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ESDとアフリカの開発経済学をライフワークにしている元大阪市立高校教諭のブログです。ケニア、南ア・ジンバブエ、ブルキナファソに足を運びました。58歳で、マレーシアの日本語学校に3年半勤務、その後四国最西端の三崎高校公営塾塾長となり、64歳で大阪に戻り、兵庫県の私立高校の2年間を経て、4月から大阪市の私立高校にお世話になっています。 メールアドレス:bfa.katabiranotsuji@gmail.com
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愛媛県は、教頭先生は2年間、新任教員は3年間という慣例があるようで、ある程度は予期していた人事だった。コロナ禍で、残念ながら生徒も卒業生も各教室からLIVEを見ていたようだが、大阪にいる私も拝聴できたのは不幸中の幸いであった。
退職・転勤される先生方のご多幸とご健勝を祈りつつ。
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昔は、LIVEで一生懸命応援していた。後輩のI先生とメールで「〇〇の動きが悪い」とか「GOOLーーー!」とか、やり取りしながらTVで見ていたのだが…。野球もいいし、ラグビーもいいし、サッカーもいい。自分自身ではうまくできないけれど、熱くさせる力をスポーツは持っている。
三崎を出る際、早めに挨拶をしに来てくれたY君は、卓球の全国選抜大会に出場して、3人組の予選で一勝一敗で2位、決勝進出はならなかったらしい。とはいえ、全国大会での1勝。…凄いな。直前に足を痛めて心配したが、よく頑張ってくれたと思う。
卓球も、サッカーも、紙一重の差が勝敗に結びつく。それはメンタルであったり、フィジカルであったり、テクニックであったり。ともかくも、日本はW杯に今回も出場できた。バンザイである。
…やっぱりTV欲しいな。(笑)
まずは、町長・教育長をはじめとした町役場の皆さん。町教委事務局長はKさんからAさんに代わった。Kさんには、いろいろとお世話になった。今は地域振興課長になっておられる。いつも体調を気遣っていただいた。Aさんは三崎の八幡神社の宮司でもあり、三崎高校OBで、よく学校に来ていただいた。Facebookもよく見ていただいていた。三崎支所の皆さんにも年末年始開塾でお世話になった。町見郷土館のTさんには、最初からお世話になった。地域おこし協力隊の各位にもお世話になった。…町の関係者に深く感謝申し上げたい。
三崎高校の教職員の皆さんは昭和の薫りがする教職員集団である。若手教員を管理職、ベテラン、中堅の先生が育てていくという空気が素晴らしい。小規模校で教材研究が大変だし、校務分掌も1人3つという激務で、これに月2回ほどの寮担当で泊まることもあり、私の住む教職員住宅にも22時15分に点呼に来なければならない。もちろん、全国レベルとなっている地域創生の仕事もあるわけだ。少人数で若手が多いからなんとかなっているのだろうと思う。地域創生の中心者T先生と、地域創生をやりたくて三崎に来たというK先生は、今や藤子不二雄で、どちらが担当しているのかわからないくらい仕事をこなしている。このお二人は私が知る教師の中でも、スーパーマン型である。さらにスーパーな音楽のO先生がいる。彼女の演出力はかなりのもので、文化祭の民俗芸能や吹奏楽を見事に動かしている。広報ではH先生。私が来た時の3クラスから今春の6クラスにした大功労者である。その他にもいい先生がいっぱいいる。事務長先生もこれまでの経験から見ても三指に入る熱心な方だったし、管理作業員さんも寸暇を惜しんで広い校内を管理されていた。…そして、昨年度の学校長K先生は、私の知る限り最高の学校長だったと思っている。生徒と共に持久走を走る学校長を初めて見たし、理と情両方に長けておられた人格者であった。 …三崎高校の教職員の皆さんの益々のご健勝を祈りたい。
先日もお世話になった同窓会長が、昨年の文化祭で校歌の合唱コンクール後、OBOGの保護者の皆さんを舞台にあげられ、校歌を歌うよう指示された。(画像参照)三崎高校で感動したことは多いのだが、この時が一番であった。PTA会長は、寮の食事を引き受けられている。並大抵のことではない。お二人共、影に日向に三崎高校のために頑張っていただいている。心から感謝申し上げたい。さらに、三崎高校を支えていただいているNPOの方々、塾のために遅いバス運行をしていただていたAさん、Sさんにも大変お世話になった。三崎高校の関係者の皆さんにも心から感謝したい。
