2026年5月30日土曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅵ

https://mag.japaaan.com/archives/217854
吉村昭の『海の祭礼』を読み終えた。このころの日本の外交はまさに世界情勢に振り回されていた、といっていい話。

ペリーの始めの来航後、かのシーボルトが国書作成に協力、ロシアのプーチャチン(画像参照)が長崎に来る。ご丁寧に各艦船は「おろしあ国」という旗がかかげられていた。これもシーボルトの指示。国書が江戸に送られ、長崎に戻るのに時間がかかり、苛立って長崎を出港、江戸に向かったかに思えたが、プーチャンは上海へ向かっていた。クリミヤ戦争で英仏との開戦を危惧して情報収集をしていた。再び戻ってきたが、回答に不満で、条約締結を求めたうえで去った。

ペリーはペリーで来日の予定を早めている。アメリカ本国でホイッグ党のフィルモアから民主党のピアスに大統領が代わり、ペリーの行動が抑制される可能性、さらには英仏露の妨害を危惧してのことであった。

イギリスは、フェートン号事件(ナポレオンによってオランダはフランスに占領され、国王はイギリスに亡命、国王の依頼を受けオランダの植民地をフランスから奪還する政策を背景に長崎に来航し、オランダ商館員を拉致した事件。鎖国時の日本の国威を辱めたとして、長崎奉行、警備担当の佐賀藩家老らが自刃した。)以来、強い憎悪があったのだが、友好的なスターリング艦隊がやってきた。その理由は、クリミヤ戦争でロシア感染を拿捕するために、英仏の艦船が入港できる港を確保するためだった。長崎奉行水野は、「薪・水・食糧その他の必需品の補給と船の修理のためなら希望に応じるが、戦闘行為のためなら許可できない。日本は世界のいずれの国とも敵対関係にない故戦火にさらされる要求は受けない。日本の港内近海での交戦はゆるさない。戦争目的以外の入港時は日本の国法を必ず守ること」と応じた。スターリングはこの回答を全て受け入れた。これにより長崎・函館の二港の開港を布告(=日英約定)したのである。イギリスは通商には全くと言っていいほど淡白だった。

このイギリス艦隊が長崎を去った翌日に函館にプーチャチンが来る。下田で交渉という時に地震(M8.4)が起こり、会談は中断、ロシアのディアナ号も津波で座礁・大破した。和親条約を結べたが、帰る船がない。優れた船大工を集め、ロシア人設計者と森山ら通詞のもと新たに洋船の建造することになる。意外と、この頃の日露関係は悪くない。プーチャチンは大感謝して、ディアナ号に残された様々な品を関係者に贈っている。

この後、安政に年号が変わり、オランダ、フランスと和親条約を締結する。本書の主人公的存在である通詞の森山もこれらの交渉に深く関わり、蕃薯調書御用(勝麟太郎も入っている)に任ぜられ、官に登用された故に、栄之助から多吉郎と名を改めた。

2026年5月28日木曜日

良かれ悪しかれの第3戦

https://full-count.jp/2026/05/28/post1968005/
ドジャーズは、今日もロッキースにスイープして、西地区の首位として他チームを4.5差と大きく引き離した。大谷投手が、またもやリアル二刀流で先頭打者HRを打った。投手としては、6回無安打で自責点1、まだ規定投球回には足りないが、0.84という凄い数字を維持している。マンシーが3塁に復帰してくれたし、多くの若手メンバーも含めて打線も悪くないし、ブルペンも無失点で抑えたのが、良かれの部分。

しかし、テオヘル選手が怪我で離脱した。これが悪しかれの部分。なんとヘルナンデス2人が怪我。しかもキケは左腹斜筋断裂だという。復活して2試合で打率10割のキケなのに…。テオヘルの怪我が大したことがないことを祈るのみ。

しかし、MLBの過密日程、選手を苦しめているような気がしてならない。

2026年5月27日水曜日

良かれ悪しかれの第2戦

https://www.chunichi.co.jp/article/1257483
ドジャーズにとって、今日のロッキーズ第2戦は、様々な意味で記憶に残る試合となった。まずは、4番に下げられた(?)我が愛するベッツ選手が、HRを2本も打った(2ラン+3ラン)のである。ベッツ選手に牽引され、15点も挙げた。我がキケ選手も1号ソロ、さらに2塁打で、昨日から4打数4安打の打率10割。パヘス選手もスミス選手もHRを打った。凄い。

しかし、大谷選手が右手首に死球を受け、出塁後も爆走して得点。その後ベンチに下がった。明日登板予定なのにである…。本人は明日も二刀流をしたがっているらしいのだが…。心配である。無理はしてほしくない。さらに、痛いのが、10割打者のキケが左脇腹痛で、故障者リストに戻ることになったのである。せっかく戻ってきたのに、残念すぎる。

