2026年9月16日水曜日

おきざりにした悲しみは

先日、YouTubeで、高齢者の初心者向けのギター講座があって、課題曲が吉田拓郎の「おきざりにした悲しみは」だった。実は、私がフォークギターを始めた時も、この「おきざりにした悲しみは」だった。コードが基本中の基本であるCやAm、Emと簡単だったのが大きい。
https://www.youtube.com/watch?v=KOzmAHEafKI&list=RDKOzmAHEafKI&start_radio=1

久しぶりにこの曲を聞いてみると、やはり名曲だと思う。拓郎・5曲目のシングルで、作詞は岡本おさみ。落陽や旅の宿、祭りのあと、まにあうかもしれない、花嫁になる君に、ひらひら、有名どころでは襟裳岬、そして私が一番好きな竜飛崎も彼の作詞である。

岡本おさみが、おきざりにした悲しみとは何か。突き詰めて考える必要はないと思う。聞き、歌う人間にとって様々に捉えることが出来るわけで、それで良いと思うのだ。ふと考えた。私にとってのおきざりにした悲しみは、親不孝だったように思う。

私の父は、貧困の中、神戸の三菱職工学校に学んだ苦労人である。もし裕福であれば大学にも進めた人だったはずだ。というのも、工員をしながら、唯一学歴のしばりがなかった中小企業診断士の資格を得た。ただ、この人生の転機が、家庭を破壊することになった。最後は結核で亡くなったのだが、中小企業診断士となったことが良かったのかどうかわからない。父は、私に風呂屋で、戸をきっちり閉めること、外気の寒さを浴場に無神経に入れることを悪として教え込んだ。そういう人だったのだが…。

母は、とにかく私に無条件に愛を降り注いでくれた人だった。だが、義理の父母や父に振り回された人生だったように思う。もっともっと親孝行しておくべきだったと思うのだ。最後は脳腫瘍で倒れ、5年間の闘病生活を送り、私は臨終にも立ち会えなかった。思えば、母に対して大阪市の教員試験を突破して喜ばせれたくらいしか親孝行の思い出がない。私も岡本おさみの言う”罪人”である。

「おきざりにしたあの悲しみは、葬るところどこにもないさ。 ああ おき去りにしたあの生き様は夜の寝床においておくさ。」この最後の詩が、今になってしみるのである。

2026年9月15日火曜日

同志社国際高校の事件考17

https://www.youtube.com/watch?v=in2g9E2L9ww
昨日投票日を迎えた沖縄知事選挙、保守系の新人が歴史的大勝を果たした。私は、沖縄には行ったことがないし、日本の政治状況についてこのブログで扱うことは慎重に避けてきたのだが、例の同志社国際高校の事件があって、責任を忌避していた現職が再戦されることには抵抗があったのは確かだ。

この選挙結果に様々な意見が出ているが、左翼は相変わらず、自己正当化しかしない。頭のてっぺんから足先まで凝り固まった時代錯誤なのかと思う。この事件で露呈した異常性は、これで大きく変わると期待している。

2026年9月14日月曜日

マーリンズ3連戦

https://www.youtube.com/watch?v=13ZKDZESMAU 
大谷選手をロスに残したままのマーリンズ3連戦。スネル投手が先発し、安心感のある投球を披露。打線では、今日はタッカー選手の日だった。サイクルヒットにあと2塁打だけ、HRは満塁打という凄い活躍だった。以前見た週刊ドジャーズ(パヘスがILするまでは週刊パヘス)というYouTubeの中で、タッカー選手がこのマイアミの球場と相性がいいことを伝えていたが、まさに相性抜群だった。

https://www.youtube.com/watch?v=kBu1_IW02EM
第2戦は、ベッツ選手とマンシー選手の連続HRで先制したのだが、先発グラスノーの乱調などもあって8連勝でストップしたのだった。これまで毎試合日替わりで誰かがヒーローになっていたのが、今日は初回のみ。あーあ。マーリンズの監督は、前ドジャーズの1塁コーチ。大谷選手が今回いないが故に怖さがないと述べたようだ。監督としてはありがたいが、一野球人としては実に寂しいとも。
https://www.youtube.com/watch?v=hO2bd6daqHQ
 シーハン投手が先発して無得点に抑え、2Aから昇格してきて3試合目のデポーラ選手が3ラン。最高の試合だったのだが、8回9回で逆転されるというとんでもない敗戦だった。午前2時からの試合だったのでLIVEは見ていないが、見なくてよかったと思っている。これでマーリンズには負け越しとなってしまった。ロハス選手の古巣での最後のシーズンになるかもしれない試合、良かったのか悪かったのか。

2026年9月13日日曜日

高校の文化祭形態 考

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000039786.html
学院では、今週末に文化祭がある。これまで、いろんな学校を見てきたが、文化祭の形態は少しずつ違う。最大の軸ととなるのは、クラス主体か文化部主体かである。

