2026年3月7日土曜日

日本ESD学会近畿地方研究会

https://www.soai-dosokai.jp/
奈良教育大学に送った2番目の教え子が、今、S大学で准教授をしている。彼の尽力もあって、S大学で日本ESD学会近畿地方研究会が開催された。是非ともと言われ、一般(すなわち正会員ではない存在)として参加させてもらった。彼も立派になったもんだ。今回の事務局長として走り回っていた。嬉しいねえ。

午前中は、”フィッシュボウル・ディスカッション”という、全体の輪のなかに、もう一つ小さな輪(発言する場)をつくって「わたしたちはなぜESDに取り組むのか」というテーマで、若手の会を中心に議論が進んだ。ここで、気づいたのだが、参加者は圧倒的に奈良教出身者が多いことである。少し内輪的な会話も見られたが、内容は小中学校におけるESD実践の難しさや喜びなどが語られた。大学の退役・現役の先生方も小さな輪に入ってこられたりして、奈良教育大学のESD教育の師弟の絆・先輩後輩の親密さを強く感じた感銘を受けた次第。

昨日のサクラサクで奈良教育大学にお世話になる教え子にも、学校に勤めてからも続く、こういうESDの学びの輪の中に入っていって欲しいと心底思った。今春院に進む女子学生さんと話していたら、教え子と専攻も部活も同じで驚いた。

https://www.soai.ac.jp/information/news/2024/04/post-185.html
昼休みには、学内に教え子が作ったビオトープや田んぼも見学した。地域の子供達とともに学生が世話をするそうだ。

午後には、研究発表を聞きに行った。印象深かったのは、神戸常盤大学の深川幹さんの発表。「共有資源をめぐる意思決定のジレンマを体験するゲーム型教材の開発」である。これは同級生だった教え子との共同研究であるらしい。中学理科の教員志望者の教科指導法の授業実践である。コモンズの悲劇を基礎として、水・エネルギー・海洋(資源)・陸上(資源/鉱産資源や森林資源等)を4人がカードでそれぞれの資源を取得しながら、自己の利益を争うゲームである。初級ではアトランダムにカードを配布。それぞれの資源には当然ながら限界があり、資源が枯渇するとゲームセットになる。中級では、プレイヤーは、ドラフトで他のプレイヤーに見せながらカードを得ていく。上級はまだ実践していないらしいのだけれど、様々なプラスやマイナスのミッションが隠されているという前提で行われる。大学生故に、このゲームで様々な思考をしてくれるようだ。

これまでESDのシミュレーションゲームを創作して行きた私としては、およその感覚は掴めた。午前中のディスカッション時に離席で、内容について少し話し込んでいたこともあって、実に興味深い内容だった。使用したパワーポイントを送ってほしいと後でお願いしたくらいである。

ただ、社会科から見ると、様々な疑問が起こる。司会者の先生も社会科だったようで、資源となると需要と供給とか、経済的な問題として捉えてしまうので、あまりに簡素化し過ぎではないかという意見を発せられた。これは十分理解できるが、あくまで理科の教材であるから、目くじらを立てる必要もあるまいというのが私の意見。シミュレーションゲームには、必ず落とさなければならない論点が生まれる。どこから見ても完璧なシミュレーションゲームは存在しない。

私なら、これに札束を刷って使いながら進めると思う。資源が少なくなれば価格は上がるという発想は社会科の場合である。南北貿易ゲームでは、ファシリテーターとして、実際に需給関係で価格を上下させる。…なんか、また新しいシミュレーションゲームを作ろうかという意欲が少し湧いてきた。(笑)

2026年3月6日金曜日

奈良教 3度目のサクラサク

https://www.toshin.com/daigaku/nara-kyoiku
午前中に、奈良教育大学の合格発表があって、学院の生徒からサクラサクの報告があった。実に嬉しい。M高校時代に、私の英語科クラスから一浪の末に男子1人、ESD(持続可能な開発のための教育)の弟子で、国語科から男子1人、そして今回で、教え子3人目である。

