ところで、このイラン攻撃は、引き金でしかないとする見方がある。アメリカが本当に狙っているのは、中国であるという。中国はイランから大量の石油を、密輸(マレーシア産と偽って)しているようだ。イランの石油生産が崩壊すれば、他のどの国よりも影響を受ける。輸入量が減り、石油価格が高騰し、電力供給やガゾリン供給(=輸送コスト)に支障をきたす。製造業への影響は計り知れない。しかもコスト・プッシュ・インフレが起こり、今でさえ不安定な治安が悪化することは目に見えている。極めてきつい揺さぶりである。ロシアも中東の足場を失うことになるのだが、アメリカの冷戦2.0の矛先は、あくまで中国であるようだ。(今回もAIで画像を作成してみた。)
2026年2月22日日曜日
米国のイラン攻撃 秒読みか
2026年2月21日土曜日
市民歴史講座に参加してきた
面白かったのは、現在の関西医科大学や大阪歯科大学の前身は、枚方に早く誘致された(京阪電車の収入増のため)ものの、旧制中学はなく、大阪市の新設中学の候補地に枚方(町)が手を上げ、誘致したのが、現在の府立いちりつ高校(旧大阪市立高校)であるそうだ。当然ながら、私はいちりつ高校との関わりは深いのだが、1校だけ大阪市外にある不思議な存在だった謎が今になってわかった。また、戦時中には、京阪沿線にある、現在お世話になっている学院も女子学徒動員に駆り出されていたこともわかった。
会場は高齢者でほぼほぼ満員御礼状態だった。かく言う私たちも高齢者なのだが…(笑)
2026年2月20日金曜日
ロシア正教会と聖セラフィム3
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| https://monasterium.ru/monastyri/svjatiny/istochnik-prepodobnogo-serafima-v-poselke- |
師父(聖セラフィム)は、「主イイスス・ハリトリス(=イエス・キリスト)、神の子よ、われ罪人を憐れみ給え」という祈りを、道を歩いている時も、座っている時も、働いている時も聖堂にある時も、心の内で唱えるばきりではなく、口に唱えても生活しなさいと教えた。絶えず神の名を呼ぶならば、心の内が安らかになり、同時に体も心も清くなり、そして神・聖霊があなたの内に宿るでしょう、と。(言行録より)
聖霊降臨の時、神の深い配慮から人間に伝えてくださる永遠の生命の言葉の全てをはっきり聴くために、私たちは完全な沈黙の中にひそまなくてはなりません。(モトフィロフとの対話より)
(聖霊が私たちと共にいるのかいないのかを、どのようにして知るのか?という問に対して)聖書の奇妙な出来事、たとえば「アダムは園の中で主の歩まれるのを見た。」という箇所(創世記3-10)や、モーセの口を通して聖霊が語っていること、使徒パウロが「私たちはアカイアへ行き、聖霊は共に行かなかった。そこで私たちがマケドニアへ戻ると、聖霊は共におられた。」(使徒言行録16-6~10)など、聖霊の顕れが理解不能という人がいる。だが、初期のキリスト教徒が現在の我々より純粋に信じてたことが重要で、ヨブ記に、神を冒涜していると友人がヨブを非難した際、「私の鼻に神の息を感じる時、どうすることができるのか。」(=聖霊が私と共にある時、神を冒瀆できようか。)と述べている。(モトフィロフとの対話より)
列聖の際の調査によると、聖セラフィムの祈祷によって奇跡(=神恩)が起こった事例(細かな証拠があると認められたもの)は94件あった。それ以外にも数百通の書面がサーロフ修道院に残された。特に有名なのは、馬を盗まれた農民が、その居場所を聞きに来た際、明確な場所を示し見つかったという話である。また、師父の死後も聖セラフィムの泉(画像参照)での奇跡談(目が見えるようになったり、口がきけるようになった、歩けるようになった等)も数多い。(列聖の記録より)
