2026年10月31日土曜日

ハロウィンである。

https://www.lvtaizen.com/1371/
今日は、ケルト人の1年の終わり、ハロウィンの日である。ミルウォーキー・ブリュワーズがWSを制したこともあって、私が始めて経験したミルウォーキーのキングス高校(下記画像参照)でのハロウィンの様子を記そうかと思ったら、2011年11月5日付けのブログで「ハロウィン in Milwaukee」としてすでに記していた。(笑)もしよかったら、古いブログを除いてみて欲しい。

https://en.wikipedia.org/wiki/Rufus_King_International_High_School#/media/File:20200913_144957_HDR.jpg
当時の日本ではハロウィンは、まだ市民権を得ていなかった。今は日本でもカボチャの飾り付けなど、商業的に盛り上がっているけれど、隔世の感がある。

せっかくなので、ミルウォーキーの別の話を。ミュルウォーキー空港は、「酪農の州」らしく、ホルスタインの大きな模型が飾られていた。ドイツや北欧系の移民の町なので、ビール(ミラーという銘柄)でも有名である。公共バスまで、ホルスタインのデザインだったのには驚いた。

ミルウォーキーの博物館は、決して大きくはないのだが、移民の文化的な相違を示す展示があった。ユダヤ系のエリアには、数多くの書籍やバイオリンが並んでいたし、ロシア系のエリアには正教の十字架が飾られていた。アメリカの博物館はいろいろ行ったが、ここも実に素晴らしい展示をしてくれていた。他の先生方は、早々にホテルに戻られたのだが、私は1人残って、これらをスケッチしていたのを思い出す。

博物館を出た後、交差点で喫煙していたら、1人の男性が、”Excuse me”と言って、胸ポケットに手を入れた。私はかなり緊張したのだが、煙草を出して、火を貸してくれないかと言ったのだった。(笑)そんな思い出もある田舎町・ミルウォーキーである。

吉村昭「関東大震災」を読む3

https://www.oshinaka.com/1271.html
正直なところ、関東大震災のことはよく知らなかった。関東大震災=朝鮮の人々の虐殺というくらいの知識であった。この虐殺のことは後述するとして、以後、本書を呼んで、意外だったことをアトランダムに記していこうと思う。まずは火災のはなしである。

震災時の風速は南向きあるいは南東方向で、低気圧の影響を受け、風速10mから15mという激しいものであった。正午寸前の時刻だったので、各家庭のカマド、七輪で火を起こし昼食準備の時間であったこと、飲食店でも最盛期であったので、たちまち火災が起こった。さらに最大の発火原因となったのが、薬品だったことである。学校、試験所、研究所、製造所、工場、医院、薬局にあった薬品類が、棚から落下して発火した。特に学校からの出火が最も多く、東京高等工業学校や東京帝国大学の工学部や医学部、薬学など多くの場所で出火した。地震発生と同時に東京市内の15区全てで火災が発生した。強風にあおられ、最も速度が早い火系は毎時800m以上の速さであった。日没時から11時頃まで、風速も26~7mにも及び、被害が拡大した。鎮火までには42時間かかったとされる。

この火災による死者も多いのだが、最も悲惨だったのは、陸軍省の本所被服廠跡(画像参照)で、運動公園になっており、絶好の避難場所と思われた。しかし火災が四方から押し寄せ、また大旋風が起こり38000名もの死者を出したのである。

2026年10月30日金曜日

吉村昭「関東大震災」を読む2

https://www.asahi.com/special/saigaishi/1923shinsai/
大礼の夜の地震を東京大学の地震学教室では、今村助教授が、大地震の前兆だと発表した。京都の大礼に参加していた第一人者の大森教授はこの説を否定し、両者は対立した。

