今日のところは、通勤の帰路に読んだだけなので、60ページくらいしかまだ読んでいないのだが、「日本人とユダヤ人」は、霞が関で最初売れだしたことがわかった。外務省から通産省へと広がっていったらしい。1970年という、安保反対の空気が緩み、大阪万博が開催され、三島が割腹自殺した年。絶好のタイミングでの日本文化論だったのだろう。有名な「日本人は空気でものごとを決めてしまう」「日本人は水と安全は無料だと思っている」といった指摘が実に新鮮だったようだ。
ここで、現在の国際情勢と日本について考えたい。実に世界中の、そして日本国内の「空気」が淀んでいると私は思っている。ネット民の間では、かなりの危機感が高まっている。ウクライナには、もはや勝ち目がないという見方が一般的だ。相変わらずマスメディアは信用出来ないので確証はないが、NATO諸国の団結はかなり緩んでいるようで厭戦気分が高まっている。まあ、イギリスとポーランドは元気だが…。肝心のアメリカ国内でも、不審な火災、停電、鉄道事故が毎日頻発しており、不安が高まっている。イスラエルとイランも互いにドローンで攻撃しあっているが、アメリカがイスラエルに組みするか否かが焦点で、そもそも経済支援を頼んだのにイスラエルとともに戦争に参加せよとIMFに脅されているエジプトは苦慮している。これを覇道と言わず何と言うのか、と私は思う。日本は、アメリカに言われるままに莫大なウクライナ支援金を首相が決めたらしい。日本はやはりアメリカの州、いや以下の植民地なのかと思わざるを得ない。現首相は映画シン・ゴジラに登場する空気頭の首相そのものを演じている。
TV離れ、新聞離れが進んでいるようだ。今、日本の「空気」は、嘘を嘘として感じているように思う。アメリカも、中国も信ずるに足りる存在では全くない。さすがに、未だに安全は無料だと思っている人の頭の中はお花畑だとしか思えない。そんな淀んだ「空気」を感じるのである。本書の書評は、以後少しずつ書いていくつもりである。
0 件のコメント:
コメントを投稿