2023年4月30日日曜日

大学図鑑(関東編)

大学図鑑の座標は、特に関東の大学をよく知らない私などには実に参考になる。マレーシアのPBTにいる時、関東の私立大学を志望する私費生もいたし、国費生の国立大学志望先決定もなかなか難しかった。留学生試験を経てとは言え、学力に応じた志望先を見つけるのにかなり苦労した。今日のエントリーは関東編。

国公立大学、早慶上理、GMARCH、成成明学獨國武、日東駒専、大東亜帝国という並びである。首都圏は人口も多いが、大学も実に多い。この大学群の呼び名には含まれないが、あ、こんなところにと、ICUや東京農大、芝浦工大、北里大、神奈川大、玉川大、文教大、拓殖大、桜美林大などが書き込まれているのが興味深い。いずれにせよ、どこの大学に入学しようが、大学時代をいかに有意義に過ごすかが重要だと私などは思うのである。

2023年4月29日土曜日

大学図鑑(関西編)

受験業界では、東京一工とか、GMARCHであるとか、日東駒専、大東亜帝国、関西では関関同立、産近甲龍などといった大学群の名前が出てくる。You Tubeを見ていると、「大学図鑑」なるものがあることを知った。これは、テーマを設けて、座標軸的に大学群を鳥瞰的に見ようとしたものらしい。買うには及ばないが、検索してみると、意外に関東や関西の大学の画像が多く見つかった。(https://diamond.jp/articles/image/320369などDIAMOND online)

今回の画像は関西の大学をテーマにしたものだが、関東の大学のものも沢山あった。関東の大学にはあまり馴染みがないので、興味深く拝見した。

受験生にとっては、どの大学を選ぶかというのは大問題で、自分の興味分野・将来の希望、自分の学力、家庭の経済力などを鑑みて決めるわけだが、私などは行きたい学部の教授陣の専攻、研究課題などをよく見るように指導しているのだが、まあ、行き当たりばったりもいい。人生にはそういうこともある。(笑)

こういうランク付けというか、大学のブランドについては、世間的に頑然とあることは確かであるが、教え子たちには、これに流されるDasMan(ハイデガーの世界内存在としての「ひと」の意味)ではあるな、と思う次第。

2023年4月28日金曜日

デーツ・シロップ

最近マイブームになっているのは、デーツ(なつめやし)のシロップである。食パンに少しだけ付けて食べると実に美味しい。(糖尿病患者の1人として極めて量には注意している。)そもそもデーツ自体大好きである。イスラエルやマレーシアで大好物のリスト入りした。(笑)

先日、妻が枚方市駅前の店で発見したのが、イランからの輸入品。(画像の左)今日業務スーパーで見つけたのがサウジからの輸入品。(画像の右)うーん、現代の地政学上でも実に意義深い。(笑)どちらも決して安いものではないが、私には嬉しい。

先日ラマダンが終わったが、ムスリムの人々は、日が落ちて夕食時にまずデーツを囓る。栄養価が高く断食後にはベストなんだそうだ。(PBTの生徒の話)生産年齢を過ぎた今は質素な生活を心がけているが、ほんのちょっぴり贅沢な気分である。

2023年4月27日木曜日

受験関係のYou Tube

https://aogijuku.com/know-how/beginner/ziki/k2summer/
商売柄というべきか、受験関係のYou Tubeをよく見る。文科省の入学定数を遵守するようにとのお達し以来、各大学はかなり苦慮している。これまでは多数の受験者を集め、入学検定料と入学金が入り、合格者もかなり水増ししていたはずだが、最近は付属校推薦、指定校推薦、総合型選抜といった、2学期内に合格を決める入学者の割合がかなり増えているようだ。大学の自己防衛なのだと思うのだが、年明けの一般入試は、入学定員が少なくなって、難関私大はかなり狭き門になっているという。反対にここは一般入試で入る大学ではないと高校側に判断されている大学などは定員割れを起こしているようで、今後さらに淘汰が進むだろうという予想がなされている。

私大は、お金持ちの推薦組が集まる仕組みになっているそうだ。その方が就活に有利らしい。さすがに国公立大学は、そのような経済格差はないが、最近の共通テストの難化や前後期試験の難化を見ると予備校や塾に通わざるをえない状況にある。結局、経済格差が尾を引いているような情報ばかりである。

東大のクールな地理 2

https://en.wikipedia.org/wiki/Indian_Ocean_Rim_Association
「東大のクールな地理」より、2018年第2問設問B③の問題が面白かったので続けてエントリーしてみる。「インド洋を取り巻く国々は、1997年に環インド洋連合(IORA)を組織し、貿易・投資の推進など域内協力推進を図っている。東南アジア諸国からアフリカ東南部インド洋沿岸諸国に対して、今後どのような分野での貿易や投資がなされていくと考えられるか。両地域の経済発展の状況を踏まえ、その理由とともに60字で述べなさい。」

IORAの存在は、高校の教科書や資料にも出てこない。東大もそれを承知で、IORAのことを問うているのではない。東南アジアとアフリカ東南部の経済的なつながりを、受験生の持っている知識をもとに類推せよという問題。

ここで登場する東南アジア諸国は、マレーシア、タイ、インドネシアである。いずれも電化製品などの生産が行われている。(日本も部品輸入や組み立てでサプライチェーン化している諸国である。)アフリカ東南部は、ケニア、タンザニア、モザンビークあたり。マダガスカルなんぞは、マレー系の人が住んでいるので米なども輸出しているのかとも考えるのだが…。東南アジアのほうが経済発展しているので、投資に関しては、東南アジア側からであろう。モザンビークもケニアも海上油田などの資源開発が進んでいる。マレーシアやインドネシアはノウハウもあるので投資しやすいし、イスラム教徒も多いのでイスラム金融の出番でもある。私のイメージは大きく膨らむのだが、字数制限は60字である。

正解は、かなりシンプルで「東南アジア諸国から安価な電気機械などが輸出され、経済発展が遅れたアフリカ諸国に対する資源開発のための投資が増える。」(57字)

画像のIORAの地図の薄い緑の部分の示す国々は対話パートナーなんだとか。

2023年4月25日火曜日

東大のクールな地理

訳あって東大の地理(前期試験の記述問題)の研究をしている。25年間の過去問をアマゾンで注文して見たのだが、実は問題自体は奇問難問ではない。問題は国語力で、いかに短く的確な記述で解答できるかが問われる。これは、現役高校生にはかなり難しい。

ところで、先日期日前投票に行った時、支所の横にある地元の市立図書館で、「東大のクールな地理」という河合塾の東大の地理担当講師の本を発見し、早速読んでいる。

いろいろと面白い問題があるのだが、2018年の第二問設問A(3)を見てみよう。「2016年にパナマ運河の拡張工事が完了。幅や水深が大きくなり、非常に大型の船舶以外は通行が可能となった。これにより東アジアの輸出入輸送はどのような影響を受けると考えられるか。輸出品と輸入品の例をあげ、次の語句をすべて用いて90字以内で述べなさい。コンテナ船 ばら積み船 陸上輸送 輸送費 アメリカ大陸」(趣意)

まず、この運河の改修によって、ネオパナマックサイズがスタンダードとなった。このサイズには、コンテナ船とLPG船の割合が圧倒的に多い。次に東アジアの貿易と規定されているので、アメリカと中国、そして日本の輸出入品が多くを占めている。船舶の種類としては、コンテナ船は工業製品が多く、ばら積み船は鉱石や穀物が多い。さて、アメリカ大陸の陸上輸送は、鉄道のほうが輸送費が安くつく、とはいってもパナマ経由の海上輸送のほうがさらに安い。これらをまとめて、90字以内に納めるわけだ。

著者の正解は、「東アジアからはコンテナ船の大型化により工業製品が多く輸出され、アメリカ大陸からは、陸上輸送で運んでいた穀物も輸送費の安いばら積み船での輸送が可能になり、互いの輸送量が増加する。」(89字)である。…なるほど。内容は私でも十分わかるが90字に納めるのが実に難しい。こりゃあ、地理の知識を身につけることはもちろん、何度も何度もトレーニングしなければ書けない、と思うのである。

東大地理は、世界史よりはイージーだと思う(22年12月15日付ブログ参照)が、東大の受験生に求める国語力、まさに恐るべしである。

2023年4月24日月曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅺ

https://jp.rbth.com/arts/82318-roshia-ha-isuramukyou-koku-ka
山内昌之・佐藤優「大日本史」のエピローグを記しておきたい。佐藤優のあとがきに、第一バイオリンは山内氏、第2バイオリンが佐藤氏であったと述べている。膨大な知識を有する知識人である山内氏を、通常のの外交官とは異なるインテリジェンス業務をしていた佐藤氏が、表に出てこない政治の舞台裏の「文法」でもって共鳴していったというわけだ。外交交渉は最初から答えが決まっている。それを同じく結論が決まっている組織神学のアプローチで読み解いてきたとも。

