2026年2月14日土曜日

久々に沢木耕太郎を読む。

学院の卒業式の日。少し早めに着いて、全員が入場する際に顔を出すことが出来た。みんないい顔で卒業式に臨んでいた。この1年の授業でのことが走馬灯のように浮かんでくる。カトリックの学校なので、マタイの福音書に始まる非常に特徴的な卒業式のことは、昨年記したので、本日は、登下校時に読み始めた沢木耕太郎の久々のノンフィクションについて、少しだけ記しておこうと思う。

『天路の旅人』(新潮文庫上・下)という作品だ。好きな作家を問われたら、私は常に沢木耕太郎の名を挙げる。『深夜特急』を始め、『バーボンストリート』など多くのノンフィクションを手掛けてきた沢木の文章は、驚くほど読みやすいし、引き込まれる。今回も登下校時の2時間ほどで、一気に86ページを読んでしまった。むちゃくちゃ面白い。書評らしきことを書くべきか否か悩むところであるが、いずれ…。

2026年2月13日金曜日

キケの来年度契約が決まった

https://cocokara-next.com/athlete_celeb/bluejays-vs-dodgers-20251101-32/
キケ・ヘルナンデス選手が、来年度もドジャーズで三連覇を目指すことが確定した。大丈夫だと信じていたがやはり嬉しい。ポストシーズンでの活躍は凄かった。ロスは、ヒスパニックの人口も多いので、プエル・ト・リコ出身でスペイン語を話すキケの人気は高い。我々日本のファンにとっても、彼の個性も人柄も実に魅力的だ。同じベテランのマンシー選手の再契約も実に嬉しい。カブスから、FAの目玉と言われたタッカー選手がドジャーズに加入したことより私は嬉しい。(笑)外野の補強には、ヌートバーに来てほしかったのだが…。

一方で、バンダ投手が放出されたようだ。大谷選手に背番号17を譲った、ポケモン大好きなブルペン投手である。花の色はうつりにけるないたずらに…。MLBビジネスの世界は、非情に流れていく。

正教会と数理神学3

https://www.youtube.com/watch?v=GCACD4tmYlU
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第3回目。前述の命題1・命題2をもとに、著者は正教会の教義と照らし合わせていく。

神は現実的無限、無限集合である。したがって、神の本質も神の実存(=キリスト)も神の活動(エネルゲイア)も無限集合であらねばならない。神を集合論的に区別すると、Aと述語づけられるキリスト、Bと述語づけられる聖霊と、Aでなく、かつBでもない神自身に区別される。神の本質という無限集合が3つの部分集合に分割されていると考えられる。したがって、「無限においては、部分と全体が等しい。」あるいは、「無限集合は、自らに等しい部分集合を持つ。」という第一命題(=三一論)が帰結される。

神の本質と活動の関係において第二命題「無限においては、部分の総和が全体を超える。」が適用できる。神の本質は、自己の活動(自己自身)をも超越するという命題が帰結され、人が神になること(パラミズム:14世紀の聖グレゴリオス・パラマスによる、神の本質を直接知ることは出来ないが、聖霊/エネルゲイアによって神と交わり一致することができるという教義)が証明可能である。

著者はここで、「およそ全ての宗教は、神あるいは仏の多一性や自己超越性を言明する教理を保持している。集合論が明らかにしたことは、むしろそれぞれの宗教の地域的、歴史的な言語表現の差異の深層に隠された、その構造の同型性、共通性である。集合論は、宗教の命題を数学の言語で表現することによって、それぞれの宗教に共通する普遍的な構造を暴き出すのである。」と記している。

…この数理神学から導かれた「宗教に共通する普遍的な構造」については、実に興味深い主張である。以後、比較宗教学的に、詳しく検討したいところだ。

この後、著者は集合論が、それ自体証明されない公理系を前提に成立していることを明かす。公理系は証明不可能であるから、合理的議論の対象ではなく、自由な選択の対象である。信仰の自由とは、個々の宗教を命題を選択する自由ではなく、その公理系自体を選択する自由である、としている。公理系の内容は、大学数学の範囲(画像参照)で、私の理解力をはるかに超えているので割愛したい。

