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2023年5月10日水曜日

イスラム理解の束 その3

KL チャウキットの屋台街
「一神教と国家」の中で、中田考氏が語っている、ちょっとレアなイスラム教のこと、その3。内田氏が、キリスト教に存在する異端審問とか魔女狩りみたいなものの存在を問うと、中田氏は、ムスリムは人の内心に踏み込むようなことない、というか、人の心はわからないと考えると回答している。だから干渉しない。イスラムには教義決定機関もないし、キリスト教的な正統、異端という概念もない。もちろん様々な分派があり、自分たちのほうが正しいと考えるが、キリスト教徒とはかなり違う。スーフィーのハッラージュやシーア派のシャヒード・サーニーの処刑の例が若干あるが、宗教的というより政治的なものである。またムスリムであることで身に危険が及ぶ場合は信仰を隠すことを”タキーヤ”と言い、シーア派では命じられており、スンニ派でも許されている。キリスト教では、人間の内面に精神が確固としてあると考えるが、イスラムではあまりそういう事を考えない。そもそも内面に最初から悪魔とかが入っているのが当たり前と考える。だから内面より行為を重んじる。中田氏は「カトリックの告解制度」は恐ろしいと思っている。人の内面を暴き出して、人を支配していくということであるからだ。イスラムでは罪を犯してもできるだけ人には言わない。あくまでも神と自分の関係だから。…たしかに、マレーシアでも、礼拝をさぼる者があっても誰も非難しないし、ヒジャブを被らない女生徒に対しても「そういう家庭もあるから。」とさっぱりしたもので、(日本ならありそうな)イジメもなかった。イスラム復古主義者はともかく、一般のムスリムの世界では、そういう意味で他者に実に寛容であるわけだ。

レヴィナスが専門のユダヤ教に詳しい内田氏は、神と人間の関係がある意味、絶望的に遠いと感じている。戒律にしてもなぜこのような戒律があるのか説明がつかない。人間の世界の実用性や合理性で戒律の意味を論じてはならないことを叩き込むためにあるような気がするとも。キリスト教では、戒律の採否は人間に委ねられている。他の一神教と違い、キリスト教では神と人間の距離が近いように感じると述べている。…同じ一神教でもこのような相違があるわけで、…実に深い。

中田氏がシリアの反政府勢力の支配地域に入った時の話。無政府状態であるが何の問題もなかったとのこと。秩序も保たれ、戦争でモノはないけれどイスラムの相互扶助で結構安らかであった。無政府状態は北斗の拳のような弱肉強食になるというのは妄想。ボッブズよりロックのほうが正しい。しかも、ムスリムがボーダーレスなグローバリストであることを再認識したとのこと。カザフスタンやウズベキスタンの人々がシリアに逃げてきて、なごやかに亡命していたとのこと。…凄い。中田氏のカリフ制再興論は現実味があるわけだ。

2023年5月9日火曜日

イスラム理解の束 その2

「一神教と国家」の中で、中田考氏が語っている、ちょっとレアなイスラム教のこと、その2である。

ラマダンの時期、モスクやレストランでは食事がタダで振る舞われる。(多民族国家であるマレーシアでは、そのようなことはなかったが、中東ではあるようだ。)モスクはメンバーシップがないので、誰でも入れてお金がなくても食べられる。「ドゥユーフっラフマーン(アッラーの客)」と呼ばれるらしい。肉も出て、わりと贅沢で、気兼ねもいらないとのこと。貧乏な人でもラマダンの時は1ヶ月腹いっぱい食べれるわけで、施しの文化というか福祉政策でもあるわけだ。(ちなみに、マレーシアでは国王による、すべての人に開かれた無料の食事会が開催される。その日たまたまバスに乗っていて、貧乏な人がわんさかと乗ってきてびっくりしたことがある。またモスクで牛を解体してタダで集まった人たちに分け与える犠牲祭もあった。)