実際の関東大震災が起こったのは、この8年後、大正12年9月1日午前11時58分である、マグニチュードは7.9と推定されている。

今村助教授は、集められた記録紙を眼を輝かせながら見つめ、初動の方向と初期微動の継続時間から察して震源地は東京市南方約100kmの相模湾の海底と判断した。相模湾の南西部にある深さ1300mの海底が長さ24km、幅2~5.5kmの広大な部分にわたって100m以上も陥没し、その反動で湾の北東部では逆に海底が100m以上も隆起し、津波が沿岸各地を襲った。大島で12m、伊東で12m。さらに沿岸地域では茅ヶ崎で1.4m、大磯で1.8mも隆起した。東京市では、反対に陥没現象が発生し、本所や深川で地面が30~20cm沈下した。

https://www.rodo.co.jp/series/61950/
本書では、詳細な地震時の報告が次々に登場するのだが、読むに絶えないものが多い。まだましなのが、有名な東京初の高層建築・凌雲閣(高さ73m:10階までが総煉瓦造、11階と12階が木造の八角形の塔状の建物)の話で、上部が傾き、中央からやや上方の部分が裂け、右の方へ倒れていった。さらに近くの花屋敷の檻も壊れたのか様々な鳥類が飛び交い、獣類を射殺するらしい銃撃音も聞こえたという。

余談だが、THE ALFEEの坂崎氏が、この凌雲閣の煉瓦を仕事の合間に工事現場に貰いに行ったという話がYouTubeであった。コレクター魂を感じる。…続く。

2026年10月29日木曜日

ブリュワーズ WS優勝

https://x.com/Wadol87/status/2115667296425550200
ミルウォーキー・ブリュワーズが、タンパペイ・レイズに4勝1敗でワールドシリーズを制した。今年は、ナ・リーグとア・リーグの実力差がかなりあって、ナ・リーグで103勝を挙げたブリュワーズの強さが本物だったということになる。まあ、ドジャーズの面子も、それなりにたったといってよい。

ブリュワーズは、スモール・ベースボールで、HRをバンバン打つチームではない。だが、走攻守に優れ、チャンスに強い。これまでのMBLにはない魅力を持ったチームであると私も思う。まさにイチロー選手型のチームだといえるだろう。

ブリュワーズもレイズも決して年俸で見れば、たいしたことがない球団なのだが、この2チームがWSを戦ったことは、今回の労使協定にも少なからず影響を与えるのではないかと思う。年俸的に見れば、最悪のメッツ、そして名門ヤンキースも我がドジャーズも彼らに屈した。年俸の高さだけで勝てるとは言えなかったわけだ。

とはいえ、WSが終わったので、12月1日までに駆け込みの高額契約の話がどっと出てくるだろう。私の関心は、ドジャーズ・オンリーなのだが、さてさてどうなるか。

ちばてつや氏の訃報と「夢」

https://www.pixiv.net/artworks/101198673
10月22日に漫画家のちばてつや氏が鬼籍にはいられたそうだ。今朝YouTubeで知った。不思議な夢を見た直後だったので驚いた。

不思議な夢とは、ちばてつや氏が矢吹丈のリングネームで、アマチュアのボクシング大会に出る夢で、タトゥーをした強そうな選手と1ラウンドだけ戦い、結局1発もパンチを受けなかったという夢である。

ちばてつや氏の漫画は、我々の世代にとって大きな存在だった。小学生のころの私は「ハリスの旋風」が大好きだった。屋台のラーメン屋の息子で、ガリスポ(ガリ勉ではなく、運動部を掛け持ちする)石田国松は、ある意味私のあこがれであった。野球、剣道、ボクシング(ここでは拳闘とされていたのに時代を感じる)、そしてサッカー。

「あしたのジョー」は、ちば漫画の中で最も強烈な印象を残している。工業高校時代、この漫画を元にクラスでビデオを制作した。実際にボクシングジムに通う生徒が2人いたからだ。最後に主人公は真っ白に燃え尽きるのだが、小麦粉を頭から被された。(笑)すぐに、風呂に行けと風呂代を渡したのをよく覚えている。当時は誰でも知っているラストシーンであった。

