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外務省の迷走は先日記したとおりだが、東郷重徳(彼は半藤一利の『日本のいちばん長い日』で和平派として活躍したというイメージがつくられてっっしまっているとのこと。)の仕事で、佐藤氏が一番大きかったのは、ポツダム宣言時の意訳としている。日本側が天皇統治の大権を変更しないという条件をつけたのに対して、連合国は「天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に"be subject to"する」とあるのを、「制限化におかれる」と訳した。普通に訳せば、隷属する、支配されるで、軍部も違うといったが、「英語ができないものが何を言うか」と押し切った。まさにアクロバティックな意訳である。連合国である"United Nation"を「国際連合」と訳したのも同様で、山内氏は「外務省文学のマジック」と呼んでいる。(笑)…たしかに、国連は連合国なのだと、授業で教えている。
さて”日本のいちばん長い日"=宮城事件の際、阿南惟幾陸相は、クーデター計画を知らされ、御前会議後、クーデター計画を立案した義弟の竹下正彦中佐に、陸相を辞任して内閣を総辞職させるか割腹するかを迫られる。此れに対し、「承詔必勤」天皇の言葉は絶対だと退ける。15日朝5時半、陸相官邸で阿南は割腹。この報が広がり反乱も収束していく。11時にクーデターの首謀者、椎崎中佐、畑中中佐が二重橋近くの芝生で自刃。陸軍のどうしようもない憑き物を阿南は落としカタルシスをもたらしたと山内氏。ちなみに、義兄に迫った竹内正彦中佐を調べてみると、かのとんでもない皇国史観の歴史家の東大・平泉澄(2014年2月19日付ブログ参照)の弟子で、後に警察予備隊から陸相となり、自衛隊幹部学校長になっている。1989年まで生きたようだ。これには少なからず驚いた。阿南の割腹時に生きのこれといわれたからだと思われる。
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