に減少した。私の担任の学年はまだ良かったが、その後みるみる厳しくなっていった。ここでも良き時代の目撃者となっってしまった。体育科のあるH高校でも、部活でインターハイなどにたくさん出場していた。しかし、(かのS高校事件以来)体育の先生方の転勤が進み、若い講師陣が増え、一気に厳しくなった。ここでも良き時代を知る目撃者になってしまったのだった。

マレーシアのPBTでも、この良き時代の目撃者であることが続く。私が担任した時代、私費生の学生をいい日本の大学にどんどん送り出すことができたが、(HPを見ると)コロナ禍によって、だいぶ落ち込んだようだ。三崎高校でも、私が行ったころは、3学年3クラスの超小規模校だった。これが良き時代とは言えないと思うが、現在は全学年2クラスで、躍進の目撃者となった。

さて、今の学園にあって、良き時代の目撃者にはなりたくないと思っている。私大入試が終わり、国公立大学の前期試験が始まった。頑張れ。3年生。三崎高校の時のような躍進の目撃者になりたいものだ。

2023年2月14日火曜日

トルコ大地震と災害救助犬

https://news.yahoo.co.jp/articles/924331d4714c0d19b837afcdea74ac680e34b20e
トルコ南部の大地震の被害者数がどんどん上がっている。全くやりきれない思いである。さて、そのトルコに、日本から災害救助犬の派遣が行われている。これまでの実績からも実に有効な支援であると思うのだが、イスラム圏では、犬は不浄な動物とされている。文化的な摩擦が起こっていなければよいがと私などは考えている。

犬が不浄というのは、唾液の問題らしい。また狂犬病の危険もあるだろう。これはシャリーア(イスラム法)の第二の法源であるハディース(ムハンマドの言行録)によるところが大きい。ムハンマドは、猫が大好きで、法衣の上で寝ている愛猫を起こさないよう、その部分だけ切り取って着たという話があるほど大事にしていたのだが、その反動か犬をタブー視している。マレーシアでは、犬の散歩をしているマレー系の人々を見たことはない。だいたいが中華系の人々である。

トルコは、マレーシアとは法学派が違うし、嫌犬観がどれほどかはわからないが、災害救助犬関係の方々が苦労されているのではないかと思う。こういうイスラム教の常識は、日本人一般に普及していないからだ。しかし、災害救助には不可欠なスキルであるし、親日国トルコ故に、寛容に接してくれているかもしれない。そうあることを祈るばかりである。画像を探していると、メキシコなど他国も救助犬を派遣しているようで、少し安心した。頑張れ、災害救助犬。

2023年2月12日日曜日

総理各国事務衙門

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%A
D%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%B8%96%E7%95%8C
%E5%8F%B2B/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B
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朝から、首都圏の超難関国立大学の世界史の質問にメールで答えた。清朝の「総理各国事務衙門」の歴史的意義についての内容だった。それまでの清朝の朝貢貿易体制から、対等な帝国主義列強との外交を司るためのシステムであるが、結局対応はうまく行かず、さらに半植民地化されてしまう結果になった。

もう少し詳しく言うと、この総理各国事務衙門、天津条約を一向に批准しない清政府に列強が業を煮やし北京を制圧、北京条約を結ばせた後、外務省にあたるもの=総理各国事務衙門を成立させたのが始まり。恭親王が主導しているうちは良かったが西太后によって排斥され、李鴻章が北洋通称大臣となると、天津港の全権をもつ彼に権力が移行していき、李鴻章が事実上の外務省となる。義和団の乱後に廃止されている。

こういう難解な問題に接するのは実に勉強になる。また、こういう質問に関わるエントリーもしていこうかなと思う次第。

2023年2月11日土曜日

クルアーン第6章

ふと、気になったことがある。イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教を批判するカタチで生まれている。よって、この啓典の民の伝統を十分に活かしている。もちろん、イスラム教の側からすれば、両宗教と同じ神を信仰しているわけで、預言者についても、アダムやノア、アブラハム、イサク以降の族長、モーセ、ダヴィデ王やソロモン王、ヨブ記のヨブ、洗礼者ヨハネやイエスも認められている。ただ、彼らは神の理想とするようなような共同体をつくることができなかった故に、最後の預言者ムハンマドが選ばれたとなっている。