ムスリムのユダヤ教・キリスト教観について。今日のユダヤ教は、ラビ・ユダヤ教と呼ばれるもので、キリスト教とほぼ同時期に並行して成立したもの。キリスト教もまた成立当初は後にユダヤ教と呼ばれる宗教と別の宗教であるという自意識はなかった。イスラエルの民の宗教としか呼びようのない名無しの宗教であった。ヘブライ語聖書にはアダムやノアが出てくるが、彼らをユダヤ教徒だと呼ぶ者はいない。考えてみれば不思議である。イスラムは単純明快な答えを持っている。神の啓典を授かった者はすべて預言者で、アダム以来の預言者の宗教はすべてイスラムである。ユダヤ教のユダヤは歴史的固有名詞であり、イエス・キリストも特定の人物をさす固有名詞だが、「服従」「帰依」を意味するイスラムは一般名詞あり、イスラムの普遍主義を端的に表している。全ての預言者の教えはイスラムであり、それが唯一の正しい宗教である。しかし、時代と状況の違いにより教えの詳細は異なり、表現が違っている。モーセの授かった啓典が律法(トーラー)、イエスの授かった福音は、ユダヤ教徒が持つヘブライ語聖書、キリスト教徒が持つ新約聖書とは全く別のものである。なぜなら、モーセ五書もマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書は聖書記官が編集したモーセの伝記、イエスの伝記であるからで、イスラムにおけるモーセの律法、イエスの福音は授かった神の言葉のみである。また、現在のラビ・ユダヤ教は、モーセの律法とは別に、モーセの口伝律法があり、ラビがその権威ある正統な伝承者と主張して、ラビの学説集であるタルムードを第ニ聖典としたし、キリスト教では弟子たちの言葉を編集して新約聖書としている。イスラムは、神から遣わされた預言者がもたらした啓典のみを人間が従うべき指針としているので、許しがたい被造物神化に他ならない。よって、ユダヤ教はモーセの律法をイスラエルの民が歪曲、改変したものをラビが集大成したもの、キリスト教はイエスの福音を直弟子の後の世代が誤って解釈し歪曲されてつくられた宗教だとしている。

…ここで、中田氏は、クルアーンの第一章の「扉」の最後の「お怒りを被った者」(ユダヤ教徒への批判)「迷ってもいない者たち」(キリスト教徒への批判)の真意を語っているのである。

2023年2月11日土曜日

クルアーン第6章

ふと、気になったことがある。イスラム教は、ユダヤ教・キリスト教を批判するカタチで生まれている。よって、この啓典の民の伝統を十分に活かしている。もちろん、イスラム教の側からすれば、両宗教と同じ神を信仰しているわけで、預言者についても、アダムやノア、アブラハム、イサク以降の族長、モーセ、ダヴィデ王やソロモン王、ヨブ記のヨブ、洗礼者ヨハネやイエスも認められている。ただ、彼らは神の理想とするようなような共同体をつくることができなかった故に、最後の預言者ムハンマドが選ばれたとなっている。

このことは、昔々、まだ倫理の教科書や資料集には、イスラム教の学習範囲がすこぶる小さかった時代から教えてきた。ある宗教学の本に、「コーランには次のようにある。」として前述の預言者の名の羅列があって、同様の趣旨が書かれていたのを、教材として使っていた。古い教え子は、私にそう習っているはずだ。

さて、クルアーンのどこにそういう記述があるのか、今になって気になって、手元にあるマレーシアのPBTのF42の教え子たちに贈呈されたクルアーンを調べてみた。といっても全部読むのは辛い。ウィキで調べると、これらの預言者の名が記載されているのは「第6章」らしいとわかったので、そこに絞って一読してみた。すると、私が今までクルアーンの「記述そのもの」だと思っていたのは、あくまで「整理された趣旨である」ことがわかった。あちゃー。嘘ではないにせよ、全く正しいとは言い難い。

マレーシアに3年半もいて、イスラム教をだいぶ勉強したつもりだったが、ホントまだまだである。だが、実際のムスリムの教え子たちと触れ合いながら学んだことは大きい。イスラム教には原罪という概念がないこと、フィクフがあってユダヤ教などに比べて臨機応変であること、ファトワとシャリーアの関係など実に勉強になった気がする。(本日の画像は、教え子たちに贈呈されたクルアーンと全く同じものの画像があったのでお借りした。このクルアーン、非売品のはずなんだけど…。)

2023年2月10日金曜日

久々のナシレマ

マレーシアの定番料理のナシレマが昨夜の夕食だった。私はナシレマが大好き。日本でもわずかながら、特定の店でサンバルソースが手に入る。妻がそれを少しアレンジしてくれている。基本の組み合わせ(チキン+卵+きゅうり+ピーナッツ+小魚)をキープしながらの、日本風、いや日式。