T商業高校では、校内で行う展示や模擬店とN市民会館で行われる舞台発表に分かれていたが、クラス主体が7割、吹奏楽部や演劇部、ダンス部などの文化部が3割といった印象である。この軸の比率が最もクラス主体に傾いているのがH高校。文化部はダンス部くらいで、団活動として3学年のそれぞれの1クラスが団を構成し、学年ごとに展示・模擬店・演劇で競い合う。T商業高校では順位はつかなかったが、体育系のH高校では順位付けが行われた。I工業高校には文化部らしきものは存在しなかったので、こちらもクラス主体がほぼ100%。

M高校は、文化部も盛んだったのでこの比率が半々くらいになる。吹奏楽部や箏曲部もあって華やかである。M高校に赴任した初年度に、女子バレー部の舞台発表があった。何をするのかと思っていたら、化学の周期表(画像参照)を全員が暗唱するという内容で、進学校らしいパフォーマンスだと衝撃を受けたものだ。

愛媛の三崎高校は、少人数であったので、クラスごとの合唱コンクールが主体であったが、地域芸能などの発表もあった。模擬店は生徒も参加していたが、PTAや地域の方も参加して盛り上げていた。三崎高校にも少人数ながら吹奏楽部があって、なかなか頑張っていたと思う。S学園ではどちらかというと文化部主体。写真部や鉄道模型部、美術部、物理部などが展示を頑張っていた。2年時にクラスのパフォーマンスを披露するが、3年生は参加しなくていいところは、私立の伝統ある進学校らしいと思う。

さて、最後に学院だが、文化部も運動部同様に盛んで数々の賞を得ている。クラス主体というよりも文化部主体で、3対7くらいという感じ。全国に進出した吹奏楽部を始め、珍しところでは、ハンドベル部が素晴らしい演奏を毎回披露してくれている。ダンス部や軽音部も盛んだし、茶道部や華道部、書道部、さらに美術部の出来が素晴らしい。

学校が違えば、文化祭の形態も変わる。私は、イベントは人づくりの場だと信じているので、クラスでも部活動でも、人間として鍛えられて欲しいと常々思っている。

2026年9月12日土曜日

「私の開発計画文書」

https://www.sankei.com/article/20260619-K4AJM6OP2BMETJ
O4LT7BORNQ5I/?outputType=theme_soccer_worldcup2026
昔々、M高校で3年生に受験の地理を教えていた時、アフリカの任意の国の開発についての計画を立ててみようというグループワークの課題を課した。当時の受講生は5名、それぞれ国公立や難関私大に進学していった優秀な子たちだった。

彼女らが選んだのは、コートジボワールだった。国立公園の観光開発などが提案されていたのだが、私が注目したのは、サッカーのナショナルチームを強化してW杯に出るという提案だった。多くのエスニックグループをまとめ上げ、国家としてのアイデンティティを確立したいと彼女らは言った。私は、高校生の斬新なアイデアに少しばかり感動したのを覚えている。

今回学院でもダイヤモンドランキング(8月8日付ブログ参照)を、やってもらうのだが、提示した政策群以外にも、自分なりの必要だと思える政策を入れてもらいたいと伝えてある。M高校での経験が、私にそう言わせたのだが、果たして意外で、なるほどと思わせるような政策提案が出てくるだろうか。楽しみにしている。

2026年9月10日木曜日

レッズ3連戦スイープ

https://www.youtube.com/watch?v=VNaZ0Z1uFzQ
第1戦は、久々のシーハン投手の先発。今回も授業の関係で、休み時間に状況を見ていたのだが、結局相手のエラーで2点、テオスカーの3ランで3点といった具合に6-3で逆転勝利したのだった。今日復活した大谷選手は、最後に四球での出塁のみ。本調子とは行かないが…。ところで、ドジャーズのヒット数は3。それで6点取ったという不思議な試合だった。

https://www.youtube.com/watch?v=eZ7Borl72r0&t=10442s
第2戦はスクーバル投手が8回1/3まで投げてくれた。大谷選手大好きのデラクルーズ選手に2ランHRを打たれたが好投。ドジャーズの攻撃は、1回裏スミス捕手のソロHR、2回は満塁のチャンスでエドマン選手がまた死球を受けて押出しで1点追加。3回裏、テオヘル選手のランニングHR未遂が、これまた中継に入ったデラクルーズ選手の強肩(時速169kmだったらしい。)で本塁死。しかし5回裏、テオヘル選手はタイムリーを打って3点目。テオヘル絶好調。大谷選手は今日もベンチだったが、またまた接戦をものにしたのだった。ところで、デラクルーズ選手ドジャーズに来ないかな。
https://www.youtube.com/watch?v=CtnicPw8fh0
第3戦は、山本由伸投手が先発。例のデラクルーズ選手に1発を浴びたものの、7回を投げきった。さすがエースである。13勝目を挙げた。打線の方は14点の大勝で、昼休みに見たときにはすでに9-1であった。すべての授業を終えて帰ってきたら14-1になっていた。今日は、大谷選手がIL入りし、フリーマン選手も体に問題があり主砲不在だったが、ベッツ選手もテオヘル選手も、タッカー選手も、マンシー選手も元気だった。キケ選手もHRを打った。実は、Bloggerの調子がおかしくて、何度やっても画像が貼り付けられずで、後日正常化してから貼り付けることにした。(9月11日16:05修正完了)

