昔々Canon EFで撮ったM高校の写真(モノクロに変換) |
H高校のS校長、O高校のM教頭、N高校の先生、S高校のU先生、T先生。そして喉の手術をして声を失い退職したY先生。Y先生には、マレーシアに行く直前に病院でお会いした。そして退職の日にもメールのやり取りをした。どうしても愛媛に行く前に会いたかったのだ。ここに集った先生方は全てM高校のために、「志」をもって尽くしてきたプロフェッショナル集団である。中でも、Y先生は、私が転勤した後、教務部長の大任を仁王立ちして長年支えてこられた。結局担任できないまま体を壊されてしまった。もし、私がもう少し南高校に残っていれば、Y先生のために幾ばくかの支えになれたはずだ。
M高校は海外に修学旅行・研修旅行に行く。どうしてもそんな話題が出てしまうのだが、ポツリと機械音で「担任をしたかった。」と言われたことが忘れらない。そのことは、私はいやというほどわかっている。後2年ほどすれば、奥様も退職される。その後2人で旅に出てほしい。今までの苦労を少しでも労ってほしいと、私はY先生に伝えた。Y先生は以前と全く変わらぬ笑顔で頷いておられた。
ところで、大阪市立の高校がすべて府立高校になり、M高校も、2年後にN高校、O高校と合併するらしい。少子化の波に逆らえないとはいえ、話を聞いていると、現場は大混乱になっているようだ。結局こういう合併の時は、激務に耐えうる責任感のある現場の先生が苦労する。その激動の波に翻弄されながら奮闘されている先生方が昨日集った中におられて、頭が下がる思いだ。
教育現場というのは、基本的に善意で動く。その善意をうまく利用し逃げる教員も多い。長年教師をしていると、そういう現場の風も読むことができる。管理職になった二人の先生は、その辺も十分心得ているが、哀しいかな、全ての管理職が同様とは言い切れないのも事実だ。私企業と異なり、成果が数字に出にくいゆえかもしれないが、これが教育現場というものだ。
こうして、気のおける仲間がいて、そういう本音の話ができるということは、何物にも代えがたいと思う。心ならずも退職されていたY先生も、疎外感もあっただろうが、そういうプロフェッショナルな教師の中に久しぶりにまみれることで、得た安らぎもあったのではないかと思っている。
Y先生に、昨夜お会いできて本当に嬉しかった。もちろん他の先生方にもである。
0 件のコメント:
コメントを投稿