…これで、3冊の書評を終えた。正教会の特徴はおよそ、神と、人となったイエス・キリスト、神より与えられる聖霊の至聖三者(=三一論:カトリックの場合は聖霊がキリストからも発せられるので、はっきりと相違がある。)がそれぞれ位格をもっており、特に聖霊は神のエネルゲイアが、信仰者に神との交わり・一致(”神になる”と表現されるが、神の本質には至らない。)という東方ゆえの特徴(仏教等の影響)をもっている。また、イエス・キリストの位格は、ロゴスであり、冒頭でロゴスについて語られるヨハネの福音書の影響が強く見られる。カトリックでは、クリスマスのミサにヨハネの福音書の冒頭を朗読するが、正教会では復活祭のミサで朗読される。このことは、クリスマスより重要な復活祭で朗読する正教会のほうが、ヨハネの福音書を重視しているという証に他ならない。(学院は、カトリックの学校で宗教という教科もあるので、この辺は公立の高校より理解度がそもそも高い。)

…今年度の地理の授業で、1学期後半に比較宗教学的な一神教の対比(ユダヤ教・イスラム教・キリスト教のカトリック・正教会・ルター派・カルバン派・英国国教会のハイチャーチとローチャーチ)を行ったが、来年度はさらに深く理解した立場から論じることができそうである。ただし、大学の数学まで登場する集合論(数理神学)まで話すことはないだろうと思う。(笑)

2026年2月12日木曜日

正教会と数理神学2

https://www.youtube.com/watch?v=2sobnkyibok
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第2回目。カントールの集合論の続きになる。彼は、集合論が神が無限性の弁明になることを明晰に意識していたことは極めて重要である。

ここで、数の分類の確認をしておきたい。整数:-2、0,1.2など。自然数:1.2.3など正の整数。有理数:2つの整数abを使って、a/b(b≠0)で表せる数。実数:有理数と無理数を合わせたもの。

ところで、平方根√2や円周率πなどの無理数について、彼は数列の極限として捉えた。円周率を例に取ると、π=3・π1=3.1・π2=3.14・π3=3.141…極限にいたる数列は、無限個の自然数を1つに括った全体、すなわち自然数の無限集合に他ならならず、自然数全体と同様の現実的無限であるとした。このアリストテレスの禁忌(前述の「現実的無限については、思考することを禁止する。」)を乗り越えることで、近代科学の基礎を築いたのである。

彼の証明した第一の命題は「無限においては、部分と全体が等しい。」さらに、数直線上にある、すなわち実数全体という無限集合は、一次元の直線、二次元の平面、3次元の空間、さらにn次元のユークリッド空間におきても無限集合と等しいことを証明した。直線上の0から1までの区間の実数の数がこの全宇宙さらには4次元時空連続体に存在する実数の数と等しいというのである。この証明を成し遂げたことを伝える手紙の中で「私は見た。しかし信じられない。」と書いている。

…完全文系の私としては、このあたりでかなりギブアップ気味である。(笑)ただ、この「無限においては、部分と全体が等しい。」という命題は、神と人間の関係、特に人が神となる、という事に大きく関わってくるのではないか、という嗅覚が働いた次第。

次に彼が証明した第二命題は「無限においては、部分の総和が全体を超える。」なのだが、この命題については、さらに解説が難解すぎるので、忌避させていただく。(笑)…つづく。

2026年2月11日水曜日

正教会と数理神学1

https://note.com/koritakada/n/n28aca641d08d
『ギリシャ正教 無限の神』(落合仁司著)の備忘録的エントリー第1回目。まずは、本書の前提の確認。正教会では、三一論(=至聖三者:カトリックの三位一体とは聖霊の捉え方が異なる)で、神の無限(神性は無限で把握しえないものであり、把握しうるのはその無限性と把握不能性のみである。:ダマスカスのヨアンネスの定義)を説いている。さらに、有限な人間が神になること(厳密に言えば、聖霊:神のエネルギアによってペルソナ化)が可能であると説くわけであるが、これを数理神学の立場から証明しようとするのが本書である。これは同時に、仏教を始めとする多神教と一神教の誇張された対比を否定する方向に向かう。著者の所属する同志社大学の小原学長の本書の書評が端的に示してくれている。https://www.kohara.ac/research/2002/03/review200203.html