「紫電改のタカ」という作品も俊逸である。松山出身の滝という少年飛行兵の話なのだが、最終的には、教師になる夢を捨てて神風攻撃で散る。戦闘シーンも多いのだが、米兵との友情や平和を深く訴える作品であった。

「のたり松太郎」も大好きだった。相棒の田中が優勝、結婚というハッピーエンドで終わるのだが、最終回は、京都の漫画博物館で読んだ記憶がある。

ちば氏の漫画は、顔、特に鼻の書き方に大きな特徴があった。ちかいの魔球以来変わっていない。ハリスの旋風のおちゃら(上記画像参照)も、あしたののジョーの白木葉子も鼻はそっくりだ。でもそこがいい。

ちばてつや氏の逝去に際し、深く哀悼の意をささげます。名作の数々を執筆していただき、ありがとうございました。

2026年10月28日水曜日

秋空高く日はうらら

https://swa.city-osaka.ed.jp/e671483/weblog/116435370
特進クラスの模擬テストの監督をしていたら、隣の小学校から、なにやら太鼓の連打や歓声が起こっていた。どうやら、近々運動会があるようだ。昭和の30年代から40年代にかけて、私の通っていた小学校でも運動会があった。必ず秋である。なぜなら、「運動会の歌」に♪秋空高く日はうらら、心も軽く身も軽く、とあるからである。不思議だったのは、運動会の歌はあっても、校歌が出来たのが私が高学年になってからであったことだ。だから、校歌よりこの運動会の歌の方が記憶に残っている。歌は続く。♪H(学校の名称)健児らの日頃鍛えたこの腕を父母観衆のその中で現す今日の楽しさよ~。

うーん、今は父母という語は死語である。ジェンダーや欠損家庭の関係で「保護者」となる。この歌、まだそのまま歌われていたのだろうか、などと思う。

今はダンス全盛だが、6年生の時(1969年)、運動会で「リズム」という名のパフォーマンスを演じた。早朝から時間が進んでいくという流れで、当時でもなかなか斬新的だったようで、TV放送された。児童は運動場を囲み、体育座りをしている。音楽に合わせて、出席番号順に、運動場に歩いて出ていく。自転車のような2人組もいたと記憶している。その後皆が集まり輪を作っていったような記憶がある。我が担任のN先生は、新卒で新しい教育実践を導入しておられた。音楽の授業では、シンセサイザーによる電子音楽なども聞かされた記憶がある。当時では画期的だった。

私は運動が苦手っだったし、運動会や体育祭に出場するのは好きではない。中3の時など、足を怪我したのを幸いにずっと用具係のリーダーをやっていた。高校時代は、3年間ひたすら科の応援団をやっていて、競技にでた記憶がない。3年では副団長だった。俳優の時任三郎(木材工芸科の団長だった)と科(私は図案科)で互いの応援をした記憶は鮮明だが…。(笑)

ところで、2026年3月末日、我が小学校は、95年の幕を閉じた。少子化の波は、昭和の匂いがプンプンする運動会の歌をも消し去ってしまったのだった。

2026年10月27日火曜日

吉村昭「関東大震災」を読む1

学院の図書館で、吉村昭の「関東大震災」というノンフィクションで菊池寛受賞作の文庫本(文春文庫)も借りていた。途中で、震災時のあまりの悲惨な描写に読むのを中断したくらいの内容である。本書の書評も書いていこうと思う。

本書は、いきなり大正4年の即位の大礼から始まる。「ミカドの肖像」で有名な八瀬童子が御羽車(おはぐるま:神鏡を運ぶ箱型の輿)を担ぎ、東京を立たれるシーンが描かれる。天皇は御召列車で、名古屋泊を経て京都へ。11月10日、即位式が行われたその夜に、東京の町が強い地震に襲われる。…続く。