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私の場合、紆余曲折があったが、(自分にとって理想とする)教育者という本質を作っていくという「志」を立て、そのために、努力してきたつもりである。そして今も努力を続けている、と思っている。よって、人生は修行であるというテーゼに行き着く。
昨日記したように、私はブディストなので、煩悩の存在も、縁起による空の存在論も、唯識と如来蔵も信じている。一切衆生悉有仏性:自己の内部に存在する仏(仏界とか仏性とか様々な名称が有るが)の大乗仏教のテーゼを信じている。さすがに、仏陀になるための修行が人生だなどとは、比丘(出家した男性)ではなく、優婆塞(在家の男性)なので、”よういわん”(大阪弁でそんなことは言えない)のだが、日常の中で、生徒に孟子の言葉を借りれば「浩然の気」を発し続けていきたいと思っている。
人生は修行である。だから先輩諸氏に、「育てて」もらった日々が重要なのである。育ててもらったからこそ後継を「育てていける」と思っている。昨日は、序文・正宗分、流通分をもとに振り返ったが、修行=育ててもらっていたのは、序分の時期だけではない。今もそういう局面がある。傲慢を何よりの戒めとして育てられてきた私には、そういうスタンスが根っこにある。これは実にありがたいことである。自己のアイデンティティを確立したと思えた後も、修行に励めるからだ。教育者にとって、なによりも重要な資質であると信じている。
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