2026年2月24日火曜日

熱帯の経済が発達しない理由

https://www.youtube.com/watch?v=XQ-ITuArBLA
地理の教材でも使えそうなYouTubeを発見した。https://www.youtube.com/watch?v=XQ-ITuArBLA

経済が発展しているとは、国民1人あたりの付加価値が多いことを意味する。この付加価値を多く生み出すためには重化学工業が発達する必要がある。この重化学工業は、資本集約的産業という特徴がある。つまり、設備投資に膨大な金が必要である。これは「蓄財」への取り組みこそが重要であることを意味する。このYouTubeでは、蓄財を不道徳とするカトリックと、不道徳ではないとするプロテスタントの相違でヨーロッパの南北格差を説明している。さらに、蓄財の背景として、気候の相違からも語られる。Cs(地中海性気候)の南欧では、温暖故に食料を貯めるという行為は愚か(=腐らせる)な行為であり、北欧はその逆になる。高温多湿な熱帯(A)は、ヨーロッパの例から導かれる(食料の)備蓄の文化の無さが顕著であり、蓄財への意識も同様である。

農業の生産性の問題も大きい。生産性の高い国ではと蓄財が可能だが、低いと不可能である。熱帯の地質は、微生物の働きが活発すぎて、落ち葉や遺骸が分解され尽くしてしまい、土壌に還らないという特徴がある。Af(熱帯雨林気候)やAm(熱帯モンスーン気候)では、多大な降水量が養分を洗い流してしまう。樹木が多いことと土壌が豊かであることは関係しない。熱帯の樹木は根から酸を放出して、土や岩を溶かし痩せた土地から養分を得ることができる能力がある。これにより、土壌が酸性化し、作物にとっては成長が鈍る。伝統的な焼畑農業で生まれる灰や炭はアルカリ性で中和させる事が可能だが、どうしても生産性は低くなる。よって農業従事者の蓄財は厳しくなるのである。ところが、日本では渋沢栄一が、農業従事者に蓄財を勧め、銀行に預金を集めて、資本を形成したという過去があり、このことが日本の経済的成功の重要な一因だと説いている。…なるほど。

最初に、「教材に使えそうな」と書いたのだけれど、途中、もろにカトリックの悪口が語られていて、カトリックの学院で、直接このYouTubeを見せることは諦めた次第。(笑)

2026年2月23日月曜日

トランプ関税 違法判決の件

現在世界を揺るがしているトランプ関税に、連邦最高裁判所が違法判決(6/9)を下したとの報が流れた。これだけの情報を聞くと、グローバル経済に異を唱えてきたトランプ政権に鉄槌がくだされた様に聞こえるし、各国にすごい影響を与えるように聞こえるが、詳細を知ると、すぐに影響が出るとは思えない話だった。

北米の情報で最も信頼できるYouTubeチャンネル(https://www.youtube.com/watch?v=cUOzraMhOJ8)によると、トランプ関税の根拠になっていたIPEEA(国際経済権限法)に、関税の具体的な規定がない、だから違法、という話である。政府は、その他の法律を使うカタチで継続を行うようである。下級裁判所で敗訴していたころから、すでに対策をしていたようだ。このあたり、法の支配が徹底しているアメリカの三権分立体制とともに、優秀な行政官僚の存在を意識せざるをえない。(今回もAIでイラスト画像を作ってみた。)

ちなみに、朝日新聞のYouTubeを見てみたが、かなり批判的な表現をしていた。この辺は、オールドメディアの限界のようだ。

2026年2月22日日曜日

米国のイラン攻撃 秒読みか

イランとアメリカがジュネーブで、核やミサイルの交渉を行っているが、どうも雲行きが怪しい。これ以上のイラン側の防御のための時間稼ぎに、イスラエルもアメリカも忸怩たる思いだろう。しかし、アメリカは決して地上戦には持ち込まないと思われる。イランの十二イマーム派は、過激なようで意外に理性を重んじる。アメリカを長期戦に引き込む戦略を練っている可能性が高そうだ。それを回避するために膨大な戦力を、2つの空母打撃群だけでなく中東の各国の米軍基地に配備している。脅しというにはあまりに多い軍事力の結集である。

