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2026年8月2日日曜日

同志社国際高校の事件考13

https://www.sankei.com/article/20260731-2L67IRGQYBKWNCVFTMATPD2ITE/
31日に、同志社国際高校の事件についての第三者委員会からの報告書がまとまったという報道が流れた。この第三者委員会は設置は学校法人同志社だが、外部の弁護士などの専門家で構成されている。

事前準備や対応に明らかな安全配慮義務違反があったと認定した。今更に当たり前の話なのだが、この第三者委員会で明らかになったのが、被害者はコース変更を希望していたという事実で、保護者の方も初めて知ったようである。そもそも、コース名は「辺野古ボートコース」という不可解な名称である。抗議船に乗船することが、学校側の正義ならなぜその旨を明記しなかったのかと私は思う。ご両親は、「個人の責任の重さについてもう一歩踏み込んで欲しかった。」と述べられている。

ちなみに、文科省が指摘した政治的中立性の問題については、委員会の審議外の話だったらしい。報告書は膨大でも問題の核心をついていない。これが第三者委員会の限界だったのではないか。

ところで、辺野古では知事支持の集会が行われたらしい。さすが当の協議会は参加していないようだが…。また共産党が、熊本地震への義援金を党で集めているそうで、ネット上で炎上しているとか。党員の被災者や事務所、あるいは他の選挙に使った前歴があるだけに当然の炎上騒動であると思う。懲りてない。

左翼の人間は、妙にスターリン的な亡霊が取り付いている。自己のドクマのために、何をしても許されるという人間としてどうかと思われる思い違いである。もうそろそろ気づいても良いのではないか。

2026年8月1日土曜日

同志社国際高校の事件考12

https://www.youtube.com/watch?v=OQqQ_pUDIVc
北海道にいた間に、熊本地震報道が中心のTVを見ていたら、同志社国際高校の辺野古事件の保護者が告訴に踏み切ったとの短いニュースを目にした。

保護者が1時間半にも及ぶ会見に臨み、11名を業務上過失致死で第11管区海上保安本部に刑事告訴し、受理された。11名とは、同志社国際高校の校長・学年主任・2名の引率教員・ヘリ基地反対協議会の幹部7名。

https://www.youtube.com/watch?v=OQqQ_pUDIVc

会見は、最初熊本地震の被災者への哀悼の意から始まった。ご尊父の知性の深さを感じずにはおれない。正直、これ以上見れなかった。被害家族が会見を開き刑事告訴しなければならない状況は無茶苦茶おかしい。

全く反省も謝罪も責任を取らない同志社国際高校は、消え去るべきだ。私が校長ならとうに自刃している。以下の産経の画像では、付き添い教員は救出された生徒に話しかけようともしていない。最低以下である。(以下のURL参照)私がもし付き添い教員なら、とてもその後に学校に残り授業など出来ない。彼らの厚顔は教育現場ではあるまじき恥辱としか言いようがない。

https://www.youtube.com/watch?v=elj0uqxWbvs

新島襄の同志社の精神のかけらもない。彼らには会衆派的な回心のかけらもない。あるのは保身のみ。消え去るべきだ。

2026年7月30日木曜日

北海道から帰阪

先ほど北海道から帰阪した。猛暑が続く大阪と違い、Tシャツ1枚では震えるような日々であった。所用のために行ったのだが、少しだけ観光もしてきた。到着初日に、息子夫婦の希望で、かの有名な羊ヶ丘展望台に寄ってからホテルへと向かった。

クラーク博士の立像がある羊ケ丘展望台は、札幌の時計台と並ぶ「残念観光地」だと思っていたが、広く続く地平線と羊たちのコントラストが意外に好印象だった。ファイターズに見捨てられた札幌ドームも、後方に映っているがこれこそ「残念」かもしれない。(笑)

ホテルには三連泊したのだが、中国本土からの観光客は少なくなっているはずだが、韓国や台湾、香港などの観光客が実に多かった。ひと目見てわかるわけではなく、コトバを発した瞬間にわかる。あまり愉快なことではないのだが、大きな声のハングルを耳にすることが多かった。H高校の修学旅行以来の北海道だが、あまりの外国人観光客のの増大に驚かされたのだった。新千歳空港への国際線の路線図を見てみると、アジア地域からの直行便がかなり多い。…さもありなんである。

二日目は、これも息子夫婦の希望で、厚別区の北海道開拓村と北海道博物館に行った。ふと気づいたのだが、開拓村にある国旗や道旗が半旗になっていた。この日(28日)は、戦争中に犠牲になった約11万人の戦没者への「道戦没者追悼式」が札幌で行われていたのだった。近隣の北海道博物館でも同様の半旗であった。この博物館の展示はなかなか素晴らしかった。

アイヌとの関係史の展示(画像は、アイヌの人々と内地の藩との物品の交換ジオラマ)や蟹工船の詳細な模型、大正時代に描かれた鳥瞰図などは実に見応えがあった。大満足であった。

ところで、この日は、ホテルに戻ると、携帯に地震情報が流れ、TVから熊本の地震のニュースが流れてきた。M7の10年越しの大地震である。このニュースがずっと流れていた。

第三日目は、所用で石狩市に向かった。所用の後、樋口季一郎記念館による予定だったのだが、閉館日で諦めることになった。これは残念。樋口喜一郎は、ナチスから逃れてきたユダヤ人に便宜を図った陸軍軍人である。人道の港敦賀ムゼウムに繋がる記念館である。https://higuchi-museum.jp/about/about.html ホテルに戻ると、熊本イオンモールの爆発などさらに多くの惨劇が明らかになっていた。

最終日は、どこにも寄らずレンタカーを返却した。今回は所用が目的であったので、ブログにエントリーできるのはこれくらいかと思う。

最後に、熊本地震で、犠牲になられた方々には心からお悔やみを申しあげます。また多くの被災している方々のご苦労は、多少なりとも阪神大震災を経験した私にも実感できます。数多くの余震とこの猛暑の中、くれぐれもご健康を維持されんことを祈っています。私たち日本人の心のなかに半旗がずっと翻っています。

