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2026年3月7日土曜日

日本ESD学会近畿地方研究会

https://www.soai-dosokai.jp/
奈良教育大学に送った2番目の教え子が、今、S大学で准教授をしている。彼の尽力もあって、S大学で日本ESD学会近畿地方研究会が開催された。是非ともと言われ、一般(すなわち正会員ではない存在)として参加させてもらった。彼も立派になったもんだ。今回の事務局長として走り回っていた。嬉しいねえ。

午前中は、”フィッシュボウル・ディスカッション”という、全体の輪のなかに、もう一つ小さな輪(発言する場)をつくって「わたしたちはなぜESDに取り組むのか」というテーマで、若手の会を中心に議論が進んだ。ここで、気づいたのだが、参加者は圧倒的に奈良教出身者が多いことである。少し内輪的な会話も見られたが、内容は小中学校におけるESD実践の難しさや喜びなどが語られた。大学の退役・現役の先生方も小さな輪に入ってこられたりして、奈良教育大学のESD教育の師弟の絆・先輩後輩の親密さを強く感じた感銘を受けた次第。

昨日のサクラサクで奈良教育大学にお世話になる教え子にも、学校に勤めてからも続く、こういうESDの学びの輪の中に入っていって欲しいと心底思った。今春院に進む女子学生さんと話していたら、教え子と専攻も部活も同じで驚いた。

https://www.soai.ac.jp/information/news/2024/04/post-185.html
昼休みには、学内に教え子が作ったビオトープや田んぼも見学した。地域の子供達とともに学生が世話をするそうだ。

午後には、研究発表を聞きに行った。印象深かったのは、神戸常盤大学の深川幹さんの発表。「共有資源をめぐる意思決定のジレンマを体験するゲーム型教材の開発」である。これは同級生だった教え子との共同研究であるらしい。中学理科の教員志望者の教科指導法の授業実践である。コモンズの悲劇を基礎として、水・エネルギー・海洋(資源)・陸上(資源/鉱産資源や森林資源等)を4人がカードでそれぞれの資源を取得しながら、自己の利益を争うゲームである。初級ではアトランダムにカードを配布。それぞれの資源には当然ながら限界があり、資源が枯渇するとゲームセットになる。中級では、プレイヤーは、ドラフトで他のプレイヤーに見せながらカードを得ていく。上級はまだ実践していないらしいのだけれど、様々なプラスやマイナスのミッションが隠されているという前提で行われる。大学生故に、このゲームで様々な思考をしてくれるようだ。

これまでESDのシミュレーションゲームを創作して行きた私としては、およその感覚は掴めた。午前中のディスカッション時に離席で、内容について少し話し込んでいたこともあって、実に興味深い内容だった。使用したパワーポイントを送ってほしいと後でお願いしたくらいである。

ただ、社会科から見ると、様々な疑問が起こる。司会者の先生も社会科だったようで、資源となると需要と供給とか、経済的な問題として捉えてしまうので、あまりに簡素化し過ぎではないかという意見を発せられた。これは十分理解できるが、あくまで理科の教材であるから、目くじらを立てる必要もあるまいというのが私の意見。シミュレーションゲームには、必ず落とさなければならない論点が生まれる。どこから見ても完璧なシミュレーションゲームは存在しない。

私なら、これに札束を刷って使いながら進めると思う。資源が少なくなれば価格は上がるという発想は社会科の場合である。南北貿易ゲームでは、ファシリテーターとして、実際に需給関係で価格を上下させる。…なんか、また新しいシミュレーションゲームを作ろうかという意欲が少し湧いてきた。(笑)

2026年3月6日金曜日

奈良教 3度目のサクラサク

https://www.toshin.com/daigaku/nara-kyoiku
午前中に、奈良教育大学の合格発表があって、学院の生徒からサクラサクの報告があった。実に嬉しい。M高校時代に、私の英語科クラスから一浪の末に男子1人、ESD(持続可能な開発のための教育)の弟子で、国語科から男子1人、そして今回で、教え子3人目である。

私は教師になりたいという生徒には、まず奈良教育大学を推す。理由はやはり関西のESDの拠点校(ユネスコスクールの指導校)であるからである。小学校課程でも、専門教科を学ぶ中等過程でもESDの学びを大学時代にしておくことは重要だと思っているのである。

私が関わった頃のESDには、開発教育(途上国の問題を扱う)、人権教育、平和教育、環境教育、異文化理解といった5つの柱があったのだが、SDGsの登場で、それらが包括的に取り扱われるようになった。私の専門は、アフリカを中心とした途上国の問題に関わる開発教育であり、創作シュミレーションゲームをいくつか作り、日本国際理解教育学会で何度も発表してきた。おかげで、初版の学会の監修する事典にシュミレーションゲームの項の執筆を許された。ただ、マレーシアに行ってからは、同学会とは縁が切れてしまった。

奈良教育大学で、同学会が開かれ、研究発表したこともあるし、請われて個人的に発表させてもらったこともある。私とも縁の深い大学である。サクラがサイタ学院の生徒にも、充実した大学生活と将来への道を切り開いて欲しいと願っている。

2026年1月1日木曜日

SDGs10年 残り5年

https://www.quocard.com/individual/column/article/eto2026/
2026年が始まりました(干支は馬です:画像参照)。読者の皆様、明けましておめでとうございます。このブログも18年目に突入しました。Bloggerを使っている故に、日本国内以上に海外の読者に支えられている状況が続いています。グローバリゼーションを実感する日々ですが、新年にあたって、昨秋に10年目を迎えたSDGsについてエントリーしようと思います。

教育関係者の1人としては、日本の教育のコンセプトが、戦後の平和と民主主義教育から、人権教育(1958年生まれの私はその初期にあたります。)へ移り、さらに環境教育、2025年以降はグローバリゼーションの中、SDGsへと変化してきました。今お世話になっている学院でも文化祭で中学生全員がポスターセッションをしていました。

