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2023年9月8日金曜日

L君のサクラサク

D大4回生に在学しているPBTの教え子、L君が今日、K大学の大学院に合格したという連絡を受けた。いやあ、嬉しい。F40の私のクラスのエースの一人ながら、唯一浪人することになった教え子である。その後D大の入試対策をして合格したものの、コロナ禍で来日が果たせないいまま、3回生になってやっと来日できた。彼の日本語能力は、この5年間でさらに伸びた。もともとPBTでもトップクラスだったが、卒論の計画書などを見せてもらったが、実に大したものであった。下宿はそのままで、あと2年は京都で過ごせることも嬉しい。いずれ、マレーシアの大学で学究となると信じている。

2023年6月18日日曜日

ふと考えた。偉人とは散り際。

https://gunmagisgeek.com/blog/other/4176
マレーシアにいるとき、日本の偉人についてグループで研究発表する日本語の授業があった。私にも意見を求められ、毎回、新渡戸稲造、緒方貞子、イチローの3人を推薦させてもらった。マレーシアの学生にもわかりやすいスタンスの偉人を選んだつもりだが、マレーシアでは野球が盛んではないので、意外にイチローには苦戦していたようだ。(D大のL君、御免。笑)

もし、日本人の高校生ならば、当然自分達で検討させることになるだろうが、現在の自分ならだれを選ぶかという視点で考えてみたい。私には私なりの美学があって、散り際を重んじたい。新渡戸を第一としたのは、国際連盟事務次長という立場を経験し、WWⅡ前に日米の平和のため獅子奮迅の努力を重ねる中で客死したところに惹かれるわけだ。

PBTを去る時も三崎を去る時も、自身の都合ではなく、学校のため、良かれと思い、切腹のような責任の取り方をしたのも、こういう私なりの美学による。

と、なればやはり武士道というか、軍人が多くなる。とんでもない奴も多いが、散り際が見事な軍人もいる。まずは、阿南惟幾。敗戦時の陸軍大臣。皇道派でも統帥派でもなく、この人しかできないと人格から陸相に推された。全ての責任を一身に受け切腹。この人の伝記は一度ゆっくりと読んでみたいと思う。会津出身で差別されながら、義和団の乱の時駐在武官として大活躍した柴五郎も、昭和5年に退役しているが、阿南同様切腹している。老齢でうまくいかなかったらしいが、その精神性に頭が下がる。後輩のしでかした事をも自己の責任と感じての行動だったのだろう。

さきほど書いたドイツに逃げた著者に、こういう精神性はわからないだろうと思う。明治の人はやはり凄い。学問に関しても、今のような膨大な種類の参考書があるわけでなし、外国語を学ぶのは大変な苦労があったに違いない。理不尽に立ち向かい、辛抱し、自分を磨いていく姿勢こそ、尊敬に値する。

私が無知ゆえかもしれないが、明治から、大正、昭和、平成と政治や思想などにおいて偉人と呼べる人がだんだん減っていると思う。理系の学問やビジネスの世界にはいるのかもしれないが、どうしても私心にまみれた輩が目立つ。官邸でアホなことをする息子まで登場した。日本は、まさに絶望的な状況である。

2023年4月8日土曜日

L君との久方の邂逅

D大4回生となったL君と京阪枚方市駅前で、久しぶりに会った。苦学しながら、大学図書館に通って卒論の準備をしているとのことで、コスパの良いレストラン・Sでいろいろと食べてもらいながら長時間話し込んだ。

社会学の徒であるL君とは実に話が進む。卒論は、マレーシアの特殊な華人の歴史についての研究であるそうだ。詳しく聞いたが、なかなか興味深かった。ゼミで、大阪の生野区にも調査に行ったそうで、その研究誌も見せてもらった。私が生野区の出身であることを知って驚いていた。関係する事柄についても色々話すことが多かった。

今日の画像は、マレーシアの日本人会でR1で手に入れた華人の研究書。私が所持しているよりL君のもとにある方がふさわしいので贈呈した次第。

京都に帰る前に、今日は「御座候」を持って帰ってもらった。私も1つ食べたかったのだが、我慢、我慢。また夏に会う約束をして見送った。

2022年8月15日月曜日

F40のOBと語り合った日

D大社会学部のL君・R大政策科学部の J君と、昨日枚方市駅でおちあい、久しぶりにゆっくりと語り合えた。L君は今3回生でゼミの先生にも大いに気に入られているようで、移民や難民の研究に勤しんでいる。J君は、院進学を目指しており、マレーシアの地域研究をやりたいそうだ。もともと政治学志望で、マレーシアはもとより日本の政治状況にも詳しい。