…大変美味しくいただきました。妻に感謝。嗚呼、マレーシアに行きたいね。

2020年5月11日月曜日

パパイヤとナシレマ

愛機G1Xで、パパイヤをちょっと違う撮り方をしてみました。
先週だったか、大洲のスーパーで、フィリピン産のパパイヤを見つけた。かなり高価ではあったが、つい購入してしまった。少し熟させてから食したのだが、マレーシアで食べていたのと種類も違うし、あまり美味しくなかった。夫婦共々がっくりきたのだった。いつだったかドラゴンフルーツの白も食べてみたが、もう五つくらいだった。マレーシアは、まさにフルーツ天国だったなあ、とため息をついたのだった。

それに対して、今日の昼食は妻特製のナシレマで、小魚は少しマレーシアのとは違うが、サンバルソースはマレーシアから持って帰ってきた「ほんまもん」である。ナシレマは、やはり美味しい。ランチには最高である。

日本には、日本独自の美味しいもの(たとえば桜餅とか)もあたくさんあるが、ふと、パパイヤとかマンゴーとか、ドラゴンフルーツ(の赤)が食べたくなる。安くて、食感といい、味といい最高であった。これから、そう感じたらナシレマを妻につくってもらおうと思う。…サンバルソースの辛さでその欲望をごまかすしかない。(笑)

2020年4月30日木曜日

古漬けの話

愛たい菜で購入した ぬか床
四国に来て、なかなか食材がいいと感じている。魚も野菜も肉(特に鶏肉)も美味しい。地産地消の大洲の愛たい菜は大阪では考えられないほど新鮮だし安い。スーパーも品数豊富だし、弁当もかなり美味い。

だが、大阪人の私たち夫婦にとって困る事が2つある。ひとつは、エースコックのワンタンメンが売っていないこと。(四国の方々と好みが異なるのであろう。)もうひとつは、漬物である。四国は奈良漬けが多い。正岡子規が奈良漬けを東京で食していたことを知ってびっくりしたことは、すでにエントリーした。きゅうりなどの浅漬けも売っているが、古漬けがないのである。

きゅうりの古漬け。大阪ではわりとフツーに売っている。私は漬物では古漬けが一番好き。で、結局妻が「ぬか床」を買ってきて漬けることになった。このところ、夕食の最後にその古漬けをお茶漬けで楽しんでいる。60年以上生きているので、こういう食事の最後にお茶漬けを食べるのは関西の習慣であるということも知っている。学生時代、関東の友人に驚かれたことがあるからだ。お茶漬けは、ひとつのメニューらしい。関西では、メニューというより、最後の儀式のようなものである。(笑)

マレーシアでも古漬けを妻は漬けていた。ただし、ぬかは極めて貴重品であった。(笑)日本人会の築地(日本の食品店)で購入していた。妻と話していたのだが、ぬか漬けをするとアルコールが発生するので、これはノンハラルであるという結論になった。国費生の諸君には勧められないのが悲しい。

今日はハッピーなことがあったので、ちょっと軽めの話題にした次第。

2019年12月23日月曜日

三崎の医院に行ってきた。

三崎のK医院 
https://byoinnavi.jp/clinic/96695
だいぶ前の土曜出勤の振り替え休日の日なので、三崎のK医院に行ってきた。最近新築したような新しい医院があることを、何度かの妻との散策で以前から見つけていたのだ。三崎の朝は早くて、6:00にアザーン(音楽が各地域のスピーカーから流れる。マレーシア帰りの我々からするとアザーンのイメージなのでこう呼んでいる。ちなみに正午には「恋は水色」、18:00には「赤とんぼ」のアザーンが流れる。)役場の支所も8:30には始まる。この医院も8:30からなのだが、9:00前に行ったら、すでに数人の高齢者の方が待っておられた。

待つこと、約1時間。診察というより、糖尿病の薬が切れそうなので、貰いに行ったのだが、まずは私と妻の詳しい状況を知るために、身長・体重・血圧・心電図、そしてレントゲンを撮ってくれた。全てがコンピュータ管理されており、なかなか大したものであった。しかも、レントゲンだけでなくCTスキャンの機材まで備えているし、薬局も医院内で手に入れることができた。正直なところ、こんなに凄いとは思わなかった。

というわけで、1か月分の薬を手に入れて帰って来たのだった。その後、またまた八幡浜まで出て、免許証の住所の書き換えに行ってきた。大阪とは勝手が違うことも多々あるけれど、だんだん慣れてきた。後は、歯医者に行くくらいかなと思う。(マレーシアでは、英語に不安があって、ついに行くことはなかったのだった。)