このことは、昔々、まだ倫理の教科書や資料集には、イスラム教の学習範囲がすこぶる小さかった時代から教えてきた。ある宗教学の本に、「コーランには次のようにある。」として前述の預言者の名の羅列があって、同様の趣旨が書かれていたのを、教材として使っていた。古い教え子は、私にそう習っているはずだ。

さて、クルアーンのどこにそういう記述があるのか、今になって気になって、手元にあるマレーシアのPBTのF42の教え子たちに贈呈されたクルアーンを調べてみた。といっても全部読むのは辛い。ウィキで調べると、これらの預言者の名が記載されているのは「第6章」らしいとわかったので、そこに絞って一読してみた。すると、私が今までクルアーンの「記述そのもの」だと思っていたのは、あくまで「整理された趣旨である」ことがわかった。あちゃー。嘘ではないにせよ、全く正しいとは言い難い。

マレーシアに3年半もいて、イスラム教をだいぶ勉強したつもりだったが、ホントまだまだである。だが、実際のムスリムの教え子たちと触れ合いながら学んだことは大きい。イスラム教には原罪という概念がないこと、フィクフがあってユダヤ教などに比べて臨機応変であること、ファトワとシャリーアの関係など実に勉強になった気がする。(本日の画像は、教え子たちに贈呈されたクルアーンと全く同じものの画像があったのでお借りした。このクルアーン、非売品のはずなんだけど…。)

2023年2月10日金曜日

資本主義のオルタナティヴ6

https://akki3.com/archives/2546
ブレジンスキーの説いた三段階のレジーム・チェンジの第三段階は、グローバル化である。今回も「世界最終戦争の正体」を参考に、この第三段階・グルーバル化についてエントリーしていきたい。現在では、モノとカネはかなりグローバル化している。最も遅れているのが、ヒトのグローバル化、すなわち移民政策である。ブレジンスキーは国連に移民を扱う機関の設立を提言したという。ブレジンスキーは日本に1000万人、アタリは年間320万人を数年間受け入れる必要があると論じている。結論的に言えば、この移民推進は、国民国家の崩壊を狙ったものであるといえる。

…国民国家の崩壊とは、日本の文化・伝統、もっといえば日本人のアイデンティティの崩壊を意味する。日本は、世界中でも好かれている国の1つである。オリンピックやW杯など様々なイベントで、日本人的なきめの細かい配慮・親切が大好感を持たれている。(日本を嫌っているのは国家的戦略で反日教育が行われている中韓両国くらいといってもいいだろう。)その日本が、大量の移民によって、善さを失うことになるわけだ。ヒトのグローバル化は、モノやカネと違い、国民の幸福観に大きく関係する。日本の住みやすさは、古来からの日本思想・大乗仏教・日本的発展を遂げた朱子学や陽明学の儒教・欧米から学んだ民主主義を中心とした近代思想が多層的に調和した、農耕民族的集団主義・単一民族国家故の独特の「空気」が育んでいる「民度」のおかげだ。この空気が乱れると、住みやすさは一気に崩壊する。世界一と言われる治安も悪化するだろう。私が教えたマレーシア・PBTの教え子たちは、マレー系にせよ中華系にせよ、実に日本的な空気を体得してくれている。ブレジンスキーやアタリの意図は国民国家を消滅させるような移民である。彼らのような日本に順応できる日本にとっても有益な移民ではない。

…すでにその兆候はある。中国共産党の支配下にある本土の中国人によって、日本の土地が習得され、安全保障上の問題が指摘され、電力などの公共インフラを支配しようとしているフシがある。彼らは、自己の利益しか考えない。何度かエントリーしているように、彼らには「義」の概念を喪失してしまっている。この「世界最終戦争の正体」でも中国のそのような面を強く指摘している。

EUに大量に流れ込んだシリア難民を中心に、EUでは様々な摩擦が起こり、移民の目的地・ドイツでも反移民の政策を掲げる政党が力を増している。イギリスのEU脱退もポーランド系移民への反発があったと言われている。アメリカでも、ヒスパニックの増加が選挙の争点になっていた。このようにグローバル化の第三段階は、極めて難しいわけだが、グルーバル資本主義を推進しようとしている勢力にとっては、惻隠の情はない。ただただ、自己の利益を目的に強引に推進しようとしている。