最近の国際情勢などをもとに、様々な話題で盛り上がった。彼らは、中華系のマレーシア人留学生である。中国本土からのの留学生とは、なんとなく一線を画しているようだった。この辺は、話をしていても実に微妙である。2人共、社会科学系なので話題は尽きない。まあ、同好の士という感じである。そのうち見識も私を追い抜いていくだろう。いや、もう抜かれたかもしれない。(笑)

今回、2人から本を贈呈された。L君からは社会学、J君からはマレーシアの政治論である。2人で私に贈本することを決めてくれていたらしい。今から読むのが楽しみだ。ありがたいことである。

その後、(妻から指令が下っていた)551の豚まんをお礼にプレゼントした。(笑)551の袋を下げて、近くのカラオケに行くことになった。ずいぶんと久しぶりである。2人共日本語の歌を見事に歌う。どこで身につけたのだろう。L君に聞くとYou Tubeとかで覚えたんだとか。最後に台湾の盲目の歌手の歌をJ君が披露してくれた。これは中国語である。字幕でなんとなくわかる。L君が口ずさみながら少し解説をしてくれた。…いい歌だった。

2022年4月30日土曜日

京都でL君と邂逅す。

2年間もコロナ禍のために来日ができなかったL君と、今日やっと会えた。どう歓迎してあげようかと考えたのだが、結局息子夫婦のカフェに連れていくことにしたのだった。

幸い息子夫婦のカフェ(京都市北区)に車で行こうとすると、自宅のすぐそばを走る第2京阪の側道で一本道なのである。市内に入ると堀川通りに繋がっている。聞くとL君のアパートは上京区で堀川通りのすぐそばで、ひろっていくのに都合がいい。晴明神社の近くの駐車場で正午に待ち合わせた。

北大路通りのモール近くの駐車場で車を停め、妻と3人で食事を取り、そこから10分ほど歩いてカフェに向かった。今日は、息子は某国へ日本語学校開設のため不在なのだが、奥さんが切り盛りしている。GWの臨時ボードゲームイベントをやっていた。常連さんがボードゲーム好きで、たくさんのボードゲームを持って来てくれていた。16時のウズベク語の勉強会まで、ゲームや会話を共に楽しんだ。息子のカフェはこういうディープな常連さんによって成立しているらしく、面白き人間関係が築かれていることを改めて確認した次第。

L君がその中に入ることになるかもしれないし、なにか問題が発生した際、私の身内が近くにいてくれれば頼りになるはずだ。早速、息子の奥さんから月1回(2~3日)のアルバイトの話が出てきた。なかなか面白そうなバイトで、L君も喜んでいた。ちょうどバイト探しを開始しようと考えていた矢先だったのである。

ちなみに、楽しんだボードゲームは2種類だが、最初にやった麻雀風のゲームが特に面白かった。手牌は5つのパイのみで、字牌が中と発と索子だけ。説明するとややこしいので省くが、楽しく遊べた。L君によるとマレーシアの中国人社会では年配の方が麻雀をやっているそうだが、若者はあまりしないとのこと。日本で麻雀(のようなゲーム)をすることになるとは、と笑っていた。もう一つのゲームも面白かったのだが、ウズベク語講座の時間が迫り、時間切れとなってしまい、ちょっと残念だった。

とにもかくにも、ついにL君と再会できた。明日夜にF40の私のクラスの以東のメンバーが大阪に来てL君の来日・再会を祝すらしい。私も参加したいが、ずっと休みの大学生と違い、月曜日は授業が4コマある。朝早い長距離通勤者としては無理を避けたほうがいいと判断した。でも、合いたいなあ。次の機会を楽しみにしようと思う。

2022年3月17日木曜日

三崎を去る直前の朗報

四国最西端・三崎高校での勤務も、いよいよ残すところ明日1日となった。今日は、明日の終業式に参加せず、栃木県に向かう卓球部の顧問・T先生がわざわざ惜別に来ていただいた。これからの三崎高校の展望などを教えていただいた。ご健勝を祈りたい。その後、全国大会に出場する選手である2年生のY君と、其の練習相手として同行する1年生のK君も挨拶に来てくれた。ありがたいことである。栃木で、ひと暴れしてきて欲しい。

さて、今日最大に嬉しかったことは、コロナ禍で、D大学に入学しながら、ずっと2年間マレーシアに閉じ込められていたL君が、ようやく来日の目処がたったことである。うまくいけば、4月上旬に来日とのこと。状況次第だが、できるだけ早く会いたいと思っている。

