2026年6月2日火曜日

現代思想の遭難者たちを読む

「現代思想の遭難者たち」(いしいひさいち著:講談社学術文庫)を学院の図書館で借りてきた。文庫本なので、老眼の私にはちょっとつらいのだが、現代思想の哲学者たちを茶化した漫画の集大成である。

ハイデガーから始まるのは当然で、ツッコミ所満載(ナチへの協力やアーレントとの愛人関係など)である。フッサール、ヴィトゲンシュタイン、カフカ、ニーチェ、マルクス、フロイト、ユングと第1章「越えゆく思想家たち」は続いていく。まだヴィトゲンシュタインまでしか読めてないので、おいおい書評を書ければと思うのだが…。

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20160621/1466469292
ちなみに、この画像はヴィトゲンシュタインの有名な「語り得ぬものについては沈黙せねばならない。」という論理哲学論考の結びの言葉をイジっているもの。ヴィトゲンシュタインは、オーストリア有数の大富豪の家に生まれ、ケンブリッジでの2年の学生生活後にノルウェーで山籠りをして、初期の哲学を温めている。こういう逸話や各思想の真面目な解説も本書の魅力の1つである。

2026年6月1日月曜日

強敵フィリーズ3連戦

https://www.youtube.com/watch?v=Y8jKvcljmP0
フィリーズとの3連戦。第1戦はロブレスキ投手が好投し、フリーマン、マンシー、大谷、スミスという4選手のソロHRで得点を重ねて勝った。この日はベシア投手のボブルヘッドデーで、現在HR王を三振に抑えたのも見どころだった。

第2戦は、ササミローキ投手が好投していたが、タナスコ投手が打たれ、逆転をゆるしてしまった。ベッツ選手が頑張っていたのになあ。残念である。

第3戦はABSの連発のひどい試合だった。山本由伸投手は、制球が定まらないとはいえお見事な投球。ドジャース打線は1回を除いて毎回得点。めずらしい試合でもあった。

とりあえず、勝ち越し。パドレスとは、5.5ゲーム差になった。イイネ。

2026年5月31日日曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅶ

吉村昭 『海の祭礼』の書評、最終回。この後、全く妥協しないハリスが来て、幕府は大いに手を焼く。日米修好通商条約が結ばれる。この裏にも英仏が清と不平等な天津条約を結んだという情報を伝え、英仏は軍事力を背景に過酷な条約を日本と結ぶだろう、よってアメリカと早く条約を結ぶべきだ、という恫喝をした。とはいえ、この条約も不平等条約であった。

以後、幕府は英仏とも通商条約を結んでいくが、各国の思惑が入り乱れ、しかも攘夷運動が激化し、安政の大獄から桜田門外の変、朝廷との確執などまさに開国後の幕府は散々である。

これらの外交交渉の最前線で森山は精励してきた。本書では、森山の姿を描いている。妻子のいる長崎に変えることは許されず、やむをえずまとまった金を送り離別する。周囲から妻帯を勧められ再婚する。生麦事件から薩英戦争の事件にも奔走、外国奉行通弁役頭取として勘定奉行・小栗上野介らと、輸出入関税率改定交渉(天津条約並みに輸入税5%に下げられた)にも関わっていく。

幕府が倒れた後、新政府から仕官を求められたが、森山は応じなかった。弟子の福地源一郎は大蔵省に訳官としてしたが、あまりに濃い15年間で疲れ果てていた。狭い庭を見て過ごしていた。すでに50歳になっていた。明治4年冬に風をひき翌年、ボロボロになって死去した。

ところで、森山に英語を教えたもうひとりの主人公・ラナルド・マクドナルドは、日本を離れた後、香港からシンガポールへ行き、イギリス船の船員となったがインド沖で難破、その後オーストラリアで金鉱掘りに従事、ヨーロッパを回って、アメリカに戻った。すでに父は亡くなっており、牧場、商店、運送業を経営したが新しい事業に失敗し、転々と職業をかえ、故郷のコロンビア川流域に定住し、明治27年に姪の家で病死した。別れの言葉は「ソイナラ(さようなら)」であったという。日本での覚書は彼の死後に出版された。

…森山の壮絶な15年間を思うと、ボロボロになるのもよくわかる。私自身、教師生活を46年間務めてきた。森山のような国事に関わるようなプレッシャーとは比較にならないが、「精励」という語彙があてはまると思っている。さて、教師をやめたら、森山のようにボロボロになるかもしれない。その兆候はすでにある。(笑)

2026年5月30日土曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅵ

https://mag.japaaan.com/archives/217854
吉村昭の『海の祭礼』を読み終えた。このころの日本の外交はまさに世界情勢に振り回されていた、といっていい話。

ペリーの始めの来航後、かのシーボルトが国書作成に協力、ロシアのプーチャチン(画像参照)が長崎に来る。ご丁寧に各艦船は「おろしあ国」という旗がかかげられていた。これもシーボルトの指示。国書が江戸に送られ、長崎に戻るのに時間がかかり、苛立って長崎を出港、江戸に向かったかに思えたが、プーチャンは上海へ向かっていた。クリミヤ戦争で英仏との開戦を危惧して情報収集をしていた。再び戻ってきたが、回答に不満で、条約締結を求めたうえで去った。