出前塾でお世話になった伊方町内の三中学の先生方、私が講師をさせていただいた2度の研修会に来ていただいた小中学校の先生方、特に研修会に深く関わっていただいたA教頭、N先生、M先生。ありがとうございました。
私と妻の体調を守っていただいたK医院の皆さん。K先生には本当にお世話になった。愛車の健康を回復してくれたMモータースの皆さん、住宅前の畑をされているご夫婦には、野菜や枇杷もたくさんいただいた。近隣の皆さんにも気軽に挨拶をしていただき感謝している。三崎のローソンの店長には、来て間もない頃、三崎高校のポスターを張っていただいたし、閉塾後、牛乳を買いに寄ると棚になくてもすぐ対応してくれたスタッフにも御礼を述べたい。また伊方町地域おこし協力隊・公営塾のFacebookにイイネを毎回送っていただいた地元の方・保護者の方にも感謝申し上げたい。
そして最後に、我が未咲輝塾の優秀な三講師と、三崎高校の生徒諸君に、SPECIAL THANKS!である。…伊方町三崎は、生粋の大阪人である私の故郷になった。
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驚いたことに、N氏は同学年(昭和32年5月生まれ/私は33年3月)であった。三崎高校時代はブラックリストに載っていたそうだ。それは、ギターをやっていたからだという。国道197号線などなく、八幡浜から船でPAを運んでコンサートをやっていたらしい。凄い。広島の大学に行ったのは、表向き家業を継ぐためだが、実は「広島フォーク村」に出入りするためで、専門の電気関係の資格は一切取らず、普通免許だけだったとか。そんなN氏から出た名前が、加川良。真空管のアンプに年代物のスピーカーで、「親愛なるQに捧ぐ」のLPをかけていただいた。偶成。こがらしえれじい。夕焼けトンボ。靴紐むすんで。鎮静剤。こもりうた。そして下宿屋…。
さすがに大阪ではギターを弾いていてブラックリストにのることはなかったが、同世代故に音楽の趣味は完全に一致である。何年経とうとも歌詞を覚えている自分に驚いた。
三崎の最後に素晴らしい時間を過ごさせていただいた。心から感謝である。ちょっとエビスビールを飲みすぎた。
ずっと気になっていたことは、みさこうDAY以来、事情があってNさんへの倫理の講義が中断したままになっていたことである。あと中国思想と西田哲学だけはやっておきたかったのだが、残念である。
とはいえ、卒業生のO君Uさんも雨の中わざわざ来てくれ、昨年度の卒業生のKさんも来てくれた。それぞれ長く話した。ありがたいことである。そうこうしていると、2年生の生徒、バス通学の生徒から色紙をもらった。いろんな惜別の品もいただいた。
塾の講師という存在は、正教員とは明らかに違うと私は思っている。サポート役に徹してきた。学校との連携上、一歩引いて要望に全て答えてきたが、こちらから要望は出さなかった。この微妙な立場故に、このような良き思いをするとは夢にも思わなかった。まるで担任である。ありがたいことであある。
最後のサプライズは、我が講師陣からの記念品贈呈だった。年齢の格差から、うまく行っているのかどうかわからないときも正直あった。しかし、そのような杞憂は最後に消えた。家に戻り、その品は私が欲しかった「みきゃんのネクタイ」であった。嬉しいなあ。松山の高島屋まで行って買ってきてくれたようだ。
もちろん、先生方や事務所にご挨拶にいった。全員とご挨拶できなかったのは残念だが、仕方がない。管理作業員さん(愛媛では用務員さんというらしい)にご挨拶できなかったことが悔やまれる。陰の仕事をされている人を大切にするのが私の心情なのだが、今日は雨で強風なので姿が見えなかったのである。
最後に下校のバスを見送った。ボーイスカウトの三本指の敬礼を1年生男子が返してくれるのも最後である。旅館の女将稼業もこれで終わりである。雨の日も風の日も2年間毎日見送ってきた。しんどいなあと思うこともあったが、やりきれたことに満足である。
そんな最終日。お世話になった方々にひたすらメールもさせていただいた。感謝の1日であった。
さて、今日最大に嬉しかったことは、コロナ禍で、D大学に入学しながら、ずっと2年間マレーシアに閉じ込められていたL君が、ようやく来日の目処がたったことである。うまくいけば、4月上旬に来日とのこと。状況次第だが、できるだけ早く会いたいと思っている。
