2019年9月6日金曜日

Special Thanks MY

あと数時間でマレーシアからの配信ができなくなる。私が住処で使っているTMのシステムを撤去することになっているからだ。日本の自宅に帰るまでは通信不可能になる。マレーシアにいる間に、お世話になった方々に最後に御礼をしておきたい。

まずはPBTの教職員である。K先生やS校長先生はじめ、多く方にお世話になった。すでにメールで各先生方に御礼を述べたが、2月に帰国されたM先生には特にお世話になった。Dマートでの野菜の買い方に始まり、下校時に何度同乗させていただいただろう。マレーシアでの観劇や、演奏会などはM先生郷夫婦に連れて行っていただいた。インドの奇祭タイプーサムもそうだ。感謝してもしきれない。是非日本で再会させていただきたいと思っている。
次に、PBTのある日本人会のワーカースタッフ。ほとんどがバングラディッシュの人だ。朝からずっと清掃作業に励んでいる。PBTの行事にも彼らにお世話になった。何度挨拶を交わしただろう。何度ありがとうと言っただろう。4月にセキュリティースタッフが替わった。こちらは、マレー系とネパール系。同様に、毎日挨拶を交わし、笑顔をいただいた。彼らの陰の働きにいつも感謝してきた。日本人会の旅行社のCさんにもパース旅行で大変お世話になった。日本人会、万歳。ますますのご健勝を祈りたい。
我が住処のセキュリティーとワーカースタッフ。我が住処のセキュリティーは特にフレンドリーだ。長年勤務されているので、住民を熟知してくれている。(KLでも珍しいらしい。)女性スタッフも常に清掃作業に勤しんでくれており、古いコンドだけれどいつも清潔で綺麗だ。我がB棟の担当の若い女性ははインドネシア人である。
我が住処のコーディネーターであるJ女史には、家賃やネット、水道などの支払いをずっとお願いしてきた。B棟内の引っ越しでもお世話になった。日本語のできる彼女がいなかったらどうなっていただろう。住処の中華系カフェのおじさんにもずいぶん世話になった。特に妻が来馬するまでの期間、カフェのおかげで生き延びたといっていい。

街の清掃作業をしてくれている人々にも感謝だ。スコールの後、町は落ち葉や枝が散乱しすぐ汚くなる。彼らがいなければ快適な暮らしはないと言っていい。彼らの中で1人、朝のバス停で会い、挨拶を交わす友人がいる。彼は自分の仕事に誇りを持っているようで、いつも背筋を伸ばして堂々と歩いてくる。私は彼らの所得が気になるのだが、言葉が通じないのでついぞ聞く機会はなかった。KLは彼ら外国人労働者に支えられているといっていい。

650番のバスの運転手とバス友にも感謝だ。私は朝7時過ぎに住処のバス停からバスに乗る。同じバス停で待つ、中華系のTさんコンビ。先に乗っていて挨拶をかわす中華系の女性。途中から乗ってくるナイスガイのインド人。(彼は昔日本人会で空手を学んでいた。今は腰を痛めていて心配だ。)一度バスで転倒した中華系のおじいさん…。MBMRに働く中華系の女性もいるし、挨拶をするバス友は、あげたらきりがない。彼らとのちょっとしたコミュニケーションがマレーシア生活が豊かなものにしたと思う。

こちらで縁を結んだ友人たちにも心から感謝を述べたい。現地で起業してたり、ローカルの人々を使っている半導体ビジネス関係の話は、現地の姿を浮き彫りにしてくれた。こういう情報が生きた社会科の授業の源となった。友人たちの益々のご健勝を祈るばかりである。
最後に、IBT・PBTの学生諸君である。F36A・B、F38A・B、F40A・B、そしてF42D・Eの学生諸君には様々なことを教えてもらった。日本の教育現場では味わえない経験もさせてもらった。特に最初のF36には関西弁まるだしで、しかも日本とあまり変わらない授業をしてずいぶん迷惑をかけた。(EJUの成績は抜群だったけれど…笑)担任だったF38 Aでは強くしかったこともある。その反省もあってF40Aはしからなかった。F42の諸君には途中で退職することになったが、厚情で接してもらった。全ての教え子諸君に感謝である。

改めてマレーシアで出会った全ての人々に心から感謝したい。
Special Thanks MY. ほんと、おおきに…。Katabiranotsuji

2 件のコメント:

  1. 辻やん!!日本でぜひ会おう!!!!
    お疲れ様でした!!

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  2. JET君へ。会えるのを楽しみしているよ。

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