2026年7月23日木曜日

イランの最終戦争論 考

YouTubeで、非常に興味深いイランからの亡命者である在米政治学者・バリ・ナスル氏のインタヴューを見つけた。https://www.youtube.com/watch?v=ezi8vIgseD0

ヨルダンの基地に攻撃を受け米軍兵士が2人死亡。アメリカが業を煮やして、この10日間ほど攻撃を続けているが、イランは絶対に折れないという論旨である。バリ・ナスル氏は、イラン革命前にシャーの側近だった聖職者の父親とともに亡命してきた人物であり、その立場はアンチ・イスラム共和国であるといえる。しかし、彼の洞察はイランという国の本質を率直に伝えている。

イスラエルとアメリカが民衆蜂起を好機と見て、イランを攻撃したわけだが、イランは決して『ルサンチマン』ではない。今や、蜂起していた市民も、その多くが革命防衛軍を支持している。長期戦に向けて決して折れないだろうと氏は言う。

イラン革命後の49年間、イランはアメリカの経済制裁を受けてきた。この恨みは、隣国の『恨』(ハン)のようなルサンチマン的なものではない。欧米の影響力を排除した革命後のイランは、十二イマーム派に導かれている強者であるという強い自負がある。よって、最後まで戦おうとしている。ここには合理性も打算もない。

このインタヴューの中で、私が最も興味深かったのは、「ハメネイ師は、イスラム教において核兵器は禁止されている。」というファトワを出していた。(2003年/AIで作成した画像参照)ただシーア派では死んだアヤトラのファトワは無効になる。後継のモジタバ師と聖地コムの聖職者しか更新することはできない。イランは安全保障上の理由から核保有を必要としているのだが、この20年間の戦略は過ちだったと認めている。IAEAの査察を受け核を持つ意思がないと証明しようとしたことが間違いで、インドやパキスタンのようにすべきだったと考えているという話。

アメリカは早期決着を図りたいところだが、イランは最終戦争を決意している。イランを屈服させるためには、トラ氏が言うように全国の発電所への攻撃を行い、一気に一般国民を疲弊させることくらいしかなさそうだ。だが、これは”殺す側の論理”による無差別な一般市民を巻き込む”コロシ”に他ならない。国内外の世論を納得させることが出来るかどうかだと思う。

2026年7月17日金曜日

吉村昭 『戦艦武蔵』

またまた吉村昭を学院の図書館で借りてきた。初期の『戦艦武蔵』(新潮文庫)という作品である。これは歴史小説と言うより記録文学というジャンルである。造船という極めて複雑な工学的過程を自ら学び、膨大な資料や関係者へのインタヴューをもとに描かれた作品で、その読後感は独特なものがあった。

冒頭は、有明海沿岸の海苔養殖に必要な棕櫚(シュロ)が、手に入らないという話から始まる。九州から四国、和歌山にいたるまで、密かに買い占められていたのだ。この謎解きは、二号艦(武蔵という艦名はなかなか明かされない。)を、長崎の民間企業である三菱造船所で建造するにあたって、地形的に山がちで造船所が見渡せる故の、防諜装置(棕櫚を編んだ綱を垂らしで簾化し船台を隠す)として必要だったのである。風や火花などの影響を鑑み、様々な試行錯誤とテストの後、最善と判断された。

一号艦(=戦艦大和)は呉の海軍工廠で建造された故に、そのような必要はなかったのだが、二号艦は、様々な施策が必要だった。まずは、建造するに当たって山を切り崩したりして船台を前後左右とも拡大する必要があったし、防諜のために、警察や憲兵隊を大動員する必要もあった。造船所を望めるかのグラバー邸も子孫から購入したし、英・米の公使館の前に県が倉庫を建てて見えなくしたりとありとあらゆる方途で防諜活動を防いだ。

進水にあたっても、世界最大級の戦艦であるし、計算上、艦尾が船台の対面にある山にぶつかってしまうので、進水速度を緩める事が必要だった。昭和世代としては、電卓やコンピュータではなく計算尺を使い計算したであろう技術者の凄さを感じてしまう。結局、鎖を用いて浸水時の速度を緩めるという策が取られた。また進水した直後の防諜にも神経をすり減らすことになる。

この二号艦建造で、最もスリリングな展開だと私が思ったのは、呉から送られてきた設計図がたった1枚だけ紛失した際の話である。当然ながら、極めて厳重な管理体制がひかれていた。しかし、いくら探しても見つからない。多くの関係者が特高に拷問される事態となった。結局、三菱の工業学校を出たが設計部に回され、大した仕事を任されず不満を持っていた19歳の少年が、部署転換を望んでわざと失敗をしたのである。他の書類とともにボイラーで焼却したことが判明する。…その稚拙さとあまりに大きな影響を与えたことに、なんとも言えない気分になった。ちなみに、私の父親は神戸の三菱の職工学校出身である。海軍機の整備をしていた。

二号艦の防御システムは凄い。左舷に魚雷が命中して艦が傾いても、右弦に注排水して戻せる。たとえ、魚雷攻撃を受けても減速しない。また舵は、同時に損傷する可能性を鑑み、平行に設置するのではなく、前後にある。もちろん、世界最大級の鋼鉄で防御しており、実際爆弾を跳ね返す力があった。

主砲は46センチである。主砲を発射すると、その威力は凄まじく、甲板に乗員がいると吹き飛ばされる。ゆえに、主砲発射時は甲板には出れないようになっていた。この主砲のテストは伊予灘で行われたという。…佐田岬半島に住んでいた私としては感無量である。

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20240708001571.html?iref=sp_photo_gallery_3
武蔵という名が明かされ、大和と共にトラック島(現ミクロネシア連邦)の環礁を拠点にしていた。(画像参照:手前が武蔵であるらしい。)この時の旗艦は武蔵であった。その後ブルネイに移動し、レイテ沖海戦で、実戦に臨み撃沈されることになるが、攻撃を受けての乗員の悲惨さは言うまでもない。陸上戦以上に悲惨である。…私は読んでいて、司馬遼の『坂の上の雲』で、日清戦争での秋山真之が負傷者を見てあまりの悲惨さに戦慄した光景を想起した。本書では、おそらく生存者へのインタヴューを元にした記述だと思うが、生々しすぎる描写に満ちている。さらに生存者たちは、武蔵が沈んだことを秘匿するため、様々な場所に軟禁されている。この事実も凄い。

