2024年4月15日月曜日

地名の暗記 考

三崎高校の理系進学者クラス(といってもたった2名だったけれど…。)以来の地理を教えているわけだが。先日、学院の世界史の先生から、「地理総合で是非とも地名をやってほしい。」と言われた。これには、様々な背景がある。本日は、この件について少し考察してみたい。

昔、M高校にいた頃、よく中学校や塾に営業に出かけていた。ある学研都市線沿線の中学校を訪問させてもらった時、対応してくれた若手の先生は地理の先生だった。たまたま私が社会科の教師だと知ると、中学地理の内容の薄さについて熱弁を振るってくれたことがある。

地名の暗記などは「ゆとり教育」の名のもとに切り捨てられていた。地理を好きな子はともかく、好きでもない子は、世界や日本の地理情報から切り離されているようだ。

私は、高度経済成長期の子供だったので、当然ながら詰め込み教育を受けてきた。ちなみに世界中の国名と首都名については、小学校の3年だったか4年だったかに夏休みの自由研究で、国旗のデザイン付き(色鉛筆仕上げで、サウジアラビアの国旗については苦労した記憶がある。笑)で1冊のノートにまとめた。要するに、私は地理が大好きだったのだ。以来、地名とか都市名とかのテストで苦労した経験がない。

息子は、「ゆとり教育世代」のちょっと前なので、小学校時代、日本の都道府県名や県庁所在地、河川名、山脈名などを妻に鍛えられていた。地理の試験があったのだろう。妻が言うに、小中学校の時代は、休み時間に地図帳を開けて、友達と面白い地名クイズなどをしていたとのこと。そうそう、アホ(米国アリゾナ州にある。)とか…。私も地図帳大好き人間だったので、当然やっていたもんだ。

さて、マレーシアのPBTには、職員室の壁一面に様々な日本語教育の教材、問題集などが並んでおり、社会科のコーナーもあった。そこには中学受験のための地理の問題集(本日の画像参照:こんな感じの問題集)があり、中学受験をする小学生は、何と言われようと塾で詰め込み教育をされていたことを知った。十分すぎるほどの地名がそこにはあった。

3月までお世話になった学園では地理を教えていないが、政経の国際情勢などで地名を扱った。特に違和感がなかったのは中学受験で入学している生徒が大半だったからだと思う。今お世話になっている学院の方は高校から入学の生徒が大半であるので、公立中学の「ゆとり教育」の洗礼を受けている故、地名に関しては、かなり厳しいと思われる。(もちろん地理が好きで地名に詳しい生徒もいるだろうが…。)

ゆとり教育の是非について少し考えてみたい。そもそも、素直で規律正しく基礎的な教養がある「良き工場労働者の育成」が、戦後教育の主目的だったと東大の教育学の先生が言われていた。しかしながら、エリート育成を怠れば日本の将来もないわけで、私は教育の目的には、二面性があると感じている。高度経済成長期を過ぎて、失われた十年と呼ばれるような時期になると、競争社会への批判とともに、「良き工場労働者」にはゆとり教育、エリートには、これまで以上の「詰め込み教育」という二分化が推進されてきたのではないかと思われる。我々の世代では、まだ二面化の前で、自然と両者に各人が進化していったのだ、と思う。

少子化が進み、中高一貫校はひたすら進学実績を追い求める。親の願いは、学歴重視で変わらない。彼らは一般入試で難関校を受験するエリートである。最近は、「良き工場労働者」も大学に進学するが、できれば年内に指定校や総合型選抜で合格して安心したい層になっている。大学受験も二分化されている。

だから何だと言われると、そういう社会学的な考察が可能だ、というだけの話である。問題は、各人が何を求め、何者になるかである。

と、いうわけで、基本的なヨーロッパの地名を書き込む提出用紙(B4の縦書きで地図を最大限大きくした。)を作った。これに提出用ではない白地図を2~3枚バラ撒くつもりである。まずは自分で、書き込むのが王道だと私は思う。

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