山内氏との出会いは、民族問題を外務省に委託研究され、モスクワに来訪した時以来。民族問題への知的関心を呼び起こされたことと共にその人柄に大きな影響を受けた。山内氏はまさに高度な学識と行動が乖離しないインテリゲンチャであると。その後佐藤氏が国策捜査で、起訴され、テレアビブ大学主催国際学会「東と西の間のロシア」に7人の民間学者、6人の外務省メンバーを派遣した際の背任を問われたが、このときの民間学者の1人が山内氏であったそうである。他の学者は特捜検察に全面的に迎合したが、山内氏は検察との軋轢を恐れずフェアに対処してくれた、まさにインテリゲンチャであったという。…最後の最後に爽やかな気分で、この新書を閉じることが出来たのだった。

ところで、両氏が出会ったモスクワで、23日、何万人ものイスラム教徒が「神は偉大なり」と叫びながら中央モスク(画像参照)の周囲を行進しているらしい。単に今年のラマダン終了の喜びならいいのだが、発砲音も聞こえるとか…。

https://www.youtube.com/watch?v=xb62oNZMvjQ&t=7s&ab_channel=%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E9%9B%85%E4%B8%80%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E5%A4%A7%E5%AD%A6

2023年4月23日日曜日

スーダン RSFの下剋上 考

https://taz.de/Protestbewegung-im-Sudan/!5587961/
最近、アフリカ留魂録と銘打っている割にアフリカの話題が減っている。せめて月1回はエントリーしたいと思っているのだが、今はスーダンの内戦と邦人救助のため自衛隊がジブチに飛んだという話になってしまう。スーダンの正規軍に対して反乱を起こしたRSF(即応支援部隊)の権力闘争だという評論がもっぱらである。このRSF、スーダン版のワグネルだと言われている。(ワグネルというのは、ロシアの傭兵組織と言うか、プーチンの私兵組織といったものである。)つまり、スーダンのバシル政権が設置した、軍のクーダターが起こった場合のカウンター的暴力装置であり、正規軍との兵力は拮抗してる。

ダルフール紛争時に、反政府勢力との戦いの尖兵として戦ったが、その際に蓄財したし、金鉱山の利権を手に入れたり、企業を立ち上げたりして経済力も増してきた。サウジやロシアの支援も受けている。リビア内戦では、前述のワグネルと関係を深め文字通り傭兵として儲けてもいる。そのRSFが下剋上に及んでいるというわけだ。

ふと、思うにスーダンは当然ながらイスラム教・スンニー派のアラブ人世界である。国家主権を保証する普遍性はイスラム教にあるが、いまや全世界的に認証されるべきカリフは存在せず、イスラム教では法人という概念がない。結局のところ、最も実力を持つ「人」が支配する構造になっている。最古の例ではムアーウィアーのウマイヤ朝で、現在ではサウジ王家しかり、湾岸諸国の首長しかり。したがって、こういう下剋上は歴史的にみると、当然ありうべきことになるわけだ。

ちなみに、我がマレーシアは、イスラム国家でありながら、法人的な近代国家を構築している。イギリスの植民地政策に由来する華人やインド系移民の存在を受容することで平和裏に独立したという歴史が、イギリスを模した立憲君主制の議会制民主主義国家を生んだのに相違ない。同じイスラム教スンニー派でも全く異なるわけだ。例外的と言った方がいい。アフリカの話であるのに、マレーシアと対比することになってしまったが、このあたりの社会学的な国家観、実に興味深いところである。

2023年4月22日土曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅹ

https://eiga.com
/movie/38504/
第7章は「太平洋戦争 開戦と終戦のドラマ」である。本庄繁は、満州事変時の関東軍司令官。天皇の統帥権を踏みにじった張本人なのだが、二・二六事件のときの侍従武官長でもある。41回も呼び出され天皇の逆鱗に触れているが、何もわかっていないようで、陸軍首脳から首謀者一同を自決させるにあたり勅使を賜りたいという申し出があったと上奏して、激しく叱責されていると山内氏。天皇と陸軍の関係はこのようなもので、まさに天皇軽視であった。天皇は明治天皇の「よもの海みなはらから(同胞)と思ふ世に など波風のたちさわくらむ」という御製を読み上げ、避戦への思いを明かされる。昭和天皇は、後のポツダム宣言受諾時にも、三国干渉時の明治天皇を引き合いに出されているおり、異なる史実をアナロジーとして理解する思考がみてとれると山内氏。一方、陸軍は、3~5ヶ月しか攻勢は続かないという読みがありながら、「勝てる」という想定しかできなかった。「負ける」と言ったら自分の地位、軍隊の存在価値が否定されるという前提でしか思考できなかった、どの程度の負けなら許容できるか、その時の幕引きをどうするか想定しない軍、政治のあり方が異常だ、と佐藤氏。

外務省の迷走は先日記したとおりだが、東郷重徳(彼は半藤一利の『日本のいちばん長い日』で和平派として活躍したというイメージがつくられてっっしまっているとのこと。)の仕事で、佐藤氏が一番大きかったのは、ポツダム宣言時の意訳としている。日本側が天皇統治の大権を変更しないという条件をつけたのに対して、連合国は「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に"be subject to"する」とあるのを、「制限化におかれる」と訳した。普通に訳せば、隷属する、支配されるで、軍部も違うといったが、「英語ができないものが何を言うか」と押し切った。まさにアクロバティックな意訳である。連合国である"United Nation"を「国際連合」と訳したのも同様で、山内氏は「外務省文学のマジック」と呼んでいる。(笑)…たしかに、国連は連合国なのだと、授業で教えている。

さて”日本のいちばん長い日"=宮城事件の際、阿南惟幾陸相は、クーデター計画を知らされ、御前会議後、クーデター計画を立案した義弟の竹下正彦中佐に、陸相を辞任して内閣を総辞職させるか割腹するかを迫られる。此れに対し、「承詔必勤」天皇の言葉は絶対だと退ける。15日朝5時半、陸相官邸で阿南は割腹。この報が広がり反乱も収束していく。11時にクーデターの首謀者、椎崎中佐、畑中中佐が二重橋近くの芝生で自刃。陸軍のどうしようもない憑き物を阿南は落としカタルシスをもたらしたと山内氏。ちなみに、義兄に迫った竹内正彦中佐を調べてみると、かのとんでもない皇国史観の歴史家の東大・平泉澄(2014年2月19日付ブログ参照)の弟子で、後に警察予備隊から陸相となり、自衛隊幹部学校長になっている。1989年まで生きたようだ。これには少なからず驚いた。阿南の割腹時に生きのこれといわれたからだと思われる。

2023年4月21日金曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅸ

https://ameblo.jp/overseastourism/entry-12095295107.html
第6章は、「二・二六事件から日中戦争へ」である。昨日、トルコ大統領選挙についてエントリーしたが、実は二・二六事件とトルコは関係がある。二・二六事件の中心人物、橋本欣五郎は参謀本部ロシア班長で、その直前までイスタンブールで駐在武官を努めていた。ケマル・アタテュルクのトルコ革命の成功を目の当たりにして、軍人による国家改造というアイデアを抱いて帰国する。だが、ケマル・アタテュルクらのような緻密さはなく、安易にクーデターを起こせると思っていたので失敗したわけだ。2人の二・二六事件への評価は、青年将校の官僚主義の暴走、全能感といった幼稚性だと指摘し、かなり手厳しい。ともすれば「国を憂いた青年将校」とか「農村の疲弊を放置する支配体制への異議」といったロマン主義的な見方は排するべきだと主張している。

日中戦争については、陸軍より外務省、特に広田弘毅への批判を強めている。陸軍の関心は対ソ連戦であって、蒋介石と長期戦などやっている場合ではないというのが当時のスタンスで、参謀本部・作戦部長だった石原莞爾などは不拡大を主張している。これをひっくり返したのが広田弘毅で、城山三郎の『落日燃ゆ』で美しく描かれすぎていると山内氏。私もこの『落日燃ゆ』を読み、極東軍事裁判で死刑になった唯一の文官というイメージを持っている。昨年読んだ頭山満との繋がりもあって意外な展開だった。たしかに、2人の指摘を見ると陸軍と外務省の立場が逆転している。はるかに幣原喜重郎のスタンスのほうが優れていて、幣原は、もっと見直されてもいいのではないかと結ばれている。

2023年4月20日木曜日

5月のトルコ大統領選について

http://blog.livedoor.jp/pacco303/archives/62287567.html
5月14日にトルコ大統領選挙が行われる。ちょうどトルコ共和国建国100周年の節目。現エルドアン大統領は、比較的イスラム色が強い。同時にNATOの一員でありながら比較的ロシアにも近い。経済政策は失政が続き、地震対策などでも批判が強い。対抗馬は、トルコのガンジーと呼ばれる野党6党統一候補のクルチダルオール候補である。この野党の中にはクルド人の政党も含まれており、クルドとは融和的である。現在は世論調査でクルチダルオールが若干リードしているようだ.