…現在、世界はグローバル資本主義を推進しようとする勢力=グローバリスト(その中心は以前エントリーしたように各国の中央銀行の株主=国際金融資本とその走狗となっている政治家や知識人・マスコミ)と、ナショナリスト(国民国家のアイデンティティを守ろうとする人々)の戦いとなっている。近年の国際的な事件(アラブの春もシリア内戦もウクライナ問題も米大統領選挙の不正等)は、これらの視点で見ると、マスメディアの情報がいかに操作されたものであるかが明らかになる。

…資本主義のオルタナティヴは、グローバル資本主義による、(グローバリストにとって都合の良い)民主化、(グローバリストが儲かる)民営化、そして(そこに住む国民の幸福感を破壊する)国民国家の消滅、さらに(グローバリストにとって都合の良い)世界連邦政府となるのだろうか。

…最後に、先日トルコで発生した大地震に心を痛めている。これから死者の数は増えるばかりだろうし、被災者も大変だ。現地では反アメリカ感情が急激に増加しているという情報もある。今月2日、トルコの内相が反米演説をして4日後に起こった地震。あまりにジャストミートしていないか。(画像参照)NATO問題でグローバリストに牙をむくナショナリスト・エルドアンへのさらなる圧力ではないか、という指摘(選挙戦を不利にさせる狙い)すらある。トルコは、これからどこへ向かうことになるのか、心配である。和歌山のトルコ船難破以来の親日国である。日本からの支援隊の皆さんにも、できる限り頑張ってほしい。

…被災した方々の冥福を心から祈りつつ、連続的にエントリーしてきた「オルタナティヴ」シリーズは今回までとしたい。

久々のナシレマ

マレーシアの定番料理のナシレマが昨夜の夕食だった。私はナシレマが大好き。日本でもわずかながら、特定の店でサンバルソースが手に入る。妻がそれを少しアレンジしてくれている。基本の組み合わせ(チキン+卵+きゅうり+ピーナッツ+小魚)をキープしながらの、日本風、いや日式。

…大変美味しくいただきました。妻に感謝。嗚呼、マレーシアに行きたいね。

2023年2月9日木曜日

THE ALFEEのこと Ⅴ

コツコツとTHE ALFEEの曲をYou Tubeで視聴している。LIVE映像が多いので面白い。高見沢のギターや3人の服装の変化が興味深いし、舞台装置や照明・効果などの変化を楽しめる。THE ALFEEにハマった人をアル中(=アルフィー中毒)と呼ぶらしい。(笑)コンサートに1回でも足を運んだら、絶対アル中になるだろうと容易に推測できる。桜井が道化役となるMCやコントのYou Tubeもあるので知ったが、音楽性とともにその楽しさは倍増されるだろうし、ファンをすごく大事にしているのが伝わってくる。

阪神大震災の時、高見沢は何かできることはないかと考えた末、ファンクラブの名簿を元に、最初のヒット曲「メリアーン」のB面の「ラディカル・ティーンエイジャー」から『涙をふいて立ち上がるのさ 時代をつくれ』という歌詞を手書きして、莫大な数のはがきを送ったそうだ。坂崎、櫻井も手伝い、3人でサインをして送ったという。東北の大震災の時にも、ラジオ番組で激励するとともに、被災した方々への激励の曲「生きよう」を作って、その年のコンサートでは必ず最後に演奏したらしい。もちろん、他地域のツアーでのグッズ販売の売上の一部を中心に赤十字を通じて被災者に贈ったという。
…阪神大震災を間近で体験し、東北大震災の時も直後に秋田に行ったりして肌身で感じてきた私としては、はがきの話も「生きよう」という曲も胸に染み入る。高見沢は、容姿を見れば日本一派手なおっさんであるが、中身はやはり昭和の「漢」なのだと思う。