ところで、このイラン攻撃は、引き金でしかないとする見方がある。アメリカが本当に狙っているのは、中国であるという。中国はイランから大量の石油を、密輸(マレーシア産と偽って)しているようだ。イランの石油生産が崩壊すれば、他のどの国よりも影響を受ける。輸入量が減り、石油価格が高騰し、電力供給やガゾリン供給(=輸送コスト)に支障をきたす。製造業への影響は計り知れない。しかもコスト・プッシュ・インフレが起こり、今でさえ不安定な治安が悪化することは目に見えている。極めてきつい揺さぶりである。ロシアも中東の足場を失うことになるのだが、アメリカの冷戦2.0の矛先は、あくまで中国であるようだ。(今回もAIで画像を作成してみた。)

2026年2月21日土曜日

市民歴史講座に参加してきた

久しぶりに、枚方市の市民講座に夫婦で参加してきた。今回は、京都橘大学の飯塚一幸教授(日本近代史)が、詳細なレジメを元に、枚方市の都市化と軍需工場について講演していただいた。妻がこういう内容に興味があったので参加したわけだが、枚方市が、京阪電車と軍需工場によって都市化が進んだことがよくわかったのだった。

面白かったのは、現在の関西医科大学や大阪歯科大学の前身は、枚方に早く誘致された(京阪電車の収入増のため)ものの、旧制中学はなく、大阪市の新設中学の候補地に枚方(町)が手を上げ、誘致したのが、現在の府立いちりつ高校(旧大阪市立高校)であるそうだ。当然ながら、私はいちりつ高校との関わりは深いのだが、1校だけ大阪市外にある不思議な存在だった謎が今になってわかった。また、戦時中には、京阪沿線にある、現在お世話になっている学院も女子学徒動員に駆り出されていたこともわかった。

会場は高齢者でほぼほぼ満員御礼状態だった。かく言う私たちも高齢者なのだが…(笑)

2026年2月20日金曜日

ロシア正教会と聖セラフィム3

https://monasterium.ru/monastyri/svjatiny/istochnik-prepodobnogo-serafima-v-poselke-
「ロシア正教会と聖セラフィムーその霊性の源泉を求めて」(及川信/サンパウロ)の書評。次に、聖セラフィムの言行録や記録から、聖霊(正教会では聖神)による神との合一についてエントリーしたい。聖セラフィムは著作を残していない。沈黙の苦行を終えた後の約8年間に多くの人と会ったうえでの言行録、また弟子・モトフィロフとの対話、さらに列聖の記録などから、これまでの教義的な神との合一ではなく、具体例を抜粋しようと思う。

師父(聖セラフィム)は、「主イイスス・ハリトリス(=イエス・キリスト)、神の子よ、われ罪人を憐れみ給え」という祈りを、道を歩いている時も、座っている時も、働いている時も聖堂にある時も、心の内で唱えるばきりではなく、口に唱えても生活しなさいと教えた。絶えず神の名を呼ぶならば、心の内が安らかになり、同時に体も心も清くなり、そして神・聖霊があなたの内に宿るでしょう、と。(言行録より)

聖霊降臨の時、神の深い配慮から人間に伝えてくださる永遠の生命の言葉の全てをはっきり聴くために、私たちは完全な沈黙の中にひそまなくてはなりません。(モトフィロフとの対話より)

