【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その25】
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ティベリアのホテルにて 朝の祈り中 |
今日のエントリーは、一応の紀行文を終えたところで、ベングリオン空港に到着した直後の話に一気にもどる。シェルートと呼ばれる乗合バスでエレサレムに向かった時のことだ。今から考えれば新市街のメア・シェアリーム、超正統派の街を走っていたら、深夜(午前零時は超えていたと思う。)にもかかわらず、超正統派の真っ黒なコートを来た男が、黒いロングスカートの女性とベビーカーを押しながら歩いていたのだった。不思議な光景であった。これがイスラエルで見た初めての超正統派の人々だった。
超正統派(Haredi)の人々を抜きにして、イスラエルという国家もイスラエル人とは何かは語れないだろうし、超多文化共生社会も語れないと私は感じた。何度か書いたように、イスラエル=ユダヤ人国家ではない。またユダヤ人=ユダヤ教徒とも言えない。そんな中で自らをユダヤ教徒であることを生業とし、専ら律法の研究者として非生産的な存在であることを誇りとして、政府からの援助で暮らしている彼らは「選民の中の選民」(ユダヤ教は神に選ばれた民であるとされている。だからこそ2000年以上世界中に離散していても信仰を捨てなかったわけだ。)だと言えるだろう。
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木・金曜日に学校で制作した授業用のプレゼン画面 |
ところが、この超正統派は政府の援助で生活していながらイスラエル国家とその成立過程であるシオニズム(パレスチナにユダヤ人国家を再建する運動)を否定している。ユダヤ国家の再建は神によるものであって人為的な国家たるイスラエルは否定されるのである。生活の援助を受けているコトもなんのその、ホロコーストで絶対数が減少し、その伝統保持のための兵役免除もなんのその。彼らにとって、「正義とは神との契約」のみなのである。
だから、律法を守らない世俗派などは無視される。街では当然両者ともすれ違うのだが、必然性(商店で買い物をしたりする最低限の接触)のないふれあいはゼロに近い。一度だけ、タクシーに乗っていて、超正統派が道を聞いて来たことがある。(注:アジア人の異教徒である私たちが乗っていることなど無視である。存在すら否定される。)市場にも、観光地(死海)にも超正統派はいるが、こちらから声をかけても答えないことは、妻と嫁のTさんが遭遇した死海バス事件(8月13日付ブログ/エレサレム近郊に行くⅠ参照)にあるように明白である。「選民」であるという確信から来る圧倒的な矜持で押し切られるわけだ。
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エレサレム旧市街にて |
当然、彼らはイスラエルの中でもかなり孤立している。アラブ系の人からはもちろん、ユダヤ人の中でも「尊敬」を得ていないようだ。『イスラエルの家庭内別居』の中で占めるキャラクターは、「文句ばっかり言ってる失業中の頑固ジジイ」という感じである。しかし、この頑固ジジイは、『産めよ増えよ地に満ちよ』という聖書の文言を守り、多産である。無茶苦茶子供が多い。イスラエルという家庭内に、頑固ジジイのモトが着実に増えているのだ。彼らは非生産的であり、しかも兵役にもつかない。国家財政的には大きな負担である。GDPを稼ぐ、他のユダヤ人からすれば全く迷惑な存在である。だから、バスや電車の中でも、互いに無視している感じだった。この対立、イスラエルの家庭内別居の最たるもののひとつであるが、時間の経過とともに拡大していく(超正統派の人口爆発)というのが凄い。一方で、移民法のユダヤ人規定で、ヘブライ語もタルムードも知らない(血筋だけの)ユダヤ人移民も増加してきている。うーん。これからどうなるのだろうか。
この超正統派は元東欧系の人々が多いが、少し調べるだけでも、様々な派閥に分かれており、私のような市井の社会科教師には荷が重すぎる。このへんでエポケー(判断停止)させていただく。
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