高見沢といえば、宙吊りになって歌う画像も見た。元気だ。びっくりした。最近のLIVEでは、桜井のあごひげが白くなっているのが顕著だし、坂崎の首も加齢によってだいぶ細くなった気がする。そういう年齢を重ねたが故の良い曲も見つけた。
坂崎が優しい声で歌う、「My Life Goes On」(下記画像参照)がなんといってもいい。「SWINGING GENERATION」もいいし、「Promised love」もこのカテゴリーかな。坂崎の声がこういう曲に実に合う。
桜井の歌う「The 2nd Life-第二の選択-」も実にいい。桜井は人生の応援歌担当のような気がするが、この曲では、高齢者への応援歌を歌っている。同年代の私には、実に染み入る曲ばかりだ。長くなるので断念したが、それぞれの歌詞を書き出したいくらいである。
https://www.youtube.com/watch?v=Wg1Q_sRb5OY&ab_channel=Orb1999
膨大なTHE ALFEEの曲の中で、まだまだ名曲があるのだろうが、第5回めのエントリーでは、あと3曲だけ印象に残ったものを紹介したい。まずは、「ARCADIA」。凄いプログレの曲で、同名のアルバムは、旧約聖書をモチーフにしているらしい。前回のエントリーで最後に彼らの明治学院大学=長老派的なる一面を指摘したけれど、間違いはなかったようだ。さらに、まだ売れていなかった頃の「無言劇」。たった4回で終了してしまったTVドラマの主題歌らしい。(ほんとツイてない。)この曲の詩も凄い。隠れた名曲だと言われているのだが、私も全く同感。そして、最高の「鬱」曲と評されている「メモアール」。これも2枚目のアルバムだというから、まだ売れなくて苦しんでいた頃の作品。とにかく聴いてみて驚いた。離婚がテーマなのだが、リアルなストーリー性のある歌詞で、3人で歌い綴っていく。ここでも最後に”小さな子供の命を壊した「罪」”という言葉が出てくる。

…私の周囲でも、離婚した友人が何人かいる。彼らの顔が浮かんだ。こういう風に離婚という選択がなされていくのかもしれないな、と感じた。私は多くの母子家庭・父子家庭の生徒を見てきた。エディプスの三角形という観点から、成人していない子供がいる場合は離婚という選択こそ罪だと今も思っている。当然ながら、それぞれの事情があるだろうから、一概には言えないと思うが…。そんな奇妙な実感を持たせるほどの衝撃を受けた「メモアール」なのであった。

2023年2月8日水曜日

資本主義のオルタナティヴ5

前述したブレジンスキーの説いた三段階のレジーム・チェンジの第二段階は、民営化である。ジャック・アタリは、市場が唯一の法である世界においては『軍隊・警察・裁判所も含め、すべては民営化される。』と宣言している。今回も「世界最終戦争の正体」を参考に、この第二段階・国家の民営化についてのエントリーしていきたい。

アメリカでは、この民営化が徐々に進んでいる。財政赤字の自治体に代わり、刑務所が民営化され着実に利益を上げているし、軍事分野でも、イラク戦争以来、傭兵組織が動いている。中東の対イスラム過激派組織戦や、ウクライナ東部でも活動している。民営化された戦争はすでに事実になっている。これらは、民主的なコントロールが効かない危険を孕んでいる。宣戦布告すら必要ではない。こういう対テロ戦争がなくならない理由は、民間軍需産業がsの需要を必要としているからで、破綻国家もまた市場なのである。

警察に関しても、民間警備会社、農業も民営化(大規模な企業経営)が進んでいる。特に農業に関しては、利益が出ないと撤退というようなカタチでは、食の安全保障が損なわれてしまう故に政府が補助金行政をしているわけで、実は恐ろしい話なのである。

…さて、以前エントリーしたイランとイスラエルの戦争(聖書のエゼキエル書の予言/12月7日付ブログ参照)が現実味を帯びてきた。イランの軍事施設をイスラエルが、クルド人の協力を得てドローン攻撃したことを、イランだけでなく、アメリカが認めたようだ。しかも、アメリカは、英仏独などと対イラン軍事包囲網を形成しようとしている。それだけならまだしも、ワシントンDCに本部があるIMFが、助けを求めたエジプトに代償としてイランへの軍事的プレゼンスを求めたという情報もある。IMFがこのような指示を出すとは、まさにブレジンスキーやアタリの時代になったということか。

…昨日エントリーしたばかりだが、中央銀行で、ロスチャイルドやモルガン、ロックフェラーなどの国際金融資本が株主になっていないのは、北朝鮮とイランだけである。いよいよ、イランをその軍門に下す作戦を開始したようだ。イランをもしロシアや中国が支援したら、それは第三次世界大戦になることは必定。ペルシャ湾=ホルムズ海峡を抑えられたら日本と東アジア諸国は、石油の輸入ができず、経済面でも日常生活においても大打撃を被るだろう。とんでもない話である。