クルチダルオールはEU加盟交渉を再開し、エルドアンが投獄した反政府活動家の釈放を求める欧州人権裁判所の決定を実施すると主張している。ヨーロッパに、非イスラム、そして民主化を印象付けたいようだ。と、いうわけで、ずいぶんとヨーロッパ寄りなわけだが、実際にEU加盟はかなり難しいだろうと言われている。双方に価値観の相違や信頼がないことが最大の理由で、しかもトルコは現在移民のプール(シリア難民400万人)となっている。ヨーロッパは移民の受け入れを拒んでいるわけで、そう簡単にはいくまい。そこで、シリア難民を自発的に帰還させると公約している。たしかに難民対策費用は税で賄われており国民の不満も高いのだが、シリアは交渉の前提としてトルコ軍の完全撤退を主張しており、到底うまくいくとは思えない。クルチダルオールの公約は、日本の野党同様かなり絵空事的である。

NATOとアメリカとの関係では、クルチダルオールは、エルドアンがクルド問題でSTOPしているスウェーデンのNATO加盟を推進すべきだとしている。アメリカとは、エルドアンがロシアのミサイル購入以来、揉めていてF35を手に入れることはできない状態になっているのだが、クルチダルオールは、アメリカ大使と密談したことがわかっており、なんらかの謀略が進んでいるのかもしれない。

またエルドアンのトルコはロシアへの経済制裁を拒否しながら、ウクライナへの武器供給を行っている。またウクライナの穀物輸出(黒海の航行)を助けている。このようなエルドアンのロシア・ウクライナ両国の仲介政策に異を唱えているのがクルチダルオールである。

結局のところ、虎さんの政策を全部ひっくり返した梅田のような感じで、どうも…という感じである。エルドアンが良い、とはいえないところも多いのだが、こういうポピュリズムがトルコのガンジーと言われるのは、ガンジーに失礼なように思うのだが…。

いずれにせよ、トルコが、G7側につくのか、BRICS側につくのか?今後の国際情勢に大きな影響を当たることは間違いない。

2023年4月19日水曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅷ

第5章「満州事変と天皇機関説」のエントリー。この章で最も記しておきたいのが永田鉄山(統制派の中心人物としても有名)のことである。昭和前期の軍部の台頭は、1931年の満州事変が決定的である。柳条湖事件の首謀者として、関東軍作戦主任参謀だった石原莞爾とその上官の高級参謀・板垣征四郎が挙げられてきたが、一部の暴走だと見てしまうのは危険だと山内氏。満蒙問題については、陸軍がコントロールできる体制を作り上げることの陸軍内コンセンサスがあり、方法論とどれくらい関わるかが問題であった。佐藤氏は、外務省でも先輩からの話として、対米戦争も辞さずに満蒙問題を解決すべきという右派と平和裏な形で満蒙問題を解決すべきという左派(マルクス主義とは無関係)が存在していたとのこと。

満州事変を成功させるには、朝鮮軍を越境させねば兵力は不足し、その予算支出が必要、天皇への上奏、内閣による閣議決定も通さねばならない。つまり日本の国家機構を動かす必要がある。このシナリオを作り、コントロールそたのが、当時陸軍省軍事課長だった永田鉄山である。永田は課長でありながら、その能力において一頭地を抜いており、参謀本部や陸軍省の部長や局長級クラスの会議にも参加を許されていた。この柳条湖事件は、陸軍刑法に照らしても大罪だったが、その後の政治プロセスは国際法的にも瑕疵はないと説明、国内的は合法的な手続きをきちんと踏まえて行動を進めていった。実に永田は冷静であると山内氏。これと関連して、佐藤氏が面白いことを言っている。「この種の謀略は、米英はやまほどやっている。謀略というのは何度も仕掛けるものではなく、大きなものを1つやればいい。発覚しなければ問題ないが、バレたとしても、やったやらないの水掛け論に持ち込めれば十分、というのが彼らの論理。その意味で柳条湖事件は当時の報道や国際的な反応も両論併記だったので成功といえる。」

…たしかにトンキン湾事件をはじめ、おそらくはウクライナでも策略が横行しているのだろう。

永田の凄いエピソードがある。参謀総長が天皇に上奏する直前、(内閣の予算支出や経理的な処理が終わっていない=内閣の承認が得られていない故に、軍部の独走と言われる可能性があるので、)朝鮮軍越境したという事実だけを伝えるよう電話で指示している。課長が、参謀総長に指示しているのである。軍は政治には関わっていはいけないという禁じ手を完璧に実行してのける危険な存在であったわけだ。この永田は、1935年相沢中佐に暗殺される。この後、永田のような国家の長期ビジョンも科学的合理性も法的手続きの正当性への配慮もない単細胞の軍人たちが下剋上と強引な政治介入の禁じ手のうわべだけを引き継いでいくことになった、と山内氏。ちなみに永田鉄山は徹底して合理的主義的に戦争を考えており、総力戦に備え高度な科学技術に支えられた国防体制の必要性を解いていた。画像にあるように、同じ統制派でも東條ではなく、永田鉄山だったなら歴史は変わっていただろうと山内氏。

天皇機関説の話では、蓑田胸喜の話が出てくる。東大に残れなかったルサンチマンの反エリート闘争で、「原理日本」という雑誌で、知識人たちを震え上がらせるぐらいのすさまじいレトリックとパワーで、美濃部を攻撃する。かの大川周明も蓑田胸喜に噛みつかれて、「日本二千六百年史」では不敬罪で告訴されている。反エリート闘争のパワーは軽視できないとのこと。この章を、佐藤氏は、昭和史は教訓の宝庫である、と結んでいる。

2023年4月18日火曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅶ

第4章は「日米対立を生んだシベリア出兵」である。WWⅠから話が始まる。日本人はこのWWⅠへの参戦の記憶が薄い。日英同盟の関係で連合国側について参戦し、青島や南洋諸島などのドイツ領を占領したという限定的な意識しかない。私も同様だ。山内氏は、開戦から3年後の1917年、日本海軍はイギリスの要請から、9隻の艦隊(巡洋艦1・駆逐艦8、後に駆逐艦は4隻増派)を地中海に派遣していることを教えてくれる。マルタ島を拠点に、ドイツの無制限潜水艦作戦に対抗し、アレキサンドリアをつなぐ輸送船を護衛た”ビッグコンボイ”の中心だったとのこと。この地中海派遣で戦後のパリ講和会議で発言力を増すことができたわけだ。陸軍は再三の派遣要求を拒否している。海軍も、潜水艦攻撃に対抗するこのシーレーン防衛の重要性を学びながら、WWⅡで活かすことはできなかった。

2人は、このWWⅠは、ドイツとイギリス双方が、周辺にあるアメリカと日本をいかに味方につけようとしていたか、プロパガンダを展開した事実を確認している。すでに、時代はイギリス帝国も斜陽化しており、太平洋を挟んだ海軍国の日米の覇権争いの時代に入っていたのである。

あまり話題に上らないシベリア出兵について、この本では注目している。ロシア革命後の国際協調として日本もシベリア出兵するのだが、サハリンの石油欲しさに他国が撤兵する中、居残る。これがアメリカの逆鱗に触れるのである。これがやがてWWⅡへと繋がっていく。

この章の最後に、実に重要な指摘が佐藤氏から出されている。WWⅠ後のヨーロッパでは、大殺戮と大量破壊を目の当たりにして、人間の理性の帰結、科学技術の進歩の結果がこれか、という大変な衝撃を受ける。啓蒙の限界、理性への不信が表立ってくる。これまでの常識を見直そうという理論が様々な分野で行われる。カール・バルトやハイデガー、ヴィトゲンシュタイン…。数学でもゲーデルの不完全性定理、量子力学ハイゼンベルグの不確定性原理などであるが、アメリカと日本はその外側にあって、戦勝国であり自国の上で血を流さなかった。だからアメリカは、WWⅠは物量と新技術の勝利という次元で捉えられた。アメリカだけ啓蒙と合理化の時代が続いてしまった。この先送りのツケが様々な形で噴き出している現代のアメリカでないか、といわけだ。…納得である。グローバリズム・アメリカナイズは、かなり金属疲労を起こしていると私も思う次第。

2023年4月16日日曜日

THE ALFEEのこと Ⅵ

http://priucesshanage.blog.jp/
久しぶりにTHE ALFEEのことについてエントリーしようと思う。だいぶ前に、北斎の映画を見に行った時、THE ALFEEの秋ツアーが枚方であることがわかった。(昨年も来たらしい。)もしチケットが取れたら行きたいと思っている。暮れからずっと聞いているけど、結成50周年を迎えるバンドで、当然カバーしきれていないのだが、このへんでそろそろ私のベスト10(くらい)を決めてもいいかなと思ったのだ。ランキングというよりも10曲程度のお気に入りを選ぶという感じだ。ただし、圧倒的に人気が高い「星空のディスタンス」、「メリアーン」、そして「SWEAT&TEARS」は、殿堂入りということで、含めない。

まずは、「クリスティーナ」「サファイアの瞳」「Brave Love Galaxy Express 999」の三曲。曲自体と編曲、リフとコーラスも含めて、ものすごく完成度が高い三曲である。メインボーカルは全て櫻井。言うことなしの美声と声量。作詩については当然全て高見沢で、サファイアの瞳は、かなりヤバい内容だと思う。クリスティーナはギリギリ。(笑)クリスティーナとサファイアの瞳は、坂崎がシンセドラムを叩いていてノリが加速されている。サファイアの瞳では、櫻井が間奏でチョッパー奏法を披露する。いつもはおとなしいベースなのだが、そこが最高にいい。クリスティーナはライブ会場とのやり取りまであり、3曲とも、とてもノリがいい。Galaxy Express 999は全てにバランスが良い名曲だ。売れる楽曲というジャンルでTHE ALFEEを代表する三曲ではないかと思う。

