【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その24】
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いよいよイスラエルの旅も最終日である。テルアビブで最もディープな街を見た後は、バウハウス探索の街歩きである。テルアビブは、これまでの街と違い、洗練された新しいイスラエルを見せてくれる。とはいえ暑い。海の近く故に湿気もある。アイスクリームを食べたりしながら豊かな時を過ごしたのだった。なかなか絵になる路地や家並みも多く面白い。画像にある家など、たくさんの人形が家中にくっついている。ほんと芸術的な家なのだった。
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ヤッフォ 旧市街を望む |
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旧市街 不思議な光景 拡大してみて下さい |
昼食は、テルアビブの南に位置するヤッフォまで足を延ばすことになった。こっちは聖書に名を残す旧市街。これまた素晴らしい街である。蚤の市をひやかしたりしながら、地中海を一望できるレストランで昼食をとった。贅沢な話である。もちろん息子は魚料理を所望する。(笑)このヤッフォは、ナポレオンがエジプト遠征後、さらにパレスチナ支配を試みようと占領した街でもある。聖書の時代、ローマの時代、十字軍の時代、そしてナポレオンまで歴史が交錯しているのだ。凄いよなあ。やはり地中海世界というのは凄いよなあと素直に思うのだ。
ヤッフォの旧市街からテルアビブのビル街を眺める。古いイスラエルから見る新しいイスラエル。全く不思議な感覚だ。ここまで歩いてよかったと思う。
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リトアニアのシナゴーグの模型 |
さて、いよいよトリは、テルアビブ大学内にあるディアスポラ博物館である。ディアスポラというのは、ローマ時代にユダヤ人が離散させられたことを意味する。テルアビブの南から北へ一気にタクシーで移動する。タクシー料金が安いからこそ出来る技である。ディアスポラのダウンタウンを走る。うーん、相変わらずヒヤヒヤする。テルアビブは新しい街なので、碁盤状になっている所が多く、イギリス委任統治の財産であるロータリーは少ない。息子は、テルアビブ大学でイディッシュ語を学んでいることもあって、大学周辺は詳しい。迷うことなく博物館に到着した。この博物館もなかなか面白い。特に、様々な土地で独自の進化を遂げたシナゴーグの模型が有名である。
全く、その土地、その土地でユダヤ教はアイデンティティを守りつつその土地のエキスも吸収しながら進化してきたとしか言いようがない。これまでのイスラエル行の基本的なコンセプトを「超多文化共生の社会で生きることを強制されているイスラエル人」と設定したことを証明するような展示だ。
ここでは、私が写真を撮りたくてたまらなかった展示をついに発見した。「割礼」の宗教用具である。昔、ニューヨークの5番街にあるユダヤ博物館で見たことはあるが、写真撮影は禁止だった。今回は問題がないらしい。こういう写真を集めて教材をつくりたかったのである。やっと私も「お腹いっぱーい。」になれたようだ。(笑)
ところでこの「地中海の港-街-を旅する」シリーズ、「町」ではなく「街」という字を使った。テルアビブという大都会を含んでいるし、アッコーやヤッフォの旧市街を散策すると「世界ふれあい-街-歩き」のイメージがどうしてもつきまとったからである。いやあ、よく歩いた。
追記:エントリー更新して初めて気付いたことがある。1000回目のエントリーだった。祝1000回。
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