2023年2月7日火曜日

資本主義のオルタナティヴ4

https://meigikanagata.com/frb/
グローバル資本主義の恐ろしげな青写真を、フランスのジャック・アタリ(ミッテラン大統領の補佐官で現在も政界で力を持っている)が説いている。参考文献は、今回も「世界最終戦争の正体」(馬渕睦夫)である。

『市場の力が世界を覆っている。マネーの威力が強まったことは、個人主義が勝利した究極の証であり、これは近代史における激変の核心部分である。すなわち、さらなる金銭欲の台頭、金銭の否定、金銭の支配が、歴史を揺り動かしてきたのである。行き着く先は、国家も含め、障害となるもの全てのものに対して、マネーで決着をつけることになる。』(21世紀の歴史)

ここでいう個人主義とは、利己主義、利潤追求を至上の価値とする生き方である。マネーを支配する者が世界を支配するということであり、個人主義の勝利とは、個人が通過を発給することが確立されたという意味で、具体的には各国の民間中央銀行の株主が世界を支配する体制が築かれたことである。

…現在、各国の中央銀行は、歴史的経過から、政府から独立(財政上政府が発行権を持つと財政的に失敗してきた故である。)している。アメリカのFRBの株主は、ロスチャイルド、モルガン、ロックフェラーといった有名どころを中心に、かのリーマン・ブラザーズ、ゴールドマン・サックスも株主らしい。彼らは、なんと北朝鮮とイラン以外の中央銀行の株主であるそうだ。アフガニスタン、イラク、シリア、リビアも以前は同様であったとか。(紛争当事国と見事に合致するところが恐ろしい。)日本銀行は55%が日本政府出資だが、残り45%の名簿の中に彼らの名があるという。官報(第603号)にエドモンド・ロスチャイルドの住所変更(ルクセンブルグ在住)の告示記載がある。(画像参照)

アタリは、国家の歴史とは国家に金を貸す者の歴史である。『歴史上出現した様々な国家は、国家の債権者によって栄えさせられ、衰退させられてきた。』(趣意:国家債務危機)と説いている。国家が赤字国債を発行した場合、最初に引き受けるのは中央銀行である。また、『市場の共感によってこそ、国家のサバイバルは可能になる。』と言い切っている。中央銀行の株主という寡頭勢力が、市場(と、国家)を支配しているわけである。

…国債の発行などは、中央銀行の株主に国家は借金をしていることになる。彼らが去れば国家は滅亡することになりかねない。ちなみに、今アメリカでは、赤字国債のことで揉めている。予算審議権のある下院が共和党に取られ、梅田大統領は国債発行を求めて対立しているが、それ以上に大きな問題は、その米国債、中国や日本も含めて世界的に売られていて、米国債を出せば簡単に売れるという状況ではないらしい。これをFRBの株主たちがどう判断するのか。世界のエコノミストが注目しているとのこと。

資本主義のオルタナティヴ3

グローバル資本主義(グローバリズム)が、オルタナティヴである、という動きについて、さらにエントリーしておきたい。参考文献は、前回も引用した「世界最終戦争の正体」(馬渕睦夫)である。

反ロシア主義者でオバマの師であり外交顧問を努めたブレジンスキーは、「国家の評価は民主化の度合いだけでなく、グローバル化の度合いによってなされるべきである。グローバル化が公平な競争の機会を全てのプレーヤーに提供するという考え方は、現実かどうかに関係なく、新しいグローバル化という教義に歴史的な正当性を与える重要な根拠になった。」(『孤独な帝国アメリカ』より)と論じている。グローバル化は、実際には世界に不公平をもたらすものではあるが、歴史的な必然の流れであるので正当性を持つと断言しているわけだ。このグローバル神話を実現するために、アメリカはグローバル化が遅れている国に介入することが正当化される。まず民主化、次に民営化、最後にグローバル化を強要する三段階のレジーム・チェンジが、彼によってアメリカの一国行動主義(ユニラテラリズム)の思想的根拠になったのである。

2003年から起こった東欧(グルジア、ウクライナ、キルギス)のカラー革命は、選挙の不正がきっかけとなって政権交代が行われた。この不正の判断は、アメリカ国務省の民主化資金援助を受けているNGOと連携している各国のNGOが摘発した。