「トラベリング・バンド」実にロックンロールっぽい曲で大好きである。これも詩がキリギリで(笑)無茶苦茶ノリがいい。3人のスイッチボーカルが小気味好い。意味不明の『シュプレヒコールはロックンロール』『腰がちぎれれば最高』といった歌詞が妙に耳に残る。(笑)

「ROCKDOM 風に吹かれて」私は高見沢のメイン・ボーカルは声が高いので少し苦手なのだが、この曲は作詞した高見沢本人が歌いたいだろうし、内容が見事にハマっている。会場のコーラスに移行するところも素晴らしい。私がいつも聞いているYou Tubeでは、櫻井がボブ・ディランの原曲を歌う。これを枕に聞くとさらに凄みを増す。1969シリーズの一つで、感動の名曲だと言える。

「PRIDE」人生の応援歌シリーズで殿堂入りの「SWEAT&TEARS」以外では最もインパクトがあるのがこの曲。『すべての罪がゆるされることはないだろう』という歌詞は実にキリスト教的であるが、桜井の歌が染みるし、三人がアカペラで歌うラストは実に圧巻である。生で聞いたら絶対感動して泣くだろうなと思うほどの名曲。

「The 2nd Life‐第二の選択」「My Life Goes On」これも人生の応援歌なのだが、還暦を過ぎたTHE ALFEEだからこそ作り得た2曲だろうと思う。私は彼らの少し下の世代だけれど、それぞれを桜井と坂崎が高見沢の思いを見事に歌い上げている。

「シュプレヒコールに耳を塞いで」フォーク調の坂崎のメインボーカルの曲。間奏で、坂崎と高見沢がアコギで掛け合う。そこが最大の聞きどころだが、1969シリーズの曲で学生運動家の女性との思い出を語っていく詩が実にいい。これは、当時のシチェーションを知らないと理解できないだろうと思うが、私にとっては、フォーク調のTHE ALFEEの代表曲といえば、絶対この曲を押したい。

「冬将軍」同じくフォーク調の初期のこの曲もいい。桜井の「嵐、木枯らし」という透き通った声に、高見沢のスイッチボーカル、そこに坂崎中心のコーラスが見事なコンビネーションを醸し出している。ちょっと古臭く感じるけど、拓郎陽水かぐや姫世代には、実に馴染む。(笑)

次点として、「Affecction」(これも3人のスイッチボーカルの曲でノリがいいが、歌詞が少しばかりはずかしい。)「LOVE」(桜井の歌唱の最高峰、感情移入が素晴らしい。)かな。全く挙げだしたらキリがない。(笑)

こうしてみると、THE ALFEEは、3人共、個性にあった曲でメインボーカルを担当しているし、素晴らしいコーラスを全曲で披露してくれるが、私はスイッチボーカルの曲が好みなのだ、と自己分析できる。ちなみに「SWEAT&TEARS」もスイッチボーカルの方が好き。(笑)また会場とのやりとりやアカペラで最後を締めるといった曲や、「サファイアの瞳」や「トラベリング・バンド」など、その日のLIVEの土地名を櫻井が挿入できる曲も好きで、スタジオではなく、ライブ向きの曲が好きなわけだ。「トラベリング・バンド」で「たどりついたぜ、大阪」という桜井の歌声を秋の枚方で聞いてみたいもんだ。

佐藤優 「大日本史」Ⅵ

https://naritas.jp/wp1/wp/wp-content/uploads/2017/06/images-2.jpg
第3章後編。日露戦争の話になる。昨日最後にでてきた元会津藩士・柴五郎の兄の柴四郎が東海散士のペンネームで「日露戦争・羽川六郎」という近未来小説を書いている。ロシアは平壌まで出てきて膠着状態になり、海軍も大海戦は引きわけ、そこにドイツが干渉するも日本有利と見て味方するのをやめ、英米の調停で日本は樺太全島割譲と賠償金を得る。満州は日英米が共同管理するというもの。作者はペンシルベニア大学を卒業しており、アメリカが希望していた秩序やヴィルヘルム2世の性格をつかんでいるなど、高い見識のもとに書かれているそうだ。…恐るべし、明治のエリートである。

日露戦争は、総力戦で、機関銃の使用が膨大な死傷者を生んだ。WWⅠを先取りしていた。日本海軍の下瀬火薬は大きな影響を与えている。発射後の煙や煤が少なく、早く次の照準をあわせることができ、日本海海戦の勝利に結びついた。ロシア側ではシベリア鉄道の開通で人員や物資の輸送を送り込んできた。この物量戦で戦費も莫大になった。日清戦争で2億円強だったのが、日露戦争では17億円(現在に換算するとおよそ6兆円)に達し、当時の国家予算の5~6年分に相当する。この戦費捻出にあたって、訪米した高橋是清にドイツ生まれのユダヤ系アメリカ人・ジェイコブ・シフ(画像参照)が500万ポンドを引き受けてくれた。ロシアのボグロムへの反発やユダヤ系ネットワークによる情報で日本有利と判断したもあるのは必定だが、投機家としてロスチャイルドやロックフェラーに対して大博打を賭けてきたと見るのが正しそうである。

インテリジェンスの視点から見ると、日本の商社マンの各地の港からバルチック艦隊の情報を東京に伝えていた。日英同盟によって、グローバルな通信網を使えたのも有利に働いた。(当時の国際電話はイギリスが牛耳っていた。)無線についても日本が最新設備を駆使して日本海海戦を戦った。宮古島の漁師が石垣島まで170km船を漕ぎ、無線連絡したことも大きい国民国家化のエピソードである。

山内氏が「観戦武官」を話題にする。13カ国70人以上の軍人が日露戦争を視察している。有名なところでは、WWⅠのガリポリ上陸作戦(イギリスがオスマン・トルコのイスタンブールを占領するため陸海空の三軍を動員した上陸作戦、ノルマンディーのルーツとされる)で活躍したイアン・ハミルトン中将、在日米大使館駐在武官だったアーサー・マッカーサー・JR(D・マッカーサーの父親)、WWⅠで15万のドイツが40万のロシアを破ったタンネンベルグ会戦のプランを立案したマックス・ホフマン大尉。ホフマンは、日露戦争で撤退する時に奉天駅前で、第1軍と第2軍の旅団長が殴り合いをするほど仲が悪かったのを「観戦」していて熟知しており、同じ指揮官のロシア軍であったゆえに、第2軍を叩いても第1軍は来ないということを確信して作戦を立てたのではないかと山内氏。

日露戦争は、陸のロシア対海のイギリス・日本同盟の戦いであった。イギリスは太平洋への関与を縮小させており、太平洋に残された海軍大国は、アメリカと日本となった。日露戦争に勝利した日本は、このパワーバランスの変化・本質を明治以降の政府は十分理解できなかった。戦後、アメリカが好意的中立者という立場で門戸解放を唱え、アメリカ帝国主義の本丸ユーラシア大陸へ進出してくる。シフの援助も鉄道王ハリマンの満鉄共同経営提唱もよく見えてくる。イギリスから見れば、米独日という新興勢力がチャレンジャーであり、最も恐れたのは、アメリカとドイツが手を組むことであった。そこで、イギリスはアメリカと接近し、アングロサクソンという一体感を演出していく。日英同盟はやがて有名無実化し、WWⅠ後は四カ国条約、ワシントン海軍軍縮条約に組み込まれてしまう。むしろイギリスと日英同盟を強化、アメリカとのパワーバランスをとっていくべきだったのではないかという議論になっていく。

佐藤氏は、海洋国家にとって最大の脅威は海洋国家であり、江戸幕府が当時の最大の海洋国家で脅威であったオランダとの関係を注意しつつ維持していたことを評価。これが地政学的な「鎖国」の本来の意味であり、制限された開国であるというのが正しいと。スペインやポルトガルは領土的野心とともに普遍的なイデオロギー(カトリック)を伴っていたことで、極めて危険な存在であった。江戸から日露戦争までの日本は戦略性があった。しかし、日露戦争後一気に希薄になっていく、昭和の悲劇はこの戦争の意義を当の日本がよく理解していなかった故、と山内氏。大和も武蔵も大きすぎてパナマ運河を通れない、良くも悪くも世界戦略の存在がなかったと佐藤氏。…なるほどである。

2023年4月15日土曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅴ

山内昌之・佐藤優の「大日本史」第3章は、「アジアを変えた日清戦争、世界史を変えた日露戦争」である。当時、「眠れる獅子」と呼ばれていた清は潜在的に日本より国力が高いと考えられていた。その担保は海軍力で、北洋艦隊の主力は7000t級で35サンチ砲が4門の装甲艦が2隻。日本海軍の主力、「松島」「橋立」「厳島」の”三景艦”は4000t級で、無理やり32サンチ砲を積んでいて砲塔を旋回するだけで重心が狂い、しかも「松島」は主砲が後部甲板に、残る2隻は前部甲板にあるというキワモノ設計(仏製)で劣勢あった。