2019年11月23日土曜日

教え子が三崎まで来てくれた

11月6日にエントリーしたH高校で3年間担任したM君が、同じ野球部のM君と共に大阪から車で三崎まできてくれた。いやあ、実に嬉しい。この二人は、私がマレーシアに旅立つときに関空まで見送りに来てくれた六人のうちの二人である。同じ大阪の大学を卒業し社会人となり、かたや中学校の数学教師、かたや通関関係の会社に勤めている。2人とも周囲に可愛がってもらえているようだし、仕事の面白さも十分感じているようだ。さらに好青年に成長していた。
せっかくなので、佐田岬灯台まで行ってきた。夕陽に合わせて私の家を出発。夕陽に間に合ったし、駐車場まで帰って来た時ほぼ陽が沈んだ。ちょうどいいタイミングだった。若い二人は野球部で鍛えているが、私はかなり息切れした。(笑)

灯台から帰宅後、近くのレストラン・M亭で妻も交えて食事をした。この時、関空の見送りの話になった。私の出発の時間など分からないはずなので、どうして見つけたの?と妻が聞くと、深夜に出発し、早朝のマクドナルドで高校時代の写真を構成して貼ったパネルを制作し、その後、六人で手分けして私を探して、見つかった時点で携帯で連絡し、現場に集合したのだとか。まるでTVのバラエティ番組のような話である。(この件に関しては、2016年4月16日付のブログ、「関空で。感激と不覚」を参照。)そこまでしてくれたとは…。本当にありがたく、改めて胸がいっぱいになった。

大阪と三崎の車での日帰り往復で来てくれた二人に改めて感謝である。幸せな時間をありがとう。教師にとって、教え子は「夢」であり「財産」であるとつくづく思う。

2019年9月8日日曜日

MAY Bankの恩返し/帰国

日本時間では日付が変わってしまいましたが、さきほど無事帰国しました。朝8:30に、コーディネーターのJ女史に部屋を見てもらって、住処を出ました。妻が1週間かけてピカピカに掃除していたので、J女史も驚いていました。さすがThe Japanese. 来た時よりも美しくという日本の美学です。(私が手伝ったのは5%くらいかと思います。)

フライトの時間までたっぷりとありましたが、とくかくKLIA2へ。仏の御計らいでしょうか?エレベーターを降りると、清掃スタッフの女の子とバッタリ出会いました。莫大な引っ越しのごみ処理をすでに綺麗にやってくれていたことを妻が御礼を言う機会に恵まれました。さらにセキュリティには、日本語が話せる最も世話になったおじさんがいて、最後の挨拶の機会に恵まれました。タクシーを拾おうと外に出ると、650番のバスがきました。その運転手は私が共に記念撮影したサングラスの彼。わざわざ停車してくれて、「乗るかい?」「いや、KLIA2へタクシーで行くので…。」という会話が出来ました。最後に握手して「Good luck!」となりました。

すぐ来たタクシーに乗ってKLIAに着きました。まずは、MAY BANKで最後の両替です。先日の木曜日にIさんにパスポートを預けたので、結局空港で両替をすることにしました。どっちみち円高で盲目的両替なので損することは覚悟の上です。実際レートは悪かったのですが、担当のお兄さんが、たくさん両替したからか、粗品だといって白い箱入りの水筒をくれました。正直なところ、LCCであるエアアジアの機内持ち込み制限の7㎏が頭痛の種だったところに、新たなものが増えて、ありがた迷惑な気持ちでした。
札のチェックを終えて、チェックインに向かっていたら、さきほどのお兄さんが、「忘れ物だよ」と水筒をわざわざ追いかけて持ってきてくれたのでした。無意識のなせるわざでしょうか、窓口に水筒を置き忘れていたらしいのです。わざわざ追いかけて持ってきてくれたという彼の行動に感激しました。で、水筒をよく見ると、金色で、メイバンクのロゴ付き。なかなかおしゃれなものでした。彼の好意に報いるためにも絶対に日本に持って帰ろうと思ったのでした。

機内持ち込み制限7㎏は、さすがマレーシアでした。妻の小さめのスーツケースをはかって7.3㎏ほどあったのに、オケラーでした。私のザックやバッグも計らずでした。というわけで、めでたく水筒も日本に持って帰ることができました。

メイバンクには、作ったカードを最初に使ったときにATMに食べられるという大事件があり、以来あまり良い印象がなかったのですが、最後の最後に空港の両替担当のお兄さんのおかげで、恩返しを受けたような気がします。思えば、ミッドバレーの牛丼屋でお金が足りず、中国人青年がRM3出してくれたという好意から私のマレーシア生活が始まりました。最後もこのような好意で終わることになりました。つくづくありがたいと思います。この水筒、大事に使いたいと思います。マレーシア万歳。