長かった。本人が一番苦しんだだろうが、私もずっと心配していた。彼は大学院にまで進むつもりだろうから、この2年間を是非払拭して欲しいと思っている。

…いやあ、朗報、である。三崎を去る直前に舞い込んだ朗報。

2021年3月7日日曜日

私のお勧め大学


YouTubeで、ある東京の個別指導塾の2人の番組があって、いろいろな大学の話をしていて面白かった。その中でお勧めの大学の話があった。もちろん、個人的主観なのだが、私にもある。本年最後のサクラが咲いたこともあるし、そんなエントリーもしておこうかなと思う。

大学は千差万別、旧帝大がもちろんいいのはわかっているが、ここでは省こうと思う。もちろん、私の経験に基づいた主観だし、文系ONLYの話である。

まず国公立大学編。北からいくと、北海道教育大学(ESD教育も盛んで僻地教育コースなどもある。PBTから1人行った。)国際教養大学(秋田にある、知る人ぞ知る、英語ONLYの講義の超実力派の大学。図書館は俊逸で大阪の教え子2人が行った。)秋田大学(国際資源学部がいい。経済学的な視点や文化人類学的な視点などなかなか多様で面白い。PBTからF36・38・42と送った。)筑波大学(元東京教育大学。最先端の学問が行われているイメージあり。PBTから2人行った。)一橋大学(文系の単科大学。ここの社会学は凄いと思う。PBTから1人行った。)横浜市立大学(ここに大阪の教え子2人が行った。かなりカリキュラムがいい。)都留文科大学(今年三崎から生徒が行く。公立の文系の単科大学。カリキュラムが面白い。)静岡県立大学(ここの国際関係はすばらしい。現在F40 のJ君在学中。)滋賀大学(経済・経営系の国立単科大学。近江商人の歴史がある。留学生への配慮が深い。PBTから2人行った。)神戸市立外国語大学(大阪外大が阪大外国語学部になってから、大阪の教え子多数とPBTからも行った。小さい大学なので、良きキャンパスライフは望めないが悪いことは聞かない。)奈良教育大学(関西でのESDの中心の教育大学。大阪から2人行った。)福岡女子大学(県立大学。PBTから2人送っている。留学生への対応は最高だと思う。)長崎大学(いろいろな面で他の国立大学と違う面白いコースがある。PBTから2人行った。)

私立大学では、関関同立はみんな教え子(大阪からもPBTからも)をたくさん送っているが、それぞれ良さがある。同志社のキャンパスも関学のキャンパスもいいし、教授陣も豊かである。同志社に入ったL君は、その自立した自由さに向いている。立命館はちょっと左派で、リベラルなF40のJ君好みか。H君の関学もKさんの関大もいい。総合大学の良さがある。関関同立の出身の先生もたくさん知っているが、微妙な差異があって面白い。ちなみに同志社女子大学もお勧め。もちろんESD絡みである。(大阪で1人送った。今は小学校の先生をしている。)

東京では、ICU(国際教養大学:リベラルアーツで語学が重視されている。早慶並みの難易度。PBTから1人行っている。)早稲田大学(私は福沢諭吉が嫌いなので、早稲田派。PBTから1人行っている。やはり人脈が凄いのが魅力。)MARCHでは、私は中央大学を推す。国際理解教育学会で行ったことがあるし、PBTに来てくれた中央大学のスタッフも懇意で、今回三崎から生徒が行くのが嬉しい。そして、昔大阪から送ったし、今A君が通う立命館アジア太平洋大学。学長が凄い人物なのと留学生が多く総合的に面白いカリキュラム。孔子学院があるのが気になるところだが…。

私の長年の進学指導で、教え子をお勧め大学に導いているのか、それとも偶然か?送りたい大学にかなり教え子が行っている。これもまた幸せなことである。

2021年2月27日土曜日

Topic: F40A やねん

 D大に入学しながら1年間マレーシアでレポート作成に励んでいたL君も、いよいよ春休み。大学側からも来日の段取りをしてくれているようで、かなりの経済的負担はあるが来日の決意を固めているようだ。そんなL君からZOOMのお誘いがあった。今日のブログのタイトルは、そのミーティング名である。S県立大のJ君、R大のJ君と4人で、またまたディープな話をしていたのだった。いやあ、楽しかった。

私が今一番懸念しているのは、彼らは皆中華系のマレーシア人であるが、これから先どう国際情勢が変わるかもわからないし、ウィグルや尖閣などの情報が入り乱れ、日本国内でも対中国に対して批判的な動きが出てくる可能性があることである。