黄海海戦について改めて調べてみたが、日本側は、高速・速射砲主体の部隊と低速・重火力の部隊をわけて運用、それが海戦では成功し、旅順、さらに威海衛に逃げた北洋艦隊は、水雷艇や陸上からの攻撃に全面降伏した。制海権を得た日本は、大陸への派兵が順調に進み、勝利している。陸軍兵力、軍艦数で劣った日本が勝利したのは、国民国家化によって士気と練度の高い軍であったのに対し清側は軍閥の私兵(傭兵)であった故である。

この時代を俯瞰すると、世界的にも新興国(米独日)が国民国家を形成し台頭してきた時代で、アメリカは南北戦争後国家を統合が完成するとアラスカを購入、米西戦争でカリブ海、ハワイ、フィリピンに手を伸ばし、ドイツは普仏戦争後、ビスマルクがフランス包囲網を築いている。新興国がトップランナーのイギリスとどういう関係を結ぶかが世界史の方向性を決めた時代と山内氏は語る。

清は、戦費と賠償金のために西洋列強に巨額の借款をうけ租借地に取られ、切り取られていく。三国干渉で仏独露の中国進出が活発化する事態の中、義和団の乱が起こる。日本はイギリスの要請で兵を派遣鎮圧にあたる。北京公使館付き武官だった柴五郎中佐は、英語・仏語・中国語に精通しており、各国の意思疎通をを図り、籠城戦の総指揮を取るなど大活躍を見せた。イギリスは軍事力だけでなく、外交力、国際法の理解、信義を守る誠実さなどで日本を高く評価し、日英同盟を結んだたようである。当時ロシアとの中央ジアを巡る覇権争いなど、孤立していたイギリスは、日本を極東のシーレーン保持の同盟者に選んだといってよい。

…柴五郎も改めて調べてみた。会津藩出身で会津戦争時、一族の女性(祖母や母、妹など)は自刃している。陸軍士官学校3期生で秋山好古と同期。大本営参謀後、日清戦争出征。米西戦争視察。義和団後は、日露戦争出征。最終的に大将に親任された。退役、敗戦後、自決を図ったが老齢の為果たせず、その怪我がもとで死去。退役しながらも、陸軍軍人としての責任を痛感しての自刃だったのだろう。会津人としての差別に苦労しながら、また陸軍大学校OBでなかったが、大将にせざるをえなかった大人物である。合掌。

2023年4月14日金曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅳ

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山内昌之・佐藤優の「大日本史」第2章、「西郷と大久保はなぜ決別したのか」書評の続きである。「公議輿論」の重要性について。憲法制度は決定的に条約制度と関係する。法治国家でなければ国際社会のメンバーとして認められない。「富国強兵」に必要不可欠だった。この論理とは別に早くから議会設立という目標があったことが明治期の大きな特徴だといえる、と山内氏。いずれにしても、明治維新では、富国強兵、議会と政党の設立、憲法制定などの複数の目標を同時に追求しつつ、政策の重点や情勢の変化に応じて、その時時のリーダーが入れ替わり、柔軟に対応できた。それがあの危機的な時期を生き抜けた大きな要因だった、と続ける。

アーネスト・サトウの話も面白い。彼は、英国外交史最大の日本通で、西郷が好きだったようで、西南戦争時まさに出陣という時に鹿児島を訪れている。しかし西郷を警備する者が聞き耳を立てていて、西郷も別に大した話をしなかった。失望して帰京、勝海舟を訪ねると、「大久保と黒田清隆を辞職させたら内乱は終わる」と言い、今の政府は長州人と長州出身者の助けを借りている薩摩人から成り立っており、それが薩摩士族と戦っているのだと分析した。…なるほどである。勝もサトウも西郷側に友情を感じているわけだ。

佐藤氏は、ソ連崩壊に、ブルブリス国務長官から「今の世の中には三種類のエリートがいる。ソ連時の古いエリート、混乱期だから偶然出てきたエリート、未だ成熟していない未来のエリートである。」と語りかけられたという。「一番目と二番目は狼で、三番目は羊。あまり狼が腹が減っていると羊を食ってしまう。だから羊が十分育つまでに、狼には腹をいっぱいにしておかねばならない。我々は一定の利権や腐敗を許容しコントロールする必要がある。我々には未来を創る能力がないのだ。」言うなれば、明治新政府の高給取りの役人たちはこの偶然のエリートだったのだというわけだ。山内氏も成り上がり者というフランス語(パルヴェニュ)は「努力して到達するという語源から来ているが、当時の高官は、先輩の引きや死によって苦労せずにパルヴェニュになったものが多いと共感している。

この章の最後に、小松帯刀のことが描かれている。薩摩藩の若き家老として久光の信頼も厚く、藩論をリードしていたのは彼で、藩政改革、倒幕運動、武器商人グラバーや英国公使バークスとの折衝など八面六臂の活躍をしていたのだが、通風で動けなくなる。幕末史において特に重要な小御所会議に彼の代理として参加したのが大久保であり、彼の台頭は小松帯刀の病気がきっかけとなっている。久光もこの小御所会議に同じく通風で参加していない。倒幕穏健派の2人が通風で欠席したことが西郷と大久保の武力倒幕に進むことになったといえる。小松帯刀は、革命家へと自己変革し、国と時代を代えた逸材と山内氏は評価している。34歳という若さで死んでしまったが、明治の政治力学を変えたであろうと思われる、と。

2023年4月13日木曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅲ

https://www.doshisha.ac
.jp/information/history/
neesima/neesima.html
山内昌之・佐藤優の「大日本史」第2章は、「西郷と大久保はなぜ決別したのか」というタイトルである。大久保が岩倉使節団で外遊中に、西郷が征韓論を唱える話である。富国強兵という考えは同じだが、西郷の方は失業した士族へのケインズ的な発想であった。しかし大久保の財政観が結局正しかったというのが結論である。これは、この書の書評ではなく、これまでの私の知識である。西郷が実際、薩摩士族を東京の警察官に多く雇用したり、軍人に雇用したりしていたことは有名で、西郷という人物らしい話である。

さて、書評に入ると、岩倉視察団について、面白い話が載っている。この視察団のような例は世界史でも類を見ない。17世紀にピョートル大帝が自分も偽名で視察団に加わりアムステルダムで船大工をしたという話くらいである。佐藤優は、この視察団がどれくらい金を使ったかという視点で語っている。使節46名、随員18名、留学生43名、総勢107名。1年10ヶ月。山内氏は米価などの推移から大雑把に言って100億円くらい使っている。当時の国家予算の1.5%にあたるらしい。佐藤氏は、外交の常識として安いホテルに泊まるとなめられるということを誰か(福沢諭吉?)から聞かされていたようで、ロンドンならマジェスティックホテルなど最高級ホテルに宿泊していたらしい、と外交官の経験から語る。

この岩倉使節団を派遣できたのは、当時の明治政府が独裁的ではなく連合政権だったことが大きい。使節団に参加しなかったメンバーもかなりの人材揃いで西郷、板垣を始め、井上馨、山縣有朋、大隈重信、江藤新平、副島種臣らが学制発布や地租改正、徴兵令などの実務を進めている。しかしながら、薩摩は統制が取れていたが、木戸と伊藤を欠いた長州は弱体化していて、肥前の攻撃を受けている。西郷がこれを抑えバランスをとっていたが…。この連合政権、「公議輿論」について山内氏が語る。江戸幕府にまかせてられないと、公武合体論の山内容堂が有力諸侯を集め合議制の参与会議を提案、しかし島津久光がこれを蹴ってわずか1ヶ月で解体。そこで、山内容堂と島津久光、松平春嶽、伊達宗則の四賢侯の会議が設定されたが、公武合体・幕権尊重の曖昧なやり方では対処できなくなり、下級武士に実権が移っていく。それでも、維新の三傑らが独裁的だったかというとそうでもなく、大隈や江藤、井上ら実務的エリート、更に世代が下の伊藤や山縣との差がはっきりしないまま、合従連衡が行われていったというわけだ。

岩倉使節団も、幕臣のエリートに頼らざるを得なかった。書記官はほぼ海外経験のある幕臣で福地源一郎(桜痴:有名なジャーナリスト)などが参加していた。佐藤氏は、この時の留学生から次世代のエリートが生まれていることに面白さを感じている。金子堅太郎、牧野伸顕、団琢磨、中江兆民、津田梅子などだが、佐藤氏はアメリカで木戸に通訳として見出された新島襄(本日の画像参照)についても述べている。さすが同志社OB。新島のアメリカでの内在論理を探った結論は、欧米と遜色のない人文系に強い大学を作る必要性と、ミッションスクールではない(=欧米の植民地化に寄与しない)キリスト教精神を持った人材育成で日本語教育にこだわったと。第2章の前編はここまで…つづく。

2023年4月12日水曜日

第三世界経済圏の行末

https://www.youtube.com/watch?v=bjhOz1woQY8&ab_channel=%E3%80%90%
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BRICSの動きが活発である。Rへの経済制裁、Cへの経済制裁は、アメリカ主導G7追随と言うカタチで行われているが、BもIもアメリカに離反しつつある。貿易におけるドル決済を他の通貨で行うといった行動に徐々にでているのだ。8月に開催されるBRICS首脳会議で新通貨開発の準備が進められるという。需要と経済圏(世界のGDPの1/4、人口の40%)を考えると可能性が高い。