国際理解教育の徒でもある私は、SDGsを極めて重要な国際的指針だと考えています。貧困撲滅中心のMDGsを、中進国はもとより先進国の経済格差にまで拡げ、「誰1人取り残さない」(Leave no one behind)という理想、社会と経済発展と環境のバランス重視など17の目標と169のターゲットには、大いなる人類の知恵が凝縮されていると思います。しかし、2030年までいよいよ後5年を切りました。私には、理想と現実の中で、SDGsとグローバリゼーションは、いささか疲弊しているように見えるのです。

学院での2学期の地理総合の授業では、金融や高度な技術を持つ先進国の周囲に、安価な労働賃金で、先進国のサプライチェーン化した中進国、さらにその周縁に、紛争の罠や資源の罠、内陸国の罠、劣悪なガバナンスの罠などにハマった途上国が存在することを示しました。SDGsの理想は、このサプライチェーン化できないほどの途上国には無縁なものとなっており、欧米先進国や中国の新植民地主義・構造的暴力と自国の専制政治による暴力の二重苦にあえぐ人々は、完全に取り残されているといえるのではないでしょうか。

また、現在の欧州の危機は、ロシアからのエネルギー依存のツケと共に、環境優先を振りかざしすぎて自滅している感があります。クリーンエネルギーの確実性のなさを無視して、また二酸化炭素排出量の制限を声高に叫んでEV車移行を無理に進めたものの、結局様々な材料生産で莫大な環境負担を招いている姿は、いささか滑稽でもあります。結局、新自由主義的なビジネス重視が、SDGsを利用して挫折したといえると思われます。そのEV車需要に乗っかった中国もまた同様です。チャーチルが民主主義を批判しつつも他にこれ以上の制度があれば、との名言を残したように、資本主義もこれ以上の経済制度があればという注釈がつくものだ思います。

SDGsを理想としてではなく、現実の改革の指針とする時が来ているように思うのです。それには、極めて難題ですが、地球市民がそれぞれエゴを捨て、利害を捨てる必要があります。いよいよ仏教の知恵、イスラムの知恵などを見直す時期が来ているように思うのですが…。

…本年もよろしくお願い致します。

2025年8月25日月曜日

長岡高専のケニア技術協力

https://www.nagaoka-ct.ac.jp/80381/
TICAD9の報道の中で、長岡高専の学生がケニアで、「現地で調達できる装置」を使って、栄養価の高いキノコ栽培を行える減菌装置を発案、地元の大学と実証実験を行った成果発表を行った、ということを知った。これは凄い。この「現地で調達できる装置」という視点がなにより重要だと私は思う。

https://www3.nhk.or.jp/lnews/niigata/20250820/1030034079.html

少し長岡高専のことを調べてみた。最初メインのHPを見たので、物質工学科で生命応用コースに学ぶ学生かと思っていたのだが、環境都市工学科の学生であるらしい。なにより驚いたのは、長岡高専の学科専攻横断型一貫プログラムなどの特色ある学びのシステムである。多くの高校などで行っている「探求」の授業を遥かに凌駕した教育実践である。おそらくは、物質工学科の生命応用コースの先生方も絡んでいるに違いないと私は推測している。高専は男子のイメージが強いが、今回の発表者は全員が女子学生であったのも驚いた。https://www.nagaoka-ct.ac.jp/

当然ながら、JICAケニア事務所も関係している。今回の長岡高専と関わったのは、JICAのアフリカ型イノベーション振興プロジェクトに参加しているジョモ・ケニヤッタ農工大学である。この大学には、ケニア視察の際、ちょっとだけ訪問させていただいたことがある。懐かしい。これは、ちょっとした邪推でもあるのだが、我々の視察の際もそうだったが、JICAケニアのスタッフさんは、所長以下、今回の長岡高専の学生さんの安全面等に大いに気を使っただろうと思う。本当にご苦労さまと申し上げたい。

2025年7月16日水曜日

HDIランキングから始める

https://hdr.undp.org/data-center/country-insights#/ranks
2学期の地理総合は、UNDP(国連開発計画)が毎年作成する豊かさを表すHDI(人間開発指数)のランキングから始めることにした。すでに提出用紙は作成済みである。残念ながら、この表には指数(1が最も良く、0がもっとも悪い)のみ書かれている。この指数がどうして計算されるかは、実に重要なのでプリントで説明するとして、まずは世界中の国の豊かさの順を作業しながら感じ取ってもらうことから始めようと思っている。

なぜアイスランドやノルウェイ、あるいはスイスが豊かなのか?ちなみにアメリカは17位、日本は23位、中国は78位、インドは130位である。当然ながら下位の国にも注目して欲しいと思っている。

下位10カ国では、内戦下のイエメンが184位で、後はすべてサブサハラ・アフリカである。ここから、先日の難民キャンプの話と重ねていこうと思っているところ。

先週の土曜日に、枚方市駅に通院で出かけた折、ついにウガンダでの京大農学部を出たばかりの青年のノンフィクションを手に入れた。これがなかなかすごい話なので、この内容も加味できればと思っている。

2025年7月9日水曜日

今まさに崩壊しつつある国

https://www.cnn.co.jp/world/35216680.html
スリランカ パキスタン レバノン ハイチ ベネズエラ スーダン ミャンマー ジンバブエ アフガニスタン ウクライナ。この国名群は、YouTubeにあった”今まさに崩壊しつつある国10”である。ランキングになっていて、ウクライナが最上位である。https://www.youtube.com/watch?v=XvNvzDTeSq8