私は教師になりたいという生徒には、まず奈良教育大学を推す。理由はやはり関西のESDの拠点校(ユネスコスクールの指導校)であるからである。小学校課程でも、専門教科を学ぶ中等過程でもESDの学びを大学時代にしておくことは重要だと思っているのである。

私が関わった頃のESDには、開発教育(途上国の問題を扱う)、人権教育、平和教育、環境教育、異文化理解といった5つの柱があったのだが、SDGsの登場で、それらが包括的に取り扱われるようになった。私の専門は、アフリカを中心とした途上国の問題に関わる開発教育であり、創作シュミレーションゲームをいくつか作り、日本国際理解教育学会で何度も発表してきた。おかげで、初版の学会の監修する事典にシュミレーションゲームの項の執筆を許された。ただ、マレーシアに行ってからは、同学会とは縁が切れてしまった。

奈良教育大学で、同学会が開かれ、研究発表したこともあるし、請われて個人的に発表させてもらったこともある。私とも縁の深い大学である。サクラがサイタ学院の生徒にも、充実した大学生活と将来への道を切り開いて欲しいと願っている。

2026年3月5日木曜日

イラン情勢と展望Ⅲ

https://www.youtube.com/watch?v=EaWMHqhMfAE
アメリカとイスラエルの空爆は、あれからも、ずっと続いている。制空権を奪われたイランは悲惨である。湾岸諸国の米軍基地と石油関連施設に攻撃しているが、キプロスにまで攻撃したことは、NATOの集団的防衛権を犯すことになり、英仏の介入が現実的になった。そのうちクルド人の動きに呼応してトルコも動くだろう。湾岸諸国も黙っていられない状況にある。ロシアと中国は完全にイランを見捨てているようだ。この件については以下のYouTubeがアニメ付きで実に詳しい。イランは破滅に向かって進んでいる。国民のためにも全世界のためにも一刻も早い平和を望みたい。

https://www.youtube.com/watch?v=EaWMHqhMfAE

2026年3月4日水曜日

全米宗教組織別の世帯収入分布

https://www.pewresearch.org/short-reads/2016/10/11/how-income-varies-among-u-s-religiousgroups/#:~:text=While%20there%20is%20a%20strong,with%20both%20religion%20and%20income.
「宗教からアメリカ社会を知るための48章」(上坂昇著/明石書店)の、アメリカのヒンドゥー教についての第7章には、興味深いグラフが載っている。(上記画像参照/少し拡大可能)これは、宗教組織別の世帯収入の分布図である。

右側の色の薄い方が低収入($3万未満・$5万未満・$10万未満・$10万以上)となっている。所得のトップは、ユダヤ教、2位はヒンドゥー教、3位はアメリカ聖公会(英国国教会)、4位は長老派USA、5位は無神論、6位は不可知論(神の存在や宇宙の真理を人間は認識不可能とする立場/無神論も否定。)、7位正教会、8位合同キリスト教、9位アメリカ福音ルーテル教会、10位合同メソジスト教会、11位アメリカ長老派教会、12位ユニテリアン・ユニバーサル教会、13位ルーテル派ミズーリ・シノッド、14位モルモン教、15位イスラム教、16位全アメリカ成人平均、17位カトリック、18位特定宗教なし、19位チャーチ・オブ・クライスト、20位南部バプティスト教会、21位セブンスデー・アドベンティスト、22位仏教、23位アッセンブリー・オブ・ゴッド、24位アメリカン・バプティスト教会、25位チャーチ・オブ・ゴッド・イン・クライスト、26位ナショナル・バプティスト・コンベンション、27位エホバの証人 (Pew Research Centerによる)

聞き慣れないプロテスタントの宗派もあるが、およそ学歴との関係性もありそうである。全米の大学卒業者はおよそ27%。ちなみにアメリカ移民となったヒンドゥー教徒は77%でトップ。大学院卒となれば48%と異常なほど学歴が高い。(ユダヤ教徒は59%と31%)インド本土の成人就学年数は5年なので、まさに超エリート集団だといえる。

…昔読んだアメリカの宗教の本で、バプティストで成功した人物が、次の世代ではメソジストになり、さらに聖公会にかわっていくという構図が示されていたのだが、まさに実証されているといえよう。