(聖霊が私たちと共にいるのかいないのかを、どのようにして知るのか?という問に対して)聖書の奇妙な出来事、たとえば「アダムは園の中で主の歩まれるのを見た。」という箇所(創世記3-10)や、モーセの口を通して聖霊が語っていること、使徒パウロが「私たちはアカイアへ行き、聖霊は共に行かなかった。そこで私たちがマケドニアへ戻ると、聖霊は共におられた。」(使徒言行録16-6~10)など、聖霊の顕れが理解不能という人がいる。だが、初期のキリスト教徒が現在の我々より純粋に信じてたことが重要で、ヨブ記に、神を冒涜していると友人がヨブを非難した際、「私の鼻に神の息を感じる時、どうすることができるのか。」(=聖霊が私と共にある時、神を冒瀆できようか。)と述べている。(モトフィロフとの対話より)

列聖の際の調査によると、聖セラフィムの祈祷によって奇跡(=神恩)が起こった事例(細かな証拠があると認められたもの)は94件あった。それ以外にも数百通の書面がサーロフ修道院に残された。特に有名なのは、馬を盗まれた農民が、その居場所を聞きに来た際、明確な場所を示し見つかったという話である。また、師父の死後も聖セラフィムの泉(画像参照)での奇跡談(目が見えるようになったり、口がきけるようになった、歩けるようになった等)も数多い。(列聖の記録より)

最後に、聖セラフィムは、白い修道服を常用していた。これはめずらしいことで、受難と十字架の死を意識して、修道士は黒や濃茶などの常用するのが普通。公祈祷時や洗礼時に白を着用するのだが、日常生活がすばらしい喜びに満ちていた故と言われている。これは常に聖霊と共にあったことの証明といえるかもしれない。

…聖セラフィムの信仰実践を知り、純粋な深い祈りの365日24時間の持続の中で、聖霊が宿っていたことが理解できる。特にイイススの祈りは、仏教における題目やマントラ、イスラムのスーフィズムのズィクル(「アッラー・アクバル」:神は偉大なり・「ラー・イラッハー・イッラ・ッラー」:アラーの他に神はなし・神の99の美名などを繰り返し唱える)などとの共通点も多い。ブディストとして、同様の感覚を多少理解できるところである。

2026年2月19日木曜日

ロシア正教会と聖セラフィム2

https://frgregory.hatenablog.com/entry/2021/01/15/205632
「ロシア正教会と聖セラフィムーその霊性の源泉を求めて」(及川信/サンパウロ)の書評。聖セラフィムの生涯を辿っていきたい。

1759年、クルスク(ロシアのクルスク州州都/ウクライナから見れば東北の国境地帯)に、レンガ製造工場や建築業を営んでいた父(敬虔・誠実な人だったが、彼が三歳の時に死別)と父の家業を引き継いだ母(貧しい娘や身寄りのない娘を養女にすような気丈な人)の次男として生まれた。兄は商売を営み、彼を商売人にしようとしたが、向いていなかったようで宗教書を読みふけっていた。19歳になった1778年12月3日に、院長が両親と親しいサーロフ修道院に入門した。ちなみに翌日12月4日は、生神母マリアがエルサレム神殿付属の女子神学校に入った記念日である進堂祭であった。

修道院の雑務に励みながら、サーロフの森で厳しい修練の生活を送っているのを見学していた。1780年、激痛を伴う水腫を発病。医者の診察を拒み、「聖なる父、霊と体の真の医師、我らの主イエス・キリストとその母マリアにすべて委ねているので十分なのです。」と言った。10歳のときにも重病で生死を彷徨ったが、夢に生神母マリアが現れ、癒やされる軌跡を体験していたからで、この時も生神母マリアがペテロとヨハネを伴って現れ、祝福して彼の右腰に手を当て、穴が開いて水が流れた。この傷跡は生涯残ったという。その後、3年間療養することになる。奇跡のあった小屋跡には、聖堂と三階建ての病院が建てられている。