多くの国が政治的な混乱や内戦、インフレと食糧不足など様々な問題が指摘されている。正直なところ、アフリカ諸国が、スーダンとジンバブエだけだが、様々な問題を抱えている国は多い。状況によっては、イランも入ってくる可能性があるし、シリアもアサド政権が崩壊したとはいえこれからどうなるかわからない。ガザ(パレスチナ自治区)も国という概念ではない故に入っていないのだと思われる。

https://www.cnn.co.jp/world/35216680.html
2学期の地理総合では、経済的な側面から世界を見ようと思っているのだが、昨日の人権学習で提起された難民という視点、悲惨な現状からスタートするというアイデアも浮かんでいるところである。今日の画像は、世界初の黒人独立国でありながら、ギャングによる支配が続いているハイチ。まさに北斗の拳の世界といえよう。

2025年7月8日火曜日

学院の人権学習について 2

https://www.y-history.net/appendix/wh1703-092.html
学院の人権学習・本番の日である。S先生からサポートを頼まれていたので、かなり登壇者と接する機会があった。1コマ目は、前回話題にしたユニクロの”届けよう 服のチカラ”であった。H高校でのハランべー・プロジェクトから10年。出前授業も、昔JICA大阪で学んだ「難民のアクティビティ」も取り入れられていた。もしあなかたが難民となった時、何を持っていくか?というものである。JICAの高校生セミナーでは、時間経過とともに持って行けるものが、どんどん減っていき、精神的にもしんどいものだったが、今回はいくつかから1つ選ぶという簡素化されたものだった。パワーポイントの途中、難民になる原因の1つが「人種」となっていたのだが、高校地理の学習では、人種という概念がすでに消えていることを伝えておいた。「民族」の方がはるかに適切だと思うとも…。

さて、2コマ目は、近くのカトリック教会で難民の支援を行っている方が、実際の難民申請中の方を連れて来られた。クルディスタンの男性であった。あまり細かなことは個人情報なので書かないほうが良いと思うが、私にとっても初めてのクルディスタンとの邂逅となった。貴重な経験である。ちなみに私の「地球市民の記憶」(ブログの常設ページ)は109カ国・地域になった。

日本の難民申請は先進国の中でも極めて厳しい。私は、ただ単に批判する立場にはない。日本語という言語の学習が、共存の鍵だと思っている。そんな話を講演後に応接室でしていた。彼は独学で日本語を学んでいるらしい。難民申請中故に日本語学校にも行けないようだ。マレーシアでの日本語学校での経験と照らし合わせても、日本語の習得はそう簡単なことではない。

クルディスタンの難民申請中の彼は、まさに「民族」的な問題で日本に来たのである。ナイスガイなので、是非難民申請が通って欲しいものだ。3年生には、民族問題でクルディスタンについても授業で話している。彼の地域のクルド語の文字はアラビックであるとのことだった。こんなことを3年生に質問してほしかったが、2階席だったので皆臆してしまい残念。(笑)

2025年5月19日月曜日

ベルギーの二言語問題の話

https://saspecialist.southafrica.net/jp/jp/topics/entry/jp-jp-kruger-national-park
ベルギーは、オランダ語系のフラマン人とフランス語系のワロン人という、異なる二言語の国家であり、ベルギー語というのは存在しない。いわゆるベルギーの言語問題である。さてフラマン人とは2つ、ワロン人とは1つ思い出がある。

M高校在職時代、ある日の放課後、校門付近でフラマン人のカップルと出会った。観光で大阪に来ていた2人に、日本の学校を案内してあげようかと言ったら、是非というので教頭に了解をもらい、校内に入れた。M高校は、国際的な雰囲気をもっているので、生徒たちも外国人には興味津々なので英語でどんどん話しかける。ちょうど茶道部がお茶会をしているという情報が入ったので、連れて行った。外部から来ておられた茶道のご年配の先生も歓迎していただき、生徒に英語の通訳をさせながら彼らに茶道を教えてくれた。フラマン人カップルは正座には苦しんでいたものの、良き日本体験ができたと非常に感謝してくれたのだった。

南アのソウェト・ツアーで知り合ったフラマンの母娘とツアー中にいろいろ話した。近日中にクルーガー国立公園(画像参照)に行くらしい。一方、ドイツ人の女性教師とも同じ宿の中庭で知り合った。彼女は、英語が苦手だが、ゲルマン系なので皆から英語で話しかけられ困っていた。そこに英語が苦手そうな東洋人が翻訳機を片手に英語の漫画本を読んでいるのを発見したらしい。気軽に話せると思ったのだろう。日本に来たこともあるそうで、彼女もクルーガー国立公園に行くのだと言っていた。夜のレストランで、母娘とドイツ女性が離れて食事をしていた。私は、母娘にドイツ女性を紹介した。なぜなら、フラマン人の話すオランダ語とドイツ語は近い言語だからだ。意思疎通は英語を介するより楽なはずで、ドイツ人女性にとってはクルーガーに行く間、気が楽になると思ったからだ。案の定、フラマンの母娘とドイツ人女性は会話が弾んだようで、私も良いお節介が出来たと思っている。

オランダ語は、英語とドイツ語の中間のような存在。だから、福沢諭吉が蘭学から英学に切り替えたことを長い間すごいと思っていたが、たいしたことではない。ベルギーのフラマン人がオランダ語系であることと、このゲルマン系三言語の関係性を知っていれば、このようなお節介も可能なわけだ。

ところで、フランス語系のワロン人とは、四国・三崎高校で出会ったことがある。知己の中学の教頭先生宅でミカン収穫を手伝っている若者だった。英語は、かなり厳しいようだったので、挨拶で終わってしまった。(笑)ラテン系のフランス語を使うワロン人とのコミュニケーションは、やはり難しい。というような話を授業でしていたのだった。