2019年9月6日金曜日

Special Thanks MY

あと数時間でマレーシアからの配信ができなくなる。私が住処で使っているTMのシステムを撤去することになっているからだ。日本の自宅に帰るまでは通信不可能になる。マレーシアにいる間に、お世話になった方々に最後に御礼をしておきたい。

まずはPBTの教職員である。K先生やS校長先生はじめ、多く方にお世話になった。すでにメールで各先生方に御礼を述べたが、2月に帰国されたM先生には特にお世話になった。Dマートでの野菜の買い方に始まり、下校時に何度同乗させていただいただろう。マレーシアでの観劇や、演奏会などはM先生郷夫婦に連れて行っていただいた。インドの奇祭タイプーサムもそうだ。感謝してもしきれない。是非日本で再会させていただきたいと思っている。
次に、PBTのある日本人会のワーカースタッフ。ほとんどがバングラディッシュの人だ。朝からずっと清掃作業に励んでいる。PBTの行事にも彼らにお世話になった。何度挨拶を交わしただろう。何度ありがとうと言っただろう。4月にセキュリティースタッフが替わった。こちらは、マレー系とネパール系。同様に、毎日挨拶を交わし、笑顔をいただいた。彼らの陰の働きにいつも感謝してきた。日本人会の旅行社のCさんにもパース旅行で大変お世話になった。日本人会、万歳。ますますのご健勝を祈りたい。
我が住処のセキュリティーとワーカースタッフ。我が住処のセキュリティーは特にフレンドリーだ。長年勤務されているので、住民を熟知してくれている。(KLでも珍しいらしい。)女性スタッフも常に清掃作業に勤しんでくれており、古いコンドだけれどいつも清潔で綺麗だ。我がB棟の担当の若い女性ははインドネシア人である。
我が住処のコーディネーターであるJ女史には、家賃やネット、水道などの支払いをずっとお願いしてきた。B棟内の引っ越しでもお世話になった。日本語のできる彼女がいなかったらどうなっていただろう。住処の中華系カフェのおじさんにもずいぶん世話になった。特に妻が来馬するまでの期間、カフェのおかげで生き延びたといっていい。

街の清掃作業をしてくれている人々にも感謝だ。スコールの後、町は落ち葉や枝が散乱しすぐ汚くなる。彼らがいなければ快適な暮らしはないと言っていい。彼らの中で1人、朝のバス停で会い、挨拶を交わす友人がいる。彼は自分の仕事に誇りを持っているようで、いつも背筋を伸ばして堂々と歩いてくる。私は彼らの所得が気になるのだが、言葉が通じないのでついぞ聞く機会はなかった。KLは彼ら外国人労働者に支えられているといっていい。

650番のバスの運転手とバス友にも感謝だ。私は朝7時過ぎに住処のバス停からバスに乗る。同じバス停で待つ、中華系のTさんコンビ。先に乗っていて挨拶をかわす中華系の女性。途中から乗ってくるナイスガイのインド人。(彼は昔日本人会で空手を学んでいた。今は腰を痛めていて心配だ。)一度バスで転倒した中華系のおじいさん…。MBMRに働く中華系の女性もいるし、挨拶をするバス友は、あげたらきりがない。彼らとのちょっとしたコミュニケーションがマレーシア生活が豊かなものにしたと思う。

こちらで縁を結んだ友人たちにも心から感謝を述べたい。現地で起業してたり、ローカルの人々を使っている半導体ビジネス関係の話は、現地の姿を浮き彫りにしてくれた。こういう情報が生きた社会科の授業の源となった。友人たちの益々のご健勝を祈るばかりである。
最後に、IBT・PBTの学生諸君である。F36A・B、F38A・B、F40A・B、そしてF42D・Eの学生諸君には様々なことを教えてもらった。日本の教育現場では味わえない経験もさせてもらった。特に最初のF36には関西弁まるだしで、しかも日本とあまり変わらない授業をしてずいぶん迷惑をかけた。(EJUの成績は抜群だったけれど…笑)担任だったF38 Aでは強くしかったこともある。その反省もあってF40Aはしからなかった。F42の諸君には途中で退職することになったが、厚情で接してもらった。全ての教え子諸君に感謝である。