2026年9月9日水曜日

同志社国際高校の事件考16

https://www.youtube.com/watch?v=6t569cXfbdM
「先生のこと」という同志社国際高校の遺族からの、先日の事故死について書かれたコメントが出た。https://note.com/beloved_tomoka/n/n78bd305dbc24

極めて理性的、崇高な文章である。まず冥福を祈ると述べられた後、この件について発信するかどうか悩み続けたと書かれている。生命の問題であることから、覚悟をもって書き残すこととされたとのこと。通夜のご焼香の後、誰よりも深く、長く、頭を下げてくださった方が、この先生であり、コトバ以上のものを伝えてくれたと書かれている。

亡くなった先生は、沖縄研修旅行に深く関わった方で、研修旅行の文集を読み返すと、次のような文言があるとのこと。先生は沖縄の現状ととの「溝」を沖縄の側から深く心を寄せてきた方だとわかる。一方で生徒たちが「退いて」しまうこともあり、それを責める気にはなれない、と両方の立場の間に立って悩んでいる言葉が記されていた。親としては、講師やガイドの生徒が退くほどの政治批判が行われてきたことについては複雑だが、その流れに1人で抗うとことはできないままだった姿が見える。先生にとっての「平和を作り出す人」とは、他者と沖縄の溝、社会にひろくある溝を埋める側に立つ人である。だが、自分の強いこだわりが生徒や教員に一方的に物事を進めてしまったように思っているという記述もあった。

これらを踏まえて上で、3つだけ書かせてくださいと、謙虚に書かれている。1つ目は、この事故は誰か一人の判断で起きたわけではなく、本来みんなで分かち合うべき事が、誰が1人の肩に乗ることはあってはならないと思うこと。2つ目は先生が亡くなられたことが検証を終える理由になってならない。終えてしまうことは先生に対しても礼を失することになる。3つ目は、生徒の皆さんに対して。「この事故を巡って、大人たちが責任とそう向き合うかを見ていくことになります。だから、これだけは覚えていてください。責任は生命で取るものではありません。生きて、事実を語り、間違いを認め、変えていくことでしか、果たせないのです。命ある限り、今日を生きてください。」(原文のママ)

学校の中には、今も思い詰めている先生がいると聞いている。もしかすると学校の外の関係者にもいるかもしれない。「もし墓前に手を合わせることで、少しでも心の荷が降りると感じる方がいたら、いつでも来てください。」(原文のママ)さらに、すべての先生、生徒、関係者の命が守れることを切に切に願っており、つらい気持ちを抱えている方は、どうか1人で抱ないで欲しいと、二度目の哀悼の意と共にコメントを結ばれている。

…なんという理性的な文章であることか。なんと崇高な文章であることか。私が当事者であれば絶対に書くことは出来ない。この16回目となる事件考では、毎回教育関係者として私は記している。昭和の教師としては、聖職という意識がどうしても離れない。だから、あえて、ここに書かれている「先生」を報告書のa7氏に戻す。

…a7氏の「溝」を埋めるという考えは悪くないと思う。私も様々な問題で「溝」を埋めるようなこともしてきた。だが、彼が信じて託した沖縄の左翼運動家は、この溝を埋めるためではなく、生徒諸君を自分たちが信じる正義にオルグしようとしただけではなかったか。左翼的なスターリニズムには、思想的な正義とそれに反対する悪の二元論が支配している。人間という視点が欠けている。人間としてゆるせない行為が多々この事件にはある。危険な防波堤からの乗船、波浪注意報での出港、事故の後「船長死んじゃったよ」と発言したもう1人の、今は行方をくらましている船長の存在。傲慢な腕組みをした左翼の運動家。不誠実な学校の姿勢。a7氏は病院や遺体の空輸に立ち会ったのか。そして保身だけの元学校長。a7氏は、おそらく学校をも信じられなくなり、彼の言う「溝」が大きく広がり、彼の正義の土台は崩れ落ちたと私は推測する。

…保護者の方の理性的で崇高な文章の後に、私の所感をはさんで申し訳なく思うが、あらためて、このコメントの最も重要な部分は、「この事故を巡って、大人たちが責任とそう向き合うかを見ていくことになります。だから、これだけは覚えていてください。責任は生命で取るものではありません。生きて、事実を語り、間違いを認め、変えていくことでしか、果たせないのです。命ある限り、今日を生きてください。」であると思う。さて、保身の塊である同志社国際高校は、どう大人の責任を向き合うのだろう。この保護者の方の言は重い。