長かった。本人が一番苦しんだだろうが、私もずっと心配していた。彼は大学院にまで進むつもりだろうから、この2年間を是非払拭して欲しいと思っている。
…いやあ、朗報、である。三崎を去る直前に舞い込んだ朗報。
この2年半、地域おこし協力隊の一員であったのだが、正直なところ違和感を禁じえない。まず、地域おこし協力隊員は、赴任地で起業・永住することを想定している。しかし公営塾の講師は、私塾が成り立たないような地域ゆえに赴任している。よって、そこで起業せよと言われても困る。(この状況を打破した人物を1人だけ私は知っている。ただ、彼は大阪で私塾を経営していた経歴があり、地域の信頼も厚く、小中学生を対象とした塾を開業した。)任期が終わったら去るしかないのが普通だ。
これまで、コロナ禍が言われ出すまでは、町内のイベントにも参加、協力してきた。しかし、今年度は昨年度15回も実施した出前塾も1回だけで、三崎高校の存続・発展ために頑張っているが、地域おこしに多大な成果を上げているとまではいえない。(昨年度は、小中学校の研修の講師を2回務めたが、今回それを収録時に言うつもりはない。)また、正直なところ、毎月の集まりでも、語られている内容の次元が異なるので違和感があり、沈黙していることが多い。もうひとつの違和感は、他の隊員は個人で動いているが、我々はチームである。比較的勤務時間の自由度がある他の隊員とは状況が違うし、全く同じように扱われると、違和感が膨張する。
今回の収録に対しても私は全体で10分くらいで良いと思っている。でも20分というスパンなので、私は一切自分のことは語らず、三崎高校と塾のことを統括的に話すことになった。チームの役割としては妥当だと思う。他の3講師には来年度のこともあるので、各自のやっていることを紹介してもらおうと考えている。来賓席には、町長、教育長、同窓会長、PTA会長。三崎に来て2年半。それぞれ懇意にさせていただいている。石の上にも3年とはよく言ったもんだと思う。
今回の卒業式はかなりオーソドックスだった。思い出の詰まったビデオの上映もなく、在校生は昨年同様、FacebookのLIVEで参加。昨年は、卒業生は退場する時、ZOOMを使って在校生が拍手を送っていたが、今年はなし。と、思っていたらサプライズ。3年生の教室は3階なのだが、1年生の教室のある1階廊下には1年生がズラリ。見ると3階の渡り廊下には2年生が並んでいた。しかも、吹奏楽部の生演奏で校歌が流れている。その中を3年生が感涙しながら歩み、階段を上がり、渡り廊下でも歩んでいく。来賓も校長室へ下がる足を止めて、この様子をじっと見ておられた。いい学校だと…。
最後の最後に在校生の温かいサプライズ。卒業式で泣けるのは教師の醍醐味である。
今年も卒業生の塾生たちが挨拶に来てくれた。卒業アルバムに、今年もまた「理想に生きることをやめた時青春は終わる」と書き込んだのだった。*三崎高校のFacebookの最後の最後、1:58:00くらいからその様子が見れます。
https://www.facebook.com/%E6%84%9B%E5%AA%9B%E7%9C%8C%E7%AB%8B%E4%B8%89%E5%B4%8E%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1-1088148851361061/?modal=admin_todo_tour
三崎高校には、八幡浜方面との間に通学バスが2台あって、1台は昨年町によって追加された青いバス、もう一台は、三崎高校の名前が横に書かれている同窓会が購入してくれた白いバスである。私は、毎晩のように塾生を見送りに行っていて、旅館の女将になっているのだが、それは後者である。この白いバス、それなりに故障も多い。エンジンはまだまだ行けると思うが、ライトとか、細かな修理が必要なこともしばしばである。
さて、この白いバス、今回リタイアして、新しいバスがやってきた。今日、始めて生徒を乗せて運行されたのである。この新車のバスがどうしてやってきたかは、私の情報網から得た凄い情報があるのだが、まだ公にされていないのでここでは書けない。だが、素晴らしい話であると、だけ言っておきたい。