磯田光一(文芸評論家)の解説では、本書を「1つの巨大な軍艦をめぐる日本人の”盲目的な集団自殺”の物語」(趣意)としている。武蔵の建造は、論理はどうあれ至上命題であり、効用や役割に不思議に第二次的な意味しかもたず神話的な象徴であり、不可能を可能に転化することを要求される。作者は、機密保持のための過酷な措置に対して不合理を告発する左翼作家の発想とほとんど関係のない地点で書いている。しかし”愚行”と見える武蔵の建造を、そういう批判眼をもって書いており、むしろ”愚行”に専念しうる人間の奇怪さ、それこそが人間の本質であるという認識を持っている。(趣意)また、作者は戦死者の内面を決して美化して描こうとしていない。叙述は即物的で、夢と現実の不一致、動機と結果の不一致を冷酷な客観性を持って描いている、としている。

…この解説に疑問の余地はない。現在も世界中で戦争は続いている。その事実に想いを馳せながら、いかに戦争が無益かを再認識させてくれる一冊であった。

2026年6月28日日曜日

同志社国際高校の事件考10

https://kakuyomu.jp/works/2912051602840456101/episodes/2912051602840548106
同志社国際高校の事件を風化させてはいけないと私は思う。今回紹介するのは、同級生の匿名の投稿である。画像にあるように、同志社国際高校の教育のあり方について書かれている。YouTubeで紹介されていたものだが、投稿の本文を読むほうが意味があると思う。

社会科の教師として、私は常に左右ド真ん中の立場を標榜してきた。社会科学の世界には、様々な視点が存在し、自然科学のような一つの正解があるわけではない。完全に、ド真ん中とはいかないかもしれないが、この意識は極めて重要である。

例えば、移民問題について、様々な視点がある。これは、2学期の中間試験までの範囲で触れようと思っているのだが、この投稿の最初に、ヨーロッパと日本の移民受け入れの差を挙げ、執拗に日本批判をする地理の教師のことが書かれている。全くデメリットの話が出てこないという投稿者の批判はもっともである。現に、スウェーデンを始め多くの問題が出ており、日本では特に日本語学習の困難さなども語らねばならない。移民増加による住宅不足からくる住宅価格の高騰なども多くの国で問題化している。これらを様々な視点から語り、生徒諸君に自分なりの答えを探させるのが社会科の使命であると思うのだが…。

また論理国語の授業で、教員が、左翼には、共産党が入らないと断固とした主張をした件も書かれていた。この教員は、間違いなく六全協以降の新左翼だといえるだろう。高校生に授業で語るべき内容だとは全く思えない。

最後に最近の政治・経済の授業のことが書かれている。

こういう授業をしているのか。同志社国際高校は、生徒を殺しても何も変わっていないのか。文部科学省も、京都府教育委員会も、この投稿を読むべきであると思うし、校長を国会に呼び出して欲しいと思う次第。

2026年6月18日木曜日

教え子を再び戦場に送るな?

https://derorin.com/an-introduction-to-the-jtu-for-young-teachers-a-quick-look-at-its-history-and-current-status/
立憲民主党の女性参議院議員の決算委員会の発言について、私の感想を述べたいと思う。この議員は日教組の出身である。

「自衛隊に入るのは貧しい家庭の子供である。」という発言は、自衛隊の方々への冒涜的な差別発言であるのは間違いない。私の経験でも、母子家庭でその母親が逝去された故に陸自に行った生徒いがたことも事実であるが、父親が自衛隊幹部であり尊敬していたが故に防大を受けた生徒もいるし、ガンマニアで半ば趣味的に陸自を選んだ生徒もいた。この女性議員の発言は、事実とかけ離れている。与野党の政治家が厳しく批判するのは当然である。

昔々、私が教師になった頃(80年代初頭)、職員室に組合のコーナーがあって、「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンが書かれたポスターが貼ってあったと記憶している。(組合が強い学校であったからかもしれない。)この「ドグマ」は強烈であって、当時ちょっと左翼的でもあった私にも、自衛隊へのなんとも言えない違和感を植え付けた。

北海道に行った際、「自衛隊さんありがとう」という看板が各地にあり、意外な感じがした。まだ東西冷戦の感覚が残っており、対ソ・対ロシアが仮想敵国だった故に北海道が最前線に位置していたからだと思われる。この違和感が完全に払拭されたのは、かの東北大震災の後の自衛隊の活躍である。(阪神大震災の時は首相も知事も自衛隊の出動を拒否した。)その後の東アジアの情勢もあって、今の私には自衛隊は日本の安全保障において、極めて重要な存在であり、長く冷遇されてきたことを払拭すべき時だと感じている。

この女性議員の頭の中は、まだ「教え子を再び戦場に送るな」のままなのだろう。左翼の凋落が叫ばれて久しいが、例の辺野古の犯罪的事故にしても、今回の発言にしても、ドグマで固められた左翼の正義がいよいよ排除されていく機会になるような気がする。日教組の組織率は年々低下傾向にある。私の後輩世代は、こういうドグマに侵されていない。ど真ん中の私からしても、左翼の妄想もそろそろ幕を下ろすべきだろうと思うのであった。

