安息日の新市街 誰もいない |
大家さんはイラン系で、出身から見るとミズラヒム(8月10日付ブログ/「家庭内別居?イスラエルの現実」参照)にあたる。正統派なのか保守派なのかわからないが、安息日の始まりの礼拝をシナゴーグで済ませてから食事会となったので開始が8:00くらいになった。熱心なユダヤ教徒である。ちなみに、奥さんはグルジア系。信仰に関しては夫ほど熱心ではないが、常に大家さんを立てているので、言われた通りしているようだ。グルジアのユダヤ教は、イランのユダヤ教と微妙に違うらしいが同じミズラヒム系なので似ているらしい。この日はちょうど、2~3年前にイスラエルに移住してきたという奥さんのお父さんとお母さんも来られていた。お父さんはグルジアの逓信省のトップだった方で威厳がある。但し、グルジア語とロシア語しかしゃべれない。私たち夫婦(日本語とリトル英語使用可)だけでなく、息子(日本語・ヘブライ語・英語・アラビア語・イディッシュ語その他使用可)、嫁にあたるTさん(日本語・英語使用可)とも直接コミュニケーションはできない。ちなみに、大家さんはヘブライ語と英語、奥さんはヘブライ語とグルジア語がしゃべれる。つまり、私が奥さんのお父さんとしゃべるには、日本語で息子に伝え、息子がそれをヘブライ語で奥さんに伝え、奥さんがグルジア語で伝える必要があるという凄い言語空間であったわけだ。(笑)
大家さん宅入口 右側に息子夫婦が住んでいる |
グルジアでも長らく社会主義政権が続いていた関係で、ロシア移民同様ユダヤ人としての宗教生活は制限されていたので、こういう儀式的なことには意義を見いだせないのだろう。時折、露骨に嫌な顔をされる。それを気にしつつも無視して大家さんは儀式を進めていた。(笑)
奥さんの作ってくれたグルジア料理はなかなか美味であった。様々な話題が出て面白かったが、前述のように、凄い言語空間である。隣に座っていた奥さんのお父さんとは「柔道」と「札幌」の話を日本語-ヘブライ語-グルジア語の連携プレイで少しだけ出来ただけであった。言葉が通じない食事会は苦しい。お父さんは居眠りをしだしたし、お母さんは子供達を世話をするといって引っこんでしまった。この辺もユダヤ教の多文化性を強く感じた次第。結局1時半くらいまで話し込んで、最後の祈りをしてお開きとなったのだった。
安息日の超正統派の街メア・シェアリーム 車の侵入をシャットアウトしている(タクシーより) |
0 件のコメント:
コメントを投稿