ところで、今日卒業する3年生の同窓会入会式であった。同窓会は、来年度の入学生が2クラスになるのを見込んで、Y旅館をリフォームして、10名男子を受け入れるとの発表があった。実に頼もしい同窓会であり、地元が三崎高校をどれだけ大事にしているかがわかる話だ。そう、バスの次は寮なのである。なんでも食事の世話も寮母さんを置いて、同窓会がしてくれるらしい。
これで、三崎高校の寮は、愛媛県・伊方町・同窓会が運営する連合寮体制になるわけだ。ほんと、ありがたい話である。…明日は卒業式である。
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そして最後の試験で、なんと19/20点を獲得してくれた。クラス中で大拍手が起こったと担任の先生に聞いた。さて、学年末考査である。日本語の日常会話のリスニングはだいぶOKになってきたが、文章の読解力はやはりまだまだ厳しい。世界史Aなら私も教えられるので、漢字テスト同様頑張ることになった。ありがたいのは、世界史Aの試験日は学年末考査の最終日なのでたっぷり準備期間がある。世界史Aでは問題プリントが4枚配布され、そこからかなりの量が出ると聞いている。今回は、全ての問題を私が英訳した。これが意外に時間がかかる。よくある文章の空欄を埋める問題でも、まず空欄の箇所の正解を入れて英訳し、さらにその空欄の部分を消して(1)とかに直すのである。今日は陛下のお誕生日で休日だが、結局2枚分を作成するのにかなりの時間を費やしたのだった。(すでに2枚分は作成して渡してある。)このサポートで、世界史の点数が伸びれば、彼の自信になるだろうし、2年生からの勉強ののためのスキル、あるいはヒントになるかもしれない。そう思うと、たいした苦ではないのだった。頑張れW君。
| https://mikame-h.esnet.ed.jp/blogs/blog_entries/index/limit:20/page:3?frame_id=122&page_id=76 |
現在の三崎高校は、寮生が増え、過半数を超えている。伊方町のご厚意で寮も新設され、さらに八幡浜方面と学校を結ぶバスも2台運行している。(今春からは古いバスが新しいバスになると聞いている。)極めて恵まれている。志願者45人というのは、この2年間より減少しているが、寮もバスもなんとか対応できると思われるので、ちょうとよい人数かもしれない。
ところで、愛媛県には公営塾が三崎高校以外に、2校ある。上島町にある弓削高校と、西予市にある三瓶分校(宇和高校の分校)である。そのうち、三瓶は今年14人という出願数で、このままだと閉校が決定的であると新聞報道にあった。頑張っていないのかというと、そうではなく様々な取り組みをしていて実に頑張っている。公営塾の講師も知っているが、頑張っている。八幡浜市の南部にあり、三崎高校と近く、ライバル関係にあるけれど、この現実は厳しい。
愛媛県立高校の「異文化理解」(大阪では考えられない)の最大のものとして、来週から志願者は志望校を変更できるシステムがある。倍率を見て若干志望者が動くのだが、少しでも三瓶分校は志願者を集めて欲しいと思う。がんばれ 三瓶分校と公営塾。
https://www.pref.ehime.jp/h12200/ehimenettv/4ch/030526_9.html
半島の付け根にある八幡浜市には、県内でも進学校として認知されているY高校があり、また工業高校や総合学科の県立高校があり、それらの高校に町内の中学生が流れていっていたのです。交通の便が良くないので、八幡浜市に住所を移すご家庭も多く、過疎化を防ぐ意味もありました。中学3年生の保護者と言えば、まさに生産年齢人口。高齢社会・限界集落化を防ぐ意味もあるのです。
よって、三崎高校の進学実績が高まれば、地元の中学生を集めることが出来ます。正直なところ、三崎高校の偏差値は、そんなに高くありません。しかし優秀な地元生が中心になって進学実績を上げてきました。今年もなんとか…という話です。来年の3年生は、どっと県外の生徒が増えた学年で、今年以上の成果をあげてくれると信じています。
最低限の仕事を成し遂げて、私もホッとしています。(今日の画像は、昨年の三崎高校前の桜並木です。)久しぶりの未咲輝塾のエントリーでした。
http://blog.goo.ne.jp/gyp-vision/e/52 415d4f7d36c385343f6a399df601f1 昔々、私がまだ中学生だった頃、春休みを利用して東京の親戚の家に遊びに行ったことがある。当時、私はクラシック音楽に凝っていたのだが、早稲...