改めてマレーシアで出会った全ての人々に心から感謝したい。
Special Thanks MY. ほんと、おおきに…。Katabiranotsuji

2019年9月5日木曜日

PBTの話(74 ) マグレブ

今夜の講話が記されていた
タマンデサには、青いドームのマスジット(モスク)がある。3年半もの間バスから眺め続けていたのだが、中に入ったことはなかった。有名な観光名所のマスジットには入ってきたが、ここは街のムスリムにとって日常的な場所なので、そう簡単には入れない。F42の学生諸君に頼んで、事前に入場許可をもらった。写真撮影もOKである。

今日は、著名な方のお話がある日(マレーシアの独立についてがテーマだったらしい)だった。このマスジットの管理者とも挨拶し、マグレブ(日没時の礼拝)も録画させてもらった。貴重な映像である。これも三崎高校の生徒に見せる機会があるかもしれない。
タマンデサ・マスジットの内部
さて、礼拝後9:30まであるだろう講話をキャンセルした学生たちと共に、夕食を取った。これもなかなか入る機会がなかったマレーの食堂である。マレー料理というと辛いイメージがあるが、私は大好き。魚料理は少し苦手なのだが、実に美味しかった。結局、彼らは私のコンドの入り口近くまで見送ってくれた。最後の最後まで、本当にありがたい心遣いである。
最後の晩餐を楽しんだマレー料理店
そうそう、今朝Iさんに託したパスポートは、彼らがちゃんと持ってきてくれた。
…私の就労ビザと妻の家族ビザが終了したことが記されてあった。

帰国準備その5

セントラルマーケットの前のポスト
帰国準備、なかなか多忙である。昨日は、妻がこちらの友人たちとの宴(ちなみに私もPBTやこちらの友人との宴が何度かあったがエントリーは割愛している。)があり、私は先日取り損ねた650番の車窓ビデオを撮影しにパサセニにでかけた。パサセニは中華街に近いし、セントラルマーケットで買い物もして帰ってきた。

今日の大きな仕事は、ミッドバレーのPOSで、もうひとつ荷物を送ることと最後の両替だった。ところが、PBTから緊急連絡が入って、政府関係の事務を担当してくれているIさんにパスポートを預けることになった。結局、急いで荷物をもってPBTに向かったのだった。(笑)この緊急連絡は、私のスマホのバッテリーが完全にダメになっているので、F42のJPA学生A君のフェイスブックでのPC経由の連絡で繋がった。まさに綱渡り。私と妻の就労ビザや家族ビザの抹消が必要だったようだ。パスポートが手元になくなったので今日の両替は不可能になったけれど、そのおかげで妻がK先生にも最後に顔を見せることができたし、結局良かったような気がする。

その後、POSで荷物を送った。当然ながら、我が夫婦の英語力では厳しいのだが、なんとか乗り切った。(仏語圏のベトナムに行くT先生、こういう海外生活のしんどさも知っておいてくだされ。)さらに、もうひとつ行くべき場所があって、往復ともバスと地下鉄を乗りつぎ、帰宅できたのは14:00を過ぎていた。いやあ、疲れた。

今日の残りの予定は、タマンデサのマスジットに、マグレブ礼拝を見に行くこと。今朝、世話になったA君が、Iさんから夫婦のパスポートを預かってきてくれるはずだ。

2019年9月3日火曜日

帰国準備その4

大1・中5・小3の計9個になった
日本に贈る荷物は、段ボールで9個になった。船便なので10月中旬に愛媛に着くはずだ。今日はその搬出日である。昨夜は、妻と段ボールの補修作業に追われていた。朝10時に業者が来て、荷物は運ばれていった。
タマンデサの中華系リサイクルセンター
その後、I先生が帰国時に預かったフォークギターをタマンデサのリサイクルセンターに持って行った。日本に送れなかったのだ。捨てにるは忍びないし、以前ここのお姉さんに相談したら、ギター大歓迎といわれたので持って行ったのだ。(もちろん無料である)これが、ギター君にとって最も良い選択だと思われる。誰かがこのギターで、コードの練習を始めるかもしれない。
誰もいないコンドのプール。贅沢な話だ
さらに本日の帰国準備の最後は、コンドのプールで泳いだ。あいにく曇っていたし、たった5分ほどだったけれど、長い間プールに来ていたなかったので、思いを遂げた感じだ。日本では、自由に入れるプールがあるなんて考えられないことだからだ。

ところで、今は何時間目だよなあ、という意識が消えない。(笑)