2026年5月17日日曜日

儒教国家 台湾の危機

https://population-pyramid.net/ja/pp/%E5%8F%B0%E6%B9%BE
台湾は、TSMCを筆頭とした半導体やAI部品で莫大な貿易黒字を挙げている。しかし、共同体の存立が物理的に崩れ落ちている。2025年の台湾の合計特殊出生率は、0.695人。戦争や飢饉のない平時において0.7の壁が破られたのは、人口統計が生まれて以後世界史上で初めてである。これは、国が滅びるほどの数値である。

https://www.youtube.com/watch?v=zU1RKxa5Z_0

台湾の若者にとって住宅価格の上昇が大きな足かせになっている。台北では、所得の66%を住居費として支払っている。貯金どころではない。このような状況では子供を生むというのは贅沢にすぎる状況になる。親の元へ逃げるしかない。25歳から40歳のうち50%が親と同居せざるをえない。カンガルー族と呼ばれている若者の結婚へのハードルは高い。しかも労働時間は世界トップクラスで、サービス残業は当然視されている。若者のアンケートでは、出産を諦める理由の第一位は子供を育てる物理的な時間の不足である。

この巨大な構造的暴力が、若者たちを沈黙の抵抗へと追い込んでいる。国が豊かになるほど庶民の生活は貧しくなるという矛盾。この裏側には、19世紀さながらの家父長的な儒教文化が根強く残っているのが原因である。

女性は特に、夫より3時間多く働き金を稼ぎ、家では儒教的な重圧にさらされながら、家事や育児という2つ目の職場に出勤している。台湾の未婚女性の57%が絶対に子供を産まないと宣言した。これは単なる拒絶ではなく、自分を削除するシステムに対する凄絶な生存闘争である。経済的な不平等と古い慣習が結びつき、致命的な結果で、国家は、この不合理に目を背けている。女性は、妊娠を歓迎されないし、健康診断で職場を離れた際も代行してくれた人に賃金を支払う(=母親への罰金)と言った残酷さも指摘されている。妊娠したら約45000円賃金カットされ、退職圧力がかかる。育児休暇は無給、家族介護休暇も7日のみ、保育インフラも悲惨で、幼稚園や学校は昼まで、公的な保育サービスも午後4時まで。これでは、子供を産めない。

この影響は国防にも及んでおり、徴兵年齢の18歳人口は10万人を割った。志願兵の充足率は79.2%。いくらアメリカから先端兵器を購入してもそれを運用する若い力がない。

2028年、生産年齢人口が全体の2/3を下回る「人口の崖」が現実のものとなる。現在2340万人の対話案の人口は2070年に1500万人に減少し、1.2人の若者が1人の高齢者を支えることになる。これは、現在の合計特殊出生率1.20の日本にとって他人事ではない。

…1学期後半の地理総合の授業では、また世界価値観調査のグラフをもとに授業を進める予定だが、多くの国のカテゴリーの中に、Confucian(=儒教圏)というのがあって、日本・中国・韓国・台湾が含まれる。日本については、このブログでも何度か書いているが、朱子学的な「義」が強調される。(仁は、日本古来から存在し、あえて儒教的である、とはいえない。)中国や韓国は、仁も義も薄れ「礼」しか残っていないように感じる。台湾は、最も儒教の「仁」「義」「礼」が揃っている国かもしれない。しかしながら、日本が、西洋思想の波の中で、縮小させた部分(人権>礼)が、台湾には強く生き残っていて、この女性蔑視・人口問題に直結しているように感じたのだが…。

2026年5月14日木曜日

同志社国際高校の事件考9

https://www.youtube.com/watch?v=ajbfOiLDqCg
同志社国際高校の事件続報である。被害生徒の手紙からわかった信じられない情報である。https://www.youtube.com/watch?v=ajbfOiLDqCg

生々しい事実が書かれている。安全確認もクソもないし、生徒に船を一時操縦させていた事実、スピードが以上に出された様子、波が来た様子、付き添い教員のI・M両名の怠慢・無策。

そして、事故後港での待機中に、『平和丸の船員(こいつは、事故直後にダンプの前に寝転ぶ抗議活動をしている。)が、「船長の特製コーヒーいる?(笑)」「世界で一つだけのコーヒー、飲んだらきっと元気出るよ。」と話しかけてきている。生徒の感想では、飲酒していたか薬物を服用していたかなどはわかりませんが、間違いなく様子がおかしかったです。平和丸の船長も同様で、生徒用のテントに近づき「(不屈の)船長死んじゃった(笑)」と笑いながら話しかけてきました。』とある。

これは、業務上過失致死どころの話ではない。ちなみに、同じチャンネルで明かされているが、沖縄県の弁護士会の会長はこいつらの顧問弁護士らしい。沖縄は、知事も法曹会も狂っている。

是非、このYouTubeチャンネルを御覧いただきたいと思う。

2026年5月6日水曜日

チェックメイト:日本語学校

https://school.sugawara4976.com/japanese-languageschool-before/
以前からあった日本語教育機関認定法が、現内閣で厳格化されるようだ。文部科学大臣は、この法律を施行し、現在国内にある日本語学校の認可を(裁判によらず行政命令として)取り消すことができる。これによって近い将来、国内の日本語学校は激減する可能性が高い。

現在日本には、留学ビザで入国し、不法労働を行うのが主目的の幽霊日本語学校もあり、のべつ幕無しの不法移民の増加を防ぐ意味合いがあるようである。特にこれからの日本語学校には、生徒の管理(留学ビザ制限内の労働時間を守らせること)も業務面で必要不可欠とされている。またN1・N2(日本語検定試験1級・2級)修得といった教務面、日本の社会に適応できるようにといった面も含まれていく。

先日後輩のM君が、退職後日本語教師の資格を取り、近隣の日本語学校に勤めているという報告があった。第二の人生のスタートである。実に良い知らせで喜んでいたのだが、彼の務める日本語学校は大丈夫なのだろうか、と不安になった。

マレーシアのPBTで日本語教育を横目でみていた私としては、たしかに今回の厳格化は正当なものだと思う。ただ、留学生といっても、地域・学力・経済力の差が大きい。文部科学省の認定を受けることができるのは、おそらく日本のそこそこの大学に合格するくらいの日本語能力と経済力が必要不可欠な留学生のみを対象としているように思う。学力面においては、もう少し余裕をもたせてもいいのではないかと思う。