2025年3月7日金曜日

神なき時代の終末論 書評

「神なき時代の終末論」(佐伯啓思著:PHP新書)の書評、第9回目。本書は、第4章の後にさらに終章がある。著者は、自由の背後にある「秩序」、民主的平等の背後にある「権威」、人権の背後にある「超越的な価値」、市場経済の背後にある「非市場的な価値」(決して市場価値にさらされてはならない価値)といった伝統的な価値があるとしている。リベラルの価値は、ともすれば伝統的価値を攻撃するので、自由が暴走し放埒となり、平等はいかなる差異も認めない不平不満の集積となり、権利の要求は増長した自己利益の隠れ蓑、市場競争は格差の挙げ句に社会秩序の崩壊を導くという持論を展開している。(他にも、多くの主張があるのだがあえて割愛。)

…学生時代、朝日ジャーナルを読んでいた私でも、納得がいくロジックである。国際理解教育の徒としては、リベラルなスタンスが学会やNGOの主流であるが、個々の事例で私のスタンスは微妙に違う。リベラルであることが正義ではない、それぞれの問題において、バランスが重要だと最近考えている。

…たとえば、環境問題。西欧主導のEVなどは、ガソリン車よりCO₂の問題があるし、太陽光発電や風力発電についても無謬ではない。環境関係企業の利権も大いに問題である。SDGsの主軸である、経済成長と環境問題のバランスが重要なのであって、環境重視が普遍的な正義だとは言えないと思っている。

…異文化理解も同様である。世界的に問題化している移民問題について、是々非々の立場で考えたい。先進国で移民が増えることは少子高齢化の中で必要だという主張に同意したとしても、受け入れる側も、移民側も、異文化的相違を十分理解しなければ大きな軋轢を生む。何より重要なのは言語能力である。(特に日本語能力は難しい言語であり、この習熟が必須だと思われる。日本語理解なくしては日本の文化・四層構造や根源感情を理解できない。)移民を受けいること自体が正義ではない。自文化の崩壊を招くような受け入れは、埼玉の事例が示すように、大きな禍根を残すことになる。

…人権問題も是々非々である。日本の集団主義が絶対的正義だとは言わないが、バランスが重要であると思う。平和問題も然り。現況の情勢を鑑みれば、国是の平和主義も、足枷になっている側面もある。要はバランスなのである。

…国会で、夫婦別姓問題が論議されている。なぜこのような論議が重視されるのかわからない。結局のところ、奈良県知事のように住民票を黒塗りするだけでは飽き足らず、戸籍自体を抹消して本来の国籍を隠したい議員がいるのではないか。国民が審議してほしいのは、減税策であり、インフレ抑制、生活の向上なのだが、政治家は北京やソウルを向いて仕事をしているように見える。私立も含めた全高校の無償化も笑止。中国からの留学生を入学させる高校への援助であるという。大阪の浪速区や西成区では、中国姓の住居が爆発的に増えている。大阪の維新などは、まさに日本を売りに出して利権を得ようとしている。中国人ビザ延長問題も、日本での高額医療を受けやすくするためで、国民健康保険にも簡単に加入できるそうだ。高額の最新医療を受けて、帰国で費用を払わず、その費用は日本人の血税で賄われるという。こんな状況下で、国際理解教育の異文化理解を安易に進めることはできない。

…本書第3章では、ユダヤ的資本主義の話が出てきたが、多くの国で労働者の給与所得が増えないのは、結局のところ企業の利益の多くを株主に配当しているからという、実に単純な話である。企業は競争の激しい金融市場で投資を得るために配当を高くする。普通でも剰余価値説(マルクス経済学の核心)で搾取されているのに、まさに資本を持つ者と持たざる者の格差を拡大し続けているわけである。リベラル派は、何よりこの核心をつくべきであろう、と思ったりしたのである。

2024年10月17日木曜日

国境なき医師団の報告書

https://www.msf.or.jp/
かなり以前から、国境なき医師団(MSF)に毎月僅かな金額だが送金し、サポートしている。国際協力のNGOやNPOは数多いが、私の国境なき医師団への信頼は最も強い。本日、1年間の報告書的な「ACT!」が送られてきた。

ガザの紛争については、「”容赦なく落とされる爆弾” 空爆や地雷で負傷した大勢の子どもたちの救命を」とのタイトルで記事が載っていた。ガザだけでなく、地雷についてはイエメンやシリアの話が載っている。また難民キャンプでの活動としては、スーダンから批判してきたチャドでは「はしか」が蔓延しており予防接種をしているようだ。

日本からスタッフが派遣された国は、ウクライナ、タンザニア、ナイジェリア、ギリシアの4カ国を中心に35カ国。103人(のべ132回)のスタッフを派遣。ウクライナは言わずもがな。タンザニアは難民キャンプ、ナイジェリアは紛争に関わりのない重症患者支援、ギリシアは地中海をわたる難民船への緊急支援だそうである。

財務報告では、MSFの日本国内の総収入は130億円で、総支出は127.5億円。世界全体では€23.65(約3600億円)の収入、€23.09(約3514億円)の支出であったそうだ。国内・世界とも、私のような一般個人の寄付など民間からの寄付が多く(日本99.7%、世界98%)、支出においては約80%がソーシャルミッション費用(援助活動費・派遣・薬剤などの医療費)で、残りはマネジメントおよび一般管理費に使われている。妥当な財務状況だと思う。

教え子が医療関係ではないが、航空機関連の仕事をしていて、MSFの現地スタッフとして活躍してくれている。M高校時代のJICAの高校生セミナー参加者OB。それも私の誇りである。

2024年3月14日木曜日

久々のウーリーシンキング

2年生の公共の最後の授業は、成績も出した直後なので、久々のウーリーシンキングをやった。進学校である学園では、中学校時代こそ様々な取り組みをされているが、学年が上がるにつれ、こういうアクティヴィティはやる余裕がなくなっていく。たまたま、考査後にこういう時間が生まれたのでやれた、といってよい。ところで、ウーリーシンキングは、本当に久しぶりである。三崎高校では生徒の人数が少なすぎて実践できなかった。学園でも最後の最後になったので、約4年半ぶりになるのか…。当然ながら盛り上がった。