このBRICSにイランが正式に参加申請した。その後、サウジアラビア、アルジェリア、UAE,エジプト、アルゼンチン、メキシコ、ナイジェリアなどの国がこの経済圏への参加に強い関心を示しているとのことで、要するに、反アメリカ、それに追随するG7への第三世界からの反発である。

もし、USドルが世界中の貿易基軸通貨でなくなれば、たちどころにアメリカは覇権を失う。アメリカの財政は世界の基軸通貨であるという信用の上に成り立っており、自由に裁量できるからこそ莫大な借金が可能だった。日本が所持する(世界最大の保有を誇るというか買わされてきた)の米国債も一気に価値を失う。日本にとってもかなりやばい話なのである。

EUの中でも、先日EU欧州委員会委員長と現在ストで揺れるフランスの大統領が訪中した。ライデン欧州委員長(ドイツ)は台湾有事に釘を差したりして冷遇されたようだが、マクロンは中国に歩み寄り、親密になったようだ。NATOでもフランスは一時期手を引いたことがある。もともとド・ゴール以来の反米の伝統がある。EU、G7 も一枚岩ではなくなる可能性もあるわけだ。

WWⅡ以降、最も危険な時代に生きている実感…。

佐藤優 「大日本史」Ⅱ

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「大日本史」(山内昌之・佐藤優/文春文庫)のエントリー、第1章「黒船来航とリンカーン」の後半である。幕末から維新にいたる1860年代は、世界史的に見ても新しい国民統合の時代であったこと。サルディーニャ王国のイタリア統一が1861年。普仏戦争後プロイセンがドイツ帝国ができたのが1871年。アメリカでは、南北戦争勃発が1861年。リンガーンは、北軍の最高司令官として都市の生産拠点や居住空間を焼き払い、老人や婦女子に厭戦気分を誘いつつ、奴隷解放宣言を出して国際的に市議は北軍にありと印象付けた。イリノイ州軍大尉しか経験していないリンカーンは、国会図書館に通い統帥を勉強したという。山内氏によれば、その才はビスマルクにも匹敵する、と。この南北戦争の余波は日本にも押し寄せ、大量の南軍の退役軍人がお雇い指揮官として売り込みに来たとのこと。幕臣の成島柳北は、「ロッシュの口車に乗って仏軍を雇えば英仏の代理戦争になりかねない、国と国の関係がない分、まだアメリカの浪人どものほうがよかろう。」という言を残しているとか。戊辰戦争は兵器の見本市化し、南北戦争で余った武器が入ってきた。かの河井継之助のガトリング砲も同様北軍のもの。幸い、薩長も幕軍も外国人が深煎りすることを嫌い、内戦としては世界史的にも犠牲が少ない。(南北戦争で戦死者約50万人に対し戊辰戦争は8000人台)2人は、内戦が起こっても、日本は外国軍の介入や借款を最低限に留めてきたという特徴を確認しあっている。

その政治的危機の際に、日本というものが強く意識される点から水戸学の話に流れていく。「愚管抄」で慈円は源平合戦の時安徳天皇とともに三種の神器の草薙の剣が失われたが、これは正統な権力を朝廷が持つことは出来ないという天の意思だと解釈し、武家政治を正当化している。水戸学の論理は、慈円より凄いと山内氏。武家政治は王道ではなく覇道だとしている。徳川幕府が覇道であるがゆえに、御三家にその政治をチェックする水戸家があったといえる。佐藤優は水戸学の根底には原罪があり、徳川の終末の時には正しい秩序を回復するというキリスト教と相性がいいと。ところで、水戸学では、南朝を正統だとし、現皇室には都合が良くない。水戸学には皇室のチェックという二重の機能が内在されていたとも。山内氏は水戸学の中の地政学的な攘夷論である会沢正志斎の開国をも否定しない安全保障論を紹介し、水戸=ファナティックな攘夷論だけではないと論じている。

第1章の最後に、佐藤優がこう述べている。『歴史は勝者によって作られますが、後世の私たちは資料を角度を変えて読み解くことによって、必ずしも勝者の歴史どおりではないストーリーを発見することができる。それがいま改めて歴史を語る重要な意義だと思います。』…名言である。まだ完読していないが、この新書、超おすすめ。

2023年4月11日火曜日

佐藤優 「大日本史」Ⅰ

市立図書館でまた新書を借りてきた。文春新書「大日本史」である。歴史学者の山内昌之東大名誉教授が、かねてから「歴史総合」(高校の新カリキュラムで近現代の日本史と世界史を融合させた科目)の必要性を説いていたが、そのありうべき叙述の一端とすべく、最適のパートナーとしての佐藤優氏と対談したものである。(タイトルに佐藤優氏の名を入れたのは、この名がなければ手に取っていない故である。)

現場では、その内容の割に時間数が制限されており、いろんな声があるのだが、さてさてと、通勤電車の帰路、読み始めた。5時起きの身故、少し眠気が襲っていたのだが、読み始めるとふっとんでしまった。まずは、第1章の「黒船来航とリンカーン」の内容から。

なぜアメリカは、世界史でも珍しい武力による威嚇で日本を開国させたのか?よくある説明ではクリミア戦争(1952-56)の力の空白論で、他の列強が日本に手を出す余裕がなかったという説明だが、山内氏は英米の海洋航路の覇権をめぐる競争と見る。独立して70年という新興国アメリカは、大西洋航路で、NYとリバプールを結ぶコリンズ汽船(1000t以上・1000馬力・年間20往復が可能)を就航させ、1852年には50%以上多い船客と30%以上多い輸送量を誇っていた。このコリンズ船は設計段階から軍艦に転用させることが可能で、これを指導したのが、かのペリーである。アメリカの狙いは、全世界にネットワークを持つP&O(Pはペニンシュラ=イベリア半島、Oはオリエンタル)という海運会社への挑戦であった。太平洋航路へのアクセスでネックとなったのが石炭。その供給地(柳川藩の三池、福岡藩の筑豊、長州藩の宇部)として日本の重要性があったのである。…実に面白い史論。目からウロコである。

それに対し、後に日露和親条約を結ぶロシアのプチャーチンは徹底した対話外交で、伝兵衛や大黒屋光太夫ら漂流民を使ってサンクトペテルブルグやイルクーツクに日本語学校を作っており、日本語が使える人材も養成していたと佐藤氏は説く。この姿勢は、ロシア正教の伝道方法(相手国の言語、文化を学び、現地語で典礼を行い、聖書も翻訳するといった土着化を念頭に置いたアプローチ)からきている。幕末から明治中期にかけて日本で最も勢力を持っていたのは実はロシア正教会で、戦国時代のイエズス会を彷彿とさせる。日露戦争がなければ宗教事情も変わっていたかもしれない。ニコライは、日本の識字率の高さや宗教感覚を分析して心して臨む必要があるとし、聖体礼儀の際にも天皇皇后に栄えあれと(現在も)加えている。あくまで日本人の方から扉を開くのを待つ姿勢であった。ちなみにカトリックは普仏戦争でフランスが敗け海外布教は停滞していた。

プロテスタントの布教の中核はアメリカで、その戦略は科学技術や文物を教える「近代化に役立つ宗教」というロジックであった。札幌農学校が真っ先に浮かぶわけだが、外国人の62%がプロテスタントだった。ここで、佐藤は、アメリカの文化的特徴の一つとして、ロマン主義がないと指摘する。ヨーロッパではフランス革命の挫折後、普遍的なものはなく、固有の風土や歴史に根ざしたローカルなものでしかなく、人間の非合理な部分、自分でもうまく制御できない内面に目を向けているが、ちょうどその頃アメリカは開拓に忙しく「役に立つかどうか」というプラグマティズム的思考しか持たない。(チェコの神学者フロマートカは、亡命中アメリカ人は、ドストエフスキーもカール・バルトもわかろうとしないし、興味も持たないと指摘している。)「明白な天命」(マニフェスト・デスティニー)は、「自覚なき帝国主義」でその現代版が新自由主義であるとも。豊かになることが役に立つ、故に人類普遍的な正義であると、今もアメリカのメインストリームは信じて疑わない。ところが、内村鑑三や新渡戸稲造、新島襄などは、独立路線を歩んでいる。内村と新島はアマースト大学で学位を取ったが、「文学士」ではなく一段下の「理学士」しか人種差別でもらえなかった。「2つのJ」(ジーザスとジャパン)で有名な内村は「代表的日本人」、新渡戸は「武士道」を書き、日本人のアイデンティティを強く意識させる契機となった。…なるほど。

…第1章の忘備録つづく。

2023年4月9日日曜日

朝食はプレッツェル

右上のプレェツェルの一部も調理に使われたので原型がわかりにくいのが残念
ポーランドのクラフクの屋台で、プレッツェルを買って食べたことがある。ポーランドのパンはかなり美味しいが、形状的にも私はプレッツェルが大好き。マレーシアのKL、メガモールでも売っていた。訪馬直後は物価がよくわからなかったので、大好物だ、とよく買って食べていた。後で考えると、他の食品に比べてかなりコスパが悪いことに気づき、以後控えるようにしていた。(笑)