2019年9月2日月曜日

帰国準備その3

帰国準備その3である。今日はブキッビンダンで両替した。妻の発想は面白い。2日連続でミッドバレーで両替すると怪しまれると言うのだ。うーん、よくわからないが、まあいい。…というわけで650番のバスに乗って、パサセニ(バスの終着点)経由でブキッビンダンに向かった。

ところで、以前から、帰国する前にやっておきたいことがあった。650番のバスから見るタマンデサ~ミッドバレー間の往復のビデオ撮影である。よく考えてみると、この3年半、ペナンとマラッカには旅したけれど、(パース旅行はおいておいて)他にマレーシア国内を旅していない。もっと言えば、ブキッビンダンには数多く言っているけれど、ツインタワーのあるKLCCには4回しか行っていない。KLタワーにも上っていない。(笑)

ただひらすら住処のあるタマンデサとPBTのあるミッドバレーの往復ばかりで、私のマレーシアは、タマンデサとミッドバレーだったのだ。ほぼ景色は頭に入っているけれど、あえて記録しておきたかったのだ。昨晩、カメラのバッテリーを見たら十分だったので、撮影を始めたが、ミッドバレー寸前でバッテリーが切れてしまった。(笑)と、いうのも想定外のハプニングがあったのだ。タマンデサのDマーケット前から、白人のバックパッカーのカップルが乗ってきたのだが、彼らは現金しか持っていなかったのだ。運転手とだいぶ話し込んでいたのだが、運転手もタダで載せるわけにもいかないし困っていたのだ。すると、彼らの後から乗車したインド系のおっちゃんが、自分のカードを使い彼らの料金を払ったようだった。で、メデタシ・メデタシとなったのだが、私のカメラは動いたままで予定外の電力を消費してしまったのだった。だが、こういう、マレーシアのいいドラマを見せてもらったので全くノープロブレム。また4日に続きを撮ろうと思っている。

そうそう、こんなハプニングもあった。寮の前からH君とS君が乗り込んできたのだ。ついでに彼らの笑顔も撮っておいた。(笑)休日の午前中に650番に乗ると、JPA生と会うこともしばしばである。

このビデオ、三崎高校の生徒に見せる機会があればあればいいな、と思っている。

2019年9月1日日曜日

帰国準備その2

MVメガモール 今日のサウスコート
いよいよ、9月に入った。昨日は、自宅にこもって体力の回復と、PBTでお世話になった先生方にお一人づつメールをしたためていた。日本にいる旧知の先生方にも連絡をとった。おそらく人生で最も多くのメールを発信した1日だったと思う。

PBTの事務的な問題、教科の問題、机の清掃などすべて終わったので、後は愛媛に直接送る引っ越しの荷物である。これは、先日の木曜日にほぼ完了している。少し、持って帰る荷物が増えたので、妻と相談の上、1箱だけ、POS(郵便)で大阪の自宅にに送ることにした。もう1つの大問題は、両替である。妻がコツコツと貯めていたRM(リンギ)を、先日Lさんと共におろしてきた。調べてみると、日本に持ち込めるRMは1000が限度らしい。それ以上になると、マレーシア中央銀行に申請が必要とのこと。これはまずい。今円高でだいぶ損をするのだが、英語力もなく時間もない私に中央銀行への申請などできるわけがない。で、盲目的に日本円に両替するという決断をしたのだった。
中華系の人々がは中秋の名月を祝う。月餅の店も出ていた
というわけで、朝10時前に、妻とミッドバレーのメガモールの両替店に行ってきた。3軒ほど回って両替を済ませた。せっかくなので、買い物もして帰ってきた。今日は日曜日であるので、人が多かった。この雑踏もなぜかなつかしく感じるのだった。

T先生、ベトナムへ

ハノイ旧市街 https://sotonoba.place/hanoi_report
昨年末にマレーシアにやってきた親友のT先生が、日本語教師の講習を進めながら、就職先を探していて、決まったと連絡してくれた。本当は、マレーシア、それもPBTに来ることが夢だったのだが、私がPBTを退職することになったし、マレーシアの規定とPBTの規定で実務経験3年以上という高いハードルがある。

T先生が見つけたのは、ベトナムのハノイ。日本語センターで日本に技能を学びに行くベトナムの人々に日本語を教える仕事だ。社長は67歳の元社会科教師、教育関係でJICAのシニアボランティアをされていた関西人だという。なんか私に少しだぶる話で、スカイプ面接では意気投合したらしい。まあ、T先生は情熱の塊のような人物なので、すごくわかる気がする。しかも破格の条件だ。ベトナムとしてはかなりの高給で、しかも住居費は無料、食事もつく。最高の条件だと思う。