2026年5月3日日曜日

憲法記念日に 武器輸出解禁の件

憲法記念日である。4月21日に閣議決定と国家安全保障会議にて、防衛装備移転三原則の運用指針の改定が行われた。要するに武器輸出の解禁である。以下のYouTubeでその内容が上手く解説されている。https://www.youtube.com/watch?v=rMLFd_jfd5k

そもそも、日本は戦後、朝鮮戦争時から武器輸出を行ってきたし、その後も東南アジア諸国にも武器輸出を行ってきた。1967年に佐藤内閣が武器輸出三原則を表明した。この時も完全に輸出禁止としたわけではなく、共産圏や紛争当事国などへの輸出はNGということだった。1976年に三木内閣が、共産圏や紛争当事国以外にも輸出を「慎む」との政府見解を表明した。ただしアメリカとの技術協力は例外であった。これでわかるように、武器輸出に関しては、閣議決定による政府方針であって、立法化された法律ではないわけである。

よって、国会軽視という批判はあたらない。2度民主党が政権をとった時代にも法制化による制限はされていない。(武器輸出を完全禁止する法律を作るチャンスがあった。)と、いうわけで、憲法違反だとか左翼が叫んでも、無知を晒すだけのことになる。

ところで、何故今なのか。防衛産業の基盤教化と安全保障環境の悪化を上記YouTubeの主・オオカミ少佐(元海自幹部:画像参照)が述べている。

以前読んだ本の知識だが、防衛産業は、需要が防衛省(それも予算の範囲内)のみであり、供給コストは必然的に高くなる。単価は高いものの、決して儲からない。輸出可能になり、需要が増えれば供給コストも抑えられる。防衛装備を100%輸入に頼るのは、安全保障上の問題がある。だいぶ以前に、某電子メーカーの研究員をやっている人物と話していて、「超長波」の研究をしていることがわかった。「アクティブソナーとか魚雷の技術だね。」というと返答に困っていた。こういう技術者を囲い込んでおかないと、日本の安全保障は守られない。防衛産業は、市場の原理で潰してはならないのである。

安全保障の基本は勢力均衡にある。今世界は、ロシアのウクライナ侵攻、中国の軍拡、アメリカの国際法無視など、かつてない緊張が走っている。(軍事的)中小国の勢力均衡を図る必要性がある。同じ価値観を有する国々に、日本が武器輸出を行うのはこのためである。たしかに憲法第9条には戦争放棄が謳われているが、前文では世界平和を希求することも謳われている。実際、アメリカを始め、イギリス・イタリア(次期戦闘機共同開発国)、オーストラリア・フィリピン・インド(対中抑止のため)、フランス、ドイツ(アメリカの暴走を止める同じ価値観をもつ国として)などが支持を表明している。

…憲法記念日である。この武器輸出解禁の話は、憲法に坑がう話ではないことを確認しておきたい。戦争反対、9条を守れと声高に叫んでも日本の安全保障は守れない。社会科教師としては、あくまで中立。平和教育は、このような事実の積み重ねから導かれるものである。時節柄非常に重要なスタンスであると私は思う。

2026年5月2日土曜日

同志社国際高校の事件考8

https://www.youtube.com/watch?v=-_GnmTW7AG4
かの事件を起こした組織が、今更(5月1日)に謝罪文を出したらしい。https://www.youtube.com/watch?v=-_GnmTW7AG4

沖縄知事選の不利を見据えての、姑息な動きである。自分たちの後ろ盾を失うことからの防御、もしくは、平和学習と言う名の小遣い稼ぎが出来なくなくなるという多分に利己的なものだとしか見えない。

URL同じ
沖縄のまともな人々は、現知事のスタンスにかなりの違和感を抱いているらしい。当然である。しかしながら、沖縄新報の読者の声欄に、左翼が書いたであろう文章が出た。(左の画像参照)亡くなった女子高校生がサンゴ礁を見たいという思いで参加したことは、保護者のNOTEで明らかである。このような自分勝手な捏造を書く左翼も、それを載せる左翼マスゴミの神経も信じられない。

…以前書いたが、全ては国の責任である、自分たちは正義であるという信念が、彼らを反省させたり謝罪させたりすることを拒んでいるのだろう。上記のYouTubeも同様の感想をもっていた。

…全くどこまで自己中心なのだろう。ついでに批判しておくと、共産党の幹部らは、この事件の責任追求に逃げ回っている。実は、これはおかしい。共産党の組織は党中央に絶対服従で、下部組織は「細胞」と呼ばれているはずだ。そのスターリニズムの組織体制はいつ変わったのか?変わってないなら謝罪し責任を取るべきである。違うかな?

2026年4月23日木曜日

同志社国際高校の事件考6

https://news.yahoo.co.jp/articles/12a6b894ddf5d84905100d9416e27ab789fc3d26/images/000
同志社国際高校の事件考の第6回目である。第5回目は、4月18日付けの『新島襄の自責の杖を知らぬのか』になる。

辺野古の抗議団体オール沖縄には、ジブリの宮崎駿氏らから、活動資金として8億円も集めていたらしい。(この宮崎駿氏の関わりからオールドメディアの忖度=報道しない自由が指摘されている。)事件後、その決算書はHPから削除され、被害者への保障はできないとしているという。違法な活動をしながら、また資金がありながら保証できないというのはどういうことなのだろうか。彼らの活動が利権と繋がっているという疑惑は拭えない。これは犯罪ではないか。

抗議船は不法な場所(防波堤)から乗船していたこともわかってきた。ちゃんとした漁港からフツーに乗船していたとばかり思っていた。安全に何の配慮もない。修学(研修)旅行において、このような危険な場所からの乗船など考えられない。学校側(付き添い教員)・旅行社側(添乗員)は、なぜこれを許したのか。教育の現場では、全くありえない話である。文部省はこの点を厳しく調べて欲しい。

https://news.yahoo.co.jp/articles/12a6b894ddf5d84905100d9416e27ab789fc3d26/images/000

さらに、海上保安庁が警告をしているのに無視して事故を起こしており、近隣漁民が危険だとする海域へ侵入している。危機管理もクソもない。しかもSOS通報は、船長ではなく参加生徒から送られたという。これも信じられない話である。