彼ら「華人」(大陸の中国人+東南アジア等の中華系)に対して日本で暴力的なことが起こるとは思わないが、(老婆心ながら)実に心配なのである。彼らの中で唯一孔子学院のあるR大のJ君に、大陸の学生との関わりも聞いたり、S県立大のJ君にも同様の質問もした。彼らは、F40の中でも優秀な学生であったし、国際情勢を冷静に判断できる社会科学系の学生なので、その辺の分別は十分であり、当然ながら私の危惧も十分理解してくれていた。

アルバイトの話やR大のJ君のドイツ語の話、他の生徒の状況(F40 の姉妹が大阪の天下茶屋に引っ越したそうだ。)なども面白かったし、S県立大のJ君の入国の際の話も面白かった。

最後に2日に実施するM中学でマレーシアを題材にSDGsを語る話になって、彼らならどんなSDGsとの関わりを提示するかと聞いたら、L君が「ゴミの分別はどうでしょう。」と言ってくれた。なるほど。マレーシアでは一応分別の規定はあるが、かなりゆるい。日本との差異は大きい。ゴミの話で最後は盛り上がったのだった。(笑)是非、この話、挿入しようと思う。

今春からは2回生である彼らは、さらに社会科学の徒として、”担任バカ”かもしれないが、それぞれの学問に打ち込んでおり立派になっているように見えた。…F40の将来ある3人の学生に幸あれ。

2020年12月5日土曜日

F40おしゃべり会

2018年11月のEJU終了後
半年ぶりにF40の同窓生たちとのおしゃべり会が開催された。前回は、香港問題で大騒ぎの時だった。中華系マレーシア人の彼らは意外にも中国側に理解を示していたのに驚いた。その後、日本人はアジア人か否かという命題を、このブログ内でエントリーした。実に興味深い命題だと思う。さて、今はアメリカ大統領選挙でもめている。

今回は、主催者の今はマレーシアに在る静岡のJ君、同じくマレーシア在の群馬のEさん、大分のA君、山口のNさん、福岡のWさん、東京のYさん、そして京都というか大阪というかJ君が参加してくれた。

静岡のJ君と大分のA君は国際関係、京都のJ君は政策学と男子はまさに社会科学の徒であり、今回のアメリカ大統領選挙については、微妙だった。中国共産党と中国を分けて、中国共産党を支持するという意見はなかったが、京都のJ君は習近平派を批判し、李首相らを擁護した。女子たちも、中国との関わりがある子もいて、微妙な感じ。華人の立場は実に難しい。

ところで、主の話題はコロナ禍である。ロックダウン下のマレーシアでは3人まで同じ乗用車に乗っていいそうだ。映画館などは完全に閉館中らしい。ミッドバレーのメガモールの「銀だこ」はやっているのかなあと私が言ったら盛り上がった。よくJ君が注文を取って昼休みに買いに行っていたものだ。(笑)日本各地に散らばるみんなも、それぞれ状況は異なるようだが、大変であることに間違いはない。ちょっと暗い気持ちになる。

とはいえ、みんな元気そうでよかった。いよいよ3回生で、ゼミが決まるそうだ。私にとって最後の担任となったF40のみんなに幸あれと祈る。

2020年11月7日土曜日

オープンスクールの話


 三崎高校のオープンスクールが、午前と午後に分けて行われた。午前5組、午後2組の中3生と保護者の方々が来校された。今回は、午前の説明会にも参加させていただいた。最初に「地域みらい留学」で流していたVTRから始まった。これがなかなか良い。ここに出演していた1年生2人も後で登場するのだが、三崎高校の魅力を見事に描いていたと思う。H先生の学校概要も、実に面白い。様々な視点から、三崎高校の魅力を語っておられた。(上記画像は昨年12月にローラが来た時の話である。)この説明を聞いたら、いかに変わった良い学校であるかがきっとわかると思う。その後、在校生(VTRに出ていた2人)、卒業生のスピーチがあった。

今日、最も驚いたのが、この卒業生のスピーチである。カンボジアに行った話、せんたん部の話、そしてリーダー塾の話。ん?リーダー塾?後で聞くと、なんとF40の教え子が参加していたリーダー塾である。静岡にいるJ君、大分にいるA君、大阪にいるKさんが参加したリーダー塾である。マレーシアの彼らのことを聞くと思い出してくれた。「J君ってピアノひいてましたよね。」とは彼女の言。凄い縁である。最後の担任のクラスとの縁。私がPBTから三崎高校に来た事は決して偶然ではないと思う。

塾の説明の方は、午前も午後も、塾生の2人が案内してくれて、パワーポイントでの説明もうまくいった。特に午後は、関西弁全然OKであった。ふと、私のベタベタの関西弁は、マレーシア(日本語学校)で、かなり矯正されてしまったように思う。関西弁でしゃべろうとしても、つい標準語になるのだ。無意識層恐るべし。K先生とT先生の(きびしい)指導のおかげである。(笑)