折角なので、他の先生方にも見ていただけたらと思っていたのだが、K先生が校内で広報していただいて、管理職の先生方(中学でこういう取り組みをされているらしい。)をはじめ、10人ほどの先生方が3クラス全ての時間に見学して下さった。ありがたいことである。見学に来ていただいた先生方にも生徒への質問という形で参加いただいた。各時間終了後、称賛していただき、実に恐縮した。

実は、明日の成績会議が、私の学園での最後の日となる。長距離通勤がさすが体にこたえてきたのである。他に何の不満もないのだが、さすがに遠い。往復4時間は老体には堪える。先日の最終講義の際、2年生にはその旨も伝えていた。最後の置き土産といった意味合いもあって、私も懸命にコーディネイトしたのだった。

2024年3月11日月曜日

京大ファイブ・サクラサク

学園の文系・京大挑戦組が5人揃って合格した。すごい快挙である。しかも今日、皆で職員室に尋ねてくれた。昨日判明した2人に、3人がプラスされたわけだが、これまでの模試の成績などから、かなり可能性が高いと思われていた。それにしても、誰一人脱落することなく合格できたことに嬉しさも3乗である。

一方、2年生には考査の解答用紙の返却と、和辻哲郎の「旅行者の体験における弁証法」の私家版として、マレーシアやアフリカを例にとってパワーポイントを使って異文化理解への招待をした。木曜日は、いよいよ最終のワークショップで、ウーリーシンキングをやる予定である。場所は、2年生の教室に近い、縁起の良い京大ファイブの学んだ教室である。2年生にも来年の今頃笑顔でいてほしい。

2024年3月9日土曜日

紫の毛糸を買いに行ったら。

学年末考査後の試験返しが2年生最後の授業になると思っていたら、諸事情で各クラス1コマずつ来週の木曜日に担当することになった。その時点ではすでに成績は出ているし、新たに教えることもないことはないが、反対に難しい。熟考の結果、学園ではやっていないワークショップをすることにした。M高校やH高校、PBTで行ったウーリーシンキングである。三崎高校では受け持っていた生徒の人数が少なすぎてできなかった。学園でも受験対策が主なので、わざわざ時間を取ることができなかったが、これは絶好の機会である。

ところで、マレーシアまで運ばれ、四国経由で大阪の自宅に戻ってきたウーリーシンキングの毛糸の棒のうち、毛糸がついていない棒が1本ある。毛糸の痛みがひどく破棄した故である。再開するためには、新しい毛糸が必要であるので、今日妻の買い物ついでに100円ショップで紫のものを買い求めてきた。

同じ階に本屋があったので、少し寄ってみたら、凄い本を見つけた。「地図でスッと頭に入る 世界の三大穀物」宮路秀作監修(昭文社)である。ジャンル違いのシリーズ本の中で、これは凄いと思って手に取ったら、大当たり。小麦、米、トウモロコシ、さらにじゃがいもや大豆まで、主要農作物について、さまざまな角度から、かなり詳細な内容が書かれていて感心した。地理の教材にはうってつけである。またいずれ、書評を記そうと思う。

2024年2月25日日曜日

平和村職員の平和村総論

https://www.felissimo.co.jp/company/contents/sustainability/medicalactivity/2022-peace/
「平和村で働いたードイツで出会った世界の子供たち」の最後にある第5章には、現在職員として働く中岡麻記さんの総論的な平和村の紹介がされている。これまで記した内容とかぶらない内容をエントリーしておきたい。

平和村の歴史は、1967年、第三次中東戦争をきっかけに、紛争で傷ついた子供を助けるというオーバーハウゼン市民のアイデアで設立された。第三次中東戦争は別名のように6日間で終結したので、ベトナムの子供を受け入れることにした。ナパーム弾の被害を受けた子供や当時ベトナムでは治療の手立てがなかったポリオの子供たちがドイツにやってきた。5年後には約130人のベトナムの子供が平和村で生活していた。一方で、母国ベトナムでも治療が受けれるようにと、病院やリハビリセンター建設の計画も立ち上がり、平和村の現地プロジェクトも始まった。1975年、ベトナム戦争終結で、南ベトナムから来た子供たちが帰国できなくなり、平和村内でも激しい論争があったようだが、結局100人ほどの子供がドイツに残り、学校や職業訓練を支援することが主な活動となった時期もあった。この反省から、治療が終われば必ず帰国させることがルールとして確立した。これによって親も信頼を寄せてくれるからである。ベトナムに建設したリハビリセンターは1990年代に入って再開し、11か所に。ベトナム各地に100か所以上の診療所を建設、カンボジアでも39か所の診療所ができ、検診や予防接種、簡単な手術まで行えるようになった。ウズベキスタンでは手術の技術向上が行われ今では心臓手術までできるようになった。その国人たちが自分でできる内容を中心に平和村スタッフが協力し、さらに医療器具や薬を届けるといった、プロジェクトが進行している。

(この本が発行された2021年9月)現在、アフガニスタン、アンゴラ、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギス、ガンビア、カンボジアの2歳から12歳の子供たちが平和村に来ている。現地で、医師などのスタッフが家族と面会してドイツで治療する必要(=母国では必要な治療ができない)があるか判断し、チャーター機で連れてくる。ヨーロッパでの治療でも治る見込みがない場合は連れてこない。貧困家庭が優先される。援助飛行は年4回。骨髄炎の子供が多い。これらの国では医療が不足し、栄養不足(=抵抗力の低下)と重なって悪化するケースが多く、また中央アジアではやけどの子供も多い。ドイツ国内には、無料で治療してくれる協力病院が100以上あり、それぞれの方法で目がくらむような高額の治療費を負担してくれている。

