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| https://znn.jp/2020/02/post-25632.html |
まずは、「平和学習」について。辺野古基地の建設現場を、教員不在で抗議船に波浪注意報の中、生徒を乗船させるという行為は、過激すぎると言わざるを得ない。(過去の事例で、防空壕の中に閉じ込められ、泣き出したOGもいたという。)たしかに沖縄に米軍基地が集中しすぎており、それに対する批判があっても当然であると思うが、成田空港建設時の三里塚闘争で、反対派の”やぐら”(画像参照)にのぼる体験をさせるのに等しい、と私は思う。高校生の平和学習という範疇からは、大きく逸脱している。
教育関係者としては、付き添い教員が乗船しなかったというのが納得できない。北海道の修学旅行で漁船に乗せたことはあるが、当然同行した。教員が乗船するとなにかまずいことがあるのか、と疑うのは当然である。しかもこの抗議船は、法的に認められておらず、保険にも入っていない。これを承認した学校と旅行業者は、全くもって信じられない不誠実さである。
どうも、この抗議船と辺野古基地反対の組織には、某左翼政党がからんでいるようである。2隻のもう一方の船長は、その某左翼政党の地方議員であったことが後日判明した。その反対派組織の代表者は会見場で腕組みをしていて、世間の顰蹙をかった。
私は、この某左翼政党支持の教員に辟易したことが何度もある。選挙時に学校から保護者に電話をして投票依頼をしたり、社会科の教師の中には公然と思想教育のようなことをする者もいた。もちろん全ての某左翼政党支持の教員がそうであった訳ではないが、自らの正義を信じ込み、正義のために何をやってもゆるされるというスターリニズムを想起させられたことが多かった。
左翼に限らず、右翼にも、また宗教的な組織にも、独善的な一面がある。今回の事件でも、反基地闘争は正義であるというドグマがあからさまであった。組織の代表者の腕組みはそれを見事に体現している。しかし、死亡事故の会見に際して、腕組み(心理学的には自己防衛)をする幼児性は、極めて醜い。
思想というものは、突き詰めれば独善に陥りやすい。しかしながら、様々な思想が混在するのが社会の常である。互いの意見を尊重し合いながら物事を進めていく視野の広さを持つ必要がある。それこそが「平和教育」の根本だと思うのだが…。
改めて、大人たちの不誠実かつ独善的な所業によって、尊い生命を奪われた女子高校生に、心から哀悼の意を示したいと思います。合掌。