学校も問題を起こした組織も現場での献花はされていない。選挙を控えた知事が今になって選挙パフォーマンスで献花したという。遺族からしたらふざけるなと言う話である。どうやら、船に乗っていた組織の人間が船長以外に1人おり、その人間は現在も座り込みに参加しているという。組織内でも抗議行動に対して、自粛派と継続派に分かれているらしいが、たとえ喪章をつけても、人間として事故に深く関わった人間が、遺族に謝罪もせぬまま活動を継続するのは、ゆるされるものではないだろう、と私は思う。

県は、文部省や海上保安庁などが動いており、出来ることと出来ないことがあるなどと言っているようだ。沖縄の警察は知事の指揮下にあり左派に甘く、マスコミ(沖縄タイムス・琉球新報)も左派勢力であり、この事件についても報道は抑えられているという。沖縄県政は、まさに暗黒の状況である。

たしかに、沖縄に米軍基地が集中し、それに反対する気持ちもわからぬではない。だが、反対組織を支持しようと思っても、その人間性の欠如は、あまりに酷すぎる。今回の犯罪的な事件で、多くの人々はそう考えるのではないか。支持の集まらない政治運動は自己満足でしか無い。

2026年4月20日月曜日

沢木『天空の旅人』断片10

沢木耕太郎の『天空の旅人』の断片、いよいよ最終回である。西川はネパールに入った。ある集落のそばで、米を炊き上げたところでで驟雨になった。貧しそうなネパール人が家に招き入れてくれた。「狭い家だが今夜はここで休みなさい。」と言ってくれ、冷たくなった飯を食べようとすると、羊の臓物を丼にして持って来てくれた。「少ないけれど。」カマドには妻と3人の子供が臓物が煮るのをじっと待っていた。それをまず西川に持ってきてくれたのだ。西川の目から涙が流れてきた。ああ、仏だ。初めて本当の仏の姿を見た。翌朝、わずかな金を置こうとしたが主人は受け取らなかった。

カトマンズでは、顔見知りの先輩ラマ僧の面倒を見ていたが、かなり回復してきたのでチベットに近いインドのカリンボンまで連れて行くことになった。1年ぶりに火葬場の老修行僧と再会した。 ビルマ潜入を考えたが、ビザが必要ということがわかった。ところがグルカ兵には移民の門が開かれており、彼らはカルカッタとアッサムを結ぶ鉄道工事の人夫をしながら入国許可を待っているらしい。ところで西川は、英蔵辞典は持っていたが、蔵英辞典を欲していた。チベット語をさらに深めるためだった。結局、ダージリンに70ルピーで5冊残っていることがわかった。工事現場では、1日2.5ルピーになるという。この費用を稼げてしかもビルマに行けそうで絵ある。…採用された西川はなんと恵まれているのだろうと思った。

(蒙古からの)駝夫の日々、物乞いたちとの日々、デブン寺の初年坊主の日々、新聞社での見習い職工の日々、そして工事現場での人夫と、全て人から見れば最下層の生活であったかも知れないが、自由に自分で選んだ生活である。やめたければいつでもやめることが出来たし、この低い生活を受け入れれば、失うことを恐れたり、階段を踏み外したり、坂を転げ落ちることを心配することもない。

…しかも西川は、ラマ僧として、巡礼の旅は托鉢や御詠歌で食を得てきた。西川にとっては幸せな日々だったと私は思う。自らの体力で数々の困難を乗り越え、それに喜びを感じる日々だったに違いない。

しかし、この旅が急に終わる時が来る。工事の休日に、現場監督とインド人警察官が来て、「君はニシカワだね。」と尋問されたのだった。この背景は、木村がラサから中国人ともども国外追放になり、カルカッタで密航しようとして拒否され、日本人がいることがバレると危ないと自ら自首し、西川のことも白状していたのである。

プレジデンシーという刑務所に二人は収監される。運動場から監房に戻る共産党の青年たちは隊列を作り「インターナショナル」を歌っていた。チャンドラ・ボースの甥やネルー狙撃犯もいた。西川を喜ばせたのは、蔵英辞典が送られてきたことである。取り調べの時になんとかしてあげようと言われ、代金を渡してあったが、約束をきちんと果たしてくれたのだった。西川と木村は、カルカッタから日本へ向かう英国船籍の貨客船で帰国する。ラングーン、ペナン島、シンガポール、香港を経由して…。大隅半島が見えた時、目が潤んだのは当然であろう。ただ、同時に8年に及ぶ長い旅が本当に終わってしまう物悲しさがあった。

…すでに、山本の帰国後のことは記しておいた。(4月15日付ブログ参照)西川とは全く違う。たしかに山本は大学教授にまで出世したのだが、私は西川の「美学」にこそ惹かれる。おそらく著者の沢木耕太郎もそうだろうと思う。西川は、この旅の記録を残そうと原稿を書き続けたが、その後は、365日地道に働き続けた。二人ともすでに鬼籍に入っている。沢木が西川の本棚整理を家族に頼まれて。山本の書いた『チベット潜行十年』を発見したのが、西川が読んだ形跡はなかった。またインタヴューで「(最後の帰国のきかっけとなった自首に際して)あなたが木村さんの立場ならどうされていたか?」「木村くんの意思を確かめてます。」と述べている。西川の『秘境西域八年の潜行』には「(木村に)密告された。」とある。かなり強い表現である。よほど悔しかったのだろう。

…西川にとっては、まだまだ旅を続けたかったのである。またその自信があったに違いない。西川の「美学」、これは、今の日本で忘れさられた「心象」のような気がしてならない。だからこそ、本書が胸をうつのではないだろうか。

2026年4月18日土曜日

新島襄の自責の杖を知らぬのか

https://www.nishinippon.co.jp/image/929808/
同志社の創立者・新島襄の「自責の杖」事件は広く知られている。学校側のクラス編成に不満を持った学生たちが、新島の不在中にストライキを起こしたのだが、新島はこの事態を深く受け止め、学生を叱責するのではなく、「責任は私にある」として、朝の礼拝時に持参した杖(画像参照)で自分の手を激しく殴打し、学生に所在と責任の所在を示した事件である。