…というような1日だった。一人でも多くの生徒が三崎高校に来てくれるといいな。

2020年8月8日土曜日

F40 ZOOM 同窓会Ⅱ

在りし日の F40 
F40の男子学生4人(L君・JS君・Z君・JT君)とZOOMで2時間半ほど語り合った。現在のところ、無理をすればマレーシア出国・日本入国は可能だそうだ。ただ検査を受けて、陰性であること、それを日本大使館で書類化する事、入国後下宿まで、電車・バスなどを使わずに移動する事、その後2週間自宅待機する事が必要らしい。うーん、かなりハードルが高い。F42 の国費生は、9月入学しなければならないので、無理やりでもこのハードルを乗り越えるよう手筈できそうだが、私費生には費用がかかりすぎる。慌てず待つしかないようだ。

国際情勢やマレーシアの情勢、日本の情勢など様々な話をした。もちろん、皆の現況報告もしてもらった。レポート三昧だったようで、それだけでは大学生活は面白くはない。ホント、早く日本に来れるよう祈りたい。

2020年7月29日水曜日

我々は真理を断念する事は可能

マレーシアにいるD大のL君から、「我々は真理を断念することができるか?」というテーマの期末試験の小論が送られてきた。テクストがあり、もうすでに提出したものらしいので、テクストを知る由もない私としては、このテーマでちょっとばかり考えてみようと思う。

このテーマは真理の有無を問題にしているのではなく、断念することの是非を問うている。当然ながら、自然科学の世界の話ではない。真理を追究する事を断念することは自然科学の存在の全否定を意味するからだ。あくまで、哲学の世界で、という前提で論議を進めてみよう。

このテーマで私の脳裏に浮かんだのは、ヴィトゲンシュタインである。「語りえぬものについては、人は沈黙に任せるほかない。」ここでいう語りえぬものとは形而上学的な真理と読み取れる。真理を断念することを宣言したわけだ。

次に浮かんだのはデリダである。デリダもロゴス中心主義で形而上学を完全否定している。誤解を恐れずに言えば、コトバで構築されたそれまでの哲学を否定して見せた。

彼らが否定している真理は、相対主義批判とは違う。もっと本質的な哲学が言語によらざないと成立しえないという観点から否定している。新約聖書のヨハネの福音書の冒頭にある「初めにコトバ(ロゴス)ありき」を完全否定しているわけだ。

たとえば、カントが、相対主義(ヒューム)からの批判を受けて、それまでの形而上学を先天的認識形式で否定し、次に現象界における道徳形而上学を構築したように、真理の断念するのは哲学の世界では難しい。哲学の存在自体が、真理追及そのものだからだ。カントが苦労して物自体の世界=経験を超えた世界と形而上学を復活させたのも、相対主義=真理の断念は否であるという確信からであったといえる。

だが、ヴィトゲンシュタインやデリダにかかっては、一網打尽である。コギトの否定のみならず、ロゴスの否定は哲学の世界においての全ての真理追及の道を断ってしまうからである。よって、私は真理を断念する事は可能だと思う。

ところで、L君の結論は面白かった。なかなか味のあるいい小論だったと思う。かなり成長したなあ、文系の日本語を駆使しているところは流石である。ところで私の感想の返信によると、テクストはギリシア哲学の内容だったようだ。PBTで哲学史を講義しておいて良かったと思う次第。

2020年7月15日水曜日

書評 最後の秘境 東京藝大

先日、買い物に行った時八幡浜の本屋に寄った。大阪にいた頃はよく新刊の文庫本を物色したものだ。今回購入したうちの1冊は「最後の秘境 東京藝大」(二宮敦人著/新潮文庫)である。これまで東京芸大とは3回、関わった。だからこそ興味があったし、購入したのである。

1回目は、中学卒業後高校入学までの期間、東京の親戚に遊びに行ったとき、上野公園の東京芸大を見に行ったことだ。私は高校入学前、美大に行きたかった。普通科に行って目指すのが王道だと思うが、私は図案科(今で言うグラフィックデザイン科)に進学した。これが間違いのもとで、結局美大進学を諦めた。世の中には自分より上手い奴がたくさんいることを知ったのだった。

東京芸大との関りの2回目は、私が大阪市立の社会科高校教師になり、母校を訪れた際、図案科に東京芸大出身の新任の教師が来ていて、紹介された事である。彼がその後どうなったのかは知らない。