先日妻が、成城石井で見つけて買ってきた。ポーランドでは廉価だったのだが、同じポーランドからの輸入品となると大阪でもコスパがKLなみに悪い。(笑)今日の朝食は、そのプレッツェル。私はそのままかじるのが好きなのだが、妻は卵や蜂蜜と合わせて焼いて出してくれた。ちょっと焦げているけど、これはこれでまた美味であった。

2023年4月8日土曜日

L君との久方の邂逅

D大4回生となったL君と京阪枚方市駅前で、久しぶりに会った。苦学しながら、大学図書館に通って卒論の準備をしているとのことで、コスパの良いレストラン・Sでいろいろと食べてもらいながら長時間話し込んだ。

社会学の徒であるL君とは実に話が進む。卒論は、マレーシアの特殊な華人の歴史についての研究であるそうだ。詳しく聞いたが、なかなか興味深かった。ゼミで、大阪の生野区にも調査に行ったそうで、その研究誌も見せてもらった。私が生野区の出身であることを知って驚いていた。関係する事柄についても色々話すことが多かった。

今日の画像は、マレーシアの日本人会でR1で手に入れた華人の研究書。私が所持しているよりL君のもとにある方がふさわしいので贈呈した次第。

京都に帰る前に、今日は「御座候」を持って帰ってもらった。私も1つ食べたかったのだが、我慢、我慢。また夏に会う約束をして見送った。

2023年4月7日金曜日

「公共」のプリント作成開始3

「公共」のプリント作成もだいぶ進んだ。No3は、中国の社会類型、日本の社会類型について記した。No4は、橋爪大三郎氏と大澤真幸氏の国家論をまず整理しようと思い立った。

国家には、普遍性を持った宗教または思想・歴史文化などの政権の正統性を証明する非政治的なものが必要で、これに政治的統治を任された「法人」としての政府が両立して成立する、という論である。ここまでのプリントで幾度となく触れているが、表に整理してみた。(上記画像参照)

これは、カトリックから戴冠をされてきたヨーロッパの国家に最も当てはまるが、これをG7で当てはめてみた。イタリアは、当然カトリックであり、イギリスとカナダは公定教会である英国国教会。カナダは英連邦王国の一員で、一時は国教だったカナダ聖公会(人口の約7%)がある。現在はカトリックのほうが多い(約30%)のだが、1931年の英議会でのウェストミンスター憲章により外交権のある自治領=独立になっているのでここに分類した。ドイツは公定教会であるルター派、アメリカは、各種のプロテスタント教会、フランスはカトリックへの反感があり徹底した政教分離(ライシテ)を行っており、哲学がその任にあたっているとのこと。…たしかに今や哲学の中心はフランスにあると思われる。きっと哲学科の多くの学生は、フランス語をやるのだろう。さて、日本はというと、岩倉使節団のヨーロッパ観察はするどく、キリスト教が憲法のバックにあることを見抜いたが、キリスト教を置くわけにも行かず、大日本帝国憲法にあるように、尊王の志士上がり故当然ながら天皇制に結びついたわけだ。中国は、易姓革命的な「天」がこの普遍にあたるかもしれない。今の中国は共産党という名前だが、マルクス・レーニン主義を置いているとは思えない。ロシア革命後のソ連は、まさにこのマルクス・レーニン主義を普遍として置いていた。これはヨーロッパでも一部の人々には普遍的な思想と認められていたからだ。では、今のロシアやウクライナは?というのが、その次の内容になる。

ロシアは、当然ながら、普遍性をもつのはロシア正教だが、ビザンチン帝国依頼の政教一致で、西ヨーロッパのような信教の自由や良心の自由がなく民主主義発達の因がない。ウクライナは、西部がポーランドやオーストリア=ハンガリー帝国の領土だったこともあり、ウクライナ東方カトリック教会やウクライナ語を使うウクライナ政教会(旧キエフ総主教庁系)が強いし、東部や南部などでは、ロシア語の語彙の50%を輩出した教会スラブ語を使うウクライナ正教(モスクワ総主教庁系)が強い。まず、普遍性をもった宗教に相違があるのである。親西欧か親露か、政府の正統性が揺れるわけで、ネイションを超えた暴力に発展するという方程式が成り立つ。それが、2014年のマイダン革命→クリミア併合であり、今回の紛争であるわけだ。

…ところで、陸自のヘリが昨日宮古島付近で「レーダーから消えた」という話だ。私は、おそらく何もわからないままになるような気がする。犠牲になられた方々の無念を想い、合掌するしかない。全く何が起こるかわからない世の中になってしまった。

2023年4月6日木曜日

「公共」のプリント作成開始2

https://navymule9.saku
ra.ne.jp/000930lev.html
引き続き「公共」のプリント作成に勤しんでいる。No1のプリント(現在の国際情勢)を理解する上で、必要なことは何か?それを一所懸命に考えた末に、結局いつも話しているヨーロッパの「武器としての社会類型論」を教えることにした。今年の2年生は歴史基礎で市民革命以後の近現代史をやっている。「公共」で、ちがう視点(特に鳥瞰的な視点)を与えられることを期待しての話である。したがって、関係する用語は、政治、経済、歴史、宗教など多岐に渡る。「公共」のサブノートにある程度まとまって出てくる内容でもあるので、定期考査の試験範囲としてもふさわしいし、(前述の)指導要領の指示どおりではある。

アメリカ理解も必要なので、少し異なる社会類型も記しておいた。独立自営農民主体のアメリカ(もちろん植民地の地域差はある。)では、ちょうど本国のイギリスが市民革命で混乱していたので、公定教会であった英国国教会の組織が脆弱だった関係で、分離派やクウェーカー、バプティストといったプロテスタント諸派が教会をつくっていった。独立革命の際、ジェファーソンは政教分離を行い、公定教会を排し、プロテスタント各派の教会を普遍概念とし、法人としての連邦政府をつくっていく。人間の悪意を念頭に、っっっっ三権分立のシステムを構築していったわけだ。

せっかくなので、ホッブズの「リヴァイアサン」(画像参照)の正式名称、「リヴァイアサン、あるいは教会的及び市民的なコモンウェルスの素材、形体、及び権力」も教えて、(国民にとって普遍的な)教会+(それによって正統性を認められる)法人という国家の基本形を教えようと思う。これは、後にロシアなど正教の国家の場合や日本の明治政府(教会が憲法の基本にあることを岩倉使節団は見抜いており、それにかわる普遍性を天皇制に求めるわけだ。)につながってくる。中国なら、教会の代わりは易姓革命の「天」になるだろう。これらは、日本を代表する社会学者・橋爪大三郎の論であるし学術的にも問題はあるまい。かなり高度な内容を話すことになりそうだ。

2023年4月5日水曜日

「公共」のプリント作成開始

学園の枝垂れ桜 そろそろ桜も終わりか
今年度、新課程の「公共」という科目を担当することになった。文科省の意図は分からないでもないけれど、現場としてはかなり苦労する科目だといえる。この「公共」、共通試験の受験科目の1つであるのだが、「公民分野」としては旧過程(今の3年生まで)は、倫理、政経、倫理政経の3種類であった。旧帝大レベルの大学は倫政、他はどちらかという感じだった。それが、この新2年生からは、公共+倫理、公共+政経、公共+地理基礎+歴史基礎の3種になった。もちろん世界史や日本史といった地歴科目もあるので、負担増(倫政受験のみ負担減?)という話になった。恐ろしいのは、まだどの大学がどういう受験科目を設定するか未定だということである。危機感があるようなないような科目であるし、実際テキストや資料集、サブノートなどを眺めても、かつての現代社会と同様、中途半端観はいがめない。

どこから手を付けようかだいぶ考えた。学習指導要領などには、「社会的な見方・考え方」を倫理・政治・法・経済ナドニカカワル多様な視点に着目すること、また本来の「公共」のウリである問題解決型学習などが記されている。どこの進学校も3年時に倫理と政経に分かれて選択学習することになるだろう。

とりあえず、現在の世界情勢を自分なりにレポートしてみた。「今」を考えるためのポイントは、次の5つ。1:コロナ・パンデミックの影響 2:ロシアのウクライナ侵攻 3.アメリカと中国の対立 4.イスラエルとイランの対立 5.世界的インフレと金融危機の前兆である。

このうち、1は簡略な記述。世界経済に与えた影響が後の主題。だいぶ後になるかもしれないが経済分野の主題となるはず。2も紛争の状況などは一切ナシ。侵攻直後の国連決議の反対5カ国、棄権35カ国、無投票11カ国名を記してあるのみ。背後にある歴史、文化、社会学的な考察は後日ゆっくり時間をさくつもり。3は両国の経済制裁と外交政策を対比させてみた。4は、平易に記述したがそれでもこの問題には、様々な知識と情報が必要。これまた後にじっくりとやりたい主題。5は概略を期したのだが、あえて経済用語を中心に語彙を羅列しておいた。供給不足、インフレ、デフレ、スタグフレーション、エネルギー危機、食料危機、ゼネスト、FRB、政策金利、ハイパーインフレ、金融債権、不動産バブルの崩壊、預金準備率引き下げ等々。