これが同志社の教育の理念ではないのか。同志社国際高校の校長や教員は、このエピソードすら知らないのであろう。あるいは知っていても、知らないふりをしているとしか思えない。

新島襄は逃げなかった。今の校長は国会での参考人として呼ばれても、忙しいと逃げている。呆れ果てている次第。

2026年4月17日金曜日

同志社国際高校の事件考4

https://www.youtube.com/watch?v=lxD-0z7T3bY
このところ、京都南丹市の男子児童の件にメディアの注目が集められた。SNSでは、同志社国際高校の事件への眼をそらすための報道ではないかと言われており、私もそう思う。

昨日、参議院の文教科学委員会での伊藤たかえ議員の質問のYouTubeを見た。改めて、同志社国際高校、旅行業者などへの怒りが込み上げてきた。是非ご覧いただきたい。

https://www.youtube.com/watch?v=lxD-0z7T3bY

まずは、西田校長の始業式(礼拝での講話)での「事故が起こった直接的な原因は私にはないんですけれど…」「私たちの学校がしている平和教育というものは、思想的・政治的に偏ったものを提供するものではない。そんこことだけは信じてください。」「今回のこと、学校はある意味リスタート。平和の再構築のために、これから進んでいきます。」という発言…。

はっきり申し上げて馬鹿ではないのかと思う。反省のかけらも感じれない。しかも被害者への黙祷も行われていない。国語の教師であったらしいが、その国語力の低さに驚く。あれだけの事件を起こし、責任を回避し、教育基本法を破りながら思想的・政治的に偏ったものを提供するものではないとし、リスタートの意味さえわかっていない。彼に教育者などという称号はあてはまらない、いや人間として許せない。

また被害者の保護者のNOTEによると、被害者の遺品は、旅行社にボロボロの段ボールに入れられていたとのこと。まったくありえない話である。学校の配慮もクソもないし、旅行社もそのままにしていることが全く理解できない。人間の所作ではなく、鬼畜である。

これらのNOTEにかかれている内容を伊藤議員がするどく追求している。文科大臣も答弁書でありきたりの回答していて苦しそうであったが、大臣も被害者の保護者のNOTEを熟読しており、最後の答弁書抜きでの答弁では、議員と同感であることがわかる。

左翼の人間は、特に責任転嫁しながら体制側を批判することが常である。その一例として挙げておきたい話がある。日本共産党は、以前(45年前)石油備蓄について戦争準備だと大反対していたのだが、今回の石油供給危機にあたって、なぜもっと備蓄量を増やしておかなかったのかと批判している。彼らの党ポスターには「国民のためにブレずに働く」というコピーが書かれている。大嘘つきである。ブレまくっている。恥ずかしくないのだろうか?https://www.jcp.or.jp/web_download/16436/

結局校長は、アメリカ軍や国が悪い、と思っているのだろう。それは違う。被害者が出たのは、校長・学校の責任である。もし、教員が同乗していれば、(教育関係者の端くれとして断言するが)絶対人数確認を行う。ならば助かったかもしれない尊い生命なのである。

2026年4月6日月曜日

ブルキナファソの現状を憂う

我が愛するブルキナファソの現状は非常に憂うべき状況にある。軍事政権の暫定大統領が、国営TVのインタヴューで、「国民は民主主義を忘れる必要がある」と述べたとの報道が流れた。昨年、選挙管理委員会を解散させ、今年2月には活動停止中だった政党を全て解散させた。「そもそも選挙などしている場合ではない、我が国に民主主義は不要だ。」とも語ったようだ。

国連は、ブルキナファソに政党解散命令の撤回と市民社会への弾圧をやめるよう強く要請したが、軍事政権は、西側諸国特に旧宗主国のフランスを敵視しており、多数の国際メディアを活動休止、一部ジャーナリストを国外追放している。

この背景には、イスラム過激派による1800人を超える民間人を虐殺、過激派への協力を疑われた民間人を軍が処刑したという背景がある。まさに国家非常事態といえる。

https://www.yomiuri.co.jp/world/20260402GYT1T00302/#google_vignette

ブルキナに足を運んだことのある私は、ブルキナべ達が、イスラム教徒もキリスト教徒も平和的に共存していたことを知っている。北部のサヘル地域に、ニジェールやマリから、過激派が侵入しているので、私が訪れたサヘルの村はどうなっているのだろうと暗澹な気持ちになる。そもそも世界的にも最も貧困な地域であるが、当時少女だった子たち(画像参照)はうまく逃げ出せただろうか。彼らの財産である牛は確保できているのだろうか、と思う。

また、反イスラム感情の高まりを受けて、首都ワガドゥグーのコーラン学校の生徒たち(事実上は、貧困故に親に口減しされた子供たち)は、ちゃんと食事にありつけているのだろうかと思う。

たしかに、軍事政権が言う「民主主義を忘れる必要がある。」という言霊には強い毒が潜んでいると思うが、国連の形式的な言(国連は言うだけで何もしてくれないし、マリや二ジェールから反仏的な政権が出来たことで仏軍も撤退してしまった。)に比べて、はるかに真実味がある。そもそもフランスの過去の帝国主義政策が招いたこの混乱、フランスはどう受け止めているのだろうか。

2026年4月3日金曜日

同志社国際高校の事件考3

https://note.com/beloved_tomoka/n/nd0be0c700d87
辺野古の事件について、様々な報道がネット上でなされている。産経新聞はかなり報道しているようだが、左翼が多いメディアは報道していないようだ。沖縄知事と旅行会社の関係の深さや、抗議団体側の発言、はたまた右の百田氏の発言など、あまり触れたくない話が多い。