良いことも悪いこともドラマがいっぱい詰まった試合であったのだ。

2026年5月26日火曜日

キケの復帰とその活躍を祝う

https://news.yahoo.co.jp/articles/f7bbf272ee4d14e68ca49d2496b2f3b88a32130d
ついにキケが帰ってきた。マンシーが死球で離脱した3塁を守り、2打数2安打1打点の活躍を見せた。やっぱり、キケは持っている。(笑)ロッキーズとの本拠地第1戦は、またまた逆転で5-3で勝利した。嬉しい嬉しいニュースだ。

マンシーの死球離脱は心配だが、骨には異常がないようだし、ベストメンバー、残るはエドマンの復帰のみとなった。一方、ブルペン陣の無失点記録は途切れてしまった。とはいえソロHRの1点だけ。大谷選手の連続出塁記録同様、またチャレンジしていってほしいものだ。

2026年5月25日月曜日

対ブリュワーズ戦 勝ち越し

https://www.youtube.com/channel/UCSDobaWqvIttZUa1xXi4sRQ
ミルウォーキー・ブリュワーズとの3連戦は、初戦をロブレスキ投手の不調で落としたものの、第2戦のササミローキ投手と第3戦の山本由伸投手の踏ん張りと、打線の援護もあっていずれも逆転で勝ち越した。第2戦では、テオヘル選手、第3戦ではタッカー選手とパヘス選手の巧打、さらに38イニング無失点とリリーフ陣も頑張ってくれている。

特にタナスコ(タナー・スコット)投手やトライネン投手という名前を聞くと、今だに昨シーズンの打たれまくっていたイメージが強くて、ヤバい気がしてしまう。しかし、38イニング無失点というのは凄い。このままの調子で行って欲しいものだ。

2026年5月24日日曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅴ

https://rintaro95.hateblo.jp/entry/hayasidaigakunokami
吉村昭 『海の祭礼』の書評エントリー第5回目である。日米和親条約のまさに分岐点。アメリカとの通商問題を拒否する場面である。

林大学頭の回答。「たしかに交易は、国に利益をあたえるものでありましょう。しかし、元来我が国は、自国に算出する物のみによって十分に足り、外国から物品を運び入れなくとも、少しも事欠くことはありませぬ。それ故、交易はいたさぬ定めになっており、この国法をただちに廃することは到底できませぬ。使節がわが国に参られたお役目は、人命を重んじ船を安じて航海させることにあり、それらの儀が、ここに解決いたしたものでありまする故、御役目は十二分に果たせられたはずと存ずる。交易の儀は、利益云々のことであり、人命とは縁なきこと。これで御談合はすべて相済み申したのではないか、と存ずる。」

森山は通訳しながらペリーの反応を恐れた。彼は笑ったことなどなく、いつも不機嫌で固い表情をしている。周囲の士官も彼を敬遠している節が見られる。林大学頭の回答の通訳が終わると、そのまま口をつぐみ、何の感情も示さず、思案するように眼を瞬いていた。艦隊を江戸の至近距離まで進め、直接阿部正弘らと談判しようとしているのか。重苦しい沈黙が広がっていた。

ペリーはおもむろに口をひらいた。「貴殿の言われたことには、一理あると認める。たしかに私の使命の主意は、これまで述べた通り人命を尊重し、船舶の航海を安全にすることにある。貿易は、国相互に利益をもたらすが、人命には関係ないことである。貿易問題を要求を強いることは、撤回してもよい。」

日本側に大きな安堵が広がったのは言うまでもないが、随行の士官たちも安堵した。ペリーは、アメリカが中国と貿易を開始するため締結した通商条約の条文(=公文書)をポケットをから逡巡を重ねた後に内ポケットから出した。「必要はなくなったが、持参したので一応見ていただく。」として林に渡した。「一覧することであれば。」と受領した。

その後アメリカ側に応接所の外にいる士官・下士官にも食事を取らせた。有名な蒸気機関車の模型などの贈り物が送られたのは、さらにその後である。

…日米和親条約はこうして結ばれた。林大学頭の通商問題の回答とペリーの「一理ある。」という回答。この辺は、受験の日本史ではあまり深く語られないであろうと思う。それぞれの国家を背負った、見事な論議。あえて当時の言葉をそのまま使うことで再現してみた。海外の読者にはどういう翻訳になるかはわからないが…。

2026年5月23日土曜日

書評 吉村昭 『海の祭礼』Ⅳ

https://mag.japaaan.com/archives/203241
吉村昭 『海の祭礼』の書評第4回。日米和親条約の話を中心にエントリー。第1回目の来航時、国書を手渡してから、艦隊は江戸に向かい威嚇的に、沿岸の1kmほどまで近づく。ところで、第1回目の来航時に、日本人は鎖国によって西欧の知識は皆無だと艦隊首脳は想像していた。最も接触の多かった奉行所与力の香山、通詞の堀に大きな地球儀を持ち出して見せたが、彼らは少しも驚かず、ワシントンやニューヨークの位置を示し、大陸横断鉄道建設のことも知っていたし、機関車と蒸気船のそれぞれの蒸気機関の大きさの相違やパナマ運河の工事状況について訊ねたとされている。オランダや中国経由の書物で、当時の有識者はかなり情報を得ていたのである。またジョン万次郎によってアメリカの情報はもたらされていた。万次郎は琉球に上陸したことが幸いした。薩摩の島津斉彬は50日間も彼から事情聴取を行い、その後、幕府の命令で長崎に送られ、ペリー来航に接しては、幕府の役人となって江戸に控えていたのである。