この最初のプリントが目指すものは、なにより興味付けであり、社会科学へのいざないなのだが、さてさて…。

世界の王室うんちく大全

先日、市立図書館で「世界の王室うんちく大全」(八幡和郎/平凡社新書)を借りてきた。帰路の電車の中で気楽に読めそうなことと、このところヨーロッパの王室や貴族とカトリックの関係などに興味を持ってきた故であるのだが、なかなか面白い。まだ途中なのだが、メモ的にちょっとだけエントリーしておきたい。

世界には君主国が45あるが、そのうちの16はイギリス連邦内で未だ英国王を君主にいただくコモンウェルスなので、君主は30人ということになる。コモンウェルスを調べてみたら、カナダや豪州、NZだけでなく、バハマやジャマイカが入っていて驚いた。

国王の肩書にはいろいろあるが、カトリック圏の世界では教皇が認めた存在のみであったが、30年戦争後はウェストファリア条約で国王を名乗ってよい国が定められた、とある。これはおそらくスウェーデンなどの北欧諸国やイングランド、スコットランドなどプロテスタント国を指すと思われる。30年戦争でカトリックとプロテスタントは同等と認められたのだから。調べてみたら、未だにローマ教皇庁は、ウェストファリア条約を不服として条約の宣言を無効と主張し、撤回していないらしい。(笑)

2023年4月4日火曜日

トランプ箝口令?

https://twitter.com/meguraian2
20/status/828327483023843328
トランプに箝口令がでるとの報が流れた。本日中に逮捕されるとの話だが、この逮捕に関しての箝口令(違反したら懲役または$1000の罰金だとか。)なのか、さらに大統領選挙全体に関することなのかは不明。選挙運動の妨害以外の何物でもない。前代未聞の民主主義破壊である。ソ連時代の見せしめ裁判で行われた方法であるらしい。民主党系の裁判官は、刑務所送りにすることもためらわないと発言。共和党は、憲法第1条違反だと猛反発している。弁護団は、この起訴自体がおかしい、ブラッグ検事こそが、まだ訴因が未定だがメディアにその数がリークされており、犯罪者だと述べ、下院の司法委員会を始めとした3つの委員会で徹底的に調査、証人喚問も求めるとしている。

司法制度の崩壊は国家の基盤の崩壊である。ローマ帝国の崩壊時と比較しながら、アメリカの終焉を感傷的に語ったジャーナリストもいるそうだ。

…うーん。大変な時代に生きている。4月から「公共」という「現代社会」を基盤にした新教科を教えるのだが、教科書や資料集なんぞよりはるかに凄いスピードで世界が動いている。どういうふうに授業を進めていくか、鬱勃たる思いで思索に思索を重ねているところである。

2023年4月2日日曜日

ルターの宗教改革の真実 考

https://detail.chiebukuro
.yahoo.co.jp/qa/question_
detail/q13236384488
マルチン・ルターの宗教改革は世界史上かなり重要であるのだが、ルター本人の意図とは違う方向に向かったようだ。改めて確認しておきたく、覚書としてエントリーすることにした。

ルターは、パウロの信仰義認説に長く苦しみながらたどり着いた人物で、真面目な司祭であり神学者であったといえる。ローマの雌牛と呼ばれたドイツで、サン・ピエトロ寺院の改築のためという贖宥状が出されたときも、その裏側(メディチ家出身の教皇レオ10世はかなりえげつない守銭奴である。これにフッガー家とマインツ大司教の野心がからむ。)を知らなかったし、95か条の論題を自分の大学の教会に張り出したのは、討論を希望するという、ごく一般的な慣例であった。この有名な論題はラテン語で書かれおり、対象は神学者であった。しかし、これがドイツ語に翻訳され活版印刷されたことで大事件となった。

ちなみに贖宥状は、十字軍以来発行されてきた。また今回の「すべての罪が許される」とされていたことをルターは批判した。カトリックでは、教会で懺悔するゆるしの秘跡が認められている。しかし懺悔だけで許されては、繰り返すおそれがあるので、教会は罰(深い祈り・巡礼・断食・寄付などの善行)を与える。もしこの罰を生前に償い負えなかれば、煉獄に行くとされていた。すなわち、贖宥状は教会からの罰を赦されるだけで、人間が犯す罪と神による罰を混同しているからである。贖宥状の本義を逸脱しているというわけだ。

日本では理解しにくいのが、当時の王侯貴族は当然ながらローマの権威を後ろ盾にしており、全員が血縁・親戚関係にあり、不如意ながらカトリックの敵となったルターを守ろうとしたのは、ザクセン選帝侯フリードリッヒ3世(画像参照)であるが、これは神聖ローマ帝国で権勢を誇っていたハプスブルグ家への反抗、権力闘争である。同時に聖遺物収集で有名だった彼は、ローマに自国の富を搾取されることに憤懣していたともいわれる。

ルターはカトリックにおける真面目な神学者であるが、エラスムスら人文主義の影響も受け、独身主義をやめる。また出身は上向思考の強い鉱山事業者でありながら、基本的には、王侯貴族側の人である。ドイツ農民戦争では、鎮圧側に回る。後のルター派は、領邦教会の設立を進めていく。封建領主の改宗=一般人も改宗という道をたどる。所詮、時代は近世。ルターの宗教改革は、自由な個人と不自由な共同体という社会類型の中での出来事である。

2023年4月1日土曜日

ボスニアの宗教事情

市立図書館で「ボスニア・ヘルツェゴビナを知るための60章」を借りたのだが、何度も読み返した「おどろきのウクライナ」の書評が長かったのであまり読めていない。とりあえず、最も興味深い宗教事情について整理しておきたいと思う。というのも、地理学習で、ボスニアの民族構成の中で「ムスリム」に分類される人々がいる珍しい地域であるからだ。本来は、「ボシュニャク」といわれるらしい。人口比は50.1%。ちなみに、国内のセルビア人はセルビア正教徒(人口比30.8%)、クロアチア人はカトリック(人口比15.4%)である。

11世紀から12世紀にかけて、東西キリスト教の競合で、ボスニアの中央部と北部はカトリックに、南部のフム(現在のヘルツェゴビナ)は正教会の影響下に入った。13世紀になると、ボスニアの領主たちはカトリックの司教を追放して、独自のボスニア教会を設立した。13世紀初めにボスニアに進出していたフランチェスコ修道会と共存し15世紀まで存続した。ボスニアの王はカトリックであったが、ボスニア教会にも正教会にも活動の自由を認めていた。このように中世ボスニアは、フランチェスコ会のカトリック、正教会、ボスニア教会の三者が共存していた。いずれの教会組織も組織は脆弱で教会も聖職者も少なく、大多数の民衆にとって縁遠い存在であった。

15世紀にオスマン帝国が征服すると、ボスニア住民のイスラムへの改宗が進む。(兵士や行政官となり良い生活と地位を得ようという非教義的な改宗。)これは強制ではなく、もとの三者の教会組織が脆弱で、強い信仰心をもたなかった人々が自然に受容したと考えられる。オスマン帝国進出後に消滅したボスニア教会の信者が多かったが、カトリックも正教徒もいた。セルビア正教徒は納税義務を果たす代わりに宗教的自由を得たし、フランチェスコ会は、オスマン帝国のスルタンの命により自由な活動を認められた。17世紀までは、イスラム・正教・カトリックの間での改宗は珍しいことではなく。村の集落単位でで三宗教が入り交じる複雑な人口構造ができた。

オスマン帝国支配後、カトリックのオーストリア・ハンガリー帝国は、1881年サラエボにローマによって任命された大司教座を置いた。以来現在もカトリックは、フランチェスコ会の2つの管区と、サラエボの大司教座による3つの管区が互いに重なり合うように存在する。1909年、ハプスブルグ政府当局は、ムスリムの宗教的自治を認め、政府が任命しイスタンブールのカリフが認可するウラマー(=法学者)長職が創設された。1924年トルコ共和国でカリフ制が廃止されると、ボスニアのムスリム自身によって選ばれるウラマー長がイスラム共同体の宗教指導者となり、カトリックの位階制さながらの組織を築きあげていく。セルビア正教では、1918年にセルビア、クロアチア、スロヴェニアに王国が誕生し、それぞれの王国内の主教区が統一されたので、ボスニアでも4つの主教区が統一され、サラエボに総主教座が置かれることになった。

ボスニア教会/フヴァル文書
https://ja.wikipedia.org/wiki/
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20世紀はじめまで、ユダヤ教をプラスした4宗教が対立や迫害の類がなかった。この宗教的寛容さは、キリスト教を受け入れる以前からの土着信仰的なものがあって、宗教を問わず病気治癒の泉などを尊んできたという伝統もあるようだ。

ちなみに、消滅したボスニア教会(ボゴミル)は、カトリックの分派とみるのが妥当。三位一体説や教会組織、十字架、聖人信仰、教会美術、旧約聖書の一部を少なくとも認めてるが、宇宙を善悪の二元論で捉える異端という見方もある。国際的なカトリシズムから離れ、修道院的組織からも離れた教会組織という定義もされている。

…地理で教えるボスニアの民族構成の「ムスリム」=ボシュニャク≒元ボゴミル(ボスニア教会)であるわけだ。