3回目の関りは、マレーシアでF40の学生Y君が、東京芸大の美術学部芸術学科を受験したことだ。芸術学や美術史と実技を並行してやりたいというのが本人の希望だった。国立ではその条件にかなうのは、東京芸大芸術学科しかない。K先生も受験には反対されていた。常識的にもそうだろうと私も思う。その困難さを知っているからだが、本人と家族のたっての希望で出願を許可したのだった。結局敗退したが、今は別の大学で留学生活を堪能している。

東京芸大の芸術学科、いいよなあ。一時期私も受験を考えたのだが、ラオコーンの石膏像があったりするのを見て、こりゃあかんと思ったのだった。ラボルドでさえ自信がなかったのに、ラオコーンのデッサンをやらされるのは、まっぴらごめんである。何日かかるのかわからない。(笑)結局、私は社会科の教師になってよかったのだ。

まったく書評になっていない。書評はまたいずれ…。

2020年6月30日火曜日

香港国家安全法可決の日に。

https://www.picuki.com/tag/HongKongball
先日、F40の教え子たちがZOOMでミーティングをしていたらしい。らしいと書いたのは、私をそれをメールで知ったのがかなり遅かったからだ。返信したのだけれど、その後すぐ就寝した。翌朝、まだやってますと連絡があって、参加すればよかったと思ったが、後の祭りであった。彼らがどんな会話を交わしていたのか興味がある。(笑)前回のF40の教え子たちとZOOMした時、香港問題について聞いた。意外にも中国側についていたので驚き、「日本はアジアか否か?」というテーマで何回かエントリーして自分なりに考察してみた。

今日、ついに全人代の常務委員会で「香港国家安全法」を可決したようだ。すぐに公布されるようである。少し前、つまり第一回のZOOMミーティングの後、社会学の徒・未だ在マレーシアのD大のL君が、大学の課題「帝国意識」に関する小論を送ってくれた。社会学の徒であるL君は、「天使」的な立場で、社会情勢を見つめることを旨としている。

彼の論文は、一部のマレーシアの中華系の人々が本国である中国の「帝国意識」を共有していることを論じている。シンガポールの華人とも、香港の華人とも、アメリカの華人とも違う立場であることを「天使」は冷静に見抜いている。自己の優越性を示す道具として中国の台頭を利用しているのではないかというわけだ。また、中国のマスコミのプロパガンダは、世界中の華人に統一感を植え付ける装置であると。もちろん「天使」であるからその善悪は論じない。

…「香港国家安全法」と、この影響についてはまだ論じる時期ではないと思う。今日は、L君の論文を紹介し、中国の周縁に住する華人の意識を紹介するに留めたい。

2020年5月30日土曜日

F40の教え子とZOOM

今回はZOOMの画像を取り忘れたので、KLの夕焼けの画像 
さきほどまで、私が最後の担任をしたF40の諸君とZOOMでミーティングをしていた。いやあ、懐かしい。全部で8人が参加してくれた。日本に今いるのは、そのうち2人。あとは春節で里帰りしていて、在マレーシアのままである。6月に入るとマレーシアは出国OKになる可能性が高いが、日本はまだマレーシアに対しては入国禁止であるようで、先行きの目処はたっていないとのこと。ロックダウンはゆるまったが、状況は厳しい。在日本の学生は、大学からいくばくかの生活援助金をもらえているようだ。大学の講義に関しては、様々なカタチでオンライン授業があって忙しいらしい。教科書がない授業もあったり、フィールドワークが不可能だとか、様々な問題はありそうだが、みんな頑張っているようで安心した。

中華系が多いF40.私が最も聞きたかったのは、香港の情勢についてどう考えているか?ということだった。意外といっては変だが、彼らは民主主義を基盤とする「西側」の発想ではなく、香港はそもそもイギリスの帝国主義の犠牲であり本来的に中国のものであるという「アジア」の発想で見ていたことだ。なるほどな、と思う。先日、香港については実に難しい問題であると書いたが、「西側」が重視する「契約」を、中国が守らないことよりも、「歴史的な正義」が重要であるという立場であるといえる。香港はいつか中国に飲み込まれるのは必定という立場でもある。

ほんと、実に難しい問題である。日本は「アジア」であるが、「西側」であるという一面の方が強い。と、いうより、戦後そういうふうに変化したといえる。この是非を論じるのも難しいところだ。F40の諸君にはその辺の考察もしてほしいな。まさに、現代日本の根幹に関わるところである。

2020年5月24日日曜日

Selamat Hari Raya

ラマダンが明けた。マレーシアに未だ残っているF42の諸君にも、とりあえず、スラマッ・ハリラヤ。おそらく、例年の様な華やかなハリラヤではないだろうが…。
在マレーシア日本大使館のHPにあるマレーシア政府の6月19日までの規制を読むと、マスジットでの集団礼拝もできないように読み取れたのだが…。
https://www.my.emb-japan.go.jp/itpr_ja/newinfo_13052020.html