子供たちは、様々な国の子供とと二段ベッド2台の4人部屋で共同生活をし、キッチンスタッフが考えた栄養のある3度の食事とおやつは全員でいただく。ミートソースのスパゲティが一番の人気メニュー。

治療のアフターケアは特に重要で、包帯の交換や腕や足の固定具の消毒などを、大きな子供には母国に帰ってから自分でできるように指導する。また平和村には「学びの場」という小学校の教室のような建物があり、グループごとに、算数や地理、お絵描きや工作、パズルなどをする。母国語を話すボランティアが訪問した時は、母国語の勉強もする。ピアノもあり歌の練習もするし、調理室では母国の料理を披露することも。幼稚園ぐらいの子供がのびのびと遊べる部屋や、イチゴやハーブを収穫できる畑もある。カードゲームでは、UNOが人気で、女の子は互いに髪を結ったりする。帰国が近づくと、パーティーが開かれる。子供たちがグループに分かれて出し物(小さな女の子の靴下を人形に模した人形劇や、大きな子たちの母国を思わせるダンスなど)を披露、この日は、特別?にピザやハンバーガーが出て、子供たちは大喜びするそうだ。

アンゴラで母親と再会する子供たち
https://www.felissimo.co.jp
/company/contents/sustainability/
medicalactivity/2022-peace/
帰国時は「ナーハ、ハウゼ(家に帰る)」「チュース(バイバイ)」とにぎやかに挨拶が交わされ、市が無料で提供してくれるバス、運転手も休暇とってボランティアで空港まで運んでくれる。同乗するスタッフは、現地での子供と家族の再開する瞬間が一番嬉しいと言い、この活動を続ける理由にもなっている。

平和村には「出会いの場」が作られており、世界中から学生や社会人のおよそ100のグループがやってくる。平和村を知ってもらい、平和とはなにかを肌で考えてもらうためである。

ちなみにここでは中岡さんの平和村との関わりは全く書かれていないのだが、WEB記事によると、2000年の世界ウルルン滞在記の第3回取材時に、たまたまボランティアとして関わっていた中岡さんは、その後日本からの問い合わせが殺到した故に日本との対応に特化した部署が新設されて職員になったそうだ。彼女もウルルン滞在記で人生が変わった一人だった。

…私の友人や教え子の中に、国際協力士と呼べる人達がいる。語学も重要だし、専門的な技能・知識も重要である。どちらから入るのもOK。その両方ともダメな私は、このような事実を伝えることしかできない。だが、私の授業をきっかけに国際協力の世界に興味を持ってくれる生徒を少しでも育てたいと、今も思う。

2024年2月24日土曜日

戦場ジャーナリストと平和村

https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/heiwamura/2014au.html
西谷文和氏は、市役所の公務員の職を捨て、戦場ジャーナリストとなった人である。小学校の教科書にも載ったアフガニスタンの難民キャンプの悲惨な生活を取材した時、タリバン兵が潜んでいた故にアメリカ軍に村が空爆され、集落ごと殲滅し、その時娘が死んだことを聞かされる。このような無差別攻撃を受けた側はタリバンに入隊し、さらに報復テロを行い、それに対する報復無差別爆撃という負の連鎖が繰り返されていくことに彼は悲憤する。

カンダハル空港から市内へ向かう国道は、「仕掛け爆弾通り」と呼ばれ、アメリカとカナダの多国籍軍の車両を狙って、タリバンが爆弾や地雷を仕掛けており、カナダの装甲車を追い抜こうとしたら、緑色の閃光弾が打たれた。通訳によると、それでも追い越そうとしたら、赤色のレーザー光線、さらに実弾が撃ち込まれるという。彼らも多国籍軍の兵士も非常に怯えているのである。市内の病院には、巨大な冷凍庫があり、遺体が入れられていた。あまりに危険なので、家族が引き取りに来れないのだという。全身が大火傷になった遊牧民の女の子がいた。不審なテントだと空爆され、その後地上軍が確認しに来た。ただの遊牧民だったことを知ったアメリカ兵は、少しだけ良心の呵責を覚えたようで、救難ヘリを呼び、「お見舞いだ」と500アフガニー札(1000円程度)を渡したという。彼女の母親や兄弟は死んでしまったというのに…。

カブールの小児科専門病院では全身火傷の赤ちゃんが所狭しとベッドに横たわっていた。貧困から地面に穴を掘って煮炊きをしている家が多い。冬は-20℃にもなり、赤ちゃんが暖を求めて穴に落ちるらしい。さらに衝撃的なのは、おしりに頭と同じくらいの腫瘍ができている生後4日の赤ちゃんである。テラトーマという奇形の腫瘍である。医師は、「劣化ウラン弾のせいだ、きっと。」と吐き捨てるように言った。背中に腫瘍がある子、生まれつき内蔵が飛び出している子、肛門がなく腸を外に出している子、頭が膨れ上がった水頭症の子。これらの原因は調査することを禁じられており、クラスター爆弾などとともに「きたない爆弾」の真実は隠されたままになっている。

「この子達を、平和村に連れて行ってくれないか。この病院では救うことができない。以前ここの子供の患者を何人か行かせたことがる。日本の伝手でなんとか推薦してくれ。」と若い医師に言われ、初めて西谷氏は平和村の存在を知ることになる。2年後、平和村を応援しているカタログハウス社から、アフガニスタンへの援助飛行するので取材してほしいというメールが届いた。その時に、赤新月社でインタヴューした少年から、衝撃的な話を聞く。「通学路にペンのようなものが落ちていて拾った。ペン先が開かないので口に加えて引っぱった閃光が走り、気がつけば病院のベッドにいた。」口に大きな穴が空き、右手の指は吹き飛んだ。これは、WWⅡ中にイギリスが開発した鉛筆型の起爆装置。タリバンがこんなものを作れるはずもなく、きっとアメリカ軍がばらまいたものと思われる。この残酷な爆弾は自爆テロを仕掛けてくる少年兵を狙ったものではないかと、西谷氏は推測する。