…開発経済学を学んできた身としては、ブレジンスキーなんぞのグローバル資本主義には凄まじい矛盾を感じざるをえない。欧米は途上国の民族構成や文化を無視して、援助という鎖でしばりながら民主化を押し付けてきた。その結果デモクレイジーが起こり、一部の権力層による開発独裁が日常化して、結局途上国内でも格差が拡大している。たしかに、民主主義は、資本主義的な発達を促す装置であり、近代国家には必要だが、途上国が経済的に飛翔するためには、自由経済の枠内にいるとはしごを外されてしまう。世界史を振り返ると、最先進国だったイギリス以外、先進国は一度は保護貿易を一定期間行い産業革命=工業化に舵を切っている。ナポレオンの大陸封鎖令、ドイツのビスマルクの保護貿易政策、アメリカの米英戦争から南北戦争期などである。何のための民主化、何のための自由経済…。

…マレーシアは、そんな中でうまく立ち回ってきたように思う。独立戦争ナシ。多くの途上国が独立に精力を使いマイナスからのスタートだったが、マレーシアは残留した中華系やインド系の人々の能力を活かしながら、日本などの外資とスキルを得て、工業化に成功した。しかし、国産車保護のための保護貿易なども臨機応変に随時行っている。中進国として、ASEAN内でも経済的にいい位置につけている。しかし、グローバル資本主義が覆いかぶさってくるとどうなるかはわからない。

…アフリカの多くの国は、宗主国が国家経営の費用を削減する目的で独立を認めた「新しいカタチの植民地」である。自由経済を強要され発展する=工業化の余地がない。おそらく、このグローバル資本主義という神話の中で、さらなる格差が拡大するのは目に見えている。なんという悲しい不条理な神話であろうか。

2023年2月5日日曜日

愛媛・松前町の「干し柿もち」

先日、スパバレイ枚方南で、「干し柿もち」を発見した。愛媛の伊予郡松前町の会社が生産しているので、私達に属性があるし購入したのだった。個装だし、なかなか美味しい。

松前町は、松山市と伊予市の間にある。町内の皮膚科医院に何度か通った場所である。三崎からだと、そこそこ距離があるのだが、道は空いていて、海沿いで景色も無茶苦茶いい。もし愛媛に住むとなったら、伊予市か松前町あたり。

当然、血糖値が上がらないよう、気をつけて少しずつ食べているのだった。

2023年2月4日土曜日

資本主義のオルタナティヴ2

http://honkawa2.sakura.ne.jp/5410.html
以前、ある理系の人と話をしていて衝撃的という表現を使うほどに驚いたことがある。これからの地球の問題について、資源にせよ、環境にせよ、解決の糸口は、人口の削減ではないかという主張であった。社会科学系の(いや人部学系といったほうがいいかもしれない)人間である私などからすると、想像すらできない主張だった。人口増加は大前提であるからだ。医療の進歩や食糧増産による人口支持率の向上は、善であるという立場で常にモノを考えている。人口削減政策などあってはならないからだ。

今回、「資本主義のオルタナティヴ」という問題を考える場合、限られた地球の資源、AI化が進んで雇用が減少することなどを鑑みて、人口削減という政策目標が存在する可能性は否定できない。

近代国家・民主主義というのは、資本主義を発展させるための装置という一面がある。「答えのない世界に立ち向かう哲学講座」では、ミルの「他者危害制」(または自己決定原則)やロックの「身体自由論」「労働自由論」といった、民主主義化における経済の自由が語られている。他者に迷惑をかけなければ何をやっても自由だし、それによって得たものは自分のもの(=財産権)であるという民主主義の原則は、近代国家・資本主義の原則であるわけだ。ところで、2000年現在で世界の最も大きな経済主体をランキングすると、トップ100の中で、企業が51、国家(GDP)が49となり、多国籍企業が席巻してしまっているとか。国家がトップにあり、企業がその中におかれ、国民がいるというイメージは、すでに過去のものになっている。資本主義はグローバル化している。

…グローバル企業と、国際金融資本は、ある意味で、国家という装置を必要としていないように思われる。国家には、必ず国益が存在するが、グルーバル企業や国際金融資本にとっては、無用に思えている可能性が高い。2015年以降、グローバル資本主義的な利益が重視され、国家・国益を重視する政治家への失脚工作が行われているのではないか。昨日エントリーしたエルドアン、プーチン、そしてトランプ、安倍…。