私もかなり心配をしていたのだが、T先生も第二の人生の幕開けだ。T先生に乾杯。

2019年8月31日土曜日

ムルデカ iin YouTube

ムルデカ・デー(独立記念日)である。今年もプトラジャヤで行われたので、F18もスホーイもタマンデサには来なかった。非常に残念である。と、いうわけでTVをつけてみたのだが、長いこと(1年くらい)つけていないので、うまくいかない。しかし、YouTubeでLIVE中継をしてくれていたので、最後の空軍の登場シーンを見ることができた。メデタシ、メデタシである。
マレーシアは、ムルデカ・デーに合わせて、町中が国旗で溢れている。あまり日の丸を表に出さない日本とはかなり違う。大阪へ帰ったら車を買う予定だが、すでにマレーシア国旗のステッカーを買ってある。右後方に貼るつもりだ。マレーシア独立記念日、万歳。

2019年8月25日日曜日

日曜日のタマンデサ4

店のトレードマークのロボット 店内は日本のアニメグッズで装飾されている
いつも世話になっているOさん家族と、日本料理店でランチをとった。妻によれば、この店には、「白マグロ」があるという。日本では食べられないものらしい。理由は不明確だが、かなり油が多くて食べすぎると体に良くないらしい。しかし美味しい。…と聞くと食べたくなるのが信条というものだ。
白マグロ=White Tuna
ランチセットのちらし寿司
妻のおすすめはランチメニューにあるちらし寿司。ブキッビンタンなどで注文すると、マグロなんかが細切れになって出てくる。しかし、この店は、ドッパーンと切り身で出てくるという。しかも白マグロ付き。一応、皆で試食するために単品でも頼んでみた。うーん、美味しいのは、美味しいがマグロのトロとは全くの別物。食感が違う。妻が言うに、のどぐろなのではないか、と言う。うーむ。
この3本の派手なモノは、やはり線香だった
ところで、店を出たら、昨日写真を撮った巨大な3本の線香がほとんど燃え尽きて燻っていた。中華系の人々の盂蘭盆会らしい。

2019年8月23日金曜日

PBTの話(65) 帰国準備

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西洋哲学史講座も、フーコー、ドゥルーズ、デリダとポスト構造主義を教えて終了した。デリダの脱構築の新しい例として、ベビーフェアのキャラクター、アフロヘヤーの赤ちゃんを示した。見事な脱構築の例であると思う。

さて、授業終了後、税金の申請を事務のIさんやLさんの手を借りてやっていた。とにかく英語の書類なので、苦労する。今日の最大の仕事は、マレーシアの出入国の記録をパスポートからひろい、何日マレーシアにいて、何日国外にいたかという表を作成するこであった。これは、マレーシアの税制で、1年に182日間滞在していないと税率が上がるらしい。幸い、私はすべての年でクリアできたようだ。最初何が何だかわからず、文字通り四苦八苦した。(笑)

妻の方は、昨日引っ越し業者のN通を呼んで、レクチャーを受けてくれた。こっちも、すべての送る品を英語でリストアップすることになっている。なかなかの大仕事だ。雑貨と記したいところだが、それはNGらしく、細かな名称を入れなければならないらしい。

これからも帰国に際しての作業がいろいろ入ってくる。私は来週、銀行に行かなければならない。預金を下ろしに行くのだが、これをまた日本円に替える作業もある。今円高でちょっとヤバイ状況である。うーん。

2019年8月15日木曜日

PBTの話(59) G大のOG来校

G女大のOGのY君がが一時帰国してその足でPBTに寄ってくれた。初めての進学先で当初、ビザや住居などいろいろと苦労したようだが、今は授業に大いに満足しているようだ。実に嬉しい。図書館でアルバイトしているL君ともゆっくり会い、激励もしてくれた。その気持ちもうれしい。

さて、哲学史の授業は、ソクラテス、プラトンまで両クラスとも終了した。明日はいよいよアリストテレスである。今日もいい授業ができた。

さて、このところ夕方になるとスコールが凄い。650番の待ち時間が11分と出ていたので、実際は30分以上待つことになると確信した。640番が来たので、ちょっと小雨だが乗ることにした。久しぶりにジャングルロードで帰ろうと思ったのだ。ところがびっくり。ジャングルロードがふさがっている。おそらく落雷で木が倒れたのであろう。時々こういうことがある。私はなんとか乗り越えられたが、バイクの人は無理だと思う。貴重な抜け道なのだが…。