数日後、ドイツからアフガニスタンに帰国してきた援助飛行の取材も行った。「歩いてる。」「顔が戻っているよ。」「くっついてた指が開いてる。」みんな目を真っ赤して泣き笑い。こちらでは喜びを表現するのにお札をまいていた。

その後、アフガニスタンから援助飛行で平和村に着いた西谷氏が目にしたのは、ペン型の爆弾を拾って大怪我をした少年(画像参照)だった。2本の指で器用にフォークを使い、大きな口を開けて食事をしている。手術を3回したそうだ。西田氏が出会い報告してくれている子供の数も多い。全ては紹介できないのが残念だが、彼はこう結んでいる。「ドイツ国際平和村は、”本当の平和の作り方”を教えてくれています。」と。

2024年2月23日金曜日

平和村の看護師・作業療法士

https://wdrac.org/news/activities20220729/
「平和村で働いたードイツで出会った世界の子供たち」に執筆しているボランティアの三人のうち、学生から応募した川村さんは、子供たちを起こし着替えをさせたり、食事をさせたり、午後からは風呂に入れ、寝かせるなどの、子供たちの生活全般担当。もちろん遊び相手にもなる。こう書いてしまうと簡単そうだが、子供帯は元気で実に大変な重労働である。4ヶ月という短いボランティア生活であったが、子供たちにとって大切なアニキであったようだ。

看護師の溝渕さんは、処置やリハビリが必要な子供の治療棟の間の送り迎え、ガーゼの交換などが主の仕事とあったが、これも子供たちが元気なので大変な重労働。最初の頃はベッドにバタンキューの日々だったそうだ。初めての援助飛行(子供たちの母国とドイツ・デュッセルドルフ空港を結ぶチャーター機)は、アンゴラからも子供たちの出迎えで、貸切バスで向かったそうだ。そこには救急車や救急隊員がすでに待機していて、機内から救急隊員が子供たちを降ろしていく。すぐに治療が必要な子供たちは救急車で病院に直行する。この時のアンゴラからの援助飛行は70名。大声で叫ぶ4歳位の男の子や、全く表情がない4歳位の女の子がいて、彼らの不安と緊張に思いを馳せていたそうだ。その女の子の横には、足の悪い中学生くらいの男の子が座っていて、彼女が椅子から落ちないように支えながら、彼女に話しかけたり、溝渕さんにポルトガル語で話しかけてきたそうだ。彼女のことを伝えようとしたらしい。平和村では年長の子供が、小さい子供の世話をよく焼いていくれる。平和村につくと、医師や看護師が1人ひとりの健康状態をチェックする。その後1~2週間は前からいる子供とは別の部屋で、感染症の有無を見るそうだ。アフガニスタンやウズベキスタンの子供たちとの貴重で胸が熱くなる体験が書かれていることも付記しておきたい。

作業療法士の勝田さんは、平和村唯一のリハビリ専門スタッフであった。当時の平和村ではリハビリの大事さがあまり理解されていない状態で、200人の子供のほとんどがリハビリが必要で、1年間ほどは特に神経をすり減らす毎日だったという。その後、子供たちとの信頼関係を築けるようになり、子供たちもリハビリの必要性を理解し始め、「リハビリをして歩けるようになった。」「リハビリをして遊べるようになった。」「サッカーをしたければ茜(=勝田さん)と一緒にリハビリをしなきゃ。」と言ってくれるようになった。足を骨折し骨髄炎で、結局切断したアンゴラの少年との関わりを中心に語られているが、リハビリは、一人ひとりの状況に合わせてやっていかねばならないことを学んだという。義足であることを知られたくないという少年の気持ちを重んじ、他の子供達を入れず1人でリハビリを続けた。特別扱いをしないという平和村のルールに対して、リハビリは各人が特別である、平等にはできないと主張したそうだ。そんなハードな4年間を終え、今は日本で、作業療法士の育成に励んでいる。

…あまり深い体験談には立ち入らず、冷静に内容を紹介してみた。是非多くの方に読んでいただきたい本である。

2024年2月22日木曜日

ドイツ語というハードル

https://gardenjournalism.com/report/aport-mirainoinochi/
「平和村で働いたードイツで出会った世界の子供たち」に執筆している3人のボランティアさんが、平和村に行くにあたって、最も高いハードルとなったのは、ドイツ語である。スタッフは当然、アンゴラやアフガニスタンから来た子供たちも平和村での共通語はドイツ語である。子供たちは自然と身につけていくらしい。日常会話程度のドイツ語習得にあたっては、三人三様ながら、苦労されている。

看護師の溝渕さんは、障害者施設で昔ドイツに滞在していた脳性麻痺の患者さんとの対話でドイツに興味を持ち、ウルルン滞在記を見てさらにその想いは深まったが、看護師と保健師の資格を取ったりして多忙な時期をすごしていたため平和村のことは忘れていたそうだ。勤めていた病院のある患者さんに、心の深層を見抜かれた上、背中を押され決心したそうだ。平和村との出会いから8年後のこと。とりあえず、ドイツに渡りドイツ語の勉強に励んだが、留学ビザが切れ帰国。日本のドイツ語教室に学びながら、そこで知った平和村の応募で採用された。それが15年後のことだという。

ウルルン滞在記経由でない少数派の、学生だった川村さんはネットで平和村を知った。ドイツ語専攻だった彼は、メールで採用されたものの、電話での会話でつまずく。もう一度、一からドイツ語を猛勉強したそうだ。