先日、F40Aの私クラスの中華系のJ君と連絡を取ったら、春節でマレーシアに帰国したまま、日本に戻れていない学生(J君もその1人)もいるようで、驚いた。せっかくなのでZOOMで久しぶりのHRをやろうという話になった。
私の未咲輝塾も、明日から三崎高校が完全再開するのだが、部活動は段階的に再開と言うことで、塾もそれにリンクするので、とりあえず2週間は、放課後から午後6時まで開塾することになった。短い開塾期間にはなるが、精いっぱいサポートしようと思う。

ハリラヤと共に、私の公営塾も新年(新年度)をなんとか迎えることになったわけだ。

2019年9月6日金曜日

Special Thanks MY

あと数時間でマレーシアからの配信ができなくなる。私が住処で使っているTMのシステムを撤去することになっているからだ。日本の自宅に帰るまでは通信不可能になる。マレーシアにいる間に、お世話になった方々に最後に御礼をしておきたい。

まずはPBTの教職員である。K先生やS校長先生はじめ、多く方にお世話になった。すでにメールで各先生方に御礼を述べたが、2月に帰国されたM先生には特にお世話になった。Dマートでの野菜の買い方に始まり、下校時に何度同乗させていただいただろう。マレーシアでの観劇や、演奏会などはM先生郷夫婦に連れて行っていただいた。インドの奇祭タイプーサムもそうだ。感謝してもしきれない。是非日本で再会させていただきたいと思っている。
次に、PBTのある日本人会のワーカースタッフ。ほとんどがバングラディッシュの人だ。朝からずっと清掃作業に励んでいる。PBTの行事にも彼らにお世話になった。何度挨拶を交わしただろう。何度ありがとうと言っただろう。4月にセキュリティースタッフが替わった。こちらは、マレー系とネパール系。同様に、毎日挨拶を交わし、笑顔をいただいた。彼らの陰の働きにいつも感謝してきた。日本人会の旅行社のCさんにもパース旅行で大変お世話になった。日本人会、万歳。ますますのご健勝を祈りたい。
我が住処のセキュリティーとワーカースタッフ。我が住処のセキュリティーは特にフレンドリーだ。長年勤務されているので、住民を熟知してくれている。(KLでも珍しいらしい。)女性スタッフも常に清掃作業に勤しんでくれており、古いコンドだけれどいつも清潔で綺麗だ。我がB棟の担当の若い女性ははインドネシア人である。
我が住処のコーディネーターであるJ女史には、家賃やネット、水道などの支払いをずっとお願いしてきた。B棟内の引っ越しでもお世話になった。日本語のできる彼女がいなかったらどうなっていただろう。住処の中華系カフェのおじさんにもずいぶん世話になった。特に妻が来馬するまでの期間、カフェのおかげで生き延びたといっていい。

街の清掃作業をしてくれている人々にも感謝だ。スコールの後、町は落ち葉や枝が散乱しすぐ汚くなる。彼らがいなければ快適な暮らしはないと言っていい。彼らの中で1人、朝のバス停で会い、挨拶を交わす友人がいる。彼は自分の仕事に誇りを持っているようで、いつも背筋を伸ばして堂々と歩いてくる。私は彼らの所得が気になるのだが、言葉が通じないのでついぞ聞く機会はなかった。KLは彼ら外国人労働者に支えられているといっていい。

650番のバスの運転手とバス友にも感謝だ。私は朝7時過ぎに住処のバス停からバスに乗る。同じバス停で待つ、中華系のTさんコンビ。先に乗っていて挨拶をかわす中華系の女性。途中から乗ってくるナイスガイのインド人。(彼は昔日本人会で空手を学んでいた。今は腰を痛めていて心配だ。)一度バスで転倒した中華系のおじいさん…。MBMRに働く中華系の女性もいるし、挨拶をするバス友は、あげたらきりがない。彼らとのちょっとしたコミュニケーションがマレーシア生活が豊かなものにしたと思う。

こちらで縁を結んだ友人たちにも心から感謝を述べたい。現地で起業してたり、ローカルの人々を使っている半導体ビジネス関係の話は、現地の姿を浮き彫りにしてくれた。こういう情報が生きた社会科の授業の源となった。友人たちの益々のご健勝を祈るばかりである。
最後に、IBT・PBTの学生諸君である。F36A・B、F38A・B、F40A・B、そしてF42D・Eの学生諸君には様々なことを教えてもらった。日本の教育現場では味わえない経験もさせてもらった。特に最初のF36には関西弁まるだしで、しかも日本とあまり変わらない授業をしてずいぶん迷惑をかけた。(EJUの成績は抜群だったけれど…笑)担任だったF38 Aでは強くしかったこともある。その反省もあってF40Aはしからなかった。F42の諸君には途中で退職することになったが、厚情で接してもらった。全ての教え子諸君に感謝である。