沢木『天空の旅人』断片1

https://tibet-inori.com/tibetan-buddhism-gotai-tochi/
沢木耕太郎の『天路の旅人』(新潮文庫)を、病院や免許更新や確定申告の待ち時間に読んできた。いっぺんに読むと4月からの通勤の時困るので、あえて緩歩しているわけである。

さて、昨日性的マイノリティと聖書について、仏教ではそういう罪という概念がないと結んだのだが、ちょうどそういう場面も『天路の旅人』にあったので、このノンフィクションの興味深い箇所をエントリーしようと思う。書評と言うより、断片である。(あまりネタバラシしたくない故である。)

まず、この『天路の旅人』という沢木のノンフィクションが生まれた背景(第1章)である。このノンフィクションの主人公・西川の『秘境西域八年の潜行』という紀行の存在があり、これは、違う出版社から2回発行されたが、いずれも完成品ではなかった。これを沢木が、生前のインタヴューと、生原稿の発見から完全版を書いていくのである。実は、この経緯が奇々怪々で面白い。…以下断片。

1933年、蒙古との友好をはかる善隣協会という財団法人が設立され、内蒙古の張家口に今西錦司や石田英一郎、梅棹忠夫といった戦後の民俗学・文化人類学を主導する才能が集まる梁山泊となった。主人公の西川は、中学卒業という学歴の壁から満鉄をやめ、この善隣協会が作った興亜義塾に入塾する。

…特に、梅棹忠夫は、昔、国立民俗学博物館での特別展を見て、その探究心と英知、カード整理や写生の緻密さに感激した思い出がある。

最初の旅で、西川が学んだことの1つ。進行方向に小便をしてはならないというモンゴルの掟。進もうとする地を汚すことになるからである。

巡礼ラマ僧になりすましていた西川が、元旦の法会に参加したが、経典が読めない。しかし口を動かせなくてはならず、仕方なく教育勅語(チンオモウニワガコウソコウソ…)とぶつぶつ唱えていた。

…大学での教育学レポートで、教育勅語について書いた経験があるので、私もはじめの方は暗唱できる。大正生まれの人は、教育勅語と代々の天皇の名前を全て暗証できることは、今は亡き母親から聞かされている。

西川が、初めて親しい者の風葬に出会った場面。遺体を運ぶ日と方角を占ってもらい、死体運搬人が戸板に乗せ、死体捨て場の谷間に運ぶ。2日後に見にゆくと白骨化していた。遺体の肉が食べ残されていると、今生で悪行をしていたことになるそうである。

バロン廟の主・ラマタン活仏が病に伏し、廟にいたラマ僧全員に叩頭(こうとう)が割り当てられ、合計10万回捧げられることになった。西川もまた、両手を合わせて額から胸まで下ろし、体を地面に投げ出すようにひれ伏し、また立ち上げるということを石畳で繰り返した。要するに「五体投地」(画像参照)である。しかし、活仏は亡くなった。火葬は空気を汚すとされるのだが、高貴な人は汚さないので火葬にされた。

駱駝を曳く駝夫(だふ)として出発した西川一行だが、初日に7頭の駱駝が行方不明になった。家に戻っていた。駱駝にはそういう習性があるので、とりわけ旅の初めは注意しなければならないことを学んだ。ちなみに蒙古人は自分の駱駝を見事に見分けられるそうである。

ラマ教では、テングリ砂漠を徒歩で超えると、膨大な大蔵経(経・律・論、全ての仏典)を読む以上の功徳があるとされている。西川はそれを達成した。

さて、最初に記した”性的マイノリティと聖書について、仏教では罪という概念がない”という話。バロン廟からジュン廟に向かった時に、西川は日本人女性と見間違うほどの美女に出会った。「なんとも美しい娘だったなあ。」と言うと、ラマ僧は吐き捨てるように「女は汚い。」「ロブサン(西川のこと)、おまえはバンダ(男色相手の若い少年)より、女のほうが好きなのか。」「(慌ててラマ僧として当たり前の答えとして)いや、俺だってバンダのほうが好きさ。」というやりとりが出てくる。