…しかも、コロコロやW、ウクライナ紛争など、人口削減を人為的に行っている可能性さえ、否定できない。グローバル資本主義のオルタナティヴは、国家の消滅と人口削減にあるような気がしてならない。重ねて言いたいが、社会科学系&人文学系の私としては、ありえない、衝撃的オルタナティヴなのである。

…今回の画像(拡大可能)は、2022年12月現在の企業ランキングと題されたグラフ。これが資産総額なのかは不明。単純に他年度の名目GDPと較べていいものかわからないが、最上位・アップルは、8位のカナダと9位のイタリアの間に位置している。また50位のポルトガルは、企業で33位のバンク・オブ・アメリカの上に位置する。「答えのない世界に立ち向かう哲学講座」の2000年の統計の比較とは少し違うが、グローバル資本主義の説明としては問題ないと思うので、そのまま記載しておく。

2023年2月3日金曜日

スウェーデンのNATO加盟問題

https://kagonma-info.com/c0018/swedish_defense_minister_turkey_20230120/
フィンランドとともに申請していたスウェーデンのNATO加盟が暗礁に乗り上げている。トルコ政府が、クルド人組織の引き渡しが行われていないことや、トルコ大使館前でクルアーンが燃やされたり、エルドアン大統領の人形が逆さ吊りにされたりの抗議行動に激怒しているらしい。選挙を控えたエルドアンも、挙げた拳は容易に下ろせないだろう。フィンランドのみNATO加盟を認める可能性が高い。

これらの抗議行動は、全てクルド人移民の仕業であるとは思えない。少なくともクルアーンを燃やすことはないと思う。現状で、スウェーデン人の多くはNATO加盟を望んでいるはずで、以前エントリーしたように、スウェーデン国内で最大の懸念は(イスラム系移民による)治安問題だといわれている。クルド人を支援する人もいるだろうが、クルアーンを燃やしたという報道に、なにかおかしい、と私は感じる。トルコは政教分離していて、最も寛容なハナフィー法学派だが、ムスリムにとっては最大の侮辱である。スウェーデンのNATO加盟を良しとしない(報道写真に寄ると左派っぽい)勢力による工作活動かもしれないが、トルコにNATO加盟を批准させたくない、孤立させたいと考える勢力かもしれない。

NATOは、基本的には集団安全保障体制であって、”よらば大樹”的な意味合いが強い。トルコはその中にあって、地政学的にロシアが黒海から地中海に出てくるのを防ぐ最前線の位置にある。軍事力もNATO内でもかなり大きい。トルコがNATOを離脱するようなことになったら、NATOも大打撃を受けるはずだ。

トルコではなく、エルドアンを失脚させるための工作かもしれない。

トルコでG20首脳会議が開催された直後の2015年11月24日、トルコがシリア内戦で対IS空爆作戦に従事していたロシアの爆撃機を撃墜する事件があった。トルコの言い分は、ロシア軍機がトルコ上空を領空侵犯し、警告に従わなかった故であった。しかし、シリア領に食い込んだ幅が数キロの細長いトルコ領空であり、ロシア軍機の不注意の可能性が高い。常識的に見て、ロシアがトルコを挑発する動機はない。この事件の10日前に、プーチンとエルドアン会談があり緊密な関係を確認したばかりであり、言うまでもなくトルコはNATOのメンバー故、トルコへの攻撃のメリットはない。トルコにとっては、クルド人組織が所属するシリア民主軍こそが敵であり、その敵であるISをロシアが攻撃することはあまり良いとは思わないだろうが、ロシアとの全面戦争の危険を犯すメリットはない。

事件後、プーチンは強く避難し、トルコからの財の輸入禁止、ロシア人観光客の渡航禁止、トルコ経由のパイプライン施設計画の凍結と、十分に抑制された制裁を発表した。エルドアンのほうは、正当化しつつも動揺した様子で、NATOもロシアに軍事的圧力をかけることもしなかった。