改めてマレーシアで出会った全ての人々に心から感謝したい。
Special Thanks MY. ほんと、おおきに…。Katabiranotsuji

2019年6月17日月曜日

PBTの話(32) 6月EJU

この日曜日が、本年第一回のEJU(日本留学試験)であった。例年なら私も試験会場につめて学生を激励するところだが、今年は担任をはずれているので、国費生が出発するのを激励にいくことで勘弁してもらった。せっかくなので、マレーの「バジュ・メラユ」を着ていったが、予想通り見事に喜んでくれた。

朝7:00集合、7:10出発の予定だったが、バスがきたのが1分前だし、結局10分遅れで出発した。(笑)今年の国費生は真面目だが、日本的な時間管理はまだまだのようだ。

今日分かったことだが、試験はなかなか難しかったようで、毎年恒例の地理問題は、メラネシア・ポリネシア・ミクロネシアが出たらしい。見事にすかされた感じだ。だんだんEJUもセンターの地理B化してきたようだ。他教科も難易度が増しているらしい。

国費生にとって、大切なことは、これからの半年、どれくらい自立して努力するかである。宿題に追いかけられる毎日の中で、自分にとって最も効果的な学習方法を見つけやりきれるかである、などどいう話を今日はしておいた。昨日は現実を思い知らされた一日だったと思うが、ここからが再スタートである。

一方、今日から放課後の補習が始まった。さすがに、合計270分授業は疲れるが、精一杯やっていきたいと思う。

2019年5月3日金曜日

PBTの話(26) 新人のK先生

4月から、PBTの社会科教師が3人になった。K先生という若い男の先生である。今日、彼の机の上に、SDGsの教材の本があった。私が、マレーシアにいる間に、SDGsの様々な教材が出来ているようだ。聞くと、SDGsのセミナーにも参加していたそうだ。難民問題のセミナーにも行っていたようだし、どうやら国際理解教育に強い関心を持ってくれているようだ。

私にとっては、何よりも嬉しいことだ。PBTは、どちらかというと予備校的な部分が多いが、EJUが終わったら、こういう教育を是非して欲しい。指向性が同じだということは、実に喜ばしい。今日は、自分の持ちクラスで、囚人のジレンマを教えていたらしい。あまりEJUとは関係がないが、なかなか面白い。…ちょっと安心したのだった。

2019年2月23日土曜日

24時間戦えますか。

http://alwaysnewstrend.com/6013.html
高校時代の友人に、俳優の「時任三郎」(ときとうさぶろう:本名=芸名)がいる。彼は木材工芸科(現インテリア科)で、私は図案科(現ヴィジュアルデザイン科)だったが、生徒会の副会長と文化祭実行委員長という間柄だった。(プロフィールに生徒会長とあったが、間違い:会長は建築科のAである。)よく生徒会室で、彼の16弦ギターでNSP(ニュー・サディスティック・ピンクと読む:70年代のフォークグループ。時任は納豆・空豆・ピーナッツと呼んでいた。)の歌などを歌っていたものだ。大阪芸大のデザイン科に進んだ彼はその後、俳優となり、「笑っていいとも」を見ていたら、王将の10人前餃子に挑戦した話などをタモリ氏にしていた。私と行った時は5人前で挫折したのだが…。昔は教え子に言うと、超盛り上がり、サインが欲しいなどと言われたのだが、今はもうベテランである。まだ日本にいた何年か前に「ドクター・コト-」というTVドラマで、漁師のオジサン役をしていたのを覚えている。まあ、同じ年齢なので仕方ない。(笑)

さて、時任が人気絶頂だった頃、Rという栄養ドリンクのCMソングを歌っていた。そのキャッチ・コピーが「24時間戦えますか」だった。ビジネスマンに贈った応援歌である。

ところで、今、24時間戦っている。担任をするということは、24時間戦う覚悟がいると私などは思っている。F38Aもそうだったが、今年のF40Aもまさにその覚悟がいる。今年になってからも、毎日のように大小様々なプロブレムが起こり、ひとつひとつ乗り越えてきた。まだまだ全てクリアしているわけではないが、最後まで頑張るつもりだ。時任に、24時間戦っているか?と問われたら、「おう。」と答えるだろうな、と思う。