ペリーはペリーで来日の予定を早めている。アメリカ本国でホイッグ党のフィルモアから民主党のピアスに大統領が代わり、ペリーの行動が抑制される可能性、さらには英仏露の妨害を危惧してのことであった。

イギリスは、フェートン号事件(ナポレオンによってオランダはフランスに占領され、国王はイギリスに亡命、国王の依頼を受けオランダの植民地をフランスから奪還する政策を背景に長崎に来航し、オランダ商館員を拉致した事件。鎖国時の日本の国威を辱めたとして、長崎奉行、警備担当の佐賀藩家老らが自刃した。)以来、強い憎悪があったのだが、友好的なスターリング艦隊がやってきた。その理由は、クリミヤ戦争でロシア感染を拿捕するために、英仏の艦船が入港できる港を確保するためだった。長崎奉行水野は、「薪・水・食糧その他の必需品の補給と船の修理のためなら希望に応じるが、戦闘行為のためなら許可できない。日本は世界のいずれの国とも敵対関係にない故戦火にさらされる要求は受けない。日本の港内近海での交戦はゆるさない。戦争目的以外の入港時は日本の国法を必ず守ること」と応じた。スターリングはこの回答を全て受け入れた。これにより長崎・函館の二港の開港を布告(=日英約定)したのである。イギリスは通商には全くと言っていいほど淡白だった。

このイギリス艦隊が長崎を去った翌日に函館にプーチャチンが来る。下田で交渉という時に地震(M8.4)が起こり、会談は中断、ロシアのディアナ号も津波で座礁・大破した。和親条約を結べたが、帰る船がない。優れた船大工を集め、ロシア人設計者と森山ら通詞のもと新たに洋船の建造することになる。意外と、この頃の日露関係は悪くない。プーチャチンは大感謝して、ディアナ号に残された様々な品を関係者に贈っている。

この後、安政に年号が変わり、オランダ、フランスと和親条約を締結する。本書の主人公的存在である通詞の森山もこれらの交渉に深く関わり、蕃薯調書御用(勝麟太郎も入っている)に任ぜられ、官に登用された故に、栄之助から多吉郎と名を改めた。

2026年5月28日木曜日

良かれ悪しかれの第3戦

https://full-count.jp/2026/05/28/post1968005/
ドジャーズは、今日もロッキースにスイープして、西地区の首位として他チームを4.5差と大きく引き離した。大谷投手が、またもやリアル二刀流で先頭打者HRを打った。投手としては、6回無安打で自責点1、まだ規定投球回には足りないが、0.84という凄い数字を維持している。マンシーが3塁に復帰してくれたし、多くの若手メンバーも含めて打線も悪くないし、ブルペンも無失点で抑えたのが、良かれの部分。

しかし、テオヘル選手が怪我で離脱した。これが悪しかれの部分。なんとヘルナンデス2人が怪我。しかもキケは左腹斜筋断裂だという。復活して2試合で打率10割のキケなのに…。テオヘルの怪我が大したことがないことを祈るのみ。

しかし、MLBの過密日程、選手を苦しめているような気がしてならない。

2026年5月27日水曜日

良かれ悪しかれの第2戦

https://www.chunichi.co.jp/article/1257483
ドジャーズにとって、今日のロッキーズ第2戦は、様々な意味で記憶に残る試合となった。まずは、4番に下げられた(?)我が愛するベッツ選手が、HRを2本も打った(2ラン+3ラン)のである。ベッツ選手に牽引され、15点も挙げた。我がキケ選手も1号ソロ、さらに2塁打で、昨日から4打数4安打の打率10割。パヘス選手もスミス選手もHRを打った。凄い。

しかし、大谷選手が右手首に死球を受け、出塁後も爆走して得点。その後ベンチに下がった。明日登板予定なのにである…。本人は明日も二刀流をしたがっているらしいのだが…。心配である。無理はしてほしくない。さらに、痛いのが、10割打者のキケが左脇腹痛で、故障者リストに戻ることになったのである。せっかく戻ってきたのに、残念すぎる。

良いことも悪いこともドラマがいっぱい詰まった試合であったのだ。

2026年5月26日火曜日

キケの復帰とその活躍を祝う

https://news.yahoo.co.jp/articles/f7bbf272ee4d14e68ca49d2496b2f3b88a32130d
ついにキケが帰ってきた。マンシーが死球で離脱した3塁を守り、2打数2安打1打点の活躍を見せた。やっぱり、キケは持っている。(笑)ロッキーズとの本拠地第1戦は、またまた逆転で5-3で勝利した。嬉しい嬉しいニュースだ。

マンシーの死球離脱は心配だが、骨には異常がないようだし、ベストメンバー、残るはエドマンの復帰のみとなった。一方、ブルペン陣の無失点記録は途切れてしまった。とはいえソロHRの1点だけ。大谷選手の連続出塁記録同様、またチャレンジしていってほしいものだ。