作業療法士の勝田さんは、高三の時ウルルン滞在記を見た。衝撃を受けたが、大学に進み作業療法士の資格を取り、さらに大学院でアスリートのリハビリを研究していた。たまたまた何度目かのウルルン滞在記を見て、平和村でリハビリをしてみたいと思ったそうだ。ワーキングホリデーで、平和村に近い町にあるドイツ語学校を選び、ホームステイしながら、週一で平和村のホランティアをしたという。帰国して3か月後、やっとリハビリの職員募集があり、採用されたとのこと。

…私は語学がそもそも苦手である。大学の第二外国語は一応ドイツ語だが、最初の定冠詞で躓いた。男性名詞、中性名詞、女性名詞にそれぞれ格があり、der das dem dieなどと覚えるのが、極めて苦痛だった。ドイツ語をやってわかったことは、まだ英語のほうがはるかに単純明解だということだけだ。今更ながら、よく単位が取れたものだと思う。(笑)

2024年2月21日水曜日

ドイツ国際平和村の本を読む

先日、ワンフェスで購入したドイツ国際平和村のボランティア体験記を通勤時に読んだ。熱くこみ上げるものがあって、あまり通勤時には向かない本ではある。(笑) 

ドイツ国際平和村は、世界ウルルン滞在記というTV番組で、東ちづるさんが何度も訪れて紹介し、有名になった。私も深く感動したし、工業高校時代には番組のビデオを生徒たちに見せていた。

ドイツという国は、WWⅡでナチスの蛮行を許したことに深く反省し、『貢献』を国是にしている。ドイツの大統領(行政権はない)は、イスラエルのホロコーストの追悼式に出席するのが大きな仕事になっている。この平和村も、その国是の延長線上にあるのは間違いない。デュッセルドルフの近郊にあるのだが、アンゴラやアフガニスタンなどの内戦や地雷の犠牲になった子供たちを手術し治療するのはドイツ国内(たとえばベルリンなど)の様々な地域の病院である。

今回手にした本は、「平和村で働いたードイツで出会った世界の子供たち」という、3人のボランティアとアフガニスタンを中心に活躍するジャーナリストの体験記、そして現在職員として働く方の詳細な紹介で構成されている。内容は実にうまく構成されている。と、いうのも3人のボランティアさんは、それぞれ志望して来る前は、看護士、大学でドイツ語を専攻していた学生、作業療法士とそれぞれ立場が異なるので、違う角度から平和村の活動を知ることができるのである。以後何回かにわけてエントリーしていこうと思っている。

2024年2月4日日曜日

ONE WORLD FESTIVAL 2024

ブログの投稿で確かめたら、2016年以来8年ぶりのワンフェス参加である。会場も今回は大阪スカイビルに変わっている。私個人としては、ほぼ全館をワンフェスに使っていた昔々の上六の大阪国際交流センターが好みである。(笑)最も変わったなあと思ったのは、各国料理の店である、昔は国際協力をしているNPOの屋台という感じで、その国の方が郷土料理を調理していて、手作り感が満載だった。今回は日本人のキッチンカーが各国料理を提供・集合しているという感じで、どうも薄っぺらい気がする。

大阪プロレスも参加していて、プロレスと言うよりは、3人で戦うといったコミックショーを演じていた。えべっさんやタイガースマスク(阪神のユニフォーム的なコスチュームで背番号が31で掛布なのが実に良い。笑)が拍手喝采を受けていた。(笑)楽しい空間があるのは国際協力に直接関係しないけれど良い。

さて、3F・国際協力の団体のブースを覗いてきた。マレーシア関連のブースが2つあったが、どちらもサバ・サラワク州(マレー半島ではなくボルネオ島の州)に関わる団体で、自然保護運動をしているところと、OISCAというマレーの女性を技能実習で受け入れているところだった。彼女はヒシャブを被っていなかったので、聞くとカトリックのブミプトラさんだった。

ドイツ国際平和村のブースでは、平和村で働いた人々の体験談集の書籍を購入した。今でもアンゴラやアフガニスタンの子供たちが多いそうだ。TVで何度か紹介されたのも、はるか昔になってしまったなあ、と思う。

ケニアに関連するACIというブースがあって、担当の女性はケニアの方が作った民芸品を懸命に売り込んでいた。ナクルにいたそうで、かのナクル湖にはもうフラミンゴはいないそうだ。寂しいなあ。

今回のメインは、4Fの会議室で行われた、コモン・ニジェールというNPOの「ニジェール物語」という絵本を元にした22分間のDVD上映&講演・質問会であった。ニジェール物語は、サハラ砂漠での様々な話が散りばめられた内容で面白かった。原作者である御婦人は、夫が原子力関係(ニジェールはウランの産地として有名)の仕事で、彼の地に赴任するのに付き添っていったそうだ。首都ニエメではなく、セスナに乗り継ぐ、かなりの奥地で、電気は発電機、水はかなりの深度まで掘った井戸、干レンガの住居に住んでいたが、幸い日本経済は好調期で、様々な物資を空輸できたのだという。ブルキナファソ北部のサヘルまで行った私としては、満天の星の話などサハラ砂漠を実感できるところが多かった。夫の他界後、ニジェールで寺子屋を建てたりして国際協力しているそうだ。

ニジェールの女の子たちは顔にキズがある子が多いとのこと。それは、過去の奴隷貿易で家族が離れ離れになってもその傷の特徴で見つけられる、という悲しい習慣であるらしい。世界最貧国の1つであるニジェール。この話が一番印象に残ったのだった。

2024年1月26日金曜日

ONE WORLD FESTIVAL

https://onefes.net/
マレーシアに行って以来8年ぶりに、ワン・ワールド・フェスティバルに行こうかと考えている。もう31回目だそうで、今回は梅田スカイビルで行われるとのこと。大阪プロレスも来るらしい。(笑)日曜日には、ニジェールの講演があるようなので、楽しみ。