1786年セラフィムの修道名で修道士の誓いをたて、故郷の母と別れを告げる。27歳である。この頃から神秘的な奇跡を体験することが多くなり近くの森に小屋を建て修練を積む時間が多くなる。1793年に司祭となり、翌1794年に修道院を離れ、6kmほど離れた森での隠遁生活に入る。生神母マリアの聖像が飾られ、椅子代わりの木片1つが床に置かれ、ベッドはなし。ストーブにはほとんど火を入れず、四季を通じて白い麻の修道服1枚。いつも背負っている袋には大切な福音書。彼は、この地を聖山アトス(ギリシアの正教会の聖地)と呼び、小屋の周囲にイスラエルの地名をつけた。ナザレで生神母マリアのために祈り、ゴルゴダでは六時課と九時課(正教会の修道院の奉礼で、六時課は正午にイエスの十字架刑、九時課は午後3時でイエスの死をそれぞれ記念して行われる)を唱えた。タボル山では主の変容祭(イエスが光を発したよされる山/変容祭はそれを記念する祭)の福音を朗読し、ベツレヘムでは「至(い)と高きには光栄神に帰し~」の(イエスの誕生を祝う)聖歌を歌うといった具合である。

修道生活の基本である祈祷・斎(ものいみ:食事などの節制・断食)・独居・廉施(周囲の人や自然への優しい思いやりのある言動)を、人の霊魂を神の国へと運ぶ”四頭立ての馬車”と呼んだ。サーロフ修道院と同様の祈祷日課や最も厳しいと言われていた聖パコミコス修道院の夜間祈祷も行い、日曜日には司祭として修道院に帰り、領聖(カトリックで言う聖体拝領)も行っていた。有名な話で、小屋にやってくる熊や狼、兎、狐、狸、小鳥や蛇にも食料を分け与えていた光景が多くの修道士に目撃されている。(画像参照)

1804年3人の乱暴な農民強盗が、小屋に乱入した。土曜日だったので重症にも関わらず修道院に向かっているとこを発見された。血に塗れ意識が混濁していたが、7日目に生神母マリアがペテロとヨハネを伴って現れ、奇跡が起こり回復する。5ヶ月後には小屋に帰れたが杖無しでは歩けなくなっていた。強盗犯たちは捕まり牢獄に収監されたが、減刑と赦免を嘆願し。釈放された3人は修道院を訪れ謝罪したという。

またサーロフ修道院の当時の院長の永眠後、院長就任を断り、沈黙の修行に入っていく。1810年、長年暮らした小屋を離れ修道院に帰院。1825年、生神母マリアから「沈黙の苦行を終えて小屋に帰り人々に教えなさい。」という黙示を受け、15年間の沈黙をやびり、修道院近くの庵で、夜の8時まで人々に会った。修道士や聖職者、農民、商人、軍人、貴族などあらゆる階層、あらゆる年齢の人々が各地からやってきた。1789年、サーロフ修道院が庇護していた女性の共同体を、女子修道院を開くことに尽力した。1833年、ロシア歴の元旦の日曜日、祈祷後修道士1人ひとりに別れの挨拶と祝福をし、埋葬されるはずの土地を訪問し、庵で復活の讃歌をいつもより大きな声で歌った。そして、翌日、聖像の前で跪き、祈祷したままの姿勢で息を引き取っていた。

…なんとも感動的な生涯である。正教会最高の聖人と言われるのも納得である。

2026年2月18日水曜日

ロシア正教会と聖セラフィム

学院の図書館でまた宗教にまつわる本を3冊借りてきた。「ロシア正教会と聖セラフィムーその霊性の源泉を求めて」(及川信/サンパウロ)から読んでいこうと思う。正教会の学びの中で、登場した聖セラフィムの伝記である。正教会の聖霊(エネルギア)を呼び込んで、キリストと一体化するという正教会の教義は理解したが、具体例を知りたくて書棚から選ばせてもらった。

ところで、今朝宗教科のI先生と、休憩室で一神教について話がはずんだ。I先生は、J大神学部出身で、カトリックの立場から様々な質問を受けていただける貴重な存在である。学び、そして議論することができる極めて比較宗教学的に有効な空間が、学院にはあるわけである。実にありがたい。