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| https://hosei-ch.xsrv.jp/wp3/?p=1133 |
著者は、朝鮮の人々の憎悪を、為政者も軍部もそして一般庶民も、日韓議定書の締結以来その併合までの経過が、朝鮮の人々の意思を完全に無視したものであることを十分に知っていたし、総督府の過酷な経済政策によって生活の資を得られず日本内地へ流れ込んでいた労働者が、平穏な表情を保ちながらもその内部に激しい憤りと憎しみを秘めていることも気づいていていたが、そのことに同情しながらも、被圧迫民族の宿命として見過ごそうとする傾向があった、日本人には一種の罪の意識が潜んでいた、と書いている。
東京市では軽微な盗難が随所に見られたが、横浜市では大規模な強盗事件が起こった。それは組織立った集団的なもので、災害に乗じた極めて悪質な性格を持っていた。その代表的なものが、立憲労働党総裁山口正憲を首謀者とする集団強盗事件である。横浜市中村町の小学校に避難していた、余震と火災の中、飢えと渇きに対する激しい不安を抱えていた人々を、山口は扇動して物資を調達しようと企てたのである。立憲労働党総裁を名乗って、拳を振り演説し、横浜震災救護団を結成したいと提唱。団長に推挙され、決死隊と称する体力に恵まれた男たちに、赤い布を左腕に巻き付けさせ、物資の強奪を指令した。日本刀、竹槍、鉄棒、銃器などを手に、市内の類焼をまぬがれた商店や外人宅を襲い、凶器をかざして、食糧、酒類、金銭等をおどしとって歩いた。9月1日午後4時頃から4日の午後2時まで17回にわたり繰り返された。この決死隊の行動は、自然に他の不良分子に影響を与え、横浜は、地震と大火に致命的な打撃を受けると同時に強盗団の横行する地にもなったのである。
そうした不穏な空気の中で、「朝鮮人放火す」という風説が、本牧町を発生源に流れてきた。強盗団は朝鮮の人々だという憶測が生まれた。そもそも朝鮮の人々と日本人の風貌は見分けがつかない。一般市民はこの憶測に同調した。後の裁判で、山口らが朝鮮の人々の名を騙ったことはないことが判明している。彼らの犯行が一般庶民によって朝鮮の人々のものと解釈されたといってよい。…つづく。
…どうも世界情勢がきな臭い。電気や水道、ガスなどのライフラインが(戦争のために)サイバー攻撃で止められる可能性を、日本を始め欧米諸国で公式に訴えられている。この関東大震災の歴史を知れば、情報が絶たれた時、流言が独り歩きし怪物になりうるということを知ることになる。歴史は活かされるのか、繰り返すのか…。