一番重要なのは、被害者の保護者が立ち上げたNOTEを読むことではないか。そこに書かれてあることが最も重要である、と私は思う。

https://note.com/beloved_tomoka/n/nd0be0c700d87

保護者は、左も右も自分に都合の良い身勝手な発言をしていることに冷静に批判している。左翼活動家が言うようにこの辺野古反対運動に賛同したいなどと思っていなかったこと。また百田氏の十分認識していて抗議船に乗ったゆえの自己責任論にも、反論している。当時のシチュエーションを考えて欲しい。乗船拒否できる状況ではない。そもそも、辺野古を含むFコースには、水族館が含まれており、そこに行きたくて、コースを選択したのであることを明言されている。

2026年3月28日土曜日

同志社国際高校の事件考2

https://sirabee.com/2026/03/17/20163529806/
沖縄辺野古の事件が、さらに深堀りされている。
教育関係者として、最も重要だと思うのが、過去の修学旅行の平和学習で、基地前で「座り込み」をさせられたというOBからの情報、ならびに学校からの書類”座り込みの注意事項”の存在が示されたことである。これは明らかに教育基本法14条第2項の「特定の政党を支持・反対するための政治教育、その他支持活動をしてはならない。」に違反している。また修学旅行のコース変更には、馬鹿馬鹿しいほど極めて高いハードルもあったようだし、普段から左翼的な指導に反発するれば単位認定も厳しくなったという証言がOBから出ている。同志社国際高校は、優秀な帰国子女が多い学校なのだが、民青やしばき隊の生産工場であったのか。

さらに、この辺野古の基地(元々辺野古には米軍キャンプが存在し、嘉手納基地から移転するための滑走路の延長工事)の反対派には、様々な労働組合(教職員組合や民放の労働組合も含まれる)から8億円とも言われるの多額の資金が集まっていることもわかった。転覆した船についても某左翼政党の機関誌に、寄付されたことが明確に載っている。しかしながら、辺野古の地元民の多数は基地の存在に反対ではないことも明らかになった。

一方、プロテスタントの各教会の多くが、左翼、リベラル派であり、反原発やLGBTへの支援をしており、その機関誌の1つ『キリスト新聞』には、犠牲になった船長(牧師)への追悼文が載せられているが、犠牲になった生徒のことは、全く言外であった。これは、実に不可解だし、これが宗教者による記事だというのが信じられない。https://www.youtube.com/watch?v=4PB8lEGEHxc

さて、危機管理に関しての指摘もある。海は命を奪うものである、という常識を、元空自の潜水士が何度も指摘していた。小さな船に大勢の生徒を乗せ、生徒が一気に移動した場合バランスを失うし、小船は横波に弱い。波浪注意報の中で出港すること自体考えられないと言われている。この出港に関して、責任を持って止めることが出来なかった事自体が、行政の怠慢(というか、反対組織と癒着していて動かなかった)であり、これは事故ではなく犯罪であると結論づけている。(前回記した私の北海道修学旅行での漁船体験では、かなり大きな船だったし、しかも広い漁港内を回遊したにすぎない。もし、波浪注意報が出ていたら、漁協が許可しなかったであろう。)
https://www.youtube.com/watch?v=0TIAjaeuILc

様々な事実が明らかになり、犠牲になった女子高生がますます不憫になるのだが、彼女の死を無駄にしないためにも、この事件の闇をさらに暴いていって欲しいものだ。オールドメディアの民放の労組は、報道しない自由を選ぶだろうが…。

2026年3月26日木曜日

同志社国際高校の事件考

https://znn.jp/2020/02/post-25632.html
沖縄・辺野古基地建設現場を視察する平和学習で、乗船していた女子生徒が水死した痛ましい事件について、かなり情報が出揃ったので私なりに考察しようと思う。同志社国際高校は、現・京田辺市(当時は田辺町)に住んでいた私にとって身近な存在である。同志社大学(京田辺キャンパス)と同志社女子大学に隣接した、レンガ風の校舎で、好印象な学校であったので、実に残念である。

まずは、「平和学習」について。辺野古基地の建設現場を、教員不在で抗議船に波浪注意報の中、生徒を乗船させるという行為は、過激すぎると言わざるを得ない。(過去の事例で、防空壕の中に閉じ込められ、泣き出したOGもいたという。)たしかに沖縄に米軍基地が集中しすぎており、それに対する批判があっても当然であると思うが、成田空港建設時の三里塚闘争で、反対派の”やぐら”(画像参照)にのぼる体験をさせるのに等しい、と私は思う。高校生の平和学習という範疇からは、大きく逸脱している。

教育関係者としては、付き添い教員が乗船しなかったというのが納得できない。北海道の修学旅行で漁船に乗せたことはあるが、当然同行した。教員が乗船するとなにかまずいことがあるのか、と疑うのは当然である。しかもこの抗議船は、法的に認められておらず、保険にも入っていない。これを承認した学校と旅行業者は、全くもって信じられない不誠実さである。

どうも、この抗議船と辺野古基地反対の組織には、某左翼政党がからんでいるようである。2隻のもう一方の船長は、その某左翼政党の地方議員であったことが後日判明した。その反対派組織の代表者は会見場で腕組みをしていて、世間の顰蹙をかった。

私は、この某左翼政党支持の教員に辟易したことが何度もある。選挙時に学校から保護者に電話をして投票依頼をしたり、社会科の教師の中には公然と思想教育のようなことをする者もいた。もちろん全ての某左翼政党支持の教員がそうであった訳ではないが、自らの正義を信じ込み、正義のために何をやってもゆるされるというスターリニズムを想起させられたことが多かった。

左翼に限らず、右翼にも、また宗教的な組織にも、独善的な一面がある。今回の事件でも、反基地闘争は正義であるというドグマがあからさまであった。組織の代表者の腕組みはそれを見事に体現している。しかし、死亡事故の会見に際して、腕組み(心理学的には自己防衛)をする幼児性は、極めて醜い。

思想というものは、突き詰めれば独善に陥りやすい。しかしながら、様々な思想が混在するのが社会の常である。互いの意見を尊重し合いながら物事を進めていく視野の広さを持つ必要がある。それこそが「平和教育」の根本だと思うのだが…。

改めて、大人たちの不誠実かつ独善的な所業によって、尊い生命を奪われた女子高校生に、心から哀悼の意を示したいと思います。合掌。