次に、数理神学の前提。ギリシアでは、無限のパラドクスに早くから気づいていた。自然数全体の数と偶数全体の数はどちらが多いのか。直感的には自然数全体であるが、どちらも無限故に等しい。アリストテレスは、この常に後続が存在する未完結の無限を「可能的無限」、完結し実現した無限を「現実的無限」と呼んだ。彼は、現実的無限については、思考することを禁止した。この呪縛が解かれるのは19世紀末である。(ただし、4世紀のギリシア正教の教父は神を、可能的無限ではなく、現実的無限であると宣言した。)

この呪縛を説いたのが、ゲオルグ・カンタール(画像参照)。自然数全体や実数全体など集合全体を1つの対象として扱い、無限集合の存在を明らかにしたのである。…本日はここまで。

2026年2月10日火曜日

総選挙の分析・総括のYouTube

https://www.youtube.com/@thesenkyo
今回の総選挙の余韻が、かなり残っている。歴史的な結果がそうさせているわけだが、様々な分析・総括のYouTubeを見ていると、なかなか興味深い。

まずは、中道革新連合の大敗について。元公明の組織票は元立民にどう影響したかという分析。言い当てて妙だと思ったのは、各選挙区の上記組織票・1~2万票は、野球で言うとスクイズのような存在。3塁に走者がいれば得点(当選)できるが、今回の立民の候補は3塁まで行っていなかったので死票化した、というもの。何故3塁まで進塁できなかったのか?立民は、「メルトダウン」してしまっていた。批判ばかりで、他の少数野党のように建設的な批判・アプローチに欠けており、野党第一党の役割を果たしていなかったし、急な新党結成で、従来の支援者も離れていく結果となったという分析があった。なるほどと思う。

私が、なにより大きいと思うのは、国民の嫌中意識である。立民の岡田氏の執拗な批判が、首相の例の台湾問題の発言を引き出した。これに中国が例によって様々な脅しをかけてきた。まさに岡田氏=立民はヒール的存在となったことが大きい。その後の首相の見事なまでの対応が国民の支持をかなり拡大した。中道革新連合を「中国協賛党」と揶揄する見方が生まれ、アメリカ(=自民)VS中国(=中道)という構図となったのも大きいのではないかと私は思う。中国は、今回の総選挙結果について、恫喝的な反応を見せている。全く懲りていない。

2026年2月9日月曜日

憲法改正が現実味を帯びてきた

https://www.honda.co.jp/magazine/article/202412vol01/
今回の解散総選挙で、与党が316+36で、352議席となった。これは、憲法改正の発議に必要な衆議院の総議員の3分の2(310議席)を超えたことになる。発議には参議院も同じく総議員の3分の2が必要(166議席)なので、現状118+18で136。50議席も足りない。改憲に賛成の党もあるので調整すればさらに増えるだろうが、今のところ「憲法改正が現実味を帯びてきた」としか言えないだろう。憲法改正は、自民党の党是である。首相が「国論を二分する論議」と言っていたのは、第9条改正とスパイ防止法くらいしか思いつかない。

第9条を現状に合わせて、「国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使はと国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄する」を、国際的に認められている(=国連憲章51条)の「個別的自衛権」「集団的自衛権」(緊急性と必要最小限度という条件あり)に合わせる改正案が見えてくる。国連憲章代7条の国連軍ならびにPKOについても付加するかもしれない。第2項の「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」に関しては、陸上・海上・航空の自衛隊(本日の画像は空自のブルーインパルス風のバイク隊:実に平和日本の自衛隊である。)を前項の目的を達するため保持するとするのが妥当だといえる。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない。」という条文は、アメリカがこの憲法を作成したのがバレバレの条文である。”その他の戦力”は、言うまでもなく海兵隊を意味しているからである。戦力を保持しないと言わせておきながら、朝鮮戦争や冷戦を巡って、アメリカの影響下で、警察予備隊、保安隊、自衛隊と改組してきた歴史があり、条文と現状が一致しないのは、小中学生が読んでも明らかである。これも妥当。

これらの国際法上の戦争規定と自衛隊の存在の明記は、国民の普通の感覚のように思われる。これでも反対するような左翼的な政党はすでに少数派になっている。さてさて…。