さて、国書には、3つの要求が記されていた。要約すると、1:アメリカの捕鯨船や中国に向かう商船が荒天で難破することもあり、その折には船員を救出し、財物を保護して引き取りの船が来るまで温かく遇して欲しい。2:石炭、食糧、水を補給しそれに適した港を解放して欲しい。3:国際情勢から見て、日本がオランダ・中国以外の国と貿易を禁じているのは不当である。5年または10年間試験的におこない、利益がないことがあきらかになった折には中止してもよい。というものであった。

第2回目の来航に際して、1年間、国論はなかなかまとまらなかった。筆頭老中の阿部正弘はアメリカ側の要求をおだやかな態度で拒否して時間を稼ぎ、海防を強化する方針を示した。来航直前、海防掛参与の水戸の徳川斉昭と阿部は、難破船員の取り扱いと補給の要求を入れるはやむを得ないと判断した。しかし、通商問題は幕府の基本政策に関わるのであくまで反対するとした。2度目の来航時、羽田沖までペリー艦隊は侵入した。結局横浜村で応接することになり、本書の主人公の1人である森山は、応接掛の林大学頭(幕府の御用学である朱子学者で林家の棟梁)のオランダ語と英語の通詞として再登場する。

林大学頭は、(前述の国書の要求について)「第1・第2については承諾する。しかし第3の交易については、国法でかたく禁じられているので承諾できない」。と最初から述べた。ペリーは、これに対する回答の前に、「突然ではあるがご意見を伺いたい。我が艦隊の1人の乗組員(陸戦隊員)が病死した。他国なら自由に埋葬できるが、貴国は特別に国法が厳しい。どの場所に埋葬すべきか、一応お聞きしたい。」儒学者の林は、「たとえ軽輩の者でも人命に重い軽いはありませぬ。浦賀の寺に仮埋葬すのがよかろうと存じます。」と答えた。ペリーは「浦賀まで戻るのはわずらわしい。今回の話し合いがつくまで1年でも2年でも留まるつもりであり、さらに死人がでるかもしれぬ。」といって顔をしかめた。林は自分たちの決断力をさぐる意図ありと推測し、「この横浜村の寺といたしましょう。後に改葬することがあるかもしれませぬが。」ときっぱり言った。ペリーは「非常に嬉しい。」と感謝の意を述べた。その後、「アメリカは、第一に人命を重んずることを基本としている、自国民は当然、他国及び国交のない国民も、漂流で難儀しているのを見れば力を尽くして救い手厚く扱うことを常としている。」「しかし、貴国は漂流したものを罪人同様に扱い、漂流していた自国民の帰国も見捨てている。非常に冷酷な国だ。」と述べた。

「我が国は、このままでは、日本近海で漂流民の多くの国民の生命を失う。貴国は人類の敵というレッテルを貼られるだろう。人類の敵に対しては国力を尽くして戦争し雌雄を決する覚悟である。」これに対し、林大学頭は、淡々と「我が国は決して仁慈なき国ではない。300年近く泰平が続いている。人命を軽んじていないからこそである。」(本書では、粗野なラゴタ号乗組員のことにも多くを割いている。エントリーしなかったが、脱走したり、ハワイ人の仲間を絞殺したりと、とんでもない連中であった。結局長崎からオランダ船で、マクドナルド氏と共に出国した。)ペリーもこの件(こちらは日本の悪評)を知っていたし、林大学頭も(こちらはアメリカ人の悪評)知っていた。

「もっとも、漂流民の中には、我が国の法を犯して逃走をくりかえすなどの狼藉に及び、やむなく拘禁したことはあります。それらの者どもが、貴国に帰り、あたかも罪人の如く扱われたなどと言いふらし誤った伝聞として広がったものであると推測いたします。我が国の国情につきお考えいただければ、疑念もたちまち氷解すると存じます。」と、ゆるぎない厳しさで語った。ペリーは「あなたの言われる如き国柄で、今後、薪、水、食糧、石炭等を与え、また漂流民を温かく扱うのであれば、これ以上言うことはない。今日以後、必ずそれを守っていただきたい。」と静かに言った。林は「承知つかまつった。」と答え、第1・第2の要求事項には諒解点に達した。問題はここからである。ペリーは強い口調で通商問題の承諾を迫った。…つづく。