その後、2016年6月になるまでに6件の大規模なテロ事件が発生、多数のトルコ人が死亡した。クルド人組織が犯行声明を出したものの他、ISによるもののようであるが、エルドアンへの圧力という見方が強い。また4月には、アゼルバイジャンのナゴルノカラバフ自治州でアルメニアとの衝突が起こる。これはトルコに近いアゼルバイジャンとロシアに近いアルメニアの代理戦争的なもので、ロシアとトルコの仲を裂こうとした戦略だと見られている。さらに6月、ドイツの連邦議会がWW1時のトルコで生じたアルメニア人殺戮事件はジェノサイドである(150万人/200万人が殺された。)と決議した。…わざわざ、この時期に。まるで、トルコ=エルドアンを追い詰めるような展開だ。

2016年7月15日。ロシア軍爆撃機撃墜事件後のエルドアンのロシアへの対応に不満を持つ勢力がクーデター未遂事件が起こるのだが、前月にエルドアンは、プーチンに書簡を送り謝罪していた。つまり、エルドアンの指示による撃墜ではなかったわけで、この書簡が明らかになった直後、イスタンブール空港で40人以上が死亡する自爆テロが起こる。そして前述のクーデーター未遂事件。エルドアンは果敢に鎮圧したが、なんとロシア軍機を撃墜したパイロットが反乱軍にいたのである。8月9日、エルドアンはサンクトペテルブルグでプーチンと会談。ロシア側は制裁を全て解除し、両国は正常化した。(参考文献「世界最終戦争の正体」:馬渕睦夫/宝島社)

…もし、クーデターが成功していたら、トルコはNATOに集団安全保障をたてにロシアとの戦争を企てていたかもしれない。今回のスウェーデンの問題もまた、このようなトルコとロシアの関係性の中で起こっているのかもしれない。

2023年2月2日木曜日

JR尼崎駅のコロッケうどん

学園の帰路は、尼崎駅で、宝塚線から東西線・学研都市線に乗り換えることが多い。昼食を取りそこねたりした時は、駅構内のうどん屋(立ち食いではなく、イスに座れる)に寄ることが多い。券売機でICOKAを使えるのもうれしい。いつも、コロッケうどん+無料の天かすを注文する。妻に言わせると、信じられないチョイスらしいのだが、なかなかイケる。(笑)今日も、首都圏の超難関国立大の世界史指導をしていて、うどん屋に寄ったのだった。

機嫌よく、快速に載って四條畷で普通に乗り換えたまでは良かったのだが、なんと車内に送風(夏季の冷房の1ランク下くらい。)になっていた。寒い。JR西日本は馬鹿なのか、と思う。

2023年2月1日水曜日

資本主義のオルタナティヴ1

『答えのない世界に立ち向かう哲学講座』の最後のテーマは、資本主義の未来である。グローバル資本主義の時代になって、ますます格差が拡大しており、様々な資本主義の危機、あるいは終焉を説く書は多いが、明確なオルタナティヴ(=代替の)を示していない。先にエントリーした同じ著者の『現代哲学者10人』でも、原罪最も発言が多いスロベニアのスラヴォイ・ジジェクについて書かれていて、彼の主張する「ポストモダン時代の共産主義」について書かれているが、とてもオルタナティヴとはいえないらしい。

資本主義のオルタナティヴと言えば、当然マルクス主義を想起するわけだが、マルクスの唯物史観による予言は見事にはずれてしまったし、今更社会主義・共産主義が資本主義の後にくるとは多くの人々は思っていない。本書では、専門家を招いて、近代国家論や社会主義の失墜などが講義される。

本書では、資本主義の大前提となる「希少性(全員が裕福になれない、あぶれる者をどうするか?という問題)」についての設問が設定されている。国家や資源、環境などを考える時の「救命艇状況」という典型的なモデルだそうだ。

タイタニック号のような豪華客船が沈没し、1500名が海に投げ出されている。近くを航行していた船が救助に向かう10隻の船には定員ギリギリで500名しか救助できない。①全員を救助できないとしてもできるだけ多くの人を救う。定員オーバーでもとにかく載せ、縁につかまらせても救助を試みる。②子供や女性、あるいは老人など手助けの必要な人から順にきっちりと定員まで乗せる。③早いものがちで乗せて、43名くらいになったところで早めに打ち切りその場を離れる。

この希少性をどうやって解決するか、どういうカタチで問題として取り組んで行けるかが、資本主義のオルタナティヴで一番大きなポイントとなるという。…なるほど。