最後に、聖セラフィムは、白い修道服を常用していた。これはめずらしいことで、受難と十字架の死を意識して、修道士は黒や濃茶などの常用するのが普通。公祈祷時や洗礼時に白を着用するのだが、日常生活がすばらしい喜びに満ちていた故と言われている。これは常に聖霊と共にあったことの証明といえるかもしれない。
…聖セラフィムの信仰実践を知り、純粋な深い祈りの365日24時間の持続の中で、聖霊が宿っていたことが理解できる。特にイイススの祈りは、仏教における題目やマントラ、イスラムのスーフィズムのズィクル(「アッラー・アクバル」:神は偉大なり・「ラー・イラッハー・イッラ・ッラー」:アラーの他に神はなし・神の99の美名などを繰り返し唱える)などとの共通点も多い。ブディストとして、同様の感覚を多少理解できるところである。
2026年2月19日木曜日
ロシア正教会と聖セラフィム2
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| https://frgregory.hatenablog.com/entry/2021/01/15/205632 |
1759年、クルスク(ロシアのクルスク州州都/ウクライナから見れば東北の国境地帯)に、レンガ製造工場や建築業を営んでいた父(敬虔・誠実な人だったが、彼が三歳の時に死別)と父の家業を引き継いだ母(貧しい娘や身寄りのない娘を養女にすような気丈な人)の次男として生まれた。兄は商売を営み、彼を商売人にしようとしたが、向いていなかったようで宗教書を読みふけっていた。19歳になった1778年12月3日に、院長が両親と親しいサーロフ修道院に入門した。ちなみに翌日12月4日は、生神母マリアがエルサレム神殿付属の女子神学校に入った記念日である進堂祭であった。
修道院の雑務に励みながら、サーロフの森で厳しい修練の生活を送っているのを見学していた。1780年、激痛を伴う水腫を発病。医者の診察を拒み、「聖なる父、霊と体の真の医師、我らの主イエス・キリストとその母マリアにすべて委ねているので十分なのです。」と言った。10歳のときにも重病で生死を彷徨ったが、夢に生神母マリアが現れ、癒やされる軌跡を体験していたからで、この時も生神母マリアがペテロとヨハネを伴って現れ、祝福して彼の右腰に手を当て、穴が開いて水が流れた。この傷跡は生涯残ったという。その後、3年間療養することになる。奇跡のあった小屋跡には、聖堂と三階建ての病院が建てられている。
1786年セラフィムの修道名で修道士の誓いをたて、故郷の母と別れを告げる。27歳である。この頃から神秘的な奇跡を体験することが多くなり近くの森に小屋を建て修練を積む時間が多くなる。1793年に司祭となり、翌1794年に修道院を離れ、6kmほど離れた森での隠遁生活に入る。生神母マリアの聖像が飾られ、椅子代わりの木片1つが床に置かれ、ベッドはなし。ストーブにはほとんど火を入れず、四季を通じて白い麻の修道服1枚。いつも背負っている袋には大切な福音書。彼は、この地を聖山アトス(ギリシアの正教会の聖地)と呼び、小屋の周囲にイスラエルの地名をつけた。ナザレで生神母マリアのために祈り、ゴルゴダでは六時課と九時課(正教会の修道院の奉礼で、六時課は正午にイエスの十字架刑、九時課は午後3時でイエスの死をそれぞれ記念して行われる)を唱えた。タボル山では主の変容祭(イエスが光を発したよされる山/変容祭はそれを記念する祭)の福音を朗読し、ベツレヘムでは「至(い)と高きには光栄神に帰し~」の(イエスの誕生を祝う)聖歌を歌うといった具合である。
修道生活の基本である祈祷・斎(ものいみ:食事などの節制・断食)・独居・廉施(周囲の人や自然への優しい思いやりのある言動)を、人の霊魂を神の国へと運ぶ”四頭立ての馬車”と呼んだ。サーロフ修道院と同様の祈祷日課や最も厳しいと言われていた聖パコミコス修道院の夜間祈祷も行い、日曜日には司祭として修道院に帰り、領聖(カトリックで言う聖体拝領)も行っていた。有名な話で、小屋にやってくる熊や狼、兎、狐、狸、小鳥や蛇にも食料を分け与えていた光景が多くの修道士に目撃されている。(画像参照)
1804年3人の乱暴な農民強盗が、小屋に乱入した。土曜日だったので重症にも関わらず修道院に向かっているとこを発見された。血に塗れ意識が混濁していたが、7日目に生神母マリアがペテロとヨハネを伴って現れ、奇跡が起こり回復する。5ヶ月後には小屋に帰れたが杖無しでは歩けなくなっていた。強盗犯たちは捕まり牢獄に収監されたが、減刑と赦免を嘆願し。釈放された3人は修道院を訪れ謝罪したという。
またサーロフ修道院の当時の院長の永眠後、院長就任を断り、沈黙の修行に入っていく。1810年、長年暮らした小屋を離れ修道院に帰院。1825年、生神母マリアから「沈黙の苦行を終えて小屋に帰り人々に教えなさい。」という黙示を受け、15年間の沈黙をやびり、修道院近くの庵で、夜の8時まで人々に会った。修道士や聖職者、農民、商人、軍人、貴族などあらゆる階層、あらゆる年齢の人々が各地からやってきた。1789年、サーロフ修道院が庇護していた女性の共同体を、女子修道院を開くことに尽力した。1833年、ロシア歴の元旦の日曜日、祈祷後修道士1人ひとりに別れの挨拶と祝福をし、埋葬されるはずの土地を訪問し、庵で復活の讃歌をいつもより大きな声で歌った。そして、翌日、聖像の前で跪き、祈祷したままの姿勢で息を引き取っていた。
…なんとも感動的な生涯である。正教会最高の聖人と言われるのも納得である。
2026年2月18日水曜日
ロシア正教会と聖セラフィム
2026年2月17日火曜日
考察 「冷戦2.0」
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| https://note.com/furafura_yuki/n/n63ac31a6ec31 |
言うまでもなく「冷戦」は、いわゆるWWⅡ以後、およそソ連の崩壊した1990年代初頭まで使われた、資本主義・民主主義の西側諸国と社会主義の東側諸国の対立構造を示す語彙である。東欧や中国だけでなく、アジア・アフリカ諸国やラテンアメリカでも、社会主義を標榜する国家が増え、全世界的に二極化していた時代といっていいだろう。
ソ連崩壊後は、東欧諸国は西側に合流した。CISという旧ソ連の国々のくくりも、かなり希薄になった。現在、社会主義を標榜し、資本主主義を排除しているのは、キューバくらいではないかと私は感じている。北朝鮮は社会主義と言うより金王朝であるし、中国やベトナムは開放政策やドイモイ政策で資本主義の導入を積極的に行っている修正社会主義国家である。
その社会主義国家らしい社会主義国家・キューバは、例のベネズエラの石油が遮断されて窮地に陥っている。キューバの産業構造はサトウキビくらいで、ソ連が主導していた経済共同体コメコン時代は、供給の一角を占めていたが、コメンコンが破綻して以降は、アメリカの経済封鎖でさらに厳しい状況になっていた。キューバ兵の派遣と引き換えにロシアや中国などの支援で生きながらえてきたといって良い。そのロシアがウクライナ紛争で急激に経済的に行き詰まっており、キューバへの支援も滞っている。カストロ以来の社会主義政権は風前の灯と言っていいだろう。
一方、パナマ運河の東西の港湾を抑えていた香港(というかバックには中国)企業に対し、パナマの最高裁が、運営権について無効だという裁定を行った。香港企業はアメリカの圧力に屈して、売却する方針だったようだが、それさえも叶わない。中国の経済力の衰えが露呈している現在、世界各地で反中の動きが活発化している。
「冷戦2.0」の構造は、アメリカの覇権に異を唱える国々、中国とロシア、イランなどを経済的・軍事的に締め上げるというものある。一時期、BRICSの共通通貨を作成し、世界標準のドル決済から離れようとしていたし、今も当事国の通貨で貿易を行っている。(注:イランもBRICSに加盟している。インドや南アはかなり微妙な立場にある。)
ヨーロッパ諸国は必ずしもアメリカの「冷戦2.0」に同調しているわけではない。ただ、最近のEUの動きで、ウクライナの来年1月のEU加盟を促進しようという動きがあるようだ。全加盟国の賛同が必要だが、ハンガリーが反対しているので、多数決にルール変更しようとする動きがあるとのこと。EUにウクライナが加盟すれば、NATO同様の集団自衛権が稼働し、EU諸国がロシアに参戦することになるだろう。
ロシアは経済的にも軍事的にもかなり疲弊しており、中国も同様、かつての勢いはない。アメリカは、この機を逃さず、あらゆる手段で締め付けていくのだろう。力によるパクス・アメリカーナの復活である。たしかに今の国際情勢は「冷戦2.0」という語彙で表現できなくもないな、と思われる。この是非を問うとすれば、SDGsの”Leave No One Behind”(誰ひとり取り残さない)の視点で見るべきである。アメリカが打倒しようとしている諸国の多くの国民が”取り残されている”という状況から脱するならば、それは是であろう、と私は思う。
2026年2月16日月曜日
新島襄の危惧
たしかに、政治を定義すれば、”各集団の利害の調整”であるといえる。今日、ある国際関係に関するYouTubeを見ていて、本年初頭のベネズエラの問題から世界が大きく変化しているとの危惧が言われていた。そのネーミングが衝撃的である。「冷戦2.0」。アメリカは、自らの利益を守るため、ウエストファリア条約以来の国家主権絶対主義に軍事力パワーをもって挑戦していること。その主敵は中国であること。多国間の協定をも軽視していることなどが言われていた。「冷戦2.0」、その評価は早計に行うべきものではないと私は思っている。
新島襄の危惧は正しいと私は思う。現在の日本はともかく、途上国の多くは、教育が徹底されないまま、カタチだけの民主主義をとっており、汚職指数が極めて高い途上国に、トランプ政権が民主党時代から続く税金のバラマキを停止したのは理にかなっている。国家主権を盾に汚職で私腹を肥やそうとする指導者を持つ国々に対し、トランプ政権はNOを表明しているといってよい。その対蹠点にあるのが、中国である。先進国の技術を盗むことを悪とは思わない彼らが、途上国の指導者を丸め込み、新植民地化している。彼らの国民は情報統制化で、血税が何に使われているかも知らない。まさに、新島襄の危惧する政治的教育の問題である。中国の政治教育は、共産党に握られ、プロレタリア独裁の美名のもとプロパガンダに覆い尽くされているようである。
私の世代は、まさに大学紛争の最終ランナー世代で、紛無派とも呼ばれた。左翼思想は、かなりの影響力を持っており、マル経(マルクス経済学)が主流であった。中国ではちょうど文化大革命が行われており、ソ連も東欧の反発があったもののまだ元気だった。しかし、今やそれらの化けの皮が見事に剥がれてしまった。私も、倫理や政治・経済で、マルクスの科学的社会主義を軽く説明はするが、現状を見るに、正義という観念とはかけ離れているとしかいえない。プロレタリアのための政権が、給料未払や失業への対策を置き去りにするなど考えられない。共産党指導者は、プロレタリアから得た剰余価値から汚職で私腹を肥やしており、そんな輩に指導された国家主導の経済活動が、いかにうまく行かないかを中国は実証している。
やはり、新島襄が言うように、最初に教育ありきなのである。