ちなみに、ラマ教(=チベット密教)には、4大派閥がある。ニンマ派とカギュ派は僧が妻帯することを認め、サキャ派は教主だけが妻帯することを認めているのに対し、最大のゲルグ派はいっさいの妻帯を認めていない。ゲルグ派に属するダライ・ラマやパンチェン・ラマが”生まれ変わり”によって代を繋いでいるのは、そういう理由によっている。

…仏教における不邪淫戒は、不倫や暴力的な性行為を戒めるものであり、平等観の強い仏教では、LGBTQに対する偏見は、一神教に比べて極めて少ないといえるのである。

2026年3月3日火曜日

性的マイノリティと聖書

https://www.youtube.com/watch?v=mNKgYlsurRc
「宗教からアメリカ社会を知るための48章」(上坂昇著/明石書店)は、反トランプ的=リベラルな立場から描かれていることを先に述べた。その好例として、性的マイノリティ(=LGBTQ)と宗教の話が33章に書かれている。本日はこの件についてのエントリー。

旧約聖書の創世記の19章のソドムの物語やレビ記の18・20章には「G」について、また新約聖書のローマの信徒への手紙1章には「L」について禁止の文言がある。著者はもちろん否定的な見解を示している。

同性愛を認めるアメリカの教会についても詳しい。世界初の同性愛者の聖職者による同性愛者のための教会は、メトロポリタン・コミュニティ教会(MCC:画像参照)。1968年、ロス・アンジェルスで創設され、世界22カ国に教会(信者数4万3千人:米国内2万人超)があるという。

主流派教会としては、1957年にカルバン派の会衆派教会と福音改革派教会が合同して説された合同キリスト教会(キリスト連合教会:UCC)が最も寛大で理解があるとされる。1972年に「G」、1982年に「L」の聖職者を任命、主流派教会で初めて同性婚を承認した。「T」の聖職者も27人いる。但し、一枚岩ではないようだ、また、アメリカ聖公会(=英国国教会)も同性愛者を神の子として認め平等であるとしている。2018年からLGBTQの結婚儀式を行っている。

一方、批判的なのは、南部バプティスト教会(SBC:1600万人)歴史的な黒人差別には謝罪しているが、LGBTQには断固反対。聖書の言葉を忠実に守って生活している故であるが、門前払いはせず、再教育のために受け入れるという立場。2017年にLGBTQに批判的な福音派の教会が保守的な神学的立場を「ナッシュビル声明」を出したが、SBCはその中心となった。

プロテスタントで2番目に大きな合同メソジスト教会も、同性愛はキリスト教の教義と相容れないと明記しているが、2019年に、この問題で分裂した。アメリカ・カトリック教会(7000万人)は、同性愛行為は罪深い、許されない行為であるが、行為をしていない同性愛者は罪がなく受け入れるとしている。本家のローマ・カトリック教会は、同性婚は創造主の計画に合わないので祝福できない、同性愛行為は罪と断じている。

これらを読んでみると文脈のそこかしこに著者のリベラルなスタンスが、かなり強調されている。私はブディストとして、別にLGBTQの人々の人権問題を云々する立場にない(つまり仏教では、同性愛は罪という概念がそもそもない故)ので、フツーに通読したのだが…。

宗教からアメリカ社会を見る

「宗教からアメリカ社会を知るための48章」(上坂昇著/明石書店)を、聖セラフィムの本とともに学院の図書館から借りてきていた。このところ、イランの問題とかがあって、なかなか読めなかったのだが、いよいよ読んでいこうと思っている。エリア・スタディーズの一冊であるので、項目にしたがって興味のある箇所から読んでいけるという利点もある。

まずは、著者のスタンスから。著者は完全な反トランプである。「(長年アメリカを研究してきたが、)トランプ再選時に縁を切ろうかと考えた。」と、あとがきに記している。私は、民主党の方が危ないと思っており、とはいってもトランプ政権の正義を信奉することもない。冷静に歴史の評価を待ちたい、というスタンスである。よって、読んでいて違和感を覚えるかも知れない。しかしながら興味深い項目が並んでいるので